プロメテウスの政治経済コラム

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日銀0・25%利上げ   「金融政策」頼みの家計に及ばない景気

2007-02-22 18:57:17 | 政治経済
今回の日銀の利上げは、これまでの異常事態からようやく金利正常化への第一歩を進めたに過ぎない。福井日銀総裁も言うように、超低金利が経済・物価情勢と離れて長く続くという期待が定着すると資本主義経済はゆがむ。日銀の超低金利政策は、多国籍大企業の競争力強化を目指す「構造改革」を金融面から支える最大の政策手段となってきた。日銀の推計でも、1990年代からの金融緩和の期間に、吸い上げられた国民の利子所得は300兆円を上回る。銀行はただ同然の金利で預金を集めることによって、また大企業は借入金利の引き下げで、ともに巨大な恩恵を享受してきた。国民が本来手にするはずだった預金利子を、大銀行と大企業とに付け替えたようなものである。空前の金融緩和であふれた資金は株式や不動産の投機的な取引などマネーゲームに流れ、実体経済の回復にはほとんど役立たず、ライブドア事件や、福井総裁もかかわった村上ファンド事件に象徴されるような「錬金術」の土壌をつくった。マネーゲームではなく家計を支え、正常な預金金利の復活を目指す金融政策への転換は、日本経済の正常化にとっても避けて通れない課題である。

自公与党・政府は「企業の好調さが、いずれ家計、賃金にも波及する」という甘い見通しを繰り返している。企業の競争力強化のための経済政策を合理化するためである。しかし、日銀の利上げにあたって浜野審議官が主張したとおり、企業部門の好調さの家計部門への波及は遅れており、引き続き個人消費は弱いのである。どちらが本当か。
未だわかりやすく定量的に説明してくれる経済学テキストを寡聞にして見かけないが日本経済の構造が明らかに変容したのである。現代の支配階級の中枢に位置する製造業多国籍大企業にとって労働分配率の低下は痛くも痒くもないのである。製造業多国籍大企業にとっては、家計を犠牲にしてコストを削減し、好調なアメリカや中国などの海外経済で稼げばよいからである。

経済学的にいえば、社会的生産の全体は大きく分けると、生産手段生産部門と消費財生産部門とから成り立っている。このうち生産手段(機械設備や原材料)は労働者などの消費者大衆によって消費(個人的消費)されるのでなく、各部門の企業によって買われ、生産財として使用・消費(生産的消費)され、次つぎに形をかえつつ、迂回して消費財の中へとけこんでいく。そしてこの消費財の圧倒的部分を購入するのは、人口の多数を占める労働者(および自営商工業者や農民)である。だから資本主義的生産物の総体は、まわりまわって勤労大衆の消費購買力によって買いささえられるという構造になっている(林直道『恐慌・不況の経済学』新日本出版社2000)。
したがって、家計を痛めつけっぱなしでは、いずれ再生産が行き詰まるはずである。
ところがグローバル資本主義のもとでは、多国籍企業の資本運動は文字どおり世界的規模でおこなわれる。トヨタは日本国内の販売台数が少々伸びなくても海外の消費者大衆が買ってくれれば、まったく問題ない。もちろん日本国内の需要だけを頼りにしている企業にとっては消費の低迷は大変である。

「いざなぎ景気」越えの景気拡大で、多国籍企業化した一握りの大企業が史上最高の利益をあげているのに対し、労働者・国民にとっては、失業・雇用不安とワーキングプア、格差と貧困の拡大が長期化しているだけであり、低迷する国内消費が中小企業、農業、地域経済の停滞感を深刻化しているという事実は、経済学的にみても自公与党・政府の経済政策のある意味では当然の帰結なのだ。

国民経済の安定的な再生産のためには、家計をあたため、中小企業の経営を応援する対策がどうしても必要である。多国籍大企業の勝手を応援するのではなく、規制する(儲けを少し我慢させる)政治に切り替えることが必須の課題なのだ。

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1 コメント

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Unknown (消費者金融)
2007-03-24 16:51:44
消費者金融を比較して紹介しております。
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