プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

「取材源秘匿」論議で見落としてならないこと

2006-03-24 22:30:27 | 政治経済
新聞、放送の「取材源秘匿」をめぐって最近、相反する判決が連続してありました。「報道の自由」にとって「取材源の秘匿」が鉄則であることは間違いありません。しかし、何のための「報道の自由」かと言えば、「国民の知る権利」に応えること、そのために保障されているということです。「報道の自由」や「取材の自由」は、ジャーナリズムが本来の役割を果たすためにあることを忘れてはなりません。

米国の健康食品会社の日本法人への課税処分に関する報道をめぐり、読売新聞記者が取材源に関する証言を拒絶したことの当否が争われた裁判で、東京地裁は14日、大半について記者の証言拒否には理由がないとする決定を出しました。
決定理由で藤下健裁判官は「日本の政府職員が取材源だったか」などとする質問への拒絶を取り上げ「取材源が、守秘義務の課せられた国税庁職員である場合、その職員は法令に違反して記者に情報を漏らしたと疑われる」と指摘。 「取材源について証言拒否を認めることは、間接的に犯罪行為の隠ぺいに加担するに等しく、到底許されない。取材への悪影響は法的保護に値せず、記者の証言拒否は理由がない」と言い切りました。 守秘義務のある公務員から取材した記者は、法廷で一切証言拒否ができないというわけです。しかも決定は、それで公務員からの取材ができにくくなっても、それは「法秩序の観点からはむしろ歓迎すべき事柄」とまで言ったのです。自己の都合のいいような官庁発表以外は取材するなというに等しいものです。

3月17日、東京高裁は、この地裁判決と正反対の判決をだしました。
「報道機関の取材活動は、民主主義社会の存立に不可欠な国民の『知る権利』に奉仕する価値ある活動である」と、東京高裁の決定は言う。取材源秘匿のために記者が証言拒絶することも、その取材活動の価値以上に社会、公共の利益が害されるなど「特段の事情」が認められない限りは許される、としました。裁判では、米国企業が米政府に損害賠償を求めた訴訟の嘱託尋問で、NHK記者が取材源に関する証言を拒絶したことの当否が問われました。
東京高裁決定は、公務員に秘密情報の提供を求めることに関して「取材活動が公務員に違反行為を要請する結果になるとしても、報道機関の社会的公共的な価値・利益のために取材源を秘匿する必要性は変わらない」「取材の目的、方法の適否の判断を離れ、取材源の法違反の存否を検討することは不必要で、相当ともいえない」とも述べています。

報道にあたって重要なのは取材源との信頼関係であり、必要に応じて取材源を秘匿することは、報道に携わる者の鉄則です。
しかし、「取材源の秘匿」を理由に、法廷での証言拒否を求める報道機関の主張は、「国民の知る権利」に応えるものであるからこそ、国民の支持が得られるということを忘れてはなりません。昨年、アメリカ連邦裁判所での証言を拒否し、法廷侮辱罪で収監されたニューヨーク・タイムズの女性記者は、取材で知った事実を報道していませんでした。「報道・取材の自由」をめぐって大きな議論をよび、女性記者は結局辞職することになりました。

東京地裁判決にたいし、当の読売新聞が「報道の意義を否定する決定だ」との社説を掲げたのをはじめ、朝日新聞「裁判所のあきれた決定」、毎日新聞「司法が知る権利を否定するとは」、産経新聞「こんな裁判官もいるのか」など、各紙こぞって批判したことは当然です。しかし、日本のマスメディアは、国民の「知る権利」に応え、事実を伝え権力を監視するジャーナリズム本来の役割を本当に果たしているのか、いま厳しく見つめなおすことが必要だと思えてなりません



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