徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

一番目の夢(第四十五話 最終回 新たなる事件への序章)

2005-07-05 12:05:20 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 本儀式が終わって数ヶ月、二人も後継者を送り出したというのに修は相変わらず会社と紫峰家の間で忙しい日々を送っていた。

 あの日修は、うろたえる長老衆を前にして追い討ちをかけるような事はしなかったし、無論、過ぎたことを執拗に咎めたりはしなかった。伝授する者として簡単に相伝の経過と終了を報告しただけだった。
 それなのに、一左と次郎左が過去の罪を恥じて突然引退を宣言し、透と雅人が継承者として真に独り立ちするまでの間、修を暫定的に宗主の座に据えることを提唱したのだ。
勿論、本人を除いては誰にも意義などあろうはずもなくそのまま決定されてしまった。

 『まあ、軽く見積もってもあの二人なら一人前になるのには十年以上はかかるな。』
黒田がそう言って笑った。

 修にとっては笑い事ではない。所詮、儀式は儀式。透や修が完全に奥儀を使いこなせるようになるまでには本当にそれくらいはかかりそうだ。
 奥儀に限ったことではない。そのほかの儀式やしきたり、行事についても二人はまだほとんど何も知らない。修がやってきたことを見ていて少しずつ覚えてはいるものの、修がいなければ何も先へ進まない。独り立ちなんてまだ先の先か…。

 取り合えずいまは何をするにしても修がひとりで背負い込まなくてもよくなったので、それだけでも随分と助かっている。すべてを熟知している本物の祖父があれこれと手を貸してくれる。孫たちの修練にも積極的に付き合ってくれる。これまでとは大違いだ。

 一左はおおらかで逞しく、おまけに人懐っこい性格で茶目っ気もある。長い年月の悪夢を補って余りあるかのように、あっさりと孫たちとの生活に馴染んで余生を楽しんでいる。雅人が仕込んだ対戦ゲームもなかなかの腕前らしい。

 何よりもこの祖父は孫たちに対して愛情深く、すでにいい大人である修には少々くすぐったいほどだ。紫峰家の雰囲気がずっと解放的で明るくなった。



 周りが平穏無事だと闇喰いのソラとしてはご馳走を獲るためにちょくちょく町へ出掛けなければならなくなって、面倒くささから時々笙子のマンションに居候を決め込む。
 入れ替わり立ち代り新しい恋人なる彼女もしくは彼が現れることに最初は戸惑ったソラだが、この頃慣れたせいか全く気にしなくなった。

 『そりゃ何人も出入りするけど実際鍵持ってるのは修だけだぜ。』
黒田のところで透、雅人、悟、晃の4人組を相手に時々そんなおしゃべりをして帰っていく。

 もともと黒田のオフィスは黒田個人専用の仕事場で他のスタッフは別の階で働いているのだが、いまでは一族の若手の集う場所になってしまい、実際の仕事場をとうとうスタッフのいる階に移した。仕事のない時に若い連中の話を聞くのもちょっとした楽しみではある。



 三左の問題が解決されて一族の気持ちが落ち着いてくると、身内の関心は修と笙子のことに集中し始めた。
 笙子が次郎左や輝郷に対して、あれは三左の目を欺くための作戦ですとはっきり打ち明けたにもかかわらず誰も納得しなかった。

 「よほど結婚させたいのね。ちょっと遊びが過ぎたかしら…。」

笙子はコーヒーに浮かんだクリームをかき回しながら溜息をついた。

 「ごめん。迷惑…だよな?」

修は申しわけなさそうに訊ねた。

 「そんなことないけど…。私たちそれこそ3歳くらいから一緒にいるんだもの。
お互い空気みたいなもんだし…いまさらね…。」

笙子はもう一度溜息をついた。 
 
 「空気でもいいけどな…僕は…。」

修がぽつりと呟いた。笙子は驚いたように修を見た。

 「いまと同じで…逢いたい時に逢って…話したいことを話して…そんな形でいいよ。
君が他の人を好きになっても…僕は別に構わない…いまだってそうだろ?
だけど君と僕なら本当に必要なときにはお互いに助け合っていけると思うんだ…。」

修は笙子を見つめた。

 「私…浮気するわよ…。」

 「うん…。」

 「完全な別居結婚になるわ…。」

 「だって君…浮気するなら…その方が便利だと思うけど…?」

 修が笑いながら言った。
『本当にそれで成り立つなら…世にも変わった夫婦だわ』と笙子は思った。



 三十年近く紫峰家に覆い被さっていた闇が晴れ、祖父と孫たちの新しい生活が始まった。
気が向いたときに帰ってくる嫁さんと相変わらず親戚の小父さんを名乗っている透の親父さん。
まあ平凡と言えるかどうかは別として、彼らも含めてそれなりに楽しい家庭を作っていけばいい。
 
 修はこれで二度と自分が『樹』として戦うことはないだろうと思った。
なぜなら『樹』としての自分の力は紫峰を護り支える為だけのもので、世間とは全く無縁のものと考えていたからだ。
 紫峰一族が外部の者に対してその力を発揮したのははるか昔のことで、それももう世間からはとうに忘れ去られている。

 そう…忘れ去られているはずだった。

 『樹』というその名前。

 紫峰本家から遠くはなれた小さな村で陰惨な事件が起こるまでは…。





一番目の夢 完了
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一番目の夢(第四十四話 『 生 』 )

2005-07-04 10:30:00 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 『再び使われることのないように祈る。』
修がそう言った時、笙子と黒田の脳裏に『今だ!』と言う号令が響いた。

 炎の触手が修の身体に届くその瞬間に確かに修の身体は脱皮した。黒田は急ぎ修を胎児化させ、笙子は自分の子宮へ胎児を導いた。

 その間、不思議なことに笙子も黒田も自分がいま何をしているなどという意識はなく、コンピュータに制御された機械のように坦々と動いていた。気が付くとすべてが終わっていてまるで夢でも見ていたような感覚があった。

 「うまくいったようだね。」

 突然、眠っていたはずの一左が口を利いたので二人は飛び上がらんばかりに驚いた。

 「長いこと力を使っていなかったからね。自信はなかったが…。」
 
 修によく似た話し方と表情がいままでとは全く別人だということを物語っていた。

 「一左大伯父さま…起きてらしたのね。」
 
 笙子が言うと一左は修にそっくりな笑顔を見せた。三左に支配されていたときとは容貌も異なって、誰が見ても修の祖父に間違いはなかった。

 「ご無事で何よりです。御大…。」

 黒田は感激したように一左の手を取った。

 「面倒かけたね。黒田。笙子さんも…。
御腹の具合はどうかね? 修は元気にしているかね?」

目を細めながら笙子の膨らんだ御腹の辺りを見つめた。

 「大丈夫ですわ。まだ少し皮膚の再生に時間がかかりそうですけれど。
早く出せと暴れていますわ。」

 「そうかね…。よかった…。
透…雅人。どれ…こちらへ来て顔を見せてくれ。」

 それまで呆然と突っ立ていた二人は一左の呼ぶ声で我に返り、言われるままに一左の傍へと駆け寄った。不安げな二人の顔を見て一左はますます温かい笑みを浮かべた。

 「修の自慢の子どもたちだな。なるほど…甲乙付け難い。
心配しなくていいぞ。お父さんは笙子さんの御腹の中だ…。」

二人は互いに顔を見合わせた後、笙子の方を窺った。
笙子はにっこり笑って御腹をさすって見せた。

一左は少し離れたところに力なく腰を下ろしている次郎左に目をやった。

 「次郎左よ。おまえの後見としてのやり方が何もかも間違っていたとは思わんよ。
おまえはおまえなりに一族の安泰を考えて事なかれを決め込んだのだろう?
 戦えば徒に犠牲者を増やすと…何しろ誰も修ほどの力を持ち合わせていないからな…。

 修がおまえに言ったことは気にするな。修の樹としての記憶は断片的なものだ。
後はおまえの心を読んだに過ぎんよ。」

 「俺はただ…宗主のおまえを犠牲にしても一族の者たちが無事なら致し方ないと考えたんだ。
あやつがまさか…身内を次々と殺していくほどのワルだとは思ってもみなかった。
今思えばなんと愚かなことを…いい大人が雁首揃えて三左の前から逃げ出したわけだからな。

 ただひとり立ち向かえと悪鬼の前に残された修にしてみれば、俺たちのしたことはあまりに酷い仕打ちだったのだろうて…。」  

 次郎左は後悔頻りだった。

 「さて…次郎左…潔斎所の準備をしてもらえるか?
そろそろ修を出してやらねば…。」

 「ああそれは俺がやりましょう。」

黒田が祈祷所の裏手の方へ駆けて行った。

 「ならば、樹への捧げ物として作ったあれを出してきてくれ。今年新調して納めた筈だが…」

 「承知した。しかし…丈が合うだろうかな?」

次郎左も祈祷所の奥の供物部屋へ向かった。

  
 

 祈祷所の裏手にある潔斎所は祖霊を祀るときに宗主や後見が身を清める場所だが、独自の祖霊祀りを宗教とは考えていない紫峰では儀式や行事専用の風呂場のようなものである。
 跡取りが生まれると産湯をつかわせたり、病後の厄除けなどにも使われる事があり、ここで湯を使うことは祖霊の護りを受けることと考えられている。

 用意ができたという黒田の知らせで皆は潔斎所に集まった。5~6人は入れるかという湯船の手前に小さな籠が置かれ、柔らかなタオル地の布が敷かれてあった。

 「笙子さん…産むのかね?」

 一左は訊ねた。産むのであれば男たちは外で待機していた方がいいだろうと考えたのだ。
笙子は笑って答えた。

 「産むのは…まだ無理ですわ。短時間過ぎて私の身体がそこまで整っていません。
籠に移動させます。」
  
 籠の前で両膝をつくと笙子は両手を下腹の前へ差し出した。やがてその両手の上に乗るほどの嬰児が姿を現した。嬰児が泣き声をあげた。透たちは息を呑んで小さな修を見つめた。

 「修…おめでとう…。」

笙子はそう呟くと嬰児を籠に寝かせた。
黒田がその子を抱き上げて湯を使わせようとすると一左が手を差し出した。

 「私が…。修が生まれた時に立ち会ってやれなかったからな。」

一左は嬰児の肩を支えると、湯船にそっと浮かべてやり、小さな身体を清めてやった。

 「修…よく耐えたな…。たったひとりで…よくがんばった…」

 目を細め本物の祖父は幼子をいとおしげに抱きしめた。
黒田が真新しいバスタオルを脱衣場のソファの上に敷くと、一左は嬰児のぬれた身体を拭いてやりながらその上に寝かせた。

 透が小さな顔を覗き込んだ。雅人もちょっと赤ん坊に触れてみた。赤ん坊は二人を見つめ愛らしい笑みを浮かべた。

 「こんなに小さかったんだ。修さんも。」

 「赤ん坊ってこんなに柔らかいんだね。」

笙子が微笑んで頷いた。そのまま捨てておけばおけばやがて消えてしまう命。何かあればすぐにでも壊れてしまいそうな身体…。

 「そうだよ。透。雅人。生まれたばかりのおまえたちはきっとこんなふうに修には見えたんだ。
だからおまえたちをほっておけなかった。
 だけど…そのとき修はまだ小学生…。それからの修の苦労をおまえたちは決して忘れてはいけないよ…。」

一左は二人にそう諭した。二人は深々と頷いた。

 次郎左が畳紙に包まれた樹への供物を運んできた。それを機に黒田は修をもとの姿に戻すことにした。

 「さあ…そろそろ当主にご帰還願いましょうか。」

 黒田は修の細胞の一つ一つに急激な成長を促した。やがて赤ん坊は幼児へ、幼児から少年へ、少年から青年へと成長した。少年時代からの修の姿はおぼろげながら二人の記憶に残っている。
あの小さな赤ん坊からは想像もできないような成長を遂げた修は、いま伸びやかな肢体をソファの上に横たえていた。

 激しい運動を終えたかのように大きく肩で息をした後、修はそっと目を開けた。
心配そうな四つの目が覗き込んでいた。

 「やあ…。透…雅人。ただいま…。」

 二人は思わず修に飛びついた。二人の重さで修は起き上がれずにいた。

 「修さん!お帰り!」

 「大丈夫?」

笑顔半分困ったような顔ををしている修に雅人が訊いた。

 「ああ。大丈夫…大丈夫だけど…ちょっと待って。タオルくらい巻かせてくれ…。
笙子…あっち向いてて。」

笙子は今更遅いわよと言いたげに肩をすくめると背中を向けた。
黒田が目を逸らしながらくすくす笑った。

 一左は次郎左から畳紙を受け取ると修に差し出した。

 「話は後だ。修よ。樹の御霊へ奉納された祭祀の衣装を着なさい。
外へ出て一族に相伝が無事済んだことを報告しなければいけない。」

 修は頷いた。黒田が手伝って透や雅人に衣装の着付けなどを口伝しながら手早く準備をした。



 祈祷所の扉が開かれた。
外ではようよう騒ぎも収まって、身づくろいをしなおした長老衆が祈祷所の前に控えていた。
先導の役目を果たす悟と晃の二人がまず姿を現した。彼らは外扉の両側へ控えた。

 現宗主と後見が並んで現れた時、皆は息を呑んだ。真の宗主が戻ってきたことを長老衆は即座に察知した。同時に、その後の自分たちへの処罰が気になりだして気持ちが落ち着かなかった。

 黒田と藤宮の長が続いた後二人の継承者。
最後に祭祀のための衣装を纏った修の姿を目にした途端、長老衆の心に罪の意識と恐怖が沸き起こった。

 祈祷所の扉が固く閉ざされた。

 扉の前中央に報告のために立った修は、不安に右往左往する長老衆の心を哀れむかのようにいま静かに彼らの姿を見つめていた。
 



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一番目の夢(第四十三話 『 滅 』 )

2005-07-02 20:49:57 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 祈祷所に漂う冷気と霊気。透も雅人も歯の根が合わないほどに震えていた。
酷く寒いというわけではない。これから起ころうとすることへの漠然とした恐怖心が無意識のうちに二人を震えさせているのだ。

 さすがの透も修の様子がいつもと違うことには気が付いていた。前修行のときに感じた樹の御霊に対する違和感よりも、もっと受け入れ難い雰囲気がいまの修はあった。

 「わしを殺せば、おまえ自身の身体とて無事では済まぬぞ!」

悪あがきとも取れる三左の脅しに、修の口元が僅かに笑みを含んだ。

 「頑丈なよい檻であろう?三左よ。その身体欲しくばくれてやろう。」

 「檻…だと?」

三左は訊き返した。

 「飛んで火にいる夏の虫というではないか。おまえは自ら檻に入ったということだよ。
檻で悪ければ棺桶か…。」

 透は耳を疑った。修は三左に奪われた自分の身体を棺桶と言った。

 「修さんは…まさか…。」

 雅人が頷いた。

 「そのまさか…だよ。」

 『嫌だ…そんなのだめだ…。』透は叫び出したいのをやっと堪えた。握り締めた拳の中が身体の震えとは逆に汗ばんできた。
 『僕らに生きろといったのはあなたじゃないか…。』

透の心の叫びを捉えたのか修は透を見て微かに微笑んだ。しかしすぐに三左の方に向き直った。

 「おまえを冥界だの霊界だの…そんな所へは往かせない。
紫峰の当主として…そしておまえのような者をこの世に生み出してしまった祖霊の責任として…。

 おまえの存在を絶つ。」

 「やめろ!おまえは命が惜しくないのか?
この身体がなければおまえは元には戻れんのじゃぞ! 子どもたちはどうする?
捨てて逝くのか?」

 三左は喚いた。何をどう喚き散らそうと修は眉ひとつ動かさない。肉体を離れたその身体から凄まじいまでの霊の波動が感じられる。青白く揺らめく炎のように全身から天へめがけて立ち上る。

 「樹の御霊!…いいや修よ。 頼む。 三左を許してくれ!
せめて…せめて…冥府へ送るに止めてやってくれ! 愚かな奴だが俺の弟だ。」

 それまでほとんど口を利かなかった次郎左が膝を屈して伏し拝んだ。
凍てつくような冷たい視線が次郎左のほうに向けられた。

 「手加減はせぬと…言いおいたはずだが…? 下がれ…余計な口出しは無用だ…。」

抑揚のない淡々とした声が次郎左を窘めた。

 「お怒りは最もと心得る。親を殺され、身内を殺され…だが俺もまた身内を殺されたひとりとして言う。 命乞いはしない。 しないが…。」

 「間違うな次郎左! これは修の復讐ではない! 紫峰祖霊として樹の責任を果たすまでのこと! この悪鬼をこれ以上野放しにしてはならぬ。

 おまえたちが過去にこの者の悪行をを放置したことがそもそもの始まりだ。
悪しき力を恐れ、身内という尤もらしい理由をつけて、宗主を始め長老衆や能力者たちのすべてがこの者から逃げた。 奥儀を修得していたはずのおまえもそのひとりだ。

よもや忘れはしまい!」

 怒りが修の全身を覆っている。炎はますます青く激しく燃えさかり祈祷所を突き抜けんばかり。
次郎左はガタガタと震え出した。『なぜそのことを…なぜ知っている。修が生まれる前のことではないか…?』誰からも聞けるはずがない。
 
 「まだあるぞ。再び三左が舞い戻り、一左に憑依したと知りながらおまえたちは何をしていた?
一左からは絶えず信号が送られてきていたはずだ。

 知らぬとは言わせない!

 一左が黒田に信号を送るまでに何年もかかったのは、おまえたち長老衆が送られてきた信号を無視し続けたせいだ。」

 その場の誰もが耳を疑った。一左が閉じ込められて助けを求めていることを、長老衆は初めから知っていたというのだ。過去の経緯を知らない黒田が一左の信号をキャッチするまでの二十数年、一左は見捨てられた存在だったということになる。
 
 次郎左は返すべき言葉を失った。『修ではない…修であるはずがない。』
ではこの男は誰なのだ…。本当に樹の御霊だというのか…。次郎左の頭は動揺と混乱で真っ白になった。

 「紫峰の長老にあるまじきそれらの罪をいまは問うまい…。
人は弱いものだ…殊に身内のこととなれば…善人も悪に染まることもある…。

 私の邪魔をするな…こやつを救うに値する何ものもない。」

 修はうなだれる次郎左にそれだけ言うと三左の方に顔を向けた。

 三左は何とかして逃げ出そうと修の身体でもがいていたが、檻となった修の身体はがっちりと三左の魂を囲い込んで決して逃しはしなかった。

 「透。 雅人。 よく覚えておくがいい。再び目にすることはないかも知れぬ。
このような奥儀が…再び使われることのないように祈る。」

 修の全身を覆っていた青白い炎が一段と激しくその勢いを増し、修がその目を自分の肉体に向けた瞬間、鋭い炎の触手が三左の檻となった身体を襲った。
 三左を中に封じ込めたまま、青い炎は燃え上がり、断末魔の叫び声を上げる三左とともに修の身体を燃やし尽くした。
やがて、蒸気のように細かい粒子となったすべては跡さえ残さずに消えていった。

 透も雅人もあまりの光景に息をするのさえ忘れていた。
はっと我に返って修を方を見ると修はすでに消えかけていた。

 「待って。修さん。」

 二人は同時に叫んだ。修の方へと走り寄った。

 「逝かないで! お願いだよ。」

 縋るようにして修を引きとめた。
修はいつものように二人に笑顔を見せた。
 
 「大丈夫…心配ないよ…。」

 子どもの頭を撫でるように軽く二人の頭に触れた後ふっと姿を消した。

 修の消えてしまったその場所を二人はぼんやり見つめていた。
大きな喪失感が二人を包んだ。
悲しくてどうしようもないのになぜか涙さえ出てこなかった。





次回へ
 

 



















一番目の夢(第四十二話 生と滅 )

2005-07-01 17:15:36 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 「不思議に…思わないか?」

修の魂が修の姿をした三左に語りかけた。

 「おまえがどんなに暴れてもこの祈祷所は少しも壊されていないだろう?」
 
 三左は思わず辺りを見回した。言われてみれば、あれほどの衝撃を受けても壁板一枚割れていない。長い年月の間に刻まれた傷や汚れはそのままであるのに三左の攻撃による破壊の跡は無い。

 「紫峰の祈祷所は祖霊を祀った神聖な領域だ。
この壁や床板を護っているのは、歴代の宗主が遺していった念の『シールド(楯)』。

 生きている間は己を捨てて宗主の責務を果たし、死に際してなお紫峰とその一族の安寧を願い、子孫の為に守護の力を遺して旅立つ。

 紫峰の宗主とは本来そういうものだ…。徒に覇権を争う類のものではない。

その座を狙うおまえに宗主の重責を担う覚悟があるか?」

 問われて三左は思わず怯んだ。三左が狙うのは宗主が手にする権力と財力。覚悟だの責任だのはどうでもいい。要は追放された自分が紫峰のすべてを手にするという胸の空くような快感を味わいたいのだ。

 「わしを追放した奴に問え!そいつはわしにそんな責任を与えたくなかったんじゃろうよ。
そんなものはどうでもいい!
 わしはこの紫峰の財力と権力を踏み台にして外の世界に打って出る。
この手に巨万の富を掴むのじゃ!」 
 
 意気込む三左の目を修は静かに見つめた。恨みと憎しみと欲望に狂った三左の心。
この救われぬ魂が世にある限り災いの種は尽きない。 

 「おまえはおまえのしたことの責めを負わねばならぬ。」

 『生意気な!』三左は思った。『おまえ如きに殺られてたまるか!』
幼い頃から穏やかで控えめな男だった。何を考えているか分からないようなところは確かにあったものの、三左に対しては礼を尽くし、偉そうな態度は一度も見せたことはなかった。
 ところがどうだ。今やこの男は三左からすべてを奪おうとしている。『虫も殺さぬような顔をしてよくもわしを陥れた。』

 無数の念の砲弾が怒り狂う三左の身体から放たれた。それは惑星に降り注ぐ彗星のように激しく修に襲い掛かった。  

 修は微かに笑みを浮かべると、別段慌てる様子もなく自分に触れるその一瞬にすべてを消し去った。

 矢を槍をと間断なく雨嵐のように攻撃しても、修の魂には掠り傷ひとつ負わせられない。 

 三左は困惑した。生まれて初めてといっていいほどの恐怖を覚えた。
一左、次郎左がいかに強いと言っても所詮、自分を倒せずに追い出した者たちのひとりに過ぎない。紫峰には彼ら以上の力の持ち主などいないはずだった。

 『樹…。』その名が脳裏をよぎり慌てて打ち消した。そんな馬鹿な事があるはずがない。
千年も昔に死んだ男が現代に甦りを果たすなどありえない。
 三左は持てる力のありったけを込めて、透たちに浴びせたよりもはるかに強大なエネルギーの塊を作り出した。

 「ここにあるもののすべてを粉々に砕いてやる。人も。物も。」

 それはつむじ風のように渦を巻き、唸りを上げて修に向かってきた。
 それまで成り行きを見守っていた透たちも笙子たちもその力の凄まじさを肌にびりびりと感じ、互いに身を寄せ合いながら思わず低い態勢をとった。

 修はまるでボールでも受け取るかのように軽く左手を差し出した。
その手に触れるや否やそれまでの勢いを失った塊は霧状になって宙に消えた。

 「それで…仕舞いか?」

修が訊いた。ショックで動けなくなった三左を見据えながら修は透たちに語りかけた。

 「さてと…透。雅人。
 人は死んだら黄泉へ往くとか、冥界へいくとか、いろいろ言われているが…それは魂が存在してこその話。

 おまえたちに伝えておかなければならない最後の相伝は『滅(完全なる死)』、紫峰最強にして最悪の奥儀。できれば使いたくもない代物だが…。
 
 この悪鬼めはこのまま霊界へ送っても、いつまた舞い戻ってこようとも限らぬ。」

 透はなぜか急激に悪寒のようなものを感じた。見ると雅人も震えている。祈祷所の中がまるで冷凍庫にでもなったようで、暗く冷たい空気が充満していた。

 修の横顔からはいつもの温和な笑みが消え、感情も何も持ち合わせていない無表情な仮面と化している。

 修を理想的な父親のように思っている透は信じないだろうが、この霊気は修がもうひとつの本性を現す前兆ではないかと雅人は思った。
 雅人たちが知っている修は限りなく慈愛に満ち溢れた人だが、もうひとりの彼はおそらく三左以上に冷酷な人。長老衆が怖れるのはその両極面のギャップの激しさではないか。
そう考えると雅人はますます背筋が寒くなるのを覚えた。



 笙子はいま賭けに出ていた。もはや、修は止められない。とにかく自分だけでもスタンバイしておかなければ。笙子は静かに自らの子宮に念を込めた。『生』を司る藤宮の奥儀のひとつ。
 長と決められた幼女だけが厳しい修練の中で習得していく。『この相伝のために私は女性であることを義務付けられ、逆に女であることを捨てさせられたようなもんだわ。』
 長く厳しい修練のために、自分のものではなくなってしまったような感覚さえ感じられるその腹部に軽く手をあてた。
 『それでもそのおかげで修を助けることができれば…まあ…それはそれでよしとしなくちゃね。』

 身体が胎児を受け入れる準備を始めると、笙子は黒田に言った。
 
 「時間がないわ。あなたもすぐに合わせられるように心の準備だけはしておいてね。」

黒田は大きく頷いた。

一左の反応はまだない…。





次回へ





一番目の夢(第四十一話 BODYⅡ)

2005-06-29 12:05:31 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 祈祷所の天井近くから修は戦いの様子を見物していた。檻になった自分の身体が三左にいいように操作されても、また笙子や透たちの攻撃によって痛めつけられても、他人事のようでさほどの感慨も沸いてこなかった。

 忙しい仕事や雑事の合間をぬって長期戦を乗り切るために鍛えてきた身体ではあった。だからといって別段執着心があるわけでもなく、『死ぬときにはただの器だな。』と冷めたように呟いた。『まあ、心持細身ではあるけど、わりと頑丈な檻で三左にとってはよかったかもね。』

 修の意志を受けて三左への積極的な攻撃を開始した二人だが、三左相手に苦戦しているというよりは、自分たちの力のコントロールに苦戦を強いられていた。

 「愚か者めら!どこに向かって攻撃している?」

 三左は大笑い。このまま自滅してくれと言わんばかりだ。
逆に容赦なく二人を打ちのめし、片手間に笙子たちにも攻撃を仕掛ける。

 「魂だけ狙うってのも難しいもんだぜ。」

肩で息をしながら雅人が言った。

 「…雅人。逆でいってみないか? 合わせんじゃなくて弾く方…。 なんか前修行にあったみたいな…。」

 「おまえ。それ最初から言え!」

修がまたくすっと笑ったように感じた。

 三左が何やら手の平に念を集中し始めた。うねり飛ぶ塊のような衝撃波とは異なって、鋭い矢のような念の塊を作り出した。

 「さてと。雑魚と遊ぶのも面倒になってきた。一気にあの世へ送ってやろうかの。
切り殺す…刺し殺すどちらがお好みかの?」

 人を蔑んだような厭味な笑いを浮かべ二人荷狙いを定めた。いままでよりもさらに大きな力による念の波動が透にも雅人にもピリピリと感じてとれる。

 「似合わねえし…お爺言葉。」

 「誰が聞いても正体バレバレだぜっつうの。」

 辺りを包む空気を切り裂いて稲妻のような念の矢が二人を襲った。かろうじて喰い止めたものの三左の圧倒的なパワーの前に、二人の身体は祈祷所の壁に叩きつけられた。
二人が起き上がる間もなく次々と矢は放たれる。
矢は攻撃を避けようとする二人の皮膚を切り裂き、身体を貫こうとする。
 
 笙子が間に割って入り、間断なく放たれる矢を叩き落とし、二人が態勢を立て直すのを助けた。

 「馬鹿なこと考えてんじゃないわよ。
 あの身体はすでに三左に支配されているんだから、三左の魂を攻撃すれば、当然、修の身体はボロボロになるの。
 あなたたちが身体への攻撃を避けようとするのは無駄なことよ。」

 笙子としては自分がメインで戦った方がどれほど効率的かとも思うが、黒田と一左を護りながら、そして子どもたちの身体に結界を張りながらでは十分な動きが取れない。
不慣れな二人が戦う様子にはイライラ度も増してくるが、『これも修練のひとつだわ。』と自分に言い聞かせる。

 次郎左は勿論自分の身を護ることぐらいわけないことだ。笙子に護ってもらうまでもない。ただし、後見としてはこの戦いは同時に相伝でもあるため余計な手出しはするまいと考えている。
 
 笙子のおかげで態勢を立て直した二人だが、辛うじて避けてきた三左の攻撃のおかげですでに身体中傷だらけになっていた。

 「情けない姿よの。身の丈六尺を超えるでかい図体をした男が二人もいて、姫君の助けを借りねばならんとは。ほっほっ。」

三左は声を上げて笑い転げた。 
  
 「六尺って…何センチ?」

傷ついた肩を押さえながら雅人が訊いた。

 「1.8メートルってところ…。習ったろ。」
 
透はそう答えて顎の辺りを手で拭った。
 『あれは…修じゃない。』ふと、そんな言葉が透の脳裏をよぎった。
『そう…あれは修さんじゃない。見た目に惑わされるな。』

 「雅人。いくぜ。」

透の言葉に雅人が頷いた。

 笑いの止まらない三左めがけ、二人の身体から二重螺旋を描くように強烈な衝撃波が放たれた。
不意をつかれた三左は反対側の壁板まで吹き飛ばされた。身の丈六尺が紙のように宙を舞った。

 『おやおや。軽々と…。六尺を持て余してない?』修は笑った。 

 思いがけず反撃を受けた三左は先ほどまでの上機嫌はどこへやら、一変して気が狂ったように二人への攻撃を再開した。
 しかし、修の身体へのこだわりを捨てた二人はそれまでとは打って変わって攻撃力を増した。自分たちがダメージを受けるばかりではなく、相手にダメージを与えることも頻繁になってきた。

 三左は焦った。やっと手に入れた修の身体なら最高のパワーが出せるはずだと思った。どこをどう間違っても子ども二人を相手に負けるわけが無い。
 三左は怒りに任せ、下手をすれば自分も消し飛ぶかもしれないほどの力を猛スピードで二人めがけて放出した。

 笙子はとっさに黒田と一左を庇った。次郎左も態勢を低くして衝撃に備えた。

 わずかに受け流したものの完全には避けられず、二人は骨も砕けんばかりに壁板や床に叩きつけられた。身体に受けた衝撃と激しい痛みとで二人は一瞬意識を失った。
混沌とする意識の中で修の声がこだました。『諦めるな…生き抜け。』

 気が付いた時には三左が透のすぐ傍まで来ていた。透は何とか動こうとしたが身体がいうことを利かない。 
 
 「楽にしてやろうの。」 

 その手に稲妻のような念の槍を持ち、透の胸の中央をめがけて振り下ろそうとした。 

 急ぎ笙子がその槍を打ち砕だいた。

 百も承知と言いたげに三左はにやりと笑った。槍は瞬時に元の姿に戻り、笙子の虚を突いてそのまま振り下ろされた。
 透が目を閉じた瞬間、雅人の大きな身体が透に覆いかぶさった。槍は透の心臓を逸れたものの、雅人の肩甲骨から肺を貫き、透の肺までを串刺しにした。

 「ま…雅人。」

 「…。」

 三左は動けなくなった二人を尻目に、笙子が庇う黒田たちの方へと向かった。
笙子が身構え、一左を呼び覚ましていた黒田が振り返った。  

 手始めに笙子めがけて矢を射ろうとした三左は背後に大きな波動の気配を感じてふと振り返った。

 透と雅人の傍らに修の姿があった。修は三左のことなど眼中に無いかのように、二人を串刺しにしている念の槍を消滅させた。

 三左は手にした矢を修に向けて射かけようとした。振り返ることも無く、修は片手でその矢もろとも三左を吹き飛ばした。

 修の手が二人に触れると、瞬く間に傷が癒え、二人は意識を取り戻した。何が起こったのか分からず、二人ともしばらくボーっとしていたが、やがてはっきり修の姿を捉えた。

 「がんばったな。」

そう言って修が微笑んだ。雅人が頭を掻き、透はしょげかえった。

 「ごめん。修さん…僕…。」

 「まあ…こんなもんだ。いまの所は…。」

 三左に勝てるほどの力はいまの二人にはまだ無いという事実。最初から分かりきっていたことだと言わんばかりに修は笑った。

 無視を喰らった三左は屈辱に猛り立った。
不思議な光景が皆の前に展開した。双子のように魂と身体が対峙している。

 悪鬼を宿す身体と祖霊の聖なる力を引き継ぐ魂と。

まるで人間の内面の葛藤を映像化して見ているようだ。

 「まずいわ。黒田さん。早く大伯父さまを起こして!」
 
 「御大!御大!」

黒田は焦った。
このまま一左が蘇らなければ大変なことになる。
『修の命がかかっているんだ。目覚めてくれ!』
祈る気持ちで一左に呼びかけた。




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一番目の夢(第四十話 BODYⅠ)

2005-06-26 16:23:28 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 三左はトグロ捲く蛇のようにぐるぐると祈祷所の中を飛び回った。
新しい身体を求めて透や雅人に襲い掛かり、彼らの身体がすでに入り込めない状態にあることを知ると怒り狂って獣のように咆哮した。

 一左の身体には結界が張られ戻ることもできない。行き場をなくした三左がふと扉の方に目をむけると、この状況でに何を血迷ったか、修の魂が外へと出て行くのが見えた。
三左はこれをチャンスとばかりに修の身体めがけて突進した。

 「いけねぇ。修さんの身体が…。」

雅人が叫んだ。

 「結界を張れ!大至急!」
 
透も大声を上げた。

 急ぎ結界を張ろうとする雅人の力を弾き返し、三左はそのまま魂の抜けたその身体を奪い取った。修の身体に邪悪な魂が宿った。

 しんと静まり返った祈祷所の中に三左の勝ち誇った笑いだけが響いた。

 「やったぞ!とうとうやった!修の身体を手に入れたぞ!」

三左は狂ったように笑った。

 「見ろ!この身体を…若くて美しい…。至高の芸術品だ…。おまえらなど屁のようなものだ!
でかいばかりで優雅さのかけらも無い木偶の坊や女のように華奢なガキとは大違いだ!」

 三左は笑いが止まらなかった。他の身体ならともかくも絶対に手に入るまいと思っていた修の身体がいとも簡単に手に入ったのだ。

 「あいつ。頭来るなあ。ちょっと前まで俺の身体狙ってたくせに。」

雅人が憤慨したように言った。

 「まあまあ。おまえじゃ修さんには絶対適わないってことさ。…って僕もかよ!
僕は体型的にはそんなに変わんないぞ!」

透がむくれた。
どこかで修がくすっと笑ったような気がした。

 途端、二人めがけてうねるような衝撃波が迫ってきた。すんでのところで笙子が楯になり、三左の攻撃を撥ね返した。

 「何してるの!馬鹿なこと言ってないで三左を攻撃するのよ。」

 二人が意識を集中する間もなく三左は立て続けに攻撃してきた。それはまだ目覚めない一左にも、一左を庇う黒田にも、そして次郎左にも容赦なく浴びせられた。笙子は、黒田が一左の回復に専念できるように三左との間に入って戦っていた。

 「わしの正体を知っているおまえたちを皆殺しにしてしまえば、わしは修としてこの紫峰を支配できる。
 紫峰だけではない。これから先は外の世界へも出て行ける。この身体さえあればな。」

 三左のような化け物が外の世界を荒らしまわるようになったら、世の中とんでもないことになる。透も雅人も何とか態勢を立て直したいのだが、力の差があり過ぎて思うようにならない。

 「雅人。あいつ。なんかパワーアップしてねえ?」

間断なく飛んでくる衝撃波を辛うじて避け、弾きしながら透が言った。

 「当然さ。いままで祖父ちゃんの身体だったから無理が利かなかったんだ。
修さんの身体ならパワー全開。何も抑える必要ないし。」

 取り敢えずは攻撃を避けるしかないと雅人は考えた。下手に攻撃して修の身体を破壊するようなことになったら大変だと思った。
 
 二人が不思議だったのは身体を乗っ取られた修の魂が近くにいるはずなのに、何もせずにただ傍観しているということだった。頭を掠めたのは『修はひょっとしてわざと身体を明け渡したのではないか?』という疑問だった。
『何を考えているんだ?修さん。』


 黒田は黒田で四苦八苦していた。三左の攻撃をかわしながら、一左の意識回復を図ろうとするが、まるで植物状態にでもなったように反応がない。
 いままで何度も信号を送ってきたのにそれすら感じられない。

 「次郎左叔父。まさかもうだめなのでは…?」

 さすがの黒田も不安を隠せなかった。何しろ一左は高齢だ。

 「いいや。一左は生きておる。微弱だが俺には命の灯が感じられる。」

 たとえ蘇ったとしてその力を存分に発揮できるような状態かどうか。そのことも黒田にとっては心配の種だった。

 ますます激しさを増す攻撃にふと子どもたちを見れば、案の定、何とか三左の攻撃を避けてはいるものの反撃を躊躇している。
 そのためか笙子は黒田たちを庇う一方で二人を手助けしなければならなかった。笙子の反撃が三左の入っている修の身体をも痛めつけるたびに二人の困惑はさらに大きくなった。

 「透!雅人!真面目に反撃しろ!」
 
黒田は怒鳴った。

 「だって修さんが…!」

 「修さんを殺しちゃうよ!」

二人は悲痛な声を上げた。

 「覚悟の上のことだ。修の意志を無駄にするな!」

 黒田は再び怒鳴った。二人は顔を見合わせた。
『覚悟の上…って。』
透の脳裏にある光景が浮かんだ。それは前修行のときの一番つらい思い出だった。
『もしも私が悪鬼となったら…私の魂を消滅…。』修のあの言葉…。

透の身体が震え出した。

 「雅人…雅人。修さんは死ぬ気だ。」

 「僕たちに…殺せと…?」

雅人も膝がガクガクしてくるのを感じた。
『本気かよ!それでわざと三左に…。自分の身体を檻にしたのか!』
二人に向かって修が微笑みかけたように思えて辺りを見回した。

 一瞬を付いて三左の衝撃波が二人を弾き飛ばした。

 「透!雅人!大丈夫か?」

黒田が駆け寄った。二人はぶつけた痛みに顔を顰めながらも起き上がった。

 「そういうことなら…。」

透が言いながら申し合わせるように雅人を見た。透の表情が険しくなり、その瞳が獲物を狙う獣のように輝いた。

 「やったろうじゃないか!」

雅人が頷いた。大きな身体から子どもっぽさは消し飛んで、いままさに戦わんとする軍神の様を呈している。

 「宗主の責任とやら…を。」

 その言葉に黒田は戸惑った。二人とも修の考えている以上に成長している。
それは親としては喜ぶべきなのだろうが。後は一刻も早く一左に目覚めてもらうより他ない。

 「狙いはあくまで三左の魂のみ!」

 「できるだけ短時間でいくぞ!」

二人は同時にGOサインを出した。





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一番目の夢(第三十九話 本儀式突入)

2005-06-24 17:29:04 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 朝からいい天気に恵まれて来客の足取りも軽く、長老衆を始め主だった顔ぶれが早くからそろっていた。あちらこちらで祝いの言葉が囁かれ、女性陣の晴れ着が本儀式に花を添えていた。

 祈祷所にはいる立会人には、宗主一左、後見次郎左、父親として黒田、そして、長老格としては藤宮の宗主(陰の長)笙子が指定された。岩松と赤澤老人も呼ばれていたのだが、例の夢操りの件があるので、招待を受けて一緒に伴ってきた多喜子や古都江の監視をするため遠慮して席をはずした。その代わり、岩松も赤澤も輝郷や貴彦らとともに祈祷所の外で警備にあたる事になった。

 祈祷所の中扉の前には藤宮の悟と晃が両脇に控え、誰が見ても紫峰家と藤宮家の新たな深い結びつきをはっきり示しているようだった。来客たちは修の結婚話をまことしやかにうわさし合い、勝手にお目出度い気分に浸っていた。

 外でうわさ話に花が咲いている頃、祈祷所の中では厳かに儀式の開始が告げられようとしていた。樹の御霊の祀られた神棚を背に修が座り、その前に二人が並んで座った。左に一左、次郎左、右に笙子、黒田が控えた。

 「樹の御霊に申し上げる。
 この者ら御霊のお力添えによって前修行および儀式のための修練を無事終え、いまここに本儀式を迎える運びとなり申した。
願わくばこの者らに継承の力をお与え下されるようお願い申し上げ奉る。」

 勝手の分からぬ一左に変わって、次郎左が樹の御霊に挨拶をし、相伝の儀式は始まった。

 「宗主一左に対座せよ。」

修のその一言で透と雅人は一左のほうへ向き直った。

 一左ははっと周囲を見回した。孫二人だけではない。次郎左を始め皆が自分に対し、念を集中させていることに気付いたのだ。

 「何だ。どうしようと言うのだ。修。これはどういうことだ?」

 「見苦しいぞ。三左よ。おまえの正体は皆知っておる。」

次郎左が言った。三左が怯んだ。

 「何を言う。わしは一左じゃ。三左は当に死んだ。三十年も昔にの。」

 「その三十年の長きに渡って紫峰を苦しめた悪鬼よ。本物の一左を放して早々に立ち去れ!」

再び次郎左が叫んだ。

 一左を装っていた三左の表情が変貌した。狡猾な本性を現した。

 「なるほどそこまで…の。ならばわしも受けてたとうか。ほっほっ。」

三左は立ち上がった。

 「透。雅人。あの者の身体から三左の魂を引き出せ。」

修の指示が飛んだ。
 透が雅人が次々に三左の波長を捉えようとするが、さすが三左はそれを簡単にかわしていく。
昨日や今日修練を受けた子どもとはレベルが違い過ぎる。二人は焦り出した。
厭味な笑みを浮かべながら馬鹿にしたように透や雅人の念を蹴散らす。 

 修はしばらく二人の様子を見ていたが、初めての実践と強敵に戸惑っている二人の心に呼びかけた。

 『焦ることはない。焦れば本物の一左の方を引っ張り出してしまうぞ。』

 透はそれで我に返った。過去の失敗が蘇ったのだ。慎重に相手を探る。身体中をアンテナのようにして。
 雅人は妨害してくる三左の念に焦点を合わせた。それは必ず三左から発せられたものだからだ。

 二人は同時に、お互いの波長ではないことを確認しながら三左の波長を捉えた。

 「逆に引っ張り出してやる!」

 三左は力を込めた。念と念の綱引き状態になった。蛇と蛙のにらみ合いのようになったが、若い二人はやや劣勢。

 『仕方がないな。』というように修が加勢した。修の加勢はほんの気持ち程度のものだったが、それでも二人にとっては効果抜群だった。

 やがて畑から大根でも抜くように、三左を引っ張り出した。
笙子はすかさず二人の身体に結界を張った。

 一左の身体は崩れるように倒れた。黒田は一左の身体に結界を張るのと同時に、眠れる一左に語りかけた。
『御大。急ぎ目覚められよ。』しかし、三十年近くも眠り続けている一左はなかなか反応しなかった。



 その頃、祈祷所の外ではとんでもないことが起こり始めていた。
何者かが『眠れ』と何人かの招待客に囁いた。姿も形も無い。ただ、『眠れ』とだけ聞こえる。
その声を聞いているうちに彼らは朦朧とし始めた。
 
 異変に気が付いた貴彦たちは警戒を強めた。俄かに辺りが薄闇に包まれたようになり、椅子が飛んだり、変な化け物が現れて人々を追い回したり、暴れだす者が出たり、会場は騒然となった。
夢を利用された者たちが他の者を攻撃し始めたのだ。

 操られていない能力者たちが必死で収拾を図ろうとするが、操られている能力者たちの力が強い上、意識が無く、操っているものの正体も分からない。事態は混乱を極めた。 
 
 「輝郷!会場自体に結界を張って奴の念を弾いたらどうだ?」

一向に止まない攻撃をかわし、防ぎしながら貴彦が叫んだ。

 「無理だ!この念は奴だけのものじゃない。操られる側も同調している。これだけの力に対抗できる者は長老衆の中には居ない。」

耳を劈くような騒ぎの中、輝郷が大声で応えた。

 「長老衆と俺たち、悟、晃を併せてもか?」

 「う~ん。やらんよりはましかも知れんが…。」

輝郷は長老衆を見た。とても声を掛けられる状態じゃない。それぞれの家族に被害者がでていて、抑えるのに四苦八苦している。

 何しろ夢が相手なのであらゆる現象が理論を超えていて、まさに奇奇怪怪な様相を呈している。さすがの能力者たちもお手上げだ。

『扉が破られる前に何とかしなくては…。』貴彦は思わず祈祷所のほうを見た。

 何かぼんやりとと輝くものが小さく見えてきている。やがて外扉の真ん中辺りにうっすらと白い影が浮かび上がってきた。

 次の瞬間それは強烈な光を放ち、辺りを煌々と照らした。皆思わず目を伏せた。夢の産物が次々と消し飛び、操られていた者たちがその場に崩れ落ちた。光る指がそれらを指し示すと、白い雲のような魔獣が辺りを飛び周り、人々を巡って闇を食い散らした。

 「樹の御霊…。」

 貴彦が思わず呟いた。長老衆が恐る恐る目を上げ、その輝く姿を見た。長老衆としても生まれて初めて目にするそれはまさに伝説の人の姿だった。

 「おお…まさに樹の御霊…千年神のご降臨じゃ。」

岩松が叫んだ。長老の言葉に皆その場にひれ伏した。

 「次郎左の言うたとおりであった。」

 岩松と赤澤は顔を見合わせた。かつて、親を亡くした5歳の子どもに全権を委ねたおり、次郎左の警告を尤もとし、決してこの子を怒らすまいとお互いに誓い合った。
以来できる限りは衝突を避けてきたつもりだ。温厚なその子はめったに機嫌を損ねることは無かったが…。

 長老衆は一瞬でこの災いを断ち切ったその力に改めて畏怖を覚えた。
白い人は光に包まれながらしばらく皆の方をじっと見ていたが、次第に吸い込まれるように祈祷所の中に消えていった。

 樹の御霊に救われたとはいえ外がこの有様で、いったい祈祷所の中では何が起こっているのか、長老衆も貴彦たちもつのる不安を隠せなかった。

 
 

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一番目の夢(第三十八話 儀式前夜)

2005-06-23 15:39:28 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 修たちが帰ってしまった後、腑抜けたように黒田はソファの上で仰向けに寝転がっていた。
『修は死ぬ気だ。』そう感じた。
 紫峰を護るために…?いいやそうじゃない。子どもたちだ。あの子たちを護るために決死の覚悟をしたに違いない。二人ともに相伝をと願い出たのはそのためか…。
 
 扉が開く音がして、帰ったはずの笙子が現れた。思いつめた顔をして立っている。

 「どうしたね?」

黒田は驚いて起き上がった。

 「遺言なんてとんでもないわ。私はあの人を死なせやしない。
それには本物の一左の力が必要なの。あなたがどれだけ早く本物の一左を蘇らせることができるかにかかっているの。」

笙子は激しく黒田に詰め寄った。

 「ちゃんと説明してくれないか?まずは掛けて…。」

 笙子は傍の椅子に腰を下ろすと同時に話を始めた。それは本物の一左に修の抜け殻を作らせるという信じ難いものだった。三左を修の身体に閉じ込めた段階で、修の魂はすでに外に出ているはずだから、修の身体を抜け殻と本体に分離させ、抜け殻の中に三左を封印したまま身体を別の所へ移すという。
 
 「そんなことできるとは思えないね。」

 「一左大伯父なら可能だと思うわ。紫峰の中でも特異な力を持つ人だと聞いている。勿論、抜け殻とはいえ修の一部だからダメージを受ければ本体にも影響はあるわ。でも全身を攻撃されるよりは比較的軽いダメージで済む。」
 
 いくら本物の一左であっても、人間をセミや蛇のようには脱皮させられまい。もしもそれができたとして、皮膚の無くなった無防備な修の身体をどこへ移すというのだ。

 「ひとつだけあるわ。ここに…。」

 笙子は自分の腹部をおさえた。黒田は唸った。できるとは思えない。思えないが、もし女性の胎内なら、修の身体を一時的に胎児化させれば安全に保護できるかもしれない。

 「藤宮の陰の長は代々女性が務めている。それは紫峰の相伝が『滅』であるのに対して、藤宮では『生』を表すものだからよ。
 奥儀の中に他人の胎児を自分の胎内で育成するというものがあるの。それは長の子孫を絶やさないための急迫の秘儀で通常はやってはいけないことだけど。」

 「君の身体に負担は無いのか?修はきっとそのことを真っ先に心配するだろう。」

黒田は訊ねた。豊穂が身ごもった時のことがふと頭に浮かんだからだ。

 「身体に負担の無い妊婦なんていないのよ。黒田さん。大切な命がそこにあるから耐えられるだけなの。修の命を護るのに何を躊躇うことがあるの?」

 笙子は婉然と微笑んだ。黒田はその笙子の顔をじっと見つめた。悪いうわさも耳にしていたが、この人の真っ直ぐな気性が誤解を招いただけのことかもしれないと思った。さすがに修が選んだ人だけのことはある。

 「分かった。やってみよう。一左が修を脱皮させたら、俺が胎児に変化させる。君はすぐに修を胎内へ。但し、一時でもタイミングがずれたら…修は終わりだ。」

 



 明日は本儀式という日の夜。
修はいつもどおりにいろいろな手配を済ませた後、普段より早くから子どもたちと一緒にいた。
いつもと変わりなく穏やかに会話を交わし、和やかに笑って過ごした。

 「さてと…。」

夜も更けた頃修は二人に向かってゆっくりと語り始めた。

 「三左を一族から追い出したことが、そもそもの始まりだということは知っているね?

 悪人である三左を追放したのは大祖父さまだ。親として三左を殺めたり、封印したりするのが忍びなくて野放しにしたとも取れるが、実はその頃から紫峰家には三左を押さえ込むだけのチカラの持ち主がいなかったというのが本当の所だ。

 もし、戦いになれば跡取りの子どもたちにまで害が及ぶと考えたのだろう。紫峰家の存続を守り抜くために追放という形に止めた。」

 樹の記憶なのか修は自分の生まれる前からのことをいま見てきたかのように話した。

 「僕の両親も豊穂もかなりチカラのある人たちだったから、宗主の異常さには気が付いていたんだ。それでも正体不明の敵と戦う決心がつかなくてすべてを僕に託した。

 長老衆も全く気にしてなかったというわけじゃない。だから紫峰の重要なことに関しては、幼い頃から僕を子ども扱いすることもなく当主の代理をさせてきた。
 
 それで平穏無事に過ぎていけば、わざわざ蜂の巣をつつくようなことをしないでいいと考えたんだろう。」

 「誰も戦いを望まなかった…と?」

雅人が訊いた。

 「そうだ。その判断がこの三十年近くの間に七人もの命を失わせる結果を招いた。
彼らはまだ若く将来もあったものを…。

 三左は確かに手強い。とても一筋縄でいく相手ではない。戦えばきっと無傷というわけにはいかないだろう。

 宣戦布告した僕の判断が本当に正しいかどうかは分からない。
だけど、このままにしておいたらきっとまた何人もの命が失われていく。」

 「僕は戦うよ。黙って殺されるのは御免だ。」 

雅人は息巻いた。

 「相伝の…。」

それまで黙って聞いていた透が口を開いた。

 「奥儀継承の意味はそこにあるんだね。」

修は微笑んで頷いた。

 「確かに紫峰の奥儀は怖ろしいほど危険なものだ。消滅させてしまえばいいと思うかもしれない。けれども、もし、いまの三左のようなとんでもない敵が現れた場合に、対処する方法が無ければ紫峰は黙って滅ぶしかない。

 だから門外不出の奥儀として代々相伝されてきたんだ。毒にも薬にもなる。要は使い方次第。
つまりこれからはおまえたち次第ということだな。」

 透は背筋に冷たいものを感じた。雅人もこれから背負うことになる荷の重さを痛感した。

 「明日はおまえたちに最後の術の相伝を行うことになる。
そうしたら僕の役目はもう終わったようなものだ。後はお互いに磨き合い助け合っていくんだよ。

 二人ともひとつ約束してくれないか?」

修は真剣な目を二人に向けた。透も雅人も姿勢を正して修の言葉を聞いた。

 「これから先何が起ころうと、おまえたちは信念を持って強く生き抜いていきなさい。
時がおまえたちを呼ぶまでは、決して諦めてはいけない。簡単に死を選んではいけない。」

二人は無言で頷いた。修はいつもの温かい笑みを浮かべ、満足げに二人の顔を見つめた。




 
 林の祠のところでソラと修はぼんやりと月を眺めている。
修がすっきりした表情で微笑んでいるのを、ソラはどちらかといえば痛々しげに思っていた。
修は月を眺めたまま、ソラに向かって言った。

 「なあ。ソラ。おまえは本当にいい奴だよな。
この先、千年後も二千年後もまた巡り逢えたらいいなあ…。」

 『何言ってやがる。』と言おうとして、ソラは口にできなかった。
魔獣の目には青い涙が光っていた。




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一番目の夢(第三十七話 遺言)

2005-06-22 12:14:11 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 「決まったな。とうとう。」

 黒田が書状をひらひらさせながら言った。
輝郷たちとの会合で大まかに決めてあった相伝本儀式の日取りが確定し、紫峰家では長老衆を招集する案内状を送った。

 祈祷所に入るのは紫峰家が指定した立会人のみだが、祈祷所の外を長老衆が固め不測の事態に備える。長老衆はまた、余所者が近付かないように監視する役目も果たす。

 修の時には内密緊急のため誰一人立ち会うことができなかった。しかし、長老衆には相伝を受けた者を見分ける力があると言われている。事実、相伝を受けたことは誰も知らないはずだったにもかかわらず、修は奥儀継承者として認められている。
  
 「透も雅人もまだまだだけど、彼らが一人前になるのを待っていたら犠牲者が増えるだけだし。
まあ実践も修練のひとつだからね。」

 修が相伝に踏み切ることにしたのは、透や雅人の完成度の良し悪しではなく他家へ及ぼす影響によるものが大きかった。はるが名前をあげた多貴子や古都江の他にも夢を利用される能力者が増え、それは紫峰一族に止まらず藤宮にも及んでいた。

 「紫峰一族の長老衆が異変に気付き始めたし、藤宮一族にもすでに警告を出してあるわ。」

 参戦の決意をしてからの笙子の動きは早く、藤宮本家を通じて一族の隅々にまで『相伝を妨害しようとする得体の知れない夢使い』への注意情報を行き渡らせ、主だった能力者たちによる夢の監視を始めさせた。その結果、藤宮への嫌がらせは未然に防げるようになった。
 
 「ただ、ソラの話だと意識的に三左に協力している人もいるらしいの。勿論、相手が三左だとは知らずにだけど。」

 修には思い当たる人たちがいた。岩松の妻多貴子は娘豊穂の子である透を宗主にと望んでいるだろうから、同時に相伝を受けることになった雅人は邪魔な存在だ。 
 古都江は姉咲江の子修を差し置いて、宗主になろうとしている透や雅人が気に喰わないに違いない。
 他にも紫峰と利害関係のある者が、口車に乗せられ、その心の闇をうまく三左に利用されてしまっている。

 「いっそ奴が偽者だってことを知らせてやった方がいいんじゃないか?
自分の正体を知られたって多分白を切りとおして居座るだろうし。ここまできたら状況は変わらんだろう?」

黒田が二人にコーヒーを勧めながらそう訊いた。

 「闇の者は闇へ葬る。僕はそう考えている。やがて戻る本物の一左のためにも誰にも遺恨を残させてはならない。だから、三左のことは僕らだけの胸のうちに止めておきたい。」

 「あんたは本当に俺より十も若いのか?とても信じられんね。」

黒田は肩をすくめコーヒーをすすった。

 「鯖を読むな。十五は離れてる。」

修は笑った。黒田は参ったなというように頭を掻いた。

 笙子は二人を見つめながら何事も無ければ皆こうして和やかに時を過ごせたのにと思った。
失われたものの大きさを思うとやりきれない気持ちでいっぱいになる。これより先にはこんな傷ましいことが起こらないように祈るばかりだ。



 「二人に頼んでおきたいことがある。」
 
 黒田とのやり取りでしばらく楽しげにしていた修が急に深刻な表情を浮かべ、代わる代わる黒田と笙子を見つめた。黒田は襟を立たした。

 「儀式開始と同時に、透と雅人に三左をあの身体から引っ張り出させるよう指示する。
勿論、僕が力を貸してやらなければならないが、二人は結構うまくやるだろう。
三左が二人に入り込まないように笙子は二人の身体に、黒田は一左の身体に結界を張ってくれ。」
 
 分かったというように二人は頷いた。

 「行き場を失った三左は自分が入り込める身体を捜すだろう。下手をすれば他所に逃げ出してしまうかもしれない。そうなっては意味が無い。同じことの繰り返しだ。

 だから奴を僕の身体に入り込ませる。」

 「何だって?」

黒田は驚いて訊き返した。笙子の表情が曇った。笙子には修の言いたいことが分かっていた。

 「奴が僕の中に入ったら奴を閉じ込めておくから、皆で…それこそ総力をあげて僕の中の三左を攻撃しろ。遠慮は無用。 
 必要なら、僕の身体ごと攻撃対象にしてくれて構わない。」

 「馬鹿言ってんじゃないぞ! おまえ死ぬ気か?」

黒田は激しく動揺した。

 「おまえに攻撃を仕掛けるだと? おまえを殺すも同じじゃないか?
そんなことをあの子たちにさせようというのか? できるわけがない。
あの子らにとっておまえがどんなに大事な存在か…おまえは親なんだぞ。」

 「親は…おまえだ。」

修はそう言うと寂しそうな笑みを浮かべた。黒田は言葉に詰まった。

 「俺が…俺がその役目をするよ。その方がおまえも動き安かろ?」

黒田はもつれながら、それでも必死で食い下がった。

 「そんなに心配しないでくれ。そう簡単にはくたばらないって…。

 おまえが言うようにあの子たちは躊躇うだろう。
だから頼んでおきたいんだ。決して迷うな。思いっきりやれと尻を叩いてやってくれないか。

 その結果、最悪僕が死んだとしてもそれは僕の天命だ。後悔するなと伝えてくれ。
黒田…それを伝えるのが親としてのおまえの最初の役目だぜ。

 万一、そうなったら笙子があの子たちを鍛えてくれる。
おまえはちゃんと父親に戻ってあの子たちを支え、独り立ちさせてやって欲しい。」

黒田は頭を抱えた。修の説得にただ頷くばかりだった。

 笙子は何も言わなかった。同じ立場に立たされたら笙子も同じことをするだろう。
だから何も言えない。

 『だけど…修。あなたを死なせやしない。悲しい涙は見たくないから。』 

修からの遺言を受け取った笙子は無言のままにそれを破り捨てた。





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一番目の夢(第三十六話 陰の長出陣)

2005-06-21 11:59:48 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 笙子の治療を受けている間、修はずっと考えていた。

 なぜ三左の呪縛が解けなかったのか…。攻撃を仕掛けたのはまったく別の人物だったのか…。
三左の他にも敵が…?

 いいや…修は確かに三左の呪縛を解いた。だから、ぶつかる直前に車の方向を変えることができた。ならばあの反応の鈍さは…いったい…どうして?

 『夢あやつり…。』修の中で一つの言葉が閃いた。

 三左が誰かの夢を操り、能力者に夢の中で修たちを攻撃させる。無防備な状態のその人は夢を見ているだけなのに知らず知らずに力を使ってしまう。
 修によって三左の呪縛が解けるのと同時にその人が目を覚まし、その人からの攻撃が止む。
ただ、その間微妙にずれが生じる。そのずれが今回の事故を引き起こした。

 相手さえ分かれば直接その人の夢の攻撃を防げばいい。三左にばかり気を取られているからこんな怪我をすることになる。『何たる失態。修。おまえはまぬけだ。』修は自嘲した。

 「修。服着ていいわよ。言っとくけど、黒田さんのように完全な治療はできないからね。
ほとんど応急処置状態。後はあなたの治癒能力次第よ。」

 笙子は笑いながらそれでもほっとしたように言った。
雅人も透もやっと不安から解放された気がした。



 修が何とか動けるようになると、皆で修の身体を支えながら母屋に戻った。
ふらついてはいたが、雅人に肩を貸してもらい何とか自分の足で部屋までたどり着いた。

 『旦那さま。まあ。旦那さま。大変な目にお遭いになって…。』はるが心配そうに声をかけた。
通りすがりに笙子ははるに修のための重湯や飲み物を頼んだ。
 『ああ。お嬢さま。本当になんとお礼を申し上げてよいか。ようございますとも。すぐにご用意いたします。』
はるは急いで台所に走っていった。

 修を寝かせると、枕辺に座った笙子はもう一度軽く修の容態をチェックした。
それから二人の方に向き直った。

 「がんばったわね。二人とも。修のことは私が看ているからもうお休みなさい。
 明日が土曜日でほんとラッキーだったわ。でなきゃ、この人すぐにでも出勤するつもりでしょうから…。
二日休めば何とかなりそうよ。」
 
 透も雅人も修に付き添っていたい気はしたが、お邪魔虫になるのも嫌なので静かに修の部屋を後にした。しかし、あくまで『修』が気になる二人は雅人の部屋で様子を見ることにした。
 雅人はそうしようと思えば、自分の脳がキャッチする画像を透にも見せてやることができる。
口げんかもどこへやら、二人は今興味深々で修の部屋を覗き見ていた。 



 「そうですねえ…。長老衆以外に強いお力をお持ちの方ですか…。」
 笙子に頼まれた修の重湯と飲み物の他に、笙子の夜食を運んできてくれたはるが、二人の質問に首をかしげて考えていた。

 「それは多分、岩松の多貴子さま。豊穂さまのお母さまではございませんでしょうか。
もうお一方…赤澤の古都江さま。修さまの叔母さまでございます。
はるの存じております限りでは…。」

 笙子は修の方を見て頷いた。修もそれに応えた。
 
 「有難う。はるさん。参考になったわ。」

 「どう致しまして。お嬢さま。まあ、お召し物が酷いことに…。申しわけございませんでした。
どうぞお湯などお使い下さいまし。すぐにお着替えをお持ちいたします。」
はるは笙子のために風呂の様子を見に行った。   
 
 笙子は重湯の椀を取り上げると、スプーンで修の口元へ運んでやった。
修はいらないというように首を振った。

 「だめよ。血が足りないんだから。少し何か胃に入れないと。」

 「そのおはるの特製ジュースでいいよ。それに自分で飲める。」

修が起き上がろうとするのを笙子はそっと支えた。
修がその手を取った。

 「ごめんな。また君に迷惑かけてしまった。」

 「謝ってばかりね…。いいってば。でも…。」

笙子の目からはらはらと大粒の涙が落ちた。

 「心配したんだから…。あの子たちには黙ってたけど…その怪我あまりに酷くて…。
うまくいくかどうか…本当に心細かった。」

修は微笑んで笙子の髪を撫でた。しかし、すぐに真顔になった。

 「笙子…もしもの時は…あの子たちを頼むよ。黒田にもよく頼んでおくつもりだ。」

笙子ははっとした。修の考えているある計画が笙子にも見えた。

 「本儀式の時に…?あなたまさか…本気で…。」

修はそれ以上言わせなかった。珍しく自分から笙子の唇をふさいだ。

 「お風呂行ってくる…。」

笙子は呟くように言った。

 「ああ。ゆっくりしといで。」

修はいつものように微笑んだ。




 覗き見の二人は『見ちゃった!決定的瞬間!』と子供のようにはしゃいだ。が、はしゃいでいる場合でないことにすぐ気が付いた。

 笙子が部屋出て間もなく修の容態が一変した。眉が苦痛にゆがみ肩で息をしている。
声を上げそうになるのを必死で堪えているようだ。

 笙子は確かに治療はしたが、攻撃・防御型の笙子の力では完全な治癒は難しい。
折れた骨を接合し、内臓や皮膚の創傷・裂傷を接着しというような過程までは何とかいけるが、壊れた組織を再生し、成長させるとなると修の自己再生能力に頼るしかない。
 
 通常、怪我をすると人の身体は自覚的にはゆっくりと壊れた部分の修復を始める。修たちも例外ではない。ただ、特殊な力によってそのスピードを上げることができるだけだ。
修のようにハイレベルな能力者はより速く効果を上げることができるが、あまり、極端なことをすれば、逆に正常な部分に大きな負担がかかる。

 「大変だ!」

二人ははすぐにでも修の所へ向かおうとした。

 『来るな!』 

修の声が二人の脳に響いた。

 『心配ない…。再生スピードの上げすぎで身体が悲鳴を上げているだけだ。
情けない顔見せたくない。』




 風呂に向かう途中、笙子は一左と廊下ですれ違った。
一左はニヤニヤと意味ありげな笑みを浮かべた。

 「これは藤宮の姫さん。今日は修が世話になったそうじゃな。」

ぞっとするような猫なで声に笙子は嫌悪を感じた。

 「いいえ。どういたしまして。」

 「修も果報者じゃな。綺麗な姫さんが付いておってくれるのじゃから。わしも安心じゃて。」

取ってつけたような褒め言葉にカチンと来た。

 「一左大伯父さまには、かえってご迷惑かと存じますわ。」

笙子もありったけの皮肉を込めて言い返した。

 「何の別段何とも思っとりゃせんよ。」

ほっほっと笑いながら一左はその場を後にした。

 『上等じゃない。その言葉そっくりお返しするわ。』笙子の怒りが爆発した。
防御に徹するのはやめだ。もともとは紫峰の問題だから後手にまわってきたがもはやその必要は無い。存分に戦ってやる。

 修のためでもなく紫峰の子供たちのためでもない。三左を倒すのは藤宮の『陰の長』としての自分の責任だ。紫峰が負ければ三左は必ず彼の正体を知っている藤宮の当主の一族を襲うだろう。そんなことはさせられない。
 
 当主輝郷のみならず次郎左をさえ凌ぐ藤宮最大の力を持つ者。
『修…。もう遠慮は要らないわ。あなたの戦いは、いまこの時から私の戦いになった…。』
笙子は修のいる部屋に向かってそう囁いた。



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