プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

沖縄新基地協議―忘れられた大前提

2006-03-23 18:37:29 | 政治経済
額賀防衛庁長官は21日に引き続き、22日も沖縄の島袋名護市長と会談し、在日米軍再編に基づくキャンプ・シュワブ沿岸部への米軍新基地建設計画(辺野古崎沿岸案)の受け入れを迫りました。地元名護市と防衛庁の違いは、滑走路の位置を辺野古崎沿岸案と従来の辺野古沖計画との間1・5キロの海上のどこに定めるかであるかのような報道があります。しかし、米軍新基地建設問題は、単に飛行場を、数十メート、数百メートル動かすかどうかの問題ではありません。

新基地建設をめぐっては、沖縄県も名護市も辺野古崎沿岸案に反対しています。政府は辺野古崎沿岸案の「微修正」もありうるが、基本は変えないという立場です。政府が「微修正」案として検討しているのは、(1)新基地の建設位置を沖合に数十メートル移動する(2)米軍機の住宅地上空の飛行を避けるため、滑走路の向きを変える――などとみられます。

しかし、もともと昨年10月中間報告で合意した辺野古崎沿岸案とは、どういう基地建設計画なのか。在日米軍再編についての日米共同文書では、新基地について「緊急事態への迅速な対応能力」と位置付け、その「維持」=恒久化を打ち出しています

1996年の沖縄に関する特別行動委員会(SACO)に基づく新基地案では「撤去可能」をうたい、99年に稲嶺恵一知事が受け入れを表明した辺野古沖計画でも「十五年使用期限」が条件でした「撤去可能」だったものが、沖縄に米軍基地を永久にしばりつけるという方向へ、新基地の性格が様変わりしてしまったのです。戦後60年以上も米軍基地を押しつけられてきた「基地の島」沖縄県民は、いくら普天間の負担軽減とはいえ、沖縄県内に自らが同意して新基地を建設することを許せませんでした。苦渋の選択として、「撤去可能」を大前提としたのです。

「普天間飛行場に関するSACO最終報告」(1996年12月2日)には次のように書かれています。「平成8年12月2日、SCC(日米安全保障協議委員会)は、海上施設案を追求するとのSACOの勧告を承認した。海上施設は、他の2案[(1)ヘリポートの嘉手納飛行場への集約、(2)キャンプ・シュワブにおけるヘリポートの建設]に比べて、米軍の運用能力を維持するとともに、沖縄県民の安全及び生活の質にも配意するとの観点から、最善の選択であると判断される。さらに、海上施設は、軍事施設として使用する間は固定施設として機能し得る一方、その必要性が失われたときには撤去可能なものである

辺野古崎沿岸案は、いつの間にか沖縄県民が大前提とした「撤去可能」の議論を消し去ってしまいました。それだけではありません。 ――96年の政府案に比べ、基地の長さは千五百メートルから千八百メートルに拡大。桟橋まで建設され、軍港化の危険もある。 ――辺野古沖計画では、辺野古住宅地までの距離が2・2キロあったのに、辺野古崎沿岸案では、固定翼機の進入経路がわずか7百メートルにまで接近。県民の安全及び生活の質にも配意するということはまったく忘れられました。

約三万五千人が結集した県民総決起大会(3月5日)は、辺野古崎沿岸案反対が「県民の確固たる総意」(大会決議)であることを示しました。かつての海上案(辺野古沖計画)を容認する人々も恒久基地となる沿岸案など受け入れるわけにはいかないのです。辺野古崎沿岸案にせよ「微修正」案にせよ、日米両政府が恒久基地を押しつければ、島ぐるみのたたかいを呼び起こさざるをえないでしょう

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。