プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

タイの反政府勢力  代議制民主主義の限界を理解するべきだ

2008-11-27 20:03:42 | 政治経済
タイの反政府市民団体「民主主義市民連合」(PAD)は26日夜、新バンコク国際空港(スワンナプーム空港)に次いでドンムアン空港(旧バンコク国際空港)の入り口を封鎖、首都の航空業務は国際・国内線とも機能不全に陥った。PADが、ソムチャイ政権の打倒を掲げ示威行動をすることは自由である。しかし、選挙で示された国民の意思を無視して正常な社会活動を妨害するほどの過激な抗議活動を何日も続けるのは明らかに行き過ぎである。代議制民主主義は、国民の意思を正確に反映していると思えない場合もある。だからといって、どんな抵抗をしてもよいというものではない。次の機会に自分たちの意思が反映するように頑張るという度量と忍耐が必要だ

首都バンコクの首相府占拠を続ける反政府市民団体「民主市民連合」の反政府抗議行動は3カ月に及ぶ。警察は流血の事態を回避するため、市民連合の占拠を容認している状態である。
PADはタクシン元首相の汚職腐敗と強権的政治を批判し、同調した軍は06年のクーデターで政権を転覆させた。元首相率いるタイ愛国党は解党させられ、元首相も訴追された。ところが新憲法のもとで昨年末の総選挙に勝ったのは、愛国党の流れをくむ「国民の力党」だった。
2001年に誕生したタクシン政権は、経済危機からの脱却と支持基盤の確保のため農村・低所得者への大胆な支援策をとった。それまでのタイ政治で放置されていた農民が政治に目覚めたとされ、選挙ではタクシン派が勝利するのである。都市の中間層や保守派には気に入らないかもしれないが、農民や貧乏人に人気のタクシン派の勝利を否定することは、代議制民主主義の否定を意味する

多数の民衆の意思を政治にどう反映させるか。構成員個々の意思を直接政治に反映する直接民主制を国家的規模で実現するのは、特定のテーマなら可能だが、さまざまな施策のすべてで実現することは、物理的に不可能であろう。そこで選挙等のある一定の方法によって代表者を選出し(構成員による直接選挙=この部面では直接民主制)、自らの意思の行使をその代表者に信託することで、間接的に政治に参加しその意思を反映させる代表民主制、代議制などと呼ばれる政治制度が一般化する。
代議制民主主義は、議会制民主主義なので議会選挙のルールが公正、公平でない場合には、民衆の多数の意思が議会に反映されない懼れがある。権力者は権力と金と時間を十分にもっているので、自分たちに有利な選挙ルールを設定したり、選挙民を買収するためにさまざまな手段を使うことができる。代議制民主主義の限界である

それでも代議制民主主義は、われわれが生み出した貴重な財産である。タイの反政府市民団体PADは、タクシン政権打倒の運動では軍のクーデターを呼びこみ「勝利」した。しかし、クーデター後の総選挙では再びタクシン派が勝利、自分たちは敗北した。これが代議制民主主義が出した結論である。
これを農民が票を買収された結果だと考えるのは自由である。しかし、代議制民主主義が出した結論を手段を選ばない実力行使で否定することは、民主主義そのものを否定することにならないか。
市民連合の過激な行動とは裏腹に、内政や首都機能の混乱を長期化させる同連合への批判が一般国民の間では急速に高まっており、動員力にも陰りが見えているといわれる


これまでタイの混乱は多くの場合、軍が動くか国王が仲裁に入って解決に一役買ってきた。アヌポン陸軍司令官が26日、政府に対して議会を解散し、総選挙を実施するよう求めるとともに、国際空港を占拠している反政府勢力に対し、空港から退去し、反政府運動を中止するよう求めたともいわれている。選挙による民主主義には、限界があることは確かだが、軍の行動や国王の介入に頼ることは、そろそろ卒業すべきだろう

日本の国会も自公政権が国民の意思を無視して居座り続けている。PADのような国内外の市民に害を及ぼすような過激な行動は慎まなければならないが、私たちも解散・総選挙に追い込む市民運動を盛り上げようではないか。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。