徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

其の三「むかごと山芋」…(親父と歩いた日々)

2006-11-20 17:05:00 | 親父
 溜め池…というものを見たことがあるだろうか…。
水の利の悪い土地で農作物を作るために、雨水を溜めて利用する人工の池だ…。
丘陵の森の中にもいくつかそんな池が作られてあった…。 

森の最も奥まったところにある古い溜め池を見つけた親父は…家族全員と犬を連れて探検に出かけた…。

 そう…親父と歩いたのは自分だけではない…。
時々は家族全員で森へ出かけた…。
自分の新しい発見を家族に見せること…それも親父の楽しみだったのだろう…。

 酒と綺麗どころが大好きで夜遊びの常習犯…午前さまの見本みたいな男ではあったが…家族と遊ぶのも嫌いじゃなかった…。
尤も家族と遊ぶ方は…金のかからない遊びがほとんどだったが…。

 古い溜め池は深緑…生き物が居るかどうかも分からないくらい不透明…。
森の中で久々に放された犬が嬉しそうに池の周囲を走り回っている。

 周囲の木々に絡まる蔓にはむかご…これはこの森で山芋が採れるという印だ…。
見ればあちらこちらの木に蔓が伸びている…。
 掘り出せば高級食材…さぞ美味かろう…。
旬も旬…収穫時期なのだが…。

 しかし…山芋はそう簡単には掘り出せない…。
深い土の中にくねくねと埋まっている。
 森を歩くのが好きだとは言っても、町育ちの親父は自然のことをそれほど詳しく知っているわけではなく、むしろ、分かっているものだけを収穫するというずぶの素人なので…むかごには気付いていない。

 むかごがあるから…山芋が採れるぞ…と言ってはみたが…掘ってみる気はないようだった…。
少し惜しい気はしたが…掘り出す労力を考えれば…ちょっと躊躇う…。
何しろ何も道具を持っていないわけだし…。
仕方がない…諦めよう…。


 池の周囲を歩きながら…生き物の影を探した…。
このくらいの池なら…フナぐらいは居そうなものだが深く藻に覆われて魚影は見えない…。

 ボチャンッ!

 ドボンッ!

突然…立て続けに大きな水音がした。
あっと思って音のした方を見ると犬が慌てて岸へ這い上がってくるところだった…。
水の中には大きな亀…こちらはのんびりとしたものだ…。 
犬は岸に上がるとぶるぶるっと身体を震わせて水気を飛ばした…。

亀を追っかけて落ちたのかぁ…と…みんな大笑い…。
この池にも生き物が居ると分かってちょっとほっとした気分…。

 しばらくして知り合いから自然薯を貰った…。
市販の長芋の白とは違って中身がちょっと黄色で固め…。
確かに濃厚で美味しい…。
 けれど…細くて何本もの自然薯を剥いて擂り下ろすのは大変…。
すぐにぽきぽき折れてしまう…。
よほど大物でない限り…めちゃくちゃ手間がかかる食べ物だと分かった…。

慣れた人でも自然薯を掘るのは大変だと人伝に聞いた。
挑戦しなくて正解だったかな…。 でも…ほんとは…掘ってみたかった…。
むかご…見つけたのに…。

 掘るに手間…擂るに手間…。 けど…それだけじゃない…。
山芋が育つまでには…きっとこの森が大変な苦労をしているんだろうな…。
分かってるんだ…けど…ね…。

この齢になっても忘れない…未練がましい…思い出…。 






其の二「みつばあけび」…(親父と歩いた日々)

2006-11-19 18:00:18 | 親父
 その日も特に目的があるわけではなかった…。
用事のない時には…天気が良ければ毎週のように森へ入っていたから…ただ…のんびりと散歩に出掛けただけのことだった…。  

 森へと続く道の入り口付近は…今年の収穫をとうに終えた田んぼや畑…。
夏の賑わいも何処へやら…今は寒々とした刈り株の群れ…。 

 段々の畦道伝いに移動する…。 いつもの方向とは逆方向…。 
林の際の…春には芹などが生える比較的低い湿地の方へと歩いて行く。

 芹…と言っても…自分には毒ゼリと食用セリの区別がつかないので触らないようにしていた。
毒ゼリにはセリ特有の香りがないらしいが…香りがするから本物だとは思っても素人判断で食べるのは危険…見るに止める。 

その点から言えば蕨・薇などは分かりやすくていい…。
間違って毒草を持ち帰る心配がないから…。 

 親父がこの丘陵の森を散策するのは…勿論…自然の中を歩くのが楽しいからではあるが…もうひとつ…来るべき春に備えてのことでもあった…。

 春は芽吹き…下萌えの季節だから…こんな都市近郊の荒れた森でもそれなりに山菜の収穫が望めるので…その下見を兼ねて森のあちこちを見て回っているのだ…。

 毎年のことだからたいして変わらないだろう…と思うのは間違いで…よくよく探すと…別のところに新しいものが生まれていたり…あると思っていたところが荒らされていたり…ちゃんと見ていないと森の恵には有り付けない。

 天然もの目指して業者が結構立ち入るので…季節が来ると朝暗いうちから争奪戦が始まるのである…。  

 この湿地もそのひとつで…ここを越えた林の入り口付近に親父の取って置きの場所が幾つかある…。
ここはまだ…荒らされていない…。

 素人紛いのひどい業者になると…次の年のことを考えないで…枝の途中からばっさり切ったり…根こそぎ抜いたり…めちゃくちゃな扱いをするので…森もだんだんに荒れてくる…。 

 そういう連中には無性に腹が立つ…。
大事にすれば…後から来る人たちも十分楽しめるのに…。 

 親父が…取って置きの無事を確認していた時…自分は何気なく林の外の自分の背よりちょっと高いくらいの藪のあたりに眼をやった…。

あれ…? 

 藪の上の方にころころとした実がくっついている…。
くっついているというよりは…藪に絡まった蔓からぶら下がっていると言うべきか…。
前に来た時には…全然気付かなかったんだけど…。 

 林の木よりずっと低い藪の木々の枝に蔓を絡ませ…あけびの実が生っていた…。
あけびの実は種類が異なると色も違ってくるけれど…これは少し赤茶っぽい…。
ぱっくりと口を開けて…種を含んだ白いところが見えた。

 皮の具合から少し熟し過ぎかな…とも思ったけれど中身はしっかりしていて…食べてみるとまだまだ大丈夫…。 
あけびはほとんどが種で…周りの甘いところはほんの少し…。
食べ慣れないと食べにくい…。
それでも自然の甘みはすっきりとしていて…舌に嫌な後味は残らない…。

 いくつか採ってほくほくしながら親父を呼ぶ…。
親父も嬉しそうに…森のおやつを採り始めた…。 

 ふたりで持てるだけ採った…。
今日の収穫…みつばあけび…ちょっと小さめ…。 

 友だちにもあげようとしたのだが気味悪がられた…。
見慣れない人にはグロテスクに思えるらしい…。
やまひめと呼ばれるくらい愛らしい実なのに…なぁ…。
美味しいのに…。 

 いま…スーパーで売っている紫色のものとは全然違う色…。
山のあけびを見ている自分はスーパーのあけびに驚いた…。
なんていうか…綺麗過ぎ…薄紫の飴細工のよう…。

 買っていくのは…どんな人だろう…?
懐かしい味を求める中高年なのかなぁ…? 

 子供たちは…どうだろう…?
食べやすい甘いお菓子や果物が食卓に溢れている時代だから…こんな種ばかりの実には興味がないかな…? 

 どんな美味しいお菓子でも果物でも…いつでも手に入るものは記憶には残らない…。

 種ばかりでもその実の甘さは…親父との懐かしい思い出の味…。
消えてしまった森の味…。  




 



親父と歩いた日々…其の一「ルリビタキ」

2006-11-18 11:44:00 | 親父
 家の裏手に広がる丘陵地帯の森の中を親父がゆっくり歩いて行く…。
ゴム長の靴を履いて…。
その後を黙ってついて行く自分が居る…。 

 思い返してみれば…親父と自分は…取り立てて仲の良い親子ではなかった。
ぶつかることもしばしば…意見の合うことなど滅多にない。

 それでもよく連れ立って森を歩いた…。
並んで歩くわけではなく…話をするわけでもない…。
ただ…森の中を…黙々と歩く…。  

 親父がそこで何を想い…何を見ていたのかは分からないが…背中を見れば…頗る上機嫌なのが手に取るように分かる…。

 森の細い道を行く…上ったり…下ったり…時には藪を掻き分けて…。
何処へ行こうという目的があるわけでもなく…何を見ようというわけでもなく…。
腰に下げた手ぬぐいがぶらぶらと揺れる…。 

鳥の声…樹木と土の湿った香り…見失いそうな細流の音…。

背中が見えるほどの距離…それが親父と自分の距離…。

不意に小さな鳥が舞い降りた…。
親父の背中と自分との間の…ちょうど中くらいのところに…。 

瑠璃色の鳥…見たことのない羽の色…。
青い…などと…ひと言では表現できないその…鮮やかな色…。

何度もここへは来ているけれど…初めて…森の宝石を見た…。 

親父に声をかけようとした時…鳥は…ぱさっと飛び立った。
あっという間に藪の向こうへと消えていった…。

何故か急いで…親父の後を追い…今見た鳥の話をした。
瑠璃色の鳥が居たよ…とひと言だけ…。 

親父は嬉しそうな顔をして辺りを見回しながら…俺も前に見たよ…と答えた…。

 それ以上…話すこともなく…また…黙々と歩いた…。
背中の見える距離を保ちながら…。

 親父と自分にとって…これが快適な距離なのだろう…。
瑠璃色の鳥を見たというような…ほんの一瞬の体験を…時に共有しながらも…。

 オオルリ…コルリ…のように黒いところがなかったから…あれはルリビタキだったのだろうと…今になって思う…。
遠い記憶の中のことだから…それも…当てにはできないなぁ…。

 いつも間にか…森も林もなくなって…ただ人が居るだけだ…。
気軽に自然の中を散策することもなくなってしまった…。

 今は…自分の住む町の川沿いを…水鳥を眺めながら…ひとり歩く…。
あの背中を見ることは…もう二度とは…ないのだけれど…。 


焚き火と銀杏

2006-11-17 19:09:00 | ひとりごと
 風の音が変わった…。 匂いも…肌触りも…。 冬が来ているね…。
ジョウビタキが可愛い声を聴かせてくれる…。

 毎年…よく…忘れないで来てくれるね…。
有り難いこと…。

 今年は長いこと暖かい日が続いたから…急な寒さは堪えるな…。
紅葉の季節をすっ飛ばすかとも思ったけれど…駆け足で…木々は色付いている…。
ちゃんとお見せしますよ…と言わんばかり…。

もう…銀杏も落ちた頃かな…。


 毎朝…分団の集まる神社に何本も大きな銀杏の木があった…。
春には温かな木漏れ日を…夏には涼しい木陰を…秋には美味しいおやつを…冬には焚き火の枯葉・枯れ枝を…一年中何某かプレゼントしてくれる…。
優しい木だった…。

朝早くから近所のおじさんたちが焚き火を始める…。
分団の子供たちが集まってくる前に落ち葉・枯れ枝を掻き集め…境内を清めて…。

早くに到着した子供たちは…銀杏を集める…。
素手で触っちゃだめだよ…。
かぶれるからね…。

誰も口では言わないけど…お兄さんやお姉さんのすることを見て覚える…。
この実は…手で触らないほうがいい…と…。

集めた銀杏を靴で踏んで種を出し…種だけを焚き火の灰の中に埋める。
触れないのに…どうやって…?
落ちてる枝を使うんだよ…。

炎の中に入れちゃだめだ…。
材木の切れ端が炭になったあたり…まだ火の気のあるところ…。
ちゃんと自分の場所を覚えておくんだ…。

焚き火は煙たい…。 大きな焚き火はパチパチと音を立てて炎が渦巻く…。
火の粉が舞って絡みつく…。
初めての挑戦は…ちょっと怖いかな…。

だけど…最初は不安げな一年生も…すぐに慣れる…。

パンッ! パンッ! パンッ!

焚き火の周りのあちらこちらで…銀杏の弾ける音…。
時には焚き火の外へ飛んでくる…。

これ…僕の…! 

あっ…あたしの割れちゃったぁ!

上手く焼けるとは限らない…。
割れたり焦げたり…全部弾けてなくなっちゃったり…。

それでも…ひとつふたつ…火傷しそうな熱い殻を剥いて食べると…登校前のおめざとしては大満足…。

そうこうするうちに…分団長の出発の声がかかる…。
行くぞ…並んで…。

おじさんたちに見送られて…今日も学校へ出発…。

焚き火の灰の中には…幾つか炭になった銀杏が残る…。

行ってらっしゃい…。
気をつけて…。


続・現世太極伝(第百一話 助かりゃいいのよ…。 )

2006-11-16 21:36:00 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 見開かれたその眼は…何を見ているのだろう…?
閉じ込められた磯見の意識は何処に居るのだろう…?

 滝川は磯見の中に磯見以外の意識を探した。
意識を失くした端は…ほんの束の間…僅かに磯見らしからぬ気配を感じたが…それもすぐに消えた。

 「どうやら…相手の意識が磯見の中に入り込むというわけではないようだ…。
命令する一瞬の時間があれば…それで事足りるみたいだね…。 」

滝川が自分の診立てを述べた。
動いているのは磯見自身ってことか…。

 こういう状態にあるということは…磯見の力がどこかでその威力を発揮してるということに他ならない…。
西沢も金井も…添田も…それぞれの組織に警戒を強めるよう指示を出した。

 何処の…誰を狙っているのか…?
何をしようとしているのか…?

 突然…お伽さまが床に腰を据えて一礼すると何やら文言を唱えだした。
いつもの祭祀とは異なり…祭祀を始めるための儀礼的な文言はなく…御大親の方から一切の手続き抜きで…お伽さまに語りかけているかのように見受けられる…。

あの舞うように流麗なお伽さまの所作は…この度はほとんど見られず…西沢は少しばかり残念に思った。

もう一度…一礼すると…お伽さまは何時になく柔和な顔を強張らせて西沢の顔を見つめた…。

 「紫苑…大事無いとは思いますが…御大親は三人の父と仰せられました…。
これはおそらく…あなたの父親を指してのことだと…。
 宗主…木之内…相庭…西沢総代…今現在…行動を共にしているとすれば…西沢総代を除いた同族の三人…。

 これは…僕が御伺いを立てたわけではありません。 
何か特別なわけがあるのでしょうが…御大親の方から…このように極めて個人的なお告げを下されるのは大変珍しいことです…。 」

ただ事ではないように思います…とお伽さまは心配そうに首を傾げた。

 いい加減…度が過ぎるぞ…西沢の顔に翳が差した…。
奴等はまた…僕の身内を狙っている…。
僕に対する嫌がらせだけで…これほど何人もの身内を襲うだろうか…?

 それに…。 西沢の中にもうひとつの疑問が浮かんだ…。
なぜ…あの三人が揃って動いているんだろう…。
お伽さまの件なら連絡済なのに…。

 「紫苑…何とか早急に磯見を目覚めさせるしかないよ…。
今からその場へ向かっても間に合わない…。
宗主が一緒なら大丈夫…攻撃を受けても…めったなことにはならないだろう…。」

西沢の戸惑ったような表情を見た金井が安心させるように言った。

 心配しているわけじゃない…。 
親父も相庭も…宗主がこれと認めた実力者だ…。
 不安なのは…その三人がなぜ急に動き出したのか…ってこと…。
外には出せない西沢の胸の内の声を滝川だけが聞き取った…。

 「とにかく…どうにかして…磯見を解放してやらないと…。
宗主が相手では…磯見の身体の方が危ない…。 」

 金井がまず…磯見の魂を呼び起こそうと試みた…。
身体はプログラムに支配されていたとしても…魂まで支配することはできない…。
 まずは何処かに閉じ込められている磯見の本体を目覚めさせることが重要…。
金井はそう考えていた…。



 畏まって控えている有と相庭を前に…先程から宗主はじっと黙り込んだまま…。
考えている…というよりは…何かを探っているようでもある。
智明が連絡してきた魔物はまだ動いてはいないようだが…それとは別の気配が動き出しているのが分かった…。

 滝川も祥も車中で襲われたが…今…三人の父親はとある屋敷の離れに居て…フロントガラスを蜘蛛の巣にされることだけは免れていた…。

地鳴りのような音とともに座敷がガタガタと揺れ始め…建具が軋み始めた。

来る!

 そう感じた瞬間…三人の居る離れ座敷に向かってメキメキと音を立て傍らの松の木が根こそぎ倒れた。
座敷を破壊する一歩手前で有の一撃に遭った松の木は的を逸れ…激しく地面に叩きつけられた。

 離れ全体が地震のようにギシギシと激しく揺れる…。
まるで中に居る三人を外へ振り出そうとでもするかのように…。
調度品が音を立てて倒れ…床の間の壷や花器が吹っ飛んだ。

 相庭が業封じを試みたが…上手くいかなかった。
業の使い手には、業を使っているという意識も、誰を攻撃しようという意思もないようで、何処から来ている力なのか的が絞れない…。

 「業使いが自分の意思で攻撃しているわけじゃなさそうだぞ…。
有さん…あんたにも感じられるかい…? 
誰かが意識のない業使いを動かしているのは間違いないんだが…。 」

掴みどころのなさに業を煮やして相庭が言った。
そうだな…と有は同調するように頷いた。

 「業使いの力だけを利用しているんだろうが…どうも妙だ…。
相手に憑依して…とか…操って…とかいう気配ではないような気がするんだ…。
 実に…厄介だぞ…。
業使いを動かしているものの正体を見つけ出さなければ…反撃できない。 」

何にしても…これは一先ず…かわすしかなさそうだな…。
ふたりは宗主の方を窺った。

この騒ぎにも拘らず宗主は泰然と座したまま…。
飛んでくるガラスや陶器の破片など物ともせず…ただ…何かを探り続けている…。

 「宗主…そろそろ…離れが崩れます…。 母屋へ移られますか…? 」

有がそう訊ねると…捨て置け…と気のなさそうな答えが返ってきた。

それなら…と有は三人の周りに障壁を張った。
相庭もそれに倣った。

轟音を立てて離れが崩れ始めた…。
揺らいで亀裂の入った壁がまず崩れ落ち…天井…柱…梁…次々と崩壊していく…。

 そこまで来ると…さすがに近付くなと言いつけられていた母屋の者たちも放っては置けず…離れへと駆け付けて来た…。

 何処からか分からない攻撃は続いており…突風と砂塵が彼等の動きを阻んだ…。
かろうじて向けられた視線の彼方…完全に崩れ去った座敷の真ん中で…宗主は何事もないかのように瞑想を続け…有も相庭も平然とその場に控えていた…。



 「だめだ…目覚めない…と言うか…捉えられない…。 
と言うことは…何処かで悪さをしているのは…やはり…磯見自身なのかなぁ…。」

それが無意識だとしても…と金井は忌々しげに息を吐いた。

 そう…確かに磯見の中には磯見自身しか存在していない…。
それは西沢にも滝川にもはっきりと感じられた。

 「まさか…多重人格ということではないだろうな…? 」

滝川がぼそっと呟いた。

 「それは…ない。 ない…と思う。 何年も一緒に暮らしているんだ…。
そんなことがあれば…私にも分かる…。 」

添田がそう言って首を振った。

 お手上げ状態の金井に代わって西沢が磯見の意識を探り始めた。
金井や滝川が言うように磯見自身が業を使っているとすれば…意識的にではなくても磯見の中のどこかにそれらしい動きが感じられるはず…。
そう思った途端…西沢の意識の中に意外な言葉が飛び込んで来た。

 「宗主から…磯見を止めよ…と…。 」

ええっ…?と周りから声があがった。

 「紫苑…間違いありません…。 
不思議なことですが…動いているのは磯見くん自身です…。

 おそらく…宗主が攻撃してきた相手の意識を捉えたものと思われます…。 
極めて曖昧なものを掴むには相当の集中力と時間を要します…。 
きっと…どこかに籠もっておられるのでしょう…。 」

宗主の意図を汲んで…お伽さまが言った。

 磯見の意識はすべてプログラムに支配されているというのか…?
正気に戻っている時でさえも…?
それでは助けようがない…。

 「恭介…もし…僕が攻撃中の磯見の意識を操作したらどうなる…? 」

西沢はそう滝川に訊ねた…。

 「HISTORIANが磯見に何をしたか分からない状態で…そんなことをすれば…最悪の場合…磯見の魂が崩壊してしまう…。
奴等がこのプログラムを起動させた時の状況…それさえ掴めれば…対処できるんだが…。」

残念そうに滝川が答えた。

 西沢は途方に暮れ…皆と顔を見合わせた…。
磯見の中のプログラムを止める方法はただひとつ…磯見を消してしまうしかない…。
 そんなこと…できるわけがない…磯見に何の罪が在る…?
ただ利用されているだけの男を…この手で殺すなんてできない…。
打つ手に窮して西沢も他の者も呆然と立ち尽くした…。

 ひとり…西沢たちの動きを外から見ていたノエルは…歯痒くて仕方なかった…。
そんなに深刻に考えなきゃいけないことなのかなぁ…?
大事なのは眠っているこの人を助けることなんでしょ…?
ならば…。

 金井たちと別の解決策を話し合うため…西沢が少し磯見と距離を取った隙にノエルはふいに…磯見に近付いた。
西沢が振り返った時には時すでに遅し…ノエルは磯見に何だかわけの分からない一撃を加えていた。
 
消えろ…要らない記憶…! 魂よ…戻れ…在るべき姿に…!

西沢たちの耳に…そんな声が聞こえたような気がした。

 「ノエル…! 磯見に何をしたの…? 」

驚いた西沢が声を上げた。
ノエルはただニヤッと笑った。

おやおや…やってくれましたね…。
お伽さまが微かに笑みを浮かべた…。

 磯見が大きく息を吐いた…。 西沢も金井も…そして添田も…心臓が止まるかと思うほどドキッとした…。
治療師の滝川でさえ蒼くなって大慌てで容態を調べた。

 「大丈夫…。 意識が戻り始めた…。 」

滝川のその言葉にみんな一斉に胸を撫で下ろした。
周りの慌てふためく様子にノエルは笑いを堪えるのが大変だった…。

僕はただ…要らないものを消してあげただけ…さ。
そんなに難しく考えないでいいんじゃない…?
この人が助かればいいことなんだから…。

そうでしょ…ねぇ…お伽さま…。







 
次回へ

白い御飯と蕗の薹

2006-11-15 21:45:15 | ひとりごと
 飛騨高山には何度も出かけているが…その度に忘れられない思い出が残る…。
それもこの持ち前の…見たい聞きたいやってみたいという困った性格のお蔭というか…あまり人さまに自慢できた話ではないのだが…。 

 春とは言え…まだ…高山は雪解けの頃か…気の合う友と連れ立ってのんびり行き当たりばったりの旅に出かけた…。

休みとなればバイト以外には縛られることのない学生時代のこと…。

 下呂あたりに宿だけとっておいて…何処へ行って何を見るという予定も何もなく…ただぶらぶらとあっち寄りこっち寄り…。
観光名所巡りに大方時間を費やした。 

 高山からバスで30分ほど行ったところに鍾乳洞がある。
自分は以前にも行ったことがあるのだが…もう一回行ってみようかな…と思い立ちとうに昼を過ぎていたにも拘らず足を延ばした…。

前に訪れてから何年も経っているので…記憶も薄れており…その分…始めてみたような気がして結構面白かった…。 

さて…地底の世界を堪能して…バス停に戻ってきたのはいいのだが…バスが出たばかりのところへ到着してしまった。

やれやれ…次のバスまで1時間近くある…。 

周りには時間を潰せるような店もない…。

どうしようかな…?

ふと背後を見れば…春を迎えたばかりの田んぼや畑…。
下萌えの季節だ…。

うふふ…これは…いいんでないかい…。 

今朝…朝市で買った蕗の薹がピンと頭に閃いた。
胸はすでにわくわく状態…。  

何事か…と見る友を尻目に…蕗の薹採り開始…。
在りあわせの袋に萌え出たばかりの蕗の薹を詰め込む…。

そう…蕗の薹は若い方が美味しい…。
筆先のような生まれたての芽を探す…。 

さすがは飛騨…あちらにもこちらにも春の恵み…。
もう最高!

あっという間に袋は満タン…バスの時間も近付いた…。
友よ…呆れるな…これが時間の有意義な潰し方なのだ…。
パチンコするだけが暇潰し~…ではないのだぞ…。

…って単に食い意地が張ってるだけなんだが…。 
収穫にはおおいに満足…。

家に戻ってから天ぷらや味噌和えにしたが…朝市で買ったものよりずっと香りが高くて美味しい気がした…。

湯がいた蕗の薹を刻んで…味噌だけで和えたもの…白い御飯にぴったりさ…。
いやいや…自然の贈り物はいいなぁ…。 

えっ…高山くんだりまで何しに行って来たのかって…?

観光を兼ねた…ってか山菜取りがメインになってしまった旅だった…。

だって…それが一番面白かったんだ…あははは…。 



 

昭和ひとけた夕涼み…親父の夏はクール…!

2006-11-14 11:42:00 | ひとりごと
 クールビズの季節が終わったと思ったら…即…ウォームビズ…。
言葉で言うのは簡単だけど…冷暖房に慣れきった現代人の身体が季節の変化に対応できるようになるまでにはちょっと時間がかかりそうだね…。  

 だけど…ワイシャツにノーネクタイ…は如何にもだらしなくて格好悪い…。
営業マンなんかはきっちり服装を整えていないと仕事にならないんだから…冷房無いと地獄…可哀想だよね…。    

 ちゃんと機能的にデザインされた新しいビジネス・ファッションを考えてくれないかなぁ…。
公けでも失礼にならない洗練されたデザインのものを…さ…。  

 そう言えば…オトンの時代には開襟シャツというのがあったよ。
格好良くは無いけれど…ずっと涼しげ…。 
扇子に帽子…でワンセット…。
そうだね…小津映画なんかを見たことある人は…あれか…ってピンと来るかもね。

 昭和中期頃までは…夏の夕方には縁台を出して…夕涼み…なんて風景があちらこちらで見られた…。  

 縁台…分かるかなぁ…。 木や竹で作られたちょっと細長い腰掛でね…。
真ん中に将棋盤や碁盤なんかを置いて…おじさんたちが興じるわけ…。
 何をするでもなく…静かに涼んでいる人も居たし…煙草ふかしてたり…西瓜齧ってたり…ひとさまざま…。

 古い家なんかでは濡れ縁に腰掛けてってところもあったんだけど…それは家の裏手側だから内輪の楽しみ方…。  

 あ…濡れ縁は…家の外に張り出した細い廊下みたいなもの…。
今はほとんど見られないね…。

 下町のおじさんたちの姿がまた涼しげ…。 猿股一張で下駄や突っ掛け履き…。
猿股は…トランクス型のパンツ…ね。
夏用の薄い股引の人も居るけど…大概…上は裸…時々…薄い綿の前開きのシャツ。
股引はロンパンのことよ…。

腰や肩から手ぬぐいぶら下げて…片手に団扇…そんな感じ…。

それで…縁台で夕涼みを楽しむの…。 

 風呂上り…風呂のない家は行水した後なんかにパタパタと団扇で身体を扇ぎながら外に出てくる…。
そうそう…行水ってのはね…大きな盥に…たらいと読むのだけど…水やお湯を入れて浸かる風呂の代用品…。  

 屋外で使うものだけど…勿論…他所さまからは見えないところでね…。
まあ…言ってみれば…簡易露天風呂みたいなもの…だね…ははは…。

 昭和中期までの夏のおじさんたちは如何にも涼しげだけど…今なら…即…通報されてお巡りさんに捕まる可能性大…。
トランクス一張で…その辺歩いていたら…惚けか変態だと思われるかも…。
当時はわりと一般的だったんだけど…それでも…上流家庭には見られない光景だったかもしれないな…。  

 おじさんたちの傍では子供たちが花火…。
ネズミ花火…ロケット花火…線香花火…火をつけると煙を吐いて燃えカスがもこもこっと伸びて来る蛇花火…。 

 今はほとんど中国など外国で作られたものだけど…その頃は全部日本製…。
見た目はほとんど変わらないけど…火をつけた後の線香花火はまったく違うよ。

 お国柄の違いなのか…外国のものは…ぱっぱっと菊花が散って柳になって簡単にお終いだけど…日本製のものは火球が落ちるまで楽しめる…。 

如何にこの火球を落とさないように長く持たせるかが…線香花火の醍醐味なんだ。

よーいどん! 

 参加者一斉に火をつけました…。 豪快に菊が散ります…まさに火花…。  あ…柳になりました…。
 さあ…だんだん玉だけになっていきます…。
Aちゃん大きいです…Yくん小さい…Eくん…ああっ…落下!。
まだ…柳が散っています…まだ行けます…。

ああ~残念…重みに耐えられなかったかAちゃん落ちたぁ…。
Yくん勝ちぃ!  

そんな感じ…子供はね…。

大人は…しっとりと…儚げなこの花火に人生を映して…物思いに耽る…。
特に夏の終わりの線香花火は…じんわりと味わい深い…。

嗚呼…切ないなぁ…なんてぇことはずっと後の話で…まだ子供だったから楽しいだけ…難しいことは考えてなかった…。

おじさんたちの夕涼み…。  

こんな寒い時期になって…突然…思い出しちゃった…。

遠い夏の日のことだよ…。  









お兄ちゃんの怪談話

2006-11-12 22:47:47 | ひとりごと
 多分…あれは…小学校に上がったばかりのことではないかと思う…。
急いで夕飯を終えた後、ウキウキしながら裏木戸を抜けて、細い道を挟んだ裏手にあるYくんの家へ向かった。 

 あたりはもう真っ暗…昔のことで外灯なんかついてない…。
家々の灯だけが足元を照らしていた…。

 こんなに暗くなってから子供が人さまの家にお邪魔するのは本当はいけないことだけど…今夜は特別…。
隣近所の子供たちがぞろぞろ集まってきた…。
家が向かいや並びだから道行くたびに増えていく…。 

 昼間…お兄ちゃんと約束したから…。
Yくんには大きいお兄ちゃんが居て…昼間は忙しいからだめだけど…今夜…怖い話を聞かせてくれるって…。
だから…夜になったらおいで…って…。

 ほんとう…? 遊びに行ってもいいの…?
そう…みんなでお兄ちゃんの話を聞きにきたのだ…。

 ごめんくださぁい…。
お邪魔します…。    

 お兄ちゃんは忙しくてまだお話どころじゃなかったので…Yくんと自分たちはお祖父ちゃんと一緒にテレビを見ながら待っていた…。
東京オリンピックの時にテレビが普及したせいか…この辺りの家は白黒テレビを持っていた。  

 お祖父ちゃんが見ていた番組も怪談話…。
その頃…日本の昔の怪談話を映画化してよくテレビで流していた。
 うちでもオトンがテレビ好き芝居好きなので…よくこの手の番組を見ていた。
内容は忘れてしまったが…按摩さんが出てくる話で…独特の按摩笛の音が今でも耳に残っている…。 

 映画が終わる頃…お兄ちゃんはみんなのところへやってきて…いくつか怖い話を聞かせてくれた…。
みんな真剣な顔をしてお兄ちゃんの話を聞いていた。 

 どんな話だったかははっきりとは思い出せない…。
鍋島の猫騒動や…番町皿屋敷…そんな類の話ではなかったかと思う…。

 怖い…とは思わなかったけれど…お兄ちゃんは話が上手だった…。
特にテレビで怪談を見た後なので雰囲気抜群…。
知らず知らずに話に惹き込まれた…。 

 そんな様子を…お祖父ちゃんやお父さんがにこにこと笑いながら見ていたのが…子供心にすごく印象に残った…。 

話が終わると…お兄ちゃんは…また今度聞かせてやるよ…と言ってくれた。

 みんなお礼を言って…お邪魔しました…とYくんの家を後にした。
またね…明日ね…。
そんなことを口々に言いながら自分の家に入って行った。 

お兄ちゃんは…今度またお話を聞かせてくれると言っていた…。
それがとっても楽しみだった…。

ずっと楽しみにしていたけど…その日は来なかった…。 

道路を作るために…その辺り一帯の家は立ち退きになってしまったのだ…。
自分の家も引っ越さなくてはならなくなり…Yくんの家も引っ越して行った…。

仲良しだったみんなとは…それ以来…会っていない…。
何処に居るのかも分からない…。

どうしているかな…。
みんな元気で居るのだろうか…。 

今でも覚えているだろうか…。

あの夜の…怪談話…お兄ちゃんの話を…。 


時代の香り…其の二。

2006-11-11 23:10:00 | ひとりごと
 大通りをバスが行く…。 四角いバス…。 最近はボディに絵が描いてあったりして公共の乗り物とは思えないほどカラフルなものも在る…。 

 今のバスは…トラックなんかもそうだけれど…凹凸が少なくて車体に鼻がないよね…。
自分の小さい時には…バスもトラックもたいがい鼻つきだった…。
ダンプなんて結構…可愛い顔してたなぁ…。
三角鼻の三輪トラック…覚えている人居るだろうか…。 

 そうだねぇ…アニメ映画のトトロを見た人なら覚えているかもしれないけれど…お父さんが通勤に使っていた…あのバスだよ…。

 制服の車掌さんも乗ってたんだよ…。 革の鞄を提げてね…。
そこから切符を出すんだ…。
確か…黒い鞄だったと思うんだけど…毎日使っているから…所々擦れていて下地の茶色が覗いていたりしてたね…。 

 それより以前には路面電車が走っていた…。
がたんごとん…がたんごとん…そんな音を立ててね…。

 一番前に乗るのが好きだったよ…。 
正面の景色と運転手さんの操作が見られるから…。
 今でも…そうだね…運転席覗くのが好き…。
恥かしいから…やらないけど…。 

 えっ…子供みたい? だって…面白いじゃない…。
普通では見られないもの見るのって…楽しいよ。
わくわくする…。 内緒だけど…本当はあれ…運転してみたいんだよ…。 


 昭和中期まではこのあたりの道路は大きいと言われる通りでも…それほど広くは無かった。
広くなったのはだいたい…40年代だな…。

 通りに面したお店はたいがい表の戸を開け放し…お客や店の人が自由に出入りできるようにしてあった…。
店の中が全部見渡せるくらい開け放してあっても…強盗が入ったなんて話は聞いたことがなかった…。 

ごめんください…。

いらっしゃい…。

そんな挨拶が何処の店でも当たり前の時代…。

買って貰って有難う…売って貰って有難う…。 

 今は売り手の方が礼を言って…買い手は黙ってるのが普通みたいだけれど…doveは売ってくれる人にも有難うを言っちゃう…。
長年の癖が抜けないんだね…。
スーパーのレジでもコンビにでも…。 

 不思議なことにね…。
それやってると…全然知らない人だったレジのパートさんたちとちょっとした会話が出来るようになったりするんだよ…。

いい天気だね…とか…今年は野菜が高いね…とか…他愛のないことだけど…ちょっと得した気分…心楽しい…。 


 商店街と言うわけでもないけれど…通りには米屋さんとか水道屋さんとか…いくつか店があった
米屋さんには…おそらく大きなさお秤ではなかったかと思われる古い秤に米袋…水道屋さんには何かの部品…それぞれに特徴のあるものが店先に見えている…。
製材所の前には真新しい長い木の板がいくつも並べられていた。 

 畳屋さんはいつも店先の土間で仕事をしていた。
おじいさんとおじさん…前後ろに斜に並んで畳を縫っていた…。
いつも同じ場所でふたり…黙々と仕事をしていた。

藺草の香りが立ち込める中で…。 

 あの通りにはもう三十年近くも行っていないけれど…今でも…おじいさんになったおじさんとおじさんになった息子さんが並んで仕事をしているだろうか…?
黙々と手を動かしているのだろうか…? 

あの辺りは高速道路が通ってしまったと聞く…。
店が残って居ても…土間の中まで見渡せるような開け放した姿ではないだろう…。

真新しい畳の梅干のような匂いを嗅ぐと…いつもあの光景を思い出す…。
あの町の…あの時の姿を…。 

もう…ほとんど何処にも見られない風景が記憶の中にだけある…。

それもやがて…消えていくんだろうなぁ…。 


  







続・現世太極伝(第百話 操り人形…磯見)

2006-11-10 21:35:00 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 輝が仕事を終えて部屋に戻ってきた時…部屋には子安さまの他に北殿が居た。
珍しいこともあるものだと思いながら挨拶をすると…北殿は部屋の一点を示した。
 そこには吾蘭がちょこんと座っているのだが…吾蘭は何かを見つめたままじっと動かなかった。

 「何かに反応しているのよ…。 あの子の中の王弟の記憶がそうさせているのでしょう…。
さっき…庭田から知らせがあったの…。 大きな動きがありそうだと…。
 そのことで宗主は出かけたけど…この兄弟たちにも影響があるかも知れないから…私がついていることになったわ。
お邪魔でしょうけど…しばらく我慢してね…。 」

 邪魔だなんて…とんでもない…と輝は恐縮した。
絢人はともかく…吾蘭と来人に影響が及べば…何が起こるか想像もつかない…。
如何に輝が島田屈指の能力者でも…幼い子供を抱えながらでは…どれほどのこともできないだろう…。

 紫苑やノエルには悪いけれど…絢人を護れたらいい方…。 
そんなふうに考えていた…。

 本家で暮らすうちに…北殿は宗主も一目置く能力者だし…子安さまも相当な力を持っている…ということがだんだんに分かってきた。
彼女たちが居てくれれば…どれほど心強いか知れない…。

 少なくとも…何も状況の分からないところにひとり置かれるよりはまし…。
不可解な行動をとっている吾蘭を見ながら…輝はそう思った。



 玄関のチャイムが鳴る…。 誰だろう…義姉さんかなぁ…?
磯見はゆっくりと起き上がった。
 ふらふらと玄関に向かって歩いて行く…。
モニターを見れば良いのに…半分脳が眠っている状態なのか…インターホンを取ろうともしない…。

 磯見が発症して以来…この家には添田と磯見が住んでいるだけ…。
添田は万一の場合を考えて…妻子とは別居した…。
 妻子は近くのマンションに住んでいるが磯見の状態を怖れて近付かない…。
週に何度か…添田が覗きに行くが…向こうから訪ねて来ることはない…。

 ぼんやりとした頭のまま…覗き窓を覗いた…。
金井の顔が見える…。

あ…金井さん…。

 またも病欠した磯見の様子を見に来たのだろうか…?
このままじゃ会社を首になるぞ…とでも忠告しに…。

仕事は…好きだけど…もう…だめかもしれない…。

 そう思いながら…磯見は扉を開けた…。
途端に外から男たちがどっと傾れ込んだ…。

 「磯見くん…。 」

どこかで聞いたことのある声が磯見を呼んだ。

紫苑…?

驚いて見開いた磯見の眼に西沢の姿が映った。
磯見の目から思いがけず…はらはらと涙がこぼれ落ちた…。

 「つらかったね…。 大丈夫…何も話さなくていいよ…。 」

西沢はそう言って磯見を抱きしめた。
磯見の身体は力を失い…意識が遠のいた。

 「恭介…酷い状態だ…。 すぐに診てやってくれ…。 」

 その衰弱しきった姿に眉を顰めながら西沢は言った。
半ば気を失っている磯見をひょいと抱き上げると…西沢はお伽さまの気配のする磯見の寝室へと運んだ。

 お伽さまは相変わらずにこにこと微笑みながら…西沢たちを迎えた。
危害を加えられた様子はなかった。

 「やあ…来てくれましたね…。 」

お伽さま…と嬉しそうに飛びついていったノエルの背中を軽くとんとんと叩いて…
何事もなかったかのように穏やかに笑った。

 西沢は少し笑みを浮かべながら会釈をすると…磯見をベッドに寝かせた。
滝川はすぐに磯見の傍らに行き…体力の状態を診た。

 「まさに…生かさず殺さず…だな。 
こんな扱いをするなんて…奴等は人間じゃないぜ…まったく…。 」

 憤慨しながら治療を始めた。 極度の過労で低下した全身の機能をゆっくりと慎重に回復させていく。
やがて…少しずつ…磯見の頬に血の気が戻ってきた…。

 「紫苑…奴等がどのような方法を使って…この方の力を利用しているのか分かりますか…? 
添田くんには…相手の意識を遮断することができなかったようです…。 
何度試しても…まったく…通じないのだそうです…。 」

 お伽さまが西沢の顔を覗き込むようにして訊ねた…。
西沢は磯見に眼を向けた。
滝川の治療を受けている…磯見の身体からはHISTORIANらしき気配は感じられなかった。

 「今は…だめですね…。 磯見自身の気配以外…何もありません…。
実際に磯見が利用されている時であれば…或いは掴めるかと…。 」

そうですか…とお伽さまは残念そうに頷いた。

 「それなら…今…結界を張っちゃえば…? 
そうすれば…奴等はもう…この人の中に入り込めないよ…? 」

今がチャンスでしょ…とノエルは言った。

 「それでは根本的な解決にはならないんだよ…ノエル…。 」

金井が優しく諭すように答えた。

 「結界を解いた途端にまたすぐ入り込もうとするだろう…。
正体を突き止めて排除しなければね…。 」

あっ…そうかぁ…と頷きながらノエルは磯見の方を見た。

 磯見は以前ノエルを攻撃したことがある…。
まだ…HISTORIANの陰の部分がはっきりしていなかった頃で…発症した磯見に殺されかけていた彼等のひとりを助けようとした時だった。

 油断していたノエルは磯見に近付いた瞬間に何らかの力を受けて気を失った。
亮が助けに入ったので事なきを得たのだが…。
磯見は潜在記憶の影響を受けて…何も分からなくなっていた。

 せっかく添田がその潜在記憶を消してくれたというのに…今度は逆にHISTORIANに操られている…。
こんなことなら…あの公園の男…ほっとけばよかったな…とノエルは思った。
三宅といい…磯見といい…よくよく利用されやすいタイプのようだ…。

 「よし…こんなもんだろう…。 少しは楽になったかい…? 」

そう言って滝川は磯見に笑顔を向けた。 磯見も弱々しいながら…笑顔で答えた。
治療を開始した時に比べればずっと元気そうに見えた。

よかった…と滝川は頷いた。
けれど…何度治療したところで…奴等を追い出さない限り同じことの繰り返しだ。

 「お伽さま…。 お伽さまのご覧になるところ…奴等の力はどのような類のものとお考えですか…? 」

意見を仰ぐように金井が訊いた。
さあ…とお伽さまは首を傾げた…。

 「霊力…ではないように思われます…。 この方の身体には何者かが憑依したような形跡はありません…。

むしろ…そうですねぇ…似ているのは宗主の一族の中でも一部の人たちだけが使う力…夢を操る力…ですか…。

僕は御霊に関することの方が専門で…そちらの能力には疎いのでよくは分かりませんが…そんな気がいたします…。 」

夢を操る…? 西沢の脳裏に何かが閃いた。
HISTORIANが…操るとしたら…?

 「似てはいますが…夢では…ないかもしれません…。
奴等が操るのは…DNAに細工されたプログラム…です…。

 添田は磯見の潜在記憶を消したのでしょうが…それは表面上のことです。
DNAの中にしっかりと刻み込まれた記憶は…つまりあの忌まわしいプログラムは完全に消えるわけではないのです…。

 奴等なら…何かの方法によって再び甦らせることもできると思われます…。
ひょっとしたら…プログラムの内容を変えられるような力を持っているかも知れません…。
この頃…姿を見せている新顔の連中はそのために導入された専門の能力者なのかもしれない。

 相手がプログラムでは…添田がいくら強力な結界を張ろうとも…無駄なわけです…。
磯見の身体を形成している細胞自体に原因が潜んでいるのですから…。 
奴等の気配がするのは…ただ結果を見張っているだけなのかも知れません…。 」

西沢は眉を顰めてそう言った。

だとしたら…非常に厄介だ…こちらにはプログラムを操作できる者が居ない…。
皆は困惑したようにお互いの顔を見つめ合った。

 「天爵ばばさまの魂は…そうした力を持っていないのでしょうか…? 」

何か打開の道は無いものかと…金井は考えた。
超古代からの魂ならば…その方法を知っているのでは…とも思ったのだが…。

 「難しいと思います…。 ばばさまは予言の力は持っておられますが…魂となられた時はまだ幼い見習い…王弟の記憶をプログラム化したのは別の方なのですから…。」

お伽さまは如何にも残念そうに首を振った。
金井もがっくりと肩を落とした。



 「ここで…何をしているんです…! 」

突然…怒気を含んだ声が部屋中に響きわたった。
いつの間にか…添田が寝室の扉のところに立っていた…。

 「あんちゃん…紫苑が助けに来てくれたんだ…。
治療師さんを連れてきてくれた…。 すごく楽になったんだよ…。 」

 半身を起こし…兄の怒りを解き解そうと…磯見は懸命に取り成した…。
添田は少しだけ元気を取り戻した磯見の姿を見て…一瞬…嬉しそうな表情を浮かべたが…すぐに悲しげな顔になった…。

 痛ましげに添田を見つめている西沢の前に進み出て深々と頭を下げた。
もう…逃げ場は無かった…。

 「特使…私を罰してください…。 どうか…宗主の前に突き出してください…。
罪を犯しました…。 同族を欺いたのです…。 私は…私は…お伽さまを…。 」

 助けてくれたのですよ…お伽さまがにっこりと笑ってそう言った。
添田の顔に驚きの色が浮かんだ。

 「奴等に襲われて気を失った僕をここへ匿ってくれたのです…。
あのまま…あそこに倒れていたらどうなっていたか…。 助かりました…。 」

西沢は大きく頷いた。
誰も添田を責めようとする者はいなかった。

 「お伽さまがご無事で何より…宗主も喜ばれることでしょう…。
すぐにそのようにお伝え致します…。
金井…きみも…ね…。 」

西沢の言葉を受けて…金井も頷いた。
添田の目の前で…ふたりはそれぞれの組織にお伽さまの無事を伝えた…。

添田はもう一度皆に向かって深々と頭を下げた…。

緊張が解れて…やっと辺りに…穏やかな空気が流れようとする中…磯見が崩れるようにベッドに倒れこんだ…。

 「ねえ…この人様子がおかしいよ…。 」

ノエルが叫んだ。
添田が慌てて磯見の傍に駆け寄った。

眼を見開いたまま動かない磯見…。
触れても反応が無い…。
滝川は磯見の状態を詳しく調べ始めた…。

お伽さまが心配そうにそれを見守った。
西沢も金井も…神経を研ぎ澄ませて…磯見を縛り付けているものの正体を探った。

磯見…待ってろよ…。
必ず解放してやるからな…。

人形と化した磯見の哀れな様子を見て…ふたりはそう胸の内で呟いた…。







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