プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

教育基本法改悪と「全国学力テスト」 学力は競争させればさせるほど向上するか

2006-05-21 18:59:32 | 政治経済
教育基本法改悪案は、愛国心の態度など「教育の目標」を達成するために、教育にたいする政府の権力統制・支配を無制限に拡大することを主要な狙いとしています。文部科学省におかれた中央教育審議会は、基本法を変えてまず第一番にやりたいこととして、「振興計画」に「全国学力テスト」を盛り込んで制度化することをあげています。

過去における全国規模の『学力テスト』は、いまから約50年前の1956年度から66年度まで小・中・高校の児童・生徒を対象に実施されました。その実施率は最初5~10%程度でしたが、61年度に中学校で5教科による全員対象の調査を実施したことで現場に混乱が起きました。全国一斉学力テストは、子どもたちを競争に追い立て、学校を荒らし、自治体間の競争が過熱化するなど、国民的な批判をあびて66年には中止に追い込まれました。

現在の教育基本法は、「教育の目的」について、「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」と定めています(第1条)。そして、この「教育の目的」を実現するためには、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って」おこなうとし、国家権力による教育内容への「不当な支配」をきびしく禁止しています(第10条)。さらに、「学校の教員は、全体の奉仕者」として、国民全体に責任をおって教育の仕事にたずさわることを原則にしました(第6条)。
ところが改悪案は、「国民全体に対し直接に責任を負って」を削除し、「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」に置き換えています。「全体の奉仕者」も削っています。さらに政府が「教育振興基本計画」によって教育内容を、数値目標をふくめて詳細に決め、実施し、評価することができるとしています。要するに教師は、ぐずぐず言わず、国が法律で命じるとおりの教育をやれ、政府が決めたとおりの計画を実行せよというのです。

なぜ、文部科学省は、「全国学力テスト」を制度化したがるのか。
それは、「ゆとり教育」で学力が低下したと批判される中で、学力は競争させればさせるほど向上するという錯覚にたって、競争主義の教育をさらに徹底しようと考えているからです。競争こそすべてという市場原理主義、企業の成果主義の考え方を教育現場に持ち込み、「学力テスト」の成果で学校間、地域間競争をさせ、「学力」の向上を図ろうというわけです。

テストは、子どもの理解度やつまずき箇所を的確に把握し、教師も子どもも反省材料として生かし、子どもの学力向上に資するために実施するものです。目に見える点数だけで学校間が争い教師が評価されて、本当の学力向上になるのか。1961年から64年にかけておこなわれた全国一斉学力テストでは、「順位を上げる」ために学校によっては、通常の授業をそっちのけにして、テスト前に予行演習をやるようになり、成績の悪い子供をテスト当日に欠席させる学校も現れました。

「受験競争」による暗記型、トレーニング中心の「学校知」をどれだけ詰め込んでも、大人になってからの生きる力としての学力につながっていなかったことは、われわれがしばしば経験することです。分析力や総合力、論理力を発揮し、実生活や社会を主権者として豊かに発展させる、市民としての力量を身につけることこそ真の学力です。生涯、学習意欲を持ち続けて「考える」国民が増えてもらいたくない支配層にとって、一握りの「学力テスト」勝ち組だけで十分かもしれませんが、暗記中心の学力獲得競争は、おとなしく勉強ができる子どもにもストレスを蓄積し、やがて創造性や柔軟性を失わせることになるでしょう。おとなしく勉強のできる子の犯罪が続いていることはその予兆ではないでしょうか。


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