徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

三番目の夢(第二十四話  最終回-生きていけるさ-)

2005-09-23 22:09:02 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 食卓の上の笙子の伝言を読んだ時、修は初めてほっとした。
笙子はいつものように友達と遊びまわっている。
笙子にはいらぬ心配をされたくないから遊びに行ってくれている方が有難い。

いつものように…が今の修をどれほど安気にさせてくれることか…。
修と史朗の分と思われる大量のサンドイッチなどが大皿に盛られてあった。

 死霊と修たちの特殊能力に関する記憶を消した後、唐島を眠らせて彼の自宅のベッドまで運んだ。
 帰り際にさすがに力尽きたか史朗がのびてしまったので、そのまま史朗を連れて帰ってきた。
 子どもたちのことは黒田が何とでもしてくれる。今頃、受験勉強何処吹く風とカラオケに勤しんでいるかもしれない。

 氷水を入れた水差しを持ってベッドに寝かせた史朗の様子を見に戻ると、まだそれほど眠ってもいないのに史朗が眼を覚ました。疲れすぎて眠りが浅いせいかぼーっとしている。

  「がんばったね。 史朗ちゃん…。 素晴らしい祭祀だったよ。 」

その言葉を聞くと史朗は嬉しそうに微笑んだ。

 「でも…まだまだです。 途中…彰久さんに助けてもらっちゃったから…。 」

そう言って身体を起こそうとしたがふらついて起き上がれなかった。

 「無理に起きなくていいよ。  」

修は史朗の額に手を当てた。その後で自分の額を当ててみた。

 「熱は無いね…。 何か食べる? 笙子がサンドイッチを作ってくれたけど。」

史朗は首を振った。

 「いまは…食べられません。 その水もらっていいですか? 」

 史朗はサイドテーブルの上の水差しを指差した。
修はコップに水を注ぐと史朗に渡し、飲みやすいように史朗を抱き起こしてやった。よほど喉が渇いていたのか史朗は一気に飲んでしまった。

 考えてみればあの長い祭祀の間中、史朗は文言を唱えっぱなしで、しかも一滴の水も口にしていない。喉が渇かないはずがない。
ぐったりしているのは脱水によるものかもしれないと修は思った。

 「もっと飲める? スポーツドリンクの方が脱水には効くけど…。 
取ってきてあげようか? 」

 「水がいいです。 ご免なさい…ご面倒をおかけして…。 」

 修はまた冷たい水を注いでやった。今度は少しゆっくりと飲み干した。
史朗は生き返ったような顔をした。

 「倒れるまで我慢させちゃったんだね。 ごめん。 」

 「いいえ…何か飲むくらい自分でどうにかすべきだったんです。
子どもじゃないんですから…。 ちょっとうっかりしていて…。」

 うっかりじゃない…修には分かっていた。
仕事の時は別として普段の史朗は我慢強く遠慮がちである。
 祭祀が終わった時にはもう相当つらかっただろうに、みんなが急いで唐島を運び出しているあの状態では、ひとりだけ何か飲みたいとは言えなかったんだろう。
可哀想なことをしたと修は思った。

 「お邪魔だったかしら…? 」

修の後ろに笙子が現れた。

 「笙子どうしたの? 今夜はえらく早いご帰還じゃないか? 」

修は意外そうな顔をした。今日のうちに戻ってくるなんて雨が降るぞ…。

 「早いってもう結構なお時間ですけど…。 史朗ちゃんどうかしたの? 」
 
 「それがさ。 三度やったらのびちゃって…。 」

笙子はまじまじと修を見た。

 「三度ってそれはちょっとやりすぎでしょ。 相手を考えなさいよ。 」

 「え~? 何の話だよ? 」

修は首を傾げた。史朗が真っ赤になった。

 「違います…笙子さん。 祭祀の話です…祭祀。 
修さん…お願いですから言葉をはしょらないでくださいよ…。 」

史朗は勘弁してよ…とでも言いたげな声を上げた。

 「ごめん。 悪かった。 つい…な。 」

そう言いながら修はまたコップに水を注いで史朗に渡した。

 「冗談よ。 史朗ちゃんたらほんとすぐに赤くなって可愛いわ。 」

 そうやってからかってばかり…史朗は溜息をついた。
コップを返すと笙子は水差しを持って部屋を出て行った。

 「さあ…少し眠った方がいいよ。 」

 修に言われて史朗はまた布団の中に潜り込んだ。 
すぐに眠気が襲ってきてうとうとし始めた史朗の耳に修の声が聞こえた。

 暑くないかな…そう言いながら肌掛けを掛けなおし、まるで母親のように史朗の額にキスをしてお休みと囁いた。
子ども扱いしないで…と呟いたつもりだったが修には聞こえなかった。



 月曜日。理事長輝郷の機嫌は頗るよかった。
教師不足に陥った原因はすべて取り除かれ、今年は早々に辞める先生も無く、一度は体調を崩した唐島も入院前より元気になってまるで何年もこの学校で仕事をしてきたかのように周りに馴染みだした。

 河原先生からも二年ぶりに直接の連絡があり、リハビリが終わり次第高等部に復帰してもらうことにした。
 当分は体調も考慮して他の先生の補助をしてもらうが、来年度からは現場復帰という予定で人事の計画を立てている。

 これで当初の計画どおり、受験塾の拡充を実行に移せるぞ…集まってきた寄付金の集計に眼を通しながら輝郷はこみあげてくる笑いを隠せなかった。



 さっぱりと晴れ上がった空を仰ぎながら四人は屋上でのんびり寛いでいた。
四人の間でポテトチップスのケースが行ったり来たりしていた。

 「そんじゃさ…先生の記憶は全部消しちゃったわけじゃないんだ? 」

晃は10枚ほど重ねたチップスに歯を立てながら言った。

 「そっ! 生霊・死霊の記憶と僕らの力に関係する記憶だけ。 
あと…親父と史朗さんのことね。 

 だから…あの時修さんは僕らのことで理事長室に呼び出しを喰らったことになっているんだ。」

透が答えた。

 「それじゃあ先生もあんなに嘆くことなっかったのにね。 」

パリパリッと景気のいい音を立てながら隆平はチップスを噛んだ。

 「さっさと諦めりゃいいのに…。 
まあ…お人よしの修さんのことだから友達程度には関係を回復させちゃう可能性はあるけどさ。 」

雅人はお手上げ…と言わんばかりに肩をすくめた。

 「どう考えても恋愛は成り立たな…」

話の途中で突然、出入り口の扉が開いて唐島が現れた。

 「そこの四人組。 こんなところで何をしてるんだ? 」

唐島は訝しげな顔でに近付いて来た。

やっば~…晃が慌ててポテトのケースを背中にまわした。

 「今隠したものを見せてご覧。 藤宮。 」

 晃は仕方なくポテトチップスのケースを差し出した。
また父兄呼び出しか~…他の三人も内心焦った。

 「ふむ。 この学校は確か菓子の持ち込みは禁止だったよな。
だが…カラのケースを利用する分には文句のつけようはない。

 提出期限は明日。 忘れたら国語の期末テストマイナス10点。 」

 そう言って唐島は晃にケースを返すと出入り口の方へ戻っていった。

何を言ってるんだ…?と四人は思った。晃がケースを覗いた。

 「おわ! 何かはいってる。 げげっ! いつのまに…。 」

晃はケースの中に入っていた数枚のプリントを取り出した。

 「国語のワーク…宿題だぜ…これ。 」 

 四人は顔を見合わせた。
唐島のにやっと笑った顔が眼に浮かぶようだった。



 宇佐から電話で河原先生が復帰したと伝えてきたのは、新学期に入ってからのことだった。

 この夏に受験塾もリニューアルし、透たちも本腰入れての受験勉強を開始した。
その頃から先生は補助として復帰を果たし、時々、代理授業で教壇にも立つようになったらしい。

 宇佐はまるで自分のことのように喜んでいた。

 洋館の居間の文机に頬杖をつきながら修はほっと溜息をついた。
子どもたちの話では河原先生は唐島と親子のように仲がよく、国語と数学なんてぜったい気の合いそうにもないふたりが、よく一緒にいるところを見かけるという。
 
 お互いにどこかで支えあっているんだろうな…と修は思った。
唐島に対して激しい怒りをぶつけてしまったことは悔やまれるが、そのせいかこの頃唐島への抵抗感が心持薄れてきたような気がする。
少しは話を聞いてやってもいいかなと思い始めている。

 忘れることなんて出来そうにないがいつまでもそこに留まってはいられない。
今までだってそう考えて前向きに生きてきたんだから。
唐島に再会したことで止まってしまった時計のねじを巻きなおそう。

昨日のことを思うより、明日のことを考えていこう。 

12歳の僕に別れを告げて、これからの僕に会いに行こう。

何があるかなんて誰にも分かりゃしないけれど、何があったって生きていけるさ。

いまの僕はひとりじゃない。

そう…ひとりじゃないんだから…。




三番目の夢 完了

最後の夢へ














三番目の夢(第二十三話 君が好き!)

2005-09-22 16:45:25 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 『醒』の目的とするところは、幽体離脱によって抜け殻となった身体にその魂を引き戻し、本物の死が訪れるまで魂が身体から離れることのないように固定することにある。

 『覚』は例えば長年離脱を繰り返しているために身体が自分の魂を持て余しているような場合、一気に固定することはせず、徐々に安定させていく方法である。

 河原先生の場合、身体的には何処にも異常がなく、魂を持て余している様子も見られなかったことから史朗は一気に固定する方法を選んだ。
巧く先生の魂が身体に収まってくれれば祭祀は成功といえる。

 「少しだけいいかね? 」

先生は文言を唱えようとする史朗を止めて言った。

 「どうぞ先生。 」

史朗は笑って頷いた。

 「こんな形で皆さんにお会いすることはもう無いとは思うが…本当に有難う。 
心から感謝します。

 多分皆さんは坂下くんの魂を救ってくれたのだろうし、私の復帰の手助けをしてくださっているのだと思う。 

 今お礼を言っておかないと…次にお会いする時にはきっと皆さんを覚えてはいないだろうからね。 」

 先生はにこにこと笑いながらその場の皆を見回した。
皆も微笑を以ってそれに答えた。

 史朗は文言を唱え始め、先生は小さく手を振りながら小さく薄くなっていった。
白い美しい光の玉となって先生は白い空間の中の先生の身体へと戻っていった。

 鬼面川の麗雅な所作と文言はその後もしばらく続き、白い空間の中で先生の身体が目覚めたところですべてが消えた。
『醒』の終わりが告げられ、御礼奏上の文言とともに史朗は祭祀を終えた。 



 史朗はまた大きく深呼吸をした。

 「これで…すべての祭祀を終えました…。 黒田さんご協力感謝いたします。」

黒田に顔を向けながら史朗は軽く一礼した。さすがに疲れた様子が見て取れた。

 「何の…史朗ちゃんこそお疲れさま。 」

黒田は笑顔で答えた。

 修がゆっくりと立ち上がった。
史朗は笙子の言葉を思い出して一瞬ドキッとした。
雅人と黒田を交互に見るとふたりとも何もするなというように首を横に振った。

 唐島と向かい合ったところで修は唐島を見下ろした。
唐島ははっとしたように修の顔を見上げた。 

 「さてと…遼くん。 後はきみの始末だけ…。 
きみは僕らの力を見てしまったからね。 このままというわけにはいかない。 」

修の口元が笑みに歪んだ。唐島は驚きに目を見開いて修を見た。

 「きみの記憶を少しだけ操作させてもらうよ。 
もう…この幽霊騒ぎを二度と思い出さずに済むようにね。 」

何かもの言いたげに唐島の唇が震えた。

 「怖がらなくていいよ。 痛みも何もありゃしないんだから…。 」

 安心させるように修は言った。
唐島は否定するように首を横に振った。

 「違う…怖いんじゃない。 悲しいだけだ…。

 この二ヶ月ほど…僕はとても幸せだったんだ…。
きみに逢えて…言葉交わして…助けてももらった…。
きみと逢えなくなってからの10何年の中で一番幸せだった…。

 その記憶を消されてしまうのが堪らないだけだ…。 」

 「う~ん。 そう言われてもねえ。 これは僕の務めだから…。 」

修はそう言いながら頭を掻いた。子どもたち合図した。
四人は四方から唐島を呪縛した。
唐島は身体が固定されたことに気付いた。

 「動かないでね…といっても動けないだろうけど…。
明日からはすっきりした気持ちで仕事ができるよ。 あ…休みだっけか?
ま…どっちでもいいや。 」

修の手が唐島に触れようとした瞬間、唐島は身体を捩って叫んだ。

 「消さないで! きみの記憶だけは…お願いだから…!
嫌われようと憎まれようと…きみが好きだ!  」

 その言葉に修がフリーズした。修の中でやり場のない怒りが渦巻きだした。
まずい…と誰もが思った。唐島のやつ…要らん挑発をするな…。
史朗も、史朗を止めたはずの黒田もいつでも飛び出せるように立ち上がった。

 「汚らわしい! 僕をこれ以上その想いで穢さないでくれ! 」

修は唐島に対して修らしくない酷い言葉を浴びせかけた。

 「消して欲しいのは僕の方だ。 この身体からきみを消してくれ!
無垢なままの12歳の僕に戻してくれ! 

 きみがこの心から消えない限り僕は…愛することを躊躇ってしまう。
愛されることを拒んでしまう。 

…誰も幸せにしてあげられない…。 」

 笙子…笙子…僕を抑えて…殺してしまう…殺してしまうよ。
自分の中で渦巻く炎が外に溢れ出ないよう修は必死で堪えた。

 誰かがそっと両側から修を抱きしめた。
笙子の代わりに史朗と雅人が修の身体を支えていた。
修はほっと息をついた。

 「大丈夫…平気…暴れたりしないから。 馬鹿なこと口走った。 
宗主ともあろう者が…情けない。
済まない…遼くん。 汚らわしいなんて本気じゃないよ。 」

 唐島はもう何も言わなかった。
だめなんだ。どうしても分かってもらえないんだ。
修くんにとっては僕はただの犯罪者…。

 「僕を本当に好きでいてくれるならね。いまのままのきみで生きていってよ。
僕のためでなく…きみ自身のために。 きみが幸せになってくれればいい。
きみが本当はどんなに優しい人だったか…僕が知っている。

 心配してくれなくても…僕は幸せだから…。
僕には僕を愛してくれている妻がいるし、血は繋がっていないけれども黒田って親爺や子どもたちがいるし、友達も…それにほら…こんなに僕を慕ってくれている人がいる…。 」

 修は史朗と雅人の腕に自分の手を重ねた。
親爺かよ…兄貴ぐらいにしとけ…と黒田は思った。

 唐島は無言で頷いた。どんなに優しい人だったか…と修は言ってくれた。

少なくとも修はそういう唐島の姿も覚えていてくれたのだ。

嬉しさがこみあげてきた。

その言葉の記憶もすぐに消えてしまうのだろう。

唐島は眼を閉じた。 
次に眼を開いた時…どんな記憶の自分になっているのだろうと思いながら…。



 
次回へ

三番目の夢(第二十二話 おいでよ…)

2005-09-21 23:16:20 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 藤宮の奥儀『生』は紫峰の『滅』と対を成す奥儀といっていい。
藤宮では当主は男性でも女性でもかまわないが長には女性を選ぶ。
 奥儀の中の『代胎』を始め、いくつかの業が身体的機能上女性にしか出来ないからである。
 但し、当主とその補佐は『生』の中の男性にも可能な業は身につけることになっているし、それとはまた別の奥儀を学ばねばならない。

 修が使った力は男性でも可能な業のひとつで闇の危険に対し生命の輝きを以って対抗するものである。

 その他に類するような簡単な業ならともかく、奥儀は本来『家』に付随するものだから、藤宮の奥儀を紫峰が使うなどということは考えられないことであるし能力的にも修得不可能に近い。

 それを完全ではないまでも修が使った或いは使えたのは、長年に亘る紫峰と藤宮の特殊な姻戚関係によって純血種といわれる修の中にも藤宮の血だけは混在するからだ。
 藤宮と紫峰は繰り返される同族間の婚姻による遺伝的弊害を回避するために時折お互いに新しい血を取り入れてきた。いわばその結果である。



 鬼籍に入ってしまった者が藤宮の『生』に触れることはドラキュラが陽光に触れるようなもので耐え難いものだ。
唐島の生命の光に触れてしまった坂下は苦しみ悶えた。

史朗はいくつかの文言とともに坂下に触れその苦しみを和らげた。

 「その光にさえ耐えられぬようではとても命あるものの身体に住まうことなどできまい。
 この上は人としてあるべき道をとることが肝要かと思うが…? 」

 「くそくらえだ! 」

坂下は強気で抵抗を続けた。

 「先生…あんなことを言っていますが…。 」

黒田は河原先生の方を見た。先生は悲しそうに首を振った。

 「他人の身体に入り込んでもきみがきみの人生をやり直すことにはならんよ。
その人の人生の中に埋没してしまうだけだ。

 坂下という男の人生はすでに終わってしまったのだから…。 
きみがきみ自身の手でで終止符をうってしまったのだから…。」

坂下は耳を塞いだ。頑なに光への道を拒む。 
 
 「自分の思い描いた通りの人生など何処の誰が手に入れられる…?」

唐島がまた口を開いた。

 「失望したらまた同じことを繰り返すのか…? 
教師のきみがそんな姿を子どもたちに見せられるのか…? 」

 子どもたち…坂下はその言葉を繰り返した。
捨ててきてしまった…。何も言わずに…。お別れもせずに…。
何を思っただろう…。突然いなくなった先生…自殺してしまった先生…。
 
 史朗はもう何も問うことをせず、ただ坂下の自問自答に任せた。

 唐島はまた自分自身にも問うてみた。
修に信じてもらうために一生懸命いい教師であろうと努力をした。

 だけど本当は決してそれだけのために努力してきたわけじゃない。
子どもたちが好きで…この仕事が好きだ…。
そういう自分自身のためでもあった。

 勿論、理想を追えば現実に潰されるのは分かっている。
ずるい考えかもしれないが、理想は高く掲げながらもそれに向かってできうる限りの力を尽くせばそれでよく、必ずしも理想に届かずともへこまず、焦らず、諦めず、一歩ずつ…そんな歩き方をしてきた。

 思えば…そういう生き方は病弱で生きることさえ儘ならなかった姉に教わったのだ。唐島は今更ながらに姉の存在を有難いと思った。 



 長い沈黙の後に史朗は再び祭祀を始めた。
坂下はもはや邪魔をすることもなくただ項垂れてそこにいた。

 闇の中の無数の星。鬼面川の御大親の光はいつもと違う光景を坂下に見せた。
光の中から先に逝った魂たちが手を差し伸べ、幸福そうな笑みを浮かべて坂下を呼んでいる。
 
 先生…おいでよ…一緒に行こう…行こう…。  

 自殺した魂は救われぬと誰かが言っていた。
そうかもしれない。自分を殺すという罪を犯したのだから…。

 向こうの世界にはそれを償うための罰が待っているのかもしれない。
それは耐えられないほどの苦痛なのだろうか…?
だったら…あの子たちを支えてやらなければ…その責めに耐えられるように…。

 坂下は一歩足を踏み出した。
眩い光が坂下の実体のない影のような身体を包み込み、坂下を待つ若者の魂たちのもとへと引き寄せた。 

 坂下は一度だけ振り返り、尊敬する恩師の河原ではなく唐島を見た。
唐島が頷くと軽く微笑んでみせ、後は光の中に吸い込まれていった。

 光は次第に薄くなって消えていき、辺りはまた静寂を取り戻した。
史朗は『導』の終わりと御大親への感謝の文言を述べ祭祀を終えた。



 ふーっと大きく溜息をつくと史朗はその場にへたり込んだ。
へたり込んでいる場合じゃないとは分かっていたが一息つきたかった。

 「透…雅人もうそこに腰を下ろしてもいいよ。 隆平…晃おまえたちも…。 
これから先はおまえたちに危険はないから。 」

 修は子どもたちに声をかけた。

 「先生…やっぱり復帰なさるべきですよ。 
先生のお身体が良くなるように今から祭主にまじないをしてもらいますから。」

黒田は教え子の死を悼んでいる先生を元気づけるように言った。

 「あの子を救えなかった私に…その資格があるだろうかね…。 」

先生は哀しい溜息をついた。

 「資格なんてものはね先生。 最初からないもんだと思っときゃいいんですよ。
まっさらな気持ちでね。 これからの子どもたちを育んでやってくださいよ。 」

そう言って黒田は笑った。

 「黒田さん…先生のいまの体調が分かりますか?
常駐に耐えられそうですか? 」

史朗がそう訊いたので黒田は先生の身体の方を透視し始めた。

 「内臓に問題はない。 脳の方も大丈夫。 いたって元気だよ。 」

 「有難う…。 では…やはり『醒』でいこう。 」

 史朗は居住まいを正し大きく深呼吸した。その場に再び緊張が走った。

 鬼面川の天と地と御大親への祭祀の許しを得る文言が三たび唱えられ、三度目の祭祀が始まった。

 祭祀は一度でも全精力を使い果たすほどの大仕事である。
予定では二度で終わるはずだったのが三度目に突入して史朗の疲れも相当なものであろうに、その所作にも文言にも一部の隙もなかった。

 両の腕が柔らかく宙を舞う。彰久の切れ味の良さとはまた異なった趣がある。
所作と文言に没頭する時のこのふたりの醸し出す独特の雰囲気が修には堪らなく魅力的に感じられる。

 修が史朗の所作と文言に陶然とした眼差しを向けているのを雅人は複雑な思いで見ていたが、唐島もまたなぜか胸を締め付けられるような気持ちになっていた。

 やがて新しい空間がその場に開けてきたが、今までの祭祀のような闇と光の空間ではなく静かな白い部屋のようだった。
 
そこには河原先生の身体が居てぼんやりと宙を仰いでいた。

河原先生の生霊はそれを見ると可笑しそうに声を上げて笑った。

 「何とまあ腑抜けた顔をして…。 こんな姿を人さまに晒していたのかね。 」

やれやれというように生霊は首を振った。

 「さあ…先生。 戻りましょうね。 あなたの在るべき場所に…。 」

そう言うと史朗はなにやら今までとは感じの異なる文言を唱え始めた。

先生は特に何をどうすることもなくただみんなに優しい笑顔を向けていた。





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三番目の夢(第二十一話 差し上げましょう…)

2005-09-20 23:48:20 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 祭祀が中断されたためにせっかく現れかけていた大宇宙が消え始めていた。
史朗は何とか体勢を立て直そうともがくが、死霊たちの妨害にあって思うに任せない。
 このままでは祭祀は完全に失敗に終わり、史朗自身も無事では済まない。
いや…自分のことよりも呼び出したこの霊たちがみんなにどれほどの災いを及ぼすか…。

 その時、唐島の座っている方から意外な言葉が聞こえてきた。
確かに…それは鬼面川の文言のように思える。隆平の声かと思ったが隆平は扉のところにいる。隆平自身も驚いたような顔をそちらに向けていた。

 史朗は目を疑った。
いつの間に移動したのか唐島のすぐ脇のところで修が不思議な動きをしている。
それは史朗にとっては見慣れた動きなのだが、修がそれを行うことは先ず不可能、ありえないと言っていいものだった。

 修の手は正確に鬼面川の所作を…それも熟練した動きを見せている。
唇からは紛れもなく鬼面川の文言が唱えられ途切れることなく続いている。

 やがて失われつつあった空間は姿を取り戻し始めた。
あまりのことに史朗は死霊に抗うのも忘れて茫然と修を見つめていたが、修の所作に見覚えがあることに気付いた。

 「彰久さん…彰久さんだ…。 」

 その力強く切れ味の鋭い所作の運びはまさしく彰久独特のもの。  
いま彰久は修の中にいて祭祀の中継ぎをしてくれている。

 史朗は急ぎ死霊たちを身体の回りから追い払うと、再び『導』を再開した。

 やがて再び御大親の光が差し始め、今度は死霊たちも惑わされることなく本物の光の方へと向かっていった。

 史朗が体勢を立て直すと彰久は安心したように修の中から出て行った。
史朗は心から彰久に感謝した。

  「先生…。 どうです。 その男なんかは…」

黒田はあの若い男を指差した。

 「おや…あの子は…坂下くんじゃないかね? 」

先生はびっくりしたような表情を浮かべて黒田の方を見た。

 「坂下くんというのは自殺なさった方ですよね? 」

黒田が訊くと先生は悲しげな顔をして頷いた。

 「そうなんだよ。いい子だったんだ。優しくて真面目で…努力家で。」

 「坂下くんと話をしてみますか? 」

 先生は勿論というように再び頷いた。
黒田は、彰久の助けでようやく『導』を終えた史朗に先生の意向を伝えた。

 史朗は先ずその坂下と言う男に問いかけた。

 「汝に問う。執拗に唐島を追い、憑依せんとするは何故か? 」

 「この男が教師だからだ。 俺はもう一度教壇に立つ。 
俺の理想とする教育を行うために…。 それには身体が必要なのだ。 」

男は青白い顔を史朗に向けて答えた。

 「汝はすでに自ら命を捨てた身ではないか? 
この世に執着するあまり他人に乗り移ろうとするのはあまりに身勝手。
決して許されることではない。 」

史朗の言葉に坂下は哄笑した。

 「おまえの知ったことか! 俺は俺のしたいようにするだけのことだ。 」

 「坂下くん…。 」

河原先生が声を掛けた。坂下は驚いたように声のする方を見た。

 「なぜ…だね? なぜ…死を選ぶ前に会いに来てくれなかったのかね? 」

先生はいかにも残念そうに言った。

 「きみが亡くなったと聞いて私は本当に自分の無力さを呪ったよ。
何ひとつしてあげられないままきみは旅立ってしまった。

 せめて話しだけでも聞かせて欲しかった。
きみの悩みや苦しみや何も分からないままで…。 

 私だけじゃないよ…きみの家族や友達たちもみんなそうだ。
なぜ…なぜ…なぜ…?
答えのない問いかけをそうやって一生繰り返していかなければならない。
突然消えてしまったきみを心の重荷としてずっと背負っていかなければならない。

きみはきみを知る人に悲しみだけじゃなく苦しみを遺して逝ってしまったんだ。」

坂下は返す言葉を失っていた。

 「ひとりで大変だったね…つらかったね…苦しかったね…。
本当はそう言ってあげたいよ。
そう言ってきみを抱きしめてあげたいけれど…。

 それはきっとお母さんやお父さんがなさることだろう…。

だから私はきみを叱ってあげるしかない…。」

河原先生はそれだけ言うと大きく溜息をついた。

 「もう…帰っては来られない…。
逝ってしまった以上はどんなに後悔をしても戻ることなど出来ないんだよ…。 」

坂下は嫌だというように首を横に振った。

 

 河原先生と坂下の話を唐島は身につまされる思いで聞いていた。
もはや唐島には恐怖心のかけらもなく、さんざん不思議なものを見たにもかかわらず、それを不思議と感じることもなくなっていた。

 ぼんやりと手首に残る幾筋もの傷跡をぼんやり眺めた。
死んでしまっていたら…修をよけいに苦しめることになっていたのだろうか…。
それとも…。

 「僕は逃げるのをやめた…。 」

唐島は呟くように言った。

 「恋焦がれた上の過ちを償うために死のうと…何度も何度も…自殺を図った。
だけど…それは償いじゃない…自分がつらいから逃げただけだと知った。

 僕がいい加減な生き方をすれば…いい加減な気持ちでの過ちだと思われる。
だから…必死で生きてきた。 」

坂下が唐島を見た。唐島も怖れることもなく坂下を見た。

 「あなたはきっと真面目で本当に一生懸命な人だったんだろう。
苦しくて…どうしようもなくなってつい人生から逃げてしまったのだろう。

 今それを後悔してもう一度やり直したいと思っている。
だから僕の身体が必要だと…。 」

 その場の人の目がすべて自分に注がれていることなど唐島にとってはもうどうでもよかった。修の存在でさえも気にならなかった。

 「僕の身体を手に入れることであなたが本当に人生を全うできるなら…どうぞ差し上げましょう…。

 けれどそれは…あなたがまた人生から逃げることに他ならない。
いま教師としてあなたが本当になすべきことは、あなたとともに自殺したあの若い人たちの霊を正しい方向へ導くことだ…。

 そう…僕は思うのだけれど…。 」

唐島の言葉を受けて坂下は唐島に近付いてきた。

 「きれいごとは沢山だ! そのお蔭でどれほど痛い目に合ってきたか。
いい教師になろうとした。 理想を追い続けた。 だけど現実に砕かれた。
おまえはいい教師だといわれている。 
でもそれは罪を覆い隠すための仮面に過ぎないじゃないか! 」

 昨日までの唐島なら坂下が近づくだけでも震え上がったに違いない。
いまは微動だにしなかった。 

 「仮面を被ってでも僕は生きる。 僕に与えられた命を全うする。
もう許しを乞うこともしない。 許されるはずもない。
僕のために傷ついたその心が癒されぬ限り…。

 ただ生きて生きて生きてその人のために僕が出来るすべてを捧げていく。
だから逃げない。 決して逃げないと決めたんだ。  」
 
唐島は坂下を堂々と直視した。

 「どんな大口叩こうとも俺が乗り移れば俺の意のままさ。 」

 坂下は引きつったような笑みを浮かべると唐島に襲い掛かった。
唐島は覚悟を決めたように目を閉じた。

 坂下が唐島の身体に触れるその一瞬に唐島の身体からとてつもない生命の光が溢れ出した。

 霊体である坂下に耐えられようはずもなく坂下は悲鳴を上げた。

晃は驚きのあまり声を発した。

 「藤宮の…奥儀『生』…まさか…。 」

隆平が訊いた。

 「きみがやってるの?」

 「やってたらこんなに驚かないよ。 」

晃は夢か…と思った。  
 
透が雅人に囁いた。

 「笙子さんか…? 」

 「いいや…藤宮の奥儀ってくらいだもの…笙子さんならこの程度じゃすまないでしょう。 」

雅人はほら…とばかりに修の方を顎で示した。

修は透たちを見てにやっと笑った。

まったく…何処が傍観なんだか…雅人は呆れたように天を仰いだ。 





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三番目の夢(第二十話 祭祀の危機)

2005-09-19 23:44:05 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 まったく梅雨というのはどうしてこう鬱陶しいんだろう。
雨雨雨…の毎日で息苦しいほどだ。
少し冷え気味な時はともかく、ねっとりと蒸し暑い日は気分も滅入りがちになる。
 史朗は肌にへばりつくようなシャツの感触を厭うように一番上のボタンをはずした。


 理事長室の扉はすでに開いていた。
雅人が史朗の到着を待っていた。史朗の姿を見ると僅かに頭を下げた。

 「早いね…雅人くん。 」

史朗は雅人に声を掛けた。

 「史朗さんが不安がっているだろうと思ってさ…。 」

雅人は生意気そうな目を向けた。

 「僕が…? 」

史朗は首を傾げた。雅人はにやっと笑った。

 「笙子さんがなんと言ったかは知らないけど…止めなくても大丈夫だよ。
黒ちゃんも同じ見解…。 
 
 修さんはいつまでも高校生じゃないんだ。
笙子さんの頭の中にはずっと子どものままの修さんが住んでいて成長していない。

 寝込みを襲うとかさ…そういう突発的なことじゃない限り、もう…自力で抑制できるはずだ…。 」

 史朗は驚いてまじまじと雅人の顔を見た。
笙子が史朗に語ったことを雅人はすでに察知していて黒田の意見まで訊いている。
しかも、笙子の欠点までちゃんと見抜いていた。

 「雅人くん…きみ本当に高校生? 洞察力の鋭さに感心するよ。
あ…これは皮肉じゃないよ。 言っとくけど。 」

そう言われると何となく雅人の表情が翳った。

 「皆が思ってるほど…僕は子どもじゃないんだ…。 
透たちの前じゃ同じ年の僕しか見せてないけど…ちょっとだけ先を走ってる。
…修さんは全部知ってるよ。 
 
 僕のことなんかどうでもいいんだよ。
とにかく万が一修さんが発作を起こしてもそれほど問題ないから心配しないで。
それだけ…。 」

雅人はまだ時間があるから暇潰してくる…と理事長室を出て行った。

 史朗は何となく雅人のことが分かってきたような気がした。史朗も早くに両親をなくして苦労したけれど、他所にできた子と言われながら育ってきた雅人にもいろいろ大変なことがあったに違いない。
 
 単に背伸びをしているだけなのではでなく、本当に大人の世界を覗いてしまった経験があるのかもしれない。見なくても済んだかもしれないものを…。
 
 理事長室の中で方角の確認などをしながら史朗はそんなことを考えた。



 夕べ憑依される恐怖をさんざんに味わったせいか唐島は少しやつれた様子で理事長室に現れた。これから起こる事に対する恐怖心がないわけではなかろうが、わりと平静を保っている。その表情からは覚悟めいたものさえ感じられた。

 理事長室の周辺は人気もなく静まり返っていた。
極秘会議中なので出来るだけ近付かないようにと警備員たちも命令を受けていた。

 入り口の扉が閉じられた。計画では扉の外に雅人と透、内に隆平と晃という配置になっていたが、意外に窓が大きく外部の者の覗きや進入を防ぐために雅人と透の持ち場は窓の内側に変更された。

窓という窓は閉じられてカーテンが引かれた。 

 先ず唐島を中央に座らせてから史朗と黒田が唐島と向き合うようにふたり並んで座った。史朗が唐島に対して祭祀をしている間に注意すべきことなどを簡単に説明した。唐島はひとつひとつを確認するように頷いた。

 鬼面川の祭祀が先に始まり史朗が天と地と鬼面川の御大親に祭祀をおこなう許しを得る文言を唱え出した。
 
 史朗が滞りなく御大親の許可を得ると、今度は黒田が河原先生とのコンタクトを始めた。

 修はその一部始終を史朗と黒田の後ろで見ていた。

 黒田は事前に病院へ行き、本人の確認のため河原先生を見舞ってきた。
本来なら必要ないことかもしれないが、一左の時に何回もコンタクトを取っていたとはいえ、半分以上は一左からのコンタクトを受けたもので、自分の力に不安があったために万全を期したのだ。

 その成果があってか、やがて唐島の背後に先生は姿を現した。
にこやかに笑いながら皆に向かって挨拶をした。

 「どなたかが私を呼んでくださったようだね。 今日は何の集まりかな? 」

黒田は先生に語りかけた。

 「ようこそ。 先生。 今日は先生のお話を伺いたくてお招きしたのです。
最近、お身体の調子はいかがですか? そろそろ復帰されてはいかがですか? 」

黒田は先ずなんでもない会話を始めた。

 「有難う。身体の調子は頗るいいようだが、なかなか退院許可がおりなくてね。戻りたいのはやまやまなんだが…。 」

先生はそう言って少し残念そうな顔をした。

 「先生は時々学校へ来られて唐島先生とお話をなさっているようですが…。 
以前にも他の先生とお話を…? 」

 「そうだねえ。 新しい先生がひとりで悩んでおられたりするとついつい話を聞きたくなってしまってね。 何をしてあげられるわけでもないが…少しは楽になってもらえるかと…お節介だねえ。 」

先生は声を上げて笑った。

 「ここへはどなたかとご一緒に…? 」

黒田は河原先生が死霊たちの存在を知っているかどうかを確認した。

 「いいや…いつもひとりだよ。 」

先生がそう言うと黒田は史朗と顔を見合わせた。

 「先生。 これからここに呼ぶ人たちの中にご存知の方がいましたら教えてください。 」

黒田が河原先生にそう頼むと先生はにこやかに頷いた。

 四人組は一斉に鬼面川流の障壁を自分の周りに張り巡らせた。

 河原先生に憑依している霊を呼び出すために史朗は招霊の文言を唱え始めた。
辺りに異様な霊気が漂い始め、先生の時にはあまり感じられなかった重苦しい空気が流れ始めた。

 河原先生の身体からひとつまたひとつ、ぼんやりとした影のようなものが抜け出てきた。それらは次第に人の形をとり始めついには、はっきりとした数人の若者の姿となった。
 
 史朗は再び彼らが河原先生の中に入ってしまわないように先生との間を障壁で封鎖した。

 彼らは唐島を見つけると唐島の方へ引き寄せられるように近付いた。
唐島の顔が恐怖に引きつった。
 彼らはまるでこの部屋には唐島ひとりしかいないと思ってでもいるかのように、執拗に唐島の周りをうろついた。   
声を上げそうになるのを唐島は必死で堪えていた。

 史朗は死霊の中にあの主犯格の若い男がいないのに気付いた。
隆平もそれに気付いて修のほうを伺った。修は分かったというように頷いた。
 
 「…御大親の御名において汝等に問う。 
汝等は相計って服毒自殺を遂げた者の霊に相違ないか? 」

 史朗は徘徊する死霊たちに向かって問いかけた。
死霊たちは無言で頷いた。

 「また問う。 河原なる教師にとり付き病を招いたのは何故か? 」

 『カワハラ…ニ…スクイ…モトメタ…ガ…』

 それから何度も史朗が確認したところによると、死霊たちは彼等を率いるあの若い男に従って河原という教師を頼ったが、残念なことに河原には彼等を感知できるだけの霊能力がなく、何人もの死霊に縋られたために体調を崩して倒れたらしい。

 しかし、教職を天職とする河原先生は学校への復帰を切に願っていた。気持ちが焦るあまり先生の魂は独り歩きを始め、かってに学校へ出入りするようになった。そのために先生の生霊が媒介となってこれらの死霊たちが学校へ運ばれてくるようになってしまった。

 自殺した彼らは逝くべき場所を失い、あてもなく彷徨うかその場にとどまるかしか身の処し方が見つからないでいたのだ。

 河原先生が親切心から新任の先生たちの悩みを聞いているうちに、彼らは逝き場所或いは戻る場所を求めてそれらの先生たちにとりつこうとした。

 当然、それらの死霊を見た先生たちは恐怖でパニック状態に陥り学校を辞めて逃げ出した。死霊の見えなかった先生たちは体調を崩して辞めざるを得ない状態に追い込まれた。

黒田は待機している河原先生にそっと訊ねた。

 「どうですか? 先生…。 ご存知の方がいますか? 」

 「いいや…。みな初めて会った人ばかりだね…。 」

先生はそう答えた。

 史朗はあの男はいないが、取り敢えずここにいる霊たちだけでも先に逝くべき所へ案内してやった方がいいのではないかと考えた。

 鬼面川の奥儀『救』を使うほどのことでもないのでその中の『導』だけを使うことにした。

 史朗が『導』所作と文言を始めると死霊たちは一斉に史朗の前に集まってきた。どうやら史朗が自分たちを救ってくれると感じ取ったらしい。

 その両の手の舞うが如き美しい所作と流麗な文言にその場の誰もが魅入られた。
何も分からない唐島でさえもその動きに見とれた。

 修はその見事なまでに完成された所作のひとつひとつを心から満足げに味わい尽くしていた。彰久の祭祀の美しさもたとえようのないものだが、史朗の祭祀にはまた別の趣があってその魅力は筆舌に尽くし難い。

 史朗の周辺に別の空間が現れ始めた。
上もなく下もなく、まるで大宇宙の中に身を置いているような不思議な感覚が皆を捕らえた。やがて空間には迷える魂を導く眩くも尊い光が…。

 死霊たちは我先にとその光を目指した。

 ところが突如、彼等は向きを変え、無防備な史朗の身体に襲いかかった。
祭祀の最中に誰かに触れられることは祭祀の失敗と命の危険を招く。

 史朗は一瞬気が遠くなった。

目の前に自分を見下ろす冷たい視線があった。

あの若い男がいつの間にか史朗のすぐ傍に立っていた。

 男は勝ち誇った笑みを浮かべ、他の死霊たちを操ってさらに史朗に攻撃を加えようとした。

 皆は戸惑った。
鬼面川の祭祀の最中に他家の者が動いてはならないのが常識で、助けようにも助けられないのだ。

隆平は修の指示を仰ごうとした。
自分なら同族だ。

さっきまで修が座っていたところに顔を向けると
そこにはすでに修の姿は無かった…。





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三番目の夢(第十九話 違和感)

2005-09-17 23:27:20 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 震えの止まらない唐島に修はサイドボードの中のブランデーを飲ませた。
慌てて飲もうとした唐島はむせ返った。修は優しく背中をさすってやった。

 その様子を見ていた史朗は修の行動にどこか違和感を感じた。
修の性格から見て別段いつもと変わりない行動なのだが、それでも何かが違うような気がするのだ。

 「遼くん…あいつは学校からきみについてきたんだよ」

修が言うと唐島は分かってるというように何度も頷いた。

 「史朗ちゃん。よく気付いたね。連絡がつかなかったから無理かと思ったよ。」

 そう言われて史朗はにっこり笑った。心の内に芽生えた疑問は悟られぬように笑顔の下に隠した。

 「この間先生に護りの印を描いたので、何となく危険が迫っていると感じたんです。 急いできたから携帯にも出られませんでした。 」

唐島はようやく落ち着いてきた。

 「あ…有難う。 あなたには…二度も助けてもらった。 」

頭を下げて唐島は礼を言った。史朗はいいえというように首を横に振った。

 「修さん…今のは紫峰の業じゃありませんね。 僕…はじめて見ました。 」

修は笑みを浮かべ頷いた。

 「藤宮の奥儀のひとつだよ。 だから本来なら僕がこんなふうに使うべきじゃないんだが、紫峰の業ではあの死霊を消滅させてしまうからね。 
今の段階でそれはまずいだろ。 ちゃんと言い分を聞いてやらないとね。」
 
 唐島にはふたりが何の話をしているのかさっぱり分からなかったが、とにかくその何とかに救われたことだけは確かだった。

 「先生…明日の夜までの我慢ですよ。 ここはもう心配ないです。
この部屋には霊厄を除けるまじないをしておきましたからあいつはもう現れないでしょう。
見たところ他には何もなさそうだし…。 」

唐島がほっとしたように頷いた。

 「本当に何とお礼を言っていいのか…。 」 

修が倒れ掛かったむつみの遺影をそっと元に戻した。

 「遼くん…僕等はこれで引き上げる。 心細いだろうけど今夜はもう何も起こらないから安心して…。 明日…学校で…また。 」

 そう言って修は足早に玄関に向かった。史朗も後に続いた。
その後姿に向かって唐島は何度も礼を繰り返した。



 唐島のマンションを出て修の車まで史朗は一緒に歩いた。
何を考えているのか修はぼんやりと宙を見ていた。
今はもうあの妙な違和感は消えていて、いつもの修がそこにいた。

 「修さん? 藤宮の業。 何処でお覚えたんですか? 笙子さんに? 」

史朗はわざと明るい声で訊いた。

 「ああ…あれ…昨日笙子から教えてもらった…。 」

事も無げに修は言った。

 「ええ~っ。冗談でしょ?あれ結構高度じゃないですか。奥儀なんでしょ? 」

史朗はまさかと思った。昨日の今日で使える業とは思えない。

 「ほんとだよ。 だから笙子が使うほど威力がないんだ。 
やっぱり他家の業は難しくてね…。 」

 化け物かあんたは…史朗は呆れかえった。

 一般に血統のはっきりしている能力者ほど他家の力を取り入れるのは難しい。
血に縛られない能力者の方がその点は融通が利く。
 それなのに修の場合は純血種とも言うべき紫峰の頂点にいながら、他家の業もどんどん吸収していく。
勿論、ひとつひとつを見れば完全ではないけれど、それなりに役に立っている。

 「いいなあ…羨ましいや。 修さんは他家の業まで使えてしまうんだから。
僕に少しでも力があればもっと自信が持てるのに…。 」

史朗は呟くように言った。

 「僕は史朗ちゃんの祭祀に惚れたんだ。 
彰久さんに勝るとも劣らない素晴らしい祭祀を見せてもらったからね。 」

修は史朗に向かって微笑みかけた。

 「祭祀にですか…。 複雑です…。 その言われ方…。 」

史朗はちょっと寂しげな笑みを返した。

 

 修の帰りを待っている間。四人は修練を続けてはいたのだが、やはり気になって身が入らなかった。

 修の代わりに西野が四人の面倒を看ていたが、西野も鬼面川の業を使えるわけではないので、万一の場合に備え監督しているだけに止まっていた。

 もともと鬼面川出身の隆平だけが鬼面川の業を理解しており、他の三人の指導をしていたが、やはり唐島のもうひとつの気配が気になって仕方がなかった。

 「雅人…手を貸して…。 様子が見たいんだ。 」

とうとう我慢ができなくなった隆平は雅人にそう頼んだ。

 「いいよ…どうすればいい? 」

雅人が訊いた。

 「先生に念を合わせてくれればいいよ。 」

 唐島の部屋を覗くだけなら雅人だけで十分だったが、霊の気配は隆平の方が感知しやすいので雅人は隆平の言うとおりに唐島に念を合わせた。
隆平は雅人の手に自分の手を重ねるとそっと目を閉じた。

 「先生は…凄く危険な目に遭った。 相手は…あいつだ…この前先生に襲いかかった若い男の霊。 大丈夫…もう先生のところにはいない。 

 多分…これは史朗さんの気配。 修さんの気配も…。
あ…でも…もう帰ったみたい。 部屋には鬼面川のまじないがかかってる。 」

隆平はそれだけ言うと目を開けた。

 「どうもあいつが主犯格だね…。 執拗に先生を狙っている。 」

 「先生に取り付いてどうする気なんだろう? 」

晃がぼそっと言った。それは皆も疑問に思っていた。

 「多分…明日の祭祀ではっきりするだろうけど…。 
 僕の勘では死んだことを後悔していて、生きている自分に戻りたがっているのじゃないかと…。 」

隆平が答えた。なるほどと三人が頷いた。

 「こらこらサボってちゃだめでしょ。 明日が本番なんだから。」

西野が近付いて来て注意した。

 「慶太郎さん…。 幽霊好き? この前化け物とは戦ったって聞いたけどさ。」

晃が唐突に訊いた。

 「嫌ですよ。そんなもん。化け物だって好きっていうわけじゃありません。」

 「え~っ。 慶太郎さん。 幽霊だめなの? 怖いの? 」

透が意外そうな顔をした。

 「怖かありませんけど、薄っ気味悪いじゃありませんか。
そりゃあ仕事となれば選り好みしちゃいられないんで何とだって戦いますけどね。
できりゃあ生きた人間の方がありがたいですよ。 」

西野はいかにも嫌そうな顔をした。

 「さあ…いつまでもサボっていると宗主のお叱りを受けますよ。 」

そう言って四人に修練の続きを促した。



 会社の玄関を出ようとした時、史朗は突然、笙子に呼び止められた。
笙子は伝えておくことがあると言って、人気のないところへ史朗を連れて行った。

 「史朗ちゃんに頼みがあるのよ。 今日は私…現場には行かれないから…。」

いつになく真顔で笙子は言った。

 「修の行動に気をつけていて欲しいの。 特にすべてが片付いた後に…。 」

 「どういうことです? 」

 史朗は訝しげに笙子を見た。
笙子はちょっと辺りを見回した後、小声で囁くように言った。

 「修は今とてもいい子にしているはずよ。 宗主として動いているから…。
でもことが片付いたらいつまでもおとなしくしているとは限らないのよ。

 修の態度が一見穏やかそうに見えても、唐島に対しての怒りが完全に収まっているというわけではないの。 」

史朗はあの妙な違和感を思い出した。

 「それ…本人は自覚しているんですか…? 」

 「そこが難しいところなの。 
意識してやっているのか無意識なのか…はその時々で違うから。
意識しているのなら問題ないわ。

 とにかく暴れだしたらあの身体だから止めるのが大変。
いつもは私が傍にいるから止められるんだけど。

 唐島に対して暴力を振るわせないようにあなたがちゃんと抑えてて…。 」

 抑えててと言われても、史朗の身体では簡単に吹っ飛ばされてしまうだろう。
背も高いし細身に見えても鋼のように鍛えられた身体だと知っている。

 「大丈夫…黒田さんもいるし雅人くんも透くんも大きいから皆でかかれば何とかなるわ…て冗談言ってる場合じゃないのよ。

 力任せじゃなくて頭を使ってちょうだい。
修を呼ぶ時は必ず宗主か当主と呼んで責任を呼び覚ますのよ。 
立場を自覚させるの。 

 修はいつも修である前に宗主だの当主だのという責任を優先させる人だから、修個人に戻らない限り相手が仇であっても暴力は振るわないし、穏やかなままよ。」

 あ…そうかと史朗は思った。それで笙子さんでも止められるわけなんだ…。
そうだよな…いくら強くても女の人だもんな…。

 「ちなみに私なら…やめなさい!…の一言で済むけどね。 」

 笙子はうふふ…と笑った。
やっぱり修さんより強いんだ…と史朗は考え直した。

 「修が分かってやってる場合は別に止める必要は無いわ。
そこのところの判断をあなたに任せるしかないの。

 修の症状は黒田さんも知っているし、多分…雅人くんなら気付いているから、本当にどうしようもない時は協力してもらって。 これは冗談じゃないわよ。 」

 笙子はそれだけ伝えると、じゃあ…よろしく…と言って職場へと戻っていった。

 あの違和感の正体はこのことなんだろうか?
宗主の修と修という個人…その違いが微妙な違和感となって表れたのだろうか?

 それとも唐島に対して無理に優しく接しようとする修の心の矛盾の現われなのだろうか?

史朗はその疑問を拭い去れないまま急ぎ職場を後にした。





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三番目の夢(第十八話 不測の事態 -追われる男-)

2005-09-16 17:42:06 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 輝郷の許可はすぐに下りた。
この間のことで修は藤宮学園に対し、お詫びの代わりに受験塾拡張のための資金の名目でそれ相応の寄付を申し出た。

 嫌なうわさのもとを祓ってもらえる上に、労せずして資金まで調達できたのだから輝郷の機嫌がいいのは当たり前だ。
 勿論、他の父兄やOB、賛助会員の手前、異常と思われるような額を提示することはできないが、それでも群を抜いている。

 理事長室を祭祀に使われることぐらい何の問題があろうか。
たとえ派手にぶっ壊されたとしても、修ならすぐに改装の手配をするだろう。

 こういうところだけ見ると輝郷という人は計算高い嫌な男のように思われるが、これはあくまで学園の経営者としての輝郷のやむをえない姿である。
 実際には、本当に必要なことのためには私財を擲ってでも取り組もうとする教育者としての姿の方がその人となりをよく表していた。

  

 「先生のことを家族に聞いてみたんだが…身体の方は全く問題ないらしいんだ。
ま…長い病院暮らしで少々なまってはいるらしいが、少しリハビリすれば教壇に立てるくらいの健康状態だ。

 あのぼんやりする症状さえなければなあ…。 」

 宇佐はいかにも残念そうに言った。
目の前を例の看板親爺がスマートに通り過ぎた。看板親爺はその巧みな話術で若い女性客にもてているようだ。

 「なあ…修。 もしもあの症状がなくなったら職場復帰できるだろうか?
何しろ先生もそんなに若くないんで、学園が受け入れてくれるかどうかも気になるところなんだが。 」

 宇佐が修を覗き込むようにして小声で訊いた。

 「そうだな…それは…先生が元気になってからじゃないとなんとも言い難いね。
学園の就職事情までは僕にも分からないからな…。 」

修は困ったような顔をした。そりゃあそうだ…と宇佐は思った。

 「何のお話…? 」 

看板親爺が笙子を案内してカウンター席まで連れてきた。

 「よう。 笙子。 久しぶりじゃねえか。 相変わらず色っぽいな。 」

宇佐はそう言うとグラスにワインを注いだ。

 「修お待たせ…。 」

 そう言いながら笙子は修と軽くキスを交わした。やれやれというように宇佐が笑いながら肩をすくめた。

 「宇佐ちゃん元気してた…? 随分シェフらしくなっちゃったじゃないの。 」

笙子はにっこりと微笑みながら宇佐に訊いた。

 「元気してたよ…。 おまえ少しは修の奥さんしてんのか? 」

 「うふふ…。 ほとんどしてない。 だって忙しいんだもの。 」

 修を見ながら笙子は笑った。修は苦笑した。 
宇佐は笙子のために特別なオードブルを出した。
 
 「おいしい~。 さすがね。 宇佐ちゃんいい腕。 」

 「惚れなおしたか…? 」

笙子は艶っぽい笑みを浮かべた。宇佐は笙子のために自慢の腕を振るっていた。

 「そうね。 もう少しお料理をいただいてから考えるわ…。 」

美しく盛られた料理を前に笙子はご機嫌で答えた。
 
 宇佐の作った料理をおいしそうに食べる笙子の横顔を修は黙って見つめていた。
他人が思うほど笙子は修をほかりっぱなしにしているわけではない。
 世間で言うところの良い奥さんとはどんなものかは知らないが、修にとっては笙子は十分世話女房と言える。

 「なあに…修? あ…これ欲しいんでしょ? はい…お口を開けて…。 」

 笙子は料理の中のブラックオリーブを修の口に運んだ。
別にそれが欲しくて見てるわけじゃなかったが修は素直に従った。

 「うふふ…。 修はね…オリーブが好きなのよ。 
オニオンスライスとトマトのサラダなんかにたっぷりのっけてあげると喜ぶわ。」

 はいはいご馳走さま…と宇佐は思った。思いながら安心した。
仲間内のうわさでは笙子のとんでもない悪妻振りが伝えられていたが、見たところこの夫婦は巧くいっているようだ。

 特に修の眼…とろけそうで見ちゃいられないぜ。
宇佐の知り得る限りでは高等部の時にはすでに先生も仲間も公認のふたりだった。その後どんな紆余曲折があったか知らないが、これほどひとりの女に惚れこんでいられるものだろうか。

 考えられんね…俺には…。
宇佐はまたやれやれと言うように首を振った。
 


 叔父貴彦が風邪から復活したお蔭で、先週あたりの地獄の忙しさからは一応解放された修は着々と準備を整えつつあった。

 四人組には毎晩鬼面川式護身修練をさせていたし、理事長室からは部屋が吹っ飛んでも問題ないように重要なものだけを移動させ、史朗と黒田にはコラボの段取りを付けさせた。

あとは…唐島。
あれから修は毎晩のように唐島に電話をした。
唐島は挨拶以外の言葉を発しなかった。ただ修の話す声を聞いていた。
それだけでほんの少しの間だけ唐島の心から恐怖が薄らぐ。

 お人よしと言われようと馬鹿と思われようとそれで救われる人がいるんだからよしとすべきだ…修はそう考えた。



 金曜日。受験塾が終わり四人はそれぞれのクラスから出て下駄箱のところで落ち合った。今夜は総仕上げをする予定だった。

 正門のところで紫峰家の車が待っていた。四人は急いでそちらへ向かった。
夜間警備の人たちが門のところで立ち話をしていた。  
 
 『それじゃあ大山先生は無事だったんだな。 』 

 『ええ…予定より早い列車に乗られたそうで…。 』

偶然彼らの会話が耳に入った。

 『さっきまで連絡待ちの先生がひとりで待機しておられたんですが、無事と分かって職員室を閉めて帰られたようです。』

 四人は顔を見合わせると回れ右して職員室の方へ向かった。
すでに校舎は暗く職員室にも人の気配はなかった。 
雅人が透視を試みた。唐島の気配を追った。
学校を出たことは確かなようで雅人は少しほっとした。

 ところが隆平が妙な気配を感じると言い出した。
雅人が唐島の気配を追うと違う気配が同じ方向に感じられると言う。
 四人は急いで車に戻ると修に連絡した。修はすぐに帰宅するよう命じた。
そして帰宅後は屋敷を出るなと釘を刺した。



 連絡待ちのために職員室にひとり残った時、唐島は言いようのない不安に襲われたが、幸いなことに河原先生もあの怖ろしい死霊たちも現れなかった。
 警備の人がうろうろしていたせいもあるかもしれないが、何にしてもあれを見なくて済んだだけ有難い事だった。

 簡単に食事を済ませ、風呂を済ませ、新聞を見ながらいつしかうとうとし始めた。どのくらい経ったのか何かの動く気配がして目が覚めた。

 顔を上げると正面にあの若い男が…。唐島は叫ぼうとしたが声にならなかった。
口から出たのはただうーうーと唸るような声だけ。

 逃げようと後ずさりするが身体がこわばって思うように動かない。
青白く冷たい表情を浮かべ男は次第に迫ってくる。

 何故…? 修はここはまだ安全だと言っていた。
史朗も…史朗は学校では絶対にひとりになるなと言った。
はっと思い当たったのは連絡待ちのために職員室でひとりきりになったこと。
でも何事も起こらなかったじゃないか…。

 唐島は必死で動こうとした。死霊に物をぶつけたところでどうしようもないのだろうが、持っていた新聞を投げつけて見たりもした。

何とか這いずるようにして姉の遺影のところまで逃げた。

 姉さん…姉さん…助けてくれ…こいつを消してくれ…。

 男は唐島に手を掛けて唐島の中へと入り込もうとしていた。
全身が凍りつくような感覚を覚えた。
もはや唸り声さえも出せず、喉の奥でヒューヒューと音だけが鳴った。

 だめだ…もう…がんばれないよ…。
ごめん…ごめん…修くん…。

 玄関の扉がけたたましい音を響かせて開いた。
誰かが無言のまま唐島の方へ向かってきた。 

 その人の手が太陽のように鋭く輝いた。
今まさに唐島の中に入り込もうとしている男にその手を触れた。

男はもんどりうって倒れ唐島から離れた。

 その人の後を追うようにもうひとりが駆けつけた。
激しい勢いで文言を述べるその姿から史朗だと分かった。

 「御大親の御名において…去れ! 」

史朗が触れると男は苦悶の表情を浮かべながら消えていった。

唐島はぜいぜいと肩で息をした。

 「大丈夫…? 遼くん…。 」

唐島は驚いて顔を上げた。修が心配そうに見つめていた。

 「修くん…きみ…来てくれたんだ…。 本当に…護ってくれたんだ…。」  
 
唐島は覚めやらぬ恐怖に怯え震えていた。

子どものようなその姿を見て修は穏やかに微笑んだ。 






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三番目の夢(第十七話 ひとりじゃない…)

2005-09-15 16:54:02 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 朝から何度も顔を合わせたが、透も雅人も隆平もそして晃に至るまで唐島とはあの話をしなかった。唐島も聞きたい気持ちを抑えているのか話かけてこなかった。

 全く普段と変わりない1日が始まり、そして終わった。

 史朗の忠告を守って、唐島はできるだけひとりにはならないように努めた。
ひとりになれば必ずまた河原先生に逢うことになる。先生だけならともかく御伴している連中が怖ろしい。
特別な力を持たない唐島はとにかく自衛策に出るしかなかった。



 雅人を始め四人組は午後の授業を早引けし、紫峰家の迎えの車に乗ってそのまま紫峰家の祈祷所に向かった。

 祈祷所の修練場では修と木田彰久が待っていた。
死霊との戦いでは鬼面川が最もその力を発揮する。

 祭祀能力に優れた史朗とは違って自らに霊力を持つ彰久から紫峰や藤宮の者でも使えそうな業を少しだけ伝授してもらうことになっていた。

 四人は丁寧に彰久に挨拶をした。礼儀には厳しい人だと聞いている。

 「修さんにご指導頂ければ…僕などが偉そうにしゃしゃり出るようなことではないのですが、修さんが是非にと申されまして…。」

彰久は何処までも丁寧な人だった。

 「死霊などを扱う場合にはわざわざ憑依させて対処する場合もありますが…これは皆さんには危険度が高いのでやめておきます。

 隆平くん…きみには少し心得があるので手本になってもらいましょう。
先ず気を付けなければならないことは、間違っても自分が取り付かれないようにすること…。 」

 紫峰の修練で習ったことはほとんど生きている人間の魂に関することなので、死霊相手では逆効果になったりするということを彰久から教わり、雅人も透も今更ながらにぞっとした。

 あのまま戦っていたらとんでもないことになったかもしれない。
修が絶対手を出してはならないと釘を刺したわけが分かった。

 丁寧で穏やかな態度とは裏腹に彰久は修練に関しては厳しい人で、初歩の簡単な業を教わっただけなのに、終了した時には四人ともふらふらだった。
 
 「皆さんはある程度力を持った方ばかりですから、この程度で一応は身を護ることくらいはできますでしょう。
 今回の場合、皆さんのお仕事は戦うことではないようですので護身を中心に講義致しました。 」

 彰久はにこやかに終了を告げた。
四人はまた丁寧にお礼の言葉を述べた。

 「それにしても、生霊と死霊のごっちゃまぜとは奇怪ですね。
史朗くんなら巧く引き離すでしょう。若いけれどあの人の祭祀は確かです。」

 彰久は修にそう語った。
彰久とていま30代に入ったばかり、修などさらに幾つか年下でありながら史朗のことを若いというのは、彰久の前世鬼面川将平の亡くなった齢がかなりの高齢だったからである。

 修、彰久、史朗には千年前の記憶が残っていて、時々会話がタイムスリップしたりするので、聞いているほうは戸惑うことが往々にしてあった。
 
 「僕もそう思います。 あなたの祭祀も絶品ですが…。 」

修は彰久に惜しみない賛美を送った。彰久は上品に目を細めた。
 
  「修さん…。 あなたは器用だから紫峰でありながら、藤宮の力も、鬼面川の力もある程度はお使いになれます。 
 今回はどうして他人任せになさるのですか? 」

彰久は率直に問うた。

 「それは彰久さん。 餅は餅屋の例えありでしょう。 」

そう言って修は笑みを浮かべた。なるほど…と彰久も微笑み返した。

 彰久はそれ以上のことは聞こうとしなかった。
修が言わないこと言いたくないことは彰久にとっては聞かなくていいことだ。 
 親友の在り方は人それぞれだが、修は彰久のそういう割り切ったところが特に気に入っていた。
 
 わざわざ講義に来てもらった彰久を鄭重にもてなした後、修は西野に命じて自宅まで送り届けさせた。

 

 高校生にもなった男の子が四人も部屋でごろごろしていると、紫峰家の居間であっても結構狭く感じられる。足の踏み場もない。

 まさにゾウアザラシのハレムだな…と修は笑った。

 いま四人は宿題や今日休んだ分の受験塾の課題と戦っている最中なのだが、敵は滅茶苦茶手強そうだった。

 「そう言えば…さっき彰久さんが言ってたけど…修さんて藤宮や鬼面川の力まで使えるんですか? 」

 晃が急に思い出したように訊いた。皆の目がいっせいに修のほうに向けられた。

 「少しだけね…。 紫峰は藤宮とは昔から時々婚姻関係を結んでいたからね。
当然、藤宮の血は僕の中にもあるだろうね。

 鬼面川に学んだのは…はるか千年も前のことさ。だから彰久さんが言うほど使いこなせているわけじゃないよ。
祭祀の所作や文言なんて僕にはまったく分からないし…。 

 だから僕は傍観を決め込むつもりだ。 」

修はそう答えた。

 「おまえたちだって今回は戦うわけじゃない。
外部との接触を完全に絶つための壁になってもらうだけだからね。

 内ふたり外ふたり…分担を決めておいてくれ。 」

二人組ね…四人は互いに顔を見合わせた。

 「面倒だから同じクラス同士でいいよ。 僕と透で外。 隆平と晃で内。
そんなんでどう? 」

雅人がそう言うと三人も異議なしと答えた。

 はるがみんなのために夜食を運んでくると子どもたちはハイエナのように群がった。軽く夕食をとったとはいえ、実質八時間に及ぶ特別修練であっという間に吸収されてしまっていた。
子どもたちの勢いに押されてはるは大至急追加を用意するために台所へ走った。

 その食べっぷりに感心しながら自らは夜食を断り、修はひとり部屋に戻った。

 

 携帯のその番号を選択するだけで修は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
いっそメールで済まそうかとも思ったがこの間のことがあるから悪戯と勘違いされても困る。

数回の呼び出し音の後、唐島の返事をする声が聞こえた。

 「修です…。 今…よろしいですか? 」 

 『修くん…この間は見舞って下さって有難う…。お蔭で助かりました…。 』

唐島の嬉しそうな声が返ってきた。

 「用件だけ申し上げます。 
今週土曜日の夕刻6時に理事長室へ来て頂けますか?
その頃なら部活動なども終了していると思いますが…。  」

修は淡々と用件を述べた。

 『理事長室…? なぜ…? 』

唐島は訝しげに訊ねた。

 「河原先生の件で…。 」

 『…。』

唐島の声が一瞬途絶えた。修には唐島の心の中にある恐怖が読めた。

 「遼くん…? 」

 『ごめん…修くん…虫のいいお願いなんだけど…少し話していて…。
僕の声…聞きたくないのは分かってるから…僕黙ってるから…。
何でもいいんだ…一分でもいい…。 』

 未知の恐怖に怯えている唐島の姿が浮かんだ。
あの部屋でひとりで…生霊と死霊の迫り来る恐怖に耐えている。
気が狂いそうになるほど怖いのに…誰にも言えない…。

 「遼くん…そこにいれば安心だから…。あいつらはまだそこへはやってこない。
ちゃんと眠るんだよ。 眠らないとまた倒れてしまうよ。

 大丈夫…護っているから…僕が護っているから…。

 遼くん…ひとりじゃないよ…。 」

 言ってしまってから修は自分が口にした言葉に驚いた。
携帯の向こうで唐島の押し殺したような泣き声が聞こえた。 

 『有難う…有難う…修くん。』

携帯は修ではなく唐島のほうから切れた。 

 「お人好し…。」

 扉の前で雅人が言った。
雅人ははるに頼まれて修に飲み物を運んできたところだった。
それを机の上に置くと不満げに唇を尖らせて修と向き合った。

 「どうして? どうしていつもそんななのさ? ほっとけばいいじゃん。
取っ付かれようが殺されようがあなたに関係ないじゃないさ。
どれほど酷い目に遭わされたか忘れたわけじゃないでしょ…。 」

雅人の目が潤んでいた。修は悲しい笑みを浮かべた。

 「もう…いらいらするよ。 見ててつらくなるよ…。 」

 雅人は大きな身体で修の首に抱きついた。
修は受け止めたが雅人の重量のせいで仰向けに倒れこんだ。

 「重いぞ…雅人…。 子どもみたいに…。 」

 「子どもだもん…。」

 雅人の頭を撫でてやりながら修は言った。

 「なんかさ…ほっとけない性質なんだよね…。 
自分でもあほかと思うようなこともあるけど。 
やっぱり…ほっとけないんだ。 」

雅人は溜息をついた。

いいよもう…それで…。僕がちゃんと見ていてあげる。
あなたが傷つくことのないように…僕がホローしていくよ。

ふと史朗の顔が目に浮かんだ。

あの人も…きっとそうするだろう。

笙子さんや黒ちゃんやあなたを愛するすべての人があなたを護るよ。

あなたはもうひとりじゃない。

ひとりじゃ…ないよ。





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三番目の夢(第十六話 逃げない!)

2005-09-14 17:50:26 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 史朗が姿を現した時黒田は正直驚きを隠せなかった。

 あの笙子の愛人というからには、女を手玉にとっていい目を見ようとしているドンファンタイプか、あるいは子どもっぽいアイドル系美少年かと想像していたのだが、史朗はごく普通の青年だった。

 顔立ちも姿も優しいが決してなよなよしているわけではなく、凛としてしっかりと芯の徹った印象を受けた。時々見せる屈託ない少年のような笑顔が魅力的だ。
 
 史朗は黒田を紹介されると黒田の協力に対して自分から感謝の気持ちを表した。
彰久と違ってそれほどの力がないので、黒田の助力を得られることになって大変心強いということを気負うことなく言った。

 黒田も遠隔で生霊とコンタクトを取った経験は一度しかないので、あまり自信はないのだが力を尽くすと約束した。

 修が多喜に命じて用意させた昼食が終わる頃には黒田と史朗はお互いにすっかり打ち解けていた。世間話…仕事の話…本題とは違う話で盛り上がった。

 「じゃあ…その告白ってやつは笙子さんの悪戯だったのか? 
残念だったねえ…修くんよ。 」

黒田はくっくっと喉を鳴らして笑った。

 「僕は知ってたけどね…。 」

 「僕…本当に自分が酔っ払って馬鹿なことを仕出かしたんだと思ってましたから…滅茶苦茶恥ずかしかったですよ。 」

史朗は頭を掻いた。

 「んで…史朗ちゃんの本心はどうよ? やっぱ好き? 」

黒田は史朗の顔を覗きこむようにして訊いた。

 「そ…それは…ですね。 」

史朗は赤面してしどろもどろになってしまった。

 「黒田…苛めんな! いいよ。 史朗ちゃん…。 」

黒田は眉を上げ肩をすくめて笑った。

 「さてと…俺はそろそろお暇するぜ…。 決行の日が決まったら知らせてくれ。
都合をつけるから…。 史朗ちゃん…またな。 」

そう言うと黒田は立ち上がった。
 修が玄関まで送ろうというのを、それほど偉いさんじゃないよ…と断って、黒田はひとりさきに帰っていった。



 後に残った史朗は多喜が後で運びやすいように使った食器を整えていた。

 「きみの…大切な心…笑い話にしてしまってよかったの…?  」

史朗の姿をじっと見ていた修が訊いた。史朗の手が止まった。 
 
 「馬鹿みたいだ…僕。 笙子さんに操られて言わされてただけだったなんて…。
笑ってもらった方が気が楽じゃないですか…。 」

史朗の胸の痛みが修にも伝わってきた。

 「聞かせてくれない…? もう一度。 僕…また真剣に答えるから…。 
このままじゃ…心が痛いでしょ? 」

史朗は驚いたように修を見た。
あの時も修ははぐらかさないで真剣に返事をくれた。

 「でも…修さんには不快なことだって…分かってるし…。 」

 「聞いたの…? レイプのこと…。 そう…それで気を使ってくれてるんだ。」

 修はしばらく黙って考えていたが、可笑しくてたまらないとでもいうように突然笑い出した。史朗は呆気に取られて修を見た。

 「あのさ…史朗ちゃん。 史朗ちゃんだけじゃなくて皆もそうなんだけど、僕に対してちょっと気を使い過ぎ…。 僕はそんなに感傷的な人間じゃないんだよ。

 あれはもうはるか昔のことで…勿論忘れられないし…つらいときもあるし…発作も起こしたりするけど、そんなことばかり四六時中考えて生きてやしない。
はっきり言ってやってられないぜ…そんなこと。

 今は唐島が現れたんで一時的に心乱れてるだけなの…。 」

修はさらに笑い続けた。そんなものだろうか…と史朗は思った。

 「僕はいつも前向き…悲観的に物事を考えるなんてまっぴらだね。
楽しくないだろ…そんなの。 人間だからさ…時にはドカンと落ち込むけどね。」

 多喜が片付けに出てきたので修は食堂を出て居間の方へ移動した。
史朗も後に従った。

 「唐島だってね。 まだ15~6歳くらいだったんだよ。善悪の区別はつく年頃だけど性には目覚めたばかりの頃さ。
 だからって許されるもんじゃないけど、もし僕が同じ年齢だったらもっと違った形になってたかもしれないって…そう思ったりもしてるんだ。
甘いかもしれないけどね。 この頃やっとね…。 」

 お人好し…と史朗は思った。
だけどそこが修さんをほっとけないところだよね…。きっと皆そう思ってる。
ほっといたらあなたが…また傷ついてしまいそうで…。 

 「史朗ちゃん…。 いい場所見つけたぜ。 」

修が唐突に言った。

 「はあ…? なんですか…藪から棒に…? 」

急に話を変えられて史朗は戸惑った。

 「だからさ…。 祭祀の場所だよ。 人目につかない静かな場所。 」

修は悪戯を考え出した子どもみたいな笑みを浮かべた。

 「あそこなら絶対さ。 誰も入って来ないしね。 広さも十分だ。
ちゃんとした祭祀ができるよ。 」

 よくは分からないが要するに学校内に祭祀のできる場所が見つかったということらしい。

 「祭祀ができれば…僕としては問題ありません。
後は相手の状況を見て判断するだけです。 」
 
 史朗はそう答えた。

 「そろそろ僕もお暇します…。 前もって黒田さんに逢えてよかったです。
急に息を合わせるのは難しいですからね。 」

 そう言って史朗は微笑んだ。短い時間会話を交わしただけだったが、どうやら黒田とは呼吸が合いそうだと感じた。

 「それじゃあ修さん…連絡…お待ち…」

 史朗の顔のすぐ前で修がそっと身をかがめた。一瞬の出来事だった。夢だ…と史朗は思った。
 
 「近いうちにね。 唐島も限界だろうから…。 」

無意識に頷いて史朗はぼーっとしたまま修の屋敷を出た。



 夕べから一睡もできていない。目を閉じるとあの怖ろしい光景が浮かんで。
唐島は自宅の居間に座り込んであの出来事を考えていた。

 河原先生のことを同僚の先生に聞いてみた。
二年も前に倒れて入院しているという。じゃあ…あれは…本当に生霊なのか?
この学園に来てからずっと自分は生霊と話していたというのか…?

 背筋に冷たいものが何度も走った。
あの現場に自分が一人きりでいたらどうなっていたのだろう。
紫峰の子と理事長の息子が協力して護ってくれていなかったら、自分はあの死霊たちに取り殺されていたのだろうか?

 去年、一昨年に体調を崩して辞めた先生たちというのは唐島と同じように河原先生に会ったのだろうか? それが原因で病気になったのだろうか?

 それにしてもあの子たちは何故自分を護ってくれたのだろう。
見舞いに来てくれた修といい、子どもたちといい、紫峰の人々の行動は唐島にとっては腑に落ちないことばかりだった。

 誰にも言えないし、誰にも聞けない…怖ろしくてもどうすることもできない。
本当に夢と思えたらどんなに楽だろう。

 唐島はふと小さな修を思った。あの時…小さな修はどうしたのだろう。
相談する人も頼る人もなく…ただ黙ってひとり耐えたのか…。 

 自分も子どもだったとはいえ、感情を抑えられないあまりに何も知らない修に思いのありったけをぶつけてしまった。

 よく考えるべきだったんだ…修の年齢のことを…何より修の気持ちを…。 
これはきっと罰だ…。

 唐島は頭を抱えた。学校の外なら安全だと雅人が言っていた。
それでも恐怖はつのる。
 大の男がだらしないと言われればそれまでだが、死霊の恐ろしさは見た者でなければ分かるまい。

 だが…この罰には耐えなければならない。逃げ出すことは許されない。
逃げようと思えば逃げられるけれど…。学校を辞めれば済むことだけど…。

僕は逃げたりしない。

修には逃げる道すらなかったのだから…。




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三番目の夢(第十五話 発作再び)

2005-09-12 23:54:30 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 日曜日。 外出を禁止されている三人はそれぞれの部屋にこもっていた。
はるがしっかり見張っていても、やろうと思えば抜け出すことは簡単だが、抜け出そうという気さえ起こらなかった。

 ノックする音が聞こえて透はドアを開けた。黒田が立っていた。

 「叱られたんだってな。 はるさんに聞いたぜ。 」

 父親の顔を見るとどうしてだか涙が出てきた。
こいつの前では絶対泣くものかといつもは思っているのに…。

 「宗主の自覚なんてもう全然頭になかったんだ…。 

 ふたりで紫峰を継ぐようにと、修さんが命懸けで僕と雅人を三左の悪巧みから護ってくれたのに…僕はその重みをすっかり忘れてしまっていた。 

 修さん…初めてだよ…あんなに怒ったの…。 」

 だろうな…と黒田は思った。相伝の前であれば修もただ物事の良し悪しだけを教えておけば良かった。
 だが後継者と決まった者にはそういうわけにはいかない。宗主・後見は一族を背負って立つ存在だ。自ずと抱える責任が変わってくる。

 「肝に銘じておくんだな。 いずれおまえたちも次世代に伝えていかなければならないことだ。 」

黒田はそう諭した。透はうんと頷いた。

 「ところで肝心な修は何処へ? 」

 夕べ夜中近くになって修は帰ってきた。確かに屋敷の中にはいるはずである。
洋館の方にでも行っているのではないかと黒田に伝えた。



 黒田が洋館を訪ねると修はまだベッドの上で眠気と格闘していた。
普段早起きで身繕いもきちんとしている修が珍しく半裸の寝乱れた姿のままで。
バスルームからベッドに直行したところで力尽きたか…。
黒田の来訪にも気付いている様子はない。

 あまりのハードスケジュールにさすがの修もダウン寸前か…。
黒田は少し治療をしてやろうと修の傍らに近付いた。

 修の身体に触れた瞬間、修は悲痛な声を上げ飛び起きた。
正気じゃない…と黒田は感じた。
反射的に腕を振り上げ黒田に襲い掛かろうとした。
 
 黒田も身体の大きな男である。
暴れる修の身体を抱きとめてしっかりと押さえ込んだ。

 「修! しっかりしろ! 俺だ…黒田だ! 」

 逃れようともがく修の身体をさらに黒田が押さえつけた。
黒田でなければ簡単に跳ね飛ばされていただろう。

 「落ち着いて…修。 大丈夫…何もしない…。 そうだ…いい子だ…。 」 

次第に修は覚醒し始めた。動きが緩慢になり、やがて止まった。

 「修…分かるか…。 」

黒田がそう声を掛けると修は黒田の顔を見つめた。

 「黒田…? 怪我しなかった…? 僕…暴れただろう? 」

修は不安げに訊いた。
 
 「俺は大丈夫だ…。 」

黒田は言った。安心したように修は頷いた。

 「ねえ…黒田…重いよ…。 」 

 言われて黒田も気が付いた。修の上から自分の身体をどけた。
修は起き上がって溜息をついた。

 「ずっと治まってたのに…。 」

 「俺が不用意に黙って触れたのが悪かったのさ。 声を掛けるべきだった。
不意打ちでなければ普段は平気なんだろ? 」

そう訊かれて修は頷いた。

 「今はもう…ほとんどね。 嫌な時もあるけどだいたい我慢できる。
こちらから触れる時や相手が触れてくることが予測できる時には…。

あと…子どもたちが触れるのはだいたい平気だ。気配で感じるから…。 」

 そうか…と言って黒田は立ち上がった。

 「宇佐くんとは長い付き合いだろ? 今みたいなことはなかったのか? 」

 「宇佐? 宇佐は不用意に僕に触れるようなまねはしないよ。
あいつは誰にもそんなことはしない。 殴り合いの喧嘩の元だからな。

 彰久さんは礼儀の鬼だから…相手に失礼のないように必ず少し距離を置く。

 それにこのふたりと僕の間には性的な意味合いは全く存在しない。
お互い親友と呼び合う仲で寝食をともにしたこともあるけど、そういう意識は皆無だね。
彰久さんなど千年も前からそうだ。 」

修は楽しげにふたりのことを語った。

そいつぁ健康的なお付き合いで何よりだね…と黒田は思った。

 ベッドと反対側の椅子に腰を下ろすとベッドの上の修を見上げた。

 「さて…修くんよ。 落ち着いたところでそろそろ河原先生とのコンタクトをどうするのか決めてくれんかな。 」

 黒田は話題を変えた。
修は多分何時までも過去の傷に触れられているのは嫌だろうから。

 「すでに子どもたちの失敗の話は聞いているとは思うが、河原先生の生霊には何人かの霊が憑依していることが分かったんだ。
 
 当然、邪魔な霊たちを追い払う必要があるので、史朗ちゃんに祭祀をしてもらいながらのコンタクトになるが黒田としてはどうよ…?
やりにくくはないかな? 」

 「つまり…この俺に鬼面川の坊やとコラボをせよと…? 」

黒田は唸った。

 今まで同族とはともに協力しあったことはあるが、他の一族とのコラボレーションは初めてのことだ。
 
 しかも相手は鬼面川…藤宮ならまだ種としては近いし、どこかで血も繋がっているからやりやすいだろうが、鬼面川は勝手が違いすぎる。

黒田はしばらく考えていたが、分かったというように頷いた。  

 「やってみましょう…そのコラボ…。 結構面白いかもしれん。 」

 「じゃあ…今度オフィスの方へ史朗ちゃんを連れて行くよ。 
前もって一度逢って話した方がいいだろうからね。 

それとも今からここへ呼ぼうか…。 」

 修はベッドから降りるとテーブルの上から携帯を取った。
史朗は夕べと同じで自宅のマンションにいた。
すぐにこちらへ向かうと返事をくれた。

 「鬼面川の坊やは…笙子さんのツバメちゃんだろ? 」

黒田が訊くと修は笑みを浮かべた。

 「史朗ちゃんは笙子に囲われている訳じゃないよ。 仕事はできるし、生活も乱れてはいない。 笙子と対等に渡り合えるいいパートナーさ。 」

手早く着替えながら修はそう話した。

 「妬かないのか…修? 」
 
 「妬いたって仕方ないよ…。 僕にとっても可愛い存在だしさ…。 」

黒田は訝しげな顔をして首を傾げた。

 「おまえともできてるってか…?  おまえ…が…? 」

 「できてないけど…できるかもしれないって話だ。 告白されてしまったからな…。 」

修がそう言って笑うと黒田は肩をすくめた。

 「あり得ねえって話じゃないが…なかなか難しいぞ…修よ。
おまえ自身が本気になんねえとな…。 

 情にほだされてなんて関係じゃ…傷つくのはまたおまえ自身だ。 」

黒田は老婆心から修に忠告した。修の顔から笑みが消えた。

 「黒田…僕はいい加減な気持ちで人を抱いたりはしないよ。
何を考えているのか分からない相手に抱かれるつらさは…よく分かってる…。 」
 
ぎゅっと噛み締めた修の唇が怒りに震えていた。
 
黒田は何も言えずただ視線を逸らした…。 





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