プロメテウスの政治経済コラム

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岡田外相の核持ち込み容認発言  岡田さん、密約と三原則の関係を本当に分かっているの?!

2010-03-18 19:05:56 | 政治経済
岡田克也外相は17日の衆院外務委員会で、米軍核兵器積載艦船の日本寄港に関し、「(核兵器を作らず、持たず、持ち込ませずという)非核三原則を堅持する」としながら、「緊急事態」などで、核兵器を積んだ米艦船の一時寄港が必要な場合、「そのときの政権がギリギリの判断を、政権の命運をかけて行う」と述べ、“有事”の核持ち込みの可能性について関係閣僚として初めて言及したこれを有事の際に米国から核搭載艦船の立ち寄りを迫られた場合には、「時の政権が判断すべきだ」との考えを示したものなどと解説する馬鹿な報道も見受けられるが、密約と三原則の関係について何も分かっていない

 岡田さんは、分かって言っているのだと思うが、「核持ち込み」という場合、「イントロダクション」と「エントリー」を区別するのが、安保条約(及び交換公文)上の「事前協議」に関する解釈について日米双方が合意した密約である。
鳩山政権は、この密約の合意事項について米側と改定の交渉はしないとしているのだから、密約の考え方が、条約上の権利・義務として今も日米双方を縛っている
岡田さんは、「そのときの政権が命運をかけてぎりぎりの決断をし、国民に説明すべきだ」などとエライ気色ばんでいるが、平時であろうと有事であろうと核持ち込みが、合衆国軍用機の飛来(エントリー)、合衆国艦船の日本領海や港湾への立ち入り(エントリー)である限り、米軍が必要と思えば、日本政府へ事前の何の相談もなく、黙って核を持ち込むことができるのだ。「イントロダクション」や「インスタレーション」でない核の持ち込みは、米軍の自由勝手であることを条約解釈で保障しているのだから。
つまり、非核三原則には、核積載艦の寄港・領海通過や核積載軍用機の飛来も含むという自民党政権の長年のウソをこれからどうするのかが本題であって、有事のときにどうするかは、自民党のウソを国民的論議なしでそのまま継承したい岡田外相・鳩山政権の新たな国民欺き戦術なのだ

 外務省が9日に公表した日米密約に関する「有識者委員会報告書」は、核持ち込みの密約文書「討論記録」の存在を認めながら、これを密約とは認めないとした。私は、アメリカがこれを聞いたら怒るよと批判した(http://blog.goo.ne.jp/e-hori/e/75a5b0bb28c9f8c27e04d9db279c45c6)。
契約交渉をせっかく纏めた文書を相手方から、なにか分からないといわれたら誰だって怒る。しかし、国民の前での米側と契約再交渉をしないで、合意事項はそのままにしておきますというサインなら、米国にとって痛くも痒くもない岡田外相・鳩山政権の態度は、まさに米政府になにもアクションを起こさないということだから、米国が日米関係に何の影響もないといっていることは、至極もっともである

岡田外相の言い分は、米政権が1991年と94年に水上艦船などから戦術核兵器を撤去する方針を決定したとして、「今後は日本に核が持ち込まれることはない」から、なにもアクションを起こさないという。これほど素人の議論(岡田さんは素人ではないから、正確には素人の国民を騙す議論)はない。90年代始めに、戦術核兵器を撤去したのは、たまたまそのときの米国の事情であって、安保条約が存続する限り、その付属協定である「密約」を改定しないのだから、合衆国軍用機の飛来(エントリー)、合衆国艦船の日本領海や港湾への立ち入り(エントリー)という形での核持ち込みは、米軍が必要と思えば、日本政府への事前相談なく、いつでも自由である。

岡田外相は、「国と国民の命をどう守るか、その時の政権が命運をかけて決断をする」というが、周知のように、米政府は、核の存在を肯定も否定もしないのに、どうして、「その時の政権が命運をかけて決断」できるのだろうか?!
核持ち込みの密約文書「討論記録」のどこに有事の際は、事前に通知しますと書いてあるのか!
この文書の効力は、平時であろうと有事であろうと関係ない。
有事の際に、日本に飛来した軍用機や艦船から、実際に原爆が発射されたあとで、核の持ち込みが確認できるのに、「その時の政権が命運をかけて決断」することに何の意味があるのか。米軍の核抑止力というのは、実際に原爆が使用されたあとで、確証されるもので、事前にはなにも分からない。そして、米軍が実際に原爆を使用したときは、日本が自動的に米国の戦争に巻き込まれたときである。米軍の核攻撃を受けた相手方は死に物狂いで在日米軍基地に報復攻撃してくるであろう。「その時の政権が命運をかけて決断」するときは、すでに、日本が再び悲惨な戦場となるときである。だからこそ、私たちの先輩たちは、歴史的な60年安保闘争に立ち上がった。
以来、日本の支配層は、90年代に日本企業が本格的に多国籍化するまでは、誰も憲法改定を持ち出さず、軍事小国、経済大国化に邁進することになったのだ。以来、日本の支配層は90年代半以降、日本企業が多国籍化するまでは、誰も憲法改定を言わず、軍事小国、経済大国化にまい進することになったのだ。

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