プロメテウスの政治経済コラム

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暫定税率廃止で地方は本当に困るのか  道路予算は麻薬のようなもの

2008-02-04 19:04:06 | 政治経済
衆院再議決の連発によって、4月以降も10年間、暫定税率による道路特定財源=ムダな道路建設を継続するという自公政権の野望は、共産党の活躍もあって、とりあえず棚上げとなった。いま必要なことは、「道路計画」とはなにかの原点にもどることである。地方自治体も道路整備に縛られる財源に目が眩んでいてよいのか、目を覚ますときではないのか。

暫定税率の期限を二カ月間延長する「つなぎ法案」は、延長した期限の中で、暫定税率を十年間延長するという本案を衆院再議決で成立させるための法案であり、参議院の審議を審議前に無効にするものであった。撤回して当然である。
公共事業には、治山治水、河川、空港、港湾、公園その他箱物などさまざまある。しかし、政府が定める公共事業の長期整備計画のうち、具体的な中身がないまま、総額を先に決めて(総額方式)いるのは現在、「道路整備計画」しかない。なぜこんなことになるのか。その秘密は、いうまでもなく、道路特定財源にある。道路特定財源は、ガソリン税などの自動車関連の税金を道路整備だけに使う仕組みである。毎年5兆数千億円の収入予算がひも付きで確保されているから、具体的中身はあとからデッチ挙げたらよいわけだ(「しんぶん赤旗」2008年2月3日)。

道路特定財源の暫定税率分だけで、年間2兆6000億円という金額である。これは、国の教育関係予算の3分の2に相当するほどの金額だ。それなのに、道路建設かガソリンの値下げの2つの選択肢しかないような議論はお粗末すぎないか
福田首相は、「地域の自立・活性化や国民生活に必要な道路整備を実施するため、暫定税率は今後10年継続しなければならない」という。具体的な道路計画もないのにどうして、地域の自立・活性化や国民生活に必要といえるのか!具体的な道路計画があってはじめて、道路を整備することが、産業にどのような直接的効果をもたらし、市民にどのような間接的効果を及ぼすのかを評価することができる。さらにその効果は、この予算を別の事業に用いた時の効果と比較し、優劣判定を行ったうえで政策を選定するのが論理的な為政というものだ(宮田秀明「道路予算は地方を救わない」NBonline2008年2月1日)。

ところが、この道路特定財源の仕組みが今年三月末で期限切れを迎える。それで政府・与党は、この道路特定財源を“利権の根幹”として残すことに躍起になっているのだ。福祉や教育などには“特定財源”はあるか?!公立病院の統廃合計画や少子化に合わせて教員定数を減らす計画など、削減計画はあっても、長期の整備計画は聞いたこともない。自衛隊には軍備増強計画を定めた「中期防衛力整備計画」(総額二十四兆円超)がある。道路や軍事だけは「聖域化」したままで整備計画を設け、福祉や教育予算は削り続けている――日本の政治はどこか間違っているではないか。
道路のためにしか使えない道路特定財源が、既得権益を生み、無駄な道路をつくり続ける“自動装置”になっていることは明らかだ。しかも、こういう異常な仕組みを今後も十年続けるという。年金や医療、介護など国民生活が大変な状況になっているときに、道路にしか使えない道路特定財源を道路にも使えるし、暮らしのためにも使える一般財源にするのは当然ではないか(「しんぶん赤旗」同上)。


地方自治体も財源を失うことばかりに目を奪われてはならない。なぜ、使途が自由な地方交付税の増額を主張しないのか。地方に行くと、立派な完全舗装の道路に思いがけず出合うことがしばしばである。どの道路も交通量はごくわずかで、景色を快適に楽しむことができる。山道だけではない。農道整備はもっと進んでいる。農道の総延長距離は約18万キロに達していて(高速道路は約9000キロ)、日本列島を端から端まで40往復できる長さだ。道路は日本中、津々浦々に整備されているのだ(宮田秀明 同上)。
特定財源のうち通学路の歩道整備は4%、バリアフリー化も2%にすぎない。道路特定財源による道路予算は地方公共団体にとっても国にとっても一種の麻薬のようなものだ。一日も早く、麻薬から抜け出すときだ。本当に必要な道路を吟味し、一つ一つ積み上げていくやり方に変えるべきなのだ。

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