徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

最後の夢(第二十三話 散々なクリスマスイブ)

2005-10-29 23:11:20 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 調度品の整えられた高級マンションの一室の真新しいベッドに腰を下ろして史朗は呆然とあたりを見回した。
これは夢かと思ってしまいそうな状況に置かれておおいに困惑していた。

 笙子と修が史朗を連れてマンションの下見に行ってからそんなに日も経っていないというのに、ここがもはや史朗の住いになってしまったのだ。
 笙子は前のマンションを惜しげもなく売りに出し、史朗も成り行きで前の賃貸マンションからここに引っ越す羽目になった。

 修と笙子が新しいマンションを購入しようがしまいがそんなことは自分にはいっさい関わりのないことだと思っていたのに、いつの間にか史朗も一緒に暮すと言う話が出来上がっていて、それを断りきれずに今に至ってしまった。

 だってもし史朗ちゃんがパパなら子どもと一緒に暮すのが当然でしょ…と笙子に言われたような…。

 引越しの仕度も段取りも何もかもが手配済みで他人任せで、何ひとつしないままに身ひとつでここに移動しただけで、未だに実感が湧いてこなかった。

 だけど本当は…これは史朗がもっとも避けたい状況だった。
笙子と一緒に暮せば、その分、離れて暮している修の嫉妬をかう虞があるし、どこか自由を束縛されてしまうような息苦しさがついてまわる。

 今となっては…笙子の御腹の子が修の子であることを願うしかなかった。
子どもが欲しいのは史朗も同じだが、それは二番目でも三番目でもかまわない。
最初の子どもさえ修の子であってくれれば…。

 まあ…子どものことは自分ではどうにもできないことだから、取り敢えずは木田史朗はふたりに囲われている身ではなく、ちゃんと独立して生計を立てている人間なのだということを忘れられないようにしないと、このままでは本当に周りから寄生虫扱いされかねない。

せめて生活費だけでも受け取ってもらおう…と史朗は考えた。



 クリスマスを目前に鈴が離れに帰ってきた。
調子は万全ではないが点滴をするほどではなくなったので一旦帰宅を許された。
 はるによって模様替えされた部屋は、以前のようなよそよそしい感じではなく、彼女もまた家族として受け入れられつつあるような温かい雰囲気で迎えてくれた。

 未だに宗主の顔を見れば胸の高鳴りを覚える鈴だが、雅人の子を宿した以上はもはや宗主との縁はないに等しく、今になっての宗主の優しさが恨めしくもあった。

 鈴は黒田の姉の子だが黒田の姉自身はすでに亡くなっており、実家には父親と後妻、後妻の連れ子が居て別に邪険に扱われるわけじゃないが何となく戻りづらい立場だった。

 それゆえ紫峰家が鈴をそのまま受け入れてくれたことにはどれほど感謝してもしたりないとは思ってはいたのだが、雅人も何年か先には真貴と一緒になるだろうし、そうなれば相手が宗主から雅人になったというだけで、ただの囲われ者であることには変わりない。
やっぱり自分はそういう運命からは逃れられないのだと鈴はふと侘しさを感じた。

 

 修練中の城崎を除いて、冬休みに入った子どもたちはみなクリスマス・年末のアルバイトに大忙しでほとんど夜まで働きに出ていた。

 別にアルバイトにせいを出さなくても彼らはお金には困らないのだが、修はできるだけ自分たちで働いて稼ぐという経験を積ませたいと考えていた。
 やがては進むべき道を選び、それぞれ社会へ旅立つ彼らの下地を今のうちに作っておいて欲しいと思っていた。

 修自身は財閥管轄圏の外へ働きに出たことはないが、まだ幼い時分から財閥内での仕事を貴彦の指導で段階的に受け持たされてきたし、この厳しい叔父の許で大学生の時にはすでに叔父の代理を務められるほどに鍛えられた。
その後の二年間の留学はいわば褒美のようなものだ。

 透たちは働くことを全く嫌がらなかったし、むしろ自分から進んで仕事を見つけてきた。
 雅人と隆平に関しては働くのが当たり前のような環境に育っていたから何の心配もしていなかったが、お坊ちゃん育ちの透については育てた修の方がやや不安視していた。それでもよくしたもので透も不満ひとつもらしたことはない。

 透も他の子供たちも修の方針に従っているというよりは、それが自分の為であることを十分に理解しているようだ。

 イブから正月にかけてバイトの人員も手薄になるため、透たちも眼のまわるような忙しさで、ともすると警戒を怠りがちになっていた。

 CD&ゲームショップで働いている雅人はイブだというのに今夜は閉店時間AM2:00まで勤務があり真貴とは会えそうになかったし、透は喫茶店で夜中まで熱いカレカノを眺めながら真面目にお仕事の悲しいイブで、隆平だけはスーパーのレジ打ちなので何とか9時過ぎには店を出られそうだった。

 夜も更けてから雪が降り始め、イルミネーションの美しさと絶妙なコンビネーションで街はロマンチックなムードにあふれていた。

 1時過ぎに喫茶店を出た透は雅人の店の駐車場で車を降りようとしてふと時計を見た。
 今夜はふたりとも夜勤なので、閉店時間の早い透の方がCDショップに立ち寄って雅人を拾っていく約束になっていた。

 ちょっと早いけれど雅人の店で待っていればいいや…と思い車を降りた。
どこかで破裂音がしたと感じた瞬間、透の肩甲骨より少し上の辺りを何かが貫き、透はそのままその場に倒れ込んだ。

 何が起きたのか初めは分からなかったが、熱っ!という感覚の後から次第に痛みが襲ってきて自分が銃撃されたことに気付いた。

 『雅人…。』

 店から出てきたところでたまたま音を聞いた人が店へ飛び込み、従業員に警察へ連絡させた。

 雅人が急いでこちらに駆けて来るのが分かった。
雅人は全身の感覚をアンテナのように張り巡らせ、まだ敵が近くにいるかどうかを隈なく調べた。
 
 敵の気配は無かった。
おそらく他の人に気付かれたために早々に逃げ出したのだろう。

 「透! おい! 大丈夫か? 」

雅人が声をかけると透は頷いた。

 「肩…やられただけ。 痛いけど大丈夫。 」

 透は自分で起き上がった。
雅人は銃創にハンカチを当てるとその上から応急処置を施した。
撃たれるところを見られているので完全に治してしまうわけにはいかず、血を止め細胞の再生を促すにとどめた。

 救急車とパトカーが駐車場に到着した。
雅人は飛び出てきた店長に被害者が義理の兄弟であることを話して早引けさせてもらうことにした。
と言っても後は後片付けくらいしか仕事は残っていなかったのだが…。
そのまま雅人は透について救急車に乗った。



 電話が鳴り響いたとき史朗はすでに夢の世界にいたが、慌てて飛び起きて受話器をとった。
 新しいマンションも以前とあまり変わらない場所に建っているため、透が運ばれた病院に一番近いところにいる身内は笙子と史朗で、雅人は取り敢えず真っ先に史朗に連絡を入れたのだった。
史朗は笙子に急を伝えるとすぐに病院へ向かった。

 同じ頃、紫峰家でも警察と雅人から一度に連絡が入り、屋敷の中は俄かに騒然となった。
 警察から連絡が入ったとき修は何より透の怪我の状況を案じていたが、雅人がそこに一緒にいるのでひとまず安心した。

 笙子は倉吉に連絡を取り、透から事情を聞くなら倉吉か岬が担当するように手配させた。
予想に反して透が狙われたことは少なからず笙子を動揺させた。
 何故、もっとも弱い隆平ではなく、もっとも強い透を狙ったのか…透は相当に油断していたと思われるが、通常なら狙われていることに気付かない彼ではない。
 それに…また銃…? 
やはり能力者ではないのだろうか?
笙子の頭の中でいくつかの可能性がぐるぐると渦巻いていた。

 撃たれたのは透だが、狙われているのは依然として城崎であることに修は気付いていた。
 犯人は透を囮に城崎を誘き出す作戦に出たのだ。
このまま城崎が紫峰家に留まっている限り城崎を殺すことは不可能だ。
紫峰家の人が自分のために傷つくことを恐れるあまり、紫峰家から出てくるのではないかと考えたのだろう。

 城崎がまんまと罠にかかる虞があるために、修は透のことを雅人と史朗に任せることにした。

 これもまた異例のことで、我が子同然の可愛い育ての息子である透が怪我をしたというのにすべてを他人任せにするなど普段の修なら考えられない行動だった。

 それも城崎の身の安全のために仕方が無いと言えば無いのだが、車を用意しながら宗主の支度を待っていた西野は、平然と屋敷にいて子どもたちの帰りを待つという修の中に、どこか穏やかならざるものを感じていた。

 透を傷つけられて修がこのまま黙っているはずは絶対に無かった。
西野はその場に居合わせなかったが、冬樹を殺した相手に修がどう対処したかは長老衆も口を噤むほど…。

 まあ…その男はすでにこの世に存在しないはずの迷える魂で、悪霊とも思しき存在だったのだが…。

 いずれにせよ…ただでは済むまい…と西野は思った。




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最後の夢(第二十二話 物に宿る魂)

2005-10-27 22:03:10 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 それは突然降って湧いたような出来事だった。
紫峰家は特殊な能力を持つ一族である…とあの義三の孫娘の古村静香がマスコミ関係に情報を流したのだ。
 その証拠に邸内に超能力の修行をする修練場があり、城崎がそこで訓練を受けていると暴露した。
 
 紫峰家では穏やかに沈黙を護り、反論なども一切行なわなかった。
誰かに質問されると、そのような根も葉もないことをまともに取り合うのも馬鹿馬鹿しい…とばかりにただ微笑んで見せた。
  
 勿論、その流言とも言える情報を信じる者はなく、世間では人騒がせな有り得ない話として一笑に付された。
ほとんど誰もが大財閥である紫峰家に対しての嫌がらせと受け取った。

 興味本位の週刊誌やTV番組が特集の中でそれを取り上げはしたが、むしろ否定的で、この女学生は目立ちたがり屋なのだという印象を与えるものばかりだった。

 古村の言う証拠の紫峰家の修練場は、紫峰家が古い家系なので先祖の霊が祀られている場所があり、今は舞いの練習場になっていると伝えられた。
 事実、そこでは時々鬼面川の舞いの教室が開かれていて、通っている人がいるわけで、逆に全く証拠にはあたらないことが証明されたかたちとなった。

 確かに城崎は紫峰家に滞在しているが、紫峰の子どもたちの大学の友達であり、連続した不幸の後でさらに母親を亡くして気落ちしており、気分転換をはかるために父親が預けたと報道された。
同様の内容のコメントが城崎自身からもレポーターに伝えられた。
 
 結局、ワイドショー的には全然面白くない結果に終わり、あっという間に古村静香はマスコミから姿を消すことになった。

 

 「まあ…こんなもんだよ。 世間というのは…。 」

紫峰のしの字も出なくなった雑誌を城崎の前に置いて一左は言った。

 「こうしたトラブルは何も今回に限ったことではなくて、いつ何時でも起こり得ることだよ。
 驚き焦って無駄に動き回ると、余計にことが拗れて何でもないことがいつまでも尾を引くことになる。
 いつでも万全の態勢を整えておけば、何もしなくてもあちらで勝手に終わらせてくれる。 」

 城崎の修練はそのほとんどを一左が受け持つことにしていた。
修の自己流の修練より、長い伝統に従った修練の方が他家の者には分かりやすいだろうという配慮からだった。

 「俺みたいに普段から人前で力をひけらかすようなことをしていると、物事がとんでもない方向へ行ってしまうということですか。 」

 半分溜息混じりに城崎は言った。
そういうことかもしれんな…と一左は笑った。

 「宗教色の強い鬼面川は例外として、紫峰でも藤宮でも自分たちの一族を存続させるための責任意識を子どもの時から嫌というほど叩き込まれる。

 無論、城崎一族を率いるきみの父上もそういう教育を受けてきたには違いない。
ただ、きみを育てるにあたってすべてを母上に任せ過ぎたためにきみに伝えるべきことが伝わっていなかっただけで。
  
 母上は特殊な能力を持つ一族の長としてではなく、普通の男の子としてきみを育ててしまった。
 母上の育て方がいいとか悪いとかの問題ではなくて、おそらく母上自身がそういう教育を受けてこなかったためだろう。 」

 そのとおりかも知れない…と城崎は思った。お袋は少し離れた親類から嫁いできたがごく普通の家庭に育った人だった。
 しっかりと地に根をはって生きることは教わったが、統率者としてあるべき姿を教えられたことはない。

 「族姓に縛られない単独の能力者であれば誰の前で何をしようとその人個人の考え方ひとつだからね。
他に及ぼす影響はないわけだから何の問題も無い。

 だが族人となると、どんなにその志が高くても…世の為人の為と思われるような行為であっても族滅に繋がるような行動は避けなければならない。
事なかれ主義は若い人にはつまらなく感じられるだろうけれどね…。 」

 父も確かに同じようなことを言った。
背中に背負っているものがある以上は勝手気ままに動くべきではない…と。

 「父には…本当に俺に指導するほどの力が備わっていないのでしょうか? 
そうした力なくして族長が務められるものでしょうか。」

 城崎は宗主のことを思い浮かべた。実際に使うところは見なくても宗主からはこちらが圧迫されるほどの力を感じる。  
城崎が生まれてこの方、父親にそんな感覚を覚えたことはなかった。

 「修と比べてはいかんよ。 あれは別物だ…。
あんな化け物とは比べられる方が気の毒だ。
 
 父上は族長として十分に強い力をお持ちだよ。
ただ…すでにきみの力が父上を凌いでいることに気付いておられるのだ。

 もう少し早くからなら父上自らきみを指導することもできた。
そうすればたとえ追い越されてもかまうことなく指導を続けられたのに…。 」

 意外な事実だった。城崎は探知能力には自信があったが、その他の能力について誰より上だとか下だとかを意識したことがなかったのだ。
 前に透に見せた気の炎にしたって単なるパフォーマンスに過ぎず、実際に何かに使うなどは考えもしなかった。
だから誰かに襲われても逃げることしかできないとずっと思っていた。

 それに父はいつも城崎を見下していたではないか…。

 「自分の息子に追い越されるというのはね…まあ複雑なものだよ。
嬉しいような悔しいような…。
自分を越えて欲しいと願う反面越えられたくないという思いもある。

 家族の前では常に絶対的な存在でありたいと思っているからね。
どんなに可愛い息子に対してだって…てめえなんぞに負けるかって気持ちがないわけじゃない。

 親というのは不思議なものだよ。 」

城崎の胸のうちを察したかのように一左はそう言って笑った。

 「さて…先ずきみが覚えなくてはならないことだが…すべての事態を打開するためには超能力者としてのきみが存在するという記憶をマスコミや世間から消さなくてはならない。
 宗主は…宗主が要らない手を出すよりはきみ自身の手で解決させる方が後々のためになると考えている。
 その手段としては…現に君の持っている記憶を操る力を利用して…。 」

 最長老の指導による城崎の修練が始まった。
それまでほとんど修練らしい修練を受けていなかった城崎は、まるで生まれたばかりの赤ん坊のように一左の教えを貪欲に吸収し急速に成長していった。



 古村静香がなぜ城崎の居場所を知っていたのか…?
倉吉も岬もそのことに注目した。
 古村静香自身が特殊な力を持っているとしても、わざわざ紫峰の特殊結界を破って城崎を見つけ出すことは不可能だ。
 しかも修練のために滞在していると明言している。
そのことは紫峰本家と藤宮の自分たち意外には城崎の実家しか知らない。

 万一城崎の実家の者が誰かに話したとして、それを知った古村がマスコミに情報を流したところでなんの意味があるというのだろう。
 事実結果としてほら吹き女学生のレッテルを貼られてしまっただけに過ぎない。
古村静香にとって何ら利益のあることではないのだ。
そうしたというよりは誰かにそうさせられたのかもしれない…と倉吉は思った。



 紫峰家や藤宮家の有閑階層の人たちからの希望を受けて彰久と史朗は週に一度、紫峰の修練場で鬼面川の舞いを教授していた。
 週ごとに交代で教えるのだが、月に一度のおさらいではふたりが一緒に教え子の成果を見ることにしていた。

 さすがに舞いの好きな両一族だけあって、すでに何れかで舞いを習っている人ばかりで熱心ではあるが講釈も一人前で、まだ舞いの講師としては齢若い彰久も史朗も閉口することが多々あった。

 そういう時に頼りになるのはやはり一左で、それとなくみなを窘め、ふたりが教授しやすいようにその場の雰囲気を変えていってくれた。
 
 ようやく稽古が終わって母屋ではるのお茶のもてなしを受けている時に、花瓶の山茶花を見ながらふと思い出したように史朗が訊ねた。

 「彰久さん…一度伺おうと思っていたのですが…実は…。 」

 史朗は城崎の母親が亡くなった夜のことを掻い摘んで彰久に語った。
彰久は真剣な表情で史朗の話を聞いていた。

 「未だになぜあのようなビジョンが見えたのか謎のままなのです。 」

 しばらくじっと考えていた彰久は何か思い当たることでもあったのかチラッと修練場のほうを見た。

 「それは多分…あの装束があなたに知らせたのでしょう。 」

ええっ?と史朗は怪訝な顔をした。

 「鬼面川の祭祀継承者には物を操る力があると言われています。
逆に使いこなされた物には魂が宿るとも言われているのです。

 例えば昔から良く馴染んだ和の装束には魂が宿り、主の手助けをしてくれるなどという話もあります。

 あの装束はまだ新しいものではありますが、史朗くんにとっては想い入れの深い物ですからね。
あの装束を通してあなたはここの状況を知ることができたわけですよ。 」

 俄かには信じ難い不思議な話だった。
だが史朗は以前にも不思議な体験をしている。

 鬼母川の事件の時に、鬼母川の社にしまわれてあったはずの鬼母川の華翁閑平の剣が自ら史朗を選んでその手に現れた。
 史朗はその剣で魔物退治をしたのだが、まるで生まれたときから使っているかのように手に馴染み、剣と言うよりは自分の腕そのもののような気がした。

 剣だけでなく古来日本ではあらゆるものに魂が宿るとされ、鍋や釜でさえも大事に磨かれて使われてきた。

 海外から入ってきた使い捨て意識と便利さを求める人々の欲求が日本を消費社会に変えてしまったが、それでも物を大切に思う気持ちが人の心から全く無くなってしまったわけではない。

 衣装ひとつにしても心底愛情をそそげば、時にはこうして自分に力を貸してくれたりするのかも知れない。
  
 物に宿る魂の存在は史朗の心を痛く感動させた。
心の中で史朗はあの装束に感謝を述べた。

 いつか史朗の祭祀や舞いを継承するものが現れるようなことがあったら、史朗は何よりも自分を助けてくれているすべての人や物への感謝の心を…愛情を真っ先に伝えていきたいと思った。

もしも…叶えられるものならば…。
我が子に…と…。





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最後の夢(第二十一話 御腹の中の金魚ちゃん)

2005-10-25 23:35:40 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 夜半をとうに過ぎてあたりが静寂に包まれる頃、椅子の上の柔らかなクッションに身を沈めて居眠りしかかっていた史朗は、はっきりと城崎の母親の死を感じ取って眼を覚ました。

 肘掛け椅子から絨毯の敷かれた床へと移動した史朗が鬼面川の祭祀を始めたので透たちにも事態が飲み込めた。

 史朗は城崎の母親の魂がこの世で迷わぬように、心安んじてあの世に旅立てるように鬼面川の御大親に祈りを捧げているのだった。

 紫峰の結界のせいで魂は自分からはこの場には現れることができない。
史朗は鬼面川の祭祀の中で御霊迎えに近いものを選んで、城崎のために最後のメッセージを聞いておいてやるつもりだった。

 史朗の所作を見ながら雅人はあとで修がこの場に居合わせなかったことを残念がるだろうと思った。
 
 型通りの文言が終わるとなにやらぶつぶつと史朗は話し始めた。
それは誰かと会話をしているようにも見えたが、紫峰家の透と雅人にはあまりよく分からなかった。
鬼面川の血を引いている隆平には何となく会話の意味が分かるような気がした。

 「多分…城崎のせいじゃないっていうようなことを伝えて欲しいんだ。
犯人については何も話していないけど、とにかく城崎のことを心配している…。」

 隆平の翻訳で何となく納得したふたりは静かに史朗の祭祀を見守った。
宗教の違う史朗が勝手に城崎の母親を御大親に委ねるわけにはいかないので、取り敢えずは御霊を安んずる祭祀だけを行なった。

 城崎が必要と感じればあらためて御霊送りをすればいい。
そうでなければ城崎の家の宗旨に従って供養をする方が亡くなった方も家族も安心できるだろう。

 祭祀を終えると史朗は隆平に便箋を持ってこさせて、たった今聞いたばかりの城崎の母親からのメッセージを筆記した。
 城崎がそれを信じるかどうかは分からないが、何か城崎にとって特別なことが書かれてあれば、それなりに感じ取れるものがあるかもしれないと思った。

 史朗がメッセージを書き終えた時、西野が玄関の戸を開け宗主の帰館を告げた。
慌ててはるが玄関の上がり框のところまで迎えに出た。

 「はる…まだ起きていたのか? 身体によくないぞ。 
もう若くはないのだからこれからは僕を待たずに先に休みなさい。 」

修がそう声をかけるとはるは嬉しそうに頷きながら答えた。

 「勿体無いお言葉を有難うございます。 
はるの後任がちゃんと育ちましたらそうさせて頂きます。 」

はるの後任…? 修は訝しげな目を向けた。

 「慶太郎が早くいい人を見つけてくれると有り難いのですが…。 」

 修はそうか…そういうことか…と可笑しそうに西野の方に顔を向けた。
西野は突然の伯母の言葉に豆鉄砲を食らったような顔をしていた。

 居間の入り口のところで史朗は修を出迎えた。
修は史朗がすでに故人と対話を試みたことを感じ取った。

 「これといって犯人逮捕に役立つような情報はありませんでしたが…城崎くんにとっては或いは救いとなるやもしれません。 」
 
史朗は受け取った故人からのメッセージについてそんなふうに報告した。

 「城崎は葬儀が終わったら戻ってくるだろう。 その時に渡してやろう。
おまえたち…部屋へ戻って休んだ方がいい。 もう何時間も寝られないぞ。」

 話を聞きながら欠伸をしている透たちに修はそう声をかけた。
透たちはふたりにおやすみと挨拶をして自分たちの部屋へ引き上げていった。

 史朗もマンションには帰らず、母屋に与えられた自分の部屋で休むことにした。
祭祀や剣を操る能力しかないはずの自分が、なぜほとんど無関係な人の魂を無意識にキャッチできたのか…それが不思議で仕方なかったが明日を思えば睡眠を先行させるのが得策と考え黙っていた。
 温かい毛布に包まれてうつらうつらしながら、今度彰久さんにでも…訊いてみようかな…と思う間もなく史朗は深い眠りの世界へと落ちていった。



 安定期に入って鈴の状態も少しは良くなるかと思われたが、鈴は相変わらず病院暮らしで点滴に繋がれたままだった。

 点滴の針の痣だらけな腕を見るたび雅人の胸が痛んだ。
時々は修や笙子が見舞ってくれているようで、史朗も様子見がてら寄ってくれることがあるという。
鈴はそのことにとても感謝をしていた。

 「安定期に入ったら戻ってこれるかと思ってたのにな。
はるさんもあの部屋にベッドを入れて鈴さんが寝起きしやすいように模様替えしたんだぜ。 」

 身重の鈴が実家へ戻っても親にもいい顔をされないことを知った紫峰家の面々は、離れの部屋を鈴が過ごしやすいように手入れしたのだった。
それを知った鈴は本当に嬉しそうに微笑んだ。

 「有り難いことです。 宗主からも笙子さまからもいつもお心遣い頂いて…。」

 笙子は自分が病院へ来る折には必ず鈴の病室へ寄ってくれるらしく、ふたりでベビー服やベビー用品などの準備について相談し合っているようだった。

 笙子の場合は前の年に身籠った時に大方の準備をし終えていたので、かさばる物についてはそれ以上必要なかったが、鈴は初めてなので入用なものが多かった。
 動けない鈴に代わって笙子が少しづつ仕度を整えているようで、時々紫峰家の鈴の部屋に包みが届いた。

 「まだ…そんなに目立たないねぇ。 おちびさん早く大きくなってくれよ。 」

雅人が鈴の御腹に触れながら楽しげに言った。

 「こんなに小さくても心臓の音はちゃんと聞こえるんですよ。
それに気のせいかもしれないんですけど時々御腹の中を小さな魚が泳ぐような感覚があるんです。 不思議ですねぇ。 」

鈴は母親にしか感じられない微妙な感触を語って聞かせた。

 「金魚ちゃんかぁ。 いいなぁ。 僕らにはそういう感覚は味わえないもんな。
あ…そう言っちゃ悪いよな。 女の人はこんなにつらい思いしてるんだからさ。」

不謹慎だったと雅人が素直に詫びると鈴は可笑しそうに笑った。



 笙子のマンションの居間のテーブルの上は、ベビー用品のカタログならぬ新しいマンションの物件カタログで占められていた。

 もともとこのマンションは笙子がひとり暮らしをしていた時に購入したもので、今までなら修や史朗が出入りしても狭いということはなかったが子どもが生まれるとなるとやはり手狭だった。

 前の子の時も考えてはいたが、仕事が予定より忙しかったのといざとなれば紫峰家で子育てすればいいことなので取り立てて慌てもせずにいたのだった。

 「史朗ちゃんちの近くにね。 大きなマンションができてワンフロア全部がひとつの家みたいなタイプのがあるのよ。 」

笙子がそう説明すると修はそのカタログを手に取った。

 「間取りもいいし部屋数もあるの。 そこなら史朗ちゃんも一緒に住めるし、子どもが増えても大丈夫よ。 」

 実際に物件を見てみないとなんとも言えないが、ワンフロアで一軒分というのがまあまあ修の希望する条件に合っていた。 
   
 「他人にいろいろ詮索されずに済むからな。 週末にモデルルームを見に行こう。 史朗の都合を訊いておいてくれるか? 」

いいわよ…と笙子は頷いた。

 「笙子…彰久さんちの玲ちゃんの方が早く産むんだっけ? 」

修が義理の妹の出産予定を訊いた。

 「そうよ。 玲子、鈴さん、私の順番。 
でもそんなに予定日が離れてないからかぶるかもよ。  
みんな無事生まれてくれるといいけど…。 」

 笙子は心からそう願った。
今年の春のつらく苦い思いを修も笙子も二度と味わいたくはなかったし、他の人にも味あわせたくはなかった。

 「そうだな…。 」

そう相槌を打って修は不安そうな顔をしている笙子の手をそっと握り締めた。


 
 『だから何がどうなっているのかくらい教えてくれよ。
この頃全然連絡がないから悟兄さんも僕もほんと心配してるんだぜ。 』

 受話器の向うからいらいらしたような晃の声が響いてきた。
言われてみれば城崎と関わって以来、藤宮を巻き込まないようにというのでほとんど会っていなかったし、できるだけメールも控えていた。

 隆平は晃とは大学で顔を合わせることもあったが、一般的な会話だけに終始して城崎のことについて語るのは避けていた。

 「ごめん。 悟もおまえも話せばきっと手を貸してくれようとするだろ。
そうなったら藤宮を巻き込んじゃうからね。 それだけは避けないと…。
黙ってたんだけど時々城崎を助けたり匿ったりしてたんだ。 」

 ええっ…!と驚くような声が受話器から二重奏で飛び出した。
透は思わず受話器を耳から離した。
悟が傍にいるのが分かった。

 「紫峰家はすでに関わってしまったから動くより仕方ないけど、藤宮に波及しないようにがんばって食い止めるからさ。
 連絡がなくても心配しなくていいよ。 大人たちもついてるし…ね。
だから…できるだけきみたちは知らん顔してて…。」

 晃の後ろで悟が何か言っているようだった。
慎重な悟のことだからしばらく様子を見ようとでも話しているのか。

 『分かった…でも何か手に余るようなことがあったら絶対絶対連絡くれよ。 
すぐに行くからな。 』

 晃はそう言うと電話を切った。
藤宮だけでなく同じ紫峰である春花と夏海もおそらく連絡がないことを気にしているだろう。
まあ…彼女らの場合は貴彦伯父さまが何とでも言い繕ってくれるだろうけれど…。

 

 城崎が岬に伴われて紫峰家へ戻ってきたのは告別式が終わって間もなくだった。
当初は母親の喪が明けるまでは実家においておくつもりだった城崎の父親は、寝ても覚めても自分を責め続ける城崎の様子を見て、このまま家においておくのは息子のためにならないと考えた。
 紫峰家に置いてもらえば同い年の話し相手がいる。 
それだけでも救われるのではないかと思った。
それに…瀾には後継者としてやらねばならぬことがある…。

 「これは母上が亡くなられた時に家の史朗が受け取ったメッセージだ。 」

 修は城崎に母親からのメッセージを渡した。
死者からのメッセージなどさすがの超能力者城崎も体験のないことだった。
半信半疑城崎はじっと内容を読んでいたが、ある一文を食い入るように見つめた。

『…御腹の中を泳いでいた金魚ちゃん…この世に生まれ出でたからにはしっかりと世間という海を泳いでいかなくてはなりませんよ…』

 「お袋の口癖だ…。 」

 城崎はそう呟いた。
メッセージはそんなに長くはなかったが、残された城崎を励ますような愛情深い暖かい言葉が断片的に並べられていた。

 城崎は思わず涙をこぼした。
自分が死んだのは決して城崎のせいではないのだと繰り返し述べられてあった。

 死に目に会えなかった城崎だったが、史朗という祭主のおかげで母親の最後の言葉を聞くことができた。

 毎日多くの人が亡くなっていく中で、この世でもっとも愛する人々の最後の言葉を聞ける人がどのくらいいるだろう。
自分は本当に幸運だったと城崎は思った。
 
 「悲しんでいるきみに慰めの言葉も掛けずに厳しいことを言うようだが、きみはすぐに修練をしなくてはいけない。

 きみの父上は本当は母上の死を予感しておられたのだろう。
だからきみのせいではないということも分かっておられた。

 きみのやるべきこと…それを学ばせるためにここに戻されたのだよ…。
恥を忍んでご自身ではきみに教えられぬと告白されたようなものだ。
その気持ちを察しておあげなさい…。

もう少し早いうちであればご自身でもできないことではなかったのだが…。」

 修は城崎に父親の気持ちを伝えた。
俄かには素直に受け取ることのできない城崎だったが、その気持ちを理解するのに急ぐ必要はないと修は言った。

ゆっくり時をかけ少しずつ噛み砕いて理解していけばいいと…。




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最後の夢(第二十話 新たなる犠牲者)

2005-10-23 23:44:30 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 表門より少し手前のところで史朗は車を止めた。雅人を車に残したまま、自分の記憶に残る場所を探し始めた。
 早咲きの山茶花が1~2輪咲き始めている場所…。紫峰家の塀の一部の様子が確かに史朗の目に焼きついていた。

 雅人も車から降りてきた。
表門の方から西野が現れた。西野は雅人から連絡を受けた後、紫峰家を廻る塀のあらゆる場所を見て回ったがこれと言って異常はなかった。
 
 「ここだ…。 女性の気配だ…。 」

 史朗は大きな山茶花の古木がある辺りの塀に手を当てた。
西野はその場所を確認したが、誰もよじ登ったような後はなかった。

 「おかしいですね…。 誰かが侵入した気配はどこにもないんですよ。 」

 西野は首を傾げた。史朗のことをよく知っているだけに史朗がいい加減なことを言う男ではないこともよく分かっていた。

 三人がその場を調べ始めた時、帰宅してきた修の車がすぐ脇に止まった。
西野が車から降りてきた修を迎えながら状況を説明した。

 「史朗が見たのだね? 」

修が訊ねた。

 「そうです。 僕にそんな力があるとは思えないのですが…確かに。
それにこの塀のところには女の人の残留した気配が感じられるのです。 」

 史朗が山茶花のある位置を指差した。
修はその場所に触れてみた。そっと目を閉じて気配があれば感じ取ろうと試みた。
やがてはっとしたように西野の方を振り返った。

 「慶太郎…すぐに城崎の実家に問い合わせて何か異変がなかったか確認しろ。
この女性は多分城崎の一族の者だ。
史朗がキャッチしたということは…意識がないか…亡くなっているか…だ。 」

西野は急いで本家に向かった。

 「何故…城崎の家だと分かるの? 」

雅人が訝しげに修を見た。

 「ほんの僅かだが城崎の一族特有の気配がある。塀に触れてごらん。
おまえも感度はいい方だ。 」

修に言われて雅人も実際に触れてみた。

 「ほんとだ…城崎と同じだね。 あ…でもだんだん消えていく。 」

 「僕らには長時間感じ続けることはできないが…史朗には感じられる。 
鬼母川の者は死者や生霊の気配には敏感だからね…。 」

修がそう言いながら史朗を見ると史朗は頷きながら静かに微笑んだ。

 「取り敢えず、僕らも母屋に戻ろう。 」

修が帰宅を促し、三人は母屋へ向かった。



 玄関先で西野の出迎えを受けた三人は、つい先ほど城崎の家で城崎の母親が何者かに襲われたことを聞かされた。
 背後から後頭部を何かで一撃され気を失ったということで、史朗が女性を見たその時あたりに事件がおきたのではないかと西野は言った。
 
 西野が確認したところでは倉吉や岬はすでに現場に急行しているらしい。

 病院に運ばれた城崎の母親は今のところ命はあるものの重体らしく、現在手術中ということで、できればすぐに城崎を連れて病院へ向かって欲しいと家の者が話していたそうだ。
 
 雅人は急いで城崎を呼びに行き、西野が運転手を呼んで宗主の車を用意させた。
騒ぎを聞きつけた透や隆平が部屋から飛び出してきた。
 城崎は表面上は落ち着いて見えたが、さすがにショックを受けているようで何度も西野に母親の容態を訊ねた。

 「これから宗主と僕がきみを病院まで送って行く。気をしっかり持つんだよ。」

 西野は分かる範囲の状態を知らせた後そう言って励ました。
城崎はただ頷くばかりだった。

 「史朗…後を頼むよ。 何かあったら連絡する。 」

 「分かりました。 お気をつけて…。 」

 すでに史朗を紫峰家の者と見なしている修の口調に、史朗は自分も紫峰家の一員として応えた。
家の者が見送る中、城崎を連れて修と西野は病院へと向かった。

 「大丈夫だろうか? 」

雅人が不安げに史朗に言った。

 「なんとも言えないけれど…僕が感じられるのはまだ死んではいないということだ…。
 お母さんの魂があの塀から中に入れなかったのはきっと紫峰の張っている特殊な結界のせいだね。 」

 史朗は簡単な所作と文言で城崎の母親の回復を祈った。
隆平が同じように祈りを捧げた。

 居間に集まってそれぞれに落ち着かない時間を潰しながら連絡待ちをしていると、はるがおにぎりを山のように盛った大皿を運んできた。
後ろから若い厨房係が味噌汁の鍋と椀を持ってついてきていた。

 「長い夜になりそうでございますから、腹ごしらえを…と思いまして。 
かしわの御味御付けなどお持ち致しました。 」

はるはそう言うと汁椀に鳥汁を盛った。

 「さすがはるさん…分かってる~。 実はね。 史朗さん晩御飯まだなんだ。」

 すばやくおにぎりを手に取った雅人が嬉しそうに言った。
透も隆平もすでにおにぎりをほおばっていた。

 「まあまあ…それはお可哀想に。 なにかお惣菜をお持ちしましょう。 」

 「いいえ…おにぎりで十分ですから。鳥汁もありますしどうかお気遣いなく。」

 史朗は慌てて断った。
御腹は空いているがはるの手を煩わすのは気の毒だ。
本当におにぎりだけでも有難いと史朗は思っていた。

 「史朗さま…はるに遠慮は無用でございます。 
史朗さまはすでにこの家のご家族におなりあそばされたのでございますから…ご入用な物はいつ何時でもお申し付け下さいませ。 
 そもそもこの紫峰家は…」

 「はるさん…そこまで。 史朗さんが食べられないよ。 」

 透が急いでストップをかけた。
以前同じ目に遭いそうになった隆平もうんうん…と同意するように頷いた。

 はるは分かりましたというように一礼すると、早速惣菜作りに向かった。
はるが行ってしまうと史朗はほっとしたようにようやく雅人が渡してくれた鳥汁の椀に手をつけた。



 病院の手術室前に設けられた待合室では城崎の父親がじっと手術が終わるのを待っていた。

西野が声を掛けると立ち上がって息子と紫峰家の宗主を迎えた。

 「わざわざご面倒をおかけしまして申し訳ないことです。
ただでさえ、こいつがお世話になっているというのにこのような遅い時間にこんなところまでお出まし頂きまして。 」

城崎の父親は恐縮して修に頭を下げた。

 「いいえ私どもの方はたいしたことでは…それにしても酷い話ですね。
女性を後ろから殴りつけるとは…。 

 今夜は奥さまは遅くまでおひとりで居られたのですね? 」

修はそれとなく事件のことを訊ねた。

 「はい…。 今夜は仕事先の接待がありまして私が遅くまで出ておりまして…。
内妻の頼子は友人の家へ遊びに行っていて難を逃れましたようで…。

 使用人たちは離れに居りますのでこちらが呼ばぬ限り夜は母屋には居りません。
そこを狙われたようです…。 」

心配と怒りの溜息混じりに城崎の父親は語った。

 「俺のせいだ。 俺が馬鹿だったばっかりに…家に犯人を招き入れてしまった。
俺なんか…俺なんかあの時死んでればよかったんだ。
俺が殺されていれば…お袋はこんな目に遭わずに済んだのに…。 」

 突然、城崎は泣き崩れた。
自分の慢心のせいで無関係な人が次々に身代わりに…犠牲になっていくことを考えるともはや耐えられなかった。

修はそっと城崎の肩を抱いた。

 「これは決してきみのせいではない。 私が自信を持って断言する。

 だから死んだ方がよかったなどと口にするのはやめなさい。
そんなことを言うと誰よりも母上が悲しまれる…。 」

 城崎の肩をぽんぽんと叩きながら修は城崎を窘めた。
城崎の父親が驚いたような顔をして修を見た。
彼もまた同じことを考えていた。

 「宗主のおっしゃるとおりだ。 瀾…お母さんのことはおまえのせいではない。
全く無関係とは言えないにせよ…今回のことは今までの事件と単純に結びつけるには無理がある。 」

 城崎の父親も息子を元気付けるように言った。
城崎はそれを意外に思った。
城崎は父親から何もかもおまえのせいだと罵られることを覚悟していたのだ。
しかし父親は城崎を少しも責めようとはしなかった。
 
 やがて手術室の扉が開いて執刀医が現れた。
助手も看護婦も誰ひとり姿を見せないことがすべてを物語っていた。

 再び静かに扉が開くと白い布に覆われた城崎の母親を乗せたストレッチャーが運び出されて来た。

 城崎は震える手で母親の顔の部分から布を除けた。
物言わぬその顔を大事そうに両手で擦り、堪らずに母親を呼びながら慟哭した。
城崎の父親はただ唇を固く結び両の瞼から涙をこぼした。

 悲しみにくれる父子の邪魔をするわけにもいかず修はそっとその場を離れた。
西野が待合室の向うから合図をした。

 見ると倉吉と岬の姿があった。
城崎に気付かれぬように修は照明のおとされた外来のラウンジでふたりに会った。

 「この事件には互いに繋がりのない複数のクループが関与していると宗主は考えておられる。
 長からそのような話を聞きました。
我々も全く同意見です。 
 これまでの捜査で最初の犠牲者と容疑者にはなんら組織的な背景がないことが分かっています。 」

 倉吉が小声でそう囁くように言った。
修は頷いた。

 「ただ…我々に何が分かったとしても裏づけができなければ、警察の仕事としては成り立たないので…。 」

 倉吉の声はいかにも残念そうだった。
特殊能力で何を見つけたとしても検察に提出するに足るだけの証拠固めができなくては話にならない。

 「私は部外者だ。 気にする必要はない。 きみたちの仕事が成り立つように事を運んでくれればいいことだ。

 城崎親子には本当にお気の毒で心からご同情申し上げるが、今回のことはきみたちにとっては捜査が進展するきっかけになるのではないかな。 」

 そう言って探るような目でふたりを交互に見た後、ふたりに背を向けた。

 「私はこれで失礼するよ…岬くん…城崎くんの護衛を頼む。
葬儀が終わったらまた紫峰家でお預かりするよ。
 城崎くんにはどうしても身につけてもらわなければならないことがあるのでね。
送ってきてくれるかね? 」

 「勿論です。 お任せください。 」

岬は直立不動で答えた。

宗主修は頷くと西野を伴って彼らの前から去っていった。





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最後の夢(第十九話 複雑だよね…)

2005-10-21 22:19:16 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 ひとり増えた朝の食卓は一段と騒がしく活気に溢れていた。
実家にいたときにはろくに食べたいという気も起きなかった城崎だが、透たちといると食欲も湧いて出されたものをきちんと平らげた。

 修の体調もすっかり回復し、朝から機嫌よく出勤していったので雅人はほっと胸を撫で下ろした。
 
 食事が済むと透たち三人は学校へ出かけていったが、城崎はしばらく休むことになっていたため部屋に戻った。
 しばらくぼんやりしていたが修の言葉を思い出し、最長老の一左衛門を訪ねることにした。

 はるに一左の部屋の場所を聞こうと居間まで出てきた城崎は、ちょうど散歩に出かけるところだった一左と出くわし城崎も散歩に御伴することになった。

 目的もなくただ歩くだけなんてつまらないことだとずっと思ってきたが、母屋の裏の林の落ち葉の道をのんびり歩いていると、自分が狙われていることも父親に対する苦々しい思いも何処かへ飛んで行ってしまいそうだった。

 城崎は一左に問われるままにいろいろな話をした。そして一左からもいろいろな話を聞いた。

 「ある時期から私はずっと眠り続け、この世に存在しないのと同じ状態が30年近くも続いた。

 その間、数年の宗主不在を経て、長老衆の判断で今の宗主が5歳の頃からすべてを背負わされ、ひとり戦い続けてきた。
両親も祖母や叔父夫婦も一族に入り込んだ狡猾な敵に命を奪われた。 

 身近に恐るべき敵がいて自分の命すら危うい状態で、従弟ふたりを育て、もうひとりの従弟の生活の面倒まで見ながら、この紫峰の一族を護り抜いたのだ。

 財政に関する事の他は誰に何を教わることもできず、頼るべき人もなく、ただ独力で学び、鍛え、自分を育て上げた。

 宗主がこの紫峰と子どもたちのためにどれほどの犠牲を払ってきたかはみんなが知っている。
 
 だから宗主が若いからといって宗主の言葉を蔑ろにするような者はこの紫峰には居らん。 
我々長老衆にとっても宗主は絶対的存在だ。 」

 城崎は改めて自分の一族について振り返った。
城崎の知っている限りではそんなにも大変な戦いをした人物は城崎の一族の中には思い当たらなかった。
逆に平和ボケの観があった。

 「きみの父上が顧みてくれないからといってきみが学べない理由にはならない。

 私が30年も眠っていたために、さっきも言ったように宗主は誰を導とすることもできず、ひとり紫峰の歩むべき道を模索し自らを律して生きてきたのだ。

愚痴を言っている暇に学びなさい。 きみもやがては長になる人だ。 」

 幼児期から青年期にかけてだなんて…普通なら大人に護られて過ごすはずの時期を宗主はどんな思いでひとり生きてきたのだろう。

 苦しくはなかったか…悲しくはなかったか?

 「俺はきっと宗主のような立派な生き方はできないでしょう。
お手本にはしたいけれど…あまりにも聖人のようで人間離れしていますから…。」

 城崎の応えに一左は笑った。

 「確かに…な。 だが宗主も人の子だよ。 
苦しいことも悲しいこともたくさんあったんだよ。 言わないだけでね。 」

 かさかさと音を立てて枝に残っている枯葉が舞い始めた。
まもなくやってくる本格的な冬の訪れを告げるように…。



 史朗の部屋の前で雅人は史朗の帰りを待っていた。 
バイト帰りのこの時間でも部屋にいないところを見ると、ひょっとしたら今夜は笙子のマンションへ行っているのかも知れない。
 あと10分だけ待って史朗が帰ってこなければ、雅人も次のバスで家に戻ろうと思っていた。

 バスの時間が迫った。そろそろ帰ろうかな…とエレベーターの前まで行った時、扉が開いて中から史朗が姿を現した。
史朗は驚いたように雅人を見た。

 「雅人くん。 来てたのか。 ずいぶん待ったかい?  」

史朗は慌てて鍵を開けると部屋に飛び込んで雅人のために暖房を入れた。

 「携帯入れてくれればできるだけ早く帰ってきたのに…寒かったろう? 
いまお茶を入れるから…。 そこ座ってて…汚れてるけど。 」

 「いいよ史朗さん…すぐ帰るから。 急に来たりしてごめん。 」

 雅人はそう言いながらカーペットの上に腰を下ろした。
史朗は温かい紅茶を入れて持って来てくれた。

 「少しは温まると思うよ。 風邪引かないといいけど…。 」

 雅人は礼を言って紅茶を飲んだ。胃袋まで温まっていくようで心地よかった。
人心地つくと雅人は昨日の出来事を話し始めた。

 「夕べ修さんが発作を起こした。 笙子さんの言ったとおりだった。」

史朗はえっ?と訊き返した。

 「僕…どこかで高を括ってた。 
写真や映画を見せられたくらいで発作なんて笙子さんは大袈裟なんだと思ってた。
 でも…本当だった。 吐き気なんて生易しいもんじゃないんだ。
顔色が真っ青で呼吸までひどく乱れて…そのまま倒れてしまうんじゃないかと思ったくらい。 」

 雅人は順を追って発作の様子を史朗に伝えた。
史朗は相槌を打ちながら真剣に話を聞いていた。
 
 「笙子さんにも連絡しなかったんだけれど、史朗さんの耳には入れておいた方がいいかなって思ったから…。 」

それを聞くと史朗はふっと笑った。

 「僕が修さんに発作が起こるようなとんでもないことをしないように…? 」

雅人は違う…というように首を横に振った。

 「そんなつもりじゃないんだ。
僕のようなお調子者はともかく、史朗さんは大丈夫だろうけれど一応ね…。」

それを聞いた史朗は探るような目で雅人の目を覗き見た。
 
 「雅人くん…ちょっとばかり不安だったろ。 
みんなの前では落ち着いて対処しているように見えるけれど…本当はどうしていいか分からなかったんだよね?
 よく堪えたね…。 」

史朗は雅人の気持ちを言い当てた。雅人は驚いたように史朗を見つめた。

 「思いがけないことって結構起きるものなんだよ。
他のことならきみもそんなに動揺はしなかったんだろうけど、修さんの発作じゃ心配の方が先に立つし…ね。 」

 意外にも落ち着いた態度で史朗は発作の話を受け止めた。
もっとうろたえるかと思っていたが、そうした様子は見受けられなかった。
 
 「平気なんだ…史朗さん。 見た目よりずっと男だね。 」

雅人の言葉に史朗は思わず噴き出した。

 「どういう意味かは分からないけど…仕事上突発事故に慣れているだけだ。
実際に仕事してるとね。 
 あってはならないことだけれど、それでも起こり得るというような事象を多々経験するんだ。
 だから僕は常に起こるかもしれない…じゃなくて必ず起こる…と想定して動く。
ちょっと悲しいことだけれど修さんのこともそう…。 」

少し寂しげに微笑んだ。

 「え~? だって史朗さんほどピュアな人はいないって僕ら思ってるのに…。」

雅人は気の抜けたような声を出した。

 「何を以ってピュアというのかは知らないけれど…僕の中にも打算はある。
勿論、修さんへの気持ちは本物だよ。  
優しくて思いやりがあって温かいあの人の在りように不満はないけれど…。

 だけど…正直言って修さんは怖ろしい人だ。 
いつ何時自分の中の鬼の一面を僕に向けてくるかも分からない。
鬼をかわすことを常に考えておかないと僕もつらいからね…。 」

心なしか史朗の声が震えていた。

 「時々、僕にも向けるよ…鬼の顔。 透には絶対向けない顔だ。
それでも僕はまだ肉親だから…史朗さんほどは深刻じゃないかもしれないけど。
あの仮面のような表情を向けられるとほんとぞっとする…。

 あ…でも修さんが史朗さんに惚れ込んでるのは事実だよ。
僕が修さんを襲うのは半分は史朗さんへのやきもち…後の半分は遊びだって修さんとっくに気付いてるもん。 」

史朗は可笑しそうに声を上げて笑った。

 「正直だね…きみは。 だから憎めないんだ。 
修さんは僕自身じゃなくて僕の祭祀の所作や舞いに惚れ込んでくれてるだけ…。
 僕がただの木田史朗で…華翁閑平じゃなかったら…修さんにとっては憎いだけの相手だもの。 」

 確かに雅人に笑い掛けているのに史朗の顔は悲しみに満ちていた。
残酷な告白が史朗の心をいつも責め苛んでいるのが分かった。

 「でもね。 僕は別に卑屈になってるわけじゃないよ。
だって仕事でも祭祀でも確かにあの人に認めてもらえるものがあるんだから…。
なんかね一端の男として認めてもらってるには違いないんだけど…複雑だよね。
矛盾してて笑える。 」

そういうところが修さんの頓珍漢なところで…と雅人は思った。

 「あ…もう行かなくちゃ最終がなくなっちゃう。 ごめんね史朗さん。
急に押しかけて…。 」

腕時計を見た雅人はそう言って立ち上がった。

 「雅人くん…送ってってあげるよ。 途中でなんか食べよう。
夕食まだなんだ…ってもうそんな時間じゃないんだけどさ。 」

史朗は壁に掛けてあった薄手のブルゾンを手に取った。

 「ご飯前だったの? 悪いことしちゃったなぁ…ほんとごめん。 」

 玄関を出ようとした所で史朗は急に立ち止まった。
何か食い入るように宙を見つめている。

 「今…紫峰家に何かが侵入しようとした。 でも何かに阻まれて入れない…。」

史朗はそう呟いた。

 「ええっ? だって史朗さん…祭祀の力以外は使えないんじゃなかったの? 」

 雅人は驚いて史朗を見た。
史朗は恐るべき祭祀の力と剣など物を操る力を持っていたが、透視能力やその他の力は持ち合わせていないはずだった。

 「でも…見えたんだよ。 すぐに行こう。 取り敢えず、車から本家に携帯してくれる? 」

 史朗が車を走らせる間に雅人は携帯で西野に侵入者の恐れがあるので注意するように伝えた。

 「何故だろう? 僕に見えるはずがないのに…。 」

 史朗はずっとそれを考えていた。
とにかくその場所へ行けばそこに残留思念が感じられるはず…。
はっきりと自分に感じられるのならそれは亡くなった人のものかもしれない。
あるいは生霊の…。

史朗は突然降って沸いたような力に何か不吉なものを感じていた…。




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最後の夢(第十八話 淫らな女)

2005-10-19 23:05:00 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 宗主が帰館したというので透たちに起こされた城崎は、寝ぼけた顔で宗主の前に出るのが悪いような気がしてきちんと顔を洗った。
顔を洗って出直すとはこのことかと自嘲した。

 岬が車の中から持ち出してくれたらしい自分のバッグを何気なく抱えて、透たちと座敷へ向かった。
 
 背の高い若い男が城崎を待っていた。
体中がぺしゃんこに押し潰されそうなほどの強い圧迫感から、その男が以前ここで会った宗主に間違いないと感じた。

 城崎は宗主の前に出ると透たちと一緒に手をついて丁寧にお辞儀をした。
宗主は穏やかに微笑んでいた。

 「久しぶりだね。 体調が悪いと聞いているが大丈夫かい? 」

優しく問いかけられて城崎は素直に頷いた。

 「僕に何か話しがあるとか…聞かせてもらおうかな。 」

 宗主はじっと城崎を見つめた。
視線を合わせることが出来ず、城崎は目を伏せたまま話出した。

 「お願いがあります。 どうか宗主のお力をお貸しください。
俺という人間の存在をマスコミと世間の記憶から消し去ってください。
 俺が愚かだったばっかりに岬さんに怪我を負わせ、紫峰家の方々にご迷惑を掛ける結果となってしまいました。

 本当なら自分で責任を負わなければならないところですが、情けないことに俺にはそれだけの力がありません。
 このままではまた無関係な人を次々と巻き込んでしまうのではないかと悩んで悩んで悩みぬいた挙句…恥を忍んでお願いに上がりました。 」

 城崎は心なしか震えているようだった。
宗主はしばらく無言で何かを考えているようだった。

 「その願いを受け入れたとして、その後きみはどうするの? 」

宗主は訊ねた。

 「もし幸運にも犯人に殺されずに済んだなら、普通の学生に戻り、二度と人前で力は使いません。 」

城崎はそう断言した。

 「実は…同じことを以前にきみの父上から頼まれたことがある。
その時はお断りしたのだが…。 
 きみが父上に相談したわけではなかったのだね? 」

 宗主は訝しげに城崎を見た。
城崎の目に怒りが宿った。

 「あの男には何も話す気はありません。
あの男が相談に来たとすれば、いま俺に死なれたら城崎の後継者がいなくなるから何とかしようとしているだけなんです。
あの女に子どもでも出来れば俺などどうなってもいいと考えるでしょう。 」

 宗主は黙って城崎の話を聞いた。
城崎の胸の内に溜まっているものを吐き出させてやろうと思った。

 「俺は幼い頃からあの男に遊んでもらった記憶など全くありません。
可愛がられたり、抱いてもらった記憶すらない。
  会えばごちゃごちゃ小言を繰り返すだけで、どんなにつらい時でも振り返ってもくれなかった。 」

城崎は唇を震わせ両手をぎゅっと握り締めた。

 「用事がなければほとんど家には帰らず、俺とお袋を置き去りにしておいて…。
それがこの頃急に帰ってきたと思ったらあの下品な女を家に連れ込みしたい放題。
あのおしゃぶり女がでかい顔して屋敷をうろうろするのに我慢がならなかった。
ちょうど親父と力のことで意見が対立したのをいいことに俺は家を出ました。 」

宗主は少し困惑したように城崎に言った。

 「若い内妻さんがいることは気付いていたが、病気の母上の代わりをしていると聞いているよ。 」

 「馬鹿馬鹿しい。 あの女にお袋の代わりなんて出来ませんよ。
どんな女かお見せしましょうか? 」

城崎はバッグの中から封筒に入った写真を取り出した。

 「これは俺が興信所に調査させたものです。 
三流のエロ雑誌やSM写真のモデル、不正に作られているAVの女優とかね。
どこだかの卑猥な店で男しゃぶってたなんて話も聞いています。
そんなことをやってきた女です。 ずいぶんな写真でしょ。 」

 城崎は宗主の目の前に父親の内妻の淫らな写真をぶちまけた。
瞬時に修の顔色が変わった。顔を背けたぐらいでは耐えられず固く目を閉じた。

 「城崎! さっさと写真をしまえ! そんなものを宗主に見せるな! 」

 雅人が慌てて叫びながら宗主の傍に駆け寄った。
修は身を屈めて胃の辺りと口元を手で押さえていた。
必死で襲い来る嘔吐感を堪えている。
顔面蒼白になって苦しむ修の姿を雅人も隆平も透でさえも初めて見た。

 透と隆平は急いで写真を拾い集めた。
城崎は何が起こったのか分からず呆然と彼らを見つめた。

 雅人は何度も修の背中を擦った。
修は嘔吐感が治まってもつらそうに喘ぎ、冷や汗をかき、動けなかった。

 「大丈夫? 少し向うで休む? 」

 雅人は笙子の話が大袈裟ではなかったことを実感していた。
決して笙子の話を信じていないわけではなかったが、実物ならともかく写真を見るくらいでこれほどひどい状態になるとは思ってもいなかったのだ。 

 「何? どうなったの? 俺何かとんでもないことした? 」

城崎はひどく動揺して隆平に訊いた。

 「きみのせいじゃない…宗主はこういう写真が苦手なんだ。」

 集めた写真を手渡しながら隆平は城崎を安心させるように軽く微笑んで言った。
いくら育ちがいいといっても大の男がこの手の写真で…?城崎には目の前の光景が信じられなかった。

 「宗主の体質なんだよ。 無修正Fカップヌード写真集くらいが限界かな。 」

透がそう補った。ああ…そうか…その手ね…健全お色気タイプなら大丈夫なのか…と城崎は思った。

 そうこうしているうちに何とか気を取り直した宗主は、顔色が冴えないながらも再び話せるようにはなった。

 「失礼した…。 まあ…そういうことを生業にしてきた方だからといって、その方の人柄までをどうこうとは僕には言えないが、少なくとも…きみの父上と僕とは絶対に相容れないタイプだということが分かった…。 」

だろうな…と城崎は思った。

 「とにかく…このままではいけない。 
先ずすべてを白紙に戻す必要があると感じたのです。
 世間が俺を忘れてくれれば、運がよければ犯人も俺という目撃者の存在を忘れるかも知れません。
 相手が能力者ならそうはいかないでしょうが、もし能力者だったとしても余計なものを取り去って身軽になったところで犯人と向き合います。

 俺自身が狙われるのは自業自得ですが周りが傷つくことには耐えられません。
このままでは俺は岬さんを死なせてしまうかもしれません。」

 真剣な眼差しで城崎は宗主を見つめた。
宗主の視線をあえて避けようとはしなかった。 

 「僕がきみの頼みを聞けば…確かにこれから先はきみに関わってくる問題も減るだろうが…いま現在の事件をどうこうはできないよ。
 岬のことは現状と変わらない。 多分犯人もきみを忘れることはない。 
そのことは承知の上だろうね…? 」

宗主はそう問いかけた。

 「いくら俺が馬鹿でもそこまではお願い致しません。 あくまでこの先の問題を回避したいだけです。 
これ以上誰も巻き添えにしないために。 」

城崎の回答に宗主は頷いた。

 「分かった…。 きみの父上にはお断りしたが…再考してみよう。
少し時間を貰いたい。 

 追って返事をするからそれまではこの屋敷で過ごしなさい。
先ずは…その弱った身体を回復させて戦える力を養うこと…。

 その上で…きみはどうやら統率者としての教育を受けていないようだから、族長として学ぶべきことをこの際ここで徹底的に学んでいきなさい。
最長老が指導して下さるそうだ…。

 警察にもご実家にも連絡は入れておく。 」

宗主はそれだけ城崎に告げると立ち上がった。

 「有難うございました。 どうか…どうかできるだけ良い返事を…。 」

 城崎は畳に額をこすり付けるようにして平伏した。
宗主は軽く頷くとやはりまだ気分が悪いのか雅人に支えられるようにして部屋を後にした。

 「透くん…有難うな。 会わせてくれて…。 隆平くんも…。 」

城崎はほっとしたように肩から力を抜いた。

 「後はきみ次第だよ。 きみがこの先どういう態度で臨むかにかかってる。 
お祖父さまも結構厳しいぞ。 心して向かえ。 」

透は意味ありげににやっと笑った。

 「きみ…ゲーム得意…? 」

 隆平も妙なことを訊いた。
城崎は訝しげにふたりを見た。
堪えきれないというようにふたりはくすくす笑った。



 ベッドで横になっている修の背中を雅人はまだ擦り続けていた。
笙子が言っていたとおり、症状が治まりかけても気分はなかなか良くならない。

 「ごめんね…修さん。 城崎の行動に僕がもっと早く気付いてれば…こんなつらい思いをさせずに済んだのに。」

 修は首を横に振った。

 「誰のせいでもないよ。 
いい年をして…あれくらいの写真に耐えられない僕自身のせいだ。 
もう…平気だと思っていたのに…な。 」

 悲しそうな顔で雅人にそう言った。

 「あれは相当過激だから…嫌いな人もいるよ。 気にしない方がいいよ。 
それに別に変態写真を克服しても意味ないし…。
それが出来ないからって生きていくのに何にも支障はないんだからさ。 」

 修が急に押し黙った。 
何か引っ掛かることでもあるのか考え込んでいる。

 「どうしたの? 気持ち悪いの? 」

雅人は心配そうに訊いた。

 「雅人…推測だけど全く目的を別にする二つのグループが動いているような気がする。 それもお互いに知らない同士で…。 」

修は突然閃いたように言った。

 「なに? 犯人のこと考えてたの? 
そっか…気分だいぶ良くなってきたんだ。」

雅人は少し安心した。

 「雅人…もういいよ。 疲れたろう…? 有難う…楽になった…。
今夜はこのまま休むから…後を頼むよ。 
警察とと城崎の実家には連絡させてくれたね…? 」

 「さっき西野さんが連絡していたよ。 ゆっくり休んでね…。 
気分悪かったら我慢しないで声をかけて…。 」

雅人がそう言うと修は軽く頷いて目を閉じた。

 しばらく様子を見ていたが、修が寝息を立て始めると雅人は部屋の明かりを消していったん修の部屋を出た。

 はるに城崎が当分滞在することを告げ部屋を用意させた。
城崎のことを透と隆平に任せて修の代わりにあれこれと手配を済ませた後、再び修の部屋へ戻った。

 修は特に苦しんだりする様子もなく普段どおり軽い寝息を立てていた。
このまま朝まで何事もなければもう大丈夫。
少しだけほっとした気分になった。

 雅人は両手を頭の後ろへ回して疲れた背筋を伸ばした後、修の傍で自分も眠りについた。





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最後の夢(第十七話 心地よい眠り)

2005-10-18 22:02:10 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 透が大学の構内で声を掛けられた時、城崎は以前とは別人のようになっていた。
頭から栗イガがなくなり、髪色も黒くなり、服装も地味な配色で、一見しただけでは城崎とは分からないくらいの変わりようだった。

 「頼みがあるんだ…。 」

城崎は縋るように透を見た。

 「宗主に会わせて欲しい。 どうしても会わせて欲しい。
このままでは俺は何人を巻き添えにしてしまうか分からない…。 」

透はいったいそれは何の話…という顔で取り合わない振りをした。

 「俺もう限界…。 外に出るのが怖い…。
でもどうしてもきみに頼みたくて姿を変えてきたけど…。
 俺自身がどうのこうのじゃないんだ。これ以上他人を傷つけたくないんだ。 
お願い…取り次いで…。 」

城崎は懸命に頼んだ。しかし透の答えはすげないものだった。

 「犯人の中に能力者がいる可能性がある。もしそうなら姿を変えても無駄だよ。
すでに僕らも射程距離に入っているらしくて…決して安全な状態ではないんだ。
そういう時に大切な人を危険に晒すわけにはいかない。 」

 透たちが狙われる…? 城崎の衝撃は大きかった。 
何度か城崎を助けたことに犯人が気付いたとでも言うのか…?
馬鹿な…ちゃんと障壁を張っていたではないか?
それに相手が能力者なら俺が気付かぬはずが…? 
 
 目の前が急に真っ暗になり城崎は意識を失いかけた。
透が慌てて支えなければ彼は地面に倒れこんでいた。

 城崎の身体が病み衰えているのに気付いた透は、城崎が心身ともに本当に限界まで来ていることを知った。

 「こんなになるまでなぜ黙ってたんだ? 親父さんに相談しなかったのか?」

城崎をベンチに腰掛けさせながら透は訊ねた。

 「誰が…。 あいつは俺とお袋を蔑ろにして下品な女に入れあげた阿呆だ。
あいつに相談するくらいなら死んだ方がましだ。 」

城崎がそう罵った時雅人がやって来た。

 「誰があほだって? おっと城崎じゃないの。 その姿どうしちゃったわけ~?
なんか調子悪そうだな。 どれどれ…。 」

雅人は城崎の手を取った。全身がひどく消耗していた。

 「この頃あんまり寝てないし食ってないだろ。 お付きの警官どうしたんだよ?
姿見えないじゃん。 」

雅人はその辺を見回した。

 「撒いてきた。 これ以上怪我させたくないから…。 いい人なんだよ。
頼む…宗主に会わせてくれ。 」

城崎は懇願した。雅人と透は困ったように顔を見合わせた。

向こうの校舎の方から岬が駆けて来るのが見えた。

 「捜したよ…瀾くん。 勝手に消えちゃだめだ。 また襲われる可能性があるんだから。 」

俯いた城崎の頬を涙が伝った。

 「だからだよ…。 また襲われたら岬さんは俺を庇うでしょ。 
身代わりなんかにさせたくないよ。 あなたを死なせてまで生きなくていいよ。
俺の命なんかいいから…岬さん…もう護ったりしないで。 」

岬はそっと城崎の目線の高さまで屈むと城崎の目を見ながら微笑んだ。
 
 「優しい子だね…きみは…。 でもね…これが僕の仕事なんだよ。
大丈夫…死んだりしないよ。 約束する。 」

そう言うと岬は透と雅人にその場を離れるように目で合図した。

 「お迎えが来たようだから僕たちはこれで…どうやら睡眠不足と栄養不足で貧血おこしてるみたいだよ。 ちゃんと飯食えよ。 」

 そう言い残してふたりはその場を去った。
ふたりはそのまま学舎の二階へ上がり、岬が車を置いたと思われる道路沿いの歩道を空いている講義室の窓から見たが、ちょうど城崎と岬を乗せた車が出て行くところだった。
すぐ後から岬の車を追うように別の車が出て行った。
透はその車の運転席あたりからあの銃撃犯の気配を感知した。

 「うわ! 大変だ! 」

 透は思わず叫んだ。すぐに笙子に連絡を取った。
笙子は倉吉に緊急事態を告げ、倉吉は岬に後方車両への注意を促した。 
 
 

 倉吉から連絡を受けた岬は最初城崎に不安を与えないように黙っていたが、背後に迫る車が勢いを増してくると、安全性の面から知らせずにはいられなかった。

 「瀾くん。 いまこの車はやつに追われている。 
何が起こるか分からんから気をしっかり持って心構えだけはしておいて。 」

城崎は愕然とした。自分はまたこの人を巻き添えにしてしまうのか…。

 「僕のことは考えるな! 僕は大丈夫だから…。 」

 城崎の動揺を感じ取った岬は安心させるように言った。
ウィークデーとはいっても街中は人と車で溢れている。
 こんな交通量の多い市街地で何かが起これば即大事故に繋がってしまう。
岬はできるだけ郊外へ向かって車を走らせた。

 振り切っても振り切っても車はしつこく付きまとう。
追手は運転の腕前もかなりのものとみえ、岬の思う方向には逃れさせてくれない。
岬の車はいつしか公道を抜けて人気のない私有地へと追い込まれていった。 

 力を使うしかないのか…と岬は思った。
使えば追手だけでなく城崎にも分かってしまう。

 その時、追ってくる車の後ろから黒塗りの高級車が姿を現した。
突然の部外者の出現に焦ったのか追手の車はスピードをあげ、岬の車に接触を繰り返した。
 衝撃でハンドルを取られそうになるのを岬はなんとか堪えていたが、先の急カーブのところで道をはずれ窪地に滑り落ち、立ち木と接触して止まった。

 弾みで相手の車も窪地に飛び込んだ。
こちらは鼻先を大破したようだが、メカに異常はないらしく、そのまま道路へと這い上がり、事故に驚いて停車している高級車の脇を抜けてもと来た道へと猛スピードで走り去って行った。

 岬は急いでエンジンを止め、ぐったりしている城崎の様子を確かめてから、本部に連絡を入れた。
 

 黒い高級車の中から運転手が降りてきて岬に安否を訊ねた。
車の方に眼をやると中には上品そうな老紳士が乗っていた。
 岬にはそれが誰であるかすぐに分かった。この私有地の持ち主のひとり、紫峰家の隠居一左衛門だ。

 「家の御大がおふたりをお連れするようにと申しております。 」

 岬は倉吉が到着するまでは現場から離れるわけにはいかないが、城崎の具合が悪そうなので城崎だけ預けることにした。

 紫峰家なら城崎の身の安全は保障されたようなものだ。
運転手は気を失いかけている城崎を軽々と抱き上げると、黒塗りの高級車の方へと運んだ。
 老紳士が後に残る岬の方に顔を向けると岬は恭しく一礼した。
老紳士もまた軽く目礼した。
城崎を乗せた車はすぐその先の紫峰の屋敷を目指して走り出した。



 墨絵の襖で仕切られた青畳の部屋で城崎は目を覚ました。
知った顔が不安げに覗きこんでいた。頭の中がなんとなくまだぼーっとしていた。

 「隆ちゃんじゃないの…? ここ何処よ…?」

 「あ…眼を覚ましたね。 ここは紫峰の本家だよ。 気分はどう…? 」

隆平は心配そうに訊ねた。

 「いいような…悪いような…。」

 廊下らしき方向から透たちの声が聞こえた。
襖が開いて雅人が行平のようなものを運んできた。

 「やっぱり起きてる…。 そろそろかなと思ったんだ。 」

急に意識がはっきりしてきて城崎は慌てて起き上がった。

 「岬さんは? 岬さんは大丈夫? 」

 傍にいた隆平に掴みかかるようにして城崎は岬の安否を訊ねた。
隆平が口を開くより早く菓子パンを抱えた透が答えた。

 「大丈夫だよ。 倉吉って警察の人といま現場で調査中。 」

城崎はほっとしたように力を抜いた。

 「さて…城崎くんよ。 少し腹ごしらえをしようじゃないか?
夕食にはまだ間があるが…まあ…言ってみればおやつだな。 」

雅人は城崎のためにスープのようなものを注いでくれた。
 
 「さあ…ちゃんと食べないと宗主は会ってくれないぞ。 」

 躊躇う城崎を脅すように雅人は言った。
三人がじっと見守る中、城崎は少しずつスープを食べ始めた。
いったん口にするとと身体が要求するのか、思ったより楽に食べることが出来た。

見ていた三人はほっとしたように自分たちもパンをかじり始めた。

 「そう言えば…僕はどうやってここへ来たんだろう? 」

城崎が不思議そうに訊いた。

 「お祖父さまが偶然事故現場を通りかかったんだ。
岬さんは事故の処理があるので現場に残して、きみだけを連れて帰ってきた。 
 きみの状態を診て…無理に家へ帰すと症状が悪化するかもしれないから、しばらく預かっとけって言ってたよ。 」

隆平が説明した。

 「嬉しいけどそれはだめだ。 この家の人が巻き添えを食ってしまう。 」

城崎の表情が曇った。にやっと笑いながら三人は顔を見合わせた。

 「お祖父さまのお言葉なら、それはもとより覚悟の上の話だよ。
力を使ってもいいからきみを護れというご命令が下ったのさ。 
安心していていいよ。 最長老の許可があれば僕らも自由に動けるし戦える。」

 自分たちが能力者だと認めるような言葉を透は初めて口にした。
城崎は改めて紫峰家の意識の高さに驚かされた。

 「宗主は会って下さるだろうか? 」

不安げに城崎がそう呟くと隆平が宥めるように答えた。

 「宗主はまだ帰ってきてないんだ。 それ食べたらもう少し休んでて。
ちゃんと起こしてあげるからね。 」

 久しぶりにまともな食物を御腹に入れて城崎は少し落ち着いた気分になった。
言われるままに布団に潜り込むとやたら眠くなってきた。

 何日ぶりかで城崎は心地よい眠りの世界へと誘われた。

 うとうとし始めた城崎の掛け布団を隆平が掛けなおしてくれたのは覚えている。
その後宗主が帰ってきたと起こされるまで城崎は前後不覚に眠り続けた。





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最後の夢(第十六話 誰もいない夜)

2005-10-17 12:53:24 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 眠りに入ろうとしている修の横顔をぼんやり見ていた雅人は突然史朗のことを思い浮かべた。

 「史朗さんの子孫繁栄の舞いが効いたんじゃない? 笙子さんの赤ちゃんさ。
史朗さん綺麗だったよね…。 修さんが惚れこんだだけのことはあった…。 」

 菊の鑑賞会で史朗の披露した鬼母川の舞い『実り』は結構霊験灼からしく、その後、修夫婦だけでなく彰久や他の何組かの夫婦に朗報を齎した。
 本当はそれ以前にすでに妊娠していた夫婦が多かったのだが、偶然とはいえ縁起がよいというので、日頃どこそこの舞いの会のスポンサーなどをしている長老衆はますます史朗の舞いが気に入ったようだった。

 「そうだな…。 史朗の所作は花の舞を見るようで心惹かれる。
清廉な白梅であったり、可憐な林檎の花であったり、妖艶な桜であったり…ね。」

とても眠りかけていたとは思えない修の返事だった。

 「大変な惚れ込みようだね。 よくそこまで形容するよ。 
で…花の精を可愛がったご感想は…?  」

わざとぶっきらぼうに雅人は訊いた。

 「なんだそれ…? やきもちか…? 
おまえも史朗も笙子には敵いません…と言っておこうかな。 」
 
修は苦笑しながら答えた。

 「答えになってないよ。 ごまかさないでくれる? 
あなたにとっては単なるお遊びでも、僕らはふたりとも真剣なんだから…。」

 不満げな顔を向けて雅人は修を見た。
修は溜息をついた。

 「ごめんな…雅人。 
別に遊びとは思っていないし…僕なりに真剣なつもりではいるんだよ。
それでも僕は越えられないものは越えられない。
 
 おまえが相手でも史朗が相手でもそれは変わらない。
僕自身が受け入れられるところまでしか愛してはやれないんだよ。

 でないと…また発作がぶり返す。 トイレ直行の…カエルさんが…さ。
結構…つらいんだぜ…。 」

 修は雅人に誤解されて悲しげな表情を浮かべた。
雅人も笙子から修の発作の症状については聞いていた。
 雅人や史朗が何れ修と問題を起こしそうだな…と勘を働かせた笙子が、前もってふたりに注意すべきことを教えてくれていた。
 発作は相手が男であるか女であるかに関わらず、行為そのものが修の嫌悪を刺激するかしないかによるという。
 
 笙子と映画を見に行った時に、笙子にはそうは思えないが修にとっては過激な場面に出くわして、とても映画どころではなくなりトイレへ飛び込んだことがある。
精神的なものなので笙子の治療でもその具合の悪さはなかなか治まらない。
 そう言えば修は映画館へは行こうとはしない。
見たい映画はDVDで済ませている。家で鑑賞する分には気分が悪くなってもすぐにやめればいいだけのことだから。
  
 「あのさ…僕も史朗さんも修さんの愛し方には不満はないよ。
でも…修さんはどう見ても史朗さんの方に積極的なんだよね。 」

くすくすっと修は笑った。 やっぱりやきもちだ…。

 「だっておまえは今だって平気で僕のベッドに入り込んでるじゃないか。
いつでも好きな時に僕を捕まえて好きなように僕に迫るだろう?

 史朗は自分からはほとんど何も言わない…こちらが気付いてやらなければずっと黙ったまま…。 」

ま…そりゃあそうだけれど…と雅人は心の中で言った。

 「それに…どうしたって僕にとってはおまえは血の繋がった肉親だもの。
どれほど愛しく思ってもどこかで性的には冷めた部分があるよ。
従兄弟だと知らずにいた訳じゃないし…むしろいつも肉親として近い存在だった。
おまえもそれは感じているはずだ。 それでも史朗と張り合ってるんだろう? 」

図星だ…ゲーム感覚でいるのは自分の方だ…と雅人は思った。

 「史朗はさ…僕の中に史朗に対する愛情と憎悪が入り乱れてあるということを知っている。
 その上で健気にも愛情を向けて貰えるその瞬間を待っているんだ。
どれほど憎まれていようと愛を得られるその一瞬があればいいと考えている。 」

 「酷いよ…それ。 修さん…史朗さんに憎いと言ったの? 
笙子さんのことがあるから? あんなにあなたのことを純粋に慕っている人に?」

 雅人は思いがけない修の言葉に驚いた。
修に鬼と仏の二面性があることは前々から知っていたが、よほどのことがなければ鬼の方はめったに外には現れなかった。
それなのに史朗のような心優しい人になぜそんな悲しい思いをさせたのだろう。
 
 「ずっと傍においておくなら僕の本音を教えておいた方が本人のためさ。
僕の本心を知って史朗は肝を据えたよ。 僕はそんな史朗の心根にできるだけ応えてやりたい。
 おまえから見ると僕のそういう気持ちが史朗の方により積極的なように感じられるんだろうな。 」

修の話を遮るように雅人は唐突に話し出した。

 「いいんだよ。 僕に気を使わなくても…。 好きなくせに。
あなたの腕の中のあの人を見れば誰だって分かるよ。
憎らしいくらい幸せそうでさ。

 僕も透も最初は滑稽な姿を想像してたんだ。
いくら史朗さんの舞い姿が美しくても所詮男だもの、あなたに愛される姿はきっとグロくて笑えるだろうってね。

 でも…僕らは息を呑んだよ。 
女性とも男性ともつかないあの時のあの人の姿が本当に綺麗で…。

 普段のあの人の様子からは信じられなかった。
だって史朗さんは目鼻立ちは整っているけど普通のお兄さんだもんね。 」

修は驚いたように雅人を見つめた。

 「また…覗いてたね。 まったく油断も隙もないな。  」

にやっと笑いながら雅人は修に身を寄せた。

 「まあ…僕とのゲームはグロくて見られたもんじゃないかもね。 」

 「あのな…見世物じゃないんだからな。 だいたいおまえは…」

 雅人の唇が修の言葉を封じた。
その夜の主導権は完全に雅人が奪い取った。



 屋敷の中のそれも自分の部屋に閉じ籠ったきり城崎はほとんど外に出てこようとはしなかった。
 集団で襲い掛かられた時も、刃物で刺された時もこれほどの恐怖を味わったことはなかった。
 自分が狙われて自分が殺されるならば、それは今まで城崎が誰に忠告されても行動を改めなかったせいで誰にも文句は言えない。 
自分が招いた結果だ。

 だが今回は他人に怪我を負わせてしまった。
警察官岬としては当たり前の行動をとっただけとは言え、自分が外出などしなければ起こり得ないことだったのだ。

 銃で撃たれるなんて…下手をすれば死んでいた。
そうなっていたら自分はなんと言って詫びればいいのだろう。
詫びて済む問題じゃない。 岬にも家族がいるはずだ…。

 『自分自身をさえ持て余しながら、関わってしまった人たちをどうやって護っていくつもりなの…? 』

 城崎の中でまた紫峰宗主の言葉が繰り返された。   
自分はただ護られているだけで誰を護ることもできない。
それなのに自分に関わった人たちをどんどん危険な目に遭わせていく。

どうしたらいい…どうしたらいい…?

城崎はひとり追い詰められた。

 透はマスコミと縁を切って普通の学生に戻れと言っていた。
しかしこれほど世間を騒がせてしまうと、こちらがさようならと言ってもそう簡単に解放してくれるはずもない。
報道する側にとっては恰好の取材対象だ。

 どうしよう…どうしよう…。

 父に相談するのは絶対に嫌だ。
それにこの家の持つ力を考えれば相談したところで事態は変わらない。
確かにいろいろな力を持ってはいてもひとつひとつがそれほどのレベルじゃない。

 あの紫峰の宗主の持つこちらが圧迫されるほどの強大な力がなければ、もはや小手先のことでは何ひとつ変えることが出来ないのだ。

 会いたい…と城崎は思った。
紫峰宗主がどんな姿形をしていたかはまるで覚えていない。
会話だけが記憶に残っている。

 右にも左にも動けなくなった自分を見て宗主はなんと言うだろうか?
厳しく叱責するだろうか?
ざまはないと嘲笑するだろうか?

 何でもいい。
俺に何か話して…。
笑っても怒っても何でもいいから…。
もう何も考えられない。

 新しい警官が護衛に来るのだろうか?
また怪我をさせたらどうしよう?

 怖いよ…怖いよ…。

頭から布団を被ってさえ身体中を震えが襲う。

 『きみにはそうした人々を護り通さなければならない責任があるんだよ…。』

宗主の言葉が頭の中を駆け巡る。

 「助けて…助けてください…。 」

城崎は宗主に届くはずもない願いを口にした。

 泣いても叫んでもここからでは届かない。
どうしよう…。
何処へ行けば…どうすればあの人に会えるだろう。

 紫峰の三人組に頼めば通じるだろうか?
彼らは伝えてくれるだろうか?

 それには…大学へ行かなければ…彼らに会わなければ…。
でもこの家から出た途端にまた襲われたら誰かまた傷つけてしまうかも…。

怯えきった城崎にはなかなかその一歩が踏み出せなかった。

 誰にも会わず、部屋に閉じ籠ったままで、眠ることも食べることもほとんど出来なかった。
 自分の身代わりに警官に怪我をさせたことで、自分自身の心まで怪我を負わせた城崎はまるで重病人のようにベッドから出ることさえ儘ならなくなった。
憔悴しきった城崎はただ人形のようにそこに置かれてあるだけの存在だった。

それは岬が戻ってきて元気な姿を見せるまで続いた。




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最後の夢(第十五話 気がかり)

2005-10-15 22:28:30 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 翌朝の新聞には城崎がまた襲われたことを大見出しで載せてあった。
警官は本当に軽傷だったようで透も隆平もほっとした。
僕も見たかったと雅人がちょっと残念がった。

 「ねえ。修さん。僕…何だか気になるんだけど…。 」

先に食事を終えて会社に出かけようとしている修に隆平が声をかけた。

 「これだけしつこく襲われているってことは相手が城崎の能力を信じて怖れているってことでしょ?
 犯人たちの中に能力者がいるんじゃないかなぁ…?
それもそんなに強いやつじゃなくて城崎の力が分かるくらいのさ。
 
 そうじゃなきゃ城崎のことこれほど本気で狙ったりしないんじゃない? 
街灯の少ないあの公園の暗さから言ってはっきり犯人が肉眼で見えないのは事実でしょう?
普通の人なら超能力なんて信じやしないもの。 」

隆平はそう訊ねた。

 「それはあるかも知れないな。 
もしそうならすでにおまえたちのことも見抜いているかもしれないね。
 とにかく十分気をつけるんだよ。
相手の勝手な思い込みで狙われることもないわけじゃないからね。 
じゃ…行ってくるよ。 」

行ってらっしゃい…と三人はその場から修を見送った。



 今月からやっとデート解禁で雅人は真貴と久しぶりに待ち合わせをしていた。
勿論今の雅人の立場からすればデートどころの騒ぎじゃないのだが、とにかく一度会って真貴には直接謝っておかなければならないと思っていた。

 「呆れてるけど怒ってないよ。 年上の女泣かせて…ほんと馬鹿なんだから。
遊ぶなら修ちゃんとにしときなさい。 何ぼ寝てもいいよ。 
 修ちゃん相手ならあんたが妊娠することがあっても、修ちゃんが妊娠する心配はないからね。 」

 「なんだそれ…? 」

 雅人は思わず首を傾げた。
真貴はかまわずそのまま続けた。

 「それで足りなきゃ透でも隆平でも史朗でも相手はいくらでもいるんだから。」

 「男ばっかじゃないか…それ。 それはちょっと耐えられね~。
女もひとりふたり入れといてくれ~。 」

真貴はにやっと笑った。ふざける元気があれば大丈夫だね…。

 「あんたはほっといたらどこで何人こどもこさえてくるか分からんからね。
相手が男ならその心配はないしさ。 」

 「真貴~。 だからさ~。 悪かったってば。 このとおり。」

雅人は真貴に向かって手を合わせた。

 「ごめん…。 」

 真貴はじっと雅人を見つめた。
不意に雅人は真面目な顔になった。

 「お前に迷惑掛けることは分かってた。 悲しませるだろうとも思った。
でも子どもの命は捨てられない。 成り行きでできたなんて言いたくないんだ。
少なくともその瞬間は愛し合ったと信じたい。 愛し合ってできた子だと…。 」

うんうんと頷いて真貴は少し切なそうに微笑んだ。

 「青いなぁ。 普通言うかなぁ。 裏切った相手にさ。」

 真貴は雅人の出生の経緯を知っていた。
外に出来た子…愛人の子と呼ばれて育った雅人が堂々と胸を張って言える事は、両親である徹人とせつは本当に愛し合っていたんだということ。

 雅人は自分の子どもにもそう言ってやりたいのだろう。
きみは僕と鈴さんが本当に愛し合って出来た子なんだよ…と。

 真貴は雅人の腕を取ると自分よりずっと背の高い雅人の顔をを見上げて囁いた。
 
 「無事に生まれるといいね。 雅人…。 祈っててあげるよ。 」

真貴の言葉に雅人は微笑んだ。



 林の木々の紅葉もそろそろ色褪せてきた。
抜け落ちた葉っぱが足元でかさかさと音を立てている。
外灯の明かりも心なしか寒々として見え、ソラのいた祠も主不在のままだ。

 闇喰いのソラは鬼面川の事件の時に遠出したことで自由の味を思い出し、しばらく遊んでくると修に言い残して出て行った。
 もともと闇喰いは人に飼われるような魔物じゃないから、広い空の下で自由に生きる方が幸せには違いない。
 元気ならどこにいてもいいさ…と修は思った。

 透たちが鬼面川の鬼遣らい行事に出かけてしまったので、母屋も洋館もしんと静まり返っていた。

 さすがの雅人もひとりでは騒ぎようがないとみえ静かなものだ。
もうアルバイトから帰ってくる時刻だが母屋の方には姿がなかった。
 
 洋館の居間の文机でいつものように仕事を始めた修のために、多喜が夜食を用意してきた。時間がかかりそうなので先に休むように言うと多喜は一礼して部屋を後にした。  

 真夜中過ぎになってやっとひと段落ついたが、特に御腹も空いてなかったので夜食をそのままにして寝室へ引き上げた。

 寝室のドアの向こうに誰かの気配を感じて一瞬ドアを開けるのを躊躇ったが、それが雅人の気配であることがすぐに分かった。

 「雅人…ずっとここにいたのか? 」

 雅人はベッドの上で寝息を立てていた。
修を待っていたのだろうが待ちきれなかったようだ。 

 「風邪をひくよ…。 」

何も掛けないで眠っている雅人にそっと布団を掛けてやろうとすると、薄らと目を開けた。

 「あ…お帰りなさい。 」

半分寝ぼけたような顔で雅人は起き上がった。

 「ただいま…と言いたいところだけどお休みの時間だ。
おまえ晩御飯は…? 」

 「食べなかった…。 なんか食べたくなかった…。 」

 修が驚いたような顔をして雅人の額に手を当てた。
額もあててみた。雅人のような大食漢が食べたくない…?

 「熱はないようだが…。 胃でも痛むのか? 」

 「ううん…。 何処も悪くないけど。 何となく…。 」

 何となく…感傷的になっているのはまだ未成熟なまま父親になるという不安が拭いきれないからではないのか…と修は感じた。 

 昔なら19といえば大人だし、今だって結婚を許されている齢だ。
だが現代っ子の19は大人である面と未だ大人になりきれない面が不安定に同居している。
 
 「透と冬樹を抱えて僕はいつも不安だらけだったよ。 」

修は笑ってそう言った。雅人ははっとした。

 「何しろ僕自身がまだ小学生だったからね。 何もかもが手探りで…初めてのことばかりだった。 オムツもミルクも…。
ふたりの赤ん坊を抱えて途方にくれてたというのが本当のところさ。

 まあ何とか育つもんだよ。 子どもってのはさ。 透を見てるとそう思うよ。
親が多少乱暴でもいい加減でもね。 
 おまえたちのことが大切だよ…大好きだよ…いつも傍にいるよって、心からそう思って伝えていけばね。 」

雅人は何かじっと考えているようだった。

 「本当なら僕…学校を辞めて働かなくちゃいけないのに…。父親なんだから。」

ふうっと大きく溜息をついて雅人は言った。

 「それはおまえの置かれている立場上許されないことだ。
僕も認めない。 確かに世間的にはそれが当然の責任の取り方かもしれないが…。

 おまえは何れは僕の右腕として財閥を背負うことになる。
運営能力が問われるばかりじゃない。 資格、学位、学閥も結構物を言うぞ。

 それに学問は時間のあるうちに出来るだけしておいた方がいい。
知識を蓄えておけ。 何よりの財産だ。

おまえにはそれが許される環境と財力がある。 それを有効に使え…。 」

 若い雅人の焦る気持ちも分からないではないが、財閥のトップに名を連ねるからには先ずは自分自身を育てることが先決だ。

 財閥のトップとしてのバトンを引き継ぐため、修自身も叔父貴彦から長年に亘って厳しく鍛えられた。
 貴彦は宗主としての修を支えてやれない分、紫峰の財政に関しては後継者教育を怠らなかった。
 修もまた、雅人を鍛えるつもりでいた。
今は自分で選んで決めたアルバイトをしている雅人だが、大学二年目からは財閥関連事業での実地訓練を始めることになっている。

 自分の気持ちと現実との板ばさみになって気落ちしている雅人を見て、修は少し話を変えた。

 「鈴さんがおまえの赤ちゃんを産む頃にね。
笙子もお母さんになれるかも知れない。 楽しいね。 家族がまた増えるんだ。
僕は今からわくわくしているよ。」

子どもが大好きな修は笙子が再び身籠ったことを嬉しそうに語った。

 「修さんは不安じゃないの? 」

そう訊ねる雅人に修は笑って答えた。

 「初めて自分の子を持つときに不安じゃない親がどこにいるんだい? 
僕なんかすでにふたりを育て上げて、ひとり亡くして、おまえを含めて四人も面倒見たってのに、やっぱり不安さ。 」

そうなんだ…と雅人は思った。

 「雅人…御腹が減ってると余計に不安になるぞ。 
食べておいで…居間に多喜が用意してくれた夜食がある。 」

無言で頷くと雅人はひとり寝室を出て行った。 



 倉吉の報告では今度の発砲事件でさすがの城崎も急激に元気を失い、実家に閉じこもったままだということだった。
 自分が再度襲われたこともあるが、軽傷とはいえ買い物に付き合ってくれた警察官に怪我を負わせたことがかなりショックだったらしく、何度も警察官の怪我の具合を確かめたそうだ。

 悪い子じゃないわね…と笙子は思った。

「犯人のグループの中に多少なりとも能力を持った者がいるのではないかと隆平が言ってるらしいの。

 城崎自身は相手に力があるかどうかを感知できるわ。
でもあなたや岬くんのように特別な障壁を張っていれば感知できない。

 相手の力が弱すぎるなら問題はないけれど、あなたや岬くんと同等かそれ以上の力を持っているとすれば、紫峰の子どもたちは極めて危険な状態にあると言って過言ではないわ。 」

 笙子は倉吉に緊急の場合には自分の許可がなくても大至急紫峰宗主にも連絡を入れるように言った。
 良くも悪くも戦い慣れている透や雅人なら何ということもなかろうが、力はあってもまだ鬼母川の事件でしか戦いを経験していない隆平には緊急の対処ができるかどうか…。

 修…外部の能力者との戦いになるかもしれないわよ…。 
でも…相手が能力者ならなぜ人殺しに武器を使うのかしら?
能力探知しかできないとか…?

或いは…仲間にも能力のことを秘密にしている…?

 笙子はあらゆる可能性を考えた。 
紫峰が危険に晒されることは藤宮が危険に晒されることでもある。
紫峰の子どもたちの危険はすぐに藤宮の子どもたちに波及するだろう。

 最悪の場合でも紫峰の段階でこの事件を解決し、藤宮の被害を最小限度に抑えなければならない。 
 夫の一族に対して非情なようだけれどそれが長の務めだ。
逆の立場であれば宗主修もそう考えるだろう。

笙子はそっと自分の御腹に手を当ててごめんね…と呟いた。
その子が紫峰の血を引くかどうかは定かではなかったけれど…。




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最後の夢(第十四話 銃撃)

2005-10-13 11:38:51 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 これ以上実家に缶詰になっていたら気が狂うと考えた城崎は、医者の許可が下りるのを待たずに大学へ戻ってきた。

 彼の傍には例の若い警官が付き添っていたが、講義中は邪魔になるだけなのでどこかに消えていた。
 この前は勝手に抜け出して犯人に刺されるようなことになったので、今度は城崎もおとなしくしていて大学構内から出るようなことはしなかった。 

 「今でもさぁ。 時々後をつけて来るやつがいるんだけど、それがマスコミなのか犯人の仲間なのかがよく分からないんだよね。 
おまわりさんが一緒なので遠巻きに俺のこと監視しているんだけどね。 」

 城崎は溜息混じりにそう話した。
講義室で透を見つけてまた隣の席を選んだのだった。

 「いい加減さぁ…普通の大学生に戻ったら? テレビとかに出るのやめてさ。」

 透はマスコミと縁を切ることを勧めた。
超能力者の存在意義を世間一般の人に啓蒙しようとしても所詮は無理…と透は断言した。

 勿論、二人の周りには分厚い障壁が張られていて、周りの人にふたりの会話を知られることはなかった。

 「…かなぁ? 」

城崎は不満そうに言った。

 「人間てのはさ…未知のものに対する恐れを消すことが出来ないものなの。
だから何か自分の常識では考えられないようなものに出会うと脳がパニックを起こすわけ。
 目の前で起こっていることさえ信じないし信じようともしない。
それだけならまだいいけれど、逆にそうしたものを徹底的に攻撃して潰すという行動に出る虞さえあるのさ。

 殺人犯に消されなくても普通の人に抹殺される可能性は大。
さっさと足を洗いな…。 一族もろとも世間から消されないうちにさ。 」

往生際の悪い城崎に透は宗主としての訓を垂れた。
 
 「きみたちってさぁ。 どうしてそう年寄りっぽい考え方するのかなぁ。
まるできみたちの宗主の話を聞いているみたいだって。 」

 城崎はやってらんねえとでも言いたげだった。
僕が宗主だからさ…と透は心の中で呟いた。
目の前の脳天気な城崎にはただ憮然とした表情を浮かべるに止めた。

 「僕は確かに忠告したから…。 後はきみ次第。 」

 これ以上話しても無駄だと感じた透は、やはり城崎からは距離を置くべきだと思った。

 透の考え方は確かに宗主修から引き継いだものだが、修自身は誰からも教わることができなかった。
 修がひとり紫峰一族を背負いながら、悪鬼三左の謀略の中を血を吐くような思いで生き抜いて、その経験から身につけた知恵だ。
 紫峰に生きる者の誰がその言葉を年寄りっぽいなどと笑い飛ばせよう。
修がいなければとうに紫峰は消えている。あの悪鬼の餌食となって…。

 

 入荷した品物の検品がきちんとなされていないと販売後に思わぬクレームがつくことがある。
 いつも検品には最新の注意を払うようにと話してはいるのだが、担当がちょうど仕事に慣れきった頃の見落としが一番危ない。

 「責任者の木田でございます。 いつもご贔屓頂きまして有難うございます。
…はい…そのような傷が…これはこちらの手落ちで…誠に申し訳ございませんでした。
早急に新しい物をお取り寄せさせて頂きますが、お日にちの方は宜しかったでしょうか? 

 明日ご入用で…重ね重ね御迷惑をおかけして申しわけございませんが…大至急で手配致しましてもお届けが明後日になります…。
お手数ですが品物をご覧頂きまして、傷のありますところ、ご使用の際にその部分を必要となさいますか?
 そうですか…よけられますか…それでは誠に勝手を申し上げるようでございますが…もし御差支えなければ…そのまま商品をご使用頂きましたなら半額にさせて頂きますが…?

有難うございます…そうして頂けますと幸いでございます…。
 
 …はい…有難うございます。 直ちにお代金の差額分をお届けにあがります。
恐れ入りますが、もし領収証などをお持ちでしたらお取り置きください。
ご迷惑をお掛け致しまして誠に申しわけございませんでした。
今後ともよろしくお願い致します…。  」

何とかその場を収めて史朗は部下に指示を出した。 

 「北川くん。 大至急村井さまのところ新しい領収証と差額をお届けして…。」

 「はい。 でも良かったですね。 なんとか収まって…。 この商品で半額ならお客さんも喜んでらっしゃるのでは?」

 周りの部下たちも安心したように史朗を見た。
史朗はとんでもないというように大きく溜息をついた。

 「そういう問題じゃないんだよ。 
傷がありましたか…それでは半額に致しましょう…安く買えてよかったですね…で済むことじゃない。

 会社の信用に関わることだ。
この会社は平気で傷物を売って後から値引きすると思われては困る。
 商品に傷があることに気付かずに販売するようなことがあってはならないんだ。
後からいくら安くしたってそこで傷ついた会社の信用は元に戻りゃしない。 

最初から傷物と知っていて値引きを前提に売るのとは大違いなんだよ。

 顔の見えないネットでの取引の場合はなおさら気をつけないとね。
影響も大きいがいったん失った信用を完全に取り戻すのは不可能に近いよ。

 村井さまが対面販売中心のお客さまでまだよかったよ。
直接お詫びが言えるからね。

 北川くん。 村井さまにはくれぐれも丁寧に御詫びしてきてくれ。 
僕が直接御詫びに伺うべきところを代理に行かせること…検品に手落ちがあったことをね。
日にちが許せば新しい物を取り寄せて当たり前のところを申し訳ないとも…。 」

 部下と同世代と言ってもいい若い史朗がみんなに訓を垂れるのはおこがましいと思う時もあるけれど、責任を負う立場にある者としては自分の年齢がどうのこうのと言ってられない。

 年齢的には部下と差のない史朗だが、働いてきた年数は笙子と三人の幹部を除けばここの誰よりも長い。
 小さなビルの一室から始まったこの会社の歴史を史朗はアルバイト時代からずっと見てきた。
 この会社は笙子と今はいくつかの支店をまとめたブロック代表を務めている3人の社員たち、そしてバイトの史朗が苦楽を共にして育て上げてきたものだ。

 飛躍的に成長したとはいっても紫峰のような大財閥とは比べ物にならないような小さな会社で、電話でのクレーム処理に時にはわざわざ社長代理が出なければならないような規模だけれど、それでも誰に恥じることのない立派な城だ。

 会社を護り育てさらに発展させることが史朗の使命であり、笙子や修への恩返しだと思っていた。
 
 史朗が報告書を持って社長室を訪れると、笙子は珍しくデスクの前でうつらうつらしていた。

 「社長…笙子さん…?  」

 史朗に声をかけられてはっと気が付いた笙子はパンパンと両手で軽くほっぺたをはたいた。

 「眠くてしょうがないのよ。 夕べは早く休んだのに。 疲れてるのかしら。」

ぱきっと音を鳴らして笙子は首を左右に曲げた。

 「コーヒーでも入れますか? あ…社長…前にもそんなことありましたよね?」

史朗が思い出したようにそう言うと笙子は眼を大きく見開いた。

 「病院…行ってくるわ。 史朗ちゃん。 急ぎの用事はないわね? 」

 史朗は今のところは…と返事をした。
笙子はバッグを手に取ると慌てて会社を飛び出していった。



 売り場の女店員がケースの上に並べた商品を見比べながら、隆平と透は何となく落ち着かなかった。
周りは女性客ばかりで、どうにも場違いな感じがしていたからだ。

 「これなんかいいんじゃない? 」

 ピンク色のふわふわっとした毛糸で編まれた温かそうなチョッキを透が隆平に渡しながら言った。
 ふたりともベビー用品には不慣れだが、それはとても肌触りがよく、ちくちくした感触もなかった。

 「修さんがさぁ。 小さい頃僕らが新しい毛糸物を買う時に必ず聞いたんだよ。
透…そのセーターはちくちくしないか? 冬樹…ちくちくして痒くないかい…?ってね…。 」

 鬼遣らいの時に持っていく土産を買いに来たついでに隆平の妹への贈り物を選んでいた。

 今年は修が仕事で行けそうにもないし、雅人は鈴の体調が悪いので家を離れるわけにいかず、史朗も西野も都合がつかないため、彰久と隆平について透が紫峰代表で参加することになった。
 三人ではちょっと寂しいかなと思っているところへ、一左が弟の次郎左を誘い、鬼遣らい見物と温泉旅行と称して同行することにした。

 「やっぱりこれにするよ。 可愛いし…温かそうだし。」
 
 隆平は透が渡したピンクのチョッキを選んだ。
子供の物はよく分からなかったし、それに早く決めないと人目が気になって仕方がなかった。

 レジを終えて他の階へ移動した二人の眼に警官を従えた城崎の姿が見えた。
城崎はこちらには気付いていないようだった。
念のためにふたりは障壁を張った。 

 「透…誰かついてきてるよ。 」

 城崎たちの後から少し離れて男がひとり追ってきていた。
カメラもメモも持っていないように見え、マスコミ関係ではないような気がした。

 「城崎はあの男に気付いてはいるみたいなんだ。 」

透は隆平に言った。

 買い物を終えた城崎は店の外へでて、駐車場で待機している車に向かって歩き始めた。
 運転手が出てきてドアを開け、いままさに乗ろうとしたその時ついてきた警官がいきなり城崎を庇うように押しのけた。
 何か弾けるような大きな音がして二度目には車の窓ガラスが砕けた。

誰かが撃たれた…と叫び声が上がって、人が集まってきた。

 透は一発目で警官が怪我を負ったことに気付いた。
ふたりが急いで警官の傍に近づくと、警官は大丈夫だから来るな…とふたりの心に直接語りかけた。

 『大丈夫…たいしたことはない。 やつらはまだ近くにいる。
野次馬の振りして離れて。 』 

 透はこの警官が藤宮の者だということに気付いた。
本当に肩をかすめた程度の怪我のようだった。
 
 『僕らの見た顔と特徴をあなたに見せておくから。 僕らの意識が見える? 』

 警官は頷いた。
修と隆平は急いであの男の顔と姿を思い浮かべた。
警官は眼を閉じてふたりの意識を探った。

 『受け取った。 さあ帰りなさい。 巻き添えを食うといけない。 』

透と隆平は言われるままにその場を後にした。

遠くで救急車とパトカーのサイレンの音が聞こえた。





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