徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

最後の夢(第四十三話 昭二の死)

2005-11-29 22:52:03 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 鈴の部屋で着替えや洗面具などを手早く鞄に詰めていたはるは心配していたことが現実になって少しばかり気落ちしていた。

 何だか御腹が張るような気がすると鈴が言い出したのは夕べのことだった。
たいしたことはなさそうだったので部屋を冷やさないように気を使い、できる限り安静にさせておいたがその甲斐もなく、今朝、鈴はまた入院してしまった。
 しばらく良好だった体調がやはりあの戦いで無理をしたのが今になって響いてきたらしく突然出血してもとの病院に運ばれた。

 鈴のことが心配で付き添ったのは雅人ではなくて西野だった。
雅人も史朗もちょうど留守をしている時で、他に付き添える者がいなかったこともあるが…それよりも西野は鈴の体調が崩れてしまった原因は自分にあると責任を痛感していた。
 西野を助けるために戦ったことが御腹に影響したかも知れないというので申し訳なさでいっぱいだった。

 その日病室には急を聞いて後から駆けつけた雅人・史朗・修が次々と現れ、産科の病室とは思えないほど男ばかりが雁首揃えていた。
 つまり産科においては付き添いの役にも立たない連中が集まっていたわけで、検温に来た看護婦はいったい何事かと驚いていた。

 点滴で一応症状の安定したところで男たちは引き上げ、鈴にとってはまた流産との長い戦いの幕開けとなった。



 「鈴さん大変だなぁ…。 雅人…あんた傍にいてあげなくていいの? 」

真貴は久々に顔を合わせた雅人を睨んだ。
このところあまりにいろいろあったのでほとんど真貴とは会っていなかった。

 「時々会いには行ってるけど…ああいうところにはとても長時間いられないって…何か女ばっかりで人目が気になってさ…。
おまえが一緒ならいいけどな…。 」

 はぁ…?と真貴は顔を顰めた。

 「あほ! あたしが行ってどうするのよ。 
よく考えてものを言いな雅人! 鈴さんの具合がもっと悪くなるじゃないよ。」

あ…そうか…と雅人は頭を掻いた。笙子さん的な感覚じゃだめなんだ…と思った。

 「ごめん…笙子さんなら平気だもんで…つい…ね。 」

真貴は肩を竦めてやれやれというように首を横に振った。

 「笙子さんは人類皆恋人…あのグレートマザーの感覚には誰もついてけないっての。
物好きは修ちゃんくらいなもんよ…と…もうひとりいたか…史朗ってのがさ。」

 おっしゃるとおりです…と雅人は頷いた。
あんたも同類だけどね…と真貴は胸の内で秘かに思った。
 


 頼子の身体につけた護りの印は幸いなことに今のところどれも反応しなかった。
これまでのところ彼女は無事に毎日を過ごしているようだ。
それは取りも直さず頼子が誰にもその不安を話していない証拠だと考えていい。

 頼子が気付いたこの事件の妙な部分…誰もが久遠の幸せを願いながら久遠のために動いているのに、動けば動くほど結果的に久遠を不幸に陥れてしまう。
しかもそれと分かっていながらやめようともしない。

 久遠に会いたい…と修は思った。会って確かめたいことがあった。
昭二や敏が何者かに操られているとすれば、その何者かの正体は久遠と瀾の消された記憶の中にあるのではないか…と考えていた。

 久遠はあれほどの力を持ちながら無抵抗で記憶を消されている。
相手がいかに信じて止まない伯父だとは言っても、修ならその封印を解く鍵を事前に仕込んでおく。
 それができなければ消された振りをして過ごす。
瀾が記憶を消されたのはほんの幼い頃だが、久遠はすでに透くらいの齢にはなっていたからそのくらいの知恵も能力も十分あったはずなのだ。

修…と笙子に声をかけられてはっと我に返った。

 「城崎さんよ。 」

 そうだった…。今日は城崎が来るというので早めに仕事を切り上げてきたのだ。
祭祀舞に興味を持った瀾が史朗の許で勉強したいと父親に話したらしく、城崎はその祭祀舞がどんなものかを確認したいと言い出した。
史朗と彰久だけでは城崎と接点が無いため修が立ち会うことになったのだった。

 城崎はいつものように低姿勢で修に挨拶をした。
城崎の後から若奥さま風の和服に身を包んだ頼子がついてきていた。
城崎が頼子を紹介すると笙子があら…と親しげな声を上げた。

 「笙子姉さん! 」

 頼子が驚いたように笙子を見つめた。
修が訝しげな表情を笙子に向けた。

 「いつもね…美容院で一緒になるの。 私たち相性いいのよ…ねえ…頼ちゃん。
あなたの旦那さまって城崎さんのことだったのね。 」

 笙子はそう言って艶然と微笑んだ。
頼子もにっこり笑った。
 参ったわ…笙子姉さんのご主人じゃどうしたって諦めるしかないじゃない…と胸の内で思いながら…。

 「これは奇遇ですな。 」

事情を知らない城崎は上機嫌で言った。

 笙子の今カノ…何てことだ…修は天を仰いだ。
頼子から記憶を消していないということは笙子がかなり頼子のことを信用して可愛がっているからで、つまりはまだ…切れていないということなのだ。

 とにかく今日は瀾の話だ…修は気を取り直して城崎を修練場に案内した。
修練場では瀾と隆平がすでに彰久と史朗から指導を受けていた。
厳しい指導の声が絶えず修練場に響いていた。

 父親と内妻が姿を現したのを見て、瀾が一瞬そちらの方に気を向けた。
途端に史朗がピシッと瀾の腿の上を叩いた。
それほど痛みは無いものの瀾の気を集中させるには十分だった。
  
 紫峰家で暮らすようになってから瀾は急激に大人びてきた。
ここには同年代の友人も何人かいてお互いに刺激し合いながら切磋琢磨している様子が窺えた。
 城崎の家にいては持て余すだけの飾り物だった力も使い方だけでなく禁忌をも学び、長としてあるべき姿を叩き込まれているようだった。

 宗主に預けたのは間違いではなかったと城崎は思った。
本来ならば自分が伝えねばならぬことだが、どうしても躊躇いが生じてこれまでに至ったことを恥じ、城崎は心の中で宗主に手を合わせた。

 やがて切りのいいところで彰久と史朗は城崎の父親と対面し挨拶を交わした。 
このふたりの師匠の飾り気の無い誠実さと舞に対する真摯な姿勢に城崎は少なからず感動を覚えた。
 城崎は礼を尽くしてこのふたりの若い師匠に息子のことをくれぐれもと託した。
彰久も史朗もほっと胸を撫で下ろした。

が…それも束の間城崎はとんでもない事を言い出した。
 
 「こちらの…お嬢さんに舞を…? 」

 そう…頼子にも舞を習わせたいと言い出したのだ。
彰久と史朗は戸惑って顔を見合わせた。
 瀾のように日本舞踊の素養があるわけでもなく、他の舞を経験したこともなく、だいたい頼子本人が舞に興味を持っているとは思えない。

 考えあぐねて修の方を見ると何かわけありの様子で渋い顔だ。
笙子だけがにこにことしている。
考えていても仕方がないので彰久が提案した。

 「分かりました。 瀾くんたちと一緒というわけにはいきませんが…そうですね…一般の方たちの稽古日に試しにご参加下さい。
 初心の方は今のところひとりもおられないので少し大変かも知れませんが、一応試してご覧になられて…ついていかれそうであればお引き受けいたしましょう。」

 史朗もその案に賛成した。城崎も嬉しそうにそれで十分だと納得した。
頼子はどうしていいか分からずに手をついて深々と頭を下げた。

今後のことでひとしきり挨拶が終わると城崎は頼子を伴って紫峰家を後にした。

 「修さん…。 どうなさったんです? 浮かないお顔で…。 」

稽古の後のお茶の席で彰久がそっと修に訊ねた。
 
 「どうにもこうにも…彰久さん…あの女性は笙子のお手つきでしてね。
僕としては距離を置きたい存在です…。 」

 彰久も史朗も思わずくすっと笑い声をもらした。
本当に困ってるんですからね…と修は嘆いた。

 「また寝込みを襲われる虞があるわけですね? 」

 彰久は史朗の方をチラッと見ながら言った。
あれは…笙子さんの悪戯で…と史朗が赤くなりながら弁解するのを修は自嘲的笑顔で以って答えた。

 「まさにその悪戯が心配なわけでして…。 
史朗の場合は史朗自身を良く知っていましたから僕も驚いただけでしたが…。
 あの女性のことは良く知りませんし…。 
ま…考えても仕方ありませんね。 
笙子が僕に悪戯を仕掛けてこないことを祈るだけです。」

 どこか切なげな溜息をついて修は苦笑した。 
いつも悩みの絶えない修の心情を思うと彰久は妻の玲子が普通の女性であることに感謝した。
何しろ玲子は笙子の実の妹なのだから…。



 見張られているとは言っても久遠は屋敷の中にばかりじっとしていられるような有閑層の人間ではなく仕事にも出かけなければならないわけで、鬱陶しい見張りをお供のように引き連れて経営している幾つかの店を回り売上状況などを確認した。 
 どの店も従業員が頑張ってくれているお蔭かこの不景気にしてはまあまあな状況で、重苦しい空気の中で少しだけほっとした気分になった。

 ショッピングモールの中にある最後の店を回り終えて駐車場の方へと歩いてきた時、後方の買い物客の間から悲鳴が上がった。

 驚いて振り返ると久遠に向かって昭二がよたよたと歩いてくるのが見えた。
昭二の身体からはぼとぼとと血が滴り落ちていた。

 久遠の顔を見ると昭二は何か言いたげに手を伸ばし口をパクパクさせたが声にはならなかった。

久遠は昭二の方へ駆け寄った。

 「昭二! 昭二! どうしたんだ? 何があったんだ? 昭二! 」

昭二は久遠が差し出した腕の中へと倒れこんだ。

 「昭二! しっかりしろ! 」

 久遠は何とか回復させようと力を使おうとした。
昭二は久遠の腕を掴み首を横に振った。だめだと言っているようだった。
 昭二の苦痛と涙に歪んだ顔がやがて久遠に微笑みかけた。
そのまま昭二は目を閉じ…二度と開くことはなかった…。

 真昼のショッピングモールに久遠の昭二を呼ぶ声が響き渡った。
何度も…何度も…。 
 
 



次回へ


最後の夢(第四十二話 分裂する心)

2005-11-28 22:41:12 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 頼子が久遠の伝言を昭二に伝えたせいか、昭二が自分たちの行動に戸惑いを感じているせいかは分からないが、しばらくは何事も無い日が続いていた。

 倉吉と岬ならすぐにでも昭二たちの気配を感じ取るだろうが、あまり日を置かずに昭二たちを刺激すると頼子が警察に知らせたように思われてしまう虞がある。
 頼子は久遠から居場所を聞いたのだが昭二が久遠を疑うわけもなく、疑われるのは彼女だけなのだ。

 修は倉吉にできるだけ警察の他の同僚と歩調を合わせてゆっくり行動してくれるように頼んでおいた。
 また彼女が何者かに狙われる可能性もあるのでそれとなく気にかけておいて欲しいとも話しておいた。

 取り敢えずはあの健気な花の身の安全をできるだけ確保しておいてやらなければ…と修は思っていた。
 あの若さで散らすには勿体ない花だ。
おそらく城崎があの娘の美質を見出してさらに磨きを掛けているのだろう。
頼子もまた将来が楽しみな原石…どんな光を放つことか…。 



 鬼面川本家から派遣されてきた小峰康弘とそのふたりの息子健太と雄太が初めて紫峰家の門を潜った。
 出迎えに出た隆平とふたりの従兄は久々の再会を喜びあった。
従兄たちがこちらの大学の大学院に通っていることは聞いていたが、少し離れた町に住んでいるため、こちらに来てからはまだ一度も顔を合わせていなかった。
積もる話は後にして隆平は三人を修練場へと案内した。

 小峰の家は鬼母川でありながら紫峰の血を引いている。
隆平の実の父親孝太も育ての親隆弘も小峰の血で繋がった紫峰の子孫である。

 そのためかどうか分からないが康弘は紫峰の祈祷所の中に一歩踏み入れた瞬間にどこか懐かしいものをを感じた。

 祈祷所の中にある修練場では鬼母川の主流でいまは木田姓となったふたりの祭祀伝授者が彼らの到着を今か今かと待ち侘びていた。
 康弘には何度か鬼母川の宴席で会ってはいるものの、まさかこういう付き合いになるとは考えても見なかった。

 お互いに丁寧な挨拶を交わしているところへ修が一左と瀾を伴って表れた。
史朗が瀾をスカウトしたことを聞いた修は瀾に史朗たちの祭祀舞を見せておこうと考えた。
 
 皆が座につくと先ずは息子たちも舞えるという『初春(はつはる)』からということで小峰の三人が先に立った。

 彰久と史朗が真剣な眼差しで三人の動きを追った。
千年の歴史を持つ鬼面川本家主流の最後の伝授者である先々代が亡くなってから長い歳月途絶えてしまっていた祭祀舞がいま伝授者以外の舞い手によって再現されようとしている。

 正直、祭祀伝授者ではないということで彰久も史朗も大きな期待はしていなかったが、康弘はさすがに先々代から直接教わっただけのことはあって期待をはるかに上回る素晴らしいできであったし、息子たちもまだ未熟ではあるが厳しく仕込まれたと見える美しい舞を披露した。

 三人が舞い終えると彰久と史朗が立ち、同じ『初春』を舞って見せた。
康弘はこのふたりの伝授者の舞に痛く感動を覚えた。

 先々代の舞も幼い折に見ただけのものが今でも目に焼きついて離れぬほどの巧みな舞い手であったがこれはそれ以上と思った。

 康弘が先々代から舞を仕込まれたのはまだほんの小さな頃で、よくもまあこんなに長い間36の舞を忘れずにいたものと思えるくらいはるか昔のことだ。
 先々代が亡くなってからも時々兄隆弘と稽古をしたり、自分なりに好きで舞い続けてきたせいで何とか覚えていたのだろう。

 再び三人が立ち『夜桜』を舞った。
熟練を要する舞のひとつで長年舞い続けている康弘はこれも難なく巧みにこなしたが、息子たちはただ正確に舞っているだけという感じを受けた。

 続いて彰久と史朗の『夜桜』は見る者を本物の夜桜の情景の中に引き込むかの如くに思われ、夜の桜の持つ魔性のような妖しさと美しさを感じさせるものだった。

 康弘も息子たちも総毛だった。
これが伝授者の舞なのだと改めてその表現力に畏敬の念を抱いた。

 その後『玉虫』『蛍』などを舞い比べ所作に間違いが無いかどうかを確認した。
概ね所作に誤りは無く、細かいところで少しずつ狂いが生じている部分を直した。

 彰久も史朗も考えていた以上に康弘の舞が正確なことに驚いた。
先々代は…つまり自分たちの会ったことのない祖父は素晴らしい伝授者だったのだと始めて思い知らされた気がした。
 
 36の舞い全部を一度や二度の集まりで確認し合うのはとても無理なので、可能な限り毎月集まろうと相談しているところへ、何を思ったか瀾が人の輪を離れて修練場の中ほどで舞いだした。

 皆の目がいっせいに瀾の方へ向けられたが瀾は気にもかけず、半ば目を閉じ思い出し思い出ししながらあの難しい『夜桜』を舞った。

 史朗と彰久は思わず顔を見合わせた。
ところどころ間違いはあるものの大方の筋は掴んでいる。恐るべき記憶力だ。
しかも、史朗の舞を見覚えたものと見えて史朗の舞の特徴を捉えていた。
 今はまねでもそのうちに自分独自のフォームを作り出すだろう。
史朗だけでなく彰久も瀾を舞の伝授者のひとりとして育ててみたいと考えた。

 瀾としては初めて彰久と史朗の舞を見て身の内から震えが来るほどに感動を覚え、自分も舞ってみたいと感じて自然に身体が動いただけのことだった。

 鬼母川の舞を楽しんでいた一左が何事か修に耳打ちした。
修も同意するように頷いた。
 一応覚えているところだけ舞い終えて戻ってきた瀾に一左が本格的に祭祀舞を習ってはどうかと勧めた。
 もし瀾にその気があれば隆平と一緒に稽古をすればいいとも言った。
隆平もそれを勧めたが瀾はまだ何とも決めかねている様子だった。



 先に寝入ってしまったかのように見える城崎の布団を優しく掛け直してやってから頼子はぼんやりと物思いに耽っていた。
 今さっき城崎の腕の中で満たされたその時にさえ、思い出しちゃいけないと思いつつも頼子に向けられたあの優しい微笑が忘れられなかった。

 あんな格好で訪ねて行って…あの人はきっとあたしのことを軽蔑したろうな…と今更ながらに悲しく思った。
   
 城崎や久遠のことは命に代えても護りたい大恩人で心から敬愛しているけれど、この父子には感じたことのないまるで初恋のようなほんわかとした想いが頼子の中に芽生え始めていた。

 それにきっと坊やからあたしの悪口はいっぱい聞かされてるだろうしね…。
今まで頼子の歩んで来た道…好きでそうした訳じゃないけれどやっぱり自慢できるものではなかった。

頼子はふうっと溜息をついた。

 「どうしたね? 」

城崎が可笑しそうに頼子の様子を見つめていた。

 「起きてらしたんですか? やだ…あたしったら溜息なんかお聞かせして…。」

頼子は恥かしそうに俯いた。

 「おやおや…さてはどこぞの殿御に惚れたか…? この頼子がなぁ…。 」

 城崎は声を上げて愉快そうに笑った。
からかっちゃ嫌ですよ…と頼子は城崎を睨んだ。

 「はは…すまんすまん。 頼子…いつも言っていることだが…おまえは若いんだから良い男がいたらいつでもここから嫁いで行けばいいんだぞ。 
いつまでもこんな爺さんに付き合っとらんでいいからな…。 」

 城崎はそう言ってまた笑った。
助けてもらった恩もあって頼子は城崎の内妻になっていたが、城崎は彼女に執着している訳ではないらしく、むしろ頼子の方が城崎に義理立てして離れないでいるようなところがあった。

 「だめなんですよ…超がいくつもつくほど高嶺の花なんで…あたしの片思い…。立派な奥さんがいるらしいし聞いたところじゃ物凄い愛妻家だってことで…どうしようもありゃしませんて…。 」

 頼子は自嘲するように笑った。
そうか…と城崎は頷いた。

 「ちょっとした遊び相手くらいなら可能性があるかも知れんぞ。
ま…そんな立場はご免だろうがな…。 」

 そう言って頼子を見た城崎は、それでもいいと言いたげな様子にこれは完全に草津の湯だ…と思った。
 草津の湯なんて今時の若い者には分からないだろうが恋の病の深さを詠った都々逸があるのだ。
 その男に口を利いてやろうか…と城崎は言ったが、頼子はただ首を横に振って笑うだけで何処の誰とも白状しなかった。



 どうすれば…誘き出せるか…? 紫峰家の屋敷はますます警戒を強め簡単には入り込めないし入り込んだが最後出られない…。
 目的さえ果たせれば出られないのは構わないとしても強力な能力者ばかりが住んでいるこの屋敷では爛を殺せそうもない。

 瀾を殺す…敏は何かに憑かれたようにそのことばかりを思っていたが昭二の方は困惑していた。
 久遠が望んでもいないのに瀾を殺す…城崎の長が悲しむのに瀾を殺す…それが本当に城崎家のためなのか…?
 瀾を殺すことに成功したとして昭二と敏が警察に自首すればそれで済むことなのだろうか?
 久遠にすべての疑いが向けられたりはしないだろうか?

 思い返してみれば…なぜ敏は昭二を脱走させたのだろう…?
ひとりよりふたりの方が成功する確率が高いと考えたのか…?
昭二の方が能力的に優れているからなのか…?

 勿論…昭二はやるとなったら敏には手を汚させまいと決心していた。
自分ひとりが責めを負う覚悟はできていた。
それもすべて久遠のため…城崎の長のため…。
 しかし…かえってそれが久遠や長を苦しめることになるのでは何の意味もないではないか…?

 昭二は自問自答を繰り返していた。
ところが昭二の中にはもうひとりの昭二がいて絶えず瀾を殺せと命令する。
城崎家の安泰を図るためだ…。久遠を城崎に帰すためだ…。
仲のいい久遠と長の幸せのためだ…。愚か者を消せ…!

 おまえは本当に俺か…?
昭二はそうも問うてみた。しかし自分に命令しているのは自分自身より他にあるわけもなく返事のあろうはずが無かった。

 徒に過ぎていく時間の中でいつこの隠れ家が警察に見つからないとも限らず昭二は焦っていた。
 焦れば焦るほど戸惑いも増していった。
本当は誰のために瀾を狙うのか…何のために殺そうとしているのか…?

 真っ二つに分かれた昭二の心が踏み出せない一歩を模索していた。





次回へ 



 




最後の夢(第四十一話 淫の花)

2005-11-26 15:53:16 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 歓迎されるとは思っていなかったものの自分を見る周りの目があからさまに驚きの色を呈していて頼子はひどく居心地の悪さを感じていた。
 
 着替えてくればよかった…と頼子は思った。
座敷の襖が開いて紫峰の宗主が一歩中へ踏み出そうとした時、明らかに一瞬の躊躇いがあったことを感じ取った。

 夜の街で客を物色中とでもいうような出で立ちに宗主も唖然としたのだろう。
しかもこんな夜中に突然押しかけてくるような不躾な事をしているわけだから。
それでも頼子の前に腰を下ろして頼子の挨拶を受けてくれた。
まあ…修とすれば思いっきり寝過ぎて眠れない夜ではあったが…。

 「どうしたのですか…? 随分と急なご来訪で…城崎さんに何か? 」

 修は怯えているような頼子の様子を見てできるだけ優しく声をかけた。
頼子はまだ少し迷っていたがいきなり平伏した。

 「宗主さま…お願いでございます。 頼子に力をお貸し下さい。 」

ミニタンクトップの胸元からFカップがちらりと覗いて修は目のやり場に困った。

 「どうにもおかしいんです。 
昭二も敏も旦那や久遠さんが不利になるような行動ばかり…それも好き好んででやっているわけではないのです。
まるで何かに操られているようで…。 」

 頼子は真剣な表情で修に訴えた。
超ミニから伸びやかな2本の網タイツの足が窮屈そうに正座をし、今にもその間が見えてしまいそうで…悩ましい。
修は手で彼女の言葉を制しておいて襖の向こうに声をかけた。

 「誰か…この寒そうなお嬢さんに何か持ってきてくれ…。 」

 ちょうど透がバイトから帰って来たところだったので、はるは透に超特大のトレーナーを渡してよこした。

 雅人のデカトレだ…あいつ怒るぞ…。できるだけ雅人の目に触れないように後ろに隠し持った。
 座敷の襖のところで、中の様子を窺っている他の三人と合流した。

 襖を明けるとみんな揃って固まった。
恐るべき香水の香りに包まれた眼の保養…いやさ毒の花がそこに居た。

 「何で…ここにいるのさ? 」

気を取り直した瀾が怒ったように言った。

 「瀾…しばらく黙ってなさい。 透…そのトレーナーをお嬢さんに…。」

 透は頼子に雅人のデカトレを渡した。
修はそれを着るように促した。頼子は丈の短いのジャケットを脱ぐとタンクトップの上からそれを着た。
雅人は一瞬あっと思ったが…チラッと見えたFカップに免じて許してやった。

 頼子は着膨れのサンタクロースのようになりながら、それでもどこかほっとした顔をしていた。

 「最初は久遠さんのためにと考えて始めたんだと思います。
久遠さんを城崎の家へ帰すためには坊やが邪魔だと感じたのでしょう。

 でも久遠さんは坊やのことを愚かとは思っても殺そうなんて考えてもいません。
久遠さんにとっては可愛い弟なんです。

 それなのに昭二たちの行動はどんどんエスカレートしてしまって…。
昭二たちだって分かっているはずなんです。

 このままじゃ久遠さんの立場が悪くなるばかり…かえって苦しめる結果になるんだってことも…。
現に警察が久遠さんに目をつけ始めて久遠さんは全く動きが取れない状態だし…。

それなのに坊やを狙うことを止められないんです…。 」

 頼子の大きな目が縋るように修を見つめた。
修はしばらく何かを考えていたが思い出したように頼子に訊いた。

 「確か…あなたは樋野の出でしたね? 
樋野の家についてあなたが知っている限りのことを教えていただけませんか? 」

頼子は何から話そうかと考えているようだったが、やがて淡々と話し始めた。

 「樋野の出とは言ってもあたしは代々樋野の下働きをしていた家の者ですからそんなに詳しくは分からないんですが…。

 樋野家は城崎家に代々使えていた家来みたいなものだったと聞いています。
明治くらいの時に城崎家から独立して商売で成功したようで今でも結構羽振りがいいみたいですけど…。

 久遠さんの実のお母さんと旦那が出来ちゃった時に城崎の先代や一族の人が樋野を身分違いだとさんざんに貶して結婚を認めなかったって話で、今でもそのことを恨んでいる人がいるらしいです。

 でも…旦那本人や久遠さんを悪く思っている人は聞いたことがありません。
特に久遠さんのことはかえって頼りにする人もいるくらいで…。 」

 頼子は話し終えると緊張したのか喉が渇いたようで出されてあったお茶を一気に飲み干した。 

 「樋野のご本家はどうですか? ご本家は随分久遠を可愛がっていたようだと聞いていますが…。 」

さすがに咽て小さく咳払いしてから頼子は答えた。

 「本家の旦那は久遠さんの実の伯父ですから亡くなった妹の代わりにそりゃあもう可愛がったそうです。
 でも本家の奥さんは結構久遠さんを邪魔にして意地悪してたみたいですよ。
久遠さんは何も言いませんが…あたし久遠さんちの賄いの佳恵ちゃんと仲良しだもんで昭二たちが零していたのを佳恵ちゃんから聞いたことがあります。 」

 頼子が知っているのはそのくらいで久遠を取り巻く細かな人間関係までは分かりかねるようだった。

 頼子の勘が中っているなら、昭二も敏も自分の意思とは関係なく、誰かにそうしなければならないと思い込まされて爛を狙っていることになる。
しかもそれがあたかも自分の意思であるかのように錯覚させられている虞がある。

 長年離れて暮らしている城崎の長はともかく、もし頼子が正しければ久遠がなぜそのことに気付かないのだろうと修は思った。

 「あなたを疑うわけではないが紫峰としては他家の騒動にそう簡単にこちらから首を突っ込むことはできない。
 城崎の長や久遠の直接の頼みであれば立ち入ることもできようが…何の依頼もないままに勝手に他家の敷居を越えて行動することは許されない。
それが暗黙のルールだ。 」

 頼子は宗主の答えを聞いてがっくりと肩を落とした。
それは確かにそうなのだ。頼子が助けてくれと頭を下げたところで、城崎の長や久遠が紫峰の介入を嫌えば紫峰としてはどうしようもない。

 けれどもこの件については長も久遠もまったく気付いていないわけだし、頼子としては他の誰を頼る訳にもいかないのだ。

 「お嬢さん…このことは決して口に出してはいけませんよ…。
昭二とか敏とかいう者たちにもこれ以上近づかないこと。
 あなたがこの件の異常さに気付いてしまったことを敵に知られてしまうとあなたの命も危なくなりますからね。 」

宗主は気落ちしている頼子に釘を刺した。

 「あたしの命なんてどうということはないけれど…旦那や久遠さんの命は他のもんには代えられない。
 おふたりの身にことがあれば城崎はおしまいだもの…。
何にも知らない甘ったれの坊やひとりじゃ背負っていくものが大き過ぎる…。 」

 頼子は悲しげに呟いた。
それまで憮然としていた瀾が驚きの表情で頼子を見つめた。
頼子が城崎の家の行く末をこれほど案じてくれているとは思ってもみなかった。
 瀾の知っている頼子は如何わしい仕事をしてきた破廉恥な女で男と見たら誰でも銜えこむ淫乱…それが興信所の報告だった。

 いま目の前にいる頼子は城崎の長と久遠とを護ろうとする報恩と忠義に満ちた健気な娘だった。

 「あたしを助けてくれるように旦那に頼んでくれたのは久遠さんなんです。
あたしが家の借金のせいであっちこっちに売り飛ばされるもんだから、佳恵ちゃんが何とかしてやってくれって久遠さんに話したもんで。

 久遠さんが直接援助するとまた樋野の目が煩いから旦那が代わりに…。
あ…久遠さんとあたしは別にそんな仲じゃないですからね。
旦那とはご存知のとおりですけど…。 」

 頼子が城崎親子のことを思う気持ちに偽りのないことは誰の眼にもはっきりと分かった。
 悩殺ボディの淫の花の真心は修の知っているどの女性に勝るとも劣らないほど純粋なようだ。

 「安心なさい…城崎さんや久遠に何かことが起こるとすれば、それは瀾が誰かに殺された場合です。
瀾が無事であればふたりに害が及ぶことはないはずです。
 瀾のことは城崎さんからも依頼を受けていますし、今までどおり紫峰が全力を挙げて護るつもりです。

 それよりも心配なのはあなたの方だ。
相手も能力者ならあなたが普段と違う行動に出たことはすぐに察知するでしょう。
あなたの命だって城崎さんや久遠と変わりなく大切なものなのですよ。 」

 宗主はそう言って頼子に優しく微笑みかけた。
頼子の頬がうぶな娘のようにぽっと染まった。
 宗主は頼子を手招きすると後ろを向くように指示した。
頼子は宗主のすぐ前まで進み出ると背中を宗主に向けた。

 「おまえたち彼女に護りの印を…。 」

 瀾の目の前で不思議な光景が繰り広げられた。
紫峰の三人の息子が頼子の背後に集まった。

 「いまからあなたの身体に紫峰の護りの印を与えます。
これはあなたに危険が迫った場合に我々にそれを知らせるもので、その印自体があなたを助けるというものではありませんが何かの時には役には立つでしょう。
少し触れますが許してください。 」
 
 透が先ず頼子の背中の右の肩甲骨辺りに中指と人差し指を当てた。目を閉じて何事かを念じているようだった。
やがて何か小さな光のようなものが頼子の中に吸い込まれたように見えた。
 交代して隆平が反対の左側に、さらに雅人が中央にそれぞれの護りを印した。 
最後に宗主が頼子を自分の方に向き直らせるとその額に宗主の護りの印を刻んだ。

 「これで何事かあれば我々4人のうち誰かが知らせを受け取ります。
けれどもすぐに動けるわけではありませんからくれぐれも無茶はしないで下さい。
即死状態のあなたを助けることはできませんからね。 」

頼子は深々と頷いた。

 「雅人…はるに部屋を用意させなさい。 今から帰宅では道中が危険だ。
お嬢さんにはお泊り頂こう。 」

雅人ははい…と返事をすると座敷から出て行った。

 「あ…あたしなら大丈夫。 昼間より夜の方が得意な人だから。 」

 透が思わず噴出した。頼子は何事か分からず皆を見回した。
隆平も笑いを堪え何とか咳払いで収めた。瀾だけがまた憮然とした顔をしていた。


 
 しんと静まり返った紫峰の母屋にある客間の布団の中で頼子はひとり宗主の言葉を思い出していた。
ひとつは瀾が無事である限り城崎の長や久遠に害は及ばないという言葉の意味…いまひとつは頼子の命もふたりと変わりなく大切だと言ってくれたこと…。

 城崎の長に拾って貰うまではいつもゴミやくずのように扱われてきた頼子にとって、それは長や久遠以外の他人から初めて聞かされた誠意ある言葉だった。
 あたしをちゃんと人間として扱ってくれたんだ…と頼子は思った。
宗主を信じてみよう…。だって他にどうすることもできないんだもの…。
 
 そう決心して頼子は眠りについた。
朝の早い紫峰ではそれほどゆっくりとは眠ってられない時間ではあったけれど…。





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最後の夢(第四十話 懸念と疑惑)

2005-11-24 20:50:59 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 あれから何度かトランス状態に陥って修を操り水分の補給をさせた。
黒田がなぜ直で修を操らないのかが不思議だった。
 ひょっとしたら遠距離の場合黒田は無線LANのアクセスポイントのようなものがないと巧く操作できないとか…?
僕はルータか…そんなことを考えて史朗はやれやれというように頭を掻いた。

 「史朗ちゃん…面倒かけてごめんね…。 」

 仕事を終えた笙子が部屋に入ってきた。もうそんな時間か…と史朗は思った。
今日は史朗が休暇をとって笙子の代わりに修についてくれたので、笙子はそのことを申しわけなく思っているようだった。

 「いいえ…笙子さんはそのうち産休取らなきゃいけないし、休めないでしょう。
このところ北川くんたちが頑張ってくれてますから僕も休み取りやすいですよ。」

 そう言って史朗は部下を立てた。
あなたって人はどんな時でも周りに気を使ってるのね…と笙子は苦笑した。

笙子が顔を覗き込むと修は薄目を開けた。

 「やあ…久しぶり…笙子…。 」

半分寝ぼけたように修は言った。

 「眼を覚ましたわよ…史朗ちゃん。 
修…困った人ね。 みんなすごく心配したのよ。
何にでも興味を持つんだから…。 危ないから薬だけは二度と試さないでね。 」

 笙子はそう言って修を睨んだ。
修は悪戯っぽくにんまりと笑った。

 「間違えて原液を飲んじゃったんだ。久遠が一回分薄めといてくれたのにな。」

全然懲りてないわね…笙子はふうっと溜息をついた。

 「史朗は…? 」

笙子はさっきまで史朗のいた方を見たが史朗の姿は無かった。

 「いままでここに居たのに…。 
感謝しなさい…ずっと付き添ってあなたの世話をしてくれてたのよ。 」

 修はほんの少し固い表情を見せた。
二番目の…史朗の中にはまだそんな鬱屈した想いがあるのかもしれない。
それは修たち夫婦の傍にいる以上は生涯消えることの無い想いかもしれないが…。



 縁側に腰を下ろして史朗はぼんやり東屋の方を見ていた。
何を考えるでも無くただぼんやりと…。夜の帳の中で外灯の光が滲んで見えた。

 「史朗さん…寒いのに何してんの? 」

 駐車場からこちらに向かって歩いてきた雅人が、不思議そうに声を掛けるとはっとしたようにその方を見た。

 「ちょっと気分転換してただけだよ。 バイト終わったの? 」

雅人は笑って頷いた。

 「今日…早番だったからね。 笙子さんが帰って来てるんでしょ? 
それで気を利かせて出てきたわけか…。
あんまり気を使わなくてもいいと思うんだけどね。 」

 史朗は黙って静かな笑みを浮かべた。
雅人はそっと史朗の横に腰を下ろすとゆっくりと話し出した。

 「あのさ…僕はいつも二番目の男なんだよ。
紫峰家の当主跡取りとしても二番目…修さんの息子としても二番目…。
宗主にはなれずに二番目の役の後見だ。 

 でもね…そんな僕にだけ修さんは弱い自分を見せる…。
僕は修さんにとって本音の吐き捨て場…。
だけどそれもいいじゃない? 二番目だけど一番重要でしょう? 」

 満面の笑みを浮かべて史朗を見た。
史朗は眼を見開いた。いつもながらこの子は凄い…。大人以上に大人だ…。

 「史朗さんの気持ちも分かるけど…僕に言わせれば史朗さん自身が一番史朗さんの立場を分かってないよ。
修さんにとって史朗さんは大事な宝物なんだよ。

 ほら…子どもの頃を覚えてない? 必ず傍においてた宝物があるでしょ。
タオルでも毛布でもぬいぐるみでも…人によって違うけれどそれが傍にあるとすごく安心できてよく眠れるとか…さ。
 
 もうひとつはね…持っているだけで心から満足できる宝物。
ビー玉かもしれないし…ただの石ころかもしれない。
机の中に大切にしまってある自分だけに価値のある宝物。

 修さんにはそういう宝物が必要なんだ。 
これまで大事なものをたくさん失い続けてきた人だから…。」

 史朗はこの時…鈴の気持ちが本当に分かったような気がした。
雅人という子は頭が切れて口は悪いけれど観察力や洞察力に優れ、他人の気持ちをよく把握した上で的確な判断を下す。

 しかも癒しの力を持っている。
相談相手のいない鈴が縋りたくなったのも当然といえば当然。

 史朗にしても最初は史朗が雅人の相談相手になっていたのになんとなく今は史朗の方が頼ってるような気がしていた。
 
 「僕は…修さんの一番大切なおもちゃに徹していればいいと…?
あ…別に悪い意味じゃないからね。 
安心できるお気に入りのタオルや満足できる石ころであればいいということ…?」

史朗が問うと我が意を得たりと雅人は強く頷いた。

 「勿論…一生もののね。 そこが重要…。 
そうなるかどうかはこれからのあなた次第。 磨くんだよ…あなた自身を…。
ただの石ころで終わるか…宝石になるか…できれば最高の宝石になって見せなよ。

 だけど万一失敗したって構わない。 修さんにとってそんなこと問題じゃない。
あなたの生きる姿そのものが修さんの楽しみ…喜びさ。 」

 生きる姿…史朗は雅人から大変な課題を突きつけられたような気がした。
けれどそれは雅人自身にも課せられた難しい宿題…。
もしかしたら修に関わるすべての人に課せられているものかもしれなかった。



 昭二は敏がいま隠れ住んでいる静香のアパートに潜伏していた。
静香は紫峰家を相手にとんでもない発言をした後、世間から姿を晦まし、このアパートで敏と半ば同棲生活を送っていた。

 城崎瀾がグループを解散した後、活動にのめり込んでいた古村静香は自分の居場所と気持ちのやり場を失い、学校にも真面目に行かずに乱れた生活を送っていた。
 そんなときに瀾に恨みを持つという敏と出会い、言葉巧みに誘われて付き合うようになった。
 10歳以上も離れている乱暴でいい加減な男なのに静香は敏を憎めず、自分から別れようとはしなかった。

 昭二は敏を12~3の悪がきの頃から見ている。
世間からはみ出した敏を城崎の長が拾って辰や安と共に育てた。
面倒見のいい久遠にも恩義を感じており長や久遠のためならなんでもする。 
 静香のこともそのために利用したようなことを言っていたが、この娘に惚れているのは確かなようだ。

 やはり…瀾のことは自分ひとりでカタをつけよう…と昭二は思った。

 問題はいつ…? どこで…?
城崎が紫峰家に居る間はなかなか手が出せない。
この前のような来客の多い日に潜入できたとしても、ひとりであれだけの人数の能力者を相手にはできない。

 かと言って、大学では警察官の護衛つき…どうやらこの警察官も曲者のようで、どうやら能力者である可能性が高いことに気付き始めた。

面のわれている自分に失敗は許されない…。昭二は慎重に計画を立て始めた。



 昭二が脱走したことで久遠の屋敷にも再び捜査の手が伸びた。
紫峰家へ不法侵入して暴れた件でも以前一度捜査が入ったがその時は久遠も他の者も知らぬ存ぜぬを通した。

 久遠と現場から逃げ出した樋野の能力者たちに関しては紫峰家も固く口を閉ざしたままだった。
 逃げられなかった蜘蛛たちについてはそれほどの被害もなかったことからできるだけ穏便にことを済ますように頼んだ。

 史朗に怪我を負わせた3人組のひとりサド男については、城崎瀾の母親殺しに関わっていると思われるので現場から逃走したことを倉吉に話した。
 
 蜘蛛と3人組そして昭二が久遠の家の者だということを警察は調べ上げ、久遠との関わりを調査したが、事件を起こした連中は全員が全員久遠には何の関係もないことだと言い張った。
 蜘蛛は正月の酒に酔っ払った挙句に金持ちの家でひと暴れしたくなっただけだと言い、昭二や辰と安は城崎母子に個人的な恨みがあったと言った。

 久遠の屋敷を隈なく捜したが昭二もサド男も見つからず、近隣の者に聞いても最近姿を見ないとだけ答えが返ってきた。
本当は少し前まで敏が潜んでいたのだがそのことには誰も気付いていなかった。

 進展は見られず警察は渋々帰って行ったが、瀾が死ねば確実に久遠が城崎の跡取りになることが分かっているだけに疑いは晴れず、久遠には見張りがつけられた。

 「まあ…そんなわけで俺はいま身動きが取れないんだ。
できればおまえから…昭二たちに伝えてやってくれないか…?

 もう瀾を狙うな…俺のために罪を重ねるな…そんなこと少しも望んじゃいない。
城崎へ帰れないことよりおまえらを失うことの方がどれほどつらいか…。
俺はおまえたちと気ままに暮らしたいだけなんだから…と。 」

 障子の向こうから聞こえてくる蚊の鳴くような小さな声を頼子は正確にキャッチした。
頼子はわざと賄いの佳恵に玄関先まで送らせると大声で言った。
 
 「そんなら佳恵ちゃん…久遠さんには旦那は元気にしていなさるから安心してって伝えてくれる? 
それからあれは生もんだから早めに食べてね。」

 「頼子ちゃんも気をつけてね。 城崎の旦那さまによろしく。 
いつも珍しいもんを頂いて悪いわね…早速今夜の御膳にするわ…久遠さんも喜びなさるでしょう。
 このところ食欲がなくてね…どうやら弟さんのことを心配しているらしいのよ。
誰かに襲われたんですってね?
それで久遠さんが気の毒に警察に疑われちゃって…頼子ちゃん知ってた? 」

 「えっ…何で久遠さんが…? 久遠さんは生まれたばかりの弟さんに黙ってすべてを譲り渡した人なのよ。 
 その警察おかしいんじゃないの…何で疑われるの? 
これは旦那にお伝えしなきゃね。 旦那から警察に言ってもらうわ。 
そんなら佳恵ちゃん…またね。 」

 聞えよがしにそんな会話をひとしきりした後、見張りがその内容を携帯で連絡している声を聞き取って頼子はその場を後にした。 

 城崎の屋敷に戻ると爛の父親に久遠が大変な目に遭ってると伝え、久遠は無関係だと警察署にクレームの電話をかけさせた。

 それまで着ていた若奥さま風の出で立ちから昔着ていたど派手な服に着替えると、人目を忍んで昭二たちの隠れ家へ久遠からの伝言を伝えに行った。
頼子は誰が見てもまるっきり別人のように見えた。

 頼子は昭二と敏に久遠からの伝言を正しく伝えた。
それだけでなく、このままでは久遠への疑いが晴れないばかりか、久遠自身が犯人にされかねないとの頼子自身の懸念を漏らした。 
そうなったら城崎の旦那がどれほど悲しむことか…。

 昭二と敏は戸惑った。

 後妻が殺された時も長は、前もってある程度予知していた事件だったにも関わらずその死を嘆いた。
 瀾が殺されればその嘆きはさらに深く長にとって耐え難いものになるだろう。
長を悲しませてまで瀾を殺すのか…?

 久遠が喜ぶはずもなく…久遠が苦しむばかりなのに…それでも瀾を殺すのか…?
いま急速に昭二と敏の中でこれからやろうとしている殺人に対してその意義が薄れつつあった。
 ところが…その戸惑いも束の間のことで、まるでふたりは何かに憑かれたかのようにそうしなければならないと思い込んでいた。

 頼子はこのふたりに何か妙なものを感じたがその時はあえて口にはしなかった。
とにかく伝えることは伝えたから…と早々に隠れ家を飛び出した。

 おかしい…。何かがおかしい…。長も久遠さんも何も感じ取ってないようだけれど…。

 頼子は車に乗るとしばらく考えを巡らし、やがて城崎の屋敷の方向とは全く違う方へと車を走らせた。
 
 



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最後の夢(第三十九話 脱走)

2005-11-22 23:15:00 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 西野の指示で突然を担架を担いだ力自慢たちが表門の方へと駆けて行った。
西野の慌てふためいたような大声に雅人も史朗も何事かと部屋を飛び出した。
奥のほうから透や隆平たちも飛んできた。

 表門から重そうに運ばれてくる担架には修の姿があった。
修は意識がないようで身動きひとつしなかった。
その姿を見て爛は生きた心地がしなかったが周りの者はわりと平然としていた。

 居間の大きなソファの上に寝かされた修の具合を雅人が診た。
修の身体を調べてみて呼吸や心音に緊急を要するような異常がないこと、何処にも怪我のないことを確認するとほっと安堵の溜息をついた。

 「何か薬を飲んで眠っているだけだよ。 それほど心配ないけど…一応黒ちゃんを呼んどいて…。 飲み過ぎてるようだから。 」

 雅人がそう言うとはるが急いで連絡を取りに走った。
寒いところにほかされてあったわりには汗をかいている修に触れながら史朗は雅人に訊き直した。

 「誰かに睡眠薬を多量に飲まされたってこと…? 」

雅人は首を横に振った。

 「飲んだんだよ…自分で…。 多分…効能書きも用法も読まずにさ…。
勧めた相手をよほど信用してたか…睡眠薬の効能を試してみたくなったか…だ。
ま…僕は後者だと思うね。 」

 史朗は天を仰いだ。何ということを…。
修という人は時々子どもみたいなとんでもない事をやらかすが、相手が睡眠薬じゃ下手したら命取りになる…困った人だ…と思った。

 眠っているだけだと分かって皆が安心したところで、雅人が修を背負って修の部屋まで連れて行った。
 大汗をかいている修をそのままにしておいたら修も気持ち悪いだろうと思った史朗は爛に熱い湯とタオルを運んでこさせた。
 手分けして史朗と三人の息子で身体を拭き、着替えさせているところへ黒田が意外なほど早く到着した。

 「どっから来たの…黒ちゃん。 えらく早いじゃない。 」

雅人が驚いたように訊いた。

 「今日はオフィスじゃなくて家の方で仕事してたんだ。
どれ診せてみ…睡眠薬だって…? 」

 黒田は修の頭部とまだパジャマのボタンの止められていない胸から腹にかけてを念入りに調べた。

 「呼吸OK…心音異常なし…胃は大丈夫…腸もなんともない…。
脳にも障害なし…。
雅人…おまえはどう思う…? 」

黒田が雅人の見解を訊いた。皆の目が雅人に集まった。

 「睡眠薬を飲み過ぎたことに気付いた修さんはおそらく眠る前に自浄能力を使い出したんだ…。 
 この汗は修さんの身体が薬物という異物を排出するために出しているもので、別に暑がっている訳じゃないと思う。 」

雅人が答えると黒田は笑って頷いた。

 「そういうことだな…。 
修は自分で治療を行っている訳だが…普段あんまり薬を使わないやつなんで効き目が良過ぎたみたいだ。
それに水分不足だ。 俺が点滴をしてやるわけにはいかないが…。
隆平…はるさんからスポーツドリンクを貰ってきてくれ。」

 隆平は急いではるのところに向かった。
やがて何本かのペットを抱えて帰ってきた。

 黒田は修の半身を起こし声をかけた。

 「さあ…修…少しだけ起きようか…。 すぐにまた寝かせてやるからな。 」

 不思議なことに意識のないまま修はベッドの上で起き上がっていた。
黒田はペットのふたを取ると修の手に渡した。

 「修…喉がからからだな…。 ほら…おいしいぞ。 ゆっくり飲みな…。 」

 言われるままに修はペットのスポーツドリンクを飲み始めた。
まるで催眠術だ…皆呆気に取られてその様子を見ていた。
 
 「いい子だ。 半分飲めたな…。  それじゃまた後で残りを飲もうな…。 」

 黒田がペットを取り上げた瞬間修の身体はぐらつきだした。
史朗が慌てて支えそっと寝かせた。

 「何? 今の何? どうなってるわけ? 」

子どもたちが口々に訊ねた。

 「夢操り…聞いたことがあるだろう? 特に透と雅人は良く知ってるよな。」

 あっ…とふたりは叫んだ。その業のお蔭で以前修がとんでもない事故に遭い大怪我をさせられたことを思い出した。

 「じゃあ修さんはさっき目が覚めたわけじゃなくてスポーツドリンクを飲んでいる夢を見てたんだね? 」

透が訊いた。黒田は大きく頷いた。

 「そう…本来なら修は媒介の役目として他の人がドリンクを飲むように仕向ける力を使うところだが、誰かにドリンクを飲ませるのではなく自分が飲むように俺がさせたんだ。 」

黒田はもう一度修を起き上がらせた。

 「さあ…残りを飲むぞ…。 また喉が渇いてしまったからな。 」

修はまた言われるままに残っていたペットの中身を飲み干した。

 「よし…修…これでカラになったよ。 それじゃもう少し眠ろうな…。 」

 修はまた完全な眠りの世界へ戻っていった。
史朗が黒田に尊敬の眼差しを向けた。

 「黒ちゃん…その業…僕らに使える? 」

雅人がわくわくしたような口調で黒田に訊ねた。
 
 「簡単なように見えるがな…本来は夢を見ている人を操って他の人に影響を及ぼす力だから結構手強いぜ。
 まあ…やってやれんことはないだろうけどな…。 」

 黒田はそう言いながら修の髪の生え際を触って汗の状況を確かめた。

 「史朗ちゃん…仕事があるから俺は戻るけど…時々史朗ちゃんを使って修に水分取らせるからね。 できるだけ修の傍にいてやってくれ。
この分だと目覚めるまでそんなに時間はかからないと思うけれど…。 」

黒田が史朗にそう頼んだ。

 「遠隔操作ですか…? 分かりました。 」

 史朗の返事を聞くと黒田は頼んだよ…と史朗の肩をポンと叩いて帰っていった。
皆しばらく修の様子を見ていたが、穏やかに眠っていて大事なさそうなので後を史朗に任せてそれぞれの部屋に引き上げていった。
 


 昭二…昭二…。
その日の取調べが終わって留置場の留置室で眠っていた昭二の耳に自分を呼ぶ声が聞こえた。
その声に聞き覚えがあった。 

 「敏か…? 」

声の主の名を呼んだ。

 「ああ…。 なんでおとなしくこんなところに居んだよ。
おまえなら簡単に出られるだろうに…。 」

敏と呼ばれた声の主は不思議そうに言った。

 「そんなことをしたら久遠さんに迷惑がかかるからだ。 」

昭二は悲しそうに答えた。

 「どうせならカタをつけてから捕まれや。 俺もそのつもりでいる。 
久遠さんが城崎の家へ帰れるようになれば俺は死刑になっても構わんし…。

 辰や安はもうだめだ…力抜かれてるからな。 覚悟きめとったわ。
あんただけでも俺と逃げろや…。  」

敏は昭二を誘った。

 「ためらっとる時間は無いぜ。 留置場には最大でも23日しか居られんはず。
起訴になって拘置所に送られてしまったら俺も助けには行かれんし…。 」

 逃げ出せば…久遠の身にどんな災難が降りかかるか分からない。 
昭二たちを脱走させた張本人と誤解される虞もある。
 
 何しろ紫峰の連中には久遠の姿を見られている。
久遠さんは俺を助けに来てくれただけ…俺たちを止めようとしただけなんだ…と言ったところで信じて貰えるかどうか…。

 「紫峰の連中のことなら心配いらん。 
あいつら自分たちが痛くも無い腹探られたくないもんだから母屋の方で暴れた弱っちい連中については不問に付す気でいるらしい…。
蜘蛛たちが壊した石灯籠メンタマ飛び出るくれぇたけぇんだそうだが…。 

 頼子の話じゃ城崎の長が久遠さんのことを紫峰に打ち明けたそうだからよほどのことがなけりゃ久遠さんのことは口にしねえだろう…。」

 敏は現場から逃げ出したあと久遠に匿われていたが久遠が留守の間に抜け出して昭二のいる留置場へ秘かに潜入した。昭二を留置場から引っ張り出す気でいた。

 「敏…静香どうすんだよ。 ナンパしてあんな恥かかせて…ポイかよ。 」

昭二は静香という名を出した。

 「あいつはもともと城崎瀾の仲間でさ。 やつと一緒にテレビに映ったのを俺…偶然見てたんだ。
 城崎を誘きだすのにはいいかなっと思っただけで…べつに…。 
何で今そんなこと聞くんだよ。」

敏は訝しげな声で訊いた。

 「おまえが静香に惚れとるならすぐに瀾から手を引け…もう暴れるな。
それなら俺は今すぐここを出て俺の手でカタつける。

 元はと言やぁこれは俺が言い出したことだ。
辰や安には悪いことをしちまった。 手え汚させちまったからな。

 はなからひとりでやりゃあ良かったんだ。
今更遅いか分からんが…おまえにはこれ以上罪増やさせたくねえ…。 」

昭二はまた悲しげに言った。

 「あほぬかせ。 俺らだって自分の意思で動いたんだ。 
何もおまえの言葉に従ったわけじゃねえ。 
何だかんだぬかしてないでさっさと出てきやがれ…。 」

 敏は用心深く留置室の鍵を開けた。昭二は静かに扉を開け留置室を出た。
申し訳ないとばかりに全留置室を見渡している監視席のぐったりと意識の無い警察官に手を合わせた。

 留置場はこの警察署の2階にあるがふたりは2階でも1階でも大勢警察官がいる中をまるっきり誰にも気付かれることなく外へ出た。
 
 敏の車の中で昭二は急ぎ着替えた。間もなくあの警官が眼を覚ますだろう。

 「まあ…居眠してて留置者に逃げられたと思われちゃあの警察官がすげえ気の毒なんで1~2発殴ってきた。」

 敏はにやりと笑った。ひょっとしたら3~4発だったかな…。
取り敢えずは逃げ出そうとする留置者と戦ったことにはなるわな…。
そんなことを呟きながら車を発進させた。

 空っぽの留置室とノックアウトされた警官を見つけて交代の警官が呆気にとられたのはそのすぐ後だった。
大勢の警官の目の前から留置者がまるで煙のように消えた。
それは警察署始まって以来の大失態だった。



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最後の夢(第三十八話 原石…磨けば光る珠)

2005-11-20 23:54:43 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 第一の事件の殺人犯が逮捕されたと知った時、もう目撃者の口封じというカムフラージュは通用しない…城崎の長にも間もなく自分の犯行であることがばれるだろう…昭二はそう久遠に語った。

 その日屋敷は訪問客で賑わっていたから普段より潜入しやすいはずだった。
昭二は誰にも何ひとつ告げずにひとり紫峰の屋敷へと向かった。
瀾を探し出しすべての決着をつけるつもりだった。
 久遠のため長のため城崎の家のため愚か者を絶つ…。
だが昭二は紫峰家がどんな力を持つ家系なのか全く知らなかった。

 紫峰家が能力者の一族だということは分かっていたが、まさか修のような化け物の棲家とは思ってもいなかった。
この家の青年を銃撃した時にそれほど抵抗がなかったせいもある。

 久遠は紫峰家についての知識はなかったものの、紫峰家に隠された大きな力が存在することくらいは気付いていた。
 ひょっとしたらそれは久遠をも越えるものかも知れず、久遠は瀾どころか昭二の命の方が危ういと感じた。

 昭二の命には代えられぬと久遠は家の者に急を告げ、とにかく昭二を救うために紫峰家へ侵入するが、絶対に紫峰の連中とはまともに渡り合うなと言い含めた。
 下手に応戦して戦いがエスカレートすれば城崎の家だけでなく樋野の家を潰すことになるとも言った。

 昭二を納得させるために可能であれば瀾を連れ帰る。
できなければ無理をするなと忠告した。



 「あの青年に怪我を負わせるつもりは俺にはなかった。
3人組はいきがってるわりには気の小さいところがあってな…。
 多分…あの青年の不思議な力が怖ろしかったんだろう。
済まぬことをした…。 」

久遠は静かに語り終えた。

 「はっきり言って…僕は史朗の胸を切り裂いた男だけは許せない。
戦いの最中に怪我をしたとか命を落としたというのなら分かる。
戦闘に怪我はつきものだしそれ自体が命のやり取りだってことは承知している。

 だが…あれは拷問だ。
僕は僕の大切な宝箱の原石を傷つけられて黙っているほど寛大じゃないぜ…。」

原石…?久遠は怪訝な顔をした。

 「史朗はこれから磨かれる原石だ。 近い将来必ず輝く…僕の宝石なんだ。
あの男はもう少しでその原石を叩き割るところだった。
 
 おまえ…そこにとどまったり落ちたりするより…一緒に上れ。
昭二だって3人組だって磨けば光る珠かも知れんじゃないか? 」

 原石を磨く…。久遠は昭二たちを仲間だと思って世話はしても、ほとんど同年代の者たちを育てようなんて全く考えたことはなかった。
子どもを育てるとか自分よりずっと若い者を育てるなら話は分かるが、3人組は二つ三つ年下なだけだし、昭二に至っては自分と同じ齢だ。

 「あいつらが原石って齢かよ…。 」

久遠は苦笑した。

 「なあに…自分より年上だって構わんのさ。 その輝きがささやかなものであったって構やしない。 
 その人が何かで輝けるなら僕のできる限りその手伝いをしてやりたい。
僕の子どもたちもまだ原石だし、瀾もまた磨き甲斐のある原石だと思ってるんだ。
楽しいぜ…。 どんな光を放つかを想像するのは…。 」

 昭二が…3人組が…ささやかでも小さくても光を放てるならそうしてやりたい。
久遠もそんなふうに思い始めた。

 「久遠…城崎の家へ帰れ…。 瀾ももう馬鹿なことはしない。
これ以上誰にも罪を犯させるな…おまえ自身もだ…。 
おまえが幸せになれば…やつらが戻ってきたときに何か力になってやれる。 」

 久遠は唸った。確かに…修の言うことにも一理ある。
だが…修の言葉は理想だ…現実じゃない。やっぱりこいつは金持ちのぼんぼんだ。 
 それから先はもう久遠も修もその話をしなかった。
再び黙り込んでしまった久遠をそのままにしておいて、お先に…とばかり修は堂々布団に潜り込んで眠ってしまった。

 この警戒心の無さが久遠には不思議でしょうがなかった。
俺はおまえを誘拐したんだぜ…。
子どものような顔で眠っている修の喉に人差し指で一文字を書いた。
剃刀ならとっくに死んでる…そう言って久遠は苦笑した。
 


 もう間もなく紫峰家に到着するという頃になって、久遠は修にバッグの中の小さなビンの中にある液体を飲むように命じた。

 「軽い睡眠薬だ。 何事も無くご帰館では格好がつくまい…。
眠ったところで屋敷の前に放り出しておいてやる。 」

久遠はニヤニヤしながら言った。
 
 「そいつはお気遣い頂きましてどうも…。 残ってるやつでいいんだな。」

修はビンを取り上げてひとくちほど残っていた薬を全部飲んだ。

 「おい…いま何を飲んだ? 小さいビンと言ったろう? 」

 後部席を振り返りながら久遠は訊いた。修はビンを見せた。
確かにそれは小さいビンだったがバッグの中にはさらに小さいビンがあった。

 「あっちゃ~。 原液を飲みやがった。 使用方法くらい読めよ。
おい…吐け! 何でもいいから無理にでも吐け! 」

 久遠は車の外へ回ると後部ドアを開け、修を外にひっぱり出して薬を吐き出させようとした。
 
 「おまえエロ本持ってないか…? 」

突然、修が妙なことを言い出した。

 「持ってねえよ。 そんなもん。 それが何だってんだよ。 」

 「エロ見ると吐く…。 気持ち悪くなるんだ…。 」

 はぁ…?久遠は首を傾げた。どういう男なんだこいつは…?
あ…効いてきちゃった…修はふらふらと倒れ掛かった。
久遠はそれを抱きとめた。

とろとろと眠りの世界に入る寸前に修は久遠に囁いた。

 「落ちるなよ久遠…止まるな…よ…這い上が…れ…。 」

 そのまま深い眠りに自分が落ちた。
久遠は大きく溜息をつくと修をそっと座席に座らせた。

 ま…3倍ほど飲んじまったが…弱い薬だから死にゃあすまい…よしとするか…。
下手すりゃ3日ほど目覚めんかもな…。

 運転席に戻った久遠は本当に呆れたやつだと肩を竦めた。
だがそう言いながらもどこかその捉えどころの無さが羨ましかった。

 どんな状況に置かれても前を向いて進むその姿勢も…笑い飛ばす強さも…己の中の闇を自覚する勇気も…それらはすべて久遠に欠けているものかも知れない。

 久遠…這い上がれ…。

 修の言葉が久遠の中でこだました。
久遠はいま年下の修によって磨かれようとしている自分に戸惑っていた。 

 俺もまた原石…?

にやっと笑った修の顔が目の当たりに浮かんだ。




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最後の夢(第三十七話 退くこと能わず…)

2005-11-19 23:40:00 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 久遠は樋野と名乗るようになってから樋野家の近隣の別宅に暮らしていた。
学校へ通わせてもらいながら久遠は樋野のために懸命に働き、いつしか樋野の一族の間でも厚い信頼を受けるようになっていた。
 伯父は久遠を跡取りにしたがったが世話になった伯母の手前もあってそれは丁重に辞退させてもらった。
 樋野本家の後は伯母の妹の子が継ぐことになったので、それを機に久遠は独立し樋野の分家のひとりとなった。

 久遠が城崎を離れる時に久遠を慕って樋野に移ってきた者たちがあった。
ひとりは久遠が母を亡くした時から一緒に育った乳母の子でお互いに兄弟に近い感情を持っていた。
 城崎家に縁のある者ながら家出して荒れた生活を送っていた三人組の少年…これは城崎の父親が引き取って面倒を見てやるようになったのだが彼らを温かく迎えてくれた久遠を兄貴と慕っていた。

 樋野の別宅で彼らは家族のように暮らしてきた。
分家の形をとるようになってからは其処に樋野の者たちも加わり、小さい規模ながらも一家を成してそれなりに充実した生活を送っていた。
 
 その平穏な生活が急変したのは間もなく梅雨が明けようとしている頃だったと覚えている。

 仲間のひとりが血相変えて久遠の部屋に飛び込んできた。
久遠に向かってとにかくテレビをつけてみろと言う。
 何事かと不審に思いながらテレビをつけるとと其処には超能力者であることを前面に打ち出した瀾の姿があった。 
  
 「なんという愚かなことを…城崎の家を潰す気か! 」

 久遠は思わず叫んだ。
単独の能力者ならともかく一族を背負っているの者のすることではない。
親父はなぜこいつを止めなかったのか…?

 それは1度や2度では済まなかった。ますます調子に乗った爛はその行動もどんどんエスカレートしていく。
 久遠はいつ城崎の家の秘密が暴かれるかと思うと気が気ではなかった。
そうなれば父や一族にとって致命的な事態を招く虞がある。

 「俺は何のためにすべてをこいつに譲ったのだ…。
城崎の家の安泰のためではなかったのか? 」

 あらん限りの愛情を注いでくれた父親を想い、心から慕ってくれた城崎の家の者たちを想う久遠の嘆きは大きかった。

 久遠はできる限りそうした不満を仲間の前で口にしないように務めた。
周りの者が心配して自分に気を使うことを懼れたからだった。

 だが古くから一緒にいる者たちは久遠の嘆きに気付いていた。
城崎の長には世話になった者ばかりなので彼らもまた城崎家の行く末を案じていたのだ。
 「このままじゃ城崎の家も長もとんでもねぇ目に遭うぜ。
手を打たにゃならん。 あの馬鹿息子を何とかせねば…。 」

乳母の息子が3人組にそう持ちかけた。 

 「あの母子のせいで久遠さんは気の毒に城崎の家を出ることになんなさった。
いっそ消しちまったらどうかね? 」

三人組の中で背の高い男が言った。

 「そう言やぁ…俺は昔お袋に聞いたんだが、あの後妻は久遠さんを追い出すためにわざと久遠さんに馴れ馴れしくしてたんだそうだ。
 長の疑いがかかるように仕向けたんだと…。 」

乳母の息子は思い出したように瀾の母親のうわさを語った。

 「ほんとかよ…ひでぇ話だな…。 
だけどもしあの馬鹿息子がいなけりゃ久遠さんは城崎に帰れるんだろ? 
やっぱ消しちまおうぜ。 」

背の高い男はまた過激な発言をした。

 「そうだ…言わねえだけで久遠さんが城崎に戻りたがってるのは確かだし…。」

筋肉男が相槌を打った。

 「可哀想によ…ずっと黙って我慢なさっておいでだ…20年近くもだ…。 」

 金属棒を弄んでいた男が溜息をついた。
彼らもまた城崎の家を出て長の年月を他家の中で忍んできた。
今では樋野の信頼も厚くなり、待遇も良くなったとは言え、当初の彼らの苦労は並大抵のものではなかった。

 それでも久遠が何より彼らのことを第一に考えて、樋野の一族のどんな仕打ちにも堪えてくれたから無事に過ごして来られたようなものだ。
 伯父がいくら久遠のことを可愛がっていても、伯母とは繋がりがない上に、城崎家で久遠の母親が舐めた辛酸を樋野の一族の誰もが知っているだけに、城崎家に縁の者を手放しで歓迎するはずもなかった。

 「久遠さんには決して話すな。 つらい思いはできるだけさせたくねえ。
たとえ俺たちが捕まっても久遠さんには何の関係もないことだ…。
俺たちが俺たちのあいつらに対する恨みを晴らすってことでいいな?

それに知れば久遠さんは弟を助けようとなさる…そういうお人だ。 」

 3人組は乳母の息子の言うことにいちいち頷いた。
久遠の知らないところで男たちの久遠と城崎の長への想いが惨劇という形で表れようとしていた。



 雪は絶え間なく降っていた。
この分じゃ朝までには相当積もるだろうな…と修は考えた。
ふとあの『雪嵐』が目に浮かんだ。
狂気とも言える想いってのは…何も恋愛に限ったことじゃないかもな…。

 「頼子が知らせてくれるまで俺は何も知らずにいた。 」

久遠は父親の若い内妻の名前を口に出した。

 「頼子は樋野に縁の女で…うちの賄いさんの知り合いなんだ。
遊びに来るついでによく親父からの土産物を届けてくれた。

 耳のいいやつでな。 ちょうどやつらが相談している声を捉えたんだ。
殺人事件が起きた直後で犯人が捕まっていないのをいいことに口封じに見せかけて瀾を殺す計画だった。

俺はできるだけ瀾を護ってくれるように頼子に頼んだ。 」

 やれるだけやってみるけど坊やはあたしを避けてんだから…と頼子は久遠に言ったらしい。 
 そう言えば瀾の父親が紫峰家への挨拶に持ってきた菓子折りを札束でいっぱいにしておいたのは頼子だった。
あれは彼女なりの護り方だったのかもしれない。

 「俺は昭二が…ああこれは乳母の子の名だが…瀾の学校へ向かったことに気付いて昭二を止めに行ったんだ。
 俺のために昭二を犯罪者にはさせられない…と思った。
それなのに昭二を止めなかったばかりか瀾を刺した昭二を車に匿って逃げた。 」

久遠は昭二と瀾の両方に対して責任を感じているようだった。

 「止めなかったのではなく止められなかったんじゃないのか? 」

修の問いかけに久遠は驚いたような眼を向けた。

 「もしかしたらおまえ…瀾を識別できなかったとか…? 」

久遠がさらに眼を大きく見開いた。

 「なぜそんなことが分かる? 」

不思議そうに訊いた。

 「記憶の障害…。 瀾にも少しそれが残っている。
おまえはテレビで瀾を見た時にそれが本当に瀾だと分かったのか?
 他の出演者が城崎と呼ぶのを聞いて判断しただろう?
しかも毎回その名を聞かなければそれが誰だか分からないんだ…。 」

 修は瀾の記憶が人工的に操作されてあったことを話した。
久遠はそのとおりだと認めた。

 「瀾がまだ小さい折に一度だけ親父が俺のところに連れてきてくれたんだ。
だけど俺が里心を起こすといけないというので伯父が親父の目を盗んで瀾と俺の記憶を消した。
 親父に気付かれないようにと慌てていたものだからあまり丁寧な作業をしなかったらしく完全には消えていないが…。 」

久遠は溜息をついた。

 「現場に着いて車を降りた時、男の子が俺の目の前を通っていこうとしていたんだが瀾だとは思わなかった。
 昭二は知らん顔して違う方向の少年たちを見ていたし、瀾には監視がついているはず…そう思った途端昭二が走り寄った。

 俺は昭二をそのままほっておくことができず車に乗せた。 」

 これ以上誰も傷つけないでくれ…久遠は昭二に言った。
昭二は久遠が瀾ではなく自分を助けてくれたことに感謝したが、自分にはもう関わらない方がいいと逆に久遠を突き放した。

 久遠に知られてしまったことで昭二は3人組にも相談せずに単独行動を始めた。
すべての罪をひとりで引っかぶるつもりでいた。
 城崎の家に正体を知られないように刃物や銃を使い、まるで殺人犯の犯行のように思わせた。
 3人組は3人組で昭二ひとりに罪を負わせるのがいかにも心苦しく、とうとう城崎の屋敷に忍び込み瀾の母を襲った。
結果は最悪…瀾の母は亡くなった。

 しかもこの間に紫峰家という得体の知れない能力者の一族が関わってきた。
城崎の長が頭を下げるほどの者なら相当強大な力を持っているに違いない。

 久遠は悩んだ。いかに自分の知らないところで計画が立てられ、知らないうちに犯行が行われたとしても、彼らが自分の配下の者である以上は知らぬ存ぜぬでは済まされぬ。
 それに自分はすでに一度犯人の逃走を助けてしまっている。
この先どう行動すべきか…。どう責任を取るべきか…。
さんざん苦しんだあげく、久遠が導き出した答えはもはや退くこと能わず…。

 その瞬間…久遠はすべての道を自ら閉ざしてしまったのだった…。
久遠のために罪を犯したものたちとどこまでも落ちるつもりでいた…。
間違いだとは重々分かっていながら…仲間を見捨てることができなかった。




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最後の夢(第三十六話 寡黙な誘拐犯)

2005-11-18 23:41:24 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 煌々と輝く爆発的なエネルギーのトルネード。
それが修を捕らえた瞬間、やった…と久遠は思った。

エネルギーの渦に巻かれ、まるで溶鉱炉の中に落ちた鉄の塊のようになっている修の姿に久遠は安堵のようなものを覚えた。

余計なことを言うからだ…俺は帰れない。
帰りたくても帰る道がない…。

 勝ちを得たと感じた刹那の優越感と満足感が久遠にある種の快感を齎した。
だがそれは長続きはしなかった。

 いつまでも消えない渦の勢いに久遠はふとやり過ぎたかな…と思った。
しかし次の瞬間エネルギーの渦は煙のようにスーッと修の中に消えていった。

 久遠は驚愕した。理解を超えるものに対する恐怖心が久遠を襲った。
そのエネルギーを今度は稲妻のように鋭く尖らせ、修の身体を貫かんとばかりに激しい勢いで放出した。

 稲妻の先が確かに修の身体に触れた。身体の中心を貫かれたかのように修が一瞬仰け反った。
が…稲妻はやがて飴のように溶けて吸収されてしまった。

 久遠の心臓が高鳴った。
修は攻撃してこない…反撃もそれほど威力のあるものではない。
久遠の身体の何処にも攻撃を受けた痕はない。

 だが…疲れる…消耗する…。
攻撃すればするほど恐怖感も増してくる…。

倒れない…倒せない…。

 息を切らしながら何度も何度も繰り返し繰り返し攻撃を続けた。
とてつもなく巨大なハンマーのような衝撃波を打ち込んだりもした。
それも見る間に吸収されてしまった。

嘘だ…こんなことがあるはずはない。

 意地になって攻撃を繰り返す。もはや修は除けようともしない。
真正面から受けて立っている。

攻撃しても攻撃しても修は平気な顔をして立ち上がり起き上がり…。
髪ひとつ乱れず…乱さず…。

 化け物か…おまえは…。

 やがて精根尽き果て久遠はその場に崩れ落ちた。
仰向けに転がって激しく呼吸をしている久遠に修が近づいてきた。
どうとでもしろ…久遠はそう開き直った。

 「何度攻撃しても結果は同じだぜ…。 」

穏やかに修は言った。

 「いったいどうなっているんだ…? 」

久遠が息を切らしながら訊ねた。

 「紫峰が千年も他の一族から攻撃を受けずに来た訳は、紫峰が他と係わり合いを持たなかったことにあるが、その実は力の特性があまりにも尋常ではないからだ。
まあ…攻撃するだけ無駄と考えたんだろうな…。

 紫峰の根底にあるものは『滅』…すべてを滅ぼす力。 完全なる死。
異なる一族のおまえがいくら攻撃を繰り返したところで僕の持つ先天的な力がそれを吸収し中和してしまう。

 勿論…紫峰に生まれたからといって誰もがこの力を持っているわけではない。
代々宗主と後見にだけ相伝によって引き継がれる力だ。
 引き継いだ後にはそれを使えるようにするための相当厳しい鍛錬も必要となる。
先天的な素質と後天的な力の混合されたものだ。

 僕の場合は特別…僕は紫峰の力をすべて備えて生まれた。 
そういう力が使えるということを相伝によって思い出せばよかっただけ…。 」

やっぱり化け物だ…と久遠は思った。

 「おまえが自分から攻撃しないのは…相手を滅ぼさないためか…? 」

 久遠の問いかけに修は少々戸惑った。
そうかも知れないけど…ちょっと違うかもしれない…。

 「僕は…相手に敵意や殺意がなければ自分からはめったに攻撃しない。
僕が自分から攻撃するような状態になったら…それは多分ぶち切れてるんだ。
そういう時は要注意だな…。 自分では歯止めが効かないから…。 」

 修はカリカリと頭を掻いた。
歯止めの効かない修の姿を想像すると久遠はぞっとした。
この男に覇王となる意思がないことを人類のために喜んだ。

 「立てる…? 」

 修は久遠に手を差し伸べた。その手を払って久遠は自分で立ち上がった。
いつしか辺りは闇に包まれ、天空から雪が舞い始めた。

 車まで久遠は黙って歩いた。修も何も言わなかった。
エンジンをかけると冷え切った外気のせいかフロントガラスが一瞬にして曇った。
 シートにもたれかかって久遠はしばらく何かを考えていたが…やがてふうっと溜息をついた。

 「もう少し…付き合ってもらう…。 」

 そう言ってゆっくりと車を走らせ始めた。  
来る時には眠って通った景色を修は車窓からぼんやり眺めていた。
闇に埋もれた其処には見るべきものは何もなかった。



 笙子をマンションで待機させておいて史朗は本家へ戻ってきていた。
修のことだから大事はないだろうけれどやはり心配だった。

 他の乱暴者は捕まったとは言え、史朗を傷つけたあのサド男は逃げ出したままだし、透と戦った連中は丸々捕まっていなかった。
何れも修に敵う相手ではないが修も人間だから何が起こるか分からない。

 母屋で一左に挨拶をした後、自分が使者として世話役を任されている鈴の様子を伺い、やっと自分の部屋へと戻った。

 城崎だけを一左の傍に置いて子どもたちはバイトに出掛けたらしく、さすがに母屋も静かなものだった。

 パソコンに向かって史朗は鬼面川の祭祀舞の教本のための文書を作成していた。
本家に遺されている古文書のコピーを孝太から送ってもらったので、そうした資料に彰久と史朗の記憶を加味した新しい教本を作り出そうと思っていた。

 「史朗さん…。 」

 扉の向こうから城崎が声をかけた。 
史朗が答えると城崎は菓子鉢を持って入ってきた。

 「お祖父さまがおすそ分けだって。 」

城崎はそう言って松露と溜まり煎餅の入った鉢を渡した。

 「有難う。 へえ~松露とは珍しい。 お祖父さまお好きなのかな…。 
知ってる? これはね…海岸の松の林に生える茸を模したお菓子だよ。 
今は季節じゃないんだけど…。 」

 史朗は丸っこい小さな白い菓子を口に放り込んで城崎にも勧めた。
城崎は勧められるままに食べてみた。 
じゃりっとした感覚があって思わず顔を顰めた。

 「何か歯にきますね…。 」

 それを聞いて史朗は笑った。
史朗が菓子鉢を机の上に置いた時、史朗の前にあるパソコンの文書が城崎の目に止まった。
 
 「腰に置かれた左右の手を…ゆっくりと胸の前で…両の手を静かに…」

 城崎はざっと眼を通してから少しその場から離れ、それを口に出しながら身体を動かした。
 史朗は驚いた。城崎の動きは素人の動きではなかった。
腰の位置が安定していて首の動きも決まっていた。
祭祀舞の動きではなかったけれども…。
しかも文書にはまだ明記していないのに扇まで手にしている様子を再現していた。

 「爛くん…きみ何か舞を習ってた? 」

史朗は訊ねた。城崎はにっこり笑うと頷いた。

 「母が日舞をやってたんで中学までは…。 もう忘れちゃいましたけどね。 」

史朗は唸った。舞だけの伝承者なら血族である必要は無い…。

 「祭祀舞をやらないか…? きみの姿勢と動きがとてもいいんだ。 」

 史朗は思わず城崎を誘った。今度は城崎が驚いた。
史朗が祭祀舞を教授していることは知っていたけれど、まさか自分が勧誘されるとは思ってもみなかった。
 舞うことは嫌いではないがあまりにも唐突で何と言っていいか返事に窮した。
事の成り行きに戸惑う城崎だったが史朗の真剣な眼差しを見ていると簡単には断れそうもなかった。



 真昼間のオフィス街から誘拐されてきたはずの自分が何でこんなところで悠長にも温泉に浸かっているのか…。
 修自身にも訳の分からない一日が過ぎようとしていた。
寡黙な久遠はあれからほとんど話さない。

 連れてこられたのは鄙びた温泉旅館で、久遠はどうやらここの主とは懇意にしているらしく突然の来訪にも関わらずふたりとも丁重な扱いを受けた。
 
 旅館についてから久遠が話したことと言えば、来い…食え…脱げ…浸かれ…等々一言ずつのみ…確かに誘拐犯は命令口調ではある。

ま…いいか…骨休めだ…。

修がそんなことを思った時、久遠がこちらに視線を向けているのに気が付いた。

 「何食わせたらそんなふうに育つのかねぇ。 お袋さんに聞いてみたいぜ。 」

久遠は無遠慮に修の身体をまじまじと見た。

 「僕に…親はない。 」

修は淡々と答えた。久遠の表情が曇った。

 「…そうか…悪いことを言った…。 」

久遠はまた黙り込んだ。

 久遠の齢は修よりも5~6歳上になるだろうか…。
背が高く心持ち細身ながらも筋肉質な修と比べると修よりはやや低めでもやはり背の高い久遠の身体は痩せて見える。
実際に痩せているというわけではないのだが…。
  
 部屋に戻っても久遠はなかなか口を開こうとはしなかった。
部屋が静まり返っているとはたはたと雪の降る音が聞こえた。
街でも本当に静かな雪の夜には聞こえることがあるがここでは日常的なんだろう。
修は楽しげにその音に耳を傾けていた。

 「ここには俺が幼い頃から親父とよく遊びに来てたんだ…。 」

久遠が呟くように言った。修は久遠の方に顔を向けた。

 「釣りをしたり…泳いだり…よく遊んでくれたよ…。 」

その時のことを思い浮かべたのか久遠は懐かしげに微笑んだ。

 「いいな…思い出があって…。 僕の中に残っているのは恐怖だけだ。 」

修は寂しそうな笑みを浮かべた。

 「顔は…何とかおぼろげに覚えているんだ。 でも優しい顔じゃない。
鬼気迫る顔だ。 この齢になってもその恐怖は消えないまま…。 」

 久遠の脳裏に恐怖に震え泣き叫ぶ3歳くらいの男の子の姿が浮かんだ。
犬や小鳥の屍骸の転がる部屋で父親らしい男がその子に自分を殺せと迫っていた。

 これは修の中に残る記憶なんだろう…久遠はそう感じた。
油断しているのかわざとなのか…いま久遠は修の過去を手に取るように読むことができた。
 修の過去を読み解いているうちに久遠の頬を幾度も涙が伝った。
何という…記憶。
 なぜ読ませる…? ほとんど面識のない赤の他人の俺に…なぜ曝け出す?

 「どんな過去を持っていようと…いまの僕は幸せだから…ね。
時に振り返るようなことがあってもそれに囚われたくはない。
過ぎたことは過ぎたこと…。
 
 おまえもそう思って生きたらいいんだ…。 」

 久遠は愕然とした。
このいくつも年下の男はまるで百歳の老爺のようではないか…。
とんでもない過去を持ちながら泰然として生きている。

 久遠の堅く閉ざされた口が少しずつ緩んできた。
亡くなった実の母のこと…父への想い…ぽつりぽつりと話し始めた。

 やがて話は過去を離れた。
久遠が知る限りの真相がいま語られようとしていた…。





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最後の夢(第三十五話 誘拐された宗主)

2005-11-17 21:56:25 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 いつもの珈琲専門店で気の置けない訪問客と話をした後、修は秘書ふたりを従えて財閥の本部が併設されている自社のビルへと戻ろうとしていた。
 特に仕事上の話があるわけでもなくアポのない訪問客の場合、ほとんどは受付ではねてしまうが、昔からの取引相手とか知り合いだったりすると隣のビルにあるアンティークな珈琲専門店で待機してもらうことがたまにあった。

 歩きながらも店で過ごしている間に連絡のあった仕事の話を秘書が報告していたが、急に誰かの視線を感じて修は歩道沿いに止められた車を見た。
 ふたりの秘書は修が突然動きを止めたのでその視線の先に眼をやった。
その途端、あんぐりと口を開けたまま自分たちも動けなくなった。

 視線の先には自分たちに狙いをつけている銃口があった。
車の中の人物は誰にも見えなかったが男の声で車に乗れという指示が聞こえた。

 修はふたりに決して騒がないように命令するとその車に乗り込んだ。
秘書は慌ててナンバープレートを見たが、プレートにはでたらめな文字が無造作に書かれてあるだけだった。
 修を乗せた車が見えなくなってしまうと、ふたりは先を争うようにビルに駆け込み上司の判断を仰ぐべく秘書室へと走った。


 
 ふたりの報告を聞いて仰天した秘書室長は彼らを引き連れて急遽総裁執務室へと向かった。
 総裁である叔父の貴彦は、慌てふためいて飛び込んできた秘書室長たちに再度確認するように聞き返した。 

 「修が攫われた? 」

 「はい! 車から…男が銃を向けておりまして…。 」

 若い男の秘書が息を切らしながら答えた。
貴彦は自分の専任秘書である西野の従兄颯太と顔を見合わせた。

 「銃…ねえ…。 まあ…役には立つまいが…。 」

はあ…?と修の秘書は首を傾げた。

 「いかが致しましょう? あまりことを大きく致しましてもどうかとは思いますが副総裁の身も案じられることでございますし…。 」

秘書室長は不安げに総裁に伺いをたてた。

 「誰かの質の悪い悪戯かも知れんからしばらく様子を見ることにしよう。 
きみたちも落ち着いて…このことは指示があるまで口外しないようにな…。 」

はあ…?と秘書たちは再び首を傾げた。

 「あの…警察に連絡しなくてもよろしいのですか? 」

女性の方の秘書が念を押すように訊いた。

 「身代金の請求が来てからで構わんよ。 まず…来んとは思うが…。 
きみたちは修の部屋へ帰ってこのままいつもどおり仕事を続けたまえ。 

 修が留守の間なにごとも手落ちのないようにな…。
外部には…そう…インフルエンザにでも罹って休んでいるとでも言っておけ…。」

 貴彦はそう言って秘書室長たちを退出させた。
貴彦たちの態度は室長たちにはひどく奇妙に感じられたが、総裁の言うことには逆らえなかった。
室長たちの気配が総裁の部屋から消えてしまうと颯太は急ぎ西野に連絡を取った。

 

 宗主が誘拐された…というので城崎の不安と動揺はピークに達した。
やたらあちらこちらを落ち着きなくうろうろしていたと思えば皆が集まっている居間の片隅で頭を抱えたままじっと動かなかったりでひと時も目が放せない状態になっていた。

 「今のところ紫峰の捜査網にも藤宮の情報網にも宗主は引っ掛かっていません。相手か…ご自身でかは分かりませんが気配を消しているとしか思えないですね。」

 西野は皆にそう報告した。
修ならやりかねんな…と一左は頷いた。

 「まさか…修さん…。 」

城崎の頭の中には最悪の状況が浮かんでいた。
 
 「ないない…そんなことがあったら隆ちゃんにはちゃんと分かるよ。 なっ!」

城崎の不安を否定した後で透は隆平にふった。

 「うん。 大丈夫。 今のところ心配ないよ。 」

隆平も安心させるように笑った。

 「誰だよ…修さんを誘拐しようなんて無謀なことを考えるやつは…。 」

そう言って祖父の方をチラッと見た。祖父ちゃんは何か知ってそうだけど…な。

 「無謀って…銃だよ? 相手は銃を持ってるんだよ? 」

 城崎は周りの者たちの反応の鈍さに呆れた。
誰も修のことを心配していないように思えるほど悠長な態度だった。

 「銃なんて…修さんにはおもちゃみたいなもんだよ。
よっぽど油断していて不意をつかれたりしなきゃどうってことない。 」

雅人は透の方を見た。

 「あ…嫌味だねぇ。 それ僕のこと言ってんでしょ。 」

 透は膨れっ面して見せ雅人を睨みつけた。
もっと真面目に心配しろよ…と城崎は思ったが口には出さなかった。

俄かに玄関先が騒がしくなってこちらに向かって駆けてくる足音がした。 
 
 「透・雅人・隆平~! 」

 「おい廊下を走るな!」

 足音は騒がしい声を連れてきた。
藤宮の悟と晃が修が攫われたと聞いて駆けつけたのだった。

 「どうしちゃったの? 危ないから当分紫峰家に近づくなって言ったのに? 」

透が唖然として言った。

 「悟兄さんが次郎左お祖父さまと親父に直談判したんだ。 
鬼面川の三人でさえ共に戦っているのに、我々がこのまま知らんふりしていたんじゃ藤宮の名折れだってね。 」

 晃が嬉しそうに話した。いつものように悟は少しばかり取り澄ました顔をした。
雅人が口笛を吹いた。
 
 「きゃ~悟ちゃん素敵だわ~。 惚れ直したわ~。 さっすが超エリート!」

雅人が茶化した。

 「その身体でオネエ言葉はやめろ。 美しくない。 

…というわけで大伯父さま…家の許可は取りました。
僕らにお手伝いできることがあれば何なりとお申し付け下さい。 」

 悟は一左に向かってそう申し出た。
満面の笑みを浮かべて一左は頷いた。

 「有難う。 今すぐ何とは言えぬが藤宮の力の必要になる時が必ずある。 
血族のきみたちの参戦は紫峰にとってたいそう心強い。 」

 そう言って悟と晃を歓迎した。悟たちの祖父次郎左は一左の実の弟である。
いつもはお互いさまながら自分の一族の安泰を最優先に慮っている次郎左もさすがに血の繋がりに負けたと見える。

 透たちはもはや何を案ずることもなく現在紫峰が置かれている状況を事細かに悟と晃に説明した。

 城崎はその様子をまるで不思議なものを見るような気持ちで見つめていた。
いま自分が城崎の家に居たとして、こんなふうに話し合ったり助け合ったりする相手が居るだろうか…。
 誰の顔も思い浮かんでこないことに愕然とした。
自分だけがそうなのか…城崎の一族全体がそうなのかは分からないが、組織力の違いをはっきりと見せ付けられた気がした。

 規模がどうのこうのということではないが、土台がしっかりしているので、頂点が崩れてもそれを補うだけのものが出来上がっている。
縦も横も整然とした繋がりを持ちどこかに支障が起こると直ちに修復を始める。

 紫峰や藤宮の子どもたちは幼い時から族人としてあるべき姿を厳しく仕込まれると聞いた。
 城崎の父親は爛に対してそうしたことを何も教えてくれなかった。
それはやはり兄久遠を長に就けたいという思いがあったせいなのだろうか。
それとも単に自分が反抗し続けてきたせいなのか…。

 教えてもらえないことは学ばないことの理由にはならないと一左に教わった。
宗主は頼るべき人がいなかったために独学で学んだという。
 何れ長になるということは前々から分かっていたことなのに何を漫然と時を過ごしてきたのだろう。 
城崎はいま後悔の念に駆られていた。



 ガタガタと悪路を走りぬけた後どこか平坦な土地に静かに車の止まる音がした。
草木の湿った匂いが修の嗅覚を刺激した。いま…修は少しづつ覚醒しつつあった。

 「到着だ…起きろ…。 」

落ち着いた男の声で起こされた。

 「いい度胸だ…誘拐された車の中でずっと眠りとおすとはな…。
よほど疲れが溜まっているのか…馬鹿なのか…。 」

うんと伸びをしてから修は首を鳴らした。

 「このところ寝不足でさ…。 
おまえにも責任があるんだから昼寝ぐらいしたっていいだろ。 」

 そう言って修は男の顔を見た。
男は眉を上げてそりゃあそうだ…というように頷いた。

 「で…何の用だ? こんなところまで連れ出した訳を訊こう。 」

修が訊ねると男は小さく溜息をついた。

 「訳か…あるようなないような…。 強いて言えば…力試しをしてみたかったというところか…な。 」

今度は修の方が眉を上げた。

 「力試しねえ…。 悪くはないが…。 
おまえは僕との戦いを避けたかったんじゃなかったのか? 」

男はふっと笑った。

 「ここは廃村で何れダムの底になる。 少々暴れたって誰も困りゃしない。
人っ子ひとりいない場所だ。 」

なるほど…と修は頷いた。

 「いいだろう…。 但し条件付きだ。 樋野を出て城崎の家へ戻れ。 」

男の表情が強張った。

 「条件などのまん。 攫われてきた分際で何をぬかすか。 」

修はにっこり笑った。

 「攫われてやったんだ。 銃なんぞ利くものか。 分かってるくせに…。 」

 そう言うとさっさと男の車を降りた。
男と修…ふたりの他に人の気配は全く感じられなかった。
ところどころ降雪の後が見られるもののこの季節にしてはたいした量ではない。
足場は悪くないと修は思った。修はより開けた場所へと移動を始めた。

 男はゆっくりと車を降りた。先を行く修を追いながら気を高めていた。
羽織っただけのハーフコートがその身体から落ちると同時に修目掛けてエネルギーの塊が放出された。
 振り返りざまに修はその塊をいとも簡単に払い飛ばした。煽りを受けた近くの木が1~2本根元から折れて倒れた。

 男はさらに気を高め先ほどの倍以上の力を発した。
何ということもなく軽くいなされた。

 レベルを上げつつ男は攻撃を繰り返し修はそれに対応した。
まるで闘牛と闘牛士のように攻撃しかわし反撃しかわしまた攻撃し…繰り返すそのたびに周辺は煽りを食って破壊された。

 「遊んでいるな…? 」

 男はいらいらしながらそう言った。
修は反撃はするが自分からは仕掛けない。まるで大人が子どもの相撲の相手でもしてやっているようだ。

 「久遠…よく考えろ。 父上はおまえの帰りを待っている。 」

 久遠…は答えなかった。
なぜだ…なぜこの男は本気にならない…?
この攻撃だって家のひとつやふたつ木っ端微塵にするほどの威力があるんだぞ。
今のならビルが吹っ飛ぶ…。

 「おまえは直接手を出していない…まだ間に合う。 
おまえなら他の連中を説得して抑えることもできるはずだ。 」

 久遠の中にあの地を揺るがす恐るべき力が満ちてきた。
どんなにレベルを上げていっても修にはダメージひとつ与えられない。
弾かれ…かわされ…いなされ…。
こんな体験は初めてだ。

 「無駄だ…もう遅い。 俺は罪を犯した…。 もう…家へは帰れない。 」

 周りの空気が振動を始めた。
地鳴りの音が響き渡り大地を揺るがした。
久遠の身体が青白い光を帯び、まるで全身がエネルギーの塊のように見えた。

 帰りたい…帰りたい…帰りたい…。
 
 久遠の心の叫びが…嘆きが修をしっかりと捕らえた。
やがてそれは凄まじく巨大なエネルギーの渦となって久遠を見つめている修の体を目掛け突進してきた。 



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最後の夢(第三十四話 過ちの代償)

2005-11-16 09:55:34 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 城崎の父親が再び紫峰家の門を潜ったのは、彰久が瀾の魂の記憶を読んだ日から数日を経てのことだった。
 城崎のせいで賊に押し入られたことに対する詫びとマスコミから城崎の超能力に関する記憶を消して貰った礼を言うために宗主に会いに来たのだった。

 修は城崎の待つ座敷に瀾を伴って現れた。瀾はいま比較的落ち着いて見えた。
あの日心の糸の切れかけた瀾を腕に抱いて修は一晩中囁き続けた。
きみのせいじゃない…君が悪いんじゃない…。
 
 それが効を奏したのか瀾は正気に戻ったように思えたが、心の中では絶えず自分を責め続けているに違いなく目が放せない状態だった。
 学校にいるときは岬が眼を光らせているので安心だが、帰宅した後は一左が必ず傍に置き、夜は修たちが交代でついていた。

 城崎の父親は以前と同じく大仰な挨拶を述べた後詫びやら礼やらを繰り返した。
妻を失ってもこの男のいたって精力的な雰囲気は変わらないが、やはりどこか心に隙間風吹くようなところがあるのだろう。
瀾を見るとあからさまに心配そうな表情を見せた。

 「失礼とは思いますが…少々立ち入ったことを伺ってもよろしいでしょうか?」

修がそう言うと城崎は怪訝な顔をしながらも頷いた。

 「瀾くんの兄上…あなたのもうひとりの息子さんについてですが…。 」

 宗主の前でも齢相応にどっしりと構えている城崎に明らかに動揺が見られた。
チラッと瀾のほうを伺ってから城崎は意を決したように答えた。

 「久遠のことですな…。 いつかは…話さねばならぬと思ってはいました。 」

大きく溜息をつくと城崎は宗主にというよりは瀾に向かって話し始めた。

 「樋野久遠(ひのくおん)…と今は名乗っている。
おまえとは16ほど齢の離れた兄だ。 」

瀾は彰久さんの話は本当だったんだ…と思い、悲しげな眼で父親を見た。

 「若い頃に心底惚れた女がおりましてな。 家格が違うので正式な夫婦にはなれなかったが…親の反対を押し切っていい仲になりました。
 まだ世間を知らん齢でもあって、お互い本当に幸せだと思っておりましたが、久遠が生まれてやっと周りに認められた頃に他界してしまいました。  
 
 この世で私以外に頼るもののない久遠が不憫であらん限りの愛情を注ぎました。
久遠に大きな力を感じた時には長として立つためのすべてをあの子に厳しく叩き込み、あの子もそれに応えてくれました。

お蔭で久遠は一族の中でも最も信頼の厚い男に育ってくれたのです。 」

久遠の姿を思ったのか城崎は少し誇らしげに微笑んだ。

 「親戚の勧めで瀾の母親を正妻に迎えた時も、久遠は嫌な顔ひとつせずに喜んでくれました。
 若い妻は…親子ほども齢の離れた私より久遠と話が合うようで、何かにつけて久遠を頼っておりました。

 久遠は…親の私が言うのも可笑しいが…頼もしく優しい男で…私は妻が久遠に惚れるならそれも仕方ないことだと思っていたのです。
 
 瀾が生まれたとき…一族の者はみな久遠の子だと信じて疑いませんでした。
私も…そう考えていました。

 それはそれでいい…久遠の子なら私にとっては可愛い孫…。
妻や久遠を問いただすこともなく…私はすべてを受け入れる覚悟でおりました。」

 修が大きく溜息をついた。笙子の生む子なら誰の子であろうと自分の子だと…修もまたすべてを受け入れる覚悟はできていた。

 修は自分とは絶対に相容れないタイプだと思っていたこの城崎という男の中に自分に近いものがあることを知り意外に思った。

 「ですが…そのことがかえって久遠を苦しめることになるとは思っても見なかったのです。
 久遠は私が久遠に疑いを抱きながら何も言わないことに悩みました。
瀾に対して私が久遠に見せたようなあからさまな愛情表現をしないことがさらに追い討ちをかけたようです。

 久遠は何も言わずに…自分に与えられた城崎での権利をすべて瀾に譲り渡して家を出ました。
 母親の実家樋野の家へ戻りました…。 樋野の家は母親の兄が後を取っていましたが子どもが無かったので久遠をたいそう可愛がってくれていたようです。 」

 城崎は誰より愛して止まない久遠をむざむざ他人に渡してしまったことを悔やんでも悔やみ切れぬようだった。

 「私の生涯で最大の失敗でした。 あの子の話を聞いてやろうともしなかった。
久遠は事実無根だと私に言いたかったのだと思います…。 」

 心なしか城崎の両の目が潤み、それを見ぬ振りをして修はそっと目を伏せた。
瀾が恐る恐る城崎に訊ねた。

 「俺は…本当に兄貴の子どもじゃないの…? 」

瀾の不安げな問いかけに城崎は大きく頷いた。

 「おまえには樋野の血は入っていない。 間違いなく私の息子だ。
久遠にもその話はしてある。
 だが…今となってはそれが分かったところでどうにもならん。
久遠が戻って来てくれる訳でもない…。 」

 城崎の溜息がいっそう大きく聞こえた。
過ちは誰にでもあることとはいえ城崎の場合はその代償があまりにも大き過ぎた。 それも息子久遠を愛するがゆえに久遠のためにと思ってしたことが裏目に出ての切ない過ちであった。



 裏庭で急に焚き火をし始めた瀾の姿を修は不思議そうに眺めていた。
傍で透が手伝っているが、この頃の子どもはめったに焚き火なんぞしないからまあなんて下手くそなこと…焚き付けをして火を起こすこともせず…火にくべるというよりはご丁寧にも一枚ずつ何かを燃やしている。

 「何を燃やしてるんだ? そんなんじゃ日が暮れちゃうぜ。 」

修が覗き込もうとすると後ろから隆平が引っ張った。
 
 「だめ! 修さんはあっち行ってて。 あの変態写真燃やしてんだから…。
またカエルさんが始まるよ。 」

変態写真…思い出しただけで修の胃がむかむかしてきた。

 あの後、城崎から内妻の頼子の話を聞いた。
子どもの頃から貧しさゆえに酷い生活を強いられてきた女で、城崎と出会った時には落ちるところまで落ちたと言わざるを得ないような状態だった。

 樋野の家の者ではないが縁のある女で久遠の母親に似ていたことから城崎はすべての悪い過去と縁を切ることを条件に頼子を救い出してやった。
 酷い育ち方をしてきた割には気働きが良く、瀾が思っているほど悪女ではないと城崎は笑った。 

 瀾は父親を奪った女を許せずに興信所に依頼してその女の淫らな姿を写真に収めさせた。
父親の眼を覚まさせようとしたのだが父親はすでに女の過去をすべて知っていた。
 もはやその写真は何の意味もなく…それを撮らせた自分の驕りを物語るだけの代物だった。

 瀾の心情を思いやると本当に切ない気持ちになるが…今の修は自分の胃を回復させる方が最優先だった。
 
 「雅人は…? 」

修は顔を背けながら三人に訊ねた。

 「部屋にいるよ。 …雅人…! 修さんがまたカエルさん…! 」

 隆平がそう呟くと母屋の方で階段を駆け下りる音がギシギシと鳴り響いた。
階段は早急に作り直した方がよさそうだと胃を押さえながら修は思った。

 「もう…だめじゃないか…。 前もってここには来るなって言っておかなきゃ。
何にでも首を突っ込みたがるんだからこの人は…。 
焚き火なんかやったら大喜びで近づいてくるに決まってるだろ! 」

 飛んできた雅人は三人に文句を言いながら修の背中を擦った。
おまえ…またひとを変人扱いしてるだろ…と修は雅人を横目で睨んだ。

 「修さん…ほら部屋へ行くよ。 歩ける? 」

 「平気…ちょっと胃に来てるだけ…。 」

修は胃を押さえたまま自分で母屋の自分の部屋まで戻った。

部屋のベッドに横たわると雅人が再び背中を擦り始めた。

 「顔色そんなに悪くないから…今日はすぐ治りそうだね…。 」

 雅人はそう言いながら修の胃の辺りも擦ってやった。
しばらくそうして治療をしていた雅人は急にぴたりと手を止めた。
修が怪訝そうな顔で雅人の方を見ると雅人の頬を一粒二粒と涙が伝っていた。

 「こんな後遺症…消えてなくなればいいのに…。 つらいよね…。
修さん…どんなに好きな人とでも…思うように愛し合えないなんて…。 」

修は驚いた。笙子が話したのか…。

 「ごめんね…それほど酷い状態がまだ続いているなんて…気付きもしないで…。
好き放題勝手なことして…修さんを傷つけるようなことばかり言って…。 」

雅人は涙声で修に謝った。
 
 「心配するなよ…そんなにまでひどくないってば…。 大丈夫さ…。
こんなこと気にしてたら本当に誰ともまともに愛し合えなくなっちゃうだろ…。
僕は…笙子が好き…史朗が好き…おまえが好き…それでいいじゃないか…。
誰にも触れられなかったら悲しいけれど…僕なりに触れられるんだからさ。 」

 修は笑いながらそんなふうに雅人に言った。
うん…と頷きながら雅人は背中を擦り続けた。

 「僕の本音を聞いておいてくれるか…? 二度とは言わない…。 」

 突然…修は真面目な口調になった。
うん…と雅人は答えた。

 「…つらいよ…雅人。 …悲しいよ…。 …切ないよ…。 …苦しいよ…。
でも…それだけのことだ…僕ひとりの胸にしまっておけばいい…。
 聞かなかったことにしておいて…すぐ忘れてくれよ。
だって…可笑しいだろ…いい歳をして…でかい図体して弱音を吐くなんて…さ。」

 声を上げて修は笑った。
雅人は黙って修の治療を続けた。修をこんな酷い目に遭わせ続けている男は今は伴侶も得て幸せな生活を送っていると聞いた。

 「割が合わないよ…。 あいつは結婚して幸せいっぱいだって聞いてるし…。
修さんだけが未だに苦しんでるなんて…。 」

 その男の犯した過ちの代償をなぜ被害者である修が受けなければならなかったのか…。 
雅人はその不条理さに腹が立って仕方がなかった。

 「そうか…唐島は幸せに暮らしてるんだ…。 良かったな…。
あいつが幸せになれたのなら…それで良しとしようじゃないか…。 」

そう言って修はまた楽しげに笑い声を上げた。

 「修さんそれ本気…? お人好しにも…ほどがあるよ…。 」

雅人が怒った。

 「そうカリカリすんな雅人…。 僕の生活…悪くないだろ?
美人で優しい奥さんと父親思いの息子が三人…頼りになるお祖父さまと僕を心から慕ってくれる恋人…僕を愛し心配してくれる何人もの友人がいて…心優しい同居人が大勢いる。
もうじき子どもも生まれるんだ…。

 僕の周りの人たちはみんな僕を心から愛して支えてくれる人ばかりじゃないか?
これはすごく幸せなことなんだぜ。 これ以上文句言ったら罰が当たるさ。 」

 修はそう雅人を窘めた。
雅人は納得がいかない様子だったがそれ以上は何も言わなかった。

 修の脳裏にふと城崎の父親の姿が浮かんだ。
問題が解決すれば少なくとも瀾だけは父親のもとに戻るだろう。
父子はそれなりにお互いに愛し合い支え合って生きていくだろう。
でもできれば…そこに久遠の姿があって欲しい…。

そのためには…久遠にこれ以上の罪を犯させてはいけない…。

 久遠…まだ間に合う…。
今ならやり直せるぞ…。

 修はその男に心の中でそんなふうに語りかけた。
届くはずもなかったけれども…。





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