プロメテウスの政治経済コラム

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大阪・橋下知事の「自己責任論」 「子どもが泣き、大人も泣く大阪」 だのに人気はなぜ?

2008-12-23 20:53:45 | 政治経済
大阪府の橋下徹知事が10月23日、私学への助成金削減をやめるように請願する地元高校生に対し、「なぜ、公立を選ばなかったんだろう?」「今の世の中は、自己責任がまず原則ですよ。誰も救ってくれない」と切り捨てた。高校生との議論で負けそうになると、「それはじゃあ、国を変えるか、この自己責任を求められる日本から出るしかない」とまで言い放った。橋下徹知事の選挙公約は「子どもが笑い、大人も笑う大阪」であった。およそ政治家としての資格を語る以前の人物に対して、大阪府民から「橋下、やめろ!」の大合唱が起こっても不思議でない。なのに、橋下知事は相変わらず、過激発言を繰り返し元気である。大阪府民は、アホなのか。それとも橋下がカシコイのか

弁護士の橋下は、知事になる前は、テレビのタレントであった。横山ノックの例のように、大阪府民はタレントが好きである。かつては、全国の地方政治をリードした黒田革新府政(1971―1978)を生んだこともある、反権力志向の強い大阪府民ではあるが、政治的教養の不十分さは否めない。橋下がこんなに権力的な人物であるということを見抜けなかったのだから。
橋下を一言でいえば、<石原+小泉>Jr.である(大内裕和・松山大学教授による)。石原の傲慢さ(弱い者には嵩にかかる)と小泉のポピュリズム(誰かを「悪者」に仕立て上げ大向うをうならせる「劇場型」)の悪いところを忠実に引き継いでいる。日本国民も東京都民も小泉、石原にすっかり騙されたのだから、大阪府民だけが、とくに政治的教養が未熟だというわけではない。

小泉のインチキさ加減については、いまや国民の多くが気づき始めたようだ。小泉「構造改革」によって、空前の利益をあげ、株主配当、経営者報酬、内部留保に割り当ててきた多国籍大企業たちが、何の貯えもない非正規雇用者のクビを平然と切り、彼らを寒空のもとに放り出す極悪非道の先頭に立っている。こんなことになったのは、2004年から製造現場への派遣労働者が自由化されたからである。
中央政府レベルでは、小泉「構造改革」のインチキ振りが暴かれつつあり、それで麻生自公政権も苦労しているのだが、地方政府レベルでは、橋下のような<小泉>Jr.がいまだに元気である。大阪府民は、かつての小泉人気のように、橋下の「劇場型」政治の幻影を見ているのではないだろうか。

橋下知事の「自己責任論」は、小泉「構造改革」の精神そのものである。小泉「構造改革」とは、多国籍大企業の目からみて、資本蓄積の邪魔となるあらゆる既存の国家・社会制度を市場原理の徹底という観点から改造することであった。公的責任を縮小して市場原理による民間部門に従来の公共部門を解放する、規制緩和によって民間部門を自由な市場秩序のもとに立て直す―そのために平等主義を攻撃し、社会全体にわたって能力主義的競争を強め、その結果はすべて自己責任だというわけだ。
これは、これまで資本主義の限界を乗り越えるものとして積み上げてきた「福祉国家」を解体しようとするものである。このことは、単に近代的自由権だけではなく、生存権という現代資本主義にとってなくてはならない社会権を定めた憲法体制を破壊することを意味する。

権利としての福祉が確立していない社会の生存保障には二つの形態があった。一つは、血縁・地縁にもとづく共同体の助け合いが、住民の生活・福祉を担ってきたということである。いまひとつは、上に立つものが自らの地位や特権、一言でいえば、住民に対する支配的地位を維持・保全するための恩恵・施しである。資本主義の発展とともに共同体依存型の福祉は、早晩、破綻せざるをえなくなった。そして、国民主権の国家、国民の人権そのものの発展過程のなかで、旧来の絶対王政や天皇制国家、またなんらかの独裁国家のもとでの恩恵や施しにかわる人権としての生存権が生まれてきた。生存権が保障されるためには、教育権・労働権が保障されなければならない。
私学助成はこの教育権を財政的に・実質的に保障するために存在する。橋下知事がどうして司法試験に合格できたのか不思議でならない

新自由主義とは、市場原理を使って自由競争を強めようとする方法のことである。市場原理が赤裸々に貫徹すると、いわゆる弱肉強食の競争が社会を覆い尽くすことになる。市場のなかの能力主義的競争こそは、資本主義が国民多数を支配するときに用いる本来の、そして究極の武器である。労働者や住民が、個々バラバラでなかなか連帯や協力ができない。大阪府民が、橋下の「劇場型」政治の幻影からなかなか抜け出せない所以である。

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1 コメント

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それはポピュリズム (human citizen)
2009-08-08 13:47:22
自己責任とは本来、自分が自分に対して使う言葉。
それが今や権力者が弱い立場に向かって、超然と言い放つ言葉になってしまいました。
超勝ち組の若者がメディアでの人気を背景に知事にのしあがり、このように絶大な権力を行使する。
そして民衆がやんやの喝采をする。
それは、ポピュリズムの現われとしかいいようがありません。
地方政治では知事が大きな権限と権力をもっています。
彼の人気の一つは公務員叩きですが、よくよく見てみると、公務員を切るといっても、現場で低収入で働いている官製ワーキングプアを率先して切っています。
しかし、それは行政サービスの低下として府民に直接はねかえってきます。
このタレント知事は、関西州の大統領に君臨したいのでしょう。
もっと有権者一人ひとりが、メディアに振り回されず、自分自身の頭でよく考え、判断していくことが大切だと思います。
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