一昨日に起きた東日本大震災で被災された方々に心からお見舞い申し上げます。
この一日半、我家での私は「帰宅困難者」だったし、山にいるから「行方不明者」の状態だったらしい。
後から聞くと、多くのメンバー様が私の安否を気遣って連絡を頂いたのこと。この場を借りてお礼申し上げます。
被災地の方々や、東京でも帰宅困難に陥った皆様には遠く及ばない震災影響の私だったが、
ご心配頂いたメンバー様や、このブログをご覧の皆様に当日の様子をご報告させて頂きます。
一昨日の地震時、私は《DOX Field Southern Valley 》でユンボ作業中だった。
晴天だった空が、不気味な気配に包まれた空を見上げると、木更津の自衛隊基地から発進したのか、
数機のヘリが爆音を轟かせて私の頭上を通り過ぎた。
その直後、グラグラと大地が揺れ始めた。
ユンボで切り通した土の崖も崩れることなく、大きいけれど甚大な被害が出るとは考えなかったので、
私は呑気にユンボへ戻って作業を続けた。
あたりが暗くなり、雨も降り始めたので帰宅しようと車へ戻ると、
海側の夕陽が不気味に、いつもより毒々しい赤に染まっており、逆側の空も異様な雲が立ちこめていた。
信号が点灯していない国道に出ると大渋滞。30分並んだが車1台分も進まない。
私は考えた。「燃費の悪い愛車は燃料も少ない。停電でガソリンスタンドもダメだろう。動いてはヤバイ」。
~で、急遽 U ターンし、山主ケンさんの家に行ったが、すでにパトロールに出たのか留守。携帯も繋がらない。
ご迷惑は承知でカーネーション・サイトーさん家へ。
築120年を超える農家は真っ暗。「留守か?」と思ったが、「そうか、停電か」。
クルマのエンジン音でサイトーさんが飛び出してきた。そして一言、「泊まってけ」。本当にありがたやっ!
昨今の農家は我家よりも電化生活が充実しており、何でも電気。だから、停電ではコタツもテレビもつかない。
温かなお雑煮をすすりながら細いロウソクに顔を近づけて暖をとる。
携帯も家電も繋がらず完全に孤立した。ラヂヲでは震災地の甚大な被害が伝わる。それでも東京の様子は解らない。
暖かな布団をご用意頂き、夕食まで食べさせて戴いたサイトーご夫人が早朝、「電気が来ましたっ!」。
美味しい朝食のあと、一宿一飯のお礼もそこそこに、私は「一人ユンボ」を決意。
だって、館山道やアクアラインはもちろん、京葉道路も寸断されていて帰れないのだからしょーがない。
とりあえず夕方まで作業を続けているとサイトーさんから電話。「東京湾フェリーが動いた」とのこと。
仕事を切り上げて金谷のフェリー乗り場に向かおうとした時、再び電話。「アクアラインが開通したってさ」。
常に気にかけてくれたサイトーさんご夫妻とお嬢様のアヤちゃんに心からお礼申し上げます。
私は踵を返し富津中央へ。ETCのゲートが持ち上がった瞬間、「帰れる」と実感した。
館山自動車道の君津 PA は土曜日の夕方だというのに完全に無人状態。自販機で久しぶりに温かいコーヒーをすする。
ここからが不気味で、全くクルマが走っていない。対向車もまばら。それは開通直後のアクアラインも同様だった。
結果、Southern Valley から自宅まで45分という記録で帰宅できたた。
今後は被災地の悲惨なる被害が次々と伝わるだろう。
はたして自分に何が出来るか分からないが、状況を見つめつつ判断して行きたいと思う。
地震中も作業を続け、明日からの芝貼り前の砂を撒き終えたウォームドッグラン。
芝の農家が北茨城で、明日の芝搬入が危ぶまれている。それでも私は明日も早朝からスタンバイする。
この砂、ダービーパパがレンタルダンプで12回も砂販売所を往復して運んでくれた。
そのダービーパパ。地震発生後に帰宅の途についたが、家に帰れたのが10時間後の夜中2時だったことが先ほど解った。
同じ千葉の芝屋・マサトさんも通常40分の帰宅まで6時間かかったとのこと。二人とも、お疲れさまでした。
「一人ユンボ」を黙々と続け、今までより遥かに緩やかな進入路ができた。
ジャガイモ農作業の途中、お邪魔な木を切りにきてくれたサイトーさん。何から何まで有難うございます。
予定では明日から2日間、ウォームドッグランの芝貼りを行う。
芝の搬入や天気が気がかりだが、井戸掘りに続いて大きなポイントが訪れる。乞うご期待!
最後に、前回のご報告にコメントを頂いた皆様に心からお礼申し上げます。
皆様の後押しで、少しばかりの困難はあるものの、非常にラッキーな毎日を送っています。
これは皆様が私を守っていてくださるからに違いありません!
この一日半、我家での私は「帰宅困難者」だったし、山にいるから「行方不明者」の状態だったらしい。
後から聞くと、多くのメンバー様が私の安否を気遣って連絡を頂いたのこと。この場を借りてお礼申し上げます。
被災地の方々や、東京でも帰宅困難に陥った皆様には遠く及ばない震災影響の私だったが、
ご心配頂いたメンバー様や、このブログをご覧の皆様に当日の様子をご報告させて頂きます。
一昨日の地震時、私は《DOX Field Southern Valley 》でユンボ作業中だった。
晴天だった空が、不気味な気配に包まれた空を見上げると、木更津の自衛隊基地から発進したのか、
数機のヘリが爆音を轟かせて私の頭上を通り過ぎた。
その直後、グラグラと大地が揺れ始めた。
ユンボで切り通した土の崖も崩れることなく、大きいけれど甚大な被害が出るとは考えなかったので、
私は呑気にユンボへ戻って作業を続けた。
あたりが暗くなり、雨も降り始めたので帰宅しようと車へ戻ると、
海側の夕陽が不気味に、いつもより毒々しい赤に染まっており、逆側の空も異様な雲が立ちこめていた。
信号が点灯していない国道に出ると大渋滞。30分並んだが車1台分も進まない。
私は考えた。「燃費の悪い愛車は燃料も少ない。停電でガソリンスタンドもダメだろう。動いてはヤバイ」。
~で、急遽 U ターンし、山主ケンさんの家に行ったが、すでにパトロールに出たのか留守。携帯も繋がらない。
ご迷惑は承知でカーネーション・サイトーさん家へ。
築120年を超える農家は真っ暗。「留守か?」と思ったが、「そうか、停電か」。
クルマのエンジン音でサイトーさんが飛び出してきた。そして一言、「泊まってけ」。本当にありがたやっ!
昨今の農家は我家よりも電化生活が充実しており、何でも電気。だから、停電ではコタツもテレビもつかない。
温かなお雑煮をすすりながら細いロウソクに顔を近づけて暖をとる。
携帯も家電も繋がらず完全に孤立した。ラヂヲでは震災地の甚大な被害が伝わる。それでも東京の様子は解らない。
暖かな布団をご用意頂き、夕食まで食べさせて戴いたサイトーご夫人が早朝、「電気が来ましたっ!」。
美味しい朝食のあと、一宿一飯のお礼もそこそこに、私は「一人ユンボ」を決意。
だって、館山道やアクアラインはもちろん、京葉道路も寸断されていて帰れないのだからしょーがない。
とりあえず夕方まで作業を続けているとサイトーさんから電話。「東京湾フェリーが動いた」とのこと。
仕事を切り上げて金谷のフェリー乗り場に向かおうとした時、再び電話。「アクアラインが開通したってさ」。
常に気にかけてくれたサイトーさんご夫妻とお嬢様のアヤちゃんに心からお礼申し上げます。
私は踵を返し富津中央へ。ETCのゲートが持ち上がった瞬間、「帰れる」と実感した。
館山自動車道の君津 PA は土曜日の夕方だというのに完全に無人状態。自販機で久しぶりに温かいコーヒーをすする。
ここからが不気味で、全くクルマが走っていない。対向車もまばら。それは開通直後のアクアラインも同様だった。
結果、Southern Valley から自宅まで45分という記録で帰宅できたた。
今後は被災地の悲惨なる被害が次々と伝わるだろう。
はたして自分に何が出来るか分からないが、状況を見つめつつ判断して行きたいと思う。
地震中も作業を続け、明日からの芝貼り前の砂を撒き終えたウォームドッグラン。
芝の農家が北茨城で、明日の芝搬入が危ぶまれている。それでも私は明日も早朝からスタンバイする。
この砂、ダービーパパがレンタルダンプで12回も砂販売所を往復して運んでくれた。
そのダービーパパ。地震発生後に帰宅の途についたが、家に帰れたのが10時間後の夜中2時だったことが先ほど解った。
同じ千葉の芝屋・マサトさんも通常40分の帰宅まで6時間かかったとのこと。二人とも、お疲れさまでした。
「一人ユンボ」を黙々と続け、今までより遥かに緩やかな進入路ができた。
ジャガイモ農作業の途中、お邪魔な木を切りにきてくれたサイトーさん。何から何まで有難うございます。
予定では明日から2日間、ウォームドッグランの芝貼りを行う。
芝の搬入や天気が気がかりだが、井戸掘りに続いて大きなポイントが訪れる。乞うご期待!
最後に、前回のご報告にコメントを頂いた皆様に心からお礼申し上げます。
皆様の後押しで、少しばかりの困難はあるものの、非常にラッキーな毎日を送っています。
これは皆様が私を守っていてくださるからに違いありません!