徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

続。現世太極伝(第六十六話 約束…したよね?)

2006-08-30 18:40:49 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 ただいま…と声をかけたが部屋には誰も居ないようだった。
散歩にでも出たのかな…。
ノエルは何とか居間まで辿り着くと力尽きたようにその場に横になった。

 しんと静まり返った部屋の中でノエルの意識がぐらぐらしだした。
ひどく怖かった…。
誰も帰ってこないような気がして…。

紫苑さん…アラン…。

呼んでみたけど…答えはなかった…。

紫苑…さん…。

 瞬間的に夢を見た…。
仕事が終わってマンションに帰って来たところだった…。
ただいま…と声をかけるとカンナが嬉しそうに迎えに出てきた。

あれ…? 

ノエルは辺りを見回した。

ねえ…紫苑さんは…? アランは何処…?

 誰…それ…?
カンナは不思議そうな顔をしてノエルを見た…。

えっ? だってここは…。

 やだ…何寝ぼけてるの…ノエル? ここにはあなたと私しか居ないよ…。
カンナは可笑しそうにクスクス笑った…。

うそ…!

ノエルは部屋中を探し回った。
仕事部屋も…寝室も…クローゼットの中まで…。

誰も居ない…。
紫苑さん…アラン…何処…?

紫苑さん…!

 吾蘭の小さな手がぴたぴたとノエルの顔を叩いた。
ア~ア~とノエルを呼んでいる。
遠のいていた意識が戻り始めた。

 「ノエル…どうしたんだ…? 」

西沢の心配そうな声が飛んできた。

 「気分悪くて…帰って来ちゃった…。 
ここまで来たら…ふらふらして歩けなくなって…。 」

西沢は急いでノエルの具合を確かめた。

 「貧血かな…。 何処と言って大きな病気の気配はないから…。
恭介が帰ってきたらちゃんと診て貰おうな…。 」

 西沢は出掛けに作っておいた小さな哺乳瓶の林檎ジュースを吾蘭に持たせ、ちょっと待っててね…とベビー・サークルの中に寝転がした。
吾蘭は自分で哺乳瓶を抱えて美味しそうに飲み始めた。

 ノエルを抱き上げてベッドまで運び、もう一度…簡単に身体をチェックしたが…これと言って悪いところは見当たらなかった。

 「やっぱり…僕に感知できるようなものはないな…。
恭介に頼もう…。 」

西沢はそっとノエルの頭を撫でた。

 「いい子にしてな…ノエル…。 風邪かもしれないから…ね。
アランのオムツ替えたら生姜湯作ってあげるよ…。 」

喉まででかかった言葉が言えずに…ノエルはただ頷いた。
 


 三宅が須藤のアトリエを訪れたのは、ばばさまの手伝いをするようになってからは初めてのことだった。
随分落ち着いたわね…と言ってやはり須藤家を訪ねていた田辺が微笑んだ。
須藤も同感だとように頷いた。 

 「お蔭でいろいろ勉強させて頂いています。
仕来りや心得なども完全とまでは行きませんが何とか形になってきました。 」

 三宅は師匠たちにそう報告した。
出版社を辞めたわけではないが…実家から出て庭田家に部屋を貰っている。
智明が出張する時の留守居役みたいなことをしているらしい。

自分の近況はともかくも…実は…と三宅は遅々として進まない族長会議について田辺や須藤に話して聞かせた。

 「最も重要なことを避けて通ろうとするあまり…馬鹿げた個人的な教育論に走っているとばばさまは怒っておられます。
 
 西沢さんの赤ちゃんや僕ような完全体のプログラム保持者は…まだ他にも居るでしょうし…これから生まれてくる可能性だってあります。
つまり…この先どのくらいの人たちが誘拐されたり、洗脳されたり、騙されて利用されるといった被害に遭うか分からないのです。

 そしてそのたびに何人もの若手の能力者が詭弁を以って唆され…罪を犯します。
これは族長たちが教育論を掲げている間にも起こりうることなのです。

 教育の問題は各家門で解決すれば済むこと…今…事件を防止するためには…奴等HISTORIANの暴挙を止めねばなりません。

 いざという時には単独の能力者方にもご協力をお願いしたいとばばさまから言付かって参りました。 」

 須藤と田辺は顔を見合わせた。
田辺は倉橋家当主の娘だが族長会議の内容となるとまったく聞いてはいなかった。
 ほとんどの一族の場合…重要なことは族長と長老衆で決めてしまい、他の者にはことが決まってから報告されるので、未決の情報が末端まで届くことはめったにないと言っていい。

 田辺のように直系の者にでさえ届かないのだから…他は押して知るべし…。
これも家門の弱点かも知れない…。
HISTORIANはそういうところを巧みについてくるのだろう。
 
 庭田は頭の固い家門の連中だけでなく…把握できる限りの単独の能力者にも協力を要請することにした。
その動きはまるで戦闘能力に乏しい庭田が形振り構わず傭兵を集めているようにも見えた。
下手をすれば…HISTORIANから宣戦布告と見做されるだろうことも、覚悟の上での行動だった。
 


 テレビ画面には赤ちゃん向けの楽しげな映像と音楽…。
吾蘭は寝返りごろんごろんを繰り返しひとり遊びしながら、興味のあるところだけ画面の方に眼を向ける。
 ベビー・サークルの中には吾蘭のお気に入りの玩具も幾つか入れてあって、それが欲しい時には転がってそちらへ移動する。
面白いくらい速いスピードで…ごろんごろん…。

 「風邪…ではないと思う…気管も肺も炎症なし…。 
胃も正常…腸も…。 少し貧血気味…だけど…消化器官等の異常ではない…。 」

 滝川は慎重にノエルの内臓の様子を診ながら所見を述べた。
身体に軽く当てられた手が滑るように移動する。
その流れるような動きが一箇所でぴたりと止まった。

 「紫苑…紫苑…居るぞ…。 たまげたな…。 この身体で…ふたりめか…。 」

たまげたのは西沢の方だった。

 「ちょい…待て…冗談だろ…? ここ三ヶ月ほどご無沙汰だぜ…? 」

それじゃ…その前にできてたんだよ…不思議だけど…。
滝川は自分の感覚を疑うかのようにもう一度手を当てた。

かりかりっと頭を掻きながら西沢はノエルの方を振り返った。

ノエルは眼をぱちくりさせた。
できちゃった…。

滝川が何時になく硬い顔をしてノエルの方を見た。

 「ノエル…この子…結構日数が行ってるから…始末するなら早急に手を打たないと危ないぜ…。 」

えっ…とノエルは訊きかえした。
始末って…何…? 

 「残酷な言い方だけど…このままじゃ…赤ちゃんは産めない。
カンナって人と付き合うつもりなら始末しなきゃ…。 」

滝川に言われてノエルは不安げに西沢を見た。

 「赤ちゃん…殺しちゃうの…? 」

西沢が悲しそうな顔で頷いた。

 「だめ…そんなのだめ! 紫苑さん…ねえ…なんで…? 
アランの時はあんなに喜んでくれたじゃない…? 」

滝川が大きな溜息をついた。

 「そのアランのためにでさえ…きみは母親で居ることができないんだろ…?
その子産んだとしても…結局…自分で育てられないんじゃないか…。

 全部…紫苑に押し付けてここを出て行くことになるんだよ。
きみが男として女を好きになるのを止めることはできないけれど…それならそれで…少しでも犠牲は少ない方がいい…。 」

犠牲って…ぽろぽろとノエルの眼から涙が零れ落ちた。

 「恭介…よせ…。 御腹に障るから…。
ノエル…ノエル…赤ちゃんができたのは嬉しいんだよ…。
でもね…きみの将来のことを考えると…手放しでは喜べないんだ…。
 ご免な…僕が不注意だった。
悲しい想いをさせることになってご免な…。 」

西沢はそっとノエルの肩を抱き…俯いたままのノエルの髪を撫でた。

 何処まで…甘えさせるつもりなんだ…と滝川は思った。
ノエルはもう子どもじゃないんだからな…アランのお母さんなんだし…。
歴とした一人前の男…いや…女…まあ…どっちでもいいが…親としての責任ぐらい弁える齢だぞ…。

 「まあ…こういうことは傍で喚いても仕方がないことだから…よくよくふたりで話し合ってくれ…。
アランは僕が看てるからさ…。 」

そう言って…滝川は寝室を出て行った。

 「一緒に生きてくって…約束したよね…? 結婚してるんだよね…?
籍は入れられないけど…みんなの前でちゃんと誓ったよね…? 」

 ひとつひとつ確認するかのようにノエルは訊いた。
ああ…そのとおりだよ…と西沢は答えた。

 「僕…ここが好き…。 誰も居ない部屋じゃなくて…カンナが迎えてくれる家でもなくて…紫苑さんの居るここが好き。
アランの居るここが好き…。 先生の居るここが…大好き…。 」

 紫苑さんは…?とノエルが訊ねた。
紫苑さんは…僕が居ない…この部屋が好き…?
みんなは居るけど…僕の居ない部屋…。

 ノエルが…居ない…部屋…。
それは…今まで幾度となく繰り返し西沢の心を苛んできた痛み…。

 「好きなわけ…ないじゃないか…。 ノエルが居ない部屋なんて…。
だけどノエル…きみが幸せになるためなら…我慢できるよ…。
 結婚した時から…ずっと覚悟してたし…お義父さんとも約束してたんだ…。
いつか…きみに好きな女性ができたら…身を引くって…ね。 」

 紫苑さんは…いつ居なくなってしまうか分からない僕をずっと大事にしてくれてたんだ…。

 「ここに居ろって言ってくれない…?
僕…紫苑さんじゃなきゃ嫌だ…。 他の誰とも約束できない…。 紫苑さんと居たい…。
何処へも行くな…この子…一緒に育てようって…。 」

 それで…きみは幸せ…?
世間から…女扱いされるんだよ…。 お父さんになれないんだよ…。

 「僕の周りの人だけは…僕を男と認めてくれてるもん…。
紫苑さんだけは分かってくれてるもん…。
お願い…。 」

ノエルは涙顔で微笑んだ。
西沢は頷いた。

 「ずっと一緒に生きて行こう…ノエル。
もう一度…僕に…素敵なプレゼントをくれないか…? 」

 満面の笑みに幾筋もの涙が伝った。
それがこの場限りの夢でも構わないと思った。
ここに居ることを…一緒に生きて行くことを…ノエルが自分から望んでくれた…。

 うん…とノエルは嬉しそうに頷いた。 
きっと…きっとね…。










次回へ

続・現世太極伝(第六十五話 ご免な…。)

2006-08-29 16:33:00 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 明日はノエルの誕生日というクリスマス・イブの夜を西沢は滝川と吾蘭の三人で過ごした。
それなりにご馳走を用意し…吾蘭にもかぼちゃのプリンをひと口…。
 甘い食べ物に大喜びの吾蘭…。
その無邪気な笑顔を見ていると…ひとりでも何とかやっていけそうだと思う…。
きみは本当に最高の贈り物だね…と西沢は吾蘭に語りかけた。

 「もう…決まっちゃったのか…? その娘さんとのこと…。 」

滝川は心配そうな顔を向けてそう訊ねた。

 「まだデートの段階みたい…だけど…よくは知らない…。 
根掘り葉掘り僕が訊くことでもないし…な。
だけど…お義父さんの話じゃ…幼馴染だって言うから…案外早いかも…な。 」

西沢は寂しげに笑った。

 覚悟はしていた…。 結婚と称してノエルと暮らし始めてからずっと…。
今更…驚きもしないけれど…とうとう来たかって感じ…。

 「なあ…アランも居るんだし…前とは状況が変わってきてるんだから…このまま一緒に暮らせないのか…?
おまえがひと言…ここに居ろ…と言えばノエルだってきっと…。 」

 言えないよ…。 ノエルは自由に生きるべきなんだ…。
そんな言葉で縛り付けたかないよ…。

 何より…あいつは男で居たいんだ…男として生まれ育ったんだから…。
それが…僕への恩返しのつもりでアランを産んでくれた…大変な思いをしてさ…。
それだけでも…十分過ぎるほど有り難いさ…。

 吾蘭はかぼちゃに味を占めて…ウ~ウ~と請求する。
もうひと口だけだぞ…御腹こわすからね…。
そのひと口でキャッキャッと大騒ぎ…。

 「アランは…生まれたばかりで…母親を失うんだなぁ…。
なんか…親子でよく似てらぁ…。 おまえは…両親ともに…だったけどな…。 」

 滝川がしみじみと言った。
何だか暗いイブの夜だった。

お晩で…と突然…玲人が幽霊の如く現れた。
思わず引いた。

 「何だよ…今日は奥さんとデートじゃないのか…? 」

ふうっと玲人は溜息を吐いた。

 「かみさんは友だちとスキーに行ってしまいました…。
向こうでいい男捕まえたらメールするねぇ…とか言って楽しげに…。 」

 おお…ここにも振られ組がひとり…。
まあ…三人で…ってかアランと四人でテキト~に盛り上がろうぜ…。

テキト~に…な…。



 カンナを家まで送り届けてからの帰り道…ノエルはぼんやり街灯の明かりの中を歩いていた。
以前…悦子と何度も行ったあのアイスクリームショップの近くの公園まで来て…何となくベンチに腰掛けた。
クリスマス・イブだからなのか…この辺りの店も遅くまで営業していて周りはわりと賑やかだった。
こんな小さな公園でも何組かのカップルが楽しげに時を過ごしていた。

そんな夜だというのに…別にカンナとのデートが楽しくなかったわけでもないのに…ノエルはひどく疲れを感じていた。

 近くに居たカップルたちが談笑しながら引き上げて行ったその直後…何かがふわっとノエルの上に覆いかぶさった。
冬だというのにそれはほんわかと温かかった。

我が化身…お疲れの様子だな…? 

 「うん…ぜんぜん…元気ないんだ…。 」

ノエルは正直に言った。

ほう…あの実は…気に入らなかったのか…?

 「実…アランのことかな…? アランはいい子…すっごく可愛いよ…。
でもね…僕の方がだめママなんだ…。

 亮のお父さんの言うとおりだった…。
僕が心から欲しいと望むのでなけりゃ…紫苑さんの為にってだけで子どもを産んじゃだめだって…。

 僕ね…自分が男だってこと捨てられない…。
だから…アランにとって良いママになれないんだ…。
きっと紫苑さんもがっかりしてる…ノエルは我儘だって思ってるよ…。 」

そうだろうか…?
人間というものは些細なことに拘るものだな…。

太極は首を…傾げた…何処が首だか分からないけれど…。  

 我が化身…おまえにとって最も大切なもの…最も必要なもの…始まりの時に戻ってもう一度考えてご覧…見えないものが見えてくるかもしれない…。 
ここ数年の間に出来上がってしまった何もかもを取り払っておまえの純粋な心を覗いて見るといい…。

 そう言って太極は気配を消した。いつしか…周りの店の灯も消えていた。
ノエルは重い腰をあげて人影のない公園を後にした…。



 第二回目の族長会議が招集されたのは年が明けて世間が少し落ち着いた頃のことだった。
今回は…地域会議に戻って先回の会議の報告に対する見解や地域側からの提案を纏めてきて貰うことになっていた。

 ところが…ほとんどの族長は若手の暴走をどう抑えるか…という眼の前の問題の解決にのみ論旨を置き、最も重要な課題であるHISTORIANのこの国における覇権狙いをどう阻止するか…や、そのために必要となる全体の指揮を誰が取るか…などという議論はまったくなされてもいなかった。

教育委員会じゃないんだから…! そんなこと今…この代表者会議で話し合うべきことなの…?

天爵ばばさまの怒りは増すばかり…。

 若手の教育は各家門の言わば個人的な問題でしょうが…!
どうしてもっと大局的なものの見方ができないかなぁ…?

 遅々として進まない会議に業を煮やしたばばさまは会議が引けた後、纏め役の宗主の許へ乗り込んだ。 
アポなしの突撃訪問…。
本来なら無礼極まりない行為で門前払いも止むを得ないところだが…宗主は機嫌よくばばさまの我儘を受け入れた。

 「このままでは埒が明きませんぞ…宗主。
HISTORIANはいつ何時…その本性現して動き始めるか分からぬ。
 このままじわじわとこの国に根を張られては大変なことになる。
それと分からぬうちに奴等の支配を受けることになっても宜しいのかぇ…? 」

 まるで祖母が孫を説教をするような口振りでばばさまは宗主に詰め寄った。
今…宗主の目の前に居る人は庭田麗香という女性ではなく、天爵ばばさま本人だということがはっきりと感じ取れた。
宗主は穏やかに微笑んだ。

 「ばばさま…まあ落ち着かれよ…。 すぐに纏まれと言っても無理なこと…。
族長たちはお互いに顔を合わせて間もない…。
 昔と違って同じ地域に住んでいようと…ほとんどの一族が互いに顔を合わせることも付き合うこともない状態なのだから。
何か族長たちを納得させられるだけの…例えば奴等の悪行の証拠でも掴めれば…みなすぐにでも纏まるだろうが…。 」

 何を今更…業使いを誑かして呪文をかけさせ…オリジナルだのワクチンだのとんでもない争いの種を蒔いただけでも十分なのに…若手を唆して誘拐未遂事件を引き起こさせたではないか…。

 「そのことなら…確かに責められるべき行ないではあるが…何かの拍子に発症して暴れるかも知れない者たちを事前にあぶりだして危険を回避してやったんだと言われれば…嫌々ながらも納得せざるを得ないだろう…?

 赤ん坊のことにしても…誘拐するという実際の行動に及んだのはHISTORIAN自体ではない。
おそらく…奴等が犯人をを唆したという証拠も残っては居ないだろう。
捕まった者たちは金目当てだと言っているのだから…。

 どれをとっても決定的なものではないのだよ…。
糾弾するには不十分だ…。
ばばさまのお怒りも分からんではないが…もし十分なものがあったなら…我々裁定人が動かぬはずがあるまい…?
裁定人が黙っているからには…それなりの理由があってのことだ…。 」

 宗主は裁きの一族が、ただ悠長に見過ごしているわけではないことを示唆した。
さすがのばばさまも反論できなかった。

 「ばばが見たそのままを話して聞かせても無駄かの…?
ばばは一万余の時を生きておる…。 勿論…身体は代々乗り換えてはおるが…。」

 ばばさまは確かめるようにそう問い掛けた。
残念そうに…宗主は首を振った。

 「ばばさま…この私自身が話を伺うのであればつゆほども疑わぬ。
ご存知の紫苑などもそうであろう…。
 だが…他の者は…自分自身が能力者であってさえも…未知のものには疑いの目を向ける…科学的にどうのこうのと講釈言っての…。 」

 宗主は申し訳なさそうに…ばばさまの顔を見た。
ばばさまはがっかりしたようにふうっと溜息をついた…。



 まだ明けきらぬ時間にふと目覚めた西沢は、温かな布団の中で自分に寄り添うように眠るノエルの頬に…夕べの涙の後を見つけた。

ご免な…。

 西沢は心の中で謝った。 拒絶したのは…ノエルのため…。
奇跡的にでも吾蘭を産んだノエルにはまた妊娠する可能性がある…。
もしかしたら…カンナと結婚するかも知れないって時に御腹に西沢の子どもがいたら…お話にもならない。

 そして西沢自身のため…。
男女どちらのノエルにせよ…西沢にとっては可愛い連れ合い…。
触れたら…ノエルを手放せなくなってしまう…。

 ノエルがカンナと付き合いだしてから西沢はノエルに触れるのをやめた…。
いつもどおり暮らしていながらも…身体の関係を一切絶ってしまった。
ノエルにはそれがショックだったようだ…。

 最初…ノエルは…西沢が疲れて嫌がっているんだと思っていたらしいが…夕べはきちんとわけを話した…。
甘えん坊のノエルは…納得できないという…顔をしていた…。

 そりゃそうだ…僕等まだ…夫婦だもんな…。
でもね…ノエル…。
僕への想いをずるずると引き摺ってたら…きみはここから出て行けない…。

 珍しく子ども部屋から吾蘭の泣き声が聞こえた。
御腹空いたのかな…西沢は慌ててベッドを降りた。
ノエルが眠そうな顔で半身を起こした。 

 「いいよ…僕が看て来るから…。 寝てなさい…。 」

西沢がそう言うとノエルはこっくり頷いた。

 僕だけしか傍には居ないんだって状況にアランを少しずつ慣れさせてあげなきゃ…。
お母さんは居なくなってしまうかも知れないんだから…。



 大学最後の試験を終えて…後は卒業式を迎えるだけになった。
幸いなことに亮だけでなく直行も夕紀も…同好会の仲間もみんな就職が決まった。
 早い人ではすぐに就職先の研修が始まる。
亮もそのひとりだけれど…この半年余…研修を受けていたようなものだから別に慌てもしない。

 心配なのは…亮自身よりノエルのこと…。
カノジョができたのはいいが…このところまったく元気がない…。
 仕事は決まっているし…可愛いカノジョとも上手くいっているようだし…。
それなのに…全然…楽しそうに見えない…。
 
 あんなにカノジョ欲しがってたのになぁ…。
これからバイト先の書店に向かう亮は、溜息ばかり吐いているノエルを見送りながら首を傾げた。

 智哉の店では年が明けた頃からすでに新学期に向かって、制服や上履きなど学校で必要なものの注文受付や取り寄せに追われている。
三月までにはほとんどお客さんにお渡しできるって状態になっていなければ意味がない…。
新学期に入ってから各学校の指導で注文される品物もあるが…それを見越しての品揃えも必要…。

 朝一番で試験を受けた後…店に着いた端から忙しく働いていたノエルは二時ごろになってやっと昼食にありついた。
 御腹が減って死にそう…なはずなのに食欲がわかない…。
弁当を目の前にまた溜息…。

 「どうした? 腹でも痛いか…? 」

向いの席で弁当を食べていた智哉が心配そうに訊いた。
 
 「痛いわけじゃないんだけど…なんか食えねぇ…気分悪ぃ…。
ふらふらすっから…風邪引いたかもしんない…。 」

 智哉はノエルの額に触ってみた。
それほど熱くはなかった。

 「熱は無いようだが…何にしてもいけねぇな…。 悪い風邪が流行ってるみたいだから…。
帰って寝た方がいい…。  店の方は母さんに来て貰うからよ。
アランにうつすといかんから早く治せ…。 」

うん…忙しいとこ悪いな…帰るわ…とノエルは自分のバッグを取り上げた。

何処となくひどくだるそうな後姿に、大事無きゃいいが…と智哉は思った。 










次回へ

続・現世太極伝(第六十四話 いい女…見つけなよ…。)

2006-08-27 23:15:00 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 この件についての最初の族長会議が開かれたのは紅葉の季節を過ぎた頃。
要請を受けてから三ヶ月…これでも極めて順調に進んだ方だ。
纏め役の宗主側は下手をすれば…開催まで半年はかかるだろうと予想していた。

 裁きの一族が如何に絶大な権力を誇ろうとも…それは裁定人として動く時のことであって…纏め役は進行係に過ぎない。
切羽詰れば威力を発揮するが…そうでない限りはああしろこうしろと他家の長に向かって命令する権限はないし…あったとしてもするつもりもない。

 それゆえ…こちらで開く族長会議での混乱を避けるために…まずは地域内で族長会議を開いて貰い…よくよく現状を話し合った上で地域ごとに代表者を決めて送って貰うことにした。

 ところが…ほとんどの一族は普段から付き合いのある家門以外の他家に対し閉鎖的なのが普通である…。
同じ地域に住んではいても存在すら知らないなんてこともざらで…本来なら地域内で集まることすら到底不可能な状態だった。

 幸いというべきか…先回の事件で多少なりと連絡を取り合った経験から大きい家門がそれなりに動き…族長や家長が集まるには集まって何とか会議は行われた…。

 しかし…会議が進行するにしたがって…今度は何家を代表にすべきか…が大問題となった。
それぞれの家門の誇りと意地が邪魔をしてなかなか決まらない。

 開催する方にしてみれば…何家でもいいから指導力のあるところに来て貰うのが一番なのだが…昔と違ってこういう時はここに限るという代表的家門がないから…かえって難しい。
何度も会議を重ねた地域もあったようだ。

 そんなこんなで月日が経ち…それでも思ったよりは早く会議の開催にこぎつけることができた。
庭田の智明があちらこちらを回って…今は体面でものを考えている時ではない…と懸命に説得にあたった成果でもあった。



 御使者が調査の為に頻繁に動いていたせいか…誘拐未遂事件で若い能力者が動揺し始め、警戒を強めたためか…HISTORIANはあの事件以来、吾蘭の周りをうろつかなくなった。
 勿論…諦めたわけではなく、機会を狙っていることは確かだが、予想外にも事件が公けになったために被害者である吾蘭に人の目が集まり、簡単には手を出せない状態になった。

 まさか西沢が警察沙汰にするとは考えて居なかったのだろう。
今また吾蘭を狙えばHISTORIANが犯人だと自ら名乗り出るようなものだ。
警察の方は誤魔化せるとしてもこの国の能力者たちの眼を欺くことはできない。

 西沢にしてみれば…たまたま院長が警察を呼んでしまったから成り行きに任せただけで他意はない。
捕まった三人の力を封じた処置は裁定人としては至当のこと…。
意図したわけではないのだが…どうやら…結果的に西沢はそうそう甘い男ではないというところを見せ付けてしまったようだった。

 ヨーランの中でアブゥ…アブブと話す声がする。
最初のひと月はおっぱいを求めて唇をちゅくちゅく動かすのを西沢やノエルがまるで声であるかのように捉えていただけだったが…この頃では間違いなく本物の声…それも何かを話すようになってきている。
意味は不明…。

 吾蘭はよく寝る子で夜中に泣き騒ぐことはめったにない。
夜泣きで困っているお母さんの話なんかを聞くと…アランは手がかからない子で助かりだ…とノエルは思う。
 機嫌のいい吾蘭にお休み前のミルクを飲ませながら…今日の出来事なんかを聞かせてみる。
お父さんがねぇ…吾蘭の絵を描いてくれたよ…とか…ノエルの居ない間…アラン何してたの…とか…。

 バイトに復帰したのは前期試験が終わった頃だった。
体調も完璧だと自分では思う。

 吾蘭は普段…家で仕事をしている西沢が看ていてくれる。
西沢が忙しい時や外の仕事の時は、ノエルがバイト先の智哉の店へ連れて行く。
講義などが重なる時は実家で母親…倫が見ていてくれた。

他のお母さんたちよりずっと楽をしている…と自分でも分かっている。

 アランは可愛いし…紫苑さんはめちゃめちゃ喜んでくれた…。
文句なんかあるはずないのに…僕が産むって決めたのに…。

 最初は何とも思わなかった。
紫苑さんに赤ちゃんを産んであげられることになって…嬉しかったもん。

けれど吾蘭を産んでから日が経ち…身体が回復し…吾蘭の居る生活に慣れてくるに従って…なぜだか…どんどん不安になってくる。

お母さんになってしまった…から。

このまま…僕は女で居なきゃいけないんだろうか…?
お母さんだから…もう男だって言っちゃいけないんだろうか…?

だけど店の人たちは…吾蘭は僕が産んだ子だとは知らない。
僕のカノジョが産んだと思ってる。
 
 眠りかけた吾蘭のオムツを取り替えて…そっとお休みを言う。
子ども部屋は仕事部屋の隣…これまでは客間のように使っていたところ…。

 寝室では西沢が本を読んでいた。
この頃…吾蘭に時間を取られるせいかページがあまり先に進んでいないようだ。
書店に行く回数がめっきり減っている。

HISTORIANの嫌がらせのせいで生地を張り替えた籐のソファに腰を下ろしてノエルはぼんやり天井を仰いだ。

 「退屈そうだね…? 」

西沢が…何処となく持て余し気味の様子の窺えるノエルの方に眼を向けた。

身体は忙しいんだけど…心が退屈…何か枯渇状態…。

西沢はそうか…と頷いた。
西沢の表情が少し曇ったことにノエルは気付かなかった。

おいで…ノエル…遊ぼう…。

微笑みながら西沢が手を伸ばした。
ノエルも笑顔浮かべてその腕の中へ飛び込んだ。
いつものように愛し合いながら…西沢は秘かに胸の内で思った。

 子どもを産むという目的を果たしてしまったから…焦れてきたんだ…。
もう…僕では…だめなんだね…。 
 どうしたって…代わりは務まらない…。
きみの心がやっと16歳の壁を突き破ったってこと…喜ぶべきなんだろう…。

そろそろ…いい女…見つけなよ…。



 その話は…智哉の口からノエルに伝えられた。
近所の世話好きなおばさんが…ノエルにぴったりという縁談話を持ってきたのだ。
勿論…ノエルに誰が産んだかは不明の子どもが居ることは相手にも分かっている。
だって…相手は近所に住んでいてノエルの中学の時の後輩…幼馴染…。

 カンナ…というその娘は転勤族だった父親が最近脱サラで始めた弁当屋でバイトをしていて…時々ノエルの店にも配達に来る。
幼い頃よく公園などで一緒に遊んだが高1の始めに何処かへ引っ越して行った。
ノエルが店でバイトをするようになってから退職した父親についてこの町に戻って来た。
 
 結婚はともかく…ちょっと付き合ってみたらどうだ…という智哉の勧めでノエルはカンナとデートすることにした。

少し前に智哉の許へは西沢から…ノエルに巣立ちの兆しが見え始めた…との知らせがあった。

 西沢の気持ちを考えれば…胸が痛むが…これもノエルが男として生きていかれるかどうか…の正念場…智哉は心を鬼にしてカンナと付き合うことをノエルに勧め、西沢にもノエルに縁談があることを打ち明けた。
西沢はただ…分かりました…とだけ答えた。 

 西沢に吾蘭を任せっぱなし…ということもあって気がひけるのか、ノエルはカンナとデートするたびに、そのことを誤魔化すのに四苦八苦しているようだった。
黙ってないで話せばいいのに…と西沢は苦笑した。

 「ノエル…誕生日…どうする…? 去年は悪阻でお祝いできなかったけど…。
今年も…先約があるんじゃないのかい…? 」

 隠すなんて馬鹿な苦労しなくて済むように西沢はこちらから訊いてやった。
えっ…とノエルは驚いたように西沢を見た。
やれやれ…と西沢は半ば呆れたような笑みを浮かべた。 

 「お父さんから聞いてるよ…。 いい話があるんだって…?
何で黙ってるの…? 僕がデートの邪魔をするとでも思ったのかい…? 」

 冗談っぽく言いながら西沢はノエルの顔を覗き込んだ。
そうじゃないけど…ノエルはばつの悪そうな顔をした。

 「ノエル…僕のことは気にしなくていいよ。
きみは男だし…いつまでも僕の奥さんではいられないだろう…。
思うとおりに生きればいいんだよ。 

 好きな人ができたのなら…その人と幸せになることを考えなさい。
いつまでも僕の傍に居たら幸せを掴みそこなうかもしれない…。

 吾蘭の母親である以上…どうしても周りはきみを女性扱いするだろうから…。
きみが本当になりたかったのはお母さんじゃなくてお父さんだろ…? 」

紫苑さん…。
ノエルは言葉につまった。
笑顔を絶やさない西沢…ノエルの心が痛んだ。

 「吾蘭のことは…僕が責任を持つ…。 
だから…今までのことは忘れて…自由にこれからの道を選びなさい…。 」

西沢はいつものようにノエルの頭をくしゃくしゃっと撫でた。

 そんなことがあってからも…しばらくはいつもと変わりない生活が続いた。
西沢はそれ以上何も言わなかったし…ノエルもカンナとの付き合いを内緒にはしなかった。



 最初の族長会議が御使者やエージェントによる調査結果の発表や庭田による全国の能力者への警鐘と提案を聞くだけに止まったのは、その内容が即決できるものではなかったためで、決して会議が物別れに終わったためではなかった。

 会議が開催されたことだけでも意義があったと考えなければならないような状況の中では、庭田としてもその場でそれ以上の進展を望むべくもない。
会議に招かれた立場ではあっても…決して裁きの一族の協力を得られたというわけではなく、有力な支持があったというわけでもなかった。

 「しばらく鳴りを潜めているあいつ等が…何かことを起こせば状況は変わるわ。
能力者の間にもっと切迫した危機感が生じたなら…前回のように協力体制が出来上がるはずよ…。 
この国の連中を太平の眠りから目覚めさせるのには…ほんと荒療治が必要ね…。」

まったく…もう…呆れるわ…。 麗香は歯痒そうに唇を噛み締めた。

 「あんまり焦らないことよ…お姉ちゃま…。
下手をすれば…庭田が能力者の支配を企んでいると勘違いされるわ…。
そうなったらHISTORIANの思う壺よ…。 」

 スミレは苛立つ麗香を窘めた。
待つのよ…必ず…痺れを切らして動き出すわ…。
庭田を潰すことも…紫苑の赤ちゃんのことも奴等は決して諦めたわけじゃない…。

 あいつ等は敵とみなしたものは何処までも追うの…。
そう…それは万のつく歳月の昔から…少しも変わらない…。
奴等は…時を越えた魔物なんだから…。









次回へ

続・現世太極伝(第六十三話 親父は黙って笑うのみ)

2006-08-25 23:15:40 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 その後も亮は仲根について、母の実家である倉橋家や滝川の本家にも調査に出向いたが、それほど変わった収穫は得られなかった。
西沢の本家では族長の祥から話を聞いたが、さすがに西沢の子どもを襲うのに西沢の養家の者に声をかけるようなことはしなかったとみえて、ひとりも誘いを受けた者は居なかった。

 各地域の御使者の調査結果を分析すると、何者かに声をかけられた若手が多いのは、比較的規模の小さい家門か、規模の大きい家門の一員ではあるけれどトップには立てない家格の低い異姓の家だった。

 島田と宮原とは同族で家格もそんなに低くはないが二姓合わせても規模はそれほど大きくはない…。
昔はもう少し羽振りを利かせていたが…時代の流れか…一族からだんだんに力のある能力者が失われて行った結果だった。

 いっそ家門がなくなってしまえば何も考えず自由に生きられるものを…旧態依然とした家門という重圧の中で身動きできない息苦しさを抱えた若い層…。
ここを出て何かを掴みたいという気持ちを煽るように、指示通りに動けばきみたちの新しい世界が開けるみたいなことを言って聞かせる。

 何をしてもばれなきゃ犯罪にはならない…なんて安易な考え方でとんでもないことを仕出かしてしまう。
ばれなくってもそれは立派な犯罪なんだって意識が希薄…。

 う~ん…族人教育以前の問題かもね…。
先輩たちの提出した報告書の控えを読みながら亮はそんなことを思った。

 「おかしいわね…。 今日は木俣くんについて貰うつもりだったのに…。
ひょっとして何処かから目的地へ直行したのかしら…? 」

 花園室長は木俣の携帯へ連絡を入れてみた。
案の定…木俣は出先から直で仕事先に向かっていた。

あ…そうなの…いいえ…別にたいした用事じゃないから…そのまま向かって…。

 「亮…あかん…振られたわ。 今日は外勤なし…。
仕方ないからそこの書類整理してくれる? ちょっと大変かも知れんけど。
ごちゃごちゃになってると思うわ…。 」

 花園室長は済まなさそうに言った。
書類の角のマークを合わせれば…大概は分類できると思うわ。
微妙なやつは訊いてくれればいいからね…。
ファイルなんかの事務備品は棚の下の開きに入っているから…。

 分かりました…。 亮は書類棚の方へ移動した。 
棚は行儀の悪い客の荒らした書架よりもひどい有様だった。
いつ整理したかも分からないほど…。

事務的なことは内勤がやっているから…この棚の書類は提出の済んだものの控えばかりなんだろうけれど…それにしてもすごい。

 谷川書店最古参バイト木之内の本領発揮…。
亮は黙々と仕事をこなした。
お客が来ない分…邪魔されずに書類に専念することができた。

 室長は忙しそうに電話やパソコンと格闘を続けている。
今日はみんな外を回っているようで、昼近くになっても誰もこの部屋には戻ってこなかった。

 半日ほどかけて…ようよう書類棚らしく見えるようになった。
後はわけの分からん幾つかの書類をどうするか…。

 「室長…これだけよく分からないのが出ました。 分類どうしましょうか? 」

亮は花園室長のところへ何部かの書類を持っていった。
室長はパラパラと書類の束を捲って目を通すと亮に渡した。

 『よう分からん』ファイルを作っちゃっていいよ…と事も無げに言った。
担当者がここじゃ嫌だと思ったら自分で該当ファイルに移すだろうから。
ま…私の予想じゃ…そのままだろうね…ははは。

ははは…って大丈夫かよ…そんなんで…。
亮は胸の内で嘆いた。

 丁度…出入りの弁当屋が弁当を運んできた。
室長は弁当を受け取ると亮にひとつ渡した。

 「休憩しよう…。 腹がへっては戦はできぬ…だ。 ご馳走したの内緒だよ…。他の連中が嗅ぎつけると俺も私も…って強請られるからね。 あはは…。 」

 室長は豪快に笑った。
亮は礼を言って急いでお茶を淹れた。
 弁当を食べながら…亮は初めて親父のカノジョと個人的な話をした。
仲根とは違う…同期の立場から見た有の苦労を話してくれた。

 「とにかく…大変だった。 あの頃のお父さんは…。 
仲根くんは遠慮があるから上を悪くは言わなかっただろうけど…。

 上の連中は旧式な人間ばかりで…しかも揃いも揃って良い家の出身者…。
お父さんの実家も名家とは言え、彼等より家格が下だったし…立て続けに有力な親族が亡くなったために権勢が衰えている状態だった。

 だけどお父さん自身は宗主と同じ主流の血を引いているし、能力的にも群を抜いていて本家や外部からは有望視されている。
能力だけでみれば上の連中をはるかに凌いでいたものだから…そのことが連中の気に障って妬まれたんだね。

 家にも戻れないほどに働かされて…。
お父さんは文句を言わない人だったけど…はっきり言って苛めだよ…あれは…。

 奥さんが家を出て行ってしまってから、一~二年ほどの間に…御使者のお役から上の連中がひとり減り…ふたり減りし始めた。
 出世と称して他の部署に移って行ったんだけど…どうやら不審に思った宗主が内々に調べさせて手を打ったらしいと後で分かった。

 だって…彼等が移動した先は名目だけの閑職…左遷よ…事実上の…。
宗主万歳ってみんなで叫んだ…溜飲下がる思いがした。 
代わりにお父さんがここの室長になり…やがては代表格になり…今は総代格…。

 苛めを肥やしにして異例とも言えるスピード出世を果たした。
お父さんはみんなのお蔭だ…俺の力じゃないっていつも言ってるけど…それだけの人柄と能力を持っているからみんなも納得してついて来たんだよ。 」

 花園室長の話は亮にとって仲根の話以上に胸の痛い内容だった。
亮の知らない父親の姿が…兄紫苑と重なった。
苦しかったこと…悲しかったこと…ふたりともほとんど自分から話すことはない。
亮の前では何事もなかったかのようにただ笑う…幸せだ…と笑う…。

 仲根さんはきっと僕がショックを受けないように…あんなさらっとした言い方で話してくれたんだ…。
ここの人たちは…親父を慕ってくれている…。
親子として気持ちの離れてしまった僕と親父を近づけようとしてくれている…。
そう…感じた。

 「こんな話をしたのはね…。 
きみが御使者になる決心をしたと聞いたので…ちょっと釘を差して置きたかったから…。
 今…きみはこの職場に結構いいイメージを抱いているのだろうけれど…いつまでもこんないい状態が続くとは限らない。
万が一…またあんな連中が上に立つようなことになれば…すべてが変わる。

 同族だからってきれいごとばかりで済むような世界じゃないってことを知っておいて欲しかった…。
汚いこと…醜いことは他の世界と変わらない。
むしろ…血の繋がりや家の繋がりがあるためにどろどろとしたものが払拭できないところでもある。

 それを覚悟して入社してきなさい。
少なくとも今ここで働いている仲間たちはあなたを心から歓迎するでしょう…。」

そう言って花園室長はきりきりっとした瞳に笑みを湛えた。

 

 ノエルが身体慣らしに散歩に出かけた後、徹夜明けの西沢は吾蘭のヨーランを寝室に運んでベッドの脇に置き、吾蘭が気持ちよさそうに眠っていることを確認してからベッドの上に寝転がった。

 ミルクも飲んだし…オムツもかえたし…当分…大丈夫だな…。
そう呟きながら…すぐにうとうとし始めた。

 まだ毎日暑い日が続いてはいるが、今日は窓と寝室の扉を開けておくとスーッと風が通って心地よい。
絶好の昼寝日和…まだ午前中だけど…。

 爽やかな風に吹かれて眠りの世界へと落ちていく…。
深く…深く…。

 西沢の耳になにやらうにゃうにゃ言う声が聞こえる。
どれくらい眠ったんだろう…? ぼんやりと薄目を開けてみる。

 レースのカーテンを通して差し込む柔らかい陽射し…うそぉ?…柔らかい…?
暦の上で秋ったって…まだギンギン夏だぜ…。
とにかく…その柔らかい陽射しがヨーランの中に射し込み…吾蘭がなにやら話しているかように見える。

えぇっ…? 

思う間に陽射しはするすると西沢の方に迫って来た。

驚いた…あなたか…?
アランと話を…?

不思議かね…とエナジーは訊いた。

 いや…アランの方が僕等より話が分かりやすいかも知れないな。
雑念が無いから…。
 それよりお力添えを有難うございました。 本当に感謝しています。
お蔭でアランを授かりました。

 それは私より…むしろ五行たちの仕事…。
だが…私を通して彼等にも伝わっているよ…その言葉は…。
彼等も言うだろう…よい実を結んでよかったと…。

 不安もあるのです…。 
オリジナル・プログラムの完全体が…いったいどんな成長を遂げるのか…?
この新しい命に誤った未来を選択させないように…親の僕がどう接し…育てていったらいいのか…。

 子どもはよく…誤った選択をするものだ…。 
私の産み出したものたちは何度も過ちを犯した。
 お蔭で私自身が…幾度となく滅びの危険に晒されている。
それでもすぐに完全に見捨ててしまうには忍びない…。
 そうこうしているうちに万の時が過ぎた…。
繰り返し繰り返し…億の時が…。
悠長な話だ…。
 しかし…それもいつまでも…というわけにはいかない。
情けも絆も断つときには断たねばならない。
それも…産み出した者の責任…。
 人間と違って…他の生命に対する責任がある…。
人間だけをえこひいきすることはできんからな…。

 重い責任だ…。
僕なら僕の子どもを育てるだけで手いっぱいだろうに…。
あなたに比べれば…まだ僕は楽な方だな…。
ちょっと…肩が軽くなった気がする…。

 ははは…比べられちゃかなわん…。 レベルが違い過ぎる…。
相変わらず…面白い男だ…宇宙と我が身を比較するとは…。
 
ははは…と…さも可笑しげに笑いながら太極は機嫌良く去って行った。

 西沢は吾蘭を抱き上げた。
何があっても…きみが僕の息子であることに変わりはない…。
忘れないで…吾蘭…僕がきみを心から愛していること…大切に思っていること…。

再び眠り始めた吾蘭のあどけない顔を見つめながら西沢は穏やかに微笑んだ…。










次回へ

続・現世太極伝(第六十二話 息子の知らない親父の姿)

2006-08-24 17:18:10 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 すでに誘拐未遂という犯罪を犯してしまった三人の属する家門の長たちは、兎にも角にも西沢の属する裁きの一族の宗主には急ぎ詫びを入れておかなければならぬというので、三家揃って宗主の前へと罷り越した。 

 宗主の登録家族である西沢は宗主にとって同族の間では息子にあたる。
その実子である吾蘭は自動的に宗主の孫として登録台帳に記録される。
 孫である吾蘭を誘拐されそうになった宗主の怒りは未だ治まらずと…長老衆からは厳重注意を受けた。
勿論…半分は脅かしみたいなものだが…それほど宗主が西沢のことを気に入っている証拠で…三家の長たちはみな生きた心地がしなかった。

 丁寧に若手の不始末の詫びを述べた後で、各家門の現在置かれている状況を伝え…非常事態と考えるゆえに…と族長会議の招集を要請した。
 さすがに…宗主は即答を避けたが…長たちが帰途についた後で…即日…一族の長老会議を招集し…族長会議の是非について話し合った。

 これという統率者が存在しないために、やむを得ず国内の能力者の取り纏め役みたいな立場に立たされては居るが、裁定人はもともと普通の人たちにはどうすることもできない、能力者間で起こった様々なトラブルや犯罪を解決に導くために存在したのであって、すべての能力者の上に君臨するためではない。

 時代の変化に伴い、能力者たちの生活様式が次第に変化し、人間関係も以前とは異なってきて…裁定人自らがそれほどの存在の必要性を感じなくなったこともあって、裁定人としての活動を停止してから既に半世紀以上…下手したら一世紀近くにもなる。

 この前の事件で周囲の要請を受けて仕方なく一時的に活動を再開したものの…また今回もずるずると纏め役を引き受けることに抵抗がないわけではなかった。

 長老会議では…現在各家門の内部で起きている問題に関しての御使者の調査結果を待つべきであり…その上で再度検討しよう…という案が採択された。
会議に招かれた内室方の長老会代表者たちもこれに同意見だった。

 全地域の御使者とエージェントに命令が出され…若い層の間にどれくらい被害が広がっているか調査することになった。

 いつもなら西沢の許にも命令書が送られてくるはずなのだが…今回は被害を受けた当事者ということもあって…このお役目からは外されたようだった。

 お蔭でしばらくは本業に専念できた。
とは言え…吾蘭が居るからのんびりというわけにもいかなかったが…ノエルもまだ夏休みだし…ずっとバイトも休んでいたから…西沢としてはあまり仕事場を離れる必要がなかった。

 紅村旭や花木桂が出産のお祝いと称して訪ねて来てくれた折に…西沢はふたりにも事件の近況を知らせておいた。
 厄介なことに巻き込む危険性があったことから…これまでふたりには時々事後の結果報告をしていただけだったが…これから先は嫌でも関わらざるをえなくなるだろう。
これも西沢たちと知り合ったゆえと考えると…少々気の毒な気もする。 
知らなきゃ知らないで済んでしまうことだって世の中にはあるんだから…。 
 


 あれから…講義とバイトのない時はたまに会社に顔を出している。
研修はまだ先だし…特に呼び出しを受けているわけでもなく…用事があるというわけでもないのだが…何となく足がそちらに向いてしまう。

 突然…現れても誰も気にしないし…最初にふらっと出向いた折に…次からの出社にわざわざ受付を通らなくてもいいようにと特別に研修社員証も作って貰えた。

 勿論…内勤として採用されたわけだから大原室長のところに出向くのだが…大原室長は簡単な仕事をひとつふたつさせると…大概…花園室長に連絡を入れて亮にもできる面白そうな仕事は入ってないかと訊く。

 大原室長の言うところでは…最初っから内勤に入るより外勤を経験しておいた方が…内勤で担当することになる仕事の内容がよく分かるから…なのだそうだ。

 花園室長の指示で…先輩の御使者たちに同行してあちらこちら…なんやかやを調査する…一応…助手を務める。
まだ…これと言って何にもできないけど…先輩の指示通りに動く。
部屋に帰ったら報告書を書いて提出する…その繰り返し…。

 社外データ管理室特務課には外勤も内勤もそれほど何人もの御使者が居るわけではなく…むしろ少人数でひとつの地域…ひとつの県ほどの広さ…を担当している。

 こんなんで手が足りるんかなぁ…とも思うが…そこはそれ上手くしたもので、相庭たちのように地域に根を張った別働隊や内室方のエージェント…滝川一族のような他家のネットワークの協力もあって…専任スタッフ的な御使者がそれほど多人数常備されていなくても十分機能するようになっていた。

 同族だから仲間意識が強くて家族的ではあるが…中でも最も面倒見がいいのは顎鬚の仲根で仲間内の評判もなかなか良かった。
今日は仲根のお供で調査に出る…。 
亮にとってもノエルの御産の時に居合わせたこの先輩が一番親しみやすかった。

 仲根は28…独身…イケメンでスタイルも抜群なのにカノジョ居ない歴6年…。
仕事が忙しいせいです…と本人は言っているが…所謂…友だちとしては文句なく最高だけど…というタイプ。

内勤の柴崎に言わせると…いいやつだけど…あのちょろっと剃り残してある鬚がどうもねぇ…。

 う~ん…最近は毛もだめ…鬚もだめ…女性の好みは難しい…。
ノエルみたいにつるつるお肌じゃないとだめなんかなぁ…。
そんなん無理だし…。 

 仲根のお供で向かった先は何と島田家…輝や直行の家門だ。
最近の若手の近況についての調査…ということで、家長の挨拶の後、ふたりの応対をしたのは輝の兄克彦だった。
 無論…御使者と他家の長老格という立場だからお互いに個人的な話は抜き…あくまでお務め上の話に終始する。
 
 克彦の話によると…実際に行動には及んでいないものの…やはり何者かの扇動があったようで…それは島田だけでなく宮原でも頭を痛めている話なんだそうだ。
どうも…その何者かの言うとおりに動けば…独立した新しい家門を作らせてやるとか何とか上手いこと言って若手を唆しているらしい。

 その後もいくつかの家を回ったが…何処もだいたい同じような状況だった。
幸いなことには前回の事件で懲りたのか…この地区の若手には慎重な者が多く…特別室を襲った連中と違って…巧い話に惑わされた者は未だ出ていなかった。

 部屋で報告書を書いていると…仲根がコーヒーを淹れてくれた。
有が買い置きしている銘柄と同じでかなり細かく挽かれた豆をドリップした濃い目の味だった。
 
 「お疲れ…亮くん。 慣れてないのにあっちこっち回って大変だったろ…?
ひとりで頑張って大きくなったわりには家門のいろんなことよく勉強してるじゃないの…。
総代格…家へ帰る暇がなくってほとんど放りっぱなしだったから俺は何にも教えてやらなかった…って話してたけどさ…。 」

コーヒーを啜りながら仲根は言った。

 「何にも知らなかったんですけど…大学入ってから紫苑に教わったんです。
力の使い方や身の護り方…族人としての心得等々…全部…兄から教わりました。」

亮はそう言って笑みを浮かべた。

 「総代格は…昔から上にこき使われてたからな…めちゃ忙しかったんだよ。
あ…悪く取っちゃだめだよ…。
 将来有望だからってすげぇ期待されて…鍛えられてたんだ…。 
俺は18の時から学校通わせて貰いながら…ここに居るけど…そりゃ凄まじかった。

 大原室長の話では…入社した時から昼夜問わず仕事漬けでさ…。
まだましになった方だって聞いて…俺…驚いた覚えがある。
 この頃やっと…細かいことは部下に任せて少し落ち着けるようになったんだ。
責任は重くなったけどな…。 」

 驚いた…。 知らんかった…。 親父がそんなに大変だったなんて…。
全然…帰って来られないわけだ…。 
母さんにもひと言も話さなかったんだろうなぁ…ああいう性格だから…。
 
 「奥さんと別居になって…きみがひとりぼっちになったって聞いた時…みんな…すげぇ申し訳ないような気がしてさ…。
だって…俺たちがミスった分まで全部後始末させられてたんだ…。

 総代格は文句ひとつ言わなかったけど…。
あの頃…上の連中は考え方古くて…スパルタ教育すれば効果が出ると思ってる人ばかりだったんで…。

俺たち出張でどこかへ行くたびに…何かしらきみへの土産を買って…少しでも寂しくないようにって…祈ってた。 」

 あの土産は…いつもテーブルにどっさり積まれたあれは…ここの人たちの気持ちだったんだ…。
花園室長だけじゃなくて…みんなの心だったんだ…。

 帰って来ないのは…女のところに居るからだとばかり思ってた…。
母さんもきっと…そう思ってたんだ…。

 まあ…確かに女が居るには居たんだけど…。
僕が腹立てて拗ねている間…反抗して嫌味を言い続けている間…親父はここで仕事をしながら何を思っていたんだろう…?

その頃から変わらないという部屋を見回した。

 「何も…言ってくれないから…みなさんにお礼も言えなくて…ご免なさい…。」

亮は俯いて…それだけ言った。 パソコンの文字が少し滲んで見えた。

 「なぁんも…俺たちが言わんでくださいと…お父さんのお土産だってことにしてくださいとお願いしたんだ…。 」

仲根はまたコーヒーを啜った。

 「僕…ずっと…紫苑に焼きもちを焼いていた時期があったんです…。
手放した紫苑のことはいつまでも想っているのに…僕のことは…なんてね。
僕のこともちゃんと考えてくれてたのに…。 」

よくあることだよ…亮の告白を聞いて仲根は微笑んだ。

 「それにしても…紫苑さんはカッコいいよなぁ…。
俺…あの一発で惚れたもん。 誘拐犯がぶっ飛んだ…あれ…。
アニキ…俺一生ついていきます…ってくらいに…。 」

うっ…もしかしてこの人もそっち系…?
 
 「あんなふうだったらカノジョ候補もいっぱいできるんだろうね…。
俺さぁ…女友達はたくさん居るけど…深いとこまで行き着かなくってさ…。
ふたりきりで密室状態でも安全な男とか言われてんだよね…。 」

俺としちゃぁ良いんだか…悪いんだか…複雑な心境なんだけど…。

 思わず噴き出した…。 悪いとは思ったが…。 
何だよぉ…仲根がちょっと睨んだ。

 「紫苑は恋愛下手ですよ…どっちかって言うと不器用…。
見た目からみんなが考えているほどドラマチックな恋のできる男じゃありません。
 根が優し過ぎて…ずっと俺の傍に居ろ…なんて強引なことは言えないタイプ。
自分が我慢して控えちゃうんですよ。 

 でも…キャパが広いから…いろんな人たちが慕って集まって来るんです…。
だから…本命には振られるけど…何となく遊び相手や友だちには不自由してないというか…。 」

 ふうん…それでも嫁さん貰えたんだから…俺にもチャンス有るかもな…。
何か自分で妙に納得している仲根に笑いを堪えるのが大変だった。

仲根さん…超イケメンなんだから…自信持って頑張ってくださいよ…。 

 超イケメン…いいこというじゃないの…亮くん。
帰りにラーメン奢っちゃおう…餃子つきで…。 
頑張ってさっさと仕事済ませちゃってね…。

そう言いながら仲根は楽しげに自分の席へと戻って行った。











次回へ

続・現世太極伝(第六十一話 笑顔の人)

2006-08-22 17:20:00 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 マンションの正面玄関に入ろうとして一瞬立ち止まり智哉は辺りを見回した。
マンション前の細い道には今のところ妙な車は止まっていない。
安心したように頷いて扉の中へと入って行った。

 昨日…ノエルとアランがマンションへ戻ってきた。
いままでそれほど人の出入りに気を使っていなかった花蓮おばさんが管理人室の受付窓から覗いた。

 「あらあら…ノエルくんのお父さんお疲れさまです。 」

 智哉は軽く会釈をして通り過ぎた。
誘拐犯人の仲間がまだ何人か野放しになっていることを知って花蓮おばさんも気になるようだ。

 部屋の玄関チャイムを鳴らすと吾蘭を抱っこした西沢が扉を開けてくれた。
智哉は思わず相好を崩して吾蘭を受け取った。
そうか…そうか…お迎えに出てくれたか…アランはいい子だねぇ…。

 生後一週間の赤ん坊がお迎えも何もないもんだが…早くも爺ばか状態…。
それを見ている西沢も満更でもない様子…こちらは親ばか…。

 居間ではノエルがトレーニング中…。
鈍った身体を元に戻すため、柔軟・筋トレの真っ最中…。

いいのかぁ…暴れて…?

 悠長なこと言ってられないんだよ…。
あいつ等からアランを護ってやんなきゃいけないんだもん。
いつも紫苑さんが傍に居るとは限らないんだから…。

 「だっておまえ…産後は身体を休めて気をつけないと一生病気持ちになるって母さんが言っとったぞ。
まあ…体力をつけるにこしたことはないが…敵さんは腕力で挑んで来るわけではないと思うがなぁ…? 」

 ほんとに大丈夫かねぇ…とでも言いたげに智哉は顔を顰めた。
ノエルの頭の中では戦いと言えば相変わらず喧嘩か格闘技…それは智哉が自ら教えたものだった。

 西沢がクスクス笑いながら智哉のためにお茶を入れた。
智哉はアランをそっと籐のヨーランに寝かせた。
 
 「まだ30分程度に抑えています…。
本人はじっとしてられないみたいですが…無謀ですからね…。
 本当はひと月くらいはゆっくりと身体を慣らす程度がいいんですよ…。
散歩したりする程度の方が…。

 恭介が毎日…治療をしてくれているんです…。
いつどうなるか分からないので…少しでも早く回復させるために…。
恭介の判断で…30分だけ許可ってことで…。 」

動くなって言っても聞きゃしませんから…と西沢は苦笑いした。

 もう…なんだよ…たかだか30分程度でこのだるさ! ほんと鈍ってるったら!
もどかしげにノエルは嘆いた。

 ノエル…焦っても仕方ないよ…。 無理は禁物…体調ひどくなったら困るだろ?
ずっと動けなかった分…取り戻さなきゃならないんだから…。
御腹で赤ちゃん育ててた分もね…。

 「西沢さん…実はアランのことなんだが…。
あの子に例の記憶があるものなら…一旦…封じてしまってはどうだろう…? 
そうすりゃ…HISTORIANにも狙われずに済むのでは…?

 俺もあれこれ考えたんだが…赤ん坊の段階ですっかり消してしまうのは危険だと思うんだ…。
後々どんな影響が出てくるか分からないから…な。
ある程度成長してから頃合いを見計らって消す…そんなところでどうかねぇ…?」

 智哉は西沢の顔を窺い見た。
そうですねぇ…と西沢は曖昧に答えた。

 「そのことで…お義父さんにお話ししたいことがあったんですよ…。
僕の知り合いにオリジナルの完全体がひとりいるんです。
完全体と言っても…奴等が疑いの目を向けているから…そう思うってだけのことですが…。
 その女性…完全体ワクチンの三宅を見てもなんともないし…持っているはずの潜在記憶が気配すら感じられないんです。

 彼女の中には自らの魂と代々引き継がれる魂のふたつの魂があると…言われているんですが…もしそれが事実だとしてもどちらかには潜在記憶があるはずですよね…。
これは自分で記憶を消した…と考えてもいいのでしょうか…? 」

 う~んと智哉は唸った。 
よほどの能力者ならともかく…自分で自分の中から特定の記憶を消滅させるのは…自己暗示をかけるという簡易な封印方法を使ったとしても…難しいね。

 「きみは気配を感じなかった…それでも奴等は疑っている。
なら…感度が異なると言うだけで完全に消してしまったとは言い難いな…。 」

 感度の…違いかぁ…。
西沢は頷いた。

 「だがねぇ…西沢さん…疑っているのに奴等が攻撃を仕掛けない…ということはその女性…他の場合と何処か異なるところがあるってことだろ…?
生まれて間もないアランだって狙われたくらいなんだから…はっきりと違うところがあるはずだよ。 」

 相違点ねぇ…? 今度は西沢が唸った。
敢えて言えば…アランは生まれたばかり…ばばさまは…三十路をこえてるなぁ…。
いや…ばばさまのもうひとつの魂は…軽く一万年をこえているかも知れない…。

 えっ…ということはプログラムじゃなくて…本物…。
人為的に操作のされていない…その人自身が体験した実際の記憶なのか…。
時を越えたDNAじゃなくて…時を越えた魂…HISTORIANの言うところの逃げ延びた魔物…って…まさか…。
 

 
 不意にチャイムが鳴った。
誰だろう…今日はみんな仕事のはずだけど…。
モニターに映る笑顔は…。

スミレちゃん…!

西沢は慌てて扉を開けた。

 「突然…ご免なさいねぇ…。 お祝いに参上したのよぉ…。 」

スミレはなにやら包みを抱えていた。
あら…お客さまだったぁ…お邪魔ねぇ…? 

 「いいんだよ…ノエルのお父さんなんだ…。 
丁度…ばばさまの話をしていたところ…。 上がって…。 」

ちょっと躊躇っていたが…スミレは誘われるままに部屋へと上がった。

 今…話していた女性の弟…妹です…と西沢は智哉にスミレを紹介した。
始めましてぇ…お邪魔しちゃってご免なさいねぇ…。
スミレちゃんはいつもの調子で話しかける。
智哉は一瞬鳩豆状態に陥ったが…すぐに気を取り直した。

 「あ~ひょっとして…紫苑さんの元カノのひとりさん…。
この前はクッション有難うございました…。 」

ノエルは直感的にスミレがプレゼントの主だと感じ取った。 
ぷっとスミレが吹き出した。

 「やだ…元カノなんて言ったのぉ?  
紫苑ちゃん馬鹿ねぇ…ノエルちゃんが気を悪くするわよぉ…。

 そうだったら嬉しいけど…ノエルちゃん…冗談よ…気にしちゃだめよぉ…。
あ…これ…アランちゃんに…木馬なのよ…まだちょっと早いけどぉ…。 」

 重ね重ね有難うございます…。 ノエルは丁寧に頭を下げた。
スミレはヨーランの中の吾蘭を覗き込んだ。

 可愛いわねぇ…。
奴等もね…別に殺そうってわけじゃないと思うのよ。
 この子に何らかの細工をして…野望を持たないようにさせるつもりなのね。
でも…それは同時にこの子のあるべき将来の姿を壊してしまうことなのよ。

 この子が大きくなった時…世の中に混乱を招く稀代の悪人になるか…それとも歴史に残る偉大な聖人になるか…そんなこと誰にも分かりゃしない…。

 人為的なプログラムはあくまで自然に逆らった作り物よ。
だからこそ…長い時をかけて表面化しないように淘汰されてきたのよ。
そんなものに拘って…大事な未来の芽を摘んではいけないわ。
 
 人の未来を築くのはあくまで人…その人を育てるのも人なのよ…。
操作されたプログラムじゃない。

ヨーランの中に息づく未来にそっと微笑みかけた。

 「そうだ…あの電話…スミレちゃんだろ…?
アランが産まれる時に…御使者やエージェントに異変を伝えてくれたのは…。 」

西沢がそう訊くとスミレは黙ってにっこりと笑った。

 「お蔭で…随分助かったよ。 有難う…。 」

 西沢はスミレの為に薔薇の紅茶を入れた。
輝が買い置いているもので…麗香の使っているものとは銘柄が違ったけれど…。

 「う~ん…これもいい香り。 お姉ちゃまの好みではないけれど…私は好きよ。
紫苑ちゃんは何かしら…薔薇に縁があるのね。 」

西沢は苦笑した。 まあ…男女取り合わせていろいろと…ね。

 「スミレ…さん…? ちょっと伺ってもいいかね? 」

恐る恐る智哉が口を開いた。

 「はい…なんでしょう…お父さま? 」

お父さま…って…智哉は一瞬怯んだ。 まあ…お父さまには違いないんだが…。
スミレはにこにこと笑顔を向けている。

 「あなたの…お姉さんのことだが…一万年以上前の記憶を維持しているというのは…事実かね…?
もし…そうなら…お姉さんはHISTORIANにとっては爆弾みたいな存在だ。
彼等の主張していることが正しいか否か…すべての真実を知っているわけだからな…。
それなのに…彼等はお姉さんをそのままにしている…悪く言えば野放しに…。 」

 姉を…お疑いですか…?
柔和な笑顔をそのままにスミレは訊き返した。

 「まあ…それも仕方ありませんが…。
紫苑…この方に少々お話ししても差し支えないかな…? 」

 その口調はスミレではなく庭田智明に代わっていた。
その変わりように智哉はちょっと面食らった。
別人みたい…とノエルも思った。

 義父は…宗主の内室方の出なんだ。 
ずっとそのことを知らなかったんだが…この前…話したから大丈夫…通じるよ。
 
そう…それなら…と智明は頷いた。

 「庭田は代々お告げ師の家系です。 
昨日今日出て来た流行の占い師とか祈祷師なんてものじゃなくて…それこそ文献も残っていないくらいの古い時代から存在している由緒ある家柄です。

 それゆえ…政財界の方々とも深い繋がりがあります。
HISTORIANも官僚の中に入り込んでいるとは言え…新興勢力ですから我々に対して面と向かって攻撃はできないのです。

 彼等に出来ることは姉と付き合いのある人々を裏で脅したりして姉から遠ざけようとするくらいのこと…。
紫苑もきっと何度か嫌がらせを受けただろうと思います…何も言いませんが…。
幸いなことにこの国の能力者の家門はそのようなことで屈するような柔な者たちではない。
 お蔭さまで最近では奴等の思惑とは逆に支持が増えてきております。
大変…有り難いことです…。 」

 智明はようよう小さな光が見え始めたことに少なからずほっとしていた。
決して気を抜いてはいなかったけれど…。

 家門か…いささか困惑気味に智哉は溜息を吐いた。
これまで店をいくつも経営する為の苦労はあったものの…親戚関係は至って気楽なものだった。
それがこの間…添田という男が現れて自分がとんでもない家系の出身だということが分かって…荷の重さに頭を抱えているところ…。
そんな難しい付き合い…俺には到底できんわい…。

 それにしてもこの人は…変わっとる…。
何か…こう…別世界だ…。
悪いとは思ったが智哉はまじまじと相変わらず笑顔の智明を見た。

 ヨーランの中の吾蘭がむにゃむにゃ言い出した。
あ…御腹空いたんだ…。
ぼんやり話を聞いていたノエルが慌ててミルクを作った。

 「うふふ…お父さまたらぁ…そんなに深刻になることないわよぉ…。
テキト~にしときゃいいのよ。 今まで付き合いなかったんだからさぁ…。
 間違えたって別に誰にも文句なんか言われないわよぉ~。
もともと期待されてないんだもん…今までどおりで全然構わないのよぉ~。 」

 智哉の心を見透かすようにスミレが明るく言った。
スミレが智明でお父さまが智哉…なんだか親子みたいよねぇ~あ~ははは…。

 どんな親子だ…とノエルは思った。
西沢が思わずクスッと笑った。
見慣れないタイプのスミレを相手に当惑気味の智哉の表情がおかしくて…。

 スミレちゃんは…最高…。
ほんとに楽しい人だ…。

 スミレの底抜けに明るい笑顔の裏には…人知れない苦悩や悲しみがいっぱいあって…その背中には背負いきれないほどの荷が山のように積まれていることを…重々分かってはいたけれど…。
 






次回へ

続・現世太極伝(第六十話 利用された者たち)

2006-08-20 23:30:30 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 そろそろと扉が開いた。
薄暗い部屋の中をノエルのベッドの方へと黒い人影が近付いていく。
一人…二人…三人目で、突然、灯りが点いた。

 ギョッとして侵入者は怯んだ。
ベッドに腰掛けた西沢が鋭い視線を向けていた。
両側にもでかい男がふたり…。

 「何の用だ…? 」

廊下にまだ何人か潜んでいる気配がした。
西沢がほんの少しその方へ視線を移動させると…まるで部屋の中へとに吸い込まれるかのように転がり出てきた。

 「おやおや…団体で…。 お見舞いは…ちゃんと時間を考えてくれよ…な。 」

 どうにか気を取り直した正面のひとりが無言で西沢に襲い掛かった。
西沢はその力を軽く弾いた…つもりだったが攻撃を仕掛けた相手はその反動で廊下の向こうの壁まで吹っ飛んだ。

敵だけでなく…亮や仲根の目が点になった。

 「あ…ご免ね。 加減が足りんかったか…? 」

ひとりが西沢の後ろでアランを庇うように抱いて居るノエルの方へ回り込んだ。

 「ノエル…動くなよ。 きみはしばらく暴れてないし…カルシウム不足…骨折でもしたら大変。 」

 ノエルの肩に手をかけようとした瞬間、侵入者はボールのように宙を舞った。
西沢は指一本動かしてはいなかった。

しゃにむに亮や仲根に襲い掛かった連中も他愛なく捻じ伏せられた。 

 こいつらはHISTORIANではない…と西沢は直感した。
下っ端にしても…持ってる能力が弱すぎる…。

 「誰に頼まれた…? 何処の家門の者だ…? 」

 西沢は亮たちに押さえつけられている者たちをじっと見つめた。
何も答えようとはしなかった。
気の毒に…捨石か…。
 この病院は完全看護だから…ノエルとアランしか居ないと思ってたんだろう…。
当てが外れたな…。

騒ぎを感じ取った寝巻き姿の院長とガードマンが飛んできた。
ガードマンが転がっているひとりを捕まえた。

 「おまえたちの長に伝えよ…。 
何を代償に取引したかは知らんが…外から来たものの誘惑に屈して道を逸し…正当な理由なくして同胞を裏切るなら…その報いを覚悟することだ…。 」

 パトカーのサイレンが近付いてきた。
その音を聞きつけて拘束されていない連中が慌てて逃げ出した。
西沢は捕まっている三人の力を封じた。

 お巡りさんたちがばたばたと駆け込んできた。
押さえつけられていた三人は手錠をかけられて連行された。
手帳を開いたお巡りさんが事情を聞くために西沢に近付いてきた。

やれやれ…また今夜も眠れない…。




 今朝の新聞には間に合わなかったらしいが…飯島病院の周りにはマスコミの取材陣が集まっている。
テレビでは朝から…事件報道…。
狙われた有名人の子供…なんて見出しで…。

 新生児誘拐未遂事件…警察の発表ではそうなっていた。
犯人が白状したとされる内容によると…西沢紫苑の妻が産気づいて入院したと知った犯人は…新生児を誘拐すれば金になると考え犯行に及んだ…。
 産んですぐの母親は動きが鈍いだろうし、夜間なら家族も帰ってしまうと考えていたが、産まれたのが夜中過ぎだったため、現場にはまだ数人残っていた。
しかも…思ったより西沢紫苑の腕っ節が強くて敵わず…居合わせた兄弟たちに取り押さえられた…とかなんとか。

 金…目当てねぇ…。 その方がずっとましかも…。
半分寝ぼけながら西沢は思った。
本当は生まれたばかりのアランに悪さするのが目的なんだから…。

 ノエルとアランはよく眠っていた。
あれからミルクを飲んだけれど…味はそれほど気にしてはいないみたいだ。
 むしろ…口当たりが気に入らないみたい…。
そりゃあお母さんのおっぱいの方がいいに決まってるよなぁ…。

 院長と相庭が西沢の代わりに会見をする予定らしい。
本人たちは疲れて休んでいるからってことで…院長先生お疲れさま…少しは休めたのかなぁ…。
まあ…会見が終われば…今日の仕事は優秀な跡取りたちに任せて寝られるかな…。

 誰かが近付いてくる音がした。
亮と仲根は少し前に引き上げていったから忘れ物でもなければ戻っては来ない。
この気配は…あいつだな…。

ノック…というよりは爪先で蹴るような音がして…聞きなれた声が飛んできた。
その声でノエルが眼を覚ました。

 「私よ! 両手がふさがってるの。 早く開けてちょうだい! 」

 西沢が扉を開けると両手に荷物を抱えた輝が現れた。
輝はソファの上に荷物を置くと…ふ~っと息を吐いた。

 「まったく…あなたたちは…私がいなかったら何もできないんだから…。
入院準備品も何も全部マンションに置いたままじゃないの。 」

困ったもんだわ…。
ひとつひとつ几帳面に袋詰めされた中から一番上の他とは別にしてあるのを引っ張り出して輝は西沢に渡した。

 「ほら…紫苑…着替えよ…。 シャワーでも浴びなさい。
ノエル…おめでとう…あらぁ…可愛い~…紫苑のミニチュア版だわ。 」

大声も気にせず眠っているアランを見て輝は思わず微笑んだ。

 「あ…そうそうノエルもパジャマ着替えてね…。
シャワーなら使って良いそうよ。 」

西沢はシャワーを浴びておいでとノエルに勧めた。
夕べから汗だくだったノエルは嬉しそうに輝が揃えてくれた着替えを持って備え付けのシャワー室へ入った。

 「有難うな…輝。 どうも…こういうことには疎くって…。 」

 西沢が礼を言うと…どう致しまして…と輝は笑った。
手が掛かるのはあなたもノエルも一緒よ…。

 「あ…そうだ…輝…夕べここを襲撃した連中について何か読み取れないか…?
仲根って顎鬚の人はそいつ等とは関係ないんだけど…。 」

 ちょっと待ってね…。
輝はゆっくりと部屋の中を歩き回った。

 「え…っとこのお髭のお兄さんは無関係なのね。 あ…これは亮くんだし…。
う~ん…この辺りの者ではないわ…ね。 
 使いっぱしりで…自分たちが襲った相手が何者かもあまり知らないようだわ…。
ただ…この部屋から赤ん坊を連れて来いと命令されただけのようよ…。
小さいけど…一応は何らかの集まりをなしているみたいね…。 」

集まり…ねぇ…西沢は首を傾げた。

 「僕の感じたところではどこかの族人のように思うんだけど…。 」

輝は眼を閉じた。 もう一度探ってみた。

 「そう言われてみれば…ひとりひとりは別の家門に属しているようだわ…。
どういうことかしら…?
よほどのことがない限り…異なる一族の族人が集まって徒党を組むなんてことはしないはずなのに…。 」

 まさか…また若い連中の勧誘や洗脳が始まっているのでは…?
能力者たちを襲った悪夢を思い出して輝は不安げな顔をした。

 「洗脳まではいってないと思うんだ。
三宅の時のように上手いこと言って操っているのかもしれない…。
多分…はぐれた若者たちを集めて利用してるんじゃないかと…。 」

 そうかもしれないわね…。 
でも…それはそれで忌々しきことだわ。

 若者たちが狡猾な何者かに騙されて利用される…家門にとっては頭の痛い話だ。
いつの時代にもそんな事件があちらこちらで起きる。
目覚めて帰ってくればいいが…犯罪に走ったり、深みにはまって抜けられずに命の危険に晒される者も少なくない。

 ふたりが少し重い気持ちになっているところへ、気持ち良さそうに鼻歌まじりでシャワー室からノエルが戻ってきた。

 「輝さん…コーヒー飲むでしょ? アイスがいい? 」

受話器を取りながらノエルは訊いた。
ここのコーヒー結構いけるよ…。

 「そうね…今日は暑いから…アイス。 紫苑…あなたも早くシャワー浴びてきなさいな…。
ベビーのミルクは私が作っとくわ…。 」



 テレビ画面や新聞に映し出された犯人たちの顔を見て、彼等の属する家門の長は飛び上がらんばかりに驚いた。

 こりゃあ…どういうことだ…?
生まれたばかりの赤ん坊をを誘拐しようとしただとぉ…?
 なんでまた…あいつがそんなことをしでかすんだ…?
しかも…他の一族の者と結託して…?

 予想もしなかった事態が起きたことに頭を抱えた。
長たちは慌てて彼等の他に馬鹿な行動に走っている者は居ないかと確認を急いだ。

 すると…何人かの若者が何者かに声をかけられていたことが分かった。
さらに周辺の付き合いのある一族の長と連絡を取ってみると自分たちの家門だけではなく、あちらこちらで若い層が誘いを受けていることも分かった。

 そればかりか若い層が集まって新しい家門を結成しようとしているらしい。
まるで同好会でも作ろうかといったふうな気楽な考え方で…。
何を馬鹿な…家門などというものはそう簡単にできるもんじゃないわ…!

 庭田の智明が訪ねて来て内部の者の動きによく注意するようにと忠告していったのはこのことだったのか…。
庭田の言うとおり…あの連中は危ない。
今まさに被害に遭いかけている一族の重鎮たちは一様にそう感じ始めた。

 大変なことになった…これは我が国の能力者すべてに関わる一大事。
ひとつふたつの家門が動いたところでどうしようもない…。
ここはひとつ裁きの一族の宗主に動いて貰わねば…。

 長たちはそれぞれ…裁定人に族長会議の開催を要請することにした。
今のところ…全国の家門の長に口を利けるほどの権威を持つ者は…裁きの一族の宗主だけだったから…。








次回へ

続・現世太極伝(第五十九話 不思議なおっぱい)

2006-08-19 16:29:00 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 院長が手早く臍の緒を切り…智哉から赤ちゃんを受け取った看護婦さんが産湯をつかわせた…。
院長とふたりの治療師が手分けして後産の処理や止血などの処置を行った後で…
智哉が再びノエルの骨盤を元の位置に戻した。

 「8月1日午前00時01分…おめでとうございます…。 」
 
 汚れを洗い落として綺麗になった赤ちゃんがノエルの手に渡された。
小さな赤ちゃん…。
 ノエルは胸の辺りが熱くなるのを覚えた。
腕に抱いた赤ちゃんを見て思わず知らず微笑んだ。

 「紫苑さん…僕…産めたよ…。 紫苑さんの赤ちゃん…。 」

西沢は胸が詰まった。
ノエルはノエル自身の為に…こんなにつらい思いして産んだわけじゃない…。
すべては西沢の為に…西沢に真の家族を与えてくれるために…。

 「よかったね…紫苑さん…。 これでまた…近所のママさんたちと楽しくランチができるよ…。 」

ノエルは冗談っぽく笑った。

 「有難う…ノエル…。 最高のプレゼントだ…。 」

それだけ言うのがやっとで…西沢はそっとノエルを抱き寄せた。

宿題は…紫苑さん…?

 「吾蘭(アラン)だよ…ノエル…。 」

アラン…かぁ…。 シオン…ノエル…アラン…外人の…家族…みたい…。
ノエルはうつらうつらし始めた。
西沢はノエルの手からアランを受け取り…愛しげに頬寄せると有の手に渡した。

 「木之内…吾蘭…。 木之内と名乗らせよ…と…宗主から…。 」

西沢の思い掛けない申し出に有は言葉を失った。
木之内の家を存続できる…信じてもいいのだろうか…夢じゃなかろうか…。
有の腕の中で木之内家の未来が眠っていた。

有はそっと…滝川にもアランを抱かせてやった…。
滝川は幼い時の西沢を思い出した。 アラン…きみはお父さん似だね…。

 看護婦さんがやきもきして待っていた。
産み月に達していないアランはまだ小さいので特別室へと運ぶのに搬送用の保育器に入れるつもりなのに看護婦さんの手元にちっとも帰ってこない。
やっとのことで戻ってきたアランをそっと保育器に寝かせた。

眠ったノエルを西沢がストレッチャーに移動させると院長はようやく同族ではない他の看護婦たちを分娩室に呼んだ。



 赤ちゃんが産声をあげると同時に分娩室の外に居た亮たちに緊張が走った。
亮と仲根は廊下の両角に眼を向け…不審なものが居ないか探った。
しばらくすると数人の看護婦が分娩室に入って行き…少し間があってから分娩室のドアが全開になった。
 
 ストレッチャーに乗せられたノエルと保育器の赤ちゃんが見えた時…亮は思わず躍り上がった。

やったね! とうとうやったね!

 ノエルのお母さんと千春が嬉しそうに走り寄った。
ふたりが赤ちゃんをよく見ようと、保育器に近寄った途端、特別室に向かって移動を始めた一団から車輪のついた搬送用の保育器だけがいきなり向きを変えた。  

 「ちょっと…あなた…誰…? 何処へ行くの…? 」

保育器を押していた看護婦と突然、向き合う形になったストレッチャー係の看護婦が叫んだ。
偽看護婦はかまわず無言で走った…ランナーかと思われるような猛スピードで…。

 「待てぇ! こらぁ! 」

仲根と亮が後を追った。

 偽看護婦は走りながら保育器を抉じ開け、眠っている赤ちゃんを掴みだした。
ところが…その手に何か異常を感じたのか乱暴に赤ちゃんを放り出した。

うわっ! 思わずドキッとした。 何てぇことすんの!

仲根が立ち止まって拾い上げてみると…沐浴練習用の赤ちゃん人形…超リアル。
 
心臓に悪いぜ…。

 職員専用の出入り口を抜けて…偽看護婦は夜の闇に紛れた。
亮はあたりを探ってみたが…気配を感じることはできなかった。
すぐ後を追ってきた仲根も同じだった。
 添田が少し離れたところで誰かに連絡を取っているのが見えた。
車のナンバーを伝えているらしく、途切れ途切れに数字が聞こえた。


 ストレッチャーの一団は無事特別室へと到着した。
看護婦たちの手で特別室のベッドへと移されたノエルはよく眠っていた。
飯島院長がノエルと赤ちゃんに特に異常がないことを確かめると、病院のスタッフたちは部屋を後にした。
 
 西沢は抱いていたアランをそっとベビーベッドに寝かせた。
小さいわりには元気で保育器は要らないみたいだ。

そろそろおっぱいを欲しがるだろうけど…ミルクだろうなぁ…やっぱり…。

ノエルのお母さんと千春はやっとゆっくり新しい家族に対面した。

 キャ~信じらんない…ほんとにお兄ちゃんが産んじゃったわけぇ…?
かわい~! めちゃかわい~! お人形みたい~!

 千春が子どものようにはしゃいだ。 
お母さんがし~っと唇に人差し指を当てた。 ノエルが起きちゃうよ…。
ゆっくり寝かせてあげないと…がんばったんだからね…。

 亮と仲根が戻ってきた。
偽看護婦を捕まえられなかったことを残念そうに告げた。

 アランの元気な様子を見て安心したのか…家中ほったらかして慌てて出てきたから一度帰って始末してくると千春とお母さんが言ったので…智哉も一旦帰宅することにした。
帰り際にノエルの枕元に近付き…智哉は眠っているノエルの耳元で何事か話した。
ノエルは夢うつつで…うん…と返事をしたようだった。 

また明日…顔を出すから…と言う智哉に、西沢はノエルとアランを助けて貰った感謝の言葉を何度も繰り返した。


 廊下の突き当たりにあるラウンジで宗主への報告と西沢本家への連絡をしていた玲人は窓から見える駐車場沿いにHISTORIANの車がそのまま止められてあるのを見つけた。

 さっきの騒ぎで逃げたんじゃなかったんだ…。
やつら幾つかのグループに分かれて行動しているのか…?

 玲人は急いで特別室に戻り、HISTORIANがまだ外をウロウロしていることを知らせた。

 どう出てくるかは分からないが…今夜は僕がここに居るから帰って休んで…父さんも恭介も今日は仕事だし…玲人だってそうだろ?…ほんの少ししか休めなくって申し訳ないけど…と西沢は居合わせた者たちを気遣った。
長時間に亘る緊張でみんなが疲れ切っていることを知っていた。

 「あ…俺は仕事でここに来てるんですから…俺が応接間で待機してます。 」

室長に連絡を取っていた仲根が携帯を切りながら言った。
引き続きお手伝いしろとの室長命令で…。

 「僕もここに居るよ…今日は遅番だし…。 」

亮が名乗りを上げた。
仲根と亮が居れば…何事かあっても手が足りるだろう…。
有は滝川と玲人にそう言った。

 「悪いな…仲根…俺が居られればいいんだが…今朝から出張だから…。 」

有が申し訳なさそうに部下に言うと、仲根は…任しといてください…と笑った。

滝川と玲人は今日の仕事が終わり次第、また戻ってくるから…と言い残して部屋を出て行った。

 有たちが引き上げて行った後…西沢は仲根と亮にタオルケットを渡した。
隣の応接室のソファを簡易ベッドにセットし直してしばらく仮眠を取ってもらうことにした。 

 ノエルの寝顔とアランの寝顔をちょっと覗いてから…西沢もノエルの寝ている部屋のソファベッドに横になった。
2~30分うつらうつらしただろうか…人の動く気配に西沢は目を覚ました。
HISTORIANか…と飛び起きたが…ノエルだった。
  
むにゃむにゃ言っている小さなアランを抱いてベッドに戻ったところだった。

 「あ…ご免…おっぱいの時間だったか…? 
今…ミルク…作るよ…。 」

西沢はそう言って立ち上がった。 
作り付けのキッチンの方へ行こうとした西沢を止めるように…紫苑さん…とノエルが呼んだ。

 西沢が傍によるとノエルはニヤッと笑ってパジャマの胸を肌蹴た。
西沢の眼が驚きのあまり皿になった。

うっそぉ~! 

 幼い少女のような小さな胸のふくらみが西沢の目に飛び込んできた。
ノエルはそっとお母さんのおっぱいを求めてもぐもぐしているアランの小さな唇にそれを含ませた。

 「さっき…父さんが教えてくれたんだ…。 
最初の一回だけアランにおっぱいあげられるって…。 」

 アランは一生懸命お母さんのおっぱいを飲んでいた。
最初で最後…なんか切ないけど…それでもないよりましかもね…。
ノエルはそんなふうに言った。

 白い液体が空いているふくらみからも滴り落ちた。
なんて…不思議…ノエルの身体の持つ…計り知れない生命力…。
産みの力の神秘的なこと…。

 やがて…満足したアランはうとうとと眠り始めた。
教えられたとおりノエルがとんとんと背中を軽くたたくと唇から…けぷっと可愛い音を立ててげっぷをした。

 西沢は満ち足りた顔で再び眠ったアランをノエルから受け取ってベビーベッドに寝かせた。

紫苑さん…とノエルがもう一度呼んだ。

 「触れてみて…最初で…最後のふくらみだから…。
お母さんのおっぱい…味見してみてもいいよ…。
急がないと…すぐ…元に戻っちゃうよ…。 」

そう言って西沢の手を取った。

 それは…輝のよりは小さく…柔らかく…ほのかにミルクの匂い…。
アランの触れなかった方を少し銜えてみる…。

甘い…と言うよりは塩っぽい…ね。
アランみたいには上手に飲めないよ…。

 うふふ…そうなんだぁ…? 
ノエルは面白そうに笑った。

西沢も笑いながらノエルの胸から身を起こした。

 「どれくらいで…なくなっちゃうの…これ? 」

 う~ん…僕が寝てる間だから…膨らむのに1~2時間だったもん…そのくらいじゃない…?
ノエルはちょっと首を傾げて考えてからそう答えた。

 そうか…次からはミルク作ってあげないといけないね…。
味が違うんで…怒るかもな…アラン。 お母さんのじゃない…!とか言ってさ。
ノエルは一瞬…寂しそうな顔をした。
西沢がそっと抱きしめて髪にキスをした。

 不意に…きゅっきゅっと人の歩く音が聞こえた。
それは応接室で仮眠を取っているのふたりの足音ではなかった。
 
 何かを察してノエルが身を強張らせた。
西沢は部屋の外に神経を集中させた。

応接室の扉が静かに開いて…ふたりが起きてきた。
音もなく移動して入り口の両側に身を潜めた…。

 聞きようによっては巡回看護婦のナースシューズの立てる音にも聞こえる。
だが…それはひとりの立てている音…ではなかった。

 西沢が急いでアランを抱き上げノエルに渡した。
ノエルはしっかりとアランを抱きしめた。

 ガチャ…っと音を立てて特別室の入り口の鍵が向こう側から外された。
まるで合鍵を持っているかのように…いとも簡単に…。











次回へ

続・現世太極伝(第五十八話 早く…お願い…。)

2006-08-17 23:06:00 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 歯を喰いしばっても思わず声が漏れそうになる…。
エナジーを産んだ時とは比べものにならない痛みにノエルは耐えていた。
 男はちょっとしたことで情けない声をあげるなと…父親から厳しく教えられてきたけど…これは我慢できないかも…。

 ノエルの周りには飯島院長…西沢家と同族のベテラン看護婦がひとり…西沢と滝川…そして有も緊急事態に備えて控えている。

 少し前に玲人が何かを告げに来て…西沢が外に出たけれどすぐに戻ってきた。
急ぎの仕事でもあるんじゃないかな…?
そう思った途端にまた痛みの波が押し寄せる。

 「紫苑さん…。 仕事…あるんでしょ…? 僕…ひとりで平気だから…。 」

 苦痛に顔をゆがめながらも何とか笑顔を作った。
仕事は終わってるから大丈夫…と西沢は安心させるように言った。
 お伽さまが無事を祈って安産の祭祀をしてくださっているそうだ…。
そんなふうに伝えた。

 玲人の知らせはそれだけじゃなかった。
病院の周辺にHISTORIANがウロウロしているという。

 早速…嗅ぎつけたな…。
鼻のいいやつめ…。

亮が分娩室の近辺を…御使者の仲根が病院内を巡回して奴等の動きを探っている。
分娩室に乗り込んで来ないとも限らないから注意しててくれ…と玲人は言った。

 初めてのことでよくは分からないけど…何かおかしい…とノエルが言い出したのは夜中のことで…どうやら陣痛らしいと分かったのが今朝受けた検診…。
ノエルはそのまま特別室で待機しながら…時々起こる痛みと延々10時間ほどのお付き合い…。

 陣痛の感覚が短くなって分娩室へ来て最初にショックだったのは…当たり前だけど看護婦さんの存在…。

 だって…恥かしいじゃん!
いくら小母さん看護婦でも女は女…見られたくないもんがあるんだから…。

 看護婦さんもこういうケースは初めてで…どういう顔していいんだか最初は戸惑っているようだった。
目の前に居るのは若い男の子…確かに御腹は大きいけれど…ないものはないし…出てるものは出てる…。
しばし絶句…が看護婦さん…そこはベテラン…プロ…すぐに気を取り直してお仕事に専念。

 ノエルの方は…恥かしいも何も…痛みを堪えるのに必死でそんな気持ちはすぐに消し飛んだ。
際限なく幾度も襲いくる痛みに…さすがのノエルもお手上げ…黙っていようと思っても悲鳴にも似た声をあげてしまう。
院長や看護婦の指示も聞こえているけれど思うようにはできない。

分かるけど…それどころじゃないもん…。

西沢が汗を拭いてくれたり…手を握ったりしてくれる…。
忙しいのにごめんね…紫苑さん…また…徹夜だね…。



 病院内を隈なく見て回ったが…HISTORIANはまだ院内には潜入していないようだ。
外来はすでに閉じたから正面玄関からは潜入できなくなったはずで入ってくるとすれば面会者専用の入り口…か職員専用の出入り口…。
そのままぼけっとそこに居たら人が変に思うだろう…仲根は一先ず分娩室の前に居る亮のところへ戻った。 

 「産まれるのを待っているのかもしれない…。
知らせてきた人の話では…狙いは赤ちゃんみたいなんだ…。 」

分娩室の前でじっと待っているノエルの家族に聞こえないように仲根はそっと亮に囁いた。

 赤ちゃんですか…相手がHISTORIANだってことは…ノエルの赤ちゃんは完全体オリジナルの疑いを持たれているんですね? 
でも…狙ってどうする気だろう…? まさか…殺したりはしないだろうけど…。

 聞こえない…はずの会話だったが…智哉の耳にはちゃんと届いていた。
何とかせにゃならんな…。可愛い俺の初孫に手を出されちゃかなわん…。

 その時…見知らぬ男が分娩室の方へ向かって歩いてきた。
亮の見知っているHISTORIANの外国人メンバーではなかったが、その場に緊張が走った。

 男は智哉の前に立ち止まると恭しく一礼した。
智哉にとっても初めて見る男だったが、思わずつられて頭を下げた。

 「私は添田と申します。 長より緊急にと…言付かって参りました。 
西沢…木之内紫苑氏との御縁組により…家門に復帰されましたこと…謹んでお祝い申し上げます。
 つきましては…業の禁忌を解き…主流男系に伝わるすべての奥義の使用を認めるとの長のお言葉にございます。 」

 はぁ…? 男はいきなりわけの分からない話をし出した。
智哉は何と答えてよいか戸惑った。
家門復帰…? 主流男系…奥義…なんじゃそりゃ…? 
どっか…おかしいんじゃないのか…こいつは…?

 どこかとの連絡に走っていた玲人が戻ってきた。
智哉が知らない男を前に首を傾げているのを見て慌てて飛んできた。

 「高木さん…この人は…あなたのご存じないご親戚からのお使いです。
何代か前のご当主が…その家のご出身なんですよ。
あなたに生命エナジーを育てる能力を伝えた方だと思いますが…。

 その方に勝手に使ってはいけないと教えられた能力はありませんか…?
家門の長がその使用の許可を与えると言ってるらしいんですが…。 」

 玲人は細かい事情を省いて手っ取り早く訊ねた。
う~ん…としばらく考えた後で…ないこともないが…今まで使う機会もなかったしなぁ…と智哉は答えた。

 添田の方はやっと事情を理解した。
この男は自分たちの一族について何にも知らされてないんだ…と。

 「それでは…確かにお伝え致しました…。 」

 添田はこの緊急時に余分なことを説明すべきではないと判断した。
詳しいことは後日にでも…西沢たちが説明するだろうと…。
再び一礼すると智哉の前を辞し、今度は亮たちの居る方へと近付いてきた。

 「あんた…内室方のエージェントだね…? 
…とするとそちらにもあの電話が入ったんだね…? 」

仲根が問いかけると添田は誤魔化しもせずに頷いた。

 「長から指令が出てな…。 
胎児を護る為に高木智哉の力を最大限に使わせるように…と…産みの力は家門の特質能力だから…。
 何しろ西沢先生の子どもはうちの主流の血も引いている…。
裁きの一族の両族の主流の血を受け継ぐのは…本来…宗主や長…限られた地位にある子どもだけだ…それもそれほど頻繁にあることじゃない…。
 それが予期せぬところに現れた…。 
両族にとっては久々に誕生するかもしれない新しい家門の芽なんだ…。 」

 新しい…家門の芽…か…。
不思議なもんだな…終わろうとしている家門もあると言うのに…と亮は思った。



 分娩室へ入ってから…すでに四時間近く…子宮口は開いているものの赤ちゃんはなかなか出てこない…。
早く…出てきて…お願い…。 だんだん息む力も弱くなってきた。
 飯島院長と有…滝川が代わる代わる御腹の具合を見てはあれやこれや相談する。
やがて…意を決したように院長が西沢に近付いた。

 「西沢さん…やはり…骨盤に問題があるようです…。
このままだと赤ちゃんは出たくても外へ出られないし…ノエルくんは産みたくても産めない…途中で骨盤に引っ掛かって詰まった状態なんです。
 このままではふたりとも危ない…。 
帝王切開に切り替えることをお勧めします。 」

 院長にそう言われて西沢はノエルの顔を見た…。
疲れ切って弱々しげなノエル…。

 「分かりました…院長…でも…少しだけ時間を下さい…。 」

 西沢は立ち上がると…急いで分娩室を出た…。
廊下で待機している智哉を呼んだ…。
看護婦に頼んで仕度をして貰い…分娩室の中へ。

 智哉は憔悴しきったノエルの顔を見て…思わず…うんうんと頷いた。
西沢はノエルの骨盤に問題があるため…胎児が引っ掛かって出て来られないことを話した。
有と滝川も自分の所見を述べた。 飯島院長も状況を事細かに説明した。

 智哉はまず自分の眼でノエルの御腹の具合を確かめた。
確かに開いている子宮口の向こう側…産道で骨盤が邪魔をしている。

 「ノエル…痛みは我慢できるな…? これまでよりずっと痛いかも知れん。
無理を承知ですることだ…。 だが…赤ちゃんには負担がない…。 」

 智哉は今でさえやっと痛みに耐えているノエルに酷なことを言った。
それでも…ノエルは…うん…と答えた。
 
 「気をしっかり持っていないと息めない…。 気い失うんじゃないぞ…。 」

うん…赤ちゃんが無事なら…僕…大丈夫だから…父さん…お願い…。

 「西沢さん…動かないようにノエルをしっかり押さえててください。
気い失いかけたら叩き起こして…。
先生方…俺が胎内を視た限りじゃ…ひょっとしたら出血がひどいかも知れないんで…胎児が出たらすぐに処置をお願いします…。 」

西沢は言われたとおりにノエルを抱きかかえるように上から押さえ…院長とふたりの治療師はいつでも動けるように気を引き締めた。

智哉はノエルの御腹の前で大きく深呼吸した。

 「ノエル…合図したら息むんだぞ。 」

父親にそう言われてノエルは素直にうん…と返事をした。 

 「うん…じゃねぇ…はい…だ。 」

智哉はそっと骨盤の位置に両手を当てた。

 それはゆっくりと始まった…。 
開かない骨盤を智哉の不思議な力が微量ずつ押し広げていく…。
だがもともと狭いノエルの骨盤はその力にも抵抗しようとする。

 中心から身を裂かれるような痛みがノエルを襲う。
堪えようとしても反射的に叫び声が出てしまう…身体が激しく動く…。
西沢は必死でノエルを抱き押さえた。

 人間の身体を急激に変化させるわけにはいかない…ノエルには酷だが…それは蝸牛がはうようにゆっくりと行われる…。

激しい痛みで気も狂わんばかりになっているノエルを抱きしめながら…こんなことなら帝王切開を選ぶのだった…と西沢は後悔した。

西沢を始め…有や滝川が手術を躊躇ったのは…すぐそこまで来ているHISTORIANの存在を考えたからだった。

 もし…手術をすれば…ノエルは当分動けない…。
単に動くだけなら一日経てばトイレくらいは行けるが…子どもを抱えて素早くその場を逃げることなど…まず無理…。
 今は周りの者が護ってやれるが…いつも傍についているわけにはいかない。
いくら喧嘩ノエルでも手術の後となれば普段のようには戦えない…。 

自然分娩なら…産後の処置をすれば…体調が悪いなりに術後よりはましに動けるはず…それが西沢たちの考えだった。

 「紫苑…さん…。 紫苑…さん…。 」

痛みの中で何度も西沢を呼んだ…。 ノエルの生きる唯一の支え…。
この世でただひとりノエルの心を満たしてくれる人…。
何の偏見もなく…ノエルという存在そのものを愛してくれる人…。 

 「ノエル…ごめんな…ごめんな…。 ひどい思いをさせてしまった…。
僕が代わってやれたらいいのになぁ…。 」

朦朧とした意識の中で…西沢の涙がぼんやりと見える…。
父さん…早く…紫苑さんが泣いちゃうよ…紫苑さんを悲しませないで…。

 どのくらい経過したのか…智哉はふと…手ごたえを感じた。
胎児が動き始めている…。

 「いいか…ノエル…行くぞ! 」

 智哉が強めに力を入れた。 同時にノエルが息んだ…力振り絞って…。
胎児の頭が見えた…。 周りから思わず歓声が上がった。

 するっと抜けるように胎児が新しい世界に出て来た。
智哉の差し出した手の中に…。

 本物の産声が上がった。 眼を細めて智哉は生まれたばかりの孫を見た…。 
また…取上げてしまった…息子の産んだ赤ちゃんを…。
そう考えると無性に可笑しくなった。 

 ノエル…御覧…新しい命だ…。
今度はちゃんと人間の赤ちゃん…男の子だよ…ノエル。

智哉はそっとノエルの方に両手を伸ばして…ノエルが産んだ小さな命を見せてやった。








次回へ

続・現世太極伝(第五十七話 狙われた胎児)

2006-08-16 23:45:00 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 大学生活最後の夏休みに入ると…ノエルは息をするものしんどく…動くのも億劫になってきた。
かと言って寝転がろうにも苦しくてできず…籐のソファに腰掛けてじっとしていることが多くなった。
 他の妊婦に比べれば御腹の赤ちゃんは小さいし…ちょっと見は少し太ったくらいにしか思えないのだが…ノエルにしてみれば重くて仕方がない。
腰も痛いし…胃も苦しい…。

 西沢や滝川が心配しているのはノエルの骨盤が小さ過ぎること…女性の体型ではない為に出産に向くとは思えず…難産になるかもしれない。
飯島院長は…場合によっては帝王切開に踏み切ると断言していた。

 いまひとつ西沢が気になっているのは…生まれてくる子どもがオリジナルの完全体である場合に、どうやってHISTORIANの眼を逃れさせるか…。
 西沢が子どもの身体に細工をしておくとしても効果のある相手かどうか…。
プログラムに関しては奴等は僕等以上に敏感だからな…。
何しろ…それだけが目的で古代から存在しているような組織なんだから…。

 「ノエル…少し外に出ようか…? 散歩しがてら…お茶でもしよう…。 」

 仕事の合間にそう言ってノエルを誘ってみる。
気分のいい時は嬉しそうに…よっこらしょ…と立ち上がるのだが、気分が悪いと悲しそうに首を振る…。

 病気ではないと分かっていても…つらそうな顔を見ると心配になる…。
西沢の前ではほとんど何も言わないが…未成熟な身体での異常とも考えられる妊娠がどれほどノエルの身体を痛めつけていることか…ここまで持ったのが不思議なくらいだ。

 有の話では…ノエルにこうした不可能とも思われる現象が起きたのはノエルの身体に流れる内室の一族の主流の血のせいだという…。
 遠い昔から…病気や戦によって一族の主流の血が絶えないように…長になるべくして生まれてくる少女は、必要とあらば初潮を見なくても一時的に子どもを宿すことができるような力を持っているらしい。

 半陰陽のノエルにその力が備わっているのも奇跡だが、それだけに先がどうなるかの予想がつかない。
ノエル自身はそういう力が存在することも使い方も知らないし…周りだってその力が完全なものかどうか分からない…。
かえって不安がつのる…。

 体調の悪いノエルがあまり動けないことを知って…輝が頻繁に出入りして出産準備を手伝ってくれた。
焼きもちを焼くと時には意地悪なこともするが、根は面倒見のいい優しい女だから遊び相手のノエルのことは親身になって世話してくれた。

 産着は揃ったし…オムツカバー…哺乳瓶もOK…消毒液とバケツばっちり…。
おくるみ…重ね着用のチョッキ…赤ちゃんシャンプー…石鹸…よし…。

 「いくらなんでも…ノエル…母乳は無理ね…。 ないものはないんだから…。
粉ミルク…多めに買っときましょ…。 分量はよく分からないけど…。
 ミルクもオムツも一週間分あれば…後は紫苑が買いに行くわよ…。
恭介だって居ることだし…居候男にはこういう時に役に立って貰わなきゃ…。 」

 子どもって…結構…物入りなんだね…? ごめんね…世話かけちゃって…。
輝は…いいのよ~ノエルが約束忘れてなければね~と意味ありげに笑った。

 忘れてないけど…本気なんだ輝さん…?
当然よぉ…あっ…大丈夫よ…ノエルに面倒は持ち込まないから…。
輝はクスクスと笑いながらそう答えた。



 就職が決まったことは会社に書類を提出した後で大学の就職課にも報告した。
事情を知らない就職課のボスは本年度の就職第一号が大手の企業に決まったことに頗るご満悦だった。
 それもボスがあんまり期待を寄せていなかった…中の上と言うか…まあ…受かったんだから上の下と言うべきなのか…目立たない成績の学生が…。
これはまさに…奇跡だ。

 あの後…自宅で有とふたりきりになった時…有が如何にも悲しそうな目で亮を見て…後悔しないか…と訊いたのがひどく心に残った。
俺の立場なんぞどうでも構わんから…おまえは生きたいように生きればいいんだ…と…そう言ってくれた。

 生きたい道があったなら…そうしたかも知れない…。
けれど…それを探すには時間がなさ過ぎた。
 それに…あのふたつの部屋…そしてデータを扱うという仕事も…やりたくないという気持ちが亮にあるわけでもなかった。

 溜息を吐きながらも…有は…おまえが決めたのなら…と反対はしなかった。
思えば…亮がまだ幼い時から…こういう事態になるのを避けたいが為に極力特殊能力を使わせないようにしてきたものを…それがかえって息子の反発を招いたりして思うに任せなかった。
 結局は…こうなる運命だったのかもなぁ…。
有は肩を落として呟いた。

 僕のことより…父さんこそ…そろそろ決めたらどうなのさ…?
あの人…良さそうな人じゃないか…?
 暗くなりそうなので…亮は話をそっちに振ってみた。
もうかなり付き合い長いだろ…?

 気付いたか…と有は苦笑いした。 
結婚はしないんだ…。 ふたりともお役目があるからな…。
いまのままで…十分だと思ってる…。

 だってさ…人知れず付き合うのってつらくねぇ…?
亮が少し心配そうに訊いた。

 そんなこと…みんな知ってるさ…。
俺たち隠してないもん…。

えぇ~? それで問題になんないのかよ?
変な職場だ…と思った。 世の中には恋愛禁止ってところもあるのに…。

 御使者はもともとほとんどが血縁や同族だろ…?
みんな感情的にも繋がってるんだから今更どうこう言ったって仕方がないんだよ。
 関係に拘るよりは…きちんとお務めを果たすことを考えた方がいい…。
そう言って有はからからと笑った。

進んでんだか…変わってんだか…亮は呆れたというように肩を竦めて首を振った。

 とにもかくにも行き先が決まったことで…亮としては比較的自由な夏休みを過ごせることにはなった。
友だちには羨ましがられたけど…優越感に浸れるほど晴れ晴れとした気分ではなかった。 


 いつものように谷川書店で仕事をしている最中に突然携帯が鳴った。
普段…仕事中は切ってあるはずなのに今日は切り忘れたらしい。
 幸運にもお客の姿がなくなった時で…急いでバックルームに飛び込んだ。
扉の隙間から店の様子を伺いながら受けると会社に居るはずの有からで…ノエルが飯島病院に運ばれたと言う連絡だった。

 来た!

カレンダーに眼をやった。

 まだ七月じゃん…確か…お伽さまは…八月だって…あ…明日からそうか…!

 昼食に行っていた店長が店に戻ってきた。
店長…店長…ノエルが…来た!
店長は慌てて周りを見回した。誰もいないことを確認すると亮の方を見た。
 亮は御腹の辺りをさすって見せた。
あ~あ…!
店長は閃いたように指差した。
お互いに顔を見合わせて思わず笑みを浮かべた。  
 
 

 あの特別室で分娩室へ行くまでの間を待機することになったノエルはベッドの背もたれを調節して貰い…一番楽そうな姿勢でうつらうつらしていた。
まだ…陣痛の間隔は長く…当分かかりそうだった。

 傍には西沢が付き添いずっと様子を看ていた…。
たまたま居合わせた玲人が宗主と西沢本家…高木家…木之内家との連絡係として出たり入ったりしていた。
最初に駆けつけたのはノエルの両親で…その後に千春…夕方になって有と滝川が駆け付けた。

 有が病院に向かった後で…花園室長のところへ奇妙な電話が入った。
名前も名乗らず悪戯電話かと思われるような口調で、声の主は緊急事態を告げた。

 『もうじき紫苑のところに赤ちゃんが生まれるんだけどぉ…その赤ちゃんを狙ってる奴等がいるのよぉ…。
 多分…難産だから…出産が始まったらみんな手一杯で動けないし…気付かないと思うの…。
あんたたち助けに行ってあげて頂戴…ね! 』
 
 それだけ話すと…こちらの言うことには答えず、耳を貸さず、すぐに電話を切ってしまった。
花園室長は以前ノエルが散歩中に襲われた話を聞いていた。
 西沢はもともと主流の血を引く上に今や宗主の登録家族である。
その子どもを狙うなどということは宗主に対して攻撃を仕掛けることと同じ…。

 「仲根くん…もうじき生まれる特使の子どもを狙っている連中が居るらしいの。
他所からの情報だから特使も総代格もまだ気付いていないかも知れない…。
大至急…病院へ向かって…。 」

 分かりました…と仲根は急ぎ部屋を出て行った。
室長は病院に居る有と連絡を取ろうと試みたが…場所が場所だけに携帯は切られていた。
病院の受付にも電話を入れてみたが…夕刻の混み合う時間帯らしくなかなか繋がらなかった。

 そうだ…相庭なら連絡がつくかもしれない…。
不意にそう思いついて受話器を取った…。

 店の仕事を済ますと亮はまっすぐ病院へと急いだ。
夏の夜は七時を回ってもまだ明るく…病院についた頃にもさほど日は落ちていなかった。
 駐車場を通り越して面会専用の入り口へ向かおうとした時、駐車場沿いの路上に車が停車しているのを見かけた。
広い駐車場はそろそろ外来の時間が終わることもあってところどころ空いていた。
不審に感じた亮は通りすがりにチラッと中を覗いてみた。

 あっ…と思ったが…知らん顔して通り過ぎた。
何食わぬふうを装って建物の中に入ってから思いっきり急いで特別室へ向かった。
やっと特別室へ辿りついたというのにノックをしても誰も返事をしなかった。

しまった…分娩室か…。

引き返そうとして今まさに特別室へやって来たばかりの仲根と鉢合わせになった。 
 「仲根さん…? 」

誰…? 仲根は驚いて亮の顔を見つめた。

 「おお…亮じゃないの…。 特使たちは居る…? 」

それが…もう分娩室みたいで…と亮は仲根を促して歩き出しながら言った。

 「外に…HISTORIANが居るんです…。 
何のためだか分からないけど…ひょっとしたら…また…ノエルを襲うつもりかも知れません。
前にも二度襲われているんです…。 」

 俺もそれで来たんだよ…。 加勢して来いって…。
仲根はやっぱり…という顔をした。

とにかく…急ぎましょう…。
事が起きる前に何とかしなきゃ…。

まだ…大勢の患者や職員の残る病院の中を…分娩室目指してふたりは足早に歩いた…。









次回へ