徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

現世太極伝(第二十話 あなたが存在する意味)

2006-02-27 16:52:33 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 「おまえがどのような感覚で私を捉えているのかは分からないが…私はこの男の中に存在しているわけではない…。
この世界のありとあらゆるものが私だ…そう…おまえも私の一部だ。 」

 太極の両極…陰と陽が結合と分裂を繰り返して五行を生み、五行が絡み合ってすべてのものを生み出した…ということは亮の身体もそうして生み出されたものということになる。

 「亮…おまえは…おまえが存在する意味を考えたことがあるか…? 」

 太極は訊ねた。
それは…自分に生きている価値があるかどうか…ということなのだろうか…?
 それならばあの時からずっと…僕をおいて母が出て行った時から…父が帰ってこなくなった時から…胸の中にある。

 「この世のものはすべて対を成して存在する…。 人もまた然りだ…。
単独で存在することは在り得ない。
 
 もし…おまえがいまここでその存在をやめてしまったとすると、おまえと対を成しているもうひとつの何かも…或いは誰かも…同時に滅ぶことになる…。
 逆に向こうが命を絶てば…或いは壊れてしまえば…おまえはすぐにでも否応なしに死ぬことになる。

 この世におまえが存在することの意味は…おまえがこの世界を構成するひとつの要素であると共に、おまえと対をなすものの存在についても責任を負っているということだ。
 しかも…単に一対の存在というだけでなく、要素というものはその他の要素に対しても複雑かつ重要な関わりと繋がりを持っている。
 それ故におまえという要素が消えることによってこの世界に及ぼされる影響には計り知れないものがある。

 たったひとつのちっぽけな要素ではあっても…おまえは今この瞬間のこの世界を構成するためにはなくてはならない大切な存在だということだ。

 おまえの命は決しておまえだけのものではないのだということを胸に刻んでおいて欲しい。

 その上で…。 」

 …と太極は続けた。

 「我々は…我々がこの世界を生み出したその瞬間から発生と消滅を繰り返すこの世のすべてのものを作り上げてきた。
 そのこと自体に然したる理由などはない…おまえの身体が自然に生命を維持するための営みを行っているようなものだ…。

 おまえの身体がどこか故障を起こした時に、おまえが敢えてそうしようと思わなくても身体が修復を行っているように、私の中で何かが起きれば私の生み出したものが私を修復してきた…。

 ところが…最近…最近といっても…人間にとっては百年二百年の単位になるかも知れないが…修復が間に合わないほど存在のバランスが崩れてきている。

 生き物…動物も植物も…の滅ぶ数…自然の破壊される数…以前とは比べものにならないほどだ…。
原因は様々…大気や水の汚染であったり…戦争であったり…。

 先にも話したようにこの世に在るものはすべてこの世界を構成する要素だから、それが失われることによって私の存在までもが危うい状態になってきている。
私が消えるときはこの小宇宙が消えるときでもある…。

 私を修復しているものたちはこの危機的状態を回避するために、修復に必要なエナジーを自ら生み出すだけでなく、原因を作った人間という種から回収することを思いついた。
 生命エナジーがより強いと思われる世界中の若い特殊能力者を集め、その生命エナジーによって陰と陽とのバランスを図ろうとした。

 思いがけぬことに…集めた若者が増えるに従って自然発生的に組織という形態をとるようになり、陰と陽に分かれて反目し合うようになってしまった。 
 陰と陽とはもともと同じもので対立して存在するものではないということが人間には理解できなかったようだ。

 もはや…ありとあらゆる所で我々の意思とは無関係に能力者同士の戦いが起こっている。 
そうした争いがさらに私を破壊する原因となっていくことも知らずに…。

 人間は救い難い…私を修復するものたちは…人間という要素をすべて消した上で新しく別のものを生み出した方がいいのではないかと考え始めている…。」

亮は驚愕した。人間を消す…。そんな馬鹿なこと…。

 「冗談じゃない…。 そんなこと勝手に決められても…。
さっき…きみは言ったじゃないか…存在する意味を胸に刻めと…。
 もし人間だけが消されたとしても対になっているものが人間じゃなければ…それも一緒に消えるんだぞ。
矛盾してるよ…。 」

 絶対納得できない…亮はそう思った。 
太極はじっと亮を見つめた。

 「人間が存続した場合にはその先に必ず失われていくものが発生する。
それを修復するために必要なエナジーを生み出すことと、人間を消して新しいものを生み出した場合に必要なエナジーとを量りにかけた場合…どちらが我々にとってより効率的かという問題だ…。 

 いま…私は迷っている…人間も私の生み出したもの…そして私の一部…簡単に消してしまっていいとは思わない…。
だが…このまま私の中で破壊が進めば人間にとっては結果は同じ…滅びが来る。」

 途方もない話に亮は動揺していた。どうしたらいいんだろう。
そんな話を聞かされても…僕にはどうすることもできない。
 もっと力があれば…洗脳を解いて能力者同士の争いくらいは抑えられるかも知れないけれど…。

 「洗脳…したわけではない。 おまえたちは誤解している。
私の中の陰陽…その中の四象…などが話し伝えたこの世界の現状を…彼らが純粋な心で捉えた結果だ…。

洗脳ではないから…その思いは我々にも解けぬ。 」

 なんてこと…もしかしたら自己暗示か…催眠…。 
う~ん…どちらにしろ僕には解く力はないし…。

太極はふと講義室の外に目を向けた。

 「お迎えが来たようだぞ…。 亮…。 あの男が…すぐ近くまで来ている。
ついでだ…この男も連れて帰ってやってくれ…今日は相当…疲れているようだ…。

 だが…気をつけて行くがいい…。 いまや攻撃は無差別に行われている。 
おまえはさっきあの男を呼ぶために自分の力を使ってしまった。
もう誤魔化しは効かない…。 」

 太極の忠告が終わるや否や…講義室の扉のところに西沢が姿を現した。
西沢は落ち着いた表情でゆっくりとこちらへやって来た。
ノエルを操っている太極の前に進み出ると静かに語りかけた。

 「太極よ…。 
あなたが我々人間を生み出したものであるのなら…あなたの手によって人間を滅ぼすことだけはどうか避けて貰いたい。

 自分が今…親の手によって殺されようとしているなどと疑うこともせず…その瞬間を迎える子の心をどうか察して欲しい…。

 あなたがすべてのものの根源であるのなら…我が子を殺すような哀しい真似だけはしないでくれ…。 」

 太極というものの魂に直接訴えかけるかのように西沢はそう話した。
太極はしばらくじっと西沢を見つめていたが…やがてその気配を消した。

 瞬間…ノエルが力尽きたようにその場に倒れこんだ。
魂がぬけたように崩れ落ちる華奢な身体を慌てて駆け寄った西沢が支えた。
 西沢の腕の中でノエルはうっすらと眼を開け、ぼんやりと自分を抱えている男の顔を見た。

 「誰…? えっ…西沢…西沢…紫苑…? 」

 ええっ…? ノエルは驚いたように飛び起きた。西沢はクスッと笑いながら、そうだよ…と答えた。

 「なんで…どうして…ここに? 木之内…も…? 」

傍にいる亮と西沢を代わる代わる見た。 

 「西沢紫苑は…僕の兄貴なんだ…。 誰も知らないけど…。 」

 亮はちょっと照れたように言った。
西沢がノエルに向かって頷いた。

 「大丈夫…きみ? あまり顔色が良くないね…。 
亮くん…この子の荷物持ってくれる? 駐車場まで僕が負ぶっていくから…。 」

 西沢に促されて亮は自分とノエルの鞄を抱えた。
とんでもない…ノエルは首を横に振った。

 「大丈夫です…。 僕…歩ける…。 鞄も…有難う…。 」

 亮から鞄を受け取るとノエルはわりとしっかりした足取りで歩き始めた。
先を行くノエルの後姿を心配そうに西沢が見つめた。



 講義室に来た時にはまだ陽が射していたがすでにあたりは暗くなりかけていた。
あちらこちらの研究室や部室にはまだ人が残っているようで灯りがついていたが、外には人影がほとんどなかった。

 校門を出て駐車場に入ったあたりで止めてあったワゴン車の陰から突然何者かが飛び出てきてノエルの腕を掴んだ。 
 ノエルはそれを振り払ったが弾みで転んでしまった。
衰えた体力では相手の攻撃をかわすのがやっとなのか地面を転げまわった。 

 「西沢さん? 」

力を使ってもいいか…と亮の顔が訊いていた。

 「やってごらん。 但し…相手にショックを与える程度…大怪我させないように…。」

 頷いて亮はなかなか起き上がれずに居るノエルの方に駆けて行った。
相手は五人ほど…その中でノエルを攻撃しているのは二人だが、残りの三人ほどは逃さないようにしっかりと周りを囲んでいた。
 
 亮が近付く気配を察してか、その三人が亮と西沢の居る方へと向かってきた。
邪魔…!と亮は軽く念の当て身を食らわした。
戦い慣れている三人は亮の攻撃をかわしたがその間に通り抜けられた。

 亮は駆けながら執拗にノエルを攻撃しているひとりを突き倒した。
思わぬところからの攻撃に一瞬怯んだものの、ノエルをそのままにして二人とも亮の方へと向かってきた。
背後からあの三人が迫った。

 西沢は何を思ったか少し距離を置いてその様子を見物していた。
五人に囲まれた亮が衝撃を与えて彼等を動けなくするのをのんびりと見ていた。 
亮は念のロープで身体がしびれて動けなくなった五人を捕縛した。

 「たいした相手じゃなかったけど…こいつらどうしようか? 」

 亮が西沢に声をかけた。西沢は微笑みながらそっと五人に近付いた。
怯えて固くなっているその中のひとりの眼を静かに覗きこむようにして、その額に指を触れた。
 瞬間軽く弾かれたように触れられた相手が仰け反った。
西沢は順次同じ動作を繰り返した。
西沢の指先から相手の脳へと確かに何かの力が働いたように感じられた。

 「…きみたちは…解き放たれた…。 もう…戦う必要はない…。
家へお帰り…いつもの生活に戻りなさい…。 」

 西沢がそう語りかけると…五人は一斉に大きく息を吸い、まるでいま眠りから覚めたように辺りを見回した。
 どうしてここに居るのか…何をしているのか…状況が読めない様子だったが、なぜか腕時計を見て何かを思い出したらしく慌てて帰って行った。

ふっと西沢は笑みを漏らした。

 「習慣は恐ろしいね…。 時計に縛られて生きている現代人の縮図だな…。 」

未だ動けないノエルの身体を抱き上げて西沢は自分の車へと運んだ。

 「我慢してるから…こんな目に遭うんだよ…。動くのも限界だったろうに…。」

真っ青な顔をしているノエルにそう話しかけた。

 「迷惑…かけるの…嫌なんです…。 
僕なんか居ない方がいいと…ずっと思ってたけど…この世界の役に立ってるって感じられたのが嬉しくて…。
誰かに…迷惑かけたら…役に立ったというその思いが…消えちゃう…から…。」

ノエルはなぜかとても哀しそうに言った。

 「ノエル…。 
この世界の構成要素として役立っている自分を喜ぶのもいいけれど…ね。
 きみが生きて存在していることで…誰かに与えられる何かがあるんだってことを喜んだ方が楽しくないか…? 
 僕なんかきみを見ているだけで心楽しいよ…。
きみはとても魅力的だからね…。 」

 心底楽しげに西沢は笑った。
えっ…? ノエルは何を言われたのか分からずに、しばらくきょとんとしていたが…やがてぽっと頬染めた。 

 「亮くん…一先ず家へ戻るよ。 滝川が帰って来てるといいんだが…。
早くこの子の手当てをしてやらなきゃ…。 体力が…ちょっと深刻…。 」

 助手席に座った亮に西沢がそう話しかけた。
後部座席でぐったりしているノエルに心配そうな眼を向けながら亮は頷いた…。






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現世太極伝(第十九話 異変勃発)

2006-02-25 22:05:21 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 その異変は突然起き始めた。
例の組織に洗脳を受けた滝川の一族のひとりが、何者かとの戦いに敗れて精神に失調をきたし、一族の治療師が総掛かりで治療にあたっているとの情報が流れた。
 
 それを皮切りにあちらこちらで同じような事件が発生し、若い世代を抱える一族はみな戦々兢々としていた。
 相手が誰であるか…はその時々でまちまちで、今まで何の争いごともなかった族間の若手同士であったり、顔すらも見た事がないほど関わりのない単独のサイキッカーであったり、最悪のケースとしては血族同士というものもあった。

 こうなるとそれぞれの一族の中枢は、洗脳された子供たちの闘いがそのまま同族同士の内輪揉めや族間の争いに発展してしまうことへの危惧から、これまであまり関わりのなかった一族とも連携するという方策を立て始めた。
ことに同じ地域に拠点を置く一族の族長たちは急ぎ協調・協力関係を結びだした。

 「動くのが遅いのよ…。 まったく長老衆の頭の固さには呆れるわね…。 
もっと早くから実行すべきよ。 こんなふうに犠牲者が出る前にね…。 」

 輝はそう憤慨した。
機嫌の悪い輝に向けて西沢はちょっと微笑んでみせたが何も言わなかった。
 絨毯の上のふにゃふにゃのクッションの感触が気に入ったのか、まるでこどものように抱え込んで弄んでいる。
  
 「まさか…来てくれるとは思わなかったわ…紫苑。 」

 薔薇の紅茶を差し出しながら輝は言った。
クッションから手を離し、西沢は輝の持つカップを受け取った。

 「輝が来ないから…さ。 」

 香りを楽しむように瞬時…眼を閉じた。
西沢の飲むお茶はほとんど輝が選んでいる。好んで飲みたいとは思えないものもあるが文句は言わない。

 「あいつ…まだ居るんでしょ? 」

輝は不愉快そうに滝川の去就を訊ねた。

 「居るよ…ここんとこ治療で駆り出されているけど…。 」

 ああ…と輝は頷いた。恭介も治療師の端くれだったわね…。
あいつが出張るようじゃ滝川一族もよほど治療師が足りないんだわ…。

 「写真は…どうなったの? 」

本当に写真が目的なんだかどうだか…。

 「…撮ってるよ。 どんな写真…撮ってるのかは知らないけど…ね。 」

ふ~ん…それなりにちゃんと仕事はしてるんだ…。

 輝は滝川のにやけた笑い顔を思い浮かべた。
マンションに泊り込むだけならともかく紫苑のベッドを占領する…あの図々しさは何処から来るのかしらね…。

 「紫苑…西沢一族の動きはどうなっているの? 」

一瞬の沈黙の後…西沢は知らないというように首を横に振った。

 「僕のところには…誰も何も言ってこないよ…いつものことだけど…。 
こちらから聞くようなこともないから…何も知らない…。

 恭介が居なければ…僕には何の情報も手に入らない。 
西沢家にとっては…戦力外なんだろう…ね…多分。 」

 戦力外…とんでもないことだわ…と輝はまた憤慨した。
あの一族に紫苑以上の力の持ち主が何人居るって言うの…居やしないじゃない。

 「亮のことだけ護ってやれれば…それでいいんだよ…。 
期待されない方が楽でいいじゃないか…。 」

 西沢は穏やかにそう言った。
輝はそっと西沢の頬に手を触れた。

 「あなたほどの能力者を…除け者にするなんて…。 」

 除け者…? 西沢は噴き出した。可笑しくて堪らないというように身を仰け反らせて笑い転げた。
何がそれほど可笑しいのか分からずに輝はただ唖然として西沢の様子を見ていた。
 
 「違うよ…輝…みんな僕の力が怖いんだ…。
僕を隔離して…できるだけ…力を使わせないようにしているだけさ…。 」

西沢はなおも笑い続けた。

 「紫苑…あなた…ひょっとして心も読める…? 」

 輝の心臓がドクドクと激しく脈打ち始めた。
長い付き合いだが西沢の能力を細かく分析したことはない。
読心ができるとすれば…輝もずっと心を読まれていたということになる。

 「…少しだけね…完全というわけにはいかないな…。
予知以外に僕に使えない能力はあまりない…かな…。 
まあ…得手不得手はあるけれど…。
でも…力なんか全然使えないって振りをしておいた方がいいんだ。

 伯父は僕の力を封印したつもりでいるよ。
でも…封印しているのは僕自身…。 力を最低限に抑えている…。
そうしないと…怒りに駆られた時に…誰か殺してしまいそうだからね…。」

 最低限の力でも…と西沢は輝を見つめながら言った。
輝はいきなり誰かに手足を摑まれたような感覚に囚われた。
抵抗虚しく大の字に寝転がらされ身動きすらできなくなった。
誰も触れていないのにジーンズのファスナーが…。

 「紫苑…馬鹿な真似しないで! 」

輝の怒った声が部屋中に響いた。クスクスと笑いながら西沢は輝を解放した。

 「ね…。 相手がどんな力を持っていようと…無駄…。
別に封印を解かなくても…やろうと思えばその辺の能力者くらい簡単に殺せる…。
何人でも…何百人でも…。 

 でも伯父たちは僕の力を怖れているだけじゃない…。
僕が他の家の人間になることは…その家の権威が増すことでもある。 
それは西沢家にとって…大変に不都合なこと…。 」

 可笑しくて可笑しくて…そんな感じに大笑いしながらも西沢の眼は譬えようのない悲しみに満ちていた。
 ペット…玩具…権力維持のための道具…すべてを知りながら知らぬ振り、気付かぬ振りを続けていくこと…それが西沢の選んだ生き方だった。

 輝や滝川が考えているほど西沢は諦めの気持ちから現状の幽閉生活に甘んじているわけではなく、そうしなければ同族の家同士の諍いを招くと考えた上での選択だった。
 
 「紫苑…そんなのほっておいたらいいんだわ…。 
あなたが犠牲になる必要なんてない…西沢家はあなたを利用して自分たちだけ良い目を見ようとしているだけじゃないの…。 」

輝はやり切れない思いで胸が詰まった。

 「好きなんだよ…伯父も伯母も…怜雄も英武も…僕の家族だもの…。 
僕を育ててくれたんだもの…。 
みんなの愛情だけは…偽物じゃないんだよ。 」

 それだけは…信じていたかった。利用されているとしても…利己的な人たちだとしても…あの破壊された屋敷の中で幼い紫苑を抱きしめて必死で声を掛け続けてくれた伯父の心…命を助けてくれた伯母の心…怜雄と英武の優しさも…。
それだけはすべて本物なのだと…。

輝は大きな溜息をついた…。

 「もう…何も言わない…。
あと…ひとつだけ…言わせてね。 私を抱く時には二度とその力を使わないで…。
紫苑…あなたの身体でお願いするわ…。 」

 えっ…西沢は瞬時固まった。  
輝の唇が怪しい笑みを浮かべた。

 「…了解(ラジャー)…。 」



 二階の端の講義室…そこにノエルが居る…。 
英武はノエルが人間ではないようなことを匂わせていたが千春は兄だという…。
どちらにせよ並外れた力の持ち主には違いない。
しかも…なぜだか分からないが謎の組織に関する情報を豊富に持ち合わせている。

 講義室の陽だまりの中…亮はその姿を探した。
窓から射しこむ光の中に溶け込むような透明な姿がそこにはあった。

 「ノエル…僕を呼んだ? 関わるなと言ってたくせに…千春を差し向けて…。」

 亮は瞑想しているノエルに向かってそう話しかけた。
ノエルは切れ長の美しい目を開いた。

 「…戦いが始まってしまった。 だが…これは…相剋ではない。
予期せぬことだが…我々の誰がそうさせたわけでもないのに集まった人間同士が勝手に争い始めた。
 お互いに正義を振りかざして…相手の力を封じようとしている。
人間の理解し難い振る舞いに…我々の方がかえって戸惑っている…。 」

なぜ…と問わんばかりに亮の眼を覗き込んだ。

 「言ってることが分からないよ…。 説明してくれないか…最初から…。 」

 亮はノエルの居る場所に近付いてノエルに向き合うように腰掛けた。
首のチェーンに指を触れて…これから起こるかも知れない不測の事態に備えて、西沢が異変に気付いてくれるようにと祈った。

 「おまえに話しても理解できるかどうかは…分からないが…。
これほど秩序が保たれない状態では…もはや…黙っている必要もあるまい。 

 先ず…この男の身体を借りて私はおまえと話しているが…元々私にはおまえに見えるような身体は存在しない…。

 夕紀たちに導師だの何だのと呼ばれている者たちも視覚を誤魔化しているだけで本当は人間の眼には見えない存在だ…。 」

自分たちの正体についてノエルはゆっくりと語り始めた。

 「意思を持つエナジー…? 」

亮は思わず西沢が表現した言葉を口にした。  

 「そう思ってもいいかも知れない…。 その方がおまえに分かりやすければ…。
私はすべての根源となる存在…太極と呼ばれている…。
 勿論…この男ような小さな物体ではない…。 おまえたちの言う宇宙そのものだ…。
 だが…私が宇宙のすべてというわけではない。 
おまえたちの住んでいる世界を生み出した小さな宇宙と言っておこう。

なぜなら私もまた大いなる宇宙の中に存在するひとつのものでしかないからだ。」

 俄かには…信じられなかった。
眼の前のノエルの華奢な身体の中にどうやったら宇宙が存在できるというのだ?
小さいと言ったって宇宙は宇宙…地球よりでかいに決まっている。
 あまりにも荒唐無稽な話なので亮の脳が拒絶反応を起こし、まともに話を聞くことさえ遮断しそうなくらいだった。

 だが…ノエルは至って真面目に話し続けた。
さらに理解し難く…どう考えても在り得そうにない話を…。







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現世太極伝(第十八話 封印された紫苑)

2006-02-23 00:52:29 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 薄暗闇の中…左手で額を押さえながら紫苑は身を起こした。
頭の芯がずきずきする…背中も…。
 急に痛みを覚えて口に手をやると手のひらについてきた渇きかけた血が黒々と見えた。
 大きく溜息をついてもう一度額を押さえた。
どうにも頭痛がして…。

 『ごめんね…シオン…ごめんね…。 痛かったよね…。 シオン…ごめんね…。』

頭の中で英武の半泣きの声が木魂した。

 急に部屋の明かりがついて、あたりの惨状をはっきりと映し出した。
大風が吹いたように何もかもが吹っ飛んでいる。
驚いて言葉を失っている滝川の顔が見えた。

 「紫苑…大丈夫か…? 」

 そう訊かれて西沢は黙って頷いた。
滝川は急いで傍に駆け寄ると西沢の顎を手で支え、唇や口の中の切れたところを調べながら手当てしていった。

 「紫苑…すぐにここを出よう…。 おまえにこんなひどいことをするなんて…。
ここを出て僕の家へ来ればいい。 僕が絶対に護ってやるから…。 」

 滝川は紫苑が西沢家の仕打ちに堪え続けていくのも限界だと思った。
西沢は微かに笑みを浮かべながら首を横に振った。

 「ひどいことなんて…されてないよ…。 
はずみで…英武の手が当たっちゃったんだ。 血を見たら英武がパニックを起こして…収拾が付かなくなっただけで…。」
 
 どう見てもそれだけとは思えない。それだけのはずがない。
滝川は西沢の手首に残る暴力の痕を見つめた。

 「いつまで我慢するつもりなんだ…? 
何年も何年も閉じ込められたままで…これは立派な虐待なんだぞ…。 
 ここはおまえをいつまでも鎖で繋いで怜雄や英武の玩具にしておくために西沢家が用意した檻だ。」

違う…!と西沢は叫んだ。

 「伯父はそんなひどい人じゃない。 怜雄も英武も酷いことなんかしない。
いつだって僕に優しいよ。 
ここを出て行かないのは僕の意思なんだ。 だって…置いていけない…。」

何を…?と滝川は訝しげに西沢を見た。 

 「英武は…病気…仕方ないんだ…。 僕のせいなんだ…。
母が僕を殺そうとするところ…母が自殺するところ…英武は見てしまった。
  
 同じ年で僕等は仲が良かったから幼なかった英武は心に大きな衝撃をうけた。
思い出すたびにパニックを起こしてシオンが死んじゃう…シオンが死んじゃうって叫びまくった。

 僕が病院から帰ってくるとそれ以来…僕の傍から離れようとはしなくなった。
少しでも眼を離したら僕が死んでしまうと思い込んでた…。 

 成長に従って少しずつ治まっては来てたんだけれど…まだ時々…。 」

 愛する人の死に対する恐怖…紫苑を失うことへの極度の不安…。
滝川にもその思いはあった。

 二度と埋められない空白と喪失の痛み…さっきまでそこに存在したはずの人がいきなり消えてしまう恐怖…理不尽ににすべてを強奪される口惜しさ…それが死の齎すもの…。

滝川は紫苑に向けられた英武の異常なまでの執着心の正体を知った。

 「英武は確かめたいんだ…ここに僕がちゃんと生きて存在することを…。
怜雄も僕の母の死んだ様を覚えている。
 ふたりとも僕に触れることで安心する…触れるだけだもの…僕にとっては多少煩わしくはあるけれど…もう慣れてしまったし…どうということはない…。
 
 今日はたまたま血を見たから英武…ぶち切れちゃったんだ。
シオン…死なないで…死なないでって…僕を…離さまいとするから…手首が…さ。
ちょっと痛かったけどね…。

でも…虐待なんかじゃない…誤解しないでくれ…。 」

 虐待じゃない…と西沢は言いきったが…滝川はどうにも納得できなった。
仮に英武と怜雄が心の病に罹っていたとして…なんで紫苑が犠牲にならなければいけないんだ…?
 紫苑には何の責任もないじゃないか…。
それを黙って何年も見て見ぬ振りしている養父母…紫苑の優しさをいいことにいつまでも好き放題する義理の兄弟たち…歴とした虐待だぜ…。
滝川はおおいに憤慨した。
 
 

 紫苑に促されて英武を連れ帰ってきた怜雄は、英武がようよう落ち着いてきたことにほっと胸を撫で下ろした。

 怜雄のトラウマは重症ではないから時々紫苑の髪を撫でるくらいのことで不安は解消するが、英武の場合は現場を何もかも見てしまっているだけに自分では抑えられないほどのパニックを起こす。

 普段は何ということもないからちゃんと仕事もして普通に生活しているのに、何かのきっかけで突然ヒステリックに紫苑の姿を求める。
 幸いというべきか、英武の発作は部屋にひとりきりで居る時や家族と過ごしている時に起きるので、ほとんど外部の者には気付かれていない。  

 「怜雄…どうしよう…シオンに怪我させちゃった。 シオン…怒ったかな…?
ひどいことしちゃった…殴るつもりなんてなかったんだ…。
シオンの顔に傷つけちゃった…。 どうしよう…仕事できないよね…。 」

英武は怯えた子供のように震えながら言った。
 
 「大丈夫…紫苑にはちゃんと分かっているよ…。 わざとじゃないって…。
心配ない…恭介がついているから…怪我の手当てくらいはして貰える…。
英武…落ち着くんだよ。 早くいつもの英武に戻らないと…紫苑が悲しむよ。 」

 怜雄にそう宥められて英武は力なく頷いた。
ごめんね…シオン…。

 英武がやっと気を取り直したかしないうちに、廊下をこちらへ向かってくる怒りに満ちた声と足音が聞こえた。 
部屋の扉が開くや否や鬼の形相をした父親祥(しょう)が姿を現した。

 「英武! あれほど紫苑を怒らせるな…泣かせるなと言っておいたのに…。
おまえは私の言いつけを何だと思っているんだ! 」

 いきなり祥に怒鳴りつけられた英武は思わず身を縮めた。
怜雄が間に入った。

 「お父さん…英武は発作を起こしただけです。 怒っても仕方ありませんよ。」

英武を庇おうとする怜雄に祥はさらに怒りを増した。

 「発作だと言うのなら…その場に居合わせた兄のおまえがすぐにでも抑えこむべきではないか? 
こいつが紫苑に手をあげる前になぜ止めなかった?

 おまえたちには事の重大さが分かっているのか?
紫苑を極限に追い込むようなことは絶対にしてはならんのだ!
幼かった英武はともかくおまえまで忘れたわけではあるまいな?  」
 
 怜雄はうっ…と言葉に詰まった。
父親が思うほど鮮明な記憶ではないが…確かにそれは大変な出来事だった。
とても4歳の紫苑が引き起こしたこととは思えないほどの…。


 
 紫苑の首を締めようとしたところを怜雄に見られた絵里は、方法を変えて飴だと偽って紫苑に薬を飲ませようとした。
 泣き出した紫苑の様子に子供ながら不穏なものを感じた怜雄は絵里の手から紫苑を引き離し、飲めない錠剤でどうしようもなくなっている紫苑を助け出した。

 口の中にいっぱいに詰まった錠剤を吐き出させるために怜雄は必死で紫苑の手を引いて母美郷のところへ走った。
 英武はその場に取り残されて絵里が狂ったようにビンの中の錠剤を飲み下すのを見ていた。

 紫苑がお菓子と間違えて薬を口にしてしまったと思った美郷が、紫苑の口に指を突っ込んで薬をかき出し吐かせた後、怜雄に何があったのかを問い質した時には、絵里は既に致死量の薬を飲んでしまった後だった。

 紫苑を連れて絵里の部屋へ戻った頃には絵里の意識はなく、容態の悪化する絵里を見つめながら何が何だか分からずに怖くて震えている英武がそこに居た。
 口の中で溶け出した錠剤の成分が効いたらしく紫苑も絵里の傍で倒れ、英武は紫苑が死んでしまうのではないかという恐怖に襲われた。

 病院へ運ばれたものの結局絵里は助からなかった。
紫苑は病院から帰宅すると絵里の姿を捜したが…見つけたのは動かなくなった冷たい母の姿だった。
 葬式が終わるまでは家中が騒がしく、大勢の人が出入りして紫苑に慰めの言葉をかけていった。
喧騒の中で紫苑はぼんやりと母親を見つめていた。

 何もかも終わってすべてが静寂の中にあり、紫苑がただひとり母の部屋に取り残された時に…それは起った。

 紫苑が突然叫び声をあげた。 
その途端、まるで地震のように大地が震え、屋敷全体が軋みだし、ガラスというガラスが弾けとんだ。
 家中の者が何事かと驚いて揺れる床を転がるようにして紫苑の傍へ駆けつけた。
紫苑がさらに叫ぶともはや立ち上がることすら困難なくらいになった。

 祥がしっかりと紫苑を抱きしめ懸命に声をかけた。
『紫苑…大丈夫だよ。 お養父さんが傍にいてやるから…。 怖くないよ…。 』
紫苑がその声に反応するようになると次第にこの屋敷だけの地震も遠退いた。
『いい子だね…紫苑…大丈夫…大丈夫だよ…。 』

 

 怜雄の記憶に残る凄まじい紫苑の力…。たった4歳の紫苑の…。
あの後…西沢の屋敷は建てかえを余儀なくされた。

 「紫苑の力は出来得る限り封じておかなければならん。 西沢家のためにも…。
今後は何があっても怒らせるな! 絶対に泣かせるな! 

 好きなことをさせて穏やかに過ごさせておけば良いんだ。
紫苑の中にある裁きの一族の血…主流でなくても…ごくごく稀に恐るべき力を持って生まれてくる子供がいる。

 万が一…紫苑がその力を我が一族の長老衆に示した上で木之内家に戻ると言い出せば…木之内家が再び実権を握ることも考えられる。
だが…紫苑はあくまで西沢の子…西沢の後継のひとりだ。
もし…トップに立つようなことがあっても西沢家の主流として立たせるのだ。

 私は…紫苑を我が子と思って育ててきた。 紫苑の父親は私だ。
今更手放すことなどできん。

 おまえたちも肝に銘じておけ。 愚かな行為に走って紫苑の封印を解くな。
怜雄…必ず英武を抑えろ。 英武…おまえも出来得る限り自制しろ…。
紫苑を追い詰めるな! 分かったな! 」

 有無を言わさぬ父親の厳しい態度に怜雄も英武もただ素直に頷くしかなかった。
それが父と西沢一族のためである以上は…。






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現世太極伝(第十七話 ノエルと千春)

2006-02-21 12:13:21 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 有は居間に居た。
ゆったりとソファにもたれかかりながら珍しく洋画を見ていた。
テレビなんて…ニュース以外ほとんど見ない人なのに…。
そう思いながら取り敢えず荷物を置いた。

 「父さん…聞きたいことがあるんだ…。 
それ…見てからでいいけど…。 」

 亮は少し離れたところから有に声を掛けた。 
有は黙ってテレビを消した。

 「父さんも聞いてるかも知れないけど…いま学生や若いサイキッカーが攫われて…洗脳される事件が起きている。
 僕も去年の夏頃から狙われていて…西沢さんが身体を張って護ってくれてる。
父さんが電話をかけてくるまで兄貴だとも名乗らずに庇ってくれてた…ずっと…。
このチェーンはその御守り…。 」

 有は身を起こして亮の首に眼を向けた。
小さく溜息をつきながら再びソファに身を沈めた。

 「紫苑は…俺が16の時に生まれた子供だ。
俺が若すぎて年齢的に結婚もできなくて…引き取ることも許されなくて…絵里の兄に渡すしかなかった。

 卒業して仕事についたら…ふたりを迎えに行こうと決めていたのに…絵里は別の男と恋をして…あげく自殺してしまった。
 ひとり遺された紫苑を引き取ろうと思っても…その頃には紫苑はすっかり西沢家の子になってしまっていて…もう…手を出すこともできなかった。 」

 弁解するわけじゃないが…と有は言った。

 「捨てた…と言われても仕方がない…。 手放したことは事実だからな…。
だが…忘れたことはない。 
 おまえを見るたびに紫苑を思った…。 もう…何年生になったろうか…どのくらい背が伸びただろうか…と。 

 それは…多分…普通なら女親が思うようなことだろうけれど…紫苑にはもういない…。
元気か…飯は食ってるか…(泣くような想いをしていないか…)。
時々電話をした…。
紫苑にとっちゃ他所の小父さんからの電話に過ぎんが…。

 おまえが可愛くないわけじゃなかったが…俺の中には絶えず紫苑を捨ててしまったという罪悪感があって…いつも突き放してしまった。
おまえには…哀しい想いをさせたかもしれん。 」

 有は珍しく殊勝なことを言ったが、亮は素直にその気持ちを受け入れることができなかった。

 哀しいかどうかなんて考える余裕もなかった…とにかく自分で何とかやっていかなきゃって…それだけ…。
家のことも学校のことも全部ひとりで考えなきゃいけなかったんだから…。

口には出せない…そんな想いが浮かんで消えた。

 「夕紀という友だちが洗脳されて…長老の力でも解けなかった。
親友の直行の婚約者なんだ…。
直行は夕紀を助けたい一心であちらこちらの長老に話を聞いて回った。

 その中に…裁きの一族に関する情報と父さんの名前があった。
その一族の宗主なら或いは洗脳を解くことができるのではないかという内容で…父さんならその一族と連絡が取れるかもしれないと…聞かされた。 」

亮が裁きの一族のことを持ち出すと有は一瞬戸惑ったような表情を浮かべた。

 「俺の何代か前に繋がりがあったという話は聞いているが…今はない。
お祖父さんやお祖母さんが生きていた頃なら何か分かったかもしれんが…。
悪いが…連絡は取れない…。 電話番号も所在地も分からんからな…。 」

有はどこか不自然な態度でその話を切り上げようとしていた。 

 「本当は知ってるんだ…? 僕も能力者だもの…嘘言ったって分かるよ。 」

 亮がそう鎌をかけると有は少し黙りこんだ。
ふーっと息を吐きながらそうか…というように頷いた。

 「亮…俺も木之内の束ねだ…。 話せないものは話せない。
その件に関しては…おまえが後継者であることを長老衆を始め一族に宣言してからでなければ…決して口にはできん。
 それが代々受け継がれてきた決まり事なんだ。
木之内だけではない…何処の一族の族長も長老衆も同じことを言うだろう。 」

 木之内の束ね…? 後継者…? 生まれて此の方…有の口からそんな言葉が飛び出してくるのを聞くのは初めてだった。

 亮の胸の内を察したかのように有は木之内家のことを語り始めた。
木之内家と西沢家はわりと近い親戚であること…。
 今は西沢家の方が勢力も財力も上をいっているが、家格としては木之内家の方が上で、古い時代には裁きの一族とも血縁関係にあったこと…。

 核家族化が進んで旧家の体裁は失われてしまったが、木之内の束ねは有であり、その後継としては亮が筆頭ではあるけれども、その他に叔母ミサの子供たちや、叔父稔の子供たちも候補に上がっているということ…。

 「だが…木之内家は…もはや俺たち兄弟三家族しか残っていない。
俺の親父の代の親族が揃って早世だったので…な。
今現在の同族の族長や長老衆はどこかで血は繋がってはいても別の系統だ。

 それに…ミサも稔も族人というよりは普通の家庭人として暮らしている。
だから族姓としての木之内家は俺の代で終えようと考えているんだ…。
おまえを能力者ではなく普通の子供として育てようとしたのはそのためだ…。 」

 それで…僕の能力をやたら否定し続けたのか…。
亮はやっと父親の言動に合点がいった。

 「紫苑が…戻ってきていれば…話は別だったが…な。
紫苑はいまや一族の中心的存在となっている西沢家の血を引き、俺の血を通して木之内家だけでなく…古くは裁きの一族の血をも引く…。
束ねとしてはこれ以上ないほどの有力者になっただろう。 」

 ああ…そう…つまり僕の母親は出自が悪かったってこと…ね。
僕に継がせるくらいなら家を潰しちゃった方がいいってことなんだ…。
別に後なんか継ぎたくないけど…ね。

そう思った途端…何だか僻み根性丸出しで自分が嫌になった。

 何で素直に受け取れないんだろう…。

 有が未だに西沢を忘れていないことに対するやっかみなのか…。
顧みられない自分の惨めさが癪に障るだけなのか…。
 あれほど可愛がってくれている西沢に申し訳けなくて、亮の気分はますます落ち込んだ。



 亮の情報を心待ちにしている直行に、これといった収穫がなかったことを告げるのは何だかひどく気の毒なような気がしたが、亮としてもあれ以上父親に食い下がるわけにもいかず、他の一族の長や長老衆がそうであるように口を閉ざしたままだと伝えるしかなかった。

 直行は残念そうではあったが、取り敢えず、亮の父親が何か知っているということだけは分かって少しは前進を見たと前向きに捉えているようだった。

 全国に…全世界に果たしてどのくらいの人数若いサイキッカーがいるのかは分からないが…直行が直接聞いているだけでも5~6人の若手が姿を消している。
 それがこの地域と近隣の地域だけの情報であることを考えれば、おそらくは日本国内だけでも相当な数の若手が行方不明になった上に洗脳されていることだろう。
 
 その洗脳の内容が妙で…帰ってきた連中は一様に地球環境保護運動の活動家みたいになってしまっている。
 対立するふたつの組織…と思われていたのに洗脳の内容はほとんど同じだ。
それならいっそひとつの組織でよさそうなものなのに…。
大本は同じだと怜雄が言ってはいたけれど…。

地下鉄の入り口の壁にもたれながら亮はぼんやりとそんなことを考えていた。

 「亮くん…! ごめんねぇ。 待たせちゃった? 」

 千春が息を切らしながら駆けて来た。私服登校の千春の高校は同じ地下鉄の駅の近くにある。
 今朝…たまたま駅で会って帰りにお茶しようと約束した。
バイトまでの少しの時間…だから書店の近くのケーキ屋さんで…と千春が言った。 
 ケーキ屋さんの喫茶コーナーは甘い香りに包まれていて、女の客が圧倒的に多くて何だか亮は落ち着かなかった。
 千春はこの店がお気に入りのようで、並んでいるケーキの味についていろいろ教えてくれた。
千春がぽっちゃりなのはここのケーキのせいか…などと失礼なことをつい思った。

 ケーキを食べている時の千春があまりにも満足げで幸せそうなので、見ている亮の気持ちもゆったりしてきた。

 「千春…ほんとおいしそうに食べるなぁ…。 見ていて楽しくなるよ。 」

千春は目をぱちくりさせた。

 「お行儀悪いよね…食い意地はってて…幻滅だよね。
お兄ちゃんにいつも言われる…。 定形外…気をつけないと嫌われるぞ…って。」

お兄ちゃん…?亮は怪訝そうな顔をした。

 「亮くん…知ってると思うよ。 同じ大学だし…変わった名前だから…。 
クリスマスに生まれたからノエルっていうの。 」

亮は愕然とした…。ノエルが…お兄ちゃん…? 千春のお兄ちゃん…?

 「高木ノエル…? えぇっ? お姉ちゃんじゃないの?  」

 言ってしまってから驚くべきところが間違っていることに気付いた。
先ずはノエルが人間だったということに驚くべきだったのに…。 

千春はクスッと笑った。

 「ああ…亮くん…。 女だと思ってたんだぁ…。 お兄ちゃんなんだよ。
あの顔でスリムだからよく女の子と間違えられるけど…こんなに長い間気付かなかった人も珍しいな…。
 ひょっとして…失恋…しちゃった? 」

ごくりと唾を飲み込んで亮は思わず頷いてしまった。

 「ほとんどそんな感じだよ。 綺麗な女の子だとばかり…。
ショック…。 滝川先生の気持ちが分かる気がする…。 」

千春が思いっきり複雑な表情を浮かべた。

 「亮くん…今…千春とデート中なんだからね! 」

 千春はちょっと唇を尖らせて言った。
今度は亮の方がクスクスッと笑った。

 「千春…可愛いよ。 デートに誘うなら千春がいい。 なんか温かいもん。 」

 言うか…そこまで…。言ってしまってから赤面した。
千春も赤くなった。
何も話せなくなってずっと俯いていた。






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現世太極伝(第十六話 気の滅入る話)

2006-02-19 16:38:54 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 相変わらず出席だけは満点の化学の講義を聴きながら亮はチラッと斜め前の席の高木ノエルの方を見た。
 ちゃんと講義を聴いてノートを取っている。
人間じゃないのなら…学生じゃないのなら…そんな必要ないじゃないか…?
どう見ても…どう考えても…ノエルがそんな御大層な存在であるとは思えない。

 終了の合図と共に学生たちが我先にと講義室を出て行ってしまうと講義室は急に静かになった。

 亮は窓の外を見た。今日は良く晴れている。あの講義室に陽だまりができる。
二階の端の講義室…。
ノエルは必ずそこに居ると…亮はなぜか確信していた。

 「亮くん…話があるんだ…。 」

 直行があたりを憚るように見回しながら部室に来て欲しいと言った。
亮はノエルの存在を確認することを諦めて、直行の後について行った。



 夕紀が滅多に同好会に参加しなくなって女性会員が清水ひとりになると、やはり男ばかりの部室では居場所がないらしく清水も滅多に来なくなってしまった。
 それでも他の連中は何かにつけて部室に入り浸ってはいたが、今日は誰の姿も無かった。

 直行が黙ってテーブルの上に置いた手帳…。促されるままに開いて見ると、長老衆から聞き出した話がぎっしりと記録されている。
よくぞこれだけ調べたと感心するほどに…。

 「輝さんから聞いていると思うけど、僕はこの冬、島田を初め宮原の長老たちを巡って話を聞いてきた。
 それだけじゃない。
他の地域の有力な一族の長老衆を訪ね回ったりもした。

 だけど何処の誰に訊ねてみても、大戦からこっち、名のある一族はみんな鳴りを潜めていて、宗教関係を除いては特殊能力者同士の勢力争いや組織対立は起こっていない。
 勿論、ちょっとした小競り合いやお家騒動みたいなものはあるらしいが、能力者の間で大きく取り沙汰されるような族間の闘争はほとんど見受けられない。

 だから…おそらく夕紀を誑かした組織は能力者の関係する組織じゃない。
僕の聞いたところでは、どの一族もすでに何人かの若手や学生を洗脳されている。
まだ洗脳されていない同族の子供たちをどう護るかの対策に苦慮していた。
何しろ相手の正体が掴めないんだから…。 」

 直行はそこで大きく息をついた。 
話を聞きながら亮は手帳の記録を読んでいたが手帳に記載されているひとつの名前に眼を留めた。

 木之内…有…。

 それは亮の父親の名前。亮の父親が西沢と同族だという話は以前西沢に聞いた。
亮にはいつも…超能力など存在しない…そんなことを言っていると病院送りになるぞ…という態度で接してきたくせに実際には父親自身もその血を受け継いでいる。

 「その人はね…僕に言わせれば…重要な鍵となる人物なんだ。 」

直行の言葉に亮は目を見張った。まさか…親父が…?

 「ずっと昔に…能力者の裁定人として存在した一族があったんだけれど、時代の流れでその所在が分からなくなってしまった。
 今でも存在することは確かで…古い家系の族長や最長老級の能力者だけがその居場所を知っている。

 その一族の宗主なら…夕紀たちのマインドコントロールを解くことができるかもしれないと聞いたんだ。

 きみは知らないだろうけれど…木之内家は西沢家と同族であるとともに…裁きの一族とは遠縁にあたる。
 少し前の時代のことだから今となってはそれほどの付き合いはないだろうけれど連絡先くらいは分かるかもしれない。

 きみが嫌でなければ…お父さんに訊いてみて欲しいんだ。
勿論…お父さんが何も知らない可能性もあるから…期待はしていないけど…。 」

 直行は藁にでも縋りたい気持ちなんだろう…。それは分かるけれど…。
父親との関係が上手くいっていない亮としては口をきくのさえ億劫だった。

 それに…何か知っていることがあったとしても親父が僕に話すかどうか…?
それも甚だ疑問だった。

 「話してはみるけどさ…。 親父…多分何も言わないぜ…。 
眼の前で見たはずの僕の力のことでさえずっと否定し続けてきたやつだから…。」

 それでもいい…と直行は言った。
直行にこれほど真剣な眼差しを向けられると…親父が家に戻ってきたら聞いておくよ…とでも答えるしかなかった。



 マンションの玄関先で亮は戻ってきた滝川にばったり出会った。
ケースやら何やら抱えているものが重そうでつい運ぶのを手伝ってしまった。
 
 「滝川先生…どこへお出かけだったんですか? 」

亮がそう訊くと滝川は苦笑した。

 「やだな…僕のスタジオだよ…仕事に決まってるだろ…。 
いくら僕でも四六時中紫苑だけに張り付いているほど暇じゃないぜ…。
他にもやらなきゃならない仕事がいっぱいあるんだよ。

 それに今日は紫苑も仕事で出てるしさ。
ここに居ても意味ないだろ…仕事の邪魔はするなって言われてるし…な。 

 亮くんこそえらく早いお帰りじゃないか…? バイトは…? 」

滝川が亮に訊き返した。

 「今日は夜番なんで7時からです。 西沢さんに買い物頼まれてたから…。 」

 亮は買ってきた物を冷蔵庫や棚に収めながら答えた。
滝川は時計を見た。

 「4時過ぎか…まだまだだな。 何か作ってやるよ。 食っといた方がいい。」

 そう言うと亮が驚くほど手早く具を刻んで、あっという間に炒飯をこしらえた。
西沢もいろいろと料理を作るが、まさか滝川が台所に立つとは思っていなかった。

向かい合って食べ始めた時、滝川の手に指輪があることに亮は初めて気付いた。

 「先生…結婚してたんですか? 」

亮があまりにも意外そうな顔をしたので滝川はまた苦笑した。

 「してた…よ。 たった二ヶ月…。 かみさんはすぐに死んじゃったけどな。」

悪いことを訊いた…と亮は思った。次の言葉が出なかった。

 「何年も前のことだよ。 修行時代の僕をずっと支えててくれた人だった。
優しくて綺麗で…逞しい人だったけど…病気には勝てなかったね。

 もうだめだって分かって…紫苑に立ち会ってもらって式を挙げた…。
葬式にも家族の他は…紫苑だけに来てもらった。
かみさん…和と紫苑は元モデル仲間でさ…結構気があってた。 」

 黙り込んでしまった亮の気持ちを察したのか滝川は笑顔のまま話し始めた。

 「僕が結婚してたことも…和が死んだことも…紫苑しか知らないんだ。
まだ…金も名前もない頃だったから…僕は和に何にもしてやれなくてさ…。
 ずっと働いて支えてきてくれたのに…僕にできたことといえば時々こうやって飯を作ってやることくらい…で。 」

 顔は笑ってはいるけれども滝川は寂しげだった。
ブラックジョークが服を着て立っているような男に見えた滝川にも背負っているものがあるんだ…と思うと亮は何だか切なかった。

 「…先生は西沢さんのことが好きなんだと思ってた…。 」

亮がぽつり呟いた。

 「好きさ…食べちゃいたいね…。 あいつ可愛いだろ。
僕がどうしようもなく寂しい時に和の代わりに傍にいてくれたりするんだ…。
和の代わりだなんて…僕も随分な男さ…。 紫苑は…紫苑なのに…。 」

 自嘲するかのように滝川は鼻先で笑った。
少しむっとしたように亮が唇を尖らせた。

 「変なことしてないでしょうね? 僕の兄貴に…。 」

滝川がいつものにやけた表情を浮かべた。

 「してないよぉ…殺されちゃうぜ。
抱き寄せて…ちょっとキスして…たいがいそこで反撃を食らう。
何しろ紫苑は僕より強い…あんな綺麗な顔をして喧嘩じゃ負けたことがない。

 モデルなんかやってるとさ…中高校生くらいだと生意気だってんで先輩や同級生に眼を付けられるわけよ。
 紫苑も普段辛抱しているから…その反動もあって喧嘩となれば大暴れする。
モデルの癖に青あざなんか作ってプロ意識には欠けるけどな…。

 お養母さんによく叱られてたぜ…。
紫苑…紫苑…乱暴なことはいけません…あなたは…レディなのよ…。
…笑っちゃうね。 」

 滝川は輝と同じような眼で紫苑を見ている…と亮は感じた。
紫苑は西沢家のペットだと輝が言っていたが、滝川もそんなふうに思っているに違いない。

 「西沢さん…本当にそんな窮屈な生活を強いられているんですか? 
僕には幸せだって言っていたのに…。 」

亮が不安げに訊ねた。

 「そうだよ…紫苑は籠の鳥さ…。 いや…下手したらもっと悪いかもしれない。
以前はお養母さんの着せ替え人形だったけど…いまやみんなの玩具だね。 」

亮に心配そうな顔を向けられて滝川はちょっと真面目な口調に戻った。

 「輝さんも同じようなことを言っていた…。 」

 紫苑は決して亮には本当のことを言わないだろう…と滝川は思った。
亮には幸せな紫苑をイメージさせておきたいに違いない。

 「亮くん…気が付かなかった? 英武を見ていて…さ。
あいつ…本気で妬いてるんだ…僕と紫苑のこと。 
あんまりあからさまに僕を攻撃すると紫苑に嫌われるから冗談めかしてるけど…。

 もともと僕は怜雄の級友で子供の時から西沢の家にはよく出入りしていた。
怜雄も英武も昔から異常なほど紫苑を可愛がっていて絶対に眼を離さないんだ。
何かと言えば紫苑…紫苑ってね…子供心に不思議だった。

僕にも兄弟はいるけど…あそこまでべたついた関係にはならない。 」

 亮は英武や怜雄の笑顔を思い浮かべた。
ふたりとも紫苑のことをいつも心にかけていて護ってくれようとしている…。
すごく仲の良い兄弟だ…くらいにしか感じなかったけど…。

 「紫苑は僕等だけのもの…そんなふうに考えているんだよ。
英武は明るくて気の良いやつだけど…こと紫苑への執着心は常軌を逸している。
 怜雄はそれほどじゃないが…やっぱり普通じゃないよ。
何処へ行くにも、何をするにも、誰と付き合うってことまで干渉してるんだ…。

 常時…監視されているようなもので鬱陶しいに違いないのに紫苑はただ笑って許している。
 諦めてしまって…もう…逃げ出そうともしない。
輝も…僕も…それが歯痒くって仕方がない…。 」

 滝川はふうっと溜息をついた。
何か重たいものが亮の頭上からずっしりと圧し掛かってくるような気がした。
輝さんの思い過ごしだとばかり…。

 滝川に炒飯の礼を言ってバイトに出てからも重い気持ちを拭い去ることはできなかった。
 優しい家族に囲まれた温かい家庭で、裕福に自由気儘に暮らしてきたとばかり思っていた兄…紫苑。
亮に微笑みかけるその表情からは不幸のかけらひとつ見出せないのに…。

 閉店までの時間をどのように過ごしたのか思い出せないほど、亮の意識は輝と滝川のしてくれた紫苑の話に囚われていた。
 ちゃんと仕事はしてたんだろうけれど…帰り際に店長から今日はなんだか元気ないねえ…と言われた。

 重い足を引き摺って…今夜は早く寝てしまおうと思いながら帰ってくると…門灯が煌々とあたりを照らしていた。

 こんな気の滅入る夜に限って親父が居る…。
さらに気が重くなった。 直行に頼まれたことを聞いてやらなきゃ…。
嫌々開けた玄関の内側に向かって…ただいま…と形だけは呟いた。





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現世太極伝(第十五話  こ・ろ・す)

2006-02-17 22:44:07 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 頭の芯の痛くなるような話を聞かされていい加減疲れてきた。
前々から思っていたことだが…紫苑と怜雄の脳はきっとどこか異次元空間にでも浮かんでいるに違いない…。
英武は頬杖をつきながらそう考えた。 

 キッチンからコーヒーの香りが漂ってくる。
同じように頭が飽和状態に陥った滝川が休憩と称してお茶を淹れに行っている。

 輝は既に放心状態…島田一族の若手を護るのが務めだが…姿の見えない未知のものを相手にどう戦ったらいいのか…。
上の連中に相談してみるのもいいが、おそらくそんな経験は誰にもないだろう。

 「輝さん…今年に入ってから直行と連絡が取れないんです。  
年末まではメールがきてたんですけど…何かご存知ですか…? 」

亮に声を掛けられて輝はようやく我に返った。

 「直行…ああ…あの子なら大丈夫…心配ない。 
夕紀から少し距離を置いて…島田と宮原の長老巡りをやってるわ…。
夕紀のマインドコントロールを解くための方法を模索中みたいね。 」

なかなか難しいでしょうけど…と輝は肩を竦めた。

 輝の話を聞いて亮は少しほっとした。
年末に受けたメールでは何とか夕紀の眼を覚まさせる手段を探すと言っていたが、年明けからメールが途絶え、こちらから送っても返信がないので心配していた。
きっと必死なんだろうな…と亮は思った。

 それにしても…関わるなと言っていたはずのノエルが…わざわざ千春を僕に近づけようとしたのはなぜなんだろう…?

 千春がそんなに危険な人物ではなかったことには胸を撫で下ろした亮だったが、その背後についているのが、あの高木ノエルだということには少なからずショックを受けた。
 英武の言っていたことをそのまま受け取ればノエルは人間ではないことになる。
どう見ても人間なのに…。

 高木ノエル…最初はまあまあ綺麗な女の子…と思った。
声を聞いて男の子だったのか…と思い直した。
 身体を見たわけじゃないからどっちが正しいのか未だに分からないが…それさえ分からないままに…今度は人間ではないなどと…そうは思いたくなかった。
 
 「美味しい…。 」

 輝が思わず口に出して言った。滝川がちょっと誇らしげに微笑んだ。
ほんと…人は見かけによらないものだわ…こんな特技があったなんてね…胸の内で輝がそう呟いた。
 ひと口飲んでみんな一様にほっとした表情を浮かべた。
普段はみんなに敬遠されている滝川の淹れたコーヒーがくたびれたみんなの脳を潤した…。



 「輝は…泊まっていかなかったな…。 」

滝川が呟くように言った。

 天井の方を向いたまま西沢はふっと笑った。
時々会いには来るが…輝がこのマンションに泊まっていくことなど滅多にない…。
ここが嫌いなんだ…僕を閉じ込めている鳥籠が…。

 それに今日は…当然のように僕のベッドを占領しているやつが居て…とてもじゃないが…その気になれないだろうさ…。

 「そんじゃ…代わりに僕がしてやろうか? 」

ニタニタ笑いながら滝川が手を伸ばす。

 「殺すぞ! 」

 その手を払い除けて西沢が怒った。
まったく…何処まで本気なんだか…冗談なんだか…ふざけた野郎だ…。
油断しちゃだめだよ…と英武の声がする。   

 クックッと押し殺したような笑い声がする。
この男にとっては西沢をからかうことが何より面白いらしい。
 酷く怒らせて自分が痛い目に遭ったとしてもそれはそれで愉快だという…。
懲りるほど痛い目に遭わせたことはまだ一度もないが…。
 
 女誑しと噂されているが噂に過ぎないことを西沢は知っている。
その噂は…滝川が自ら流したもの…。
 大切な人を亡くしたその時から…滝川は女を寄せ付けないようにしている。 
滝川の心の奥深くに封印された悲しみを西沢以外の誰も知らない。

 儚く消えた命をふと思い出し、耐え切れぬほどの孤独に苛まれる時、滝川が一瞬の温もりを求めて西沢に触れることを西沢は拒んだりはしない。
 逆に西沢がどうしようもなく身の内から込み上げてくる理由の分からない怒りを抑えることができなくなる時、滝川がその捌け口になってくれることもある。

 これまでの長い年月…そうやってお互いに持ちつ持たれつの関係を続けてきた。
時に反発し合い、衝突を繰り返しながらも…お互いに胸の内を隠す必要もなく曝け出せる唯一の友として…。

 「亮くんは…もう眠ったかな…? 」

 少し離れた部屋で寝ている亮のことを思い出したように滝川は言った。
お開きになったのが夜半過ぎだったので西沢が泊まっていくように勧めた。
いくら男の子でも未成年だからな…夜中にうろうろさせちゃまた親父に怒られる。西沢は亮にそう言った。

 「さあ…同級生のことで多少興奮していたからな…。 起きてるかも…な…。
夜這いかけるなよ。 亮に手を出したら本当に殺すからな…。 」

睨みつけるように滝川の顔を見た。
 
 「夜這い…古いねぇ…ってかけるわけねえだろ! 坊やに興味はないよ…。
目の前にこんな美味しい餌があるってのに…さ。 」

 餌…ねぇ…もう少しましな言い方をしろよ…癇に障るんだよ…。 
身を寄せてきた滝川の甘ったるい囁き声に西沢のイライラ度が増していく。
 首に唇の感触…いつものことなのに…腹が立つ。
滝川はそれ以上のことを求めたりはしない…それは分かっている…でも…。

 「こ・ろ・す 」

 西沢は急に跳ね起きると滝川の身体の上に跨るようにして覆い被さり、滝川の首を両手で絞め始めた。

 「恭介…僕は玩具じゃないんだよ…。 いつもいつも勝手に触んじゃない!
僕は…おまえの愛した和ちゃんじゃない。 
おまえが僕に触れてどう感じていようと…和ちゃんとは違うんだ…。 」

滝川は一瞬驚いたように眼を見開き、やがて哀しそうに目を閉じた。

 「そのまま…絞め殺して…和のところへ送ってくれよ…。
和に逢いたい…逢いたいよ…。 」

切ない言葉が西沢の手を叩いた。絞めていた手が力なく滝川の首から離れた。

 「人は…生きなきゃいけないんだよ…恭介…。 命の火が尽きるまで…。
それが人に与えられた使命だよ…。 」

 滝川に向かって話してはいるようだが、本当は自分自身に言い聞かせているだけなのかもしれないと西沢は思った。

 西沢はそっと滝川の上に身を沈めた。
滝川はそれを抱きとめた。

 「好きなように…していいよ…恭介。 僕は平気…。
でも…忘れないで…どう愛されようと僕は和ちゃんにはなれない…。
和ちゃんは女で…僕は男だからね…。 」

 滝川の唇が心なしか震えた。
いつもそうだ…最後にはそうやって…自分を犠牲にしようとする…。
 なぜ…絶対に嫌だ…と言わない…? 
僕の相手なんて…本当は嫌に決まってるくせに…。

 お互いにやり切れない想いを抱いたまま屈折した心をぶつけ合って…不毛と知りながらその場限りに癒し合って…それでどうなる…?

 僕はいいが…傷付くのはおまえの心じゃないか…?
僕が心底求めているのは和で…おまえじゃないってことを知りながら…それでもくれるって言うのかよ…。

 「もう…いいよ…。 有難う…紫苑…。 ご免な…嫌な思いさせてさ…。
僕のせいで…おまえまで輝から変態呼ばわりされちゃ気の毒だからな…。   

 輝…疑ってんだろ…僕とのこと…? 輝に本当のことを言ってやるよ…。 
和のこと…正直に話せば…分かってくれるだろうさ…。 」

 大きな溜息が滝川の唇から漏れた。
優し過ぎるんだよ…おまえは…。
 だからいつまでたっても、西沢家の可愛いペット…家族みんなの大事な玩具から脱却できないんだぜ…。
 
 鳥籠の紫苑…飛び出せない鳥…。
優し過ぎて人を傷つけるのを懼れるあまり言いたいことも言わずにいる…。
 自虐的なほど家族や友だちに対する犠牲的精神に取り付かれている紫苑…。
滝川もまた輝と同様に歯痒さを感じていた。





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現世太極伝(第十四話 把握し難い存在)

2006-02-15 16:56:23 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 「で…なんであんたがここに居るのよ? 」

輝はあからさまに不愉快そうな眼で滝川を睨んだ。

 重い買い物袋を両手にぶら下げて西沢の部屋に来てみれば、我が物顔で部屋中を闊歩する変態男…輝に言わせればだが…が居る。
 この男のことがどうでも気に入らない…と言うわけじゃないが、どこか薄気味が悪くて好きとも言えない。
西沢と同じで長い付き合いだが、遠慮がなくなった分だけ思いは態度に出る。

 相手のことを下着の中まで知り尽くしていているような…あの馴れ馴れしさが気に障るの…と輝はよく紫苑に愚痴った。

 「仕事だよ…。 そう嫌うなって…。 」

滝川は輝の露骨な態度を気にも留めずカラカラと笑った。

 輝のすぐ後から英武が到着した。
英武が来ると西沢のマンションは途端に騒がしくなる。
口数の少ない怜雄とは対照的に英武は口から生まれたと言われているほど話好き。

 「亮くん…まだ店に居たよ。 もうじき上がりだって言ってたけど…。 
怜雄はまだ仕事中…後から来る…。 亮くんと同じくらいじゃないかなぁ…。
…で…何でおまえが居るんだ…?」

 そう言いながら西沢にべったり張り付いている滝川を睨んだ。
撮影のために泊り込んでいるとは聞いていたが…。 

 「英武…いい加減に忘れろよ。 紫苑にラブレター出したのは僕が高校生の時だぜ…。
紫苑がまだ女の子の服着せられてた頃だろ。 めちゃ可愛かったけどさぁ…。 」

 忘れてないのはどっちだ…と西沢は思った。
睨み合っているふたりをほっておいて西沢と輝は夕飯の仕度を始めた。
 
 
 
 キッチンから夕食の片付けを終えた英武と怜雄が居間の方に出てくると、亮は千春に貰ったお土産のトレーナーをみんなの前に出した。

 個人的な思惑はともかく、それぞれ異なった力を持つサイキッカーが亮に接触してきた千春の背景を探ることになった。

 温泉で亮と西沢の記憶から少しだけ千春の情報を読み取った英武が先ず、問題のトレーナーに触れた。 

 「千春ちゃんは…普通の家庭の子だ…。 
高校二年生で…わりと力のあるサイキッカーだけど…他に力を及ぼすというよりは霊媒体質…霊能者だね…我々とはちょっと向きが違うな…。

 千春ちゃん自身の力で亮くんを如何こうするということは…先ずない。
ただ…千春ちゃんの背後には…不可思議なエナジーを持つ者がいる…。

 ノエル…って言う名前に覚えがあるかな…?
千春ちゃんはその名を使っているもの…本名じゃないだろうけど…の使徒だね。」

そこまで読み取って英武は亮の方を見た。

 ノエル…ノエルだって? 亮は驚きのあまり言葉を失った。
信じられない…あのノエルが何かの大元になっている存在だというのか…? 
 そりゃあ…僕等の知らない情報をいっぱい持っているようだったけれど…どちらの組織にも加担しているようには思えなかった…。 

 次に輝が触れた。輝は自分の作ったブレスレットを追った。

 「英武の言うとおり…ごくごく普通の女子高校生…。
性格は穏やかで優しい子だわ…。

 千春ちゃんのボスはどちらの組織とも距離を置いているようだけれど…完全に独立した存在ではないみたいね。
 不思議なことに対立しているように思えるふたつの組織もどこかで同じものを…繋がるものを持っているようなの。 」

輝にもそれ以上詳しくは分からなかった。

怜雄は敢えてトレーナーには触れなかった。

 「独立どころか…三つの存在に見えてはいても根源はひとつだ。
時によって姿を変えるだけのこと…。
 我々には別のもののように感じられるが、実際にはひとつのものが状態を変えているに過ぎない。
 
 そうだな…簡単に言うとコロイド溶液の中でコロイド粒子がゾル状になったり、ゲル状になったりするようなものだ…。 」

 その説明でみんなの顔が引きつった。
簡単に…ね…。 分かるような…分からんような…分からん。

 「あ…コロイド溶液というのはだな…液体中に細かい粒子が分散した形で浮遊して存在している状態のもので…つまり沈殿することなく…ぷかぷかと液中に漂っている状態な訳だ…。 
 このコロイド粒子の流動性が…例えば熱を加えることによって失われると…」

 怜雄が溶液の説明を始めた。
このままだと話が別の方向へ行きそうな気配だ。

 「水に溶けた寒天だよ。 そう思ったらいいさ。 なっ? 怜雄。 」

紫苑が身近な例をあげると怜雄はそうそう…と嬉しそうに頷いた。

 「要するに…液体だったり…固体だったりすると言いたいわけだな…? 
つまり形態の変化によって同じものが別のものに変化したように見えると…。」

滝川がそう補足した。そんなもんだ…と怜雄は答えた。

 「ただ…やつらの場合は形態だけでなく性質も異なってくる。」

そこに留意すべきだ…と付け加えた。

 「だけど…ノエルはふたつの組織の力のバランスが崩れたというような話をしてくれたんです。
 同じものなら片方からもう片方へ力を少し移動させればいいだけのことでしょ?
わざわざ外から取り入れる必要がないのでは? 」

 亮はノエルの話からまったく異なったふたつの組織という感覚で捉えていた。
しかし、ノエルの話を知らない西沢はまったく別の捉え方をしていた。
滝川が持ってきた情報の中でずっと気にかかっている太極思想…怜雄の話に共通するものがあるような気がする。

 「余剰分があればそうするだろうが…不足分が度を超して多い場合はそういうわけにもいくまいね。
 ことにお互いに性質が異なってしまっていれば力の移譲には何らかの操作が必要になるだろうし…。

 中国の易経の中に太極説という思想があるんだ。
古代中国の宇宙観…天地創造の思想のひとつだと僕は考えているが…混沌(カオス)から太極が生まれ…その太極が動くと陽になり、動きが極まって静止すると陰になったと言われている。

 陽の精は火…陰の精は水…そんなふうに書かれてあると僕らはその陰と陽はまったく別のものだと考えてしまう。
 ところが…実際にはひとつのものの両極を陰陽と表わしているに過ぎないんだ。
陰と陽とは相反する性質を持ちながらも同じひとつの存在だということだな。

 両極のバランスという点だけに絞って考えるならば、例えばヤジロベエの錘…両極の錘を十二分な重量で吊り合わせておけば、片側が少し削り取られた時にもう片側から貰ってきて再度吊り合わせることが可能だろう。

 両極の錘が辛うじて錘の役目を果たしているというような状態の時に片側の錘が無くなってしまったからといってもう片方から半分貰うなんてことは、数量的にはやってやれないことはないだろうけれど…意味があるとは思えない。
新しい錘をつけてやった方がいいに決まっている。 」

 その場の空気がさらに固まった。
コロイド溶液に…ヤジロベエの錘ねぇ…言ってることは分かるんだが…。

 「怜雄…紫苑…それで…何が何にどう当て嵌まると考えたらいいわけ…? 
対立するふたつの組織が両極で…その母体となっているのがそのノエルとかいう人だと考えていいの? 」

輝が理解に苦しむような表情を浮かべながら訊ねた。

 「人じゃない…。 」

 怜雄と紫苑が同時に答えた。みんなますます困惑した。  
紫苑はどうぞ…と言うように怜雄に手を差し出した。
  
 「僕等が眼で見ているものは擬人化された映像に過ぎないんだ。
本当に事が起きているのはこの地球全体だと考えていいだろう…。
 ノエルと名乗っている大いなる宇宙の根源が、この地球上で自らの両極のバランスが崩れ出したのを何とか修正しようとしている…そんな感じだ…。

 ただ…本体であるノエル…太極の意思とは別の意思が両極には感じられる。
同じものの中におそらくはその他にもいくつもの意思が存在し、それぞれの意思のもとに同じ目的に向かって動いている…だから対立したり分裂したりして見える。
…これはあくまで僕の個人的な見解だが…。 」

怜雄はそう説明した。

 「それは多重人格のような現象なんですか…? 」

 亮がそう訊くと紫苑が首を横に振った。

 「ちょっと違うね…。 例えば…亮くん自身の身体を考えてご覧よ。
きみがさっき食べた食物をその身体は内臓で分解して吸収しようとするだろう?

 それはみんなきみの脳が命令してそうさせているわけだけれど、きみの意思が働いているわけじゃない。
きみの心がそうしろと胃や腸に命令しているわけではないんだ。

 黴菌が身体に入った時にも、脳はそいつをやっつけろと白血球とかに命令を出すが、脳がそういった命令を出したことも白血球が活躍していることも、きみ自身はまるきり気付かないでいる。

 それはすべて身体がそういう仕組みになっているということなんだが…仮に脳には脳の意思が…胃には胃の意思があって、それぞれが同じ目的のために働いていると考えたら…怜雄の話が理解できるのではないかな…。 」

 紫苑はそんなふうに例をあげた。
う~ん…と唸る声がみんなの唇から漏れた。
なんとなく…言ってることは分かるのだが…なんとも把握し難い…なぁ…。

 「勿論…僕や怜雄の話は僕等が感知したものから僕等が受け取った儘を言っているに過ぎないので、本体に問えばまたどこか違うところがあるかもしれないが…。

とにかく本当の相手は…眼に見える存在ではないことは確かだ…。 」

 紫苑のその言葉にみんな背筋がぞっとした。
相手は人間ではない…そのことが既に理解を超えることだった。
見えない敵とどう戦えばいいのか…?

 「必ずしも戦いになるとは…限らない…が…。 
取り敢えず今の時点では…彼等の真の目的を把握することができれば…と思っているんだ…。 
まったく接点のない状態では…それも難しいことだが…。 
 相手が人間のレベルをはるかに超えている以上…あえて危険を冒すのは得策とは言えないし…な…。 」

そう言って紫苑は大きな溜息をついた。 






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現世太極伝(第十三話 不愉快な写真)

2006-02-12 23:37:07 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 滝川は仕事の合間を縫って裁きの一族の現在の所在地を捜していた。
明治維新の頃までは関西圏でまだ裁定人としての役目を果たしていたらしいが、その後は中部から関東圏に散らばってしまったらしく、いまはまったく裁定人としての活動はしていないという。

 それでも古い家系の者たちは未だに裁きの一族を敬い畏れていて、何かの時には頼りにすることもあるらしい。
 滝川の一族の長老に言わせれば、その権威は依然衰えておらず、宗主の一言が他の一族にも大きな影響を及ぼすという。
 その所在は極秘であり代々族長と最長老級の幹部にしか伝えられず、まだ族人としては齢若い滝川には聞きだすことができなかった。。

 問題は…その所在地が分かったとしても滝川個人で宗主に面会が叶うかどうか。
伝え聞く話によれば、宗主は族長クラスとしか会ってくれないということだ。

 得体の知れない大きな組織を相手に、紫苑がひとりで立ち向かおうとするのはあまりに無謀…自殺行為だ。
滝川や西沢家の兄弟たちが協力したとしてもたいした力にはなれまい…。
 
 それにこれは紫苑ひとりの問題ではない。どこかの族人であるか否かには関わらず、若い能力者が軒並み狙われているというのだから、まさに特殊能力者全体の問題と言わざるを得ない。
それぞれの一族が得手勝手に行動している場合ではないのだ。 

 滝川には裁きの一族の在り方でさえ生ぬるく思われた。
裁定人と言われるからには、こういう時にこそリーダーシップを発揮すべきなのに、その所在すら明らかではない。

 「まあ…とにかく僕の手の届く限りのところには手を回して調べさせているよ。
存在すること自体は確かなんだ。 」

西沢の入れたお茶を飲みながら滝川は言った。

 「おっ…これは輝(ひかり)の好きなタイプの紅茶だ…。 相変わらず通い妻か…? 」

滝川はニヤニヤと笑いながら西沢の顔を見た。

 「せめて…恋人と言って欲しいね。 それに通ってきてるわけじゃない。 」

西沢は冷めた目を滝川に向けた。

 「恭介…無理しなくていいよ。下手したらおまえまで巻き込んでしまいそうだ。
亮に本当のことを話した今…僕にはもう…思い残すこともないし…。
 後は亮がひとりでも生きていかれるようにしておいてやりたいだけのことで…。
僕みたいな存在でも亮のためになれば少しは価値があったってことだから…。 」

まるで死を悟った老人のように西沢は言った。

 何を馬鹿な…と滝川は思った。
西沢が自虐的なのは今に始まったことではないが、このところその傾向がさらに強まっているように感じられた。
 
 「価値のない存在なんてありゃしないんだぜ…紫苑…。
そこにおまえが存在するってことはそれだけの意味があるってことだ…。
 おまえ自身には感じられなくても、必ずどこかにおまえを必要とする何かが存在する。 」

 例えば…僕がそのいい例じゃないか…。 なあ…写真…撮ろうぜ…。
マジなやつを…さ…。

 「時々いいことを口にしながら…長続きしないのがおまえの欠点だな…。
何度も言わせるな。 モデルはやらない。 正直疲れたんだ…。
赤ん坊の時からモデルやってたんだから…。 」

 西沢はソファを背もたれにして仰け反るように天井を見た。

 「それだよ…そんな感じでいいんだ。 頼むよ…撮らせてくれ。
普段の…素のままのおまえの仕草や表情が撮りたいんだ。 
 商売抜き…。 メイクもセットもなしでいい…。 注文もつけない…。
撮影の間…泊り込み…密着させて欲しいだけ…。 」

 滝川は拝むように言った。 西沢は答えなかった。
滝川は持っていたケースの中から一枚の写真を取り出した。

 「これは写真家としての僕の原点だけど世界でたった一枚しかないものだ。
もう…ネガも何も残っていない。 焼き捨ててしまった…。 」

 古びた写真…西沢は何気なく手に取った。
見た途端持つ手が震えた。 

 「なに撮ってんだよ…! こんな写真…よくも…。 」
 
 まだ少年だった頃の西沢の眠る姿…。
大きな枕に半身を預けるようにして横たわり、あどけない顔をして眠ってはいるが…着ているものが乱れ放題…素っ裸よりも始末が悪い…。

 「これは…何なんだ? 知らない…全然覚えないぞ! 」

 西沢は記憶を辿った。何処で…誰と…何を…した?
どうにも思い出せん…写真があるんだから…相手はこいつか…?
首を傾げながら滝川を見た。
滝川は写真を取り上げ破り捨てた。徹底的に細かく…。

 「僕の住んでたワンルームだよ…ずっと以前の…修行時代のさ…。
遊びに来ただろ…何度か…。
 大事な写真だったんだ…これ…。 
いつか独立したら…もっとおまえの内面を写し出してやる…。 
これ以上にリアルにって…。 
ずっとそれを夢に描いてきたんだから…。 」

 粉々になった写真の残骸を見つめながら…あ…っと西沢は思った。
随分古い話だけど…。

 「思い出した…7~8年は経ってる…。 確かにおまえの部屋で眠りこけた。
その時に羽目はずして遊んだ覚えもあるような…。 でも写真は知らんぞ…。 」

 だろうね…滝川は頷いた。

 「白状すると…眠ってるおまえの乱れた姿に心惹かれて写したんだ。  
どうこうしようとは思ってなかったけど…さ。 ちょっと魅惑的だろ…。 」

 西沢は呆れて天を仰いだ。
僕のセミヌード撮ってどうするのさ…芸術にも金にもなりゃしないぜ…まったく。

 「あのさ…できれば…おまえの頭の中から初恋の少女を消してくれないか?
僕が男だってこときっちり脳みそに叩き込んでおいてくれよ。

 分かったよ…撮っていいよ。 泊り込み許可…但し仕事の邪魔はしないこと…。
頼むから薔薇が喜びそうな写真はやめてくれ。
 普通の…ごくごく普通の写真以外は公開を認めないからね…。 
そんなもんが売れるとは思えないけど…。 」

滝川は飛び上がった。

 「紫苑…恩に着るぜ。 」

西沢の唇から諦めとも安堵ともつかない溜息が漏れた。



 夕べから降り続いている雪のお蔭で書店の前も足元が悪く、亮は朝から店の周囲の雪かきをしていた。
例年あまり振らない地域であるにも関わらず今年は雪が多い。

 詳しく調べたことはないが地球温暖化の煽りを受けていろんな国で異常気象が発生していると聞いているし、年々季節の在り方がおかしくなってきているようにも思われる。
 海の生物などでは水温の変化で生息域を変えてしまったり、異常発生したり、逆に生息数が極端に減少したり、そうした現象があちらこちらで起っているそうだ。

 たれ流しの汚染物質や終わらない紛争による環境破壊や…人間の手によって地球全体が絶え間なく痛めつけられているということだな…。

 そのうち地球は滅びるね…なんもかんも壊してばかりだもんな。
まあ…人類が滅びるのは自業自得かもしれないけど…他の生物にとっちゃいい迷惑だよな…人類と心中なんかしたくはないだろうし…。

 そんなこんなを思いながら粗方雪をかき終えて、やっと店の周りが通りやすくなったのを見ながら亮はふうっと息をついた。

 「亮くん…お疲れ…。 寒かっただろ…吉井さんがココア作ってくれたからさ。
もう…入っておいでよ。 」

 店長が外に出てきて声をかけた。
パートの吉井さんが中からニコニコと手招きしていた。
 
 亮はパンパンと音を立てて身体についた雪を落とすと店の中に戻った。
バックルームでココアが湯気を立てていた。
 カップを通して温かさが手のひらに伝わってきて気持ちよかった。
ふうふうっと吹いて少しずつ冷ましながら亮はココアを飲んだ。

 「止みそうにないねぇ…。 今日は一日こんな感じかなぁ…。 」
 
店長が外を見ながら溜息をついた。

 不意に自動ドアが開いて千春が姿を現した。
いらっしゃいませ…という店長の言葉ににっこりと笑顔で答えて、バックルームから出てきた亮の方へ近付いてきた。

 「おはよ…亮くん。 温泉楽しかった? 私はスキーに行ってきたよ。
はい…お土産…トレーナー…。 」

千春は少し大きめの紙袋を手渡した。

 「え…? 僕に…? 有難う。 あ…待ってて…。 」

 亮はできるだけ何も気付いていないふうを装いながらバックルームに戻った。
ロッカーから小さな紙袋を取り出すと取って返した。

 「これさ…きみに…。 映画のお詫び…。 断っちゃったからね。 」

 千春はちょっと意外そうに…それでも嬉しそうな顔をした。
そっと袋を開けてみて満面の笑みを浮かべた。

 「かわいい~! 亮くん…有難う。 これ彼女が選んでくれたんだ?
でも…かわいいから許す! 」

 それは輝が作ったブレスレットだった。
若い人向けに作った安価な材質の物だけれど大量生産の物とは違う。
亮には見分けはつかないが、女の子の千春には何となく違いが分かるらしかった。

 千春はいつもの週刊誌を買って帰っていったが、バイバイと振るその手には既にあのブレスレットが光っていた。

 種は蒔いた…亮は胸の内でそう呟いた。
これで千春の様子が少しは分かる。英武が千春の心を追跡してくれるだろう。
貰ったトレーナーは千春の触れたものだから、何か情報を引き出せるだろう。

 少なくともこれで千春の思惑だけは掴める…。
なにもないところからやっと一歩だけ踏み出した気がした。




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現世太極伝(第十二話 満天の星)

2006-02-10 23:12:39 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 まさか…旅行先にまで有(たもつ)が抗議の電話をかけてくるなどとは思っても見なかった。
 おそらく西沢家の誰かに西沢が亮を連れて出かけたことを聞いたのだろう。
有のことだから西沢が亮に接近していることを感じ取ったに違いない。 

 最初のひと言を上手く言い出すことができなくて西沢はまだ黙ったままだった。
この期に及んですべて明らかにすることを躊躇うわけではないが、話を始める取っ掛かりが掴めずにいた。 

 「露天風呂…入ろうよ…。 待っててくれたんでしょう? 」

 亮の方が先に沈黙を破った。
西沢の腕を引っ張るといつものように笑って見せた。
西沢は黙って頷いた。

 露天風呂へは内湯から出られるようになっている。
西沢が身体を洗って内湯で少し温まっている間に、風呂巡りを済ませてきた亮は先に露天風呂の方へ出て行った。

 露天風呂から見える塀に囲まれた四角い空には満天の星。
ずっしりと光の粒が詰まっている空は重たげで低く垂れ下がって感じられる。

 後から入ってきた西沢も同じ空を眺めて…凄まじいね…と言った。
美しいとか綺麗とかそんな形容詞ではとても言い表わせない迫力がその満天の星空にはある。
 人事の到底及ばない神秘的な造形…。
ふたりはしばしそれに見とれた。

 「僕は…両親が16の時に生まれた…。
当然…高校生になったばかりのふたりは僕を育てることができず…生まれてすぐに母の一番上の兄のところに貰われた…。 」

ふいに…西沢が口を開いた。
 貰われたとは言っても西沢の母は西沢家の末娘だったので、西沢が4つになるまで親子というよりは姉弟のように一緒に暮らしていた。

 「父とは別れてしまっていたけれど、木之内家も西沢家とは近い親戚だから時々連絡があった。 …母が亡くなるまでは家族同士の付き合いもあったんだ。

 母は二十歳になった頃に、また別の男と恋をして…上手くいかなくて…僕を道連れに服毒自殺を図った。
 僕は子どもの頃錠剤が飲めなくて、母が無理やり口に押し込む錠剤を口いっぱいに溜め込んで息もできないほどになり、その場を逃げ出して泣きながら伯母のところへ行ったんだ。
 驚いた伯母が全部吐き出させてくれたので僕は助かった。
伯母を連れて母の部屋に戻った時…母は既に大量に薬を飲んだ後だった。
母はそのまま亡くなって…事故死ということにされた…。 」

 養父母は、実の母親に殺されかけた上に目の前で母の死を見てしまった幼い西沢に残るトラウマを案じて家族全員で西沢を監視するようになった。

 「未だにみんな僕のことを心配してくれているよ…。
シオンはいつかパニックを起こして自殺するんじゃないかって…ね。 」

西沢は苦笑した。

 「西沢家では僕はまるでお姫さま扱い…伯母の趣味で…大事にされて育ったよ。
みんなの愛情が重たいこともあるけど…僕はいい家族に囲まれて心から幸せだと思っている…感謝しているんだ。 」

 西沢の幸せという言葉で亮は輝の溜息を思い出した。
鳥籠の中の幸せ…幸せの顔を持つ不幸もある…。
 だけど…それはすべて本人の感じ方ひとつ…輝が憂えるほど西沢が我慢に我慢を重ねているとも思えない。
 
 「木之内家との行き来がなくなってしまったので、父の築いた家庭のことはまったく知らずにいた。
 年に二回ほどかけてくる電話だけが実の父との繋がりだった。
それも元気か…ちゃんと食べてるか…ってくらいの会話…。
だから…父というよりは知り合いの小父さん…。 」

 西沢が亮の存在を知ったのは亮がかなり大きくなってからで、親子三人幸せに生活しているものだとばかり思っていた。
 ところが最近になって木之内家の身内から、亮がずっとひとりきりであの家に置き去りにされていることを聞かされた。

 ショックだった。
もっと早く気付いてやるべきだった。
 聞けば中学に入った頃から親が家にいなくて、世話をしてくれる人もなく、何もかも自分でやってきたという。
  
 「いまさら遅いとは思ったけれど…きみをほっておくことができなかった。
ことに…能力者の若手が狙われていると通達が回り始めた頃からは…。
 そんな家庭の事情では、おそらくきみはその力については誰にも学んだことがないに違いない…。 」

 何かあったら対処できないかもしれない。 
何としても護ってやらなければ…と西沢は考えた。
西沢が家族に護られてきたように…。

 「断っておくと…別に正義感からじゃない。 …きみに対する償いだと思った。
僕の存在が…きみを不幸にしたのではないかと感じたから…。 」

 有は紫苑という息子がいることを忘れることができなかった。
紫苑を捨てた事実をきれいさっばり記憶から消してしまうことができたなら、もっと亮に対して違った接し方をしていたのかもしれない。

 「考え過ぎだと…怜雄や英武に笑われたけど…僕を捨てたことで…父の心にも何か大きな傷が残ったんだと思う…。
 早い段階で…僕がなんとも思っていないことを…恨んだり憎んだりしていないことを父に伝えるべきだったのかもしれない…。
 僕はそれを怠った…。
きみの不幸がそのせいなら…僕はきみに償うべきなんだ。 」

 亮は驚いた。とんでもない…と思った。
何も悪いことをしていない西沢に償って貰う理由なんか何処にもない…。

 「西沢さんのせいなんかじゃない。 そんなふうに考えないでよ。
僕の両親は祖父母の勧めで一緒になったけれどお互いに相性が合わなかったんだ。
冷戦の結果…それぞれに愛人ができただけの話だよ。

 それに僕は不幸なんかじゃない…。 好きなように生きてるから…。
西沢さんが兄貴でほっとしてるんだ…。 
正体不明の人に甘えるのはやっぱり抵抗あるけど…兄貴なら甘えてもいいよね。」

 少し興奮気味に亮は言った。
西沢がクスッと笑った。

 「そうなんだ…抵抗あったんだ…? それじゃもう遠慮しなくていいよ。
誤解しないで欲しいんだけど…僕は償いの気持ちだけできみを護ろうとしたわけじゃないんだ。 
 何度か会っているうちに亮くんのことがほんとに可愛くなってきて…僕の弟なんだなぁ…ってだんだん実感が湧いてきた。 」

内湯の方で扉をドンドンと叩く音が聞こえた。

 「何…? 旅館の人…? 」

亮は不審げに音のする方を見た。
 
 「ふふん…。 そろそろ現れる頃だと思ったよ…。
怜雄と英武だよ。 伯父に言われて飛んで来たに決まってる。
何かことが起こってないか心配になったんだろう。 

入って来いよ! 」

西沢が声を掛けると本当にふたりが現れた。

 「シオン…大丈夫? 有さんから電話があったんでトラブッてないか心配で…。
お父さんがすぐに行けって言うもんだから…。 」

英武が服のまま駆け寄ってきた。

 「英武…濡れるよ。 脱いで来いよ。 怜雄も…。 」

 あ…そうか風呂だもんな…と英武は何か言おうとしている怜雄の手を引っ張って脱衣所へ走っていった。

 

 急にふたりも増えたにも関わらず旅館はきちんと四人分の料理を用意していた。
応援を出した段階で西沢の伯父が旅館に連絡を入れておいたようだ。

 四人で囲む御膳は美味しかったし、何より楽しかった。
西沢が自分の兄でしかも父親が16の時の子だと知ったショックよりも、周りに誰も居ない孤独から解放された喜びの方が大きかった。

 「四人兄弟だね…。 僕にも弟ができた…。 やっと威張れるぞ…。 」

英武が嬉しそうに言った。 

 「弟…? 」

亮が不思議そうに訊いた。

 「そうさ…シオンの弟は僕らの弟だよ…。 ね…レオ? 」

怜雄が満面の笑みを湛えてうんうんと頷いた。

 「大変だ…亮くん。 うるさいぞ…こいつら。 覚悟しといた方がいいな。」

西沢がそう言って笑った。

 「そうなんだ…。 僕…たくさん兄弟ができたんだ…。 」 
 
 なんだか夢のようで亮は茫然としていた。
昨日まで家族らしい家族のなかった亮に突然兄貴が3人できた…揃いも揃って特大サイズの…。
 
 大きな部屋に布団がずらっと並べて敷かれてあるのを見るとまるで修学旅行のようだった。
 何しろでかいのが四人…というので仲居さんたちも考えたのか、誰がどうはみ出てもいいようにまるでプロレス会場のマットの如く布団を敷き詰めたらしかった。

 男四人がこどものようにはしゃいだ…笑った。
末っ子の亮はみんなに揉みくちゃにされたがそれはそれで何となく心地よかった。
 笑い過ぎて疲れた。
こんなこと久しぶりだ…。 

 布団のマットの上で大の字に伸びながら亮は西沢はこどもの時からこんなふうにして育ったんだろうな…と思った。
輝が心配するほどのことはない。みんな呆れるほど仲がいいんだもの。

 連れてきて貰ってよかったな…。 千春と映画へ行くのも悪くはないけど…。
千春…? そう千春だ…。

 「西沢さん…。 気になることがあるんだ…。 」

 亮は千春のことを話し始めた。初めて会った地下鉄での出来事、再会した時のこと、そしてこの間誘われたこと…教えていないはずの亮の名前を言い当てたこと。
 
 西沢は真剣な表情で亮の話を聞いた。怜雄と英武も集まってきた。

 「英武…亮くんの記憶から何か分かるかい? 」

英武は失礼…と言いながら亮の手を取った。

 「ぽっちゃり系の可愛い女の子だ。 
逆ナンっぽく亮くんを誘っているけど…亮くんが好きとかじゃなさそうだよ…。」

 やっぱり…と亮は思った。
あの時何となく妙な感じがしてたんだけど…。

 「その子が人間どうか分かる? 」

西沢がまた訊ねた。

 「難しいところだね。 女の子が触ったものでもあればいいんだけど…。
ただ彼女はちゃんと身体を持った存在だと思うよ。
亮くんの記憶の中では彼女にはちゃんと影があるしね…。 」

 影…あの意思を持つエナジーには影はなかった。
そうだとすればその女の子は集められた能力者のひとりなのだろうか…。
何れにせよ…西沢の守りが堅いために、亮に接近できないでいる者たちが搦め手から迫ってきたように思われる。

 西沢は亮たちに滝川の知り合いが撮影した不思議な写真の話をした。
英武は西沢に触れ、その写真からの情報を探った。

 「確かに女の子と近いものは感じられるけれど…まったく同じではないと思う。
写真の方は実体がない。 女の子には実体がある。 」

 英武はふたりの記憶から分かるだけのことを話した。
亮は自分を狙っているものの不気味さに思わず総毛だった。

 捕らえられたら最後、永遠に抜け出せないような気さえしてきた。
さっきまでの楽しさはどこへやら…湯冷めをしたように身体が震えた。
西沢はそんな亮の不安を察してかそっと肩を抱いてやった。  





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現世太極伝(第十一話 ―声― )

2006-02-09 17:40:01 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 クリスマスプレゼントの包みを開けた時西沢はなんとも複雑な表情を浮かべた。
使い心地のよさそうな小さめの旅行鞄…ここから旅立てと言わんばかりの…。
西沢は嬉しそうに…けれど寂しそうに笑った。

 「持ってなかったんだ…ひとつも…嬉しいよ。 有難う…亮くん…。 」

 真新しい鞄の感触を楽しむかのように西沢は鞄の表面をそっと撫でた。
もう何年も前に捨ててしまった…鞄。
失ってしまった両の翼…。
西沢は過去を懐かしむように切なく微笑んだ。

 「温泉…行こうか…? せっかく鞄…貰ったんだし…。
僕も久々に遠出がしたくなった…。 バイト…休み…取れない? 」

 ふと…思いついたように西沢は訊いた。
休みは何とかなっても、この時期は予約で満室だろうからもう旅館の部屋の方が空いてないよ…と亮は答えた。

 「ひとつだけ…。 毎年養父が僕のためにとっておいてくれる部屋があるんだ。
僕は一度も利用したことはないけど…いつもは代わりに友だちや相庭に行って貰ってるから…。
 そこでよければ…大晦日から正月にかけて利用できるよ。
結構いい旅館らしい…相庭の話ではね…。 」

 亮がプレゼントしてくれた鞄…だもの…使わないままじゃ申し訳ない。
この際…伯父の息のかかったところでも仕方ない…な。

 亮は早速仕事仲間の木戸とパートさんに大晦日の勤務を代わって貰えるかどうか確認した。
 パートさんは主婦なので大晦日は忙しくて無理だったが木戸が代わってくれた。
元旦は店自体が半日で店長とその弟の副店長が当番なので問題ない。
何とか一泊二日は確保した。
後はこのまま何事も起らず周りがみな平穏無事であることを願うだけだった。
 


 「ねえ…夕紀…。 頼むから少しは僕の話を聞いてくれよ。
きみの命に関わるんだよ…。 
このままあの男と関わり続ければ争いに巻き込まれて死ぬかもしれないんだよ。」

 分かってるわ…そんなこと…と夕紀はあからさまに不機嫌な顔をした。
久しぶりに夕紀とふたりきりなのに…なんでこんな話をしなきゃいけないんだ…と直行は情けなくなった。

 「妬いてるわけじゃないんだ…。 心配なんだよ…。 
もしきみに何かあったらと思うと…生きた心地がしないんだ…。 」

 それは直行の本音だった。
ノエルから事情を聞くまではあのイケメンの導師さまとやらにかぶれた夕紀が心変わりして直行から離れていっただけのことだと考えていた。

 直行にとってそれはつらいことだけれど、それならそれで仕方がないんだとも思っていた。
 夕紀のような華やかな女性がいつまでも自分の傍に居てくれるわけがない…。
夕紀が本心を話してくれたなら…諦めよう…。
そんなふうに心に決めていたのだった。

 だが…今は事情が違ってきた。
イケメンにかぶれたんではなく何かに洗脳されて危険な目に遭おうとしている…。
助け出さなきゃ…そんな危険な組織からは抜けさせなきゃ…。  
直行は必死に説得を始めたのだった。

 「あのね直行…。 いまこの世界は大変なことになっているのよ。
ほっておいたら人類どころかすべてが絶滅しかねない危機にあるの。
誰もそのことには気付いていない。 気付かない方がいいかもしれないわ…。
 その危機的状態を少しでも改善させるために私たちが働いているの。
だから私ひとりの命なんて惜しいものじゃないわ…。 」

 夕紀は自分の言葉にうっとりと酔いしれているようだった。
直行は天を仰いだ。ここまで洗脳されているとは…。

 「馬鹿言っちゃいけない。 誰の命であろうと惜しくない命なんてないんだ。 
ひとりの命を粗末にするようなやつらにこの世界が護れようはずがない。 」

 どうあっても僕はやつらに取り込まれるわけにはいかない。
夕紀を救うためには僕が正気でいなければ…。

 もはや夕紀には何を言っても無駄と悟った。
まるでアニメかゲームの勇者気取り…人間であることさえ忘れているようだ。

 しばらく夕紀とは距離を置こう…捜せば…必ず何か夕紀を正気に戻す方法があるはずだ。
 待っていて夕紀…必ず救い出してあげるから…。
他人の意見を聞こうともしない夕紀に直行は心の中でそう語りかけた。 



 「いいなあ…温泉かぁ…。 俺も行きてぇ…。 」

 木戸が羨ましげに言った。
客が読み散らかした本や雑誌を傷になっていないか確認しながら、亮はそれらが元々置かれてあった場所に戻していった。 

 「年明けてからスキー行くって言ってたじゃない? 」

 そう言って笑うと、そうなんだけど~と木戸は頭を掻いた。
静かにドアが開いて女の子が入ってきた。

 「あ~居たぁ。 亮くん…おはよ~。 」

 亮くん…? 亮が振り返ると、そこに立っていたのはあの千春だった。
あの子に…名前なんて話したっけ? 
亮は不審に思いながら…おはようと答えた。

 「ねえ…明日…映画とか行かない? 年末で忙しいかも知んないけど…。 」

 ふわっとした頬の可愛らしい顔でにっこりと微笑んだ。
思わずドキッとしたがなぜか不安の方が先に立った。

 「ごめん…。 前からの先約があるんだ。 」

本当は明後日なんだけどね…と内心思いながら申し訳なさそうに断った。

 「亮くんさ。 いい人と…温泉行くんだって。 」

 千春を彼女と誤解した木戸が思わせぶりにそう言った。
千春はえぇっ…?と声を上げて亮の顔を見た。

 「そっかぁ。 亮くん彼女いたんだ。 誘っちゃってごめん…。
お兄さん…その彼女に内緒にしといてね…。 」

 真面目に受け取った千春は木戸にそう頼んだ。
木戸は慌てた。悪い…ごめんな…というような顔をして亮を見た。

 「じゃあ…亮くん…また空いてる時一緒に遊ぼうね…。 」

がっかりしたようにそう言って千春は帰って行った。

 「亮くん…ごめん…まさか本気にすると思わなかったから…。
せっかく可愛い子から誘ってもらったのに…。 」

木戸は必死で謝った。

 「別に…いいよ。 付き合ってるわけじゃないんだし…。 」

 亮は木戸の悪戯に腹が立つよりむしろほっとしていた。
僕は名乗った覚えがない…千春の名前は確かに聞いたけれど…。
 千春が誰から亮の名前を聞き出したのか…そのことが心に引っ掛かった。
取り敢えず危機は免れた…そんな気持ちにさえなっていた。



 西沢家が毎年予約を入れるという老舗の旅館はいくつかの離れを持っていて、それぞれが趣向を凝らした造りになっていた。
 養父である伯父は顔を知られている西沢が人目を気にせず落ち着いて過ごせるようにと本館ではなくわざわざ離れを予約しているようだ。 

 車寄せで車を降りて係員にキーを預けた瞬間から、周りに居合わせた人々の視線が例外なく西沢の方に向けられていくのを亮は感じていた。

 何しろ西沢は目立つ。
メンズのファッション誌や映画のパンフレットからそのまま飛び出てきたような秀麗な容姿は黙っていても人目を惹く。
 
 特に西沢のことを知っているわけじゃなくても自然と眼が行ってしまうくらいだから、あたりの人から紫苑だ…紫苑じゃない…?などという囁きが聞こえるようになると人だかりができるのは必至で、旅館の方も気を利かせてそうなる前に早々に部屋に案内してくれた。
 
 部屋と言っても離れは露天風呂つきの平屋のようなもので、食事をしたり寛いだりする十何畳の部屋の他に、広縁、寝室用の広い部屋、洗面所と室内風呂、踏込みなどがあり、ふたりでは広過ぎて寒いほどのスペースがとってあった。

 旅館に入るまでに近隣の観光名所を見て廻るには廻ったが、何処へ行っても西沢は視線を浴びていてゆっくりとはさせて貰えなかった。   
 
 「亮くん…疲れたろ。 風呂巡りに行ってきたら? 
本館には大露天風呂があるんだって…。いろいろ趣向を凝らしてあるらしいよ。」

 西沢は旅館の案内を見ながらそう勧めた。
ひとりで…西沢さんは…? 亮がそう訊くと西沢は外を指差した。

 「僕は…ここの露天風呂で…。 他人の視線が煩わしいから…ね。
行っておいでよ。 せっかく来たんだし…さ。 」

 ひとりじゃつまらないなぁ…と亮は口を尖らせた。
西沢はくすくす笑いながら…それじゃきみが帰って来るまで待っててあげるから…この部屋の露天風呂に一緒に入ればいいさ…と言った。
それなら…というので亮は本館の風呂巡りに出かけていった。

 亮が出かけてしまうと西沢はスケッチブックを取り出した。
道中、心に留めておいたものを描こうとしたのだが…何も描かないうちにうつらうつらし始めた。
 仕事で以外滅多に遠出しないせいか、鳥籠を出て気が緩んだためか思ったより深い眠りだった。



 どのくらいそうしていたのか…けたたましくなる電話のベルに起こされた。
ふと時計を見ると…それでも一時間は経っていない。 
 
急いで受話器をとると取次ぎの後に、怒ったような男の声が聞こえてきた。

 『紫苑…亮はそこにいるか…? 』

風呂へ行ってる…と西沢は答えた。

 『どういうつもりだ…? この大晦日に亮を連れ出すとは…。 
何を考えているんだ…? 』

 別に…他意はない…と言った。
電話の相手は少し興奮しているようで…その答えには納得しなかった。

 『やたら高級なアクセサリーを買い与えたり…今度は亮のようなこどもに相応しいとは思えない高級旅館へご招待か…。
俺に対する面当てなのか…?  』

 西沢の肩が怒りに震えた。
さんざん亮を無視しておきながら…勝手なことを…。

 「僕が亮を可愛がっちゃいけないのか? 亮と旅を楽しんじゃいけないのかよ?
亮は弟だぞ! 僕らふたりを捨てたあんたにどうこう言われたかないね! 」

 激しい口調で電話の相手に詰め寄った瞬間、西沢は背後に亮の気配を感じて振り返った。
大きく眼を見開いた亮がそこにいた。

 何も言えなくなって西沢は亮に受話器を渡した。
お父さんだ…と。

 「代わった…。 」

亮は比較的落ち着いた声で言った。

 『亮…出かけるなら書置きぐらいしておけ…。 
紫苑に迷惑かけるんじゃないぞ…。 』

 父の声は心なしか元気がなかった。
うん…とだけ亮は答えた。

 「小さな弟…じゃ…なかったんだ…。 」

 受話器を置きながら亮は呟いた。
西沢のマンションに初めて行った時の…あの電話の声…どこかで聞いた声だと思っていたが…道理で聞き覚えがあるはずだ。

 「どこかに…兄弟が居ることは知ってたけど…年上だとは思わなかった。 」

 亮は夢でも見ているような眼差しで西沢を見た。 
明らかに…西沢は動揺していた。
広縁のソファに腰を下ろすとがっくりと肩を落とした。

 「ごめんね…驚いた…? 最初に…全部…話してしまえば…良かった…ね。 」

 西沢は力なく亮に話しかけた。
亮は静かに反対側のソファに腰掛けた。

カチカチという時計の音が広い部屋の中でやたら大きく鳴り響いて聞こえた…。 




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