プロメテウスの政治経済コラム

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昭和天皇20年式年祭の儀  昭和天皇の虚像と実像  明仁天皇の憲法感覚との違い

2009-01-07 21:54:29 | 政治経済
昭和天皇が死去したのが、1989年1月7日だから今年が丁度20年目となる。小泉・竹中による新自由主義「構造改革」で日本の社会的統合は、タクシー強盗に、無差別殺人事件、自殺などなど・・いよいよ破綻状態である。支配層は、教育再生と称して「愛国心」などを注入して、社会の分裂の弥縫に必死である。社会の分裂の弥縫策としては、天皇の政治的利用は打って付けだろう。日本人にとって、天皇はなんといっても長年、国民統合の象徴であるからだ。ところで、天皇家が昭和天皇20年式年祭の儀を行うのは、それぞれの流儀だろうが、昭和天皇の後半生は、新憲法の国民主権の総意にもとづく国民統合の象徴であったが、それ以前は、神聖にして侵してはならない日本国の統治者であった。戦争の記憶と絡んで、昭和天皇を快しと思わない国民がおってもおかしくない。とりわけ最近の現代史研究によれば、新憲法成立後も、昭和天皇は、外交、とりわけ対米交渉で戦前の国家元首のように振舞っていたことが明らかにされている。この機会に戦争責任、日米安保体制など、いまも日本国民にとって大きな問題となっている歴史的事実に昭和天皇がどのように関与したかを知ることは、問題の根源を知る上で大いに役立つように思われる。

昭和天皇の死去からちょうど20年となる今日(1月7日)、東京八王子市にある武蔵野陵(むさしののみささぎ)で「昭和天皇二十年式年祭の儀・山陵の儀」が行われ、天皇、皇后両陛下、皇族方のほか麻生太郎首相、河野洋平衆院議長ら約80人が参列した。
「天皇陛下御即位二十年奉祝委員会」(名誉会長・御手洗冨士夫日本経団連会長、会長=岡村正・日本商工会議所会頭)や「同奉祝国会議員連盟」(会長=森良朗元首相、自民・民主・公明・国民新らの衆参両院議員が参加)は、今年11月12日を臨時休日として大々的に平成天皇即位20年の奉祝国民大会を開催しようとしている。私個人としては、現天皇の明仁天皇は、現憲法を深く理解し、戦争の過去にも痛切な反省の気持ちをもち、「アジアの中の日本」をなによりも重視し、戦後日本国民の象徴としての役割をしっかり果たされていると評価している。明仁天皇が、04年宮中行事の園遊会で米長邦雄・東京都教育委員が「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と発言し、天皇から「強制でないことが望ましい」とたしなめられた話は有名である。また、続日本紀を引用し、日本の皇室に朝鮮半島の血が流れていることを再確認し、「韓国とのゆかりを感じています」とも述べられている。とは言っても、祝賀の強制はやはり、天皇の政治的利用だろう。憲法上の天皇の地位を深く理解する明仁天皇とって、やり過ぎは迷惑なことに違いない。

戦後日本において、日本人が戦争の被害とともに加害責任の問題を根本的に問い詰めることを困難にしてきた重大な背景が“戦争のシンボル”であった昭和天皇が、“平和と民主主義のシンボル”として、なんのケジメをつけることもなく、戦前と戦後の“継続性”を確保したことにあるという点は、何人も否定できないであろう。天皇主権から国民主権へ、戦争国家から平和国家へと時代を画する大きな転換で、昭和天皇は退位することなくその地位を引き続き維持した。時代を画する“ケジメ”が失われたのだ。天皇制が崩壊すべきだったとか、維持されるべきだったとかの議論は別にして、ケジメとして裕仁天皇は退位すべきであった。
とはいっても、この問題は、昭和天皇の責任だけを問うてすむ問題でもない。敗戦の前後から、当時の支配者層が「東条一派」にすべての責任をかぶせ生き残りを図ったことはいまや広く知られているところである。戦争責任たなあげ問題は、天皇の「政治的利用」を狙うマッカーサーと天皇の側との相互協力、合作だったこともいまや広く知られているところだろう。

最近の資料研究によれば、新憲法の施行後も米軍駐留による安保体制の枠組みを確保するために、政府をバイパスして、アメリカ高官に対し、なりふり構わぬ“天皇外交”を展開していたことがわかっている(豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』岩波現代文庫2008)。
豊下・関西学院大教授は、次のようにいう。「(昭和)天皇の憲法認識を把握するためには、『独白録』が提示している2・26事件と終戦の『聖断』という戦前・戦中の“二つの例外論”の周辺を論じているだけでは本質に迫れないのであって、戦後の新憲法下における天皇の『政治的行為』を正面から分析することが不可欠の作業なのである」。
天皇がしばしば、自からを戦前も戦後も立憲君主と自己規定しても、その内実は「事態の重要さ」(=天皇制の護持=「三種の神器」を守ること)によっては、“超憲法的”に自らがイニシアティブをとることもあるということだ。
昭和天皇は、朝鮮戦争におけるソ連、中国などの脅威を背景に、天皇制の護持=「三種の神器」を守ることを最優先に日米安保による米軍駐留を懇願し、現在の全土基地方式による米軍駐留や沖縄の地位にも深くかかわる『政治的行為』を実行した。その詳細はまたの機会としよう。

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