プロメテウスの政治経済コラム

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ラファハの壁の崩壊  中東イスラム諸国の地域共同体への胎動か?

2008-01-30 19:20:39 | 政治経済
1月23日の朝、パレスチナのガザ地区とエジプトの国境にある、高さ約6メートル、長さ約10キロにわたる隔離壁が、ガザを統治するイスラム主義勢力「ハマス」の武装部隊によって、ところどころ約20カ所が爆破された。事前に周到に準備していたようだ。フリーの国際情勢解説者・田中 宇(さかい)さんは、1989年の「ベルリンの壁」の崩壊を思い出させるような歴史的な転換点となるかも知れないという(田中宇の国際ニュース解説「『ガザの壁』の崩壊 2008年1月25日)。1948年イスラエル建国から今年で60年。ユダヤ人迫害のトラウマと欧米帝国主義国による中東分断支配の歴史が、イスラエルの横暴を許してきた。パレスチナ人のNAKBA(ナクバ・大惨事)からの回復の道のりはいまだ遠い。

エジプトの国境の壁が23日、爆破されたことで、イスラエルによる封鎖を受けるパレスチナ自治区ガザ地区とエジプト側の国境の町、ラファハ周辺は、経済封鎖に苦しめられてきたパレスチナ人にとって“解放区”の様相を呈したという。「ガザにはパンも薬もガソリンも何もない。でも、一番欲しかったのは、自由な空気を吸うことだった」―ガザというゲットー(強制収容所)に閉じ込められたパレスチナ人すべての気持ちだろう。1967年のイスラエルによるガザ占領開始以降、ガザ・ナンバーの一般車両がエジプト領に入ることはなかった。ガザからのトラック、トレーラーはありとあらゆる生活物資を積み込んで帰っているという(「毎日」1月26日13時1分配信 )。
エジプトは、親米・イスラエル国である。しかし、イスラエルの経済封鎖で困窮するガザ住民に対するアラブ世界の同情もあり、エジプトはパレスチナ人の流入を国境付近に限定する以外、事態を黙認するしかなく、ガザ地区を実効支配するハマスはガザ住民の困窮を国際社会に訴えることに成功した。いずれ境界管理の秩序が回復され、エジプト側に越境したパレスチナ人もガザに帰還するであろうが、一度こじ開けられた壁をすべて閉鎖するのは、困難ではないか。田中宇さんのいう歴史的な転換点というのもあながち誇張ではないかも知れない。中東の世論の動向が注目される。

今年に入って、ガザのイスラム主義武装勢力による、ガザからイスラエルへの短距離ミサイル攻撃が頻繁に行われるようになった。イスラエルは攻撃に対する制裁措置として、1月17日から、ガザとイスラエル国境にあるすべての出入口を閉鎖した。ガザへの食糧や日用品、ガソリンなどはイスラエル側から搬入されるが、これらの物資のガザへの搬入も止まった。イスラエルからの電力供給は止まり、燃料がないのでガザにある発電所も停止し、ガザは停電した。(ガザの電力は、32%が地区内の発電所から、60%がイスラエルから、8%がエジプトから送電されている)。物資不足や食糧難で、ガザの人々の生活は、急速に悪化した。イスラエルによる国境封鎖の開始から数日たつと、封鎖は国際問題となり、イスラム諸国が国連などの場を使い、イスラエル非難を強めるようになった。中東諸国の世論は、イスラエル非難とともに、ガザに面しているもう一つの国であるエジプトに対しても向けられた。エジプト政府が、ガザへの物資搬入を自由化し、人々の生活苦を緩和してやるべきだという主張が強まった(田中宇 同上)。

2001年の911事件後、中東全域で、米英イスラエルとイスラム過激派が対立する構図が強まった。2003年の米軍イラク侵略後の占領が失敗すると、中東では過激派だけでなく一般市民の間でも米英イスラエルに対する憎しみが強まり、ハマスやヒズボラ(レバノン)、イスラム同胞団(エジプト)などのイスラム主義勢力に対する支持が急増した。ブッシュの中東民主化構想は、明らかに失敗し、イスラム世界は米英イスラエルを追い出しにかかるという構図が見えだした(田中宇 同上)。
しかし、アラブ世界が、米英イスラエルの支配から完全に脱却するまでには、今後も紆余曲折が予想される。ラファハの壁の崩壊に対抗してイスラエルはどんな手段をとるか。厄介なガザ地区をエジプトに任せてヨルダン川西岸と切り離する、パレスチナ問題の完全分断化や軍事決着などの可能性も否定できない。ただし、イスラエルが戦争しても、アメリカの力の低下とアラブの反米反イスラエル化の強まりの結果、その勝算は低い。

中東は従来、米英イスラエルによる分断支配下にあったが、ブッシュのアフガン、イラクでの失敗によって最近、急速に団結を強めつつある。これまで分断され、相互に敵対してきた中東諸国が、連帯して地域共同体の方向に進むのは歴史の発展方向である。「ラファハの壁の崩壊を中東イスラム諸国の地域共同体への胎動か?」という表題にした所以である。

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