ただいま…と声をかけたが部屋には誰も居ないようだった。
散歩にでも出たのかな…。
ノエルは何とか居間まで辿り着くと力尽きたようにその場に横になった。
しんと静まり返った部屋の中でノエルの意識がぐらぐらしだした。
ひどく怖かった…。
誰も帰ってこないような気がして…。
紫苑さん…アラン…。
呼んでみたけど…答えはなかった…。
紫苑…さん…。
瞬間的に夢を見た…。
仕事が終わってマンションに帰って来たところだった…。
ただいま…と声をかけるとカンナが嬉しそうに迎えに出てきた。
あれ…?
ノエルは辺りを見回した。
ねえ…紫苑さんは…? アランは何処…?
誰…それ…?
カンナは不思議そうな顔をしてノエルを見た…。
えっ? だってここは…。
やだ…何寝ぼけてるの…ノエル? ここにはあなたと私しか居ないよ…。
カンナは可笑しそうにクスクス笑った…。
うそ…!
ノエルは部屋中を探し回った。
仕事部屋も…寝室も…クローゼットの中まで…。
誰も居ない…。
紫苑さん…アラン…何処…?
紫苑さん…!
吾蘭の小さな手がぴたぴたとノエルの顔を叩いた。
ア~ア~とノエルを呼んでいる。
遠のいていた意識が戻り始めた。
「ノエル…どうしたんだ…? 」
西沢の心配そうな声が飛んできた。
「気分悪くて…帰って来ちゃった…。
ここまで来たら…ふらふらして歩けなくなって…。 」
西沢は急いでノエルの具合を確かめた。
「貧血かな…。 何処と言って大きな病気の気配はないから…。
恭介が帰ってきたらちゃんと診て貰おうな…。 」
西沢は出掛けに作っておいた小さな哺乳瓶の林檎ジュースを吾蘭に持たせ、ちょっと待っててね…とベビー・サークルの中に寝転がした。
吾蘭は自分で哺乳瓶を抱えて美味しそうに飲み始めた。
ノエルを抱き上げてベッドまで運び、もう一度…簡単に身体をチェックしたが…これと言って悪いところは見当たらなかった。
「やっぱり…僕に感知できるようなものはないな…。
恭介に頼もう…。 」
西沢はそっとノエルの頭を撫でた。
「いい子にしてな…ノエル…。 風邪かもしれないから…ね。
アランのオムツ替えたら生姜湯作ってあげるよ…。 」
喉まででかかった言葉が言えずに…ノエルはただ頷いた。
三宅が須藤のアトリエを訪れたのは、ばばさまの手伝いをするようになってからは初めてのことだった。
随分落ち着いたわね…と言ってやはり須藤家を訪ねていた田辺が微笑んだ。
須藤も同感だとように頷いた。
「お蔭でいろいろ勉強させて頂いています。
仕来りや心得なども完全とまでは行きませんが何とか形になってきました。 」
三宅は師匠たちにそう報告した。
出版社を辞めたわけではないが…実家から出て庭田家に部屋を貰っている。
智明が出張する時の留守居役みたいなことをしているらしい。
自分の近況はともかくも…実は…と三宅は遅々として進まない族長会議について田辺や須藤に話して聞かせた。
「最も重要なことを避けて通ろうとするあまり…馬鹿げた個人的な教育論に走っているとばばさまは怒っておられます。
西沢さんの赤ちゃんや僕ような完全体のプログラム保持者は…まだ他にも居るでしょうし…これから生まれてくる可能性だってあります。
つまり…この先どのくらいの人たちが誘拐されたり、洗脳されたり、騙されて利用されるといった被害に遭うか分からないのです。
そしてそのたびに何人もの若手の能力者が詭弁を以って唆され…罪を犯します。
これは族長たちが教育論を掲げている間にも起こりうることなのです。
教育の問題は各家門で解決すれば済むこと…今…事件を防止するためには…奴等HISTORIANの暴挙を止めねばなりません。
いざという時には単独の能力者方にもご協力をお願いしたいとばばさまから言付かって参りました。 」
須藤と田辺は顔を見合わせた。
田辺は倉橋家当主の娘だが族長会議の内容となるとまったく聞いてはいなかった。
ほとんどの一族の場合…重要なことは族長と長老衆で決めてしまい、他の者にはことが決まってから報告されるので、未決の情報が末端まで届くことはめったにないと言っていい。
田辺のように直系の者にでさえ届かないのだから…他は押して知るべし…。
これも家門の弱点かも知れない…。
HISTORIANはそういうところを巧みについてくるのだろう。
庭田は頭の固い家門の連中だけでなく…把握できる限りの単独の能力者にも協力を要請することにした。
その動きはまるで戦闘能力に乏しい庭田が形振り構わず傭兵を集めているようにも見えた。
下手をすれば…HISTORIANから宣戦布告と見做されるだろうことも、覚悟の上での行動だった。
テレビ画面には赤ちゃん向けの楽しげな映像と音楽…。
吾蘭は寝返りごろんごろんを繰り返しひとり遊びしながら、興味のあるところだけ画面の方に眼を向ける。
ベビー・サークルの中には吾蘭のお気に入りの玩具も幾つか入れてあって、それが欲しい時には転がってそちらへ移動する。
面白いくらい速いスピードで…ごろんごろん…。
「風邪…ではないと思う…気管も肺も炎症なし…。
胃も正常…腸も…。 少し貧血気味…だけど…消化器官等の異常ではない…。 」
滝川は慎重にノエルの内臓の様子を診ながら所見を述べた。
身体に軽く当てられた手が滑るように移動する。
その流れるような動きが一箇所でぴたりと止まった。
「紫苑…紫苑…居るぞ…。 たまげたな…。 この身体で…ふたりめか…。 」
たまげたのは西沢の方だった。
「ちょい…待て…冗談だろ…? ここ三ヶ月ほどご無沙汰だぜ…? 」
それじゃ…その前にできてたんだよ…不思議だけど…。
滝川は自分の感覚を疑うかのようにもう一度手を当てた。
かりかりっと頭を掻きながら西沢はノエルの方を振り返った。
ノエルは眼をぱちくりさせた。
できちゃった…。
滝川が何時になく硬い顔をしてノエルの方を見た。
「ノエル…この子…結構日数が行ってるから…始末するなら早急に手を打たないと危ないぜ…。 」
えっ…とノエルは訊きかえした。
始末って…何…?
「残酷な言い方だけど…このままじゃ…赤ちゃんは産めない。
カンナって人と付き合うつもりなら始末しなきゃ…。 」
滝川に言われてノエルは不安げに西沢を見た。
「赤ちゃん…殺しちゃうの…? 」
西沢が悲しそうな顔で頷いた。
「だめ…そんなのだめ! 紫苑さん…ねえ…なんで…?
アランの時はあんなに喜んでくれたじゃない…? 」
滝川が大きな溜息をついた。
「そのアランのためにでさえ…きみは母親で居ることができないんだろ…?
その子産んだとしても…結局…自分で育てられないんじゃないか…。
全部…紫苑に押し付けてここを出て行くことになるんだよ。
きみが男として女を好きになるのを止めることはできないけれど…それならそれで…少しでも犠牲は少ない方がいい…。 」
犠牲って…ぽろぽろとノエルの眼から涙が零れ落ちた。
「恭介…よせ…。 御腹に障るから…。
ノエル…ノエル…赤ちゃんができたのは嬉しいんだよ…。
でもね…きみの将来のことを考えると…手放しでは喜べないんだ…。
ご免な…僕が不注意だった。
悲しい想いをさせることになってご免な…。 」
西沢はそっとノエルの肩を抱き…俯いたままのノエルの髪を撫でた。
何処まで…甘えさせるつもりなんだ…と滝川は思った。
ノエルはもう子どもじゃないんだからな…アランのお母さんなんだし…。
歴とした一人前の男…いや…女…まあ…どっちでもいいが…親としての責任ぐらい弁える齢だぞ…。
「まあ…こういうことは傍で喚いても仕方がないことだから…よくよくふたりで話し合ってくれ…。
アランは僕が看てるからさ…。 」
そう言って…滝川は寝室を出て行った。
「一緒に生きてくって…約束したよね…? 結婚してるんだよね…?
籍は入れられないけど…みんなの前でちゃんと誓ったよね…? 」
ひとつひとつ確認するかのようにノエルは訊いた。
ああ…そのとおりだよ…と西沢は答えた。
「僕…ここが好き…。 誰も居ない部屋じゃなくて…カンナが迎えてくれる家でもなくて…紫苑さんの居るここが好き。
アランの居るここが好き…。 先生の居るここが…大好き…。 」
紫苑さんは…?とノエルが訊ねた。
紫苑さんは…僕が居ない…この部屋が好き…?
みんなは居るけど…僕の居ない部屋…。
ノエルが…居ない…部屋…。
それは…今まで幾度となく繰り返し西沢の心を苛んできた痛み…。
「好きなわけ…ないじゃないか…。 ノエルが居ない部屋なんて…。
だけどノエル…きみが幸せになるためなら…我慢できるよ…。
結婚した時から…ずっと覚悟してたし…お義父さんとも約束してたんだ…。
いつか…きみに好きな女性ができたら…身を引くって…ね。 」
紫苑さんは…いつ居なくなってしまうか分からない僕をずっと大事にしてくれてたんだ…。
「ここに居ろって言ってくれない…?
僕…紫苑さんじゃなきゃ嫌だ…。 他の誰とも約束できない…。 紫苑さんと居たい…。
何処へも行くな…この子…一緒に育てようって…。 」
それで…きみは幸せ…?
世間から…女扱いされるんだよ…。 お父さんになれないんだよ…。
「僕の周りの人だけは…僕を男と認めてくれてるもん…。
紫苑さんだけは分かってくれてるもん…。
お願い…。 」
ノエルは涙顔で微笑んだ。
西沢は頷いた。
「ずっと一緒に生きて行こう…ノエル。
もう一度…僕に…素敵なプレゼントをくれないか…? 」
満面の笑みに幾筋もの涙が伝った。
それがこの場限りの夢でも構わないと思った。
ここに居ることを…一緒に生きて行くことを…ノエルが自分から望んでくれた…。
うん…とノエルは嬉しそうに頷いた。
きっと…きっとね…。
次回へ
散歩にでも出たのかな…。
ノエルは何とか居間まで辿り着くと力尽きたようにその場に横になった。
しんと静まり返った部屋の中でノエルの意識がぐらぐらしだした。
ひどく怖かった…。
誰も帰ってこないような気がして…。
紫苑さん…アラン…。
呼んでみたけど…答えはなかった…。
紫苑…さん…。
瞬間的に夢を見た…。
仕事が終わってマンションに帰って来たところだった…。
ただいま…と声をかけるとカンナが嬉しそうに迎えに出てきた。
あれ…?
ノエルは辺りを見回した。
ねえ…紫苑さんは…? アランは何処…?
誰…それ…?
カンナは不思議そうな顔をしてノエルを見た…。
えっ? だってここは…。
やだ…何寝ぼけてるの…ノエル? ここにはあなたと私しか居ないよ…。
カンナは可笑しそうにクスクス笑った…。
うそ…!
ノエルは部屋中を探し回った。
仕事部屋も…寝室も…クローゼットの中まで…。
誰も居ない…。
紫苑さん…アラン…何処…?
紫苑さん…!
吾蘭の小さな手がぴたぴたとノエルの顔を叩いた。
ア~ア~とノエルを呼んでいる。
遠のいていた意識が戻り始めた。
「ノエル…どうしたんだ…? 」
西沢の心配そうな声が飛んできた。
「気分悪くて…帰って来ちゃった…。
ここまで来たら…ふらふらして歩けなくなって…。 」
西沢は急いでノエルの具合を確かめた。
「貧血かな…。 何処と言って大きな病気の気配はないから…。
恭介が帰ってきたらちゃんと診て貰おうな…。 」
西沢は出掛けに作っておいた小さな哺乳瓶の林檎ジュースを吾蘭に持たせ、ちょっと待っててね…とベビー・サークルの中に寝転がした。
吾蘭は自分で哺乳瓶を抱えて美味しそうに飲み始めた。
ノエルを抱き上げてベッドまで運び、もう一度…簡単に身体をチェックしたが…これと言って悪いところは見当たらなかった。
「やっぱり…僕に感知できるようなものはないな…。
恭介に頼もう…。 」
西沢はそっとノエルの頭を撫でた。
「いい子にしてな…ノエル…。 風邪かもしれないから…ね。
アランのオムツ替えたら生姜湯作ってあげるよ…。 」
喉まででかかった言葉が言えずに…ノエルはただ頷いた。
三宅が須藤のアトリエを訪れたのは、ばばさまの手伝いをするようになってからは初めてのことだった。
随分落ち着いたわね…と言ってやはり須藤家を訪ねていた田辺が微笑んだ。
須藤も同感だとように頷いた。
「お蔭でいろいろ勉強させて頂いています。
仕来りや心得なども完全とまでは行きませんが何とか形になってきました。 」
三宅は師匠たちにそう報告した。
出版社を辞めたわけではないが…実家から出て庭田家に部屋を貰っている。
智明が出張する時の留守居役みたいなことをしているらしい。
自分の近況はともかくも…実は…と三宅は遅々として進まない族長会議について田辺や須藤に話して聞かせた。
「最も重要なことを避けて通ろうとするあまり…馬鹿げた個人的な教育論に走っているとばばさまは怒っておられます。
西沢さんの赤ちゃんや僕ような完全体のプログラム保持者は…まだ他にも居るでしょうし…これから生まれてくる可能性だってあります。
つまり…この先どのくらいの人たちが誘拐されたり、洗脳されたり、騙されて利用されるといった被害に遭うか分からないのです。
そしてそのたびに何人もの若手の能力者が詭弁を以って唆され…罪を犯します。
これは族長たちが教育論を掲げている間にも起こりうることなのです。
教育の問題は各家門で解決すれば済むこと…今…事件を防止するためには…奴等HISTORIANの暴挙を止めねばなりません。
いざという時には単独の能力者方にもご協力をお願いしたいとばばさまから言付かって参りました。 」
須藤と田辺は顔を見合わせた。
田辺は倉橋家当主の娘だが族長会議の内容となるとまったく聞いてはいなかった。
ほとんどの一族の場合…重要なことは族長と長老衆で決めてしまい、他の者にはことが決まってから報告されるので、未決の情報が末端まで届くことはめったにないと言っていい。
田辺のように直系の者にでさえ届かないのだから…他は押して知るべし…。
これも家門の弱点かも知れない…。
HISTORIANはそういうところを巧みについてくるのだろう。
庭田は頭の固い家門の連中だけでなく…把握できる限りの単独の能力者にも協力を要請することにした。
その動きはまるで戦闘能力に乏しい庭田が形振り構わず傭兵を集めているようにも見えた。
下手をすれば…HISTORIANから宣戦布告と見做されるだろうことも、覚悟の上での行動だった。
テレビ画面には赤ちゃん向けの楽しげな映像と音楽…。
吾蘭は寝返りごろんごろんを繰り返しひとり遊びしながら、興味のあるところだけ画面の方に眼を向ける。
ベビー・サークルの中には吾蘭のお気に入りの玩具も幾つか入れてあって、それが欲しい時には転がってそちらへ移動する。
面白いくらい速いスピードで…ごろんごろん…。
「風邪…ではないと思う…気管も肺も炎症なし…。
胃も正常…腸も…。 少し貧血気味…だけど…消化器官等の異常ではない…。 」
滝川は慎重にノエルの内臓の様子を診ながら所見を述べた。
身体に軽く当てられた手が滑るように移動する。
その流れるような動きが一箇所でぴたりと止まった。
「紫苑…紫苑…居るぞ…。 たまげたな…。 この身体で…ふたりめか…。 」
たまげたのは西沢の方だった。
「ちょい…待て…冗談だろ…? ここ三ヶ月ほどご無沙汰だぜ…? 」
それじゃ…その前にできてたんだよ…不思議だけど…。
滝川は自分の感覚を疑うかのようにもう一度手を当てた。
かりかりっと頭を掻きながら西沢はノエルの方を振り返った。
ノエルは眼をぱちくりさせた。
できちゃった…。
滝川が何時になく硬い顔をしてノエルの方を見た。
「ノエル…この子…結構日数が行ってるから…始末するなら早急に手を打たないと危ないぜ…。 」
えっ…とノエルは訊きかえした。
始末って…何…?
「残酷な言い方だけど…このままじゃ…赤ちゃんは産めない。
カンナって人と付き合うつもりなら始末しなきゃ…。 」
滝川に言われてノエルは不安げに西沢を見た。
「赤ちゃん…殺しちゃうの…? 」
西沢が悲しそうな顔で頷いた。
「だめ…そんなのだめ! 紫苑さん…ねえ…なんで…?
アランの時はあんなに喜んでくれたじゃない…? 」
滝川が大きな溜息をついた。
「そのアランのためにでさえ…きみは母親で居ることができないんだろ…?
その子産んだとしても…結局…自分で育てられないんじゃないか…。
全部…紫苑に押し付けてここを出て行くことになるんだよ。
きみが男として女を好きになるのを止めることはできないけれど…それならそれで…少しでも犠牲は少ない方がいい…。 」
犠牲って…ぽろぽろとノエルの眼から涙が零れ落ちた。
「恭介…よせ…。 御腹に障るから…。
ノエル…ノエル…赤ちゃんができたのは嬉しいんだよ…。
でもね…きみの将来のことを考えると…手放しでは喜べないんだ…。
ご免な…僕が不注意だった。
悲しい想いをさせることになってご免な…。 」
西沢はそっとノエルの肩を抱き…俯いたままのノエルの髪を撫でた。
何処まで…甘えさせるつもりなんだ…と滝川は思った。
ノエルはもう子どもじゃないんだからな…アランのお母さんなんだし…。
歴とした一人前の男…いや…女…まあ…どっちでもいいが…親としての責任ぐらい弁える齢だぞ…。
「まあ…こういうことは傍で喚いても仕方がないことだから…よくよくふたりで話し合ってくれ…。
アランは僕が看てるからさ…。 」
そう言って…滝川は寝室を出て行った。
「一緒に生きてくって…約束したよね…? 結婚してるんだよね…?
籍は入れられないけど…みんなの前でちゃんと誓ったよね…? 」
ひとつひとつ確認するかのようにノエルは訊いた。
ああ…そのとおりだよ…と西沢は答えた。
「僕…ここが好き…。 誰も居ない部屋じゃなくて…カンナが迎えてくれる家でもなくて…紫苑さんの居るここが好き。
アランの居るここが好き…。 先生の居るここが…大好き…。 」
紫苑さんは…?とノエルが訊ねた。
紫苑さんは…僕が居ない…この部屋が好き…?
みんなは居るけど…僕の居ない部屋…。
ノエルが…居ない…部屋…。
それは…今まで幾度となく繰り返し西沢の心を苛んできた痛み…。
「好きなわけ…ないじゃないか…。 ノエルが居ない部屋なんて…。
だけどノエル…きみが幸せになるためなら…我慢できるよ…。
結婚した時から…ずっと覚悟してたし…お義父さんとも約束してたんだ…。
いつか…きみに好きな女性ができたら…身を引くって…ね。 」
紫苑さんは…いつ居なくなってしまうか分からない僕をずっと大事にしてくれてたんだ…。
「ここに居ろって言ってくれない…?
僕…紫苑さんじゃなきゃ嫌だ…。 他の誰とも約束できない…。 紫苑さんと居たい…。
何処へも行くな…この子…一緒に育てようって…。 」
それで…きみは幸せ…?
世間から…女扱いされるんだよ…。 お父さんになれないんだよ…。
「僕の周りの人だけは…僕を男と認めてくれてるもん…。
紫苑さんだけは分かってくれてるもん…。
お願い…。 」
ノエルは涙顔で微笑んだ。
西沢は頷いた。
「ずっと一緒に生きて行こう…ノエル。
もう一度…僕に…素敵なプレゼントをくれないか…? 」
満面の笑みに幾筋もの涙が伝った。
それがこの場限りの夢でも構わないと思った。
ここに居ることを…一緒に生きて行くことを…ノエルが自分から望んでくれた…。
うん…とノエルは嬉しそうに頷いた。
きっと…きっとね…。
次回へ