プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

療養病床6割削減  貧乏人は悲惨な19世紀社会へ

2006-03-21 17:34:40 | 政治経済
今国会で審議中の医療改悪法案には、長期療養の高齢者が入院する「療養病床」のベッド数を現在の38万床から2011年度末までに15万床に六割も減らすことが盛り込まれています。療養病床から追い出された患者は、もともと在宅看護・介護が難しい人たち。金を出して有料老人ホームでサービスを買える人は救われるが、大部分は家に戻り在宅介護で家族を疲れさせ、十分な看護・介護を受けることもなく死んでいくほかありません。自助・自立の行き着く先は悲惨な19世紀資本主義社会です。

現在、療養病床は、医療保険適用が25万床、介護保険適用が13万床あり、合わせて38万床となっています。療養病床の再編成計画では、このうち医療用の療養病床は、医療の必要の高い患者を対象として25万床から15万床に減らし、介護型13万床は6年かけて全廃(ゼロに)し、無理やり有料老人ホームや「老人保健施設」を選ぶか在宅を強制しようとしています。

「療養病床」は、わが国の医療・福祉施策の谷間で長年に亘って根付いてきましたが、それにはわけがあります。「社会的入院」などと非難されるいわれはありません。十分な介護施設が存在せず、貧困な社会保障のもと、1973年の老人医療費無料化以来、「療養病床」は病院で寝たきりなどの高齢者介護の“受け皿”となってきたのです。年金などの所得保障が進まず、高齢者の増加と核家族化で「療養病床」の需要は状況としては高まるばかりです。

現在の療養病床を15万床にするには実に23万床が削減されることになります。
23万床の行方を、厚生労働省は次のように考えています。
老人保健施設へ  15万床~17万床
居住系施設(有料老人ホーム、ケアハウス等)及び在宅へ  6万床~8万床
まず、医療保険適用からはずし、医療費を無理やり削減し、しわ寄せを介護保険にもっていく(「老人保健施設」は介護保険施設の1つで短期滞在が前提)。介護保険の運営主体は市町村ですが、今でも財政難で高い介護保険料、貧弱な施設整備が問題となっています。自治体が需要に見合った施設整備をし介護保険で抱え込むことは不可能です。国の責任を放棄し、地域単位の自己責任原則の行き着く先は所得格差に応じた民間有料老人ホームか在宅に戻るほかありません。核家族化のもとでは、「在宅介護」は悲惨な「老老介護」とならざるを得ません。
医療・介護の公的扶助が今こそますます求められているのです。

このような時に政府が打ち出した方針は社会保障を拡充するのではなく、自助・自立、自己責任で行け、要するに金のあるものは自分でサービスを買え、貧乏人はサービスが買えないから、本人と家族が苦労するのは当然という政策です。19世紀、20世紀を通じて私たちは、資本主義のもとでの社会保障制度を確立してきました。資本主義のもとでは、すべての労働者に働く機会が保障され、階級として再生産可能な賃金(家族や老後の生活費も含めて)が保障されることはありません――「自己責任」を果たせる条件が与えられません。いくら努力しても労働者個人では自助・自立できない場合が起こります。総資本として体制維持のためには、一定の社会的扶助が必要となります。こうして社会保険から社会保障へと進んできたのです。

政府は「小さな政府」のスローガンのもと日本の社会保障を19世紀の救貧対策のレベルにまで破壊しようとしています。
自助・自己責任という生活倫理は、資産をもっている有産階級に適応したモラルです。労働者階級には自己責任を果たそうにもその条件が与えられないわけですから
労働者階級は団結し、声を上げ、行動してきました。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」(憲法25条)のです。再び団結し、声を上げ、行動するほかありません。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。