プロメテウスの政治経済コラム

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名張毒ぶどう酒事件  またしても冤罪の可能性  許しがたい再審請求裁判の出鱈目!

2010-04-08 16:32:19 | 政治経済
「私は無実です。命の限り戦います。支援してくれた方にお礼を申し上げます」――名古屋高裁決定取り消しの報を聞いた時の奥西勝死刑囚(84)の言葉である。三重県名張の小さな集落(葛尾)の懇親会で、毒物が混入されたぶどう酒を飲んだ5人が死亡した事件から49年がたった。35歳の青年は、人生の大半を刑務所で過ごしたことになる。
事件発生から11年経って72年に最高裁で上告棄却・死刑が確定すると納得できない奥西さんは、翌73年の第一次再審請求から何度棄却されようとも決して諦めず、「冤罪を晴らしたい」という一念から、二次、三次と再審請求を積み重ね、2002年には遂に第七次の再審請求をする。いくら出鱈目な裁判官も2005年遂に奥西さんの言い分を聞き、再審開始を決定する(名古屋高裁刑事1部)。ところが、すぐこれに検察から異議申し立てが入り、またもや出鱈目な裁判官(今度は名古屋高裁刑事2部)は、2006年に再審開始決定を取り消す。こうして、特別抗告を受けた最高裁は、この4月6日、奥西さんの再審請求について、名古屋高裁に審理を差し戻した。再審開始決定を取り消した名古屋高裁刑事2部決定(06年)について、「審理不十分」と批判しており、やっと再審開始の可能性に道を開いた。強引な取調べで「自白」させ、一度落ちたら、客観証拠や「自白」の不自然さも検証せず、ひたすら裁判官や検察の面子で冤罪がまかり通るのが日本の刑事司法の実態である。最近、裁判員制度を導入し、取り繕って見せようとしているが、日本の刑事司法制度の病根の深さは覆い隠せない。

“名張毒ぶどう酒事件”といっても若い人にはピンとこないだろう。私がまだ高校生時代の1961年(昭和36年)3月28日に事件は起こった。前年の歴史的な安保闘争を受けて、池田勇人内閣が所得倍増計画を掲げ、人びとの関心を政治からより豊かな生活へと移行させ、やがて、カラーテレビ ・クーラー ・自動車の3種の耐久消費財が新・三種の神器(旧は白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)として喧伝されるようになる時代であった。事件は、三重県と奈良県の県境の人口140人ほどの小さな集落(葛尾)の生活改善クラブ(毎月各戸300円を出し合い、クジを引いて当たった者が、金を台所、便所の改良、電化製品の購入など生活レベルの改善に使うという決まりの無尽がその主な活動)の年度末の総会後の懇親会で起きた。女性用に出された一升瓶に入ったぶどう酒を飲んだ5人が死亡、10人は重い中毒症状となった。

警察・検察のストーリーは、名張市の酒店から葛尾の住民の一人が買って会長宅に置いてあった問題のぶどう酒を会場の公民館に運んだ奥西勝が三角関係の清算のために、自宅にあった農薬ニッカリンTを竹筒に移し替えてポケットの中に隠し持ち、公民館にぶどう酒を運んで一人になったときに、毒ぶどう酒を用意したというものであった。確かに死亡した女性5人のなかには、かつての不倫相手と妻が含まれていた。
警察・検察のこのストーリーに合わせて、ある日を境に住民の供述が一斉に変化する。当初、酒屋もぶどう酒を買って会長宅に持っていった住民もぶどう酒を預かった会長の妻も酒が届いたのは午後2時過ぎから3時ごろまでと供述していたのに、ある日を境に関係者全員が曖昧になり、酒が届いたのは夕方、午後5時ごろだったなどと奥西犯行説を立証しやすいように変化する。当日の午後の会長宅には、懇親会の準備のため多数の女性が出入りし、鍵もかかっていなかったから、奥西以外の誰かがぶどう酒に毒物を混入させる可能性も否定できないからである。

証人として裁判によばれた住民たちは、矛盾を突かれても「分かりません」「記憶はありません」「勘違いしていました」「忘れてしまいました」など繰り返すばかりであった。一審の津地方裁判所は、ぶどう酒の到着時刻に関する住民らの供述の変遷を「検察官のなみなみならぬ努力の所産」と皮肉たっぷりに批判。一度は警察に付き添われ「自白」の記者会見までしたが、その後一貫して無実を訴える奥西の主張を受け入れ無罪の判決を言い渡した。公民館の押入れで見つかったというキズ付の王冠も本件のぶどう酒のものかどうか分からないとし、自白調書に関しては「重要な点において不自然、不可解な点が存在し、信用できない」とした。また三角関係の清算という動機に関しても、当時、二人を殺害するほど追い詰められた状況ではなかったとした(江川紹子「名張毒ブドウ酒事件」(『冤罪File』2009・6 No.06)。

自分たちのストーリーが認められなかった検察は、歯形付王冠について専門家の松倉鑑定を用意して名古屋高裁に控訴。名古屋高裁は逆転の死刑を言い渡した。奥西はすぐ最高裁に上告したが、最高裁は弁論を開くこともなく、上告を棄却、奥西の死刑判決は確定した。
こうなると後はお決まりのコースである。再審請求で松倉鑑定が倍率のまったく違う二つの写真をならべて王冠表面のキズを奥西の歯形と断定していたこと、事件に使った後のニッカリンT農薬のビンを川に捨てふわふわ流れてゆくのを見たと証言している(自白に基づき川を捜索したがビンが見つからなかったからこのように誘導したのだろう)が、弁護団が何度も同じようにビンを投げ入れてみたが、ビンは浮かばず、すぐ沈んだこと、事件当時の名張署長(故人)のノート(初期の住民の証言を記載している)によれば、奥西が公民館で一人になり、毒をいれることは不可能なこと、などなどいくら再審請求で矛盾点を指摘されても、高裁はすべて奥西の再審請求を棄却してきた。一度思い込んだストーリーに疑問が呈されても、みずから再検証し、糺そうとはしない。

「思い込み捜査」に合わせた証拠、供述集め、いい加減な鑑定をつける―これらを追認するだけで、無実の訴えに耳を貸さない裁判官―日本の刑事司法制度の病根は深い。



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