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徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

其の十「ボウリング事始め」…親父と歩いた日々

2007-05-01 17:46:00 | 親父
 隣町の繁華街に簡易ボウリング場ができたのは…doveが小学生の頃だったと記憶している…。
当時はテレビでも頻繁にボウリングの試合が中継され、人気女性プロボウラーが活躍していた…。

 新しいもん好きの親父は、早速、家族を引き連れてボウリング場に出かけた。
勿論…本人はすでに何度も遊びに行っている…。
何かが流行りだすと、すぐにお勉強に行きたくなり、考える前に手を出すのが、親父の行動の常だった…。

 ボウリング場…とは言っても、そこは繁華街のビルの何階かに作られた簡易なもので、最近のボウリング場のように設備が整ったスマートなものではなかった。
何しろ…飲み屋街の表通りに面したビル…べろべろに酔っぱらった金のない系のおっさんたちが飲み屋のお姉ちゃんを連れて余興に出る…くらいの規模…。

 悪く言えば…的当てゲームのボウリング・バージョン…。
同じ頃に他の町にできたボウリング場とは比べものにならない設備だった。
ゲーム料金も…当時としては他よりも100円くらい安かったような気がする…。

 今時は何もかもコンピュータ任せで、遊ぶ方はボールを投げるだけでいいのだが、その頃はスコアも自分たちで記入しなければならないので、いちいち計算しながらのゲーム…それはそれで面倒ながらものんびりとして面白かったように思う…。

 そこまでは…このボウリング場も他と何ら変わりないのだが…料金が安いのにはそれなりにわけがある…。
このボウリング場のピンは…なんと…ひも付き…。
客が倒したピンは、しばらくするとひもで上の方に引っ張りあげられ、ゆっくり下へ降ろされる。

 常時10本のピンで済む、極めて安上がりな仕組みになっていたのだ。
ピンの位置の正確性にはかけるが…ここで国際試合があるわけではない…。
安いから文句を言う者も居なかったのだろう…。

 しかし…いくら安くても迫力に欠ける…。
なんと言っても…ダサイ!
女の子連れてこんなところへ来たら…ふられること間違いなし…!
飲み屋の綺麗なお姉ちゃんたちも…どうせなら金ある系のおっさんと…もっと豪華な遊びがしたかろう…!

 周りに新しい設備の整ったボウリング場がいくつもできると、このボウリング場はあっという間に消えてしまった…。
親父も家族を連れて行ったのが最後で…すぐに新しいボウリング場の方に鞍替えした…。
料金の違いなんて考えるような男じゃなかったから…そりゃぁ…面白い方を選ぶに決まっている…。

 ボウリングには…結構…長いことはまっていたが…またまた…楽しげな玩具を見つけるとやめてしまった…。
とことん遊ぶが…切り替えは早い…。
親父は…いつでも…新しいものを追っかけていた…。    

 あの辺りに住んでいる人たちも…おそらくはもう…覚えてないだろう…。
ひもでつったピンのある…小さなボウリング場のことを…。



 

其の九「たらの芽争奪戦」…親父と歩いた日々

2007-03-02 17:24:00 | 親父
 あちらこちらで春の便り…このあたりでも梅が満開…。
この分じゃ…桜もすぐ…だね…。

 先日…ブログの新しいお友達のところで土筆(つくし)の卵とじがUPされていたので…土筆の天ぷら…をお勧めしたら早速作ってみてくださったようで…何となく心楽しい…。

 この季節は天ぷらにすると美味しい食材がいろいろある…。
土筆の他にも蕗の薹(ふきのとう)・芹(せり)・独活(うど)…そしてなんと言っても…たらの芽…。

 山林に生えるとげのある植物で…地面から真っ直ぐにのびた茎の先に筆先のような芽がつく…。
その状態が最も薫り高く美味しいように感じられるが…少し開いて小さな葉が出始めた頃でも十分にその風味を味わえる…。
たらの芽の天ぷらは、丘陵地に引越してきた家族にとって、ささやかな春の楽しみだった…。
 
 同じ時期に、同じような場所で、たらの木と似たような形でありながらとげのないものがあるが…それは漆の可能性があるので触ってはいけない…。
かぶれたりしたら大変…。

 たらの芽も、今では季節になると近くのスーパーなどでもわりと安価で売っていて簡単に手に入るが、町の店に出回るようになったのはごく最近のことだ…。

 以前にも話したが…親父が森へ行くのは犬の散歩や森林浴のため…だけではなく…来るべき春の下見をするため…でもある…。

 丘陵地の森の中にはたらの芽の採れるポイントが何箇所かあり、秋から冬にかけて散策しながら秘密の場所を見て回るのが親父の目的だった。

 季節が来ると…doveが居るときにはdoveを…居ない時にはオカンを連れていそいそと森へ出かける…。
一生懸命貯めたお小遣いでプラモを買いに行く子供みたいで…実に楽しそうだ…。
   
 プラモ…古いか…。
今時の子供ならさしずめフィギュアかな…。
 
 自然生えのたらの芽は高値がつくので…金儲けを目的とした業者が入る…。
業者ならまだいい方で…山菜採りに慣れない人が森へ入るとせっかくのたらの木がだめになってしまうこともある…。

 業者は次の年のことを考えて芽の部分だけを狙う…。
採り方もソフトで木を傷つけない…。
けれど…何も知らない人は木を殺す…。

 たらの木は、全体がとげとげな上に背の高いものも結構あって、芽だけを採るのが難しいせいか、時々、ばっさりと木の中ほどの部分から切り倒してしまう人が居る…。
これをやられると木が死んでしまうのだ…。

 最初の1~2年は何時に出かけても…誰も森には入っていなかった。
たらの芽も余裕で収穫できた…。
ところが年々…森に入る人が増えて…早い時間に森へ入らないと先を越されるようになった…。

 死んだ木も多くなった。
中ほどから折られた木が枯れたまま突っ立っているのを見るのは可哀想だった。
毎年…芽をつけてくれたのに…。

 木がだめになってポイントがどんどん少なくなってくると争奪戦も熾烈…。
森へ入る時間が早朝…5時になり…4時になり…。
とうとう…馬鹿馬鹿しくなったのか…親父は争奪戦から退いた…。

 たらの芽の楽しみがなくなると…親父は次第に森へ行かなくなった…。
もともと釣り以外は自然派ではない男だから、ゴルフの方へ興味が移り、寝ても覚めてもゴルフ三昧…。
犬の散歩はしたけれど…森まで足を延ばすことはなくなった…。

 つい最近…実家へ行った折に森の中にあった道を通る機会があったのだが…広大な森は影も形なくなっていた…。
万博の駐車場を作るためにきれいさっぱり整地してしまったのだ…。

 たった半年の万博のために…森中の命が消えた…。
万博が終わった今では駐車場や店や住宅…そんなものになっている…。

 あれほどの森を消してしまって…何処が自然の叡智なんだろう…?
あそこに居た鴨やうさぎや小鳥たちは何処へ行ったんだろう…?
宅地ができるはるか前にはキツネが居たとも聞く…。

地球が悲鳴を上げている…。

森を返せと泣いている…。




其の八「お勧めパチンコ台」…親父と歩いた日々

2007-01-31 11:05:00 | 親父
 町のあちこちにまるで銀行か…と思うような厳しい造りの建物…。
最初のうち…全然パチンコ屋さんには見えない…とひどく違和感を覚えていたのだが…この頃では…そういう様相の建物が在ると全部パチンコ屋さんに見えるから不思議だ…。

 ここ十五年ほど…遠ざかってはいるが…若い頃には友だちと連れ立ってよく遊びに行った。
ギャンブル運がついてないのは分かっているので…使ってもせいぜい千円から三千円…少しだけ時間がある時のささやかな楽しみだった。


 パチンコ屋に初めて足を踏み入れたのは…18の時…高校卒業と同時に…待ってました…とばかりに親父が連れて行った…。
今なら20未満はお巡りさんに捕まっちゃうんだろうけど…当時は確か…18歳未満お断りだったような気がする…。

 建物の外まで響き渡るような軍艦マーチ…。
透明なガラス張りの壁…耳を劈くチンジャラの音…。
派手な場内アナウンス…店の前を埋め尽くす造花の花輪…。

 普段…いまいち反りの合わない親子だが…遊びは別…。
今思えば…酒を飲ませたのも親父なら…パチンコに引っ張り込んだのも親父…。
ゴルフ店に連れて行ったのも親父だった…。

 そう…親父は決してアウトドア派というわけではなかった…。
会社の帰りに家の前を通り越してパチンコ屋へ直行する親父の車を家族の誰かがちょくちょく目撃していた…。

 「親父…前を通ってチンジャラ行ったよ…。」

 「そんじゃ…蛍の光だで…さっき御飯食べよか…。 」 

その頃は…ほとんど毎日通っていたと言っても過言じゃない…。
それを家族は…パチンコ屋に月謝払ってお勉強…と言っていた…。
蛍の光…とは閉店までは帰ってこないってこと…。

 盛り場に女子大小路と呼ばれるところがあって…親父は綺麗どころが集まるそのあたりでよく酒を飲んでいた…。
高い月謝を払って女子大小路でお勉強する…のが年がら年中だったので…パチンコ屋の時もそんなふうに言っていたのだ…。

 換金していたのかどうかは分からないが…袋にいっぱいチョコレートを詰めて…時には手ぶらで…勝っても負けても機嫌よく帰ってきた…。
家族の前でバサーッとチョコレートを広げて…オカンと子供たちが喜ぶ顔を見て…自分もそれを美味そうに食べた…。
大酒飲みの癖に甘党で…チョコレートやケーキや饅頭が大好きだった。

 初めて入ったパチンコ屋…。
何処へ座っていいのやら…どう動かしていいのやら…。

 親父はいつも使っているらしい台に案内してくれて…ここで遊んどれ…みたいにしてひとつ離れた台に腰を下ろした…。

 パチンコ台と言えば…親父が遊びのために貰ってきてくれた本物のパチンコ台がうちにひとつあったが…それは手動で指で弾く古いもの…自動なんてどう飛ばしたらいいのか…。

 が…触ってみたら案外…簡単…ただし位置を固定しようとすると手が疲れる。
それに…入る時はジャラジャラ来るが…入らん時はあっという間に摩る…手動とは大違いの速さで…。
その頃はまだ…店の中に僅かに手動の台も残っていたが…客は疎らだった…。

 親父はあっちこっち台を替えたが…その日はついていなかったようで…あたりがなかった…。
しばらくして隣の台に戻ってきて…ちょっとだけあたっていた自分の台から…ひと掴み玉を抜き取っていった…。

抜きしなにニカッと笑いながら…。

 そのまま…ふたりとも玉を使い果たして店を後にしたが…帰りの車の中で…その店の出そうな台を幾つか教えてくれた…。

 その後も何度か一緒に行ったが…バイトや友だちとの付き合いが多くなってしまうと…自然に行かなくなってしまった…。
親父もゴルフの方に興味が移って…パチンコ熱が冷めたようだった。


生きていたら…銀行みたいなパチンコ屋を見てなんと言うだろう…。

 こんなんじゃ…どこに在るだか分かりゃせんがや…と嘆くだろうか…。
それとも…そんなもん…どうでもええがね…と笑いながらお気に入りの台を探すだろうか…。

もう一度…肩を並べて…遊んでみたいような気がする…。

おじいになった親父と…自分と…。




親父のクリスマス

2006-12-24 22:56:56 | 親父
 小さなもみの木…今は思い出の中にしか存在しないクリスマスツリー…。
新しいもの好きの親父は子供たちのために小さなもみの木を買ってくれた…。
それが何時だったのか覚えていないから…長子である自分がまだ幼い頃だったんだろう…。

 偽物の木ではなくて生きたもみの木…まだ赤ちゃんのツリーだ…。
そのツリーに玩具の飾りをつけて貰って、小学生低学年くらいまでは家族で楽しんだ…。

 赤…緑…金…銀の光る玉…色とりどりのモール…ステッキ…天辺に光る星…。
物語の挿絵の小型版みたいな感じ…。

 親父は昭和の始めの生まれだから、クリスマスに何ら思い入れがあったわけでもなく、クリスマス・パーティをしようというわけでもなく、クリスチャンでもないが…きっと…子供が喜ぶと思ったんだろうな…。

 もみの木は次第に大きくなって、狭い部屋の中に飾ることができなくなった。
多分…親父がやったんだろうけど…いつの間にか庭に植えてあったのを覚えている。

三度目に引っ越す時にそのまま庭においてきてしまったけど…。


 自分らの子供の頃には…サンタクロースは外国にしか居なくて…プレゼントは会社のボーナスが出た後に大型スーパーの玩具売り場や本屋で買って貰った。
三人の子供に必ずひとつずつ…。

 親父は玩具もゲームも大好きで…買うと自分が率先して遊んでしまう…。
レールつきの電車や…コースつきのレーシング・カーなんかはどちらかというと親父の方が夢中になった…。
 子供よりも子供になって遊ぶ…オカンは今もその姿を思い出しては笑う…。
そういう時の親父は…愛すべき永遠の少年なんだろう…。

 クリスマスと言えば…ケーキ…。
あの頃はまだ生クリームなんて一般的ではなくて…バタークリームのケーキが庶民のケーキだった…。

 無塩バターと卵白と砂糖…で作ったバタークリームを生地の表面に塗ったカチッとした食感のケーキだ。


 オカンが毎年ケーキを買うのだが…忘れているといけないとでも思うのか親父も会社の帰りにどこかに寄って買ってくる…。
ケーキが二個でイブとクリスマス両方…生クリームのケーキを二個家族で平らげるのは…甘党ならそう難しいことじゃないが…バタークリームは手強いよ…。

 アイスクリームケーキなるものが始めて一般に登場した時には…どこに注文したのか…その年…早速手に入れてきた…。
やっぱり…クリスマスには普通のケーキが良いということになって…二回で止めてしまったけれど…。

 甘辛両党の親父だから…自分が食べたいというのもあったんだろうが…子供が喜ぶ顔を見るのが嬉しいという気持ちの方が大きかったんだと思う…。
新しいもの好きの親父は…自分の子供の頃にはなかった楽しみを子供たちに与えてやることで…それなりに楽しんでいたんだろう…。

 今…親となった自分たちがサンタクロースになって…夜中に子供の枕元にそっとプレゼントを置いておくように…。


メリー・クリスマス…皆さん!

幸せなクリスマスをお迎えになりますように…!

世界中の子供の未来が輝けるものでありますように…!

あなたの流した涙が…汗が報われる未来でありますように…!

メリー・クリスマス…!

















親父の背広

2006-12-11 20:55:00 | 親父
 背広…最近は随分とリーズナブルな値段で手に入るようになったね…。
物がいいかどうか…は別として財布の方は助かるな…。

 本当は良いものを長く着るにこしたことはないんだけれど…それ一着ってわけにはいかないんだから…そうも言ってられないじゃない…。

 えっ…おまえんちはそうかも知れないけど…俺んちは全部オーダーだって…?
そいつぁいいねぇ…お父さん…そりゃぁ豪儀だ…。
オーダーものをとっかえひっかえ使えりゃぁ…お父さんの男前もぐんと上がるってもんだな…あはは。


 親父は現役のまま亡くなったが…ずっとオーダーの背広で過ごした…。
別に懐に小金があったわけじゃなくて…たまたま友人が仕立て屋さんだっただけなのだが…いつも気に入った生地で仕立てて貰って満足げだった…。

 仕立て屋さんはオーダーのたびにわざわざうちまで来てくれて…サイズを測ったり…生地見本を見せてくれたりするのだが…何せお互い長年の友達同士だから…言いたい放題…。
およそ…他のお客相手なら言わないようなことを平気で口にした。

おみゃぁは足が短きゃぁで…その分…布が少なぁて済むがや…ってなことを笑いながら言っていた…。
いつも掛け合い漫才を見ているみたいで面白かった…。

 小学校…あれは5年か…6年の頃だと思うが…学芸会で創作劇をやることになり…自分は主人公のおじさん役を演じることになった。
友だちからロイドメガネを借りたのはいいが…衣装をどうしようか…と迷った。
おじさんに見えそうな服なんて一着も持っていないからだ…。

やっぱり役柄から言ったら背広だよなぁ…親父から借りてもいいけど大きくないかなぁ…。

 親父の背広を着た自分を想像すると…相当…だぶだぶに違いない…。
袖と裾を曲げたら少々大きくても大丈夫かなぁ…。

 親父という存在は子供よりはずっとに大きいもんだ…というイメージがあるので…どう考えてもそのままというわけにはいきそうもなかった。

オカンに糸が見えないように縫いとめて貰おうかな…。

 そう思ってオカンに…背広使いたいんだけど…と頼んでみた。
あんたがおじさんやるのかね…そりゃあ見ものだ…とオカンはケラケラ笑いながら親父の背広を出してくれた。

 いっぺん着てみた方がいいわ…大きいか分からんでね…。
オカンの勧めに従って試着してみた…。

途端にオカンが噴き出した…。

 何と…袖も裾もぴったりではないか…。
上着の丈は少し長め…肩幅とか胴はだぶつくが…そんなものボタンやベルトで締められる…。

まあ…お父さんの手足…こんなに短かかったんかぁ…。

 オカンは笑いが止まらない…。
ダックスフントのようだがね…。

 親父の背広は袖も裾も直すことなく…そのまま衣装になった。
面白いもん好きの親父がネクタイの締め方を教えてくれた…。

 う~ん…ばっちりと言えばばっちりなんだが…。
学芸会当日…会場のあちらこちらからクスクスと笑い声が聞こえたことは言うまでもない…。
ロイドメガネをかけて…ぴったりの背広を着た自分は…どこから見てもおじさんだった…。


お尻でかくて…足…短いね…と娘たちが言う…。

うるさい…おまえたちだって尻はでかいじゃないか…。

足…長いもん…。

口がへらねぇなぁ…おまえたちはぁ…。

あれから身長は伸びたものの肝心の足はさほど伸びなかったようだ…。
やっぱり血は争えないか…。

尻でか短足…おもしろ~…。

ほっとけ…しかたねぇんだよ…ダックスフントの子供なんだから…さ…。


其の七「ゴマダラカミキリ」…(親父と歩いた日々)

2006-12-09 18:03:18 | 親父
 夏の終わりの昼下がり…庭から家へ上がろうとしてふと足元を見ると…土留めの上に触覚の細長い黒地に白斑の虫が転がっていた…。

ゴマダラカミキリだ…。 

 この虫は蜜柑などの木を食い荒らす害虫なのだが…ただの昆虫として眺めている分にはとても魅力的な虫だ…。
取り立てて珍しい虫というわけではなく…日本全国何処にでも居るらしいが…。

 特に気に入っているのは…先の方ですっと弧を描く触角…そして星空のような模様である…。 

 何処から来たんだろう…。
うちにはこいつが気に入るような果樹系の木はないんだけどなぁ…。

 捕まえても飼う気はないし…殺すのも可哀想だし…そのままにしておいた…。
子供に見せようかな…とも思ったが…この種のカミキリムシは前にも見たことがあるから…それほど喜ばないだろう…。
特に…虫嫌いの方は…。 


そう言えば…。

 記憶がかなりおぼろげだから…随分小さい頃のことだと思うのだが…道風公園…というところへ連れて行って貰ったことがある…。

 千年ほど前に…愛知県の春日井市に生誕したと言われる書道家…小野道風を記念した公園である。
藤原佐理…藤原行成…と並んで三蹟と称えられる書の神さまのような人である。
和様の書風を生み出したことでも知られている…。 

 何故…そこへ行くことになったのかはまるっきり覚えていないのだが…親父のことだから…別段これという理由はなかったのかもしれない…。

 今では随分と立派で綺麗な公園になっているが…当時は…何ということもない見落としそうなほど小さな公園だった。
 記念館が建てられたのが昭和の後期だから…公園が整備されたのもその頃か…。
ここがあの公園か…と見違えるほどだ…。

 花札の絵にもなっている蛙と柳の伝説のせいか…公園には小さな池が作ってあった…。
その池の傍で…自分は生まれて初めてゴマダラカミキリを見つけたのだ…。

 黒い身体に白い星…なんて綺麗な虫なんだろう…。
撓む釣竿のような触角…なんて素敵なんだろう…。 

 親父がそれを捕まえて…そのあたりに落ちていた木の葉を一枚手に取った。
木の葉をカミキリムシに近づけると…何とチョキチョキ切るではないか…。

まるで…オカンのチョキチョキバサミのようだ…。 

面白いだろ…と言わんばかりに親父はニカニカ笑っていた…。

カミキリムシ…カッコいい…。
けど…噛み付かれたら痛いな…きっと…。

何度もチョキチョキさせてから…逃がしてやった…。

 緑が減少し…昆虫たちが町の中から消えかかっていた頃で…自分の住んでいる町では最早…見ることのできない虫だった…。 


 あれからどれくらい時が経つのか…。
この町では時折…もう何年も前に忘れていたような虫を見かける…。
決していい環境とは言えないが…虫たちもそれなりに適応したんだろう…。

 ああ…そうか…お隣に確か…蜜柑の木があったな…。
あのカミキリはそこから来たのかも知れない…。 
町に残されたほんのちっぽけなオアシスを見つけて…ゴマダラくんも一生懸命生きているんだなぁ…。

がんばれ…昆虫たち…! 

頑張って…欲しいんだ…けど…蜜柑荒らしの害虫そのままにしちゃって…お隣さんにはちょっとばかし…悪かったか…なぁ…? 



其の六「ざざ虫」…(親父と歩いた日々)

2006-12-08 17:48:00 | 親父
 親父の釣り好きが遺伝したせいか…川を見ると何だかわくわくしてくる…。
釣り人が居たりすると…もうだめ…イメージの世界へ突入…。
 竿から手に伝わるあたりの感覚が…なぜか腹の辺りからもぞもぞと甦ってきて…思わず手に力が入る…。
何も握っていないのに…本当にそんな感じがするから不思議だ…。

 前にも書いたとおり自分は…自ら竿を買うわけでもなく…進んで何処の川へ行くわけでもなく…釣堀で満足しているような体たらくだが…それでも胸躍る思いは血の為せる業か…。

 渓流釣りの好きな親父は解禁日を越えると頻繁に川へ向かった…。
母の作った柔らかいお握りを持って…

 まだ若い頃はひとりで出かけたり…知人と連れ立って行ったりしていたが…子供が小学生くらいになるとひとりふたり…お供に連れて行くようになった…。
 自分がお供をしたのは長野県・岐阜県・愛知県の渓流で…日帰りもあれば…泊まりもあった。

 親父が前以て用意した餌は…イクラと栗虫…後は現地調達である。
川には其の川の魚が食べている虫が居るので…そんなに沢山の餌を用意する必要がないのだ。

 親父から教わった餌はカワゲラ…羽のない蜻蛉と言った形の幼虫で…川岸や川の中の石を転がして裏にへばりついているのを捕って餌にする…。
まだ…釣りを始めたばかりの頃…親父のために何匹も捕まえて餌箱に入れたのを覚えている…。

 自分はずっとカワゲラを取って餌にしていたが…或る時…全然…釣れなくて腐っていると…地元の人がトビゲラの幼虫の居るところを教えてくれた。

 川の中の石と石の間や石の裏に…砂利と自分の出した糸で作った巣の中に居る…。
カワゲラとは見た目も異なって…団子のようにぼこぼことなった細長い体ととがった頭…如何にも幼虫という感じ…。

 これがすごい!
一発であたりが来た…。 小さいけどアマゴ…。
以来…トビゲラを探すようになった。

 釣り針に付ける時にちょっとコツがあって…くるんと半円っぽくカーブを付ける。
自然界ではこういう形で居ることが多いそうで…真っ直ぐに伸ばすと釣り難いんだそうだ…。

有難う…地元のお兄さん!

 ところが…親父はこの虫があまり気に入らなかったらしく…コガネグモやオニグモを使って大物釣り…。
まずまずの釣果でご満悦だった…。

 トビゲラの幼虫は…ざざむしと呼ばれて食用にもなるのだということを最近知った…。
ざざむしの佃煮は信州…伊那地方の特産品だそうで…どうやら美味しいらしい…。
この頃…なかなか獲れないのだそうだ…。

 某ネット市場で超レアもの…というのを見かけたが…35グラム二瓶…四千なんぼで売っていた…。
う~ん…ただの味見のために買うにはちょっと勿体無いお値段だよなぁ…。
この手のものは好き嫌いがあるから…どうせひとりで食べることになるんだし…。

 親父が今も生きていたら…同じ悪食同士…試しに買ってみるんだけど…。
珍しいものが手に入ったで…なんて…話もできるんだけどな…。

そこが…少し…寂しいね…。



其の五「昆虫採集」…(親父と歩いた日々)

2006-12-06 17:00:00 | 親父
 今から晩御飯という時になって…居間の天井に虫がへばりついていると子供たちが騒ぎ出した。 
虫ぐらいどうということはないだろ…と思ったが…子供のひとりは大の虫嫌い…肩を竦めてキャーキャー言いながらこちらへ逃げてくる…。
虫は天井に居るのであって…別に追っかけられているわけでもないのに…。

 仕方がないのでキッチンから出て見に行った…。
どんな大きな虫かと思いきや…小さな蜂か虻のようだ…。
形からすると…おそらく花蜂か花虻…どちらもそれほど危険な虫ではない…。

 マルハナバチ…みたいだな…。
こんなもん…放っといたって大丈夫だ…。
こんな寒い時期にぶんぶん飛び回ったりはしないよ…。
そのままにしておいて…御飯食べよう…そう言ってキッチンへ戻った。

 それにしても…こんなに寒くなってから…山茶花の蜜か何かを探して迷い込んだんだろうか…。
この部屋に居れば…凍え死ぬことはないけど…飢え死にするかもなぁ…。


 昆虫…と言えば夏休みの宿題…自分たちの頃の小学生の定番だった…。
町中で捕れる虫は限られているけれど…それでも神社や公園に行けば何種類かは手に入る…。

 トノサマバッタ…ショウリョウバッタ…オンブバッタ…エンマコウロギ…。
アブラゼミ…ツクツクホウシ…ニイニイゼミ…ミンミンゼミ…。
モンシロチョウ…モンキチョウ…キアゲハ…アオスジアゲハ…カラスアゲハ…シジミチョウ…イチモンジセセリ…。
シオカラトンボ…ギンヤンマ…オニヤンマ…イトトンボ…。

 考えてみれば…本当はこの何倍もの種類が居たのだろうけれど…自分の知っている虫の名前が少ないために…これくらいの種類しか思い浮かばなかったのだ…。

 今なら図鑑を片手に駆け回るところだが…その頃の自分は虫取りをするだけが精一杯…調べるところまで頭が回らない…。
とにかく宿題の標本さえ作ればOKだった…。

 昆虫採集と言えば…実家では遊び好きの親父の出番…長い竹ざおと鳥もち…虫取り網や虫かごを持って…麦藁帽子をかぶり…腰に手ぬぐい…当の子供より楽しげに出かけた…。

 鳥もちをご存知だろうか…。
モチノキの樹皮から取れるねばねばとしたもので…竿の先の細い部分につけて鳥や虫を捕獲する。

 昔の蝿取り紙を思い浮かべて頂ければ…あっ…蝿取り紙も今は使わないかもしれないなぁ…。
ゴキブリ○イ○イの接着剤みたいなものだと思って頂ければいいかも…。

 高い木の上の方に居る蝉を取る時などに便利だが…網のようにカバーするものがないので…素早く行動しないと逃げられる…。
親父の得意分野のひとつ…蝉を狙う親父は少年そのもの…。
その眼を見れば最高にわくわくしているのが分かる…。

 親父は何だか他にも小さな荷物を携帯していた。
中に入っているのはパラフィン紙で作った三角紙と毒薬…そして注射器…。
 後から見た時には…そこに標本用の昆虫針や三角紙を入れるケース…ピンセットなど昆虫標本用の七つ道具が入っていた。
それらはすべて親父個人の持ち物で…どうやら…若い頃に何度か標本を作ったことがあるようだった…。

 昆虫が捕れると親父はすぐに注射器で毒薬を注入し…そっと三角紙で包む…。
親父がお医者さんみたいに注射器を使うのを自分は興味津々で見つめていた。
何匹か…自分でもやったような気がするが…古い話であまり覚えていない…。

 最近はクマゼミが増えているが…当時は減少期で希少な蝉…逆に最近減っているシオカラトンボがいっぱい居てオニヤンマが希少だった。

 とにかく子供の宿題のことより虫取りに夢中になった親父は好きな獲物を捕りまくり…まあ…それほど多種を確保することもなく帰宅した。

 宿題は出せればいいわけで…自分としても文句はない…。
適当に見場のカッコよさげな昆虫をその中から選び出して標本にした。
 羽を広げ…ピンで留めて…箱に並べていく…。
手を出すと機嫌が悪くなるので出さない…。

 饅頭の空箱…ひと箱分が出来上がったところで透明なセロファンを上から張って宿題終わり…。
同級生の中には…まめなお父さんが学術標本かと思うくらい詳しいものを作って持たせる者もいたが…そうまめでもない親父のことだから小学生が作ったとしか思えない程度の作品を作る。

 そう…当時の夏休みの工作や標本は各家庭のお父さんの作品展みたいなものだった。
夏休みが明けるとすぐに保護者の授業参観があって…作品を鑑賞するために親が大勢やって来る…。
 子供が作ったのではないことは誰が見たって一目瞭然なのに先生も立派な作品を自慢げに並べるのだ…。
何とも滑稽ではないか…。

親父の作品はそれほど悪くもなく良くもなく…違和感なく飾られてあった。

 当時…親父が使っていた標本用の道具…これはおそらく昭和前期に出たものだと思うが…現在の見方では怪しげなものらしい…。
特にあの毒薬を注射するという方法がおかしげなことなんだそうだ…。
酢酸エチルとかの薬剤を滲み込ませた脱脂綿を入れた殺虫管とか毒壷で殺すというのが正しい方法のようである…。

 昭和も終わりになると…昆虫採集は残酷だとか希少な虫を保護するとかいうことで学校では夏休みの宿題にはしなくなった。
都会では標本にするほど虫が捕れなくなって宿題にはできなくなった…ということもあるんだろう…。

 まだ宿題だった頃に標本用の昆虫がデパートなどで売られていたり…すでに標本となって商品化されているのを見た…。
お父さんたちが作れなくなったから…代わりにということなのかもしれないが…標本作りはともかく虫ぐらいは自分で捕らなきゃ…意味ないね…。
そういう点では宿題がなくなったのをよしとしよう…。 

 標本は作らなくても…虫取りをするだけで子供には十分な勉強になると思うよ。
ただ…世の中が危険になって子供をひとりで外に出せないとか…親が忙し過ぎて看てやれないとか…昆虫と触れ合える場所がないとか…最近はなかなか虫と遊べる機会がないんだよね…。
だから…花蜂如きにキャーキャー言っちゃうんだ…。

 あの時の親父のように眼を輝かせた少年は…もうここには居ないんだろうかなぁ…。
鳥もちの竿を片手にわくわくしながら駆けて行く…昭和の夏の少年…。



親父と鳥とパチンコと…。

2006-11-28 23:00:10 | 親父
 何年か前…子供が牛栓…牛乳瓶の紙製のふたを集めていたことがあった。
何にするのかと思っていたら…メンコの代わりにしていたらしい。

 そう言えば…自分の小学校の時にも牛栓を使う子が居たな…。
勿論…牛栓は牛栓同士で戦ってたんだろうが…よくは覚えていない。

 自分たちは絵の描いてあるメンコを使っていたから…牛栓は使ったことがない。
親父の代にはメンコをショウヤと呼んでいたらしく…メンコとは言わなかった。

 だから…自分たちもショウヤという名で覚えている。
隣近所の遊び仲間もショウヤと呼んでいたから…時代だけじゃなくて地域的なこともあるのかもしれないなぁ…。

 自分たちのは長方形の紙板だったが…円形のもあったらしい…。
牛栓組みは円形の面子を使う子たちだったのかも…。

 どういう字を当てるのか分からないが…軍関係や武将などの図柄が多いとすれば…将矢だろうか…?
自分らの頃には野球関係やヒーローものだったような気がする…。

 覚えている方がおいでならぜひ教えて頂きたい…。
メンコは面子だ…。

 親父はショウヤの紙板にカーブをつけたり…重ね貼りで補強したりしてショウヤの威力を高める方法を伝授してくれた。
けれども…生憎…流行ったのは弟たちの代で…自分の学年ではあまりやらなかった。
消しゴムはじきみたいなことが流行っていたから…。

 おはじきやお手玉…かっちん玉(ビー玉)…そんな遊びもあったけれど…それは同じ昭和でも親父たちの時代の遊びで…自分らはプラスチックの水鉄砲とか…銀玉鉄砲とかで遊んだ…。

 玩具はブリキのものが多かったな…。
車とかロボットとか…。
幼児には木の積み木…。

 親父はコマ回しも上手かった…。
ちゃんと紐で巻くタイプのコマで長い時間回していることができた…。
子供心に親父にゃ負けたくねぇ…とは思ったけど…大概負けた…。

 考えてみれば…量産しているとは言っても当時のものは職人さんたちがちゃんとした精巧な型を手作りしてから…作られたものだったんだよね…。
玩具ひとつでも今なら逸品と言われるものがあったかも知れないんだ。

 手作りと言えば…あの頃…親父がちょっと太めの枝の股を使ってパチンコを作ってくれた。
ゴムを張って小石を弾にする…。
 親父たちの子供の頃はこれですずめなどの野鳥を撃ったらしい。
撃ったらしい…ではなくて…わざわざ作ってくれたのも…どうやらまた…これで撃つつもりだったようだ…。

えっ…可哀想…?

 そうだね…今の時代の考え方からすると可哀想だけれど…親父たちの時代には野鳥を撃って捕まえることも魚を釣ることと同じで…遊びではあるけれど…食べるための狩りでもあったんだ…。

時代によって行為に対する世間の価値観は変わるから…それのついての良し悪しは言わないよ…。

 自分の子供の頃はまだ山の方では網で野鳥を引っ掛けて捕まえ…売り物や食料にすることも行われていた…。

 最近になって…野鳥保護や動物愛護の考え方が出てきたために禁止になったけれど…それはこの国に…そうしたことを考えるだけの物質的な余裕がでてきたってことなんだろうね…。
 他にいくらでも食べられるものがあるのに…美味しいものが溢れているのに…わざわざ可愛い鳥を捕まえて殺さなくてもいいじゃない…可哀想だから…ってことなんだろう…。

 親父のパチンコは時代とともに的を変えた…。
自分ら兄弟は鳥を撃つようなことはしなかったから…。
それでも十分楽しく遊べたよ…。 ゴムがゆるゆるになるまでは…。

 親父がパチンコを作ってくれたように…自分もよく木を削ってナイフなどを作っていた…。
それを見ていたわけでもないのに…子供も小学生の時にはパチンコをつくり…やがて…割り箸で弓矢を作り…竹の箸を尖らせて飛ばした。

 お蔭で我が家の襖は穴だらけ…。
子供の作った弓が強力で…襖紙を越えてベニヤを貫くんですな…これが…。
人や生き物には絶対向けるなよ…と言いながら襖を見ては嘆く…。

襖…高いんだぞ…。

誰に似たのかねぇ…。
やっぱり親父の血かねぇ…この過激さは…。

えっ…自分…?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

そうかもねぇ…。




其の四「野鴨」…(親父と歩いた日々)

2006-11-23 17:20:00 | 親父
 それは今年の春…連れ合いを駅まで送って帰宅した朝のこと…。
ふと空を見上げると整然とV型並んでに飛んでいく鴨の群れ…。
幾つもの編隊を組んで…次々と旅立って行く…。 

渡りの季節だ…。

その統制の取れた見事な編隊飛行に我を忘れ…しばし…見とれていた。

 鴨たちは毎年秋にうちの近くの川にやってくる。
冬の間…川のあちらこちらで可愛い姿を見せてくれる。

 ここでは観察の対象だけれど…猟場では獲物…。
鴨の世界はいつも危険と隣り合わせ…。

 実家の裏手の丘陵地の森は…当時…冬場には猟場となる危険な場所でもあった。
車道を挟んでルリビタキの居る森は農地があるので安全…反対側の森の奥は猟場…そんな状態だった。

 それでも親父と自分は…時々反対側の森にも入った。
家からでも銃声の聞こえることはしばしばあったが…それは森のずっと奥…。
そんなふうに考えていた。 

 森の入り口から少し奥まった辺り…開けたところに鏡のように綺麗な池…亀の溜め池より何倍も大きくて…とても溜め池とは思えないような池があった。

 まるで絵葉書の写真ようだ…と感じた。
家の近くにこんな素敵な場所があるとは…ね。

 自分は初めてその池を見たのだが…親父は以前にも来たことがあるらしい…。
どうやら…自分を連れてきたのは新しい発見のお披露目だったようだ…。

 岸辺の葉の落ちた木々を映し出す…その絵に描いたような池には何羽もの鴨が居た…。
その頃の自分は…野生の鴨をこれほど間近に見たことがなかったので…目の前の光景にいたく感動…。

鴨って本当に渡って来るんだ…。 動物園の家鴨とはやっぱり違うなぁ…。
年甲斐もなくそんなことを思っていた。

 さすがに野鴨たちは敏感で…人間が近付く気配を感じたのか…水面に飛沫を上げて一斉にバサバサッと飛び立った…。
野生の鴨の何と秀麗なこと…。 

胸の空くような爽快な気分を味わった…。

 鴨が行ってしまうと…親父は歩き出し…反対側の森の亀の池へと向かった。
亀の池のすぐ下にはもうひとつ小さな溜め池がある…。

おやおや…そこに二羽だけ鴨が来ている…。 
番…かな…。
さっきの鴨かどうかは分からないが…自分たちが近付くのを察して…またすぐに飛び立った。

ご免ね…。
せっかく逃げて来てたんだろうにね…。
お邪魔さま…。 

 遠くで銃声がする…。
猟期が来ているから…。
 そろそろ…気をつけないと…。
森へ入るのはいいけれど…こちらが撃たれないようにしなきゃなぁ…。

 民家の近くの森が猟場というのも不思議なものだが…それは土地を開拓したばかりで…まだ町が猟を禁止していなかったからだ…。

 今では猟をする森の方が消えた…。
鴨にとっては安全だけれど…同時に憩う場所を失ったことになる…。
どちらが…彼等にとって良かったのだろう…。

 自分が今…眺めている川には…鴨の敵はほとんど居ない…。 
せいぜい…雛を食う蛇が居るだけ…ここに巣があるわけではないようだし…。
のんびりと流れに身を任せて一日を過ごしている…。

確かに…ここには彼等に銃を向ける者は居ない…。
こんな汚れた川でも追われないだけ…まし…なのだろうか…な…。