徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

現世太極伝(第五十五話 エナジーの胎児)

2006-04-29 23:49:32 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 病室には智哉が先に到着していた。
有や亮からのエナジーの補給を行うために滝川が呼んだのだった。
 亮もノエルも西沢の顔色を見て愕然とした。
最早…生気らしいものの欠片も感じられない…哀しいほど蒼白い…。
ノエルはいつものように紫苑の手を取った。
温もりの消えかけた冷たい手…を。

 智哉が急いで亮からエナジーを抜き取り、少しだけ育んでから西沢に補給した。
次いで有からも同じように補給した。

 「肉親からのエナジー補給が効くのも…そろそろ限界です…。 」

 智哉は西沢の容態を気の勢いから感じ取った。
滝川も力なく頷いた。

 「滝川先生…すぐに試して…! 紫苑さんを助けて…! 」

 ノエルが悲痛な声をあげた。滝川に縋るようにして迫った。
滝川もそうしたいのは山々だった。
しかし…ノエルの身体のことを考えれば昨日の今日では無理に決まっていた。

 「ノエル…そうしたいけれど…できないんだよ。
きみは普段…男の子として生活しているから、どうしても他人事のようにしか認識できないんだろうけれど…。
 きみの機能や器官が壊れてしまうというだけでなく…お産というのはね…普通でも命懸けなんだよ…。
体調の悪い今は…とても無理だ…。 ]

滝川がうんと言わないのでノエルは有の手を掴んだ。

 「亮のお父さん…お父さん…お願い! 僕…大丈夫だから…。
さっき紫苑さんが来てくれたんだ。 お腹…治してくれた。  
自分が死ぬか知れない苦しい時に…僕を心配して来てくれたんだよ…。
 だから…こんなに急に悪くなっちゃったんだ…。
まだ…助ける方法があるっていうのに…紫苑さんを見殺しにしないで! 」

 紫苑が…来た? 有が驚いたようにノエルを見た。
ノエルが悲しさのあまりおかしくなってしまったのかと思った。 

 「ノエル…気持ちは分かるが…きみにもしものことがあったらどうするんだ?
かえって紫苑を悲しませることになるんだよ。 」

ノエルを落ち着かせるために有は穏やかにそう諭した。

 誰も…聞いてくれない…ノエルはがっくりと肩を落とした。
そのまま呆然と西沢の傍に戻り…再びそっと手を取った。
 紫苑さん…ごめん…ごめんね…紫苑の手に頬ずりながら声を殺して泣き出した。
亮がそっとノエルの頭を撫でた。

 「有さん…滝川さん…ノエルの頼みを聞いてやってくれませんか?
このままじゃこいつは一生…重荷を背負うことになる。
救えると分かっていて救わなかった自分を責めることになる。 」

それまで黙っていた智哉が口を開いた。

 「我が子の命を危険に晒すようなことはしたくない…それは親としては当然の気持ちですが…私には…ノエルの気持ちも分かるような気がするんです…。
 危険は…こいつも覚悟の上でのことだ。
大事な人を見殺しにしたなんて最悪の後悔を…生涯背負わないで済むようにさせてやってください…。 」

 突然の申し出に戸惑っている有と滝川に向かって智哉は頭を下げた。
ノエルは顔をあげて驚いたように父親を見た。

 「ノエル…覚悟決めたら腹据えてかかれ。 
俺はおまえをそういう男に育ててきたつもりだ…。 」

 智哉はそう言って笑った。
うん…とノエルは頷いた。

 大事な人を見殺しにしたなんて最悪の後悔…それは滝川の胸に今も残る傷跡…。
もし…紫苑を助けられなければ…もう…治療師としては生きられない…。
そればかりか…すぐにでも紫苑の後を追ってしまうかも知れない…。

 そういう想いをノエルにも負わせてしまうのは酷だ…。
それくらいなら…治療師としてあるまじき…と自分が非難された方がまし…。
滝川は腹を括った。

 「そういうことなら…僕も…もう迷いません。 やってみましょう。
ノエル…ちょっとお腹診せて…。 」

 ノエルのお腹に触れた途端…滝川は…まさか…と不思議そうな表情を浮かべた。
確認するように何度も触れてみた。
 滝川の妙な仕草に…有が何事かと寄ってきた。 有も繰り返しお腹を診た。
昨日の失敗の痕がほとんど消えかかっていた。
 有と滝川は信じられないというようにお互いの顔を見合わせた。
本当に…紫苑の…力…なのか…?
ふたりは思わず西沢の方を振り返った。

 「大丈夫だ…ノエル…紫苑がしっかり治療してくれたようだ…。 
紫苑は俺たちよりずっと腕が良い…な。 」

 有がそう言うとノエルは眼を輝かせて頷いた。
有はもう一度…目覚めない息子を見つめた。
 
 滝川はすぐに応接室の扉を開けた。
応接室には祥を始め西沢家の面々が集まっており、滝川から連絡を受けた輝や相庭親子も駆け付けてきていた。
 滅多に外に出ることのない病身の養母美郷が不安げに滝川を見た。
これまで療養中の美郷には身体に障らないように紫苑の危篤は伏せられていたようだが、愛する息子の大事を急に知らされた美郷はどれほど衝撃を受けただろう。
病み衰えた細い肩が悲しみに震えているのが痛々しかった。

 もう一度ノエルの力を試すことになったと告げて…怜雄と英武…輝を呼んだ。
相庭が玲人に何事か耳打ちした。玲人はすぐに応接室を出て行った。

 「恭介…何としてもあの子を助けてやってくれ…。
うちの可愛い次男坊は…母さんの大切な宝物なんだ…生き甲斐なんだ…。 」

 祥が擦れた声で滝川に頼んだ。美郷が握り締めたハンカチで涙を拭った。
滝川は何も言えずにただ無言で頷いた。



 もう一度挑戦する前にノエルは西沢の枕辺に立った。
そっと紫苑の頬を撫でながら微笑んだ。

 「聞こえる? 紫苑さん。 
何があっても生き延びろと言ったのは紫苑さんだよ。
 僕は絶対に諦めない…。 あなたを救って見せる…。
だから…紫苑さんも諦めないで…生きられるぎりぎりまで生きて…。
それもあなたの言葉なんだから…。 」

 それだけ言うとノエルは少しだけ亮の手を握ってからベッドに寝転がった。
滝川がそっと子宮の位置を智哉に示した。
 智哉は傍らに立っている亮からこの間より気持ち多めの気を抜き取った。
その気を大切にノエルの子宮に収めた。

みんな固唾を呑んでノエルを見守った。

 「亮くんの気は子宮の中で活発に動いています。
いま…ノエルの気を見つけたようです…。 」

 智哉は子宮の中に確かにふたつの気を見ていた。
滝川と有にも今度は邪魔をするものではなく亮の気を受け入れるものとして感じられた。
 ふたつの気は絡み合い融合を始めた。
次第に溶け合ってひとつの極めて小さな塊になった。

突然…ノエルは胃がむかむかしてきた。

 「気持ち悪い…。 」

不安そうに見上げるノエルに滝川はかえって安心したように笑った。

 「悪阻だよ…。 お母さんたちはほとんどの人が経験してる。
胎児が宿ると何ヶ月も続く人もいる…。 ノエルの場合はすぐに治まるよ…。 」

 治まると言われても気分の悪さは耐え難く、ノエルはビニール袋をはめ込んだ洗面器を片手に、亮に支えられて何度もトイレへ向かった。

 滝川の言うとおり小さな気の成長とともに吐き気は治まった。
途端に空腹感が襲ってきた。
考えてみれば夕べから食欲が無くてろくに食べていない。

 「お腹すいた…。 輝さん…何かない? 」

 輝がくすくす笑いながらチョコレートを口に入れてくれた。
足りなくて箱ごと渡して貰い、甘いチョコをあっという間に食べてしまった。
いつもならそんなに食べられないくせに…と呆れ顔で亮が言った。

 滝川たちが観察しやすいように寝転がったままなので好きなようには動けない。
少し腰が痛かった。

 急な用事があるのか…相庭が病室に入ってきた。有の傍まで行くと小さな声で何かぼそぼそと囁いた。
 有は意外そうに相庭を見つめ、相槌を打ちながら聞いていたが、やがて嬉しそうに眼を潤ませた。

 「有り難いことだ…。 約束の日でもないのに…宗主のご家族と全国の御使者が太極に向けて一斉に気を進上してくれている。
紫苑が助かるようにと祈りを込めてのことだそうだ…。 」

 紫苑に命を救われた御使者たちが紫苑の急を聞きつけて何か出来ることはないかと宗主に申し出てくれたという。
 それではというので…すべての命の源に力添えを祈願しようということになったらしい。
 太極は神や仏ではないから人間の願いをいちいち聞き届けるなんてことはないだろうが…それでも天に通じないとも限らない。
有には仲間たちの気持ちの温かさが心底有り難かった。
 
 再びノエルの中の気の動きが活発になった。出来たての赤ちゃんの気は子宮の中を所狭しと動き回った。
 お腹の中で動き回られてノエルは痛いようなこそばゆいような…初めて味わう妙な感覚に顔が引きつった。

 智哉は眼の前で動き回る…言ってみれば孫…に思わず眼を細めた。
人間の形をしているわけではないが…赤ん坊の時のノエルのように元気がいい。

 やがて気は狭い子宮に満足できなくなってきたようで、子宮の状態もそろそろ限界にきていた。

ぎゅうっと絞られるような感覚がノエルを襲った。

 「痛っ! 先生…これちょっと前と違う…。 痛い…! 」

しばらくすると痛みは治まった。

 「陣痛だよ…ノエル。 もうじき生まれるんだ…。 
頃合いを見て取り上げるから…少し我慢して…。 」

 相手が人間ではないので滝川にも陣痛の間隔は分からなかったが、人間が生まれる時よりは間隔が短いのではないかと予想した。
 既に智哉は何時声がかかってもいいように構えていたがカチカチになっている自分に気付いて身体をほぐした。

 輝も英武も怜雄もどきどきしながらその瞬間を待っていた。
彼等にとっても始めて体験するお産の現場…生まれてくるのは赤ちゃんではないけれど…。

 三回目の陣痛が襲ってきた時にノエルは痛みに耐えることに少し疲れてきた。
お母さんになるって結構大変なんだ…生まれて初めてそんなことを思った。

 亮はノエルの枕元に腰掛けてそっとノエルの髪を撫でた。
撫でながら祈った。
 太極…あなたの化身が新たに生命の気を生みます…大切な人を救うために…。
どうか力を貸してください…。

 既に窓の外は明るく…カーテンを透して陽が射し込んでいた。 
不意にその陽射しの中から光の粒が舞い上がった。
 部屋に居た者は皆…何事が起こったのか分からず、部屋中を舞う光の粒子に見とれていた。
 光の粒はやがてふたつの群れに分かれ、それぞれの目指すところへと吸い込まれていった。
西沢の身体に…そしてノエルの身体に…。

 途端…ノエルが完全に産気づいた。周囲に緊張が走った。
滝川と有が急いで子宮の様子を探った。
ふたりの見解が一致したところで智哉にGOサインが出た。

 智哉はどきどきしながらノエルの子宮のある位置にそっと両手を伸ばした。
より慎重に…そして…穏やかに…。






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現世太極伝(第五十四話 落とし穴)

2006-04-28 23:06:38 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 その日…ノエルの健康状態がチェックされた後で千春と亮もチェックを受けた。
特別室には滝川と有そして智哉の他に怜雄と英武が立ち会いに来ていた。
 遅れて輝が不測の事態に…というよりは予測できる失敗に備えて何枚ものバスタオルとノエルのための着替えを袋詰めにして病室に現れた。
 
 こんなもの…役に立たない方が良いんだけど…念のためにね…。
輝は自分に言い聞かせるように胸の中で呟いた。

 始めましょう…という滝川の声でその場に張り詰めた空気が流れた。
怜雄と英武は万が一、亮に何かあった場合の代理や西沢の身体に異変が起きた場合のエナジーの供給者としての役目も負っていたので、かなり緊張した面持ちで西沢の傍に控えていた。

 ソファベッドの上に仰向けに寝転がったノエルの腹部の子宮の位置を滝川が智哉に指示した。
 智哉はまず娘の千春の身体から少量のエナジーを抜き取り、慎重にノエルの子宮に移した。 
 続いて驚異的な計量感覚でほとんど千春のエナジーと同量のエナジーを亮の身体から抜き取り、ゆっくりとノエルの子宮に入れた。 

 「エナジーの様子が見えますか…? 」

 滝川と有はノエルの子宮の状態をふたりで確認しながら智哉に訊ねた。
智哉が…はい…と頷いた。

 「ふたつの気は今…活動を始めました。 絡み合っています。 
気同士の相性は…悪くないようです。 」

 ほぼ…滝川や有の捉えた動きと一致していた。
智哉自身は知らぬこととは言え、遠いところで血縁関係にある千春と亮だから相性の良さはある程度予測できた。

 智哉の眼と滝川や有の感覚にずれが生じたのはそのすぐ後だった。
突然…智哉が…ふたりの気とは異なる気が見えると言い出したのだ。
 滝川と有にはそれが感じられなかった。
何かが邪魔を始めたのは分かったが…それが気だとは思わなかった。

 「痛い…。 」

 再びあの痛みがノエルを襲った。
それはどんどんひどくなってきてノエルはじっと寝ては居られなかった。
お腹を抱えて蹲った。

 亮が慌てて駆け寄ろうとするのを…今はだめ…と遮って、袋を抱えた輝が先にノエルに近付いた。
 輝は素早くタオルを何枚もノエルの腰の下に敷いた。
ノエルの腰にもかけてやった。
 
 失敗だ…と滝川は呟いた。
ノエルは真っ青な顔をして内臓をぎゅっと絞られるような痛みに耐えていた。
 滝川がもう一度ノエルを仰向けに寝かせると急いで治療をした。
有も治療の効果を確認するようにノエルの下腹部に触れて上出来だ…と頷いた。

 手当てを終えた滝川はがっくりと椅子に腰を下ろした。
頭を抱え…事態を検討した。
最も良い条件と思われることばかりなのに…何がいけなかったのか…?  

 輝は看護婦さん並みに手早く後始末を終えてから、亮に向かって…もうノエルに近付いてもいいよ…と許可を出した。
大丈夫…? 亮が声をかけるとノエルは力なく笑った。

 有が…何やらひとり考え込んでいる智哉にそっと耳打ちした。 
ふたりで静かに応接間の方へ移動した。
応接間で有はまず失敗したことの詫びを述べた。

 「気にかかることがあるので…智哉さんにもご意見を伺いたいのですが…。
どうもあの方法には何処か根本的な思い違いがあるように思えてならないのです。
この前から引っ掛かってはいたのですが…。 」

有は小さな声で智哉に語った。

 「実は…先程から私もそれを考えていました。
私はこの眼で確かに邪魔をする三番目の気を見たのです。
しかし…私の手は千春と亮くんの気以外には触れていない…。 」

智哉が不思議そうに答えた。

 「その気を私も恭介も気として捉えることができませんでした。
邪魔をしているものがあるとは感じていたのですが…。

 こうは考えられないでしょうか…? 
その気は…ノエル自身の気ではないかと…。
 ノエル自身の気なら我々はノエルの身体のあらゆるところにそれを感じているわけですから…特別なものとしては判別できない…。

 しかし…あなたには見えるわけですから…ね。
この失敗はノエルの気の一部が子宮で活発に動いた結果だと…。 」

有の見解になるほど…と智哉は頷いた。

 「それは有り得ます…。 あの気は私の目には確かに見えてはいますが、他の人の気配がまったくなかったのです。
ノエル自身の気であるならそれも道理だ…。 」

 意見が合ったところでふたりは病室へと戻った。
有と智哉は頭を抱えている滝川にいまさっき自分たちが考えた意見を話してみた。

 滝川は聞きながら頷いていたが何か思い当たったように急に立ち上がると、ノエルの寝ているところまで飛んできた。
びっくりしているノエルと亮の顔を交互に眺めて滝川は頭を掻いた。

 「有さん…智哉さん…僕はとんでもない考え違いをしていました。
ノエルの子宮を単なる器と捉えていたこと…媒介に過ぎないと考えていたこと…。
大きな間違いでした。

 ノエルの子宮はそれ自体が生命エナジーを宿している…。
必要なのはおそらく亮くんの気だけで…千春ちゃんの気を一緒に入れてはいけなかったんです。 」

 その見解には有も智哉も大きく頷いた。
しかし…いますぐに試すというわけにはいかなかった。
 ノエルに無理をさせれば…智哉が懸念したとおり身体が持たない。
今日のところは一先ず中止にしてノエルの回復を待つことになった。

 「ノエル…家へ帰って母さんに看て貰うか…? 」

 智哉はノエルを労るようにそう声をかけた。
けれどもノエルは…首を横に振った。

 「亮と帰る…。 亮んちへ行く…。 」

 そうか…と智哉は心持ち寂しそうに言った。
今一番心細いに違いないノエルは…それでも実家には帰ろうとしない…。
両親の介護を受けるよりも他人の亮を選ぶ…。
 実家とは名ばかりで…うちはノエルにとってそれほど居場所のないところになっていたのだろうか…?
あの日の西沢の忠告を今更ながらに思い出した。

 「亮くん…ノエルを頼むよ…。 面倒をかけてしまって悪いんだが…。 」

 智哉は傍にいた亮に向かって申しわけなさそうにノエルの世話を頼んだ。
亮は快く…いいえ構いません…と答えた。
 離れたところにいた有にも智哉は一声かけた。
有も機嫌よくノエルを引き受けた。

 怜雄や英武と話していた千春を呼んで帰途についた智哉は、家に着くまで溜息の吐きっぱなしだった。
 『どうか…ありのままのノエルを愛していると言ってあげてください…。 』
西沢のあの言葉が繰り返し浮かんでは消えた…。



 ノエルの具合はこの前よりも悪そうだった。
ノエルは何も言わないが…なかなか顔色が戻らない…食欲もない。
ひどく腰とかお腹とかが重たく感じられるようでつらそうだ。  
帰宅してからずっと寝転がったまま…。

 夜になって…有が再度診てくれたが…回復には時間がかかりそうだ。
亮はこの前のようにノエルのお腹や腰を擦ってやりながら少しでもノエルが楽になるようにと願った。

 「ご免な…ノエル…。 兄さんのためにこんなにつらい目に遭わせて…。」

ノエルは可笑しそうにくすっと笑った。

 「急に兄さんなんて言い難いだろう…? ずっと西沢さんって呼んでたから…。
亮…英武や怜雄のように紫苑って呼べばいいのに…。 」

 そうだな…と亮は答えた。
その方が呼びやすいかも…な。

 「僕の半分が壊れちゃっても…亮も紫苑さんも…僕のこと今まで通りずっと傍に置いといてくれるかなぁ…?
完全な男の子ノエルは…実家に戻るしかないのかな…? 」

 不意にノエルはそんなことを言い出した。
ノエルの中には今までとは逆の悩みが生じていた…。
 完全じゃないから実家に居場所がなかったノエル…代わりに西沢や亮が家族のように受け入れてくれた。
でも完全な男の子ノエルは…?

 「ノエル何で急にそんなこと考えたの…? 紫苑も僕もノエルが好きだよ。
男でも女でもそんなの関係ない。 
ノエルはノエル…変わりっこないじゃないか。 」

 そうなんだけど…でもね…。
不安げな眼で亮を見た。 

 「心配ないよ…。 滝川先生見てみろよ…。 ずっと居据わってるぜ…。 」

亮が滝川を例にあげると…そうか…とノエルは何だか妙に納得したようだった。

 真夜中近く…亮が疲れてうつらうつらし始めても…ノエルは寝付かれなかった。
再び疼きだした痛みが眠りを妨げた。
 今度はよほどひどく荒れちゃったんだな…とノエルは顔を顰めた。
子宮はわりと痛みには鈍感なところらしいから…それでもこれほどに疼くのは、やはり状態が悪いからなんだろう…と思った。

 何度も寝返りをうったが楽にはならなかった。
亮を起こそうかとも思ったが…ずっと擦っていてくれてやっと眠った亮を起こすのは気の毒で…できなかった。

 お父さんが起きていたら診てもらおうと上半身を起こしかけた時、ベッドの傍らに立っている人影を見た。
その人は穏やかに微笑みかけてノエルのお腹に触れた。

 「紫苑さん…。」

痛みがすうっと引いていくのが分かった。
 
 『無理をしないでいいんだよ…ノエル…もうお別れは…言ったろう…? 』

 その人は確かにノエルにそう語りかけた。
ノエルの痛みが消えていくとともにその人の姿もおぼろげになっていった。

 「待って! 紫苑さん! 待って! 」

 ノエルが叫んだ。 亮はその声に飛び起きた。
ノエルはひどく興奮していた。

 「亮! たったいま紫苑さんがここへ来たんだ! 
僕の身体を治すために…自分があんな状態なのに…ノエル無理するなって…。
さっきまですごくお腹が痛くて眠れなかったんだ…。 もう…痛くない…。 」

 まさか…と亮は思った。 夢でも見たんじゃないか…?
亮がノエルのお腹に触れてみるとノエルの言うとおりさっきよりは随分と腫れが引いているように感じられた。

 階下で電話のけたたましい音が鳴り響いた。
有が慌てて受話器を取る気配がした。
しばらくすると階段を駆け上って来る音がした。

 「亮…ノエル…紫苑の容態が急変した…。 すぐに仕度しなさい。 」

 亮とノエルは顔を見合わせた。 
ふたりは急いで着替えると取るものも取りあえず有の車に乗り込んだ。

 「紫苑さんの馬鹿…僕の痛みなんか…どうでもよかったのに…。 」

 容態の急変は…自分のせいだとノエルは思った。
あんな状態でも…西沢はちゃんとみんなの行動を知っていて…ノエルの身体を心配してくれていた。
なけなしの力を振り絞って念を飛ばし…ノエルを癒してくれたに違いない…と…。

 そんなノエルを見ながら亮は祈った。
太極…どうか…紫苑を助けて…。 このままじゃ…ノエルが可哀想だ…。
 僕だってまだ…紫苑って呼んでない…。 
父さんだって…みんなだって…言いたいことが山ほどあるんだ…。
紫苑…紫苑…逝かないで…僕等を置いたまま逝ってしまわないで…。







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現世太極伝(第五十三話 生命の気を育てる男)

2006-04-27 23:52:15 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 「少し性急に過ぎたね…。 もう少し慎重に行動するべきだったな…。 」

 未成熟なノエルの子宮を安易に実験に使ってしまったことを聞いて有はそれとなく滝川を窘めた。 滝川自身も反省頻りだった。
 あれからノエルの子宮を診た限りでは順調に回復しており、大事には至らなかったようには思えるが、治療師としては決して褒められた行為ではなかった。

 「恭介…これは本来…長老級の者のみが知ることなので…おまえに話すべきかどうか迷ったんだが…そんな実験を行ったとあらば黙っているわけにもいくまい…。
実は…裁きの一族にまつわる事だ…。 」

意を決したように有は話し始めた。

 「裁きの一族はひとつの家系からなるわけではない。 
対になっている家系がもうひとつある。
 この一族は代々女性が長となっていて…長は物心つくと修行に入る。
幾つかの継承奥義の中で子宮を使っての奥義を磨くための修行だ。

 俺も詳しくは知らんが…熟練すると若すぎて未熟な身体でも他人の胎児を自分の子宮で育てたり、老齢になっても子どもを産むことができるそうだ。
 
 俺が調べた限りでは…高木智哉さんの何代か前にその家系の本流の血が入っているようなんだ…ご本人はまったくご存知ないが…。

 つまり…ノエルもその血を引いているってことだ。
長に適した身体を持つ女児は一代にひとりふたりの割合でしか生まれてこないそうなんだが…ノエルの女性の器官はひょっとしたらそういう力を生まれついて備え持っているのかもしれない…。

 …ノエルの場合は女性としてよりはむしろ男性としての方が完全体だから…長に向いているとは言えんだろうが…ね…。

 奥義の内容はその家の護るべき秘密だから…俺には分からない。
けれど…人伝に聞いた話では…真偽のほどは不明だが…生命エナジーを自在に操れる業もあると言われている。
 その奥義だけは長に限らず…また女性にも限らず…当主やそれに近い男性たちにも相伝されるということだ。

 高木さんがご自身の出自をご存じなくても…何かそれに纏わる能力の話…或いは実際に何かの能力をお持ちかもしれない…。 」

 生命エナジーを自在に操れる業…それで…新しい生命エナジーも産みだせるものなのだろうか…?
 その点については…滝川は疑問に思った。
そんなことができるなら死んだ人間を甦らせることだって可能じゃないか…。
如何な奥義とは言えそこまでは有り得ん。

 それは多分…自分或いは他人のエナジーを自由に増加させるとか減少させるとか…もしくは我々のように輸血みたいな感覚で相手に補給してやるという類のものだろう…。
増加させるのも一応は自分の身体で生み出していることになるからな…。

 「あれからいろいろ考えたんですが…。 
ノエルにとって一番負担が少ないエナジーの持ち主は智哉さんか千春ちゃんです。
また紫苑にとって一番負担が少ないのは有さんか亮くん…。

 千春ちゃんと亮くんの組み合わせが最も成功の可能性が高いんじゃないかと…。
年齢も近いですし…。
 ただこのふたりは自分で相手に気を送った経験がない…。
ふたりからノエルの中にそれぞれの気を…ノエルから紫苑の中に新しい生命の気を無理なく移動させられるような能力者が必要です。

 僕がやってできないことはないだろうけれど…もし生命エナジーを扱える専門家が居るならそれにこしたことはない…。 」

 滝川は智哉の能力について確認してみる必要があると感じた。
智哉にもし…その家系の持つ能力が…特に相伝された能力があるならば少なくとも自分が手を出すよりはずっと安全だ…と考えた。

 有もそれには同意した…が…有には何処か引っ掛かるものが残っていた。
滝川の思いついた方法の何処がどう悪いと訊かれれば…答えに窮する。
ただ…実験途中でエナジー同士の融合を邪魔をしたもの…その正体が気にかかっていた。 

 滝川が考えたようにそれは単にノエルの身体との相性や量的な問題だったのかもしれないし、タイミングが悪かっただけかもしれない。
 しかし…もし有の勘が正しければ…そういうことではなく…何か根本的なところに問題があるような気がするのだ。

 何れにせよ…前例のないことにノエルの身体を使う以上は実の親である智哉に了解を得ておく必要がある。
有は早急に智哉と連絡を取るようにと滝川に勧めた。
 


 病院の玄関の前でノエルの父は一度大きく溜息をついた。
我が子が未熟ながらも半分女性であると知った時の驚きと戸惑い…それだけでも頭を抱えていたというのに…流産だの…気を産むだの…。

 冗談じゃない…と智哉は思った。
しかし…そうは思いながらも…ノエルを命懸けで救ってくれた西沢のことを考えると無下に断るのもどうかと…。
取り敢えずは話だけでも聞いておこうと病院まで出向いてきた。

 滝川と有そしてノエルが特別室の応接間で待っていた。
滝川はわざわざ出向いて貰えたことに対して丁重な礼を述べ、先ず、智哉の持つ能力について確認を取った。

 「私の…力ですか…。 形ある物を動かしたり飛ばしたりはできませんが…特別な眼…ということでしたら…多分そうなのでしょう。
ある程度…透視ができます。 
 ノエルが小さい頃に菓子箱の中のおまけの種類をよく見分けてやりました。
こいつの身体をわざわざ透視したことはありませんが…。

 そういうものではなくて…気というものを見ろと言われれば…それもなんとなく見分けられる気がします。
気配ではなく…視覚として…。 」

 智哉はそんなふうに答えた。
気…を視覚で捉えられる…滝川は面白いと思った。
 透視とは逆の力が備わっているということだ。
それならノエルの子宮内部を透視しながら同時にその中の気の動きを眼で見ることができるのではないか…。

 滝川は治療師だから子宮内部を透視することはできる。
しかし…子宮内部の透明な気の動きは視覚では捉えることができない。
身体に感じる気の気配を脳で映像化して捉えている。

 「気に触れることができますか?
例えばノエルの子宮に宿った生命エナジーを取り出すようなことは可能ですか?」
 
 滝川が訊くと…しばらく…躊躇った後で智哉は曖昧に首を振った。
滝川は訝しげに智哉の顔色を窺った。

 「分かりません…。 試したことがないのです。 」

 智哉は複雑な面持ちで答えた。
いきなり椅子から立ち上がると滝川は、こちらへ来てください…と智哉を病室の方へ招いた。

 病室へ入ると智哉の目にいくつもの管に繋がれてベッドに横たわったままの西沢の姿が飛び込んできた。
 あの快活な西沢が蝋人形のように生気のない顔をして眠っている。
あれほどノエルのことを親身に思ってくれていた男が…ノエルの身代わりとなって今ここで死に瀕している。
何やら胸のつまるような心地がした。 

 「有さん…あなたからエナジーを分けて下さい。
高木さん…有さんからほんの少しだけエナジーを抜いて…紫苑の中へ移動させてみてください。 」

 智哉は躊躇した。
智哉の横をすり抜けるようにノエルが西沢の傍に駆け寄った。
西沢の手を握り擦りして反応を確かめる…無論…反応はない…。

 「ノエルは…毎日ああして紫苑の反応を確かめるんです。
何度も…何度も…。 」

 滝川がそう話した。
ノエルが西沢に対してどんな想いを抱いているのかは分からない…。
分からないが…西沢へのその仕草ひとつひとつが切なげで…こちらの胸が痛む。

 「ノエル…誰も試したことの無い危険な賭けだ…。
何度も失敗すれば…おまえの身体がぼろぼろになる…。
それでも挑戦する覚悟はあるのか…? 」

智哉がそう訊ねるとノエルは何のこと…?とでも訊くかのように父親の顔を見た。

 「男として育ったんだから男として正常ならそれでいいことかも知れんが…。
俺が心配するのは…完全に壊れてしまうかもしれない女性の器官を後悔しないか…ということだ。
西沢さんが復活しても…ノエルという女の子は存在しなくなる…。 」

 有も滝川も智哉の言葉に思い当たることがあるかのようにノエルを見た。
ノエルはゆっくり西沢に眼を向けてから…もう一度父親を見た。

 「後悔しない…もう一度紫苑さんの声が聞きたい…。
もともと要らないものだったんだ…僕は男だもの…紫苑さんの役に立つならそれでいいよ…。 」

 笑顔でそう答えた。
智哉はそうか…と頷いた。

 「有さん…失礼…。 」

 不意に有を振り返った智哉は有の丁度心臓あたりに手を触れ、その手のひらをそっと上向けた。

滝川も有もその手のひらに小さな気の塊のようなものがあることを感じ取った。

 「通常…皆さんはこのまま小さな気を西沢さんの中に補充するのでしょうな…。
それでは…不十分です…。 」

 智哉はその小さな気の塊を両手のひらで包み込んだ。
しばらくすると…手のひらの中の気は二倍ほどに膨れ上がった。
それだけでなく一段と力を増したように感じられた。

 「気を育てるという作業をします…。
そうすることで気は勢いと力を増し…体内でより効果的に働いてくれます…。 」

智哉は西沢の心臓の辺りに育てた気を補充した。

 「ノエル…もう一度西沢さんの手を触ってみろ…。 」

 ノエルは言われたとおりに西沢の手に触れた。
ノエルの顔に驚きの色が浮かんだ。

 「温かい…。 いつもよりずっと温かい…。 」

 有も滝川も急いで西沢の手を取った。
確かにいつもとは違う…。少しだけ紫苑の顔の陰りが薄れた。
ふたりとも驚愕した面持ちで智哉を見つめた。

 「祖父の代から伝わってきた力です。それ以前のことは私も知りません。 」

 今までの智哉とは打って変わって落ち着き払っていた。
最早…何を拘る必要もないと…きっちり腹を据えたようだった。

 生命エナジーをを自在に操る力とは…エナジーを育てる力のことだったのか…。
滝川は目の当たりにした智哉の能力に大いに期待できると思った。
 ノエルが産んだ生命エナジーを扱うのは智哉に任せよう…。
すでに心が本番に飛んでいる滝川は有の抱いた懸念には一向に気付かなかった。

そこに大きな落とし穴が待ち受けていることにも…。






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現世太極伝(第五十二話 生命の気を産む方法…?)

2006-04-25 18:13:34 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 午前中いっぱい西沢の看護をしていた英武が、仕事に戻って行った後を受け継いで輝は西沢の傍についた。
 既に何日も目覚めないままで…動かない身体は弱っていくばかりだった。
毎日看護士が紫苑の身体を清めてはくれるが…風呂好きの紫苑はゆったりと湯に浸かりたがっているだろうなぁ…と輝は思った。
 
 これじゃあ大好きなアイスクリームも食べられない…紫苑…起きなさい…。
好きなの買ってきてあげるから…。

ピクリとも動かない紫苑の手を握りながら…輝はあれこれと話しかけた。

 ねえ…あの花籠はね…紫苑がよく写生に出かける公園で仲良くなった近所のお母さんたちからのお見舞いよ…。
紫苑…子どもに絵を描いてあげてたんだってね。

 聞いたわよ…時々公園のお母さんたちとランチしてたんだって?
あんたは主婦か…?

 ほら…あの水盤のは紅村先生がわざわざ活けて下さったのよ。
こちらのは花木先生からの…。
この部屋はまるでお花畑よ…。あなたを知るいろいろな方から送られてきたの…。

 まさか二酸化炭素中毒になったりしないわよね…。
あんまり沢山あるから…ちょっと不安だったりして…。
カーテン開けとこうかしら…。

 陽が傾きかけていた。
窓から見える空が薄く紅さして見えた。
 今日も終わりねぇ…。
輝の唇から溜息がこぼれた。

 扉を叩く音とともに滝川が仕事場から戻ってきた。
学校帰りのノエルが一緒についてきた。
今日は…と輝に声をかけると真っ直ぐに西沢の傍に駆け寄った。

 「お疲れ…輝…有難うな…。 」

滝川はそう輝に声をかけた。

 「あなたに礼を言われる筋合いはないけどね。
それより恭介…あなたちゃんと寝てるの? 顔色悪いわよ…。
 今夜…私がついてるから…あなた…そこのソファベッドで横になりなさいよ…。
何かあったら起こすから…。 」

 何時になく滝川のことも心配していてくれるようで、何だかくすぐったいような気分だった。

 実際…滝川の疲れも目立ってきていた。
昼間はみんなで時間を割り振って交代で西沢についているが、夜はほとんど滝川が傍に付き添っていた。
 時々有が代わってはいるのだが…有は夜にも仕事が入ることが多いので、どうしても滝川の方に負担がいってしまう。

 亮やノエルには治療師の力が無いから重病人の体調が崩れやすい夜間の看護は任せられない。
 西沢家の治療師…悦子も時々顔を見せてくれたが…先代の治療師が亡くなったばかりでまだ半人前だった。

 「ノエル…冷蔵庫にチーズケーキがあるわよ…。
このふたりは甘辛両党だから…お菓子は常備品なの…良かったら食べて…。 」

 有難う…とノエルは笑顔で答えたが…とても食べられる気分ではなかった。
西沢の傍に座ってじっと西沢を見つめていた。

 「なあ…輝…人の子宮を使って新しい生命エナジーが合成できると思うか…?」

 滝川は唐突にそんなことを輝に訊ねた。
ここしばらくあちこちの長老衆に生命エナジーを誕生させる方法について訊ねてみたが知っている者はいなかった。

 「まず…普通じゃ無理ね…。 赤ちゃんとしてなら新しい生命エナジーを産めるだろうけれど…生命エナジーだけとなると…普通の女性では不可能だと思うわ。
 それに私たちが生きるための生命エナジーは子宮で作っているわけじゃないでしょう…。」

そうなんだけど…ベースになる生まれたての無垢なエナジーが必要なんだ…。

 「あいつ等も…そんなこと言ってたな…。 
僕の身体あっちこっち調べて…新しい命の気を産めって…。 
それを基にして大きな気を育むとか言ってた…。 」

 思い出したようにノエルが呟いた。
滝川と輝は顔を見合わせた。

 「ノエル…ちょっとこっちへ来て…。 
輝…ほんの少しだけおまえのエナジーをノエルの子宮に入れてみて…。
試すだけだから…極々微量で…この位置が子宮のあるところ…。 」

 ノエルの下腹を滝川がそっと指で示した。 
分かったわ…と輝は頷いた。
 傍に来たノエルのお腹に手を当てて…量の調節が難しいわね…と言いながら気を放った。
引き続いてすぐに滝川も自分の気をほんの僅かばかり同じ場所へ放ってみた。
 
 滝川はそのままノエルのお腹に手を当てて様子を探った。
輝も少しだけノエルに触れて気の動きを感じ取ろうとしていた。

 ノエルの子宮の中でふたつの気がぐるぐると活動を始めた。
それは確かに融合しようとしているように感じられた。
 けれど…しばらくすると何かが邪魔をした。
突然…ノエルが顔を顰めた。

 「痛い…お腹が…締め付けられるみたい…。 」

 ふたつの気は融合半ばで動きを止めた。
気の勢いが弱まり…だんだんと薄れていった。
真っ蒼な顔をしてお腹を押さえ…ノエルはその場に蹲った。

 「お腹ん中が剥がれそう…。 」

何かがお腹の中から流れ出してくるような感覚を覚えた。
 あっと気付いた輝が慌ててバスルームからバスタオルを引っ張り出してきた。
急いでそれをノエルの身体の下へ広げた。

 「恭介…流産よ…。 早く手当てしてあげて…。 
ノエルの身体が危険だわ…。 」
 
 滝川は急いで蹲ったまま動けないノエルをタオルの上に寝かせ、流産で傷ついたと思われる子宮の内部を手早く治療していった。
 女性としては不完全なその子宮が…新しい気を宿す力を持っている。
微かな希望が滝川の中に芽生えた…同時に不安も…。

 「済まなかったなノエル…苦しい思いをさせて…。 つらかったろう…ご免な。
だけど…これで取っ掛かりができた。
 ノエルの子宮…条件さえ上手く合えば…新しい生命エナジーを生み出せる。
紫苑を救える…。 」

 ノエルは驚いたような眼で滝川を見た。
今さっき味わったばかりのつらい痛みを忘れたかのように明るい笑顔を見せた。

 「本当…? 紫苑さんを助けられる…? だったら…僕…こんなことくらいどうってことない…へっちゃらさ。
痛くても危険でも…何度でも試していいから…絶対に紫苑さんを助けてよ…先生。 
 紫苑さんの役に立つんなら…もう…この身体に文句言わない…。
命懸けで護ってくれた身体なんだ…。 」

 紫苑が助かると聞いて嬉しそうなノエルを見ながら…滝川は複雑な気分だった。
ノエルに新しい生命エネルギーを生み出す力があることは分かった。
が…それに使用する男女のエナジーの量の加減が分からない。
 おそらく量だけではない…男女の相性もあるだろうし…ノエルの身体や紫苑との相性もあるだろう…タイミングも考えなくてはならない。

 何よりも…これ以上実験することは難しい。
何度も流産を繰り返せばノエルの身体は壊れてしまう。
 切羽詰って急に思いついたとは言え、安易に実験したりしてノエルには申し訳ないことをしたと感じていた。

 バイトを終えた亮が来るまで滝川はノエルを安静に寝かせておいた。
本当なら親に来てもらうのが当たり前なのだろうが…おそらくノエル自身が拒絶するだろう。

 亮にことの次第を告げてノエルの世話を頼んだ。
西沢の回復に望みがでてきたことを満面の笑みで亮に話すノエルを見て滝川の胸が少し痛んだ。
 男の子…ノエルには体験したこと意味が理解できてはいないだろうけれど…本来それはさらっと笑って済まされるようなことじゃない。
 これが気ではなくて胎児であったなら、生涯消えない心の痛みと悲しみを伴うほどのこと…。
 失われたものが気だからそれで済むという話でもない…。
気も…また命…。
 とにかく早急に…ノエルの身体に負担をかけないような方法を考え出さなければならないと滝川は思った。



 その夜ノエルは興奮してなかなか寝つかれなかった。
いつも悩みの種だったこの身体に…不思議な力が備わっている…。
 命を救う鍵となるかもしれない力…。
紫苑の言葉を思い出していた。

 『この世に意味のないものなんて…存在しないと僕は思っている。
ノエル…きみの身体にも必ず何らかの意味があるはずだ…。 

・・・・・・僕にとってはきみの身体は大切な存在なんだよ・・・・・・。 』

 ノエルの睫毛に絡んでいた涙が目尻を伝って頬を濡らした。
紫苑さん…待ってて…絶対…助けてあげるからね…。

 「痛むの…? 」

亮がそっとお腹に触れた。いつもより腫れぼったく感じた。

 「痛くは…ないけど…。 なんか…重い…。 腰とかも…。 」

亮はノエルがくすぐったくない程度の力で、ゆっくりお腹を擦ってやった。 

 「ご免な…僕にも治療の力があればいいのに…。 」

 ノエルは…大丈夫だよ…と笑って見せた。   
凝り固まったような腹部の重さは亮の手で擦ってもらうと少しは楽だった。
 幼い頃…アイスやかき氷を食べ過ぎて腹痛を起こしては母親に擦ってもらったことを思い出した。
誰かを癒す時の人の手はなんて温かいんだろう。

 「有難う…もういいよ…。 亮の方が疲れちゃうよ…明日手が動かないよ…。 
僕…楽になったから…。 」

このくらい平気だよ…と亮は笑った。

 「ノエルが寝つくまで擦ってやるよ…。 
ちゃんと休めば…朝には回復してるはずだって滝川先生は言ってたけど…腰とかお腹とか調子悪いと眠れないだろう…。 
 本物の流産なら回復までにものすごく日にちがかかるんだってさ。
それに比べりゃ…ひと晩くらいノエルのお腹擦ってあげてもどうってことありませんって…。」

 そんなに…大変なことなんだ…とノエルは改めて思った。
だけど…紫苑さんが受けた苦痛に比べれば…耐えられない訳がない…。

 これしきの痛み何度受けたって構わないよ…。
僕の痛みのひとつひとつが紫苑さんの命に繋がっていくなら…。
 滝川先生がきっと良い方法を見つけてくれるからね…。
それまで頑張って…紫苑さん…。










現世太極伝(第五十一話 生きていてもいいんだよ…。)

2006-04-23 22:39:47 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 西沢家の主治医である飯島病院の特別室で、機械や点滴の管に繋がれたまま意識の戻らない西沢を見つめ、滝川は遣る瀬無さそうに溜息をついた。
 西沢のベッドの脇に付き添って夜を過ごした滝川は、う~んと背伸びをしながら立ち上がった。
朝まで締め切ってあった窓を開けて空気を入れ替えた。

 まる二日このままの状態でいる…。三日目の朝を迎えても目覚める様子はない。
紫苑…おまえってやつはどこにいても何かに繋がれる運命にあるんだなぁ…。
点滴の針に貼られたテープが痛々しい西沢の腕に眼をやった。

 西沢の容態は予断を許さず、点滴も栄養補給のための気休めに過ぎなかった。
腕の立つ医師ではあるが治療師ではない飯島院長は、さすがに極限まで消耗した生命エナジーを回復させる方法までは知らなかった。
それでも…普通の医師として可能な限りの手は打ってくれた。
 
 裁きの宗主が西沢に施してくれた応急措置は、おそらく宗主自身の生命エナジーを分け与えてくれたというものだろうが、他人の生命エナジーの投与は根本的な解決にはならないらしく現状維持がやっとで回復までは望めなかった。 

 何とか新しいエナジーを作り出す手立てはないだろうか…。
新しいエナジーなら微量でも紫苑が自力で回復する起爆剤になるかもしれない。

 和の命を救えなかったという過去が治療師滝川の深い傷となって残っている。
英武のことにしても…滝川の力を以ってすれば…本来なら有が手を出すまでもなかったのかも知れないが、滝川自身がひとりで治療にあたることを避けた。

 裁きの宗主は滝川のそんな心の闇を見抜いていた。
心に迷いを抱いている時ではない…。治療師としての本来の姿を取り戻せということなのだろう…。

 勿論だとも…紫苑を助けてみせる…。
自らを犠牲にして命を護ってくれた紫苑に恥じるようなことはできない…。
 何としても…この手で方法を見つけ出す。
だから紫苑…もう少し頑張ってくれ…。

 ドアをノックする音とともに有が登校前の亮とノエルを伴って現れた。
滝川にまだ温かい朝食の包みを渡すと西沢の顔を覗きこんだ。
 
 「相庭と玲人があちこちの高名な治療師を訪ねてみてはくれているんだが…誰も完全にエナジーを失った者の治療を試みた者はいないそうだ…。
 本来なら…とうに死んでる筈なんだからな…。 常識的に考えて…生きているのが不思議なくらいだ。」

良い治療方法を思いつかず無力感に苛まれながら有はつらそうに言った。 

 亮が湯に浸したタオルで西沢の顔や手をそっと拭いた。 
有が愛しげに清められた我が子の額に触れ乱れた髪を整えてやった。 

 ノエルはそっと西沢の手を握ってみたが…反応はなく…切なくて思わずぽろっと涙をこぼした。

 「新しい…エナジーを作り出す方法を…考えているんです。
それさえ可能ならきっと…。 」

 滝川は有にそう打ち明けた。
新しいエナジー…その言葉に有は頷いた。確かにそれができれば…助けられる。
取っ掛かりがあれば紫苑は自ら生きるための能力を発揮するだろう。
だが…新しいエナジーを生み出したものなど聞いたことがない。

 「今は…怜雄や英武が交代で自分のエナジーを少しずつ与えてくれています。
親兄弟のエナジーの方が紫苑の身体も受け入れやすいでしょうけど…有さんと亮くんのはいざという時にストックしておかなきゃ…。 」

 滝川は朝食のホットドッグを頬張りながらそんなことを話した。
腕時計を見ながら有は西沢の傍からなかなか離れようとしない亮とノエルに早く出掛けるように促した。
ふたりは名残惜しげに病室を後にした。

 「恭介…仕事があるんだろう? 今日は俺が付いているから行って来いよ。 」

 有が勧めると恭介は…助かります…と答えた。
正直…幾つか予定が入っている。
 キャンセルするにしても一度スタジオに顔を出しておかなきゃ…と思っていた。
いくつか段取りをして夕方には戻ると言い置いて滝川も病室から出掛けて行った。



 西沢が仕事に出掛けて行ったすぐ後で相庭親子が見舞いにやってきた。
いやあ…もう参りました。 
 挨拶もそこそこに相庭はうんざりした様子で愚痴をこぼした。
何処から情報が流れたものか…西沢紫苑が原因不明の病で突如入院なんて記事が出ましてね…。 
 この病院…情報管理がいい加減なんじゃないですか?
夕べから問い合わせが立て続けです…。
 おまけに滝川先生自身はとうに忘れていらっしゃるんでしょうが…昨日…新しい写真集が出たもので…遺作じゃないかなんて話まで飛び出して…。

遺作にならないようにしたいものだね…と有は苦笑いした。

 玲人が心配そうに西沢の頬に触れた。
幼馴染…幼児期から時折…仕事先で出番を待つ紫苑の傍で過ごした。
幼い紫苑が気分良く過ごせるように遊び友達として相庭はよく玲人を同行させた。

 玲人の大事なお人形さん…そんなふうに相庭は言って聞かせた。
脱走癖のある紫苑が勝手に消えてしまわないように…玲人…玲人の可愛いお人形さんが逃げ出さないように見張っていておくれ…と。

 生まれ月が少しだけ早い玲人は自分がお兄ちゃんだと自負していたし、紫苑のお守りをすることは嫌ではなかった。
 子犬のように転げまわって遊んで…お菓子を分け合って…悪戯もして…叱られるのも一緒だった。
 紫苑が撮影用の服を着ている時には、汚すな・破るな・転ぶな…と注意を払うのも玲人の仕事だった。
 
 紫苑…玲人の大切なお人形…護ってあげられなくて…ご免よ…。
幼馴染としての玲人が胸の中でそう呟いた。

 西沢に対してはどうしても個人的な感情が先に立ってしまいそうになるのを抑えて、玲人はすぐに自分を切り替えた。

 ねえ…西沢先生…好きな女の子のこと眠れないくらい思いつめる十四歳も…たまにゃあ居ますよ…。 
桂の表現がちょっと大袈裟なだけで…ね。

 私も少しばかり思い出しました…。
十四の時にめっちゃ憧れたアニメの美少女キャラってのは…本当は私の心が描いた紫苑という女の子だったのかもしれないってね…。

 早いとこ眼を覚まして…仕事してくださいよ。 気にいらねぇって…ぶーたれながらでも構いませんから。
お得意さんが首長くして待ってるんですから…ね。
 
 まるで西沢にその声が届くと信じているかのように玲人は心の中で語りかけた。
本物の人形のようになってしまった西沢を切なげに見つめながら…。

 「親父…俺…坊やたちが心配だから先行くわ…。
西沢先生も一応有名人だから…取材と称して坊やたち…うるさいこと言われるかもしれないからね…。 」

 急に心配になったのか…相庭にそう告げ…お大事に…と有に向かって丁寧に頭を下げてから玲人は部屋を出て行った。
 
 玲人が行ってしまうと、相庭はそっと西沢の傍らに近付いて、度重なる点滴のせいで傷付き蒼く腫れている紫苑の腕や指に触れた。
 先生…綺麗だった手がこんなに腫れちまって…。
なあに…すぐ良くなりますからね。 必ず滝川先生が助けてくれます…。

 「私が御使者なんぞにならなければ…先生は…有さんの許で幸せにお暮らしだったのでしょうねぇ…。
私が有さんから先生を引き離したようなもんだ…。 」 

 相庭は申しわけなさそうに言った。
有は怪訝そうな顔で相庭を見た。

 「絵里さんを袖にした男ってのは私です…有さん。
その方が…正しいと信じて絵里さんを突き放したのですが…結果的にあなたには…申し訳ないことをしてしまった。

 当時…私には…すでに妻子が居て…二十歳になったばかりの子どもみたいな絵里さんの申し出を受けるわけにはいかなかったんです。
 誇り高い方だったから…絵里さんは馬鹿にされたと思ったんでしょうな…。
まさか自殺を図るなんて…思いも寄らなかった…。 」

 有が自分に対し怒りをぶつけてくるだろうと相庭は覚悟していた。
しかし…有は…一旦何かを言おうとしながらも思い止まった。
 
 「何もなかったとは…言いません…。
もともと私は…先生のお守りだけでなく…出産とともに気分が冴えなくなってしまった絵里さんのお守りも言いつかっていましたから…。

 あなたがいつか絵里さんと先生を迎えるために一生懸命努力なさっていたのは…西沢家の巌御大もご存知だったのですが…遊びたい盛りに母親になってしまったために…少々おかしくなってしまった絵里さんを放っては置けなかったのでしょう。

 遊び相手になるように…とご命令で。
私には家庭があって…絵里さんに対して本気にはなれないことをご存知でした…。
 断れば先生の傍に居ることもできなくなります…。
御使者としての務めが果たせなくなる…私も随分…悩みました…。 」

 同じ御使者である有には相庭の困惑が目に浮かぶようだった。
結局…相庭は御使者としての務めを果たす道を選ぶより他にどうすることもできなかった。
 その結果…絵里の方が本気になってしまった。
絵里が亡くなっても西沢家が絵里の自殺の原因となった相庭を責めることなく紫苑の世話を続けさせたのは、相庭の行動のすべてが西沢家の意思で行われたことだったからだ。
 ここにも…遣り切れない思いをずっと抱き続けてきた男が居る。
絵里を死なせてしまったという重い十字架を背負って…どれほどの想いで紫苑を護り続けてきたのだろう。

 「自殺と聞いた時には…私も生きてはいられない…と思いました。
真剣に向き合ってあげるべきだったのに…私は仕事と割り切ってしまった。
毎日どうやって死のうかと考えていました。

 ですが…西沢の家にひとり遺された先生を見ると…死ねませんでした。
西沢家では先生のことを可愛がってくれてはいましたが…まるでペットのようなもので…誰ひとりとして生きる術を教えてくれるような人は居なかったのです。

 勿論自分の家族のこともありました。
私には四人子どもが居ます。彼等を遺していくのも不憫でした。
 何より…自殺することによって…遺された者がどれほどの重荷を背負うことになるのか…それは絵里さんに死なれた私が一番よく知っていましたから…。 」

 相庭はまるで我が子を見るような眼で西沢の顔を見つめながらそっと西沢の髪を撫でた。

 「我が子よりも大切に育てました。有さんの代わりに精一杯…親として子に伝えるべきことはみんな伝えたつもりです。
有さんとしては…ご不満な点もあるやもしれませんが…。

 先生は…私が御使者であることは知りませんでしたが…絵里さんとのことはご存知だったようで…。
 玲人に言い残してくれました…絵里さんの死は私のせいではない…と。
生きていてもいいんだよ…と…言われたような気がしました。 」

 相庭は少しだけ嬉しそうに言った。
勿論…その言葉で相庭の重荷が消えるわけではない…が…肩の荷が少しだけ軽くなったように思えたのだった。

 「相庭さん…あんたには感謝しているよ…。 紫苑はいい子だ…。 
あんたが居なきゃ…こんなにいい子には育たなかったろう…。
 あんたも俺も…嫌というほど痛い目に遭ってきたが…結構な宝物を手に入れたんじゃないかね…?
 ちょっと無いぜ…こんな破天荒な息子持ってる親は…さ。
俺は生みの親…あんたは育ての親…祥さんは養いの親かな…。 
誰が欠けても…今の紫苑は居ないんだ…あんた自慢していいぜ…。 」

 有がそう言って涙目の顔に笑みを浮かべた。
予想外の有の好意的な態度に一瞬ぽかんとなった相庭だったが…同じように笑みを浮かべて頷いた。

 有さん…さすがに…あんたは…紫苑の実の父親だ…。
本当に…そっくりだよ…その性格が…さ。
そんなことを思いながら…相庭はちょっと洟を啜った…。





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現世太極伝(第五十話 命あるうちに…。)

2006-04-21 23:45:06 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 玲人からの連絡は何度も受け取っていた。
有も相庭もできることなら何もかも放り出して駆け付けたかった。
 目の前に映し出される酷い光景に歯軋りしながら…それでも役目を放棄することはできなかった。
 尻に火のつきそうな状況の中で何とか気持ちを抑え、御使者と呼ばれる者の務めを果たすことに専念していた。
 
 ふたりは今…裁きの一族の宗主の決断を仰いでいるところだった。
この地域で大きな動きがある…と近しい家門の予知能力者が伝えてきたことを受けて、宗主自らが有たちを訪れていた。

 何としても人間の殲滅は阻止せねばならない。
が…いかに最強の能力者軍団を結成して戦ったとしても…創造主を相手に勝つなど有り得ぬこと。 
ならば話し合いの上取引するしかない。

 それには…気を納得させるだけのものがなくては話にもならない…。
大戦以来…全国の能力者の家門の代表として裁定人が決断を下すのは初めてのことで…さすがの宗主も即断を避けた。

 「紫苑は…皆の楯になるつもりのようだ…。 
すべての責めを紫苑に負わせてそれで済む問題ではあるまい…。 
決断すべき時が来た…。

 相庭…先程の方策を決定として全国に通達せよ…。 
この命令の遂行にはすべての人間の命がかかっている。
それ故…何人たりともこれに違反することは許されない…。
 なぜ能力者だけが…などど不服を言う者は…人として恥じるがいい。
先ず能力者が…と考えよ…と。

 木之内…行こう…。 奴等と話をつけねばならぬ…。
紫苑…間に合えばいいが…。 」

 宗主に促されて有はようやくその場を離れ…今まさに死地に立たされている息子のもとへと向かった。
紫苑の命の灯火が消えてしまわぬように…と願いながら…。



 そこに地面でもあるならば沈み込んでいきそうな自分の身体を持て余しながら…それでも西沢は…呼吸することを止めなかった。
 時折からかうようにエナジーたちが軽口を叩いたりするが聞く気にもなれない。
最早…何を言われても問われても答える力もない…。
だが意識だけは研ぎ澄まし…しっかりと自分を見据えていた。

 紫苑…と何処からか自分を呼ぶ声が聞こえた。空耳か…と思った。
とうとう…その時が来たのか…とも…。

 気たちが騒然となった。
破れないはずの結界を抜けてまたしても人間が入り込んだ。

 紫苑…! 声はさらに大きく響いた。
滝川が駆け寄ってくる気配がした。

 馬鹿な…と西沢は思った。
来るんじゃない…恭介…逃げろ…! 
おまえが殺されたら…僕がここで死ぬ意味がなくなる…!
早く…逃げてくれ…!

 だが滝川は西沢の想いに反して倒れている西沢の身体を抱き起こした。
まだ息があることを確かめると…そのまま…姿の見えない気たちに向かって大声で叫んだ。

 「お前らは間違ってる! 
憂さ晴らしや気晴らしで人を殺すなんざ…人間の中でも最低な奴等がやることだ。
人間を非難しながらお前らのやっていることは人間以下の行為じゃねえか!

 そりゃあ人間がしてきたことは褒められたことじゃない。
直接とは言えなくても恩恵を受けているからには、地球をぶっ壊した罪が紫苑や俺たちにないとは言わない。

 言わないが…お前らのやってることをよく考えてみろ!
壊し殺して大きな利益や地位や名声を得ている奴等の大罪を以って、いきなり人間全部を消し去ろうって考えは…指導者が戦争を仕掛けたからといって、眼下に生きて生活している人間の命を顧みずに原爆ぶち落とすのとどう違うって言うんだ?

 生きるために人間は精一杯抵抗する。 当然だろう? 
命はひとつしかねぇんだ。 その抵抗を助けて何が悪い…。

お前らだって…滅びたくないから抵抗しているんじゃないか?

 こいつは優し過ぎて人のことを放っておけないんだ。
そんなことでもなければ…好きな絵を描くことだけを幸せとして生きているような男なのに…どうしてここまで痛めつける必要があるんだ?

 お前らのしていることは人間の愚行の模倣に過ぎない。
言っていることも矛盾だらけ…これが人間を愚かと非難できた行為か? 」

 滝川がそう問いかけると気たちが動揺し始めた。
ざわざわと辺りの空気が揺らめいた。

突然…西沢が重い腕を上げて滝川の身体を押した。

 「逃げろ…恭介…。 僕…は…もう…もたない…。
僕…の…いの…ちが…あるうち…に…。 は…や…く…。 」

悲しげな眼で滝川を見つめる紫苑に滝川は優しく微笑んだ。 
 
 「紫苑…おまえはいつも鳥籠の中でひとりぼっちだった…。
最期ぐらいは…僕が一緒に逝ってやるよ…。 」

 そうして滝川はすでに限界と思われる西沢の身体をしっかりと抱きかかえた。
ひとりでは…逝かせない…。 紫苑…一緒に脱け出そうぜ…あの鳥籠から…。


 死ねるか!

西沢は胸の内で叫んだ。同時に西沢の中で何かが湧き起こった。
 
 おまえを道連れになんぞできるか!

 今にも消えそうになっていた命の火が再び勢いを取り戻した。
恭介…僕は死なん…死なんから…おまえも死ぬな…。
必ず…ここから…逃がしてやる…。

 かっと眼を見開き…半身を起こすと西沢はあの四歳の時のように声をあげた。
あの時とは違って叫び声というよりは唸り声のようだったが…。

 気たちは仰天した。
この男は…いったい何を活力にして生きているのか…?

 西沢を中心として波のように空気が振動を始めた。
気たちが狂ったように驚き騒ぎ蠢くのを滝川は感じた。

 勿論…ここに在る気は太極という小宇宙の中に混在している創造する気のほんのひと欠け…ありとあらゆるものの中に存在する計り知れないほど大きな気の片鱗に過ぎない。
 が…おそらくこの欠片が受けた衝撃は全体に波及していくだろう。
自分たちが創造した物でありながら予想もつかない動きをする人間というものの不可思議…困惑する気の表情が想像できる…。

 振動は徐々に激しさを増した。
気たちの作ったこの白い世界に少しずつ少しずつ罅が入り始めた。
ピシッピシッと音をたてて罅は次第に拡大していく。

 わけの分からない出来事に慌てふためく気たちの意味を成さない声が白い世界の中に反響する。

 やがてガラスの破片のようにあたりに欠片が雨霰と降り注ぎ始めた。
滝川は反射的に紫苑に覆い被さり破片の嵐から紫苑の身体を護った。

 白い世界は大音響とともに崩れ去った。
轟音を響かせてあの強靭な結界が弾け飛んだ。
 その結界の址から見えない気が四方八方に飛び出した。
恐るべき怒りの声をあげながら…。

 

 轟々と不気味な音を立てながら空を旋回するエナジーの気配…。
旋回するというよりはトグロを巻きながら世界を覆い尽くしていると言った方が正解かもしれない。
それは雲を呼び…雷鳴が響き渡る。

 校舎前の枯れかけた芝生の上で滝川は眼を覚ました…紫苑を庇ったままの姿で…。
玲人や憑依されて気を失っているノエルを抱えた亮が駆け寄ってきた。

 「紫苑…紫苑…。 」

 滝川は腕の中の西沢に声をかけた。西沢にはまだ意識があった。
力なく滝川に眼を向けるだけではあったが、息をしていることに一応安堵した。

 「間に合ったな…。 」

 突然…背後から誰かが近付いてきた。
有と同じ年代くらいの…西沢に何処となく似ている男が西沢の脇の滝川と向かい合う位置に片膝を付いて覗き込んだ。

 「紫苑…よくやった…血族として誇りに思うぞ…。 」

 男は掌を西沢の心臓のところに当て鋭い光を放った。
大きく息をして西沢は安心したように眼を閉じた。
 周りは慌てた…。
その様子を見て男は微笑んだ。

 「大丈夫…眠っただけだ…。 
私の力ではどれほどのこともしてやれないが…これでしばらくは持つだろう…。 後はきみたちの努力と紫苑の運次第…。 」

後についてきた有が男に向かって恭しく頭を下げた。

 ひどい音を立てながら気の旋回は続いている。
治まらない怒りを何処にぶつけようかと思案しているかのように…。

 西沢に似た男はノエルを抱いた亮の前に進み出て、まだ意識のないままのノエルに向かって語りかけた。

 「大いなる太極よ…。 森羅万象の創造主よ…。
どうか私の声に耳を傾けて頂きたい…。
私は裁きの一族の宗主…。 家門を成す能力者の代表として参上した。 」

 男の声を聞くとノエルはうっすらと眼を覚ました。
亮は陽だまりの中の太極の気配がノエルからまた漂い始めているのを感じていた。

 ゆっくりと亮の腕から離れてその男と向き合った。
男は穏やかに微笑んだ。

 「今…我々は同族である紫苑をお返し頂いた。
あなたの包含する五行の気から紫苑の受けた仕打ちをどうこうは言うまい…。

 ただ…紫苑の受難が人間の犯した罪への責任を問われた故であるならば…我々としては紫苑ひとりにすべての罪を背負わせるわけにはいかない…。

 我々族姓を成す国内の能力者は、これより先…年に一度の日を定めて、気より与えられたエナジーのうち体調に支障なき余剰分を返上することとする。
 紫苑ひとりのエナジーを奪い取るよりは、継続的でもあり、はるかに量において勝ると思うが…如何。

 無論…我々にでき得る限り、あなた方の望む啓蒙活動にも力を入れる。
普通の人々にまで約定が及ばないのは申し訳ないが…これは我々が能力者であることを口外できないという特殊な事情によるもので…その点はご容赦願いたい。

 その約定を以って…我々だけでも…気の恩に報いるつもりでいる。
太極よ…あなたの力であなたの中の怒れる気を鎮めて頂けないだろうか…? 」

 ノエルの中の太極は滝川の腕の中の眠れる西沢に慈愛の眼差しを向けた。
そして再び男の方を向いた。

 「機会を与えよう…あの男の…至誠に免じて…。
命に向き合う真摯な姿勢には我々にも感じ入るところがある…。
 
 その約定が守られている間は…沈黙し…観察を続ける…。
ただし…何者かが著しく気のバランスを崩すような行為を行えば…この約定は無効とする…。 」

 太極の答えにエナジーたちは怒りを露わにした。
まだ人間を信用するつもりか…と。
非難の声がさらなる轟音となってあたりに鳴り響いた。

 「我が子よ…。 
人間ひとりひとりの罪状までは確認できないと言いながら…この男ひとりに責めを負わせたのは過ちである…。
 偉大な気でさえも過ちを犯すのであれば…卑小な人間が過ちを犯すのは避けられぬ…。
 深く反省の意を表して約定を以って償わんとするならば…しばし寛大な心を以ってこれを受くるに…何の障りが生じようや?
 万が一…約定が破られた時には言いわけなど聞かずと一息に滅ぼしてしまうだけのことだ…。

 もし今この瞬間に、これまでの罪を以って全人類を滅ぼせというのならば…気の犯した過ちを以って我が身を罰し私自身が滅びることとしよう。

 されば我が子よ…。
おまえたちもともに滅びることになる…。 」

 絶望にも似た叫び声が天地に轟いた。
太極に自ら滅亡の道を選ぶと宣言されて反論できるものはなかった。
 諦めがいいのか…切り替えが早いのか…天を覆っていた渦巻くエナジーは次第に怒気を和らげ…その気配を消していった。

 「裁定人の宗主よ…何れまた…おまえの定めたその日に…。
なんの…知らせは無用…おまえが心に太極を思えば…その日一斉に気を回収させて貰うだけのこと…。 」

 太極は再び西沢を穏やかに見つめるとノエルの中からふっと気配を消した。
崩れ落ちるノエルの身体を男が支えた。
亮が慌てて男からノエルを受け取った。

 「滝川…恭介…。 紫苑を頼む…。 早急に手当てをしてやってくれ…。
紫苑の戦いは終わったが…これから先はおまえたちの戦いだ…。
 何があっても…この英雄を死なせるなよ…。 
手を尽くし知恵を絞って回復させてみせよ…おまえが治療師としての自信を取り戻すためにも…。 」

 男に言われて滝川は驚愕した。初めて会った男に自分の中の闇を見透かされた。
男はにやりと笑うと有を伴って悠々とその場を立ち去った。
後を見送った滝川たちも人目につく前に…と慌しくその場を後にした。

 その校舎では何事も無かったかのように新しい一日が始まった。
しかし…さすがに今日だけは…亮もノエルも…姿を見せなかった…。
 
 



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現世太極伝(第四十九話 死んでたまるか…。)

2006-04-20 00:07:16 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 亮とノエルが解放された後、西沢の身体からは容赦なく生きるための力が抜き取られていった。

 特殊能力者の力は多くの場合、資質と精神力の強弱に左右されるが、それだけではなく、力を使うことによって消費される体力の有無にも影響を受ける。
 持てる力が大きければ大きいほど必要な活力も増し、活力のないものに大きな力があるような場合は、力を使い続ければ時に早世の原因ともなる。
自分の力に喰われる…というところか…。
 
 封印を解いた西沢はその力の大きさもさることながら、それを支える活力も十二分…気たちにとっては美味しいおやつに違いない。
まあ…気たちのスケールから考えれば米粒ひとつにも満たないが…。

 血を抜かれていくような奇妙な感覚とともに全身に疲労感を覚えた。
まるで貧血で倒れたときのようだ…と心の内で笑った。

 「僕がここで殺されるわけを…教えてくれないか?
寛大な創造主であるはずのあなたたちが…どうしてその創造物である人間にこれほどの憎悪を抱くようになったのか…聞かせて欲しい。 」

 西沢がそう願うと…いいだろう…と気の代表格と思われる比較的大きなエナジーが西沢の前に気配を現わした。

 両儀(陰・陽)・四象(太陽・少陽・太陰・少陰)・八卦(四正・四隅)等々…直接に太極の動静から分かれていった気ではなく、それらがくっついたり離れたりを繰り返して創った五行のひとつだと名乗った。
五行は万物の直接の創造主である。

 『長い時をかけて…我々は万物を創り出した。 人間もそのひとつだ。
創り出しただけではない…絶えず命の気を産み出し…与え…育んできた。

 自然の一部であった時の人間は可愛らしいもので…我々を畏れ敬い…与えられた恵みへの感謝の念を忘れなかった。
 おのれの命が他の命の上に成り立っていることを意識し、無駄に殺さず、必要以上に壊さなかった。

だから世界はいつも安定していた…。

 いつの間にか傲慢になった人間は意味なく破壊し、故なく殺した。
創ること…育むこと…産み出すことは我々の本来の姿だから…感謝も畏怖も欲しいとは思わないが…バランスを崩されることは困る。

 何度も警鐘を鳴らし、その間にも必死で不足分を補い、修正し、維持してきた。
ところが人間は警告を無視し、改めるどころか、どんどんエスカレートしていき、いまやこの小宇宙はぼろぼろ…存亡の危機にある。

救い難い…と我々は判断した。 このような生き物は最早必要ない…と。

 ところが…太極は躊躇った。
これらの生き物もまた…自分の一部であると…。
 部分的に腐ったところがあるからと言って簡単に全部を捨ててしまうのは如何なものか…。

部分的な腐敗があっという間に全体に及ぶこともある…と我々は考えた。

 腐敗した部分だけを取り除くことはできないか…。

 残念ながら…それができるほど単純な生き物ではないし、ひとりひとり選別していけるような数ではない。 

 太極が躊躇えば同じように躊躇する気たちも現れて決定には至らなかった。
しかし…我々も疲弊していたし…先を思えば何らかの手を打たざるを得なかった。

 原因が人間なら人間に責任を取らせるべきだというので…人間を集めて気を回収することにした。
 特殊能力者は比較的活力も大きいし…我々の動きにも敏感に反応するので集めやすく、自然保護や平和主義的な啓蒙もし易かった。

 ところが…こちらが望んでもいないのに…集められた固まりごとに次第に組織化し、勝手なスローガンを掲げて互いに対立を始めた。

 我々もとうとう堪忍袋の緒が切れた。
それならば…そういう人間の性根を利用してとことん争わせ、太極が人間を排除する決心を固めるように仕向けてやろう…と。
  
 おまえのような者が何人も現れて邪魔をしなければ…とっくにそうなっていたろうよ…。 
 だが…すぐにそうなる…人間はお終い…。
おまえがここで処刑されるのを見れば…誰ももう我々の邪魔はしなくなる…。
 おまえの命が消えた後で…もうひとりふたり殺せば覿面だ。 
これで…我々の怒りも少しは治まるというものだ…。 』

 エナジーは愉快そうに笑い声をあげた。
が…次の瞬間その声はぴたりとやんだ。

 西沢の喉から押し殺したような笑い声が漏れ始め…それは次第にあたりに響き渡るほどの哄笑に変わった。

 「こいつはいいや…。 エナジーの気晴らしのために殺されるなんて…いかにも僕らしい死に方じゃないか…。

 だが…気晴らしにはなるまい…逆効果だ…。
もともとの計画のいい加減さを露呈するようなもんだ…。

 あまり人間を甘く見ない方がいい…。
良きにつけ悪しきにつけ人間は思わぬ力を発揮する生き物だ…。 」

 西沢の笑い声にかっとなった気はさらに西沢から気を奪った…。
とうとう西沢も膝をついた。
 頭痛とめまいと…脱力感…徹夜の仕事が続いてもここまでひどくはなかったかな…そんなことを考えて苦笑した。

 『命乞いをしないのか…? その気力もないか…?
それとも…もう…おさらばしたくなったか…? 』

 誰が…命乞いするくらいなら…最初からここに来やしねぇ…。
簡単に死にたいなんて…思うか…馬鹿野郎…!
西沢はまだ不敵な笑みを浮かべていた。 



 映像をキャッチできるあらゆる能力者が西沢に注目していた。
これまでにも…ほとんどの能力者が身近に迫っている危機を感じ取っていた。
 目の前にそれが現実となって現われた。
すでに仲間を攫われた経験のある者たちにとっては他人事ではなかった。
 ある者は恐怖に怯えながら…ある者は手を出すことができないもどかしさに歯噛みしながら…西沢の一挙一動を見守っていた…。

 特に御使者の役目を負ったものは西沢の苦しみを我がことのように感じていた。
いまあそこに居ると思われるエナジーは自分たちが相手にしているものとまったく同じなのだから…。
 それにやつらは…西沢の次を宣言している。
西沢が絶命するとともに誰かの命がまた狙われる…自分かもしれない…と。

 愛する紫苑が殺されかけている…そのことは西沢本家に集まった人たちに深い悲しみと怒りを齎した。
 とりわけ英武は…再び発作がぶり返すのではないかと思われるほどに蒼ざめていたが、ぎゅっと唇を噛み締めて映像を見据えていた。 

 輝の脳裏に別れ際にプロポーズした紫苑の寂しげな笑顔が浮かんでは消えた。
覚悟していたのね…紫苑…。 
絶対に…生きて帰ってくるのよ…ちゃんと断ってあげるから…。

 怜雄は…怜雄は祥の代わりに忙しく立ち回っていた。
他の一族とも連絡を取り、旭や桂とも今後のことを相談しあった。
 智哉や千春のことも気遣い直行にも声をかけた。
ことは急を要する…ここで途方に暮れていたんじゃ紫苑が悲しむ。
 紫苑はみんなを生かすために犠牲になろうとしている。
紫苑を助けに行ってやれない以上…いま俺にできる限りのことをやらねばならん。

 誰もが…西沢を想った…。
家族や友人たちのように純粋に西沢のことを案じている者もあれば、西沢の死が自分たちの死に直結すると分かっていたから…その意味で西沢の命が助かるようにと願っている者もあった。
それでも確かに…大勢の能力者たちが西沢に向けて強く想いを馳せていた。 
 


 次第に気たちが騒ぎ始めた。
西沢はいまや起き上がることもできない状態であるにも拘らず、生きることをやめようとはしない。
 執拗に生に執着し自ら放棄する気配は微塵もない。
生命エナジーの激しい消耗で死ぬほどの苦痛に苛まれていようはずなのに…。

 『なぜ…そうまで生きようとする? 今のおまえにとっては生きることの方が地獄だろうに…? 』

あの五行のエナジーが怪訝そうな声で訊ねた。

 「僕が死ねば…また…誰かを同じ目に…遭わせる…つもりだろう?
僕が…一分一秒…生き延びれば…そいつの命が…それだけ延びる…。
 すべての…人間の…命が延びる…。
ならば…僕が…ここに生きて…存在する意味は…確かに…ある…。
気晴らしなんて…くだらない理由で…殺されるのは…僕だけで…十分だ…。  」

 西沢は戦っていた…。それは気たちとの戦いではなく…自分自身の死との戦い。派手でも格好良くもない…独りっきりの…戦い…。
 それでもその戦いには…六十五億の命がかかっている。
そう簡単に死んでたまるか…。

 要らない子…生きていてはいけない子…。
あの事件の時から西沢の心を苛んできた母の言葉を思い出していた。

 母さん…あなたが実際のところ…僕のことをどう思っていたかは分からないが…僕は今…ここに生きて存在するべきなんだ…。

 僕の命の一秒一秒が…亮やノエルや…恭介や…僕の愛する家族や友だちの命でもあるんだよ…。
彼等だけではない…人間という生き物の大切な命を…僕は無下には捨てられない。

何としても生き抜く…定められたその時が来るまでは…。





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現世太極伝(第四十八話 それでも…逃げろってか…?)

2006-04-18 18:25:48 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 気を抜かれるたびに亮は脱力感に苛まれた。やがて頭も痛み出した。
だんだんと弱っていく亮を見てノエルは涙ぐんだ。

 「亮…ご免…。 」

 ノエルはどうすることもできずにただ亮に謝るしかなかった。
亮は何とかノエルを安心させるために力なく笑って見せた。

 「気にするんじゃない…ノエル…僕が死んでも…おまえのせいじゃないんだぞ。
無理を言っているのは奴等の方だ。 」

どうしよう…どうしたらいい? 亮を助けなきゃ…。

 「お願い…亮をここから出して! 
何でもするから…やり方さえ教えてくれれば…何でも言うとおりにするから…!」

ノエルが懇願するのを聞いて嘲るような気たちの笑い声が響いた。
 
 『おまえたちは見せしめに連れてこられた…。 ここからは出られない…。 』
 
 見せしめ…それじゃあ…どの道…殺すつもりなんだ…。
ノエルは絶望した。亮を助けてあげられない…。

 『おまえが気を産まぬとしても…その身体から気を奪うことはできる…。 』

 僕は…僕はいいんだ…。 どうせ…まともな人間には見てもらえない…。
だけど…亮は幸せに生きていけるはずなんだ…。 ここで死なせちゃいけない…。
 
 「ノエル…諦めるな…。 」

 亮が白い世界の中で少しだけうすぼんやりと灰色がかった場所を顎で示した。
亮はノエルがたびたび太極を身体に宿していたことを思い出した。
ノエルなら…気との波長が合って結界を抜けられるかもしれない…と考えた。

 「何とか振り切ってあそこまで行こう…。 もし僕が倒れても…振り返るな…。
おまえなら抜けられるかもしれない…。 」

 だめだよ…亮…逃げられないよ…。 行けたとしても…ひとりじゃ嫌だ。
否定するようにノエルは首を横に振った。

 何としても…生き延びろ…。 
おまえの身体には意味があると…西沢さんが言ってたろ…。

 躊躇うノエルを促すかのように亮は思いっきり身体を動かして、押さえ込んでいる相手を振り切った。
つられてノエルも絡みつくような気の触手を払い除けた。
 纏わりつく気の触手を払いながらふたりは外の世界へ繋がると思われる灰色がかった場所へと駆け出した。

 その場所を目前にただでさえ気を抜かれてふらついていた亮は、足をすくわれてその場に転がった。
ノエルは立ち止まった。

 「行け! ノエル! そのまま行け! 」

 亮が叫んだ…が…ノエルはその場を立ち去れなかった。
亮をおいては…行けなかった。
 ご免…と呟きながら…亮を助け起こした。
万事休す…。

 エナジーたちが迫ってくる気配がした。
高らかに勝利者として笑い声を上げながら…。

 再びふたりを捕らえようとした刹那…気に戸惑いが生じた。
ふたりの背後に別の気配を感じ取った。

グレーの世界の中から西沢が不意に姿を現した。 



  
 滝川が紫苑の気配を最も強く感じたあの校舎の前で玲人がうろうろと落ち着かない様子であっち覗きこっち覗きしていた。

 「玲人…紫苑は? 」

 玲人は申しわけなさそうに俯いた。訊かなくても分かっていた。
紫苑は校舎の中だ…。
 滝川は何とか校舎に入ろうと試みたが…玲人と同じく強力な結界に弾き返されてしまった。

 「なす術なしか! 冗談じゃないぜ…まったく! 
あんなとてつもねぇやつら相手に紫苑ひとりじゃどうにもならんだろうが!」

 滝川は携帯を取り出し…有に連絡を取った。
有なら或いは何か方法を知っているかもしれない…。
だが…有の携帯はいま切られていた。

 西沢本家にも連絡を取り…紫苑が単身結界を越えてふたりを救出に向かったとだけ伝えた。

 『恭介…何か紫苑の思念と繋がっているものはないのか…? 
チェーンでもコインでも何でも良いんだ…が。 』

状況を察した英武が助言した。

 『もしあれば…それが鍵になる…。 紫苑の傍に行ける…。 』

 生憎何にもねぇよ…。 滝川は胸の内で呟いた。
こんなことならペンのひとつでも紫苑のを持ってくるんだった…。

 「玲人…紫苑は何か言ってたか? 」

 滝川に問われて玲人は紫苑が言い置いた言葉を繰り返した。
相庭のことについては伏せておいたが…。

 「逃げろってか…。 馬鹿言ってんじゃねぇ…。 」

 紫苑…運良くこの場を逃げられたところで…このまま行きゃぁ誰も助かりゃしないんだぜ…。
それでも逃げ延びろってか…。 
 
 見えない壁を睨みつけながら滝川は大きな溜息をついた。
とにかくこいつをぶち壊さなきゃ…。



 紫苑さん…ノエルが声をあげた。
どうやってここへ…? 亮が不思議そうに西沢を見上げた。
 西沢は黙って笑いながら亮のチェーンをちょんとつついた。
気の気配のする方へ向き直り真顔で語りかけた。

 「万物の創造主…気の方々にお願いする…。 どうか…このふたりを解き放って貰いたい…。 
 もう少し時間を与えてやってくれないか…。
まだ子どもだ…何も知らない…あなた方の言葉の意味も分からない。

 あなた方の邪魔をしてきたのは僕だ…。 
僕が代わりにここに残る…。
あなた方の好きなように…見せしめにでも…なぶり殺しにでもするがいい…。 」

 気たちががやがやと騒ぎ始めた。
いくつもの触手のようなものが西沢の身体に触れた。
 辺りの空気がピリピリと振動して亮やノエルにも気たちの騒然とした様子が感じられた。
やがて話がついたのかはっきりした声が響いた。

 『いいだろう…放してやろう…ただし…お前が生きている間だ…。 
我々は見せしめとしておまえから少しずつ気を奪い取っていく…。
すぐに死ねない分…おまえは十分に苦しむことだろう…。

 おまえに命の気がなくなれば…我々はまた新たに人間を連れてくる…。
それにも飽きたら…一気に全部の人間を消してやろう…。 』

気たちは意地悪くそう言って笑った。

 西沢はふたりに向き直った。
精一杯の笑顔を浮かべ、ふたりに言って聞かせた。

 「亮…ノエルと父さんを頼むよ…。
何があっても生き延びると約束して…必ず生き抜いて…。
 ノエル…きみもだ…。
きみを大切に思う者がひとりでも居たということを忘れるな…。
心を強く持って…生きられるぎりぎりまで生きなさい。

僕のように…自ら死を選んではいけない…。 」

 紫苑さん…嫌だよ! 紫苑さんをおいてなんか行けないよ!
絡み付こうとするふたりの手を拒絶し西沢はだめだというように首を横に振った。

西沢はそっとふたりの背中を押した。

 愛してるよ…。

紫苑さん…とふたりが振り返ろうとした刹那、紫苑の居る世界が目の前から忽然と消えた。 

 

 二進も三進もいかなくて滝川は途方に暮れていた。
強力に張られた結界は滝川と玲人が協力してさえもびくともしない。

 あれから…あちらこちらの長老衆に良い方法はないかと訊ねてみたが、西沢の祥でさえエナジーの張った結界などは見たことも聞いたこともなく、どの一族の古老たちにも良い知恵は浮かばなかった。

 唯一の方法は…英武が教えてくれた紫苑の思念の残るもの…を手に入れることだが…もしそれで中に入れたとしてもおそらく戻ることはできまい…。
玲人も絶えずどこかに連絡を取っていたが良い方策はないようだった。

 もう一度、有に連絡してみようと携帯を取り出した時、目の前に突然、亮とノエルが降って湧いた。

 「おまえたち…紫苑は? 」

 滝川が訊ねるや否やノエルと亮が一斉に口を開いた。
紫苑が助けに来てくれたこと…身代わりになってくれたこと…相手は見せしめに紫苑をなぶり殺すつもりらしいこと…。   
 ふたりとも半泣き状態で話は要領を得なかったが紫苑に危険が迫っていることだけは確かだった。

 滝川は急ぎ西沢本家に事の次第を告げた。その場の皆が蒼ざめ騒然となった…。
彼等の胸にあるのは紫苑のことだけではなかった。
 何とか対策を考えなければ、すべての人々が消されてしまう…。
みんなそれぞれに背負うものがある以上、このまま手を拱いているわけにはいかない…いかないが…いったい何ができるだろう…。

 今のところ救う手立てがないと知るやノエルは校舎の二階に向かって叫んだ。
太極…太極…助けてください! 紫苑さんが殺されてしまう! 
紫苑さん…を助けて!

 狂ったように叫ぶノエルの身体を亮は背後からそっと抱きしめた。
ノエル…ノエル…落ち着いて…。

 「玲人…おまえは紫苑の言いつけを護れ…。 この子たちを連れて逃げられるところまで逃げるんだ。 
 みんなは西沢本家に集まっている…本家も安全とは言えんが…少なくともここよりはましだ…。

僕は何とかして中に入る…。 何か紫苑の物があれば…。 」

それを聞いて亮は首のチェーンをはずした。

 「これ…兄さんがくれた御守りなんです。 
ひょっとしたら役に立つかもしれない…。
兄さんはこれを手がかりに僕等を追って来ました。 」

滝川の顔が輝いた。亮からチェーンを受け取るとすぐに首にかけた。

さあ…早く行け!

 滝川がそう叫んだ時…突然…辺りはまるでバーチャル・レアリズムの世界に入り込んだかのように判然としなくなった。
 辺りがそうなったというよりは…能力者の脳に何かが立体映像を映し出しているような感じだった。
 
 その場にありもしない白い世界が展開し…中央に紫苑の姿が見えた。
決して滝川が結界を越えたわけではなかった。

 誰だ…誰が何の目的でこんなことを…。

 滝川の周りだけではなかった。 
ありとあらゆる能力者たちの脳へ何かが語りかけ始めた。

 そして驚くべきことに滝川の前では…ノエルの唇からその言葉は発せられていた…。






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現世太極伝(第四十七話 頼んだぜ…。)

2006-04-17 20:40:42 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 西沢の携帯が鳴った時、その無神経な呼び出し音に輝は少なからず腹を立てた。
また…あいつなの? お邪魔虫…。
珍しく自分から逢いに来てくれた紫苑のために夕食を作り始めたところだった。

 しかし…西沢の表情から何かとんでもないことが起きたと察した。
滝川と話しながら…亮とノエルが拉致された…と輝に伝えた。

 「輝…すぐに西沢の本家へ向かってくれ。 直行がそこに運ばれる。
怪我をしているようだ。 僕はこのままふたりを捜しに行く。 」
 
携帯を切った西沢はすぐ脇に来て聞き耳を立てていた輝に言った。

 「分かったわ。 紫苑…気をつけてね…。 」

 輝もすぐにバッグを取り、西沢と一緒に玄関まで出た。
靴を履くのももどかしそうにしていながら西沢は急に振り返り、輝と唇を重ねた。

 「輝…結婚しようか…。 」

輝は一瞬戸惑った…が…すぐに切ない笑みを浮かべた。

 「馬鹿ね…こんな時に…。 冗談言ってる場合じゃないのよ…。 」

 西沢はちょっと寂しげな目をしたがすぐに笑顔を見せた。
じゃあな…と輝に声をかけてそのまま振り返りもしないで出かけていった。

 何言ってるんだか…。
そう呟きながら輝は玄関に鍵をかけて自分も家を後にした。
 


 何もない空間…眼を覚まして辺りを見回した亮はそう感じた。
上を見ても下を見ても茫洋とした白い景色が続くだけ…まるで巨大な白いボールか箱の中心にでも居るような気分だ。
 すぐ傍にノエルの姿があった。怪我などしている様子はなさそうだ。
揺り起こすとすぐに目覚めた。
ノエルも不思議そうに白い空間を見回した。

 「何処だろう…? 」

 亮は微かに覚えがあるような感じもしていた。
暑くも寒くもなく…ほんのりと温かい…。
白く見えるのは何か力が働いているせいで…亮が知っているそこはもっと暗い世界だったような気がする…。

 人の気配はまったくしないのに何かが傍にいることは確かで、その視線を痛いほど浴びていた。

 不意に何者かがノエルに触れた。
姿も形もないがノエルの全身を隈なく探っている。
くすぐったさに耐え切れずノエルが可笑しくもないのに笑い転げた。

 「やめてくれ! 気持ち悪いから触んな! 」

 見えない相手に向かってそう叫んだ。 
相手は誰かと相談するかのように少し間をおいてからノエルに話しかけた。

 『おまえが…産め…。 』

はぁ…? 産めって何を…? ノエルと亮は顔を見合わせた。

 『新しい気…を産みだせ…。 』

 気…を産む? ノエルにはそれが何のことか理解できなかったが自分が産む性と識別されたことだけはなんとなく分かった。
 どうやら先程ノエルの身体を探りまくったのは、ノエルの性別を確かめるためだったようだ。
冗談じゃない…と思った。 産めるわけないじゃないか…。
 
 『おまえが新しい生命の気を産み出せば…我々はそれをもとに大きな気を育むことができる…。 
 失われたものがあまりにも大きく我々が元から産んでいては時が掛かり過ぎる。
おまえが元気を産み出せ…。 』

 できるわけないよ…。 無理だよ…。 そんなのどうしていいか分からない…。
ノエルは難題を押し付けられて困惑した。

 何かがノエルの腕を引っ張って引き摺り倒し押さえつけた。
亮がその見えない敵からノエルの身体を取り返そうとするといきなり両腕を摑まれて突き倒され後ろ手に押さえつけられた。

 『おまえがそうしなければ…この男から生命の気を抜き取る…。 』

何をされたのか分からないが亮は一瞬身体からふっと何かが抜けたのを感じた。

 「何をした? 」

亮が訊くと見えない敵は可笑しげに笑った。

 『少しだけ気を抜いてやったのだ…。 おまえから徐々に気を奪い取ってやる。
すべての気を失えば…おまえは死ぬ…。 』

 ノエルが悲痛な声をあげた。どうしよう…どうしよう…亮が死んじゃう…。
だけど…僕…どうしたらいいのか分からない…。

 「ノエル! できないものはできないんだ! おまえのせいじゃない…。 」

 再び何かが亮の中から抜けた。貧血にでもなったかのように少しくらっとした。
それを見てノエルがまた叫び声をあげた。 だめ! 亮を殺さないで! 

 『さあ…産みだせ…新しい生命の気を…。 』



 亮とノエルが連れ去られたと連絡を受けた西沢本家は俄かに騒然となった。
亮は紫苑の実弟であり西沢家にとっては近い親戚でもある。
ノエルの方は英武の若い恋人千春の兄であり何れは親戚になる可能性もあった。

 谷川から直行を受け取った後、英武が直行の怪我の手当てをしながら詳しい状況を読み取った。
 旭の顔を借りたエナジーの化身が襲撃した者たちの中に潜んでいたことから、今までのような能力者同士による洗脳のための誘拐とは違う…と感じ取った。
かつて亮が狙われた時と同じ気配がした。
 事態がより緊迫した状態にあると考えた英武は、急ぎ一族の情報網を使ってふたりの行方の手がかりを捜した。

 とにかく身内だけは集めておいた方がいいだろう…と怜雄が有や相庭、ノエルの父高木智哉に連絡を取った。
 有と相庭は仕事らしく出かけていたが智哉は千春を連れてすぐに現れた。
輝もその後から駆けつけた。
紅村旭や花木桂も少し遅れて本家の門を叩いた。

 とにかく今は紫苑か恭介からの連絡を待つしかない。
何もすることのできないもどかしい時間だけが刻々と過ぎていった。

 

 亮がまだあのチェーンを身につけていてくれることを西沢は願った。
あのチェーンにはまだ西沢自身の思念が残っている。
彼らの居場所に強力な結界が張られていたとしても上手くすれば抜けられる。

 亮の気配…ノエルの気配…西沢はふたりが連れ去られた現場からそれだけを頼りに追跡を始め、今…おそらくふたりが閉じ込められているだろう場所をようやく探りあてた。

 亮たちの大学の構内…以前に滝川とふたりで講演をしながら何かが潜んでいると確信した場所…。
それは決して太極だけの気配ではなかったのだ。
  
 構内に一歩踏み入れると西沢の行く手を阻むかのように暗示に掛かった能力者たちが襲い掛かってきた。
 ずっと捕まらなかった夕紀もそのひとりだった。
やれやれ…お嬢さん…やっとご対面だ。
 戦うのは何ほどのことでもなく、西沢はそんなことを思いながら彼等にかけられた暗示を解いた。

 広大な敷地のいくつもの建物のうち太極の好んだあの校舎の近くで亮とノエルの気配が強く感じられた。

 「玲人…居るんだろう? 」

西沢は背後の闇の中に向かって声をかけた。玲人の姿が闇の帳から分かれ出た。

 「僕はこれから結界を越える。 何とかしてふたりを脱出させるつもりだ。
ふたりが出てきたら…おまえできる限り早急にふたりを連れてここから逃げ出せ。

 僕が戻らなくても絶対入ってくるな。 入れんとは思うけど…。
逃げて…何とかみんなで生き延びる方法を探し出せ。 」

 馬鹿な…と玲人は思った。西沢を護るのが役目の自分が西沢に護って貰うなどあってはならない…と。

 「先生…中へは私が行くから先生こそ逃げてくださいよ…。 
先生に死なれちゃ親父も商売上がったりで…。 」

玲人がそう言うと西沢は可笑しげに笑った。 

 「有り難いけど…この結界を破るのは…おまえには無理だよ…玲人。 
相庭には…長いこと世話になった…と伝えてくれ…。 
 心から感謝している…。
それから…母が死んだのはあなたのせいじゃない…と…そう言っておいてくれ。」

玲人は驚いたように西沢の顔を見つめた。

 「ご存知だったんで…先生? 」

西沢は微笑んだまま頷いた。

 「ああ…それから…仕事部屋に…みんなに宛てたものがあるから…。
おまえから渡してくれないか…。 もし…僕が死んじまったらの話だけど…。
じゃあな…頼んだぜ…。 」

 軽く手を振って西沢はふたりの気配のする校舎へと入っていった。
待って先生…玲人は後を追ったが入り口のところで結界に跳ね返されてしまった。
 紫苑…紫苑…どうか…無事で…。
その場に立ち尽くすより他になす術もないまま…玲人は胸の内でそっと呟いた…。



 ふたりが攫われた現場に到着した滝川は、すでにこの場所へ西沢が来たことを感じ取った。
 輝や英武と違って過去を読み取ることの苦手な滝川は、西沢の気配だけで向かうべき方向を定めた。
 ある程度は勘も働かせた。
以前…紫苑と感じ取ったあの気配の場所…紫苑が向かったのはそこに違いない…。

 校門のところでぼんやりしている女の子を見かけた。
どうしたの…と声をかけると女の子は驚いたように滝川を見た。
門灯に照らされたその顔を見た限りではなかなかの美少女…だった。

 大丈夫…? 気分でも悪いの…?
滝川にそう訊かれて女の子は首を横に振りながら軽く微笑んだ。

 いいえ…大丈夫です…うっかり居眠りしてたみたいで…。
いけない…こんなに遅くなっちゃった…と時計を見ながら慌てたように言った。

 気をつけて帰るんだよ…と滝川は忠告した。
女の子はまた軽く微笑んで…有難うございます…と答え、急ぎ、駅の方へと駆けて行った。
 女の子の後姿を見送りながら紫苑が暗示を解いた後に違いないと感じた。
確かにここだ…と確信した滝川は暗い構内を街灯を頼りにあの校舎へと向かった。

 点在する暗い校舎の所々に窓の明かりが浮かんで見える。
あの窓の向こう側にいる人たちは外で起こりつつあることに何も気付いていない。
気付かないまま死を迎えるのは幸せなのか不幸なのか…。

 誰にも分からないだろうな…その答えは…。
まあ…少なくとも…知ってしまった以上は黙って消されたくはない…。
たとえ…敵わぬ相手だとしても…。

次第に強くなる紫苑の気配を感じながら滝川はそんなことを思った…。 





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現世太極伝(第四十六話 誘拐された亮とノエル)

2006-04-15 23:42:27 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 西沢が仕事を休止したことは誰も知らなかった。
滝川でさえも…。
 滝川が知る限りでは西沢はいつもと変わりない様子で仕事部屋に居たから、まさか書いているのがイラストやエッセイではなく…皆に宛てた手紙や遺書だとは考えてもいなかった。

 潮時だ…と西沢が感じたのはこの夏…国内だけでなく海外でも大洪水と大渇水の頻発によって世界各国に大被害が出たと報じられた時…。
冬は異常寒波で各地被害甚大だった上に追い討ちをかけられたようなものだ。
 気たちの地球補修が間に合っていない証拠で、一向にはかどらない作業に苛立つ声が聞こえてくるようだった。

 誰も気付いていない気たちの焦れる声…。
だが…普通の人間がその声に気付く時には…手遅れ…滅びはその刹那に訪れる…。
 ある程度それを早めに察知できる特殊能力者が団結して頑張るしかないが…利害が直結しない目的での能力者の団結は難しい。
 なぜ自分たちだけが動かねばならないのか…などと考える者が必ず出てくる。
先ず自分たちが率先して…などと殊勝なことを考える者の方が少ないと見ていい。

 そう…西沢のように我を捨てて尽力する者は馬鹿だと思われるだろう…。
放っておけばいいのに…と笑われるのがおちだ。
 放っておけば…そのうち人類みんな仲良く一斉にあの世行き…まあ…それもひとつの選択だが…。

 西沢だって別に人類を救うなどという御大層な目的を掲げているわけではない。
西沢がそうするのは…あくまで自分の大切な人たちの延命のため…自分の関わる家門の者たちのため…個人的な理由からだ。

 死ぬとは決まっていない…必ずしも…しかし…相手は人間ではない。 
戦いにならずとも何が起こるか予想もできない。
 少なくとも彼らの一部は人間に対して悪意を抱いている。
その悪意がどう形に表れるか…。

 勿論…西沢ひとりがどう足掻いたところでどうなるものでもなかろうが…黙って滅ぼされるのだけはご免だ。

 弟…亮を護ると決意して奇妙な事件に足を突っ込んだ時から…西沢にはすでに覚悟はできていた。
 親に顧みられない亮がひとりで生きて行けるようにと、亮に遺すべきものを蓄えてもいたが、ようやく父親である有が亮に近付き始めたのを見て少し安心した。

 英武のことも実母のことも一応の解決を見たし、和が亡くなって以来ずっと心のしこりになっていた滝川への蟠りも解いた。
 輝との間には子供もいないし…何かの時は克彦が力になってくれる。 
後はノエルが自分の意思でしっかり生きて行ってくれることを願うだけだ。
そのことは…滝川や有や亮に託していこう…。



 もうひとりの自分を見るという信じ難い現象を体験した旭と桂は、時々、助言者である西沢と連絡を取りながら生徒や仲間の救出に手を尽くしていた。
 自分たちの主催する集会や勉強会に西沢を潜ませ、出席者を扇動しようとする者たちを捕らえては洗脳から解放していった。

 特に注意すべきはあの宮原夕紀という少女…彼女はどうやら背後にいる悪意ある気たちにとって動かしやすい存在らしい。
 何しろ任務遂行のためには自分の婚約者を他の能力者に襲撃させることさえなんとも思わないような鉄の心の持ち主だ。
無論がっちり洗脳されているからなのだろうが…。

 「あれ以来…お稽古にも現れてはおりません。
あのお嬢さんも私の姿を真似た何者かに操られているのでしょうから心配なのですが…。 」

 紅村旭は生徒のひとりである夕紀のことを案じていた。
もとはと言えば旭のところへお稽古に来ていて捕えられ洗脳されたのだから…。

 この夏に妙な現象に出会って青い顔して訪ねて来たふたりに、西沢は今この地球に起きていることを話して聞かせた。 

 自分たちが相手にしているのが自分たちの産みの親であるエナジーであること…そのエナジーには人のように意思があること…直面している滅びの危機…そうした内容のことを隠さずに話した。
 陽の気と陰の気から啓示を受けたというふたりにはかなりの予備知識があったから、西沢の理解することはそんなに難しいことではなかった。

 それ以来…何かと協力し合っている。
旭も桂も能力者としては単独と言ってもよく古い家門の出身ではないことから、御使者の件について西沢からは話すことはなかったが、それでも能力者仲間からの情報で御使者と呼ばれる能力者が動いていることくらいは知っていた。
おそらくは西沢のことであろうとふたりとも薄々察している様子だった。

 「紅村先生…桂…お願いしたいことがあります。
戦って敵う相手ではありません…僕に何かあってもどうか僕のことは捨てておいてください。
僕を助けようとして無駄に力を使わないで下さい。

 僕のことよりも…でき得る限り早急に生き長らえる術を考えてください。
ご家族やお仲間の命を護るためには…どうすればよいのかを…。
 
 何より…絶対に生き抜いてください。 簡単に滅ぼされてはなりません。 
それが僕からのお願いです。 」

 三人が顔を合わせた折に…突然…西沢がふたりを前にそんなことを言い出した。
まるで遺言のようだ…と旭も桂も不吉なものを感じた。
 しかし、西沢はいつものように穏やかに微笑んで何ということもないような顔を見せていた。
 あまりに平然としているので、その時はふたりとも御使者のお役目とはそういうものなのか…とも思ったりしたのだが…。



 今から店に向かいます…と谷川店長宛に亮とノエルから電話が入ったのは昼過ぎのことだった。
 午後の講義がひょっとしたら休講かもしれないので、そうなったら電話をくれるという約束がしてあったからだった。

 時計を見るとすでに5時を過ぎている…。
店の方には取り敢えず休暇中の弟に応援を頼んだが、谷川はひどく不安な気持ちになっていた。
 事故にでもあったのではないか…。
何もなければ…ふたりが同時に消えてしまうなど有り得ない。
これまでふたりが無断で仕事をサボったことなんて一度もなかった…。

 それに…と思った時、足を引き摺った男の子が店の中へ転げ込んできた。
男の子はあちらこちら怪我をしているようだった。

 「店長さん! 亮が…ノエルが…! 」

谷川は慌てて傍に駆け寄った。谷川の弟も急いで寄って来た。

 「きみどうしたの? 何があったの? きみは誰? 」

男の子の両肩に手を掛けながら谷川は訊ねた。

 「僕…島田直行…ふたりの友だちで…す。
連れて行かれたんです…ふたりとも…僕を助けてくれて…代わりに…。 
西沢さんに電話した…けど…通じなくて…。 」

 谷川はすぐに受話器を取った。電話はすぐに通じた…が出たのは帰宅したばかりの滝川だった。
滝川は西沢に携帯で連絡を取りながら書店へと素っ飛んで来た。

 「直行! どうしたんだ? 何があった? 」

 書店に着くや否やバックルームで待っていた直行に飛び掛らんばかりの勢いで滝川は訊ねた。

 「ああ…滝川先生…ノエルと亮が…攫われた…。 」

 直行は顔見知りの滝川を見てほっとしたのか少し涙ぐんだ。
駅のところで…夕紀に呼び止められて…話があるからって…。
 夕紀が普通じゃないってことは分かってたんだけど…でも…でも…やっぱりほっとけなくて…ついて行ったんだ…。


 夕紀の後についていく直行を目撃した亮とノエルは秘かに跡をつけた。   
案の定…直行を捕まえるために何人かの大人の能力者が現れた。

 直行ってやつはつくづく狙われやすい男だ…と亮は思った。
ところが…狙われていたのはノエルと亮の方だった。
直行を囮にしてノエルと亮を誘き出す…夕紀は恋人をそんなことにまで利用した。

 直行が痛めつけられているのを見れば亮やノエルが止めに入らないわけがない。
そう考えたのだ。
 大人の能力者の中には旭の顔をしたエナジーが混ざっている。
エナジーが相手では如何に喧嘩の強いノエルでも敵うわけもない。
あっという間に捕まってしまった。

 捕らえられたノエルを亮は必死に取り返そうとした。
しかし…ノエルでさえ歯が立たないものを亮に勝てるわけがなくあっけなくふたりとも倒されて連れて行かれた。

 後に残された囮の直行はその場でしばらく伸びていた。
気が付いてすぐに西沢に連絡しようとしたが通じず…挫いた足を引き摺って駅に向かい、何とか書店まで辿りついた。


 滝川は一部始終を携帯で西沢に伝えた。
西沢が亮とノエルを捜しに行くと言うので滝川もすぐに跡を追うと伝えて携帯を切った。

 「谷川さん…悪いが至急西沢本家や滝川本家に連絡を取ってください。
できれば…有さんにも…。 
 至急…警戒態勢に入るようにと…そうすれば滝川本家がすべての家門に連絡を取ります…。
 直行を西沢本家に連れてって頂けると有り難いが…。
直行…おまえは島田の克彦さんと宮原の長老に連絡を取れ…。 」

 分かりました…と谷川店長は頷いた。直行は不思議そうに店長を見た。
店長はちょっと微笑んだ。
僕も西沢や木之内と同じ一族だよ…と直行を安心させるように言った。

 滝川は急ぎ書店を飛び出した。
亮やノエルのことも心配だったが…自虐傾向のある紫苑のことが案じられた。
紫苑…無茶するなよ…。
そう胸のうちで呼びかけながら直行から聞いたふたりの誘拐現場へと向かった。





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