徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

一番目の夢(第四十一話 BODYⅡ)

2005-06-29 12:05:31 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 祈祷所の天井近くから修は戦いの様子を見物していた。檻になった自分の身体が三左にいいように操作されても、また笙子や透たちの攻撃によって痛めつけられても、他人事のようでさほどの感慨も沸いてこなかった。

 忙しい仕事や雑事の合間をぬって長期戦を乗り切るために鍛えてきた身体ではあった。だからといって別段執着心があるわけでもなく、『死ぬときにはただの器だな。』と冷めたように呟いた。『まあ、心持細身ではあるけど、わりと頑丈な檻で三左にとってはよかったかもね。』

 修の意志を受けて三左への積極的な攻撃を開始した二人だが、三左相手に苦戦しているというよりは、自分たちの力のコントロールに苦戦を強いられていた。

 「愚か者めら!どこに向かって攻撃している?」

 三左は大笑い。このまま自滅してくれと言わんばかりだ。
逆に容赦なく二人を打ちのめし、片手間に笙子たちにも攻撃を仕掛ける。

 「魂だけ狙うってのも難しいもんだぜ。」

肩で息をしながら雅人が言った。

 「…雅人。逆でいってみないか? 合わせんじゃなくて弾く方…。 なんか前修行にあったみたいな…。」

 「おまえ。それ最初から言え!」

修がまたくすっと笑ったように感じた。

 三左が何やら手の平に念を集中し始めた。うねり飛ぶ塊のような衝撃波とは異なって、鋭い矢のような念の塊を作り出した。

 「さてと。雑魚と遊ぶのも面倒になってきた。一気にあの世へ送ってやろうかの。
切り殺す…刺し殺すどちらがお好みかの?」

 人を蔑んだような厭味な笑いを浮かべ二人荷狙いを定めた。いままでよりもさらに大きな力による念の波動が透にも雅人にもピリピリと感じてとれる。

 「似合わねえし…お爺言葉。」

 「誰が聞いても正体バレバレだぜっつうの。」

 辺りを包む空気を切り裂いて稲妻のような念の矢が二人を襲った。かろうじて喰い止めたものの三左の圧倒的なパワーの前に、二人の身体は祈祷所の壁に叩きつけられた。
二人が起き上がる間もなく次々と矢は放たれる。
矢は攻撃を避けようとする二人の皮膚を切り裂き、身体を貫こうとする。
 
 笙子が間に割って入り、間断なく放たれる矢を叩き落とし、二人が態勢を立て直すのを助けた。

 「馬鹿なこと考えてんじゃないわよ。
 あの身体はすでに三左に支配されているんだから、三左の魂を攻撃すれば、当然、修の身体はボロボロになるの。
 あなたたちが身体への攻撃を避けようとするのは無駄なことよ。」

 笙子としては自分がメインで戦った方がどれほど効率的かとも思うが、黒田と一左を護りながら、そして子どもたちの身体に結界を張りながらでは十分な動きが取れない。
不慣れな二人が戦う様子にはイライラ度も増してくるが、『これも修練のひとつだわ。』と自分に言い聞かせる。

 次郎左は勿論自分の身を護ることぐらいわけないことだ。笙子に護ってもらうまでもない。ただし、後見としてはこの戦いは同時に相伝でもあるため余計な手出しはするまいと考えている。
 
 笙子のおかげで態勢を立て直した二人だが、辛うじて避けてきた三左の攻撃のおかげですでに身体中傷だらけになっていた。

 「情けない姿よの。身の丈六尺を超えるでかい図体をした男が二人もいて、姫君の助けを借りねばならんとは。ほっほっ。」

三左は声を上げて笑い転げた。 
  
 「六尺って…何センチ?」

傷ついた肩を押さえながら雅人が訊いた。

 「1.8メートルってところ…。習ったろ。」
 
透はそう答えて顎の辺りを手で拭った。
 『あれは…修じゃない。』ふと、そんな言葉が透の脳裏をよぎった。
『そう…あれは修さんじゃない。見た目に惑わされるな。』

 「雅人。いくぜ。」

透の言葉に雅人が頷いた。

 笑いの止まらない三左めがけ、二人の身体から二重螺旋を描くように強烈な衝撃波が放たれた。
不意をつかれた三左は反対側の壁板まで吹き飛ばされた。身の丈六尺が紙のように宙を舞った。

 『おやおや。軽々と…。六尺を持て余してない?』修は笑った。 

 思いがけず反撃を受けた三左は先ほどまでの上機嫌はどこへやら、一変して気が狂ったように二人への攻撃を再開した。
 しかし、修の身体へのこだわりを捨てた二人はそれまでとは打って変わって攻撃力を増した。自分たちがダメージを受けるばかりではなく、相手にダメージを与えることも頻繁になってきた。

 三左は焦った。やっと手に入れた修の身体なら最高のパワーが出せるはずだと思った。どこをどう間違っても子ども二人を相手に負けるわけが無い。
 三左は怒りに任せ、下手をすれば自分も消し飛ぶかもしれないほどの力を猛スピードで二人めがけて放出した。

 笙子はとっさに黒田と一左を庇った。次郎左も態勢を低くして衝撃に備えた。

 わずかに受け流したものの完全には避けられず、二人は骨も砕けんばかりに壁板や床に叩きつけられた。身体に受けた衝撃と激しい痛みとで二人は一瞬意識を失った。
混沌とする意識の中で修の声がこだました。『諦めるな…生き抜け。』

 気が付いた時には三左が透のすぐ傍まで来ていた。透は何とか動こうとしたが身体がいうことを利かない。 
 
 「楽にしてやろうの。」 

 その手に稲妻のような念の槍を持ち、透の胸の中央をめがけて振り下ろそうとした。 

 急ぎ笙子がその槍を打ち砕だいた。

 百も承知と言いたげに三左はにやりと笑った。槍は瞬時に元の姿に戻り、笙子の虚を突いてそのまま振り下ろされた。
 透が目を閉じた瞬間、雅人の大きな身体が透に覆いかぶさった。槍は透の心臓を逸れたものの、雅人の肩甲骨から肺を貫き、透の肺までを串刺しにした。

 「ま…雅人。」

 「…。」

 三左は動けなくなった二人を尻目に、笙子が庇う黒田たちの方へと向かった。
笙子が身構え、一左を呼び覚ましていた黒田が振り返った。  

 手始めに笙子めがけて矢を射ろうとした三左は背後に大きな波動の気配を感じてふと振り返った。

 透と雅人の傍らに修の姿があった。修は三左のことなど眼中に無いかのように、二人を串刺しにしている念の槍を消滅させた。

 三左は手にした矢を修に向けて射かけようとした。振り返ることも無く、修は片手でその矢もろとも三左を吹き飛ばした。

 修の手が二人に触れると、瞬く間に傷が癒え、二人は意識を取り戻した。何が起こったのか分からず、二人ともしばらくボーっとしていたが、やがてはっきり修の姿を捉えた。

 「がんばったな。」

そう言って修が微笑んだ。雅人が頭を掻き、透はしょげかえった。

 「ごめん。修さん…僕…。」

 「まあ…こんなもんだ。いまの所は…。」

 三左に勝てるほどの力はいまの二人にはまだ無いという事実。最初から分かりきっていたことだと言わんばかりに修は笑った。

 無視を喰らった三左は屈辱に猛り立った。
不思議な光景が皆の前に展開した。双子のように魂と身体が対峙している。

 悪鬼を宿す身体と祖霊の聖なる力を引き継ぐ魂と。

まるで人間の内面の葛藤を映像化して見ているようだ。

 「まずいわ。黒田さん。早く大伯父さまを起こして!」
 
 「御大!御大!」

黒田は焦った。
このまま一左が蘇らなければ大変なことになる。
『修の命がかかっているんだ。目覚めてくれ!』
祈る気持ちで一左に呼びかけた。




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一番目の夢(第四十話 BODYⅠ)

2005-06-26 16:23:28 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 三左はトグロ捲く蛇のようにぐるぐると祈祷所の中を飛び回った。
新しい身体を求めて透や雅人に襲い掛かり、彼らの身体がすでに入り込めない状態にあることを知ると怒り狂って獣のように咆哮した。

 一左の身体には結界が張られ戻ることもできない。行き場をなくした三左がふと扉の方に目をむけると、この状況でに何を血迷ったか、修の魂が外へと出て行くのが見えた。
三左はこれをチャンスとばかりに修の身体めがけて突進した。

 「いけねぇ。修さんの身体が…。」

雅人が叫んだ。

 「結界を張れ!大至急!」
 
透も大声を上げた。

 急ぎ結界を張ろうとする雅人の力を弾き返し、三左はそのまま魂の抜けたその身体を奪い取った。修の身体に邪悪な魂が宿った。

 しんと静まり返った祈祷所の中に三左の勝ち誇った笑いだけが響いた。

 「やったぞ!とうとうやった!修の身体を手に入れたぞ!」

三左は狂ったように笑った。

 「見ろ!この身体を…若くて美しい…。至高の芸術品だ…。おまえらなど屁のようなものだ!
でかいばかりで優雅さのかけらも無い木偶の坊や女のように華奢なガキとは大違いだ!」

 三左は笑いが止まらなかった。他の身体ならともかくも絶対に手に入るまいと思っていた修の身体がいとも簡単に手に入ったのだ。

 「あいつ。頭来るなあ。ちょっと前まで俺の身体狙ってたくせに。」

雅人が憤慨したように言った。

 「まあまあ。おまえじゃ修さんには絶対適わないってことさ。…って僕もかよ!
僕は体型的にはそんなに変わんないぞ!」

透がむくれた。
どこかで修がくすっと笑ったような気がした。

 途端、二人めがけてうねるような衝撃波が迫ってきた。すんでのところで笙子が楯になり、三左の攻撃を撥ね返した。

 「何してるの!馬鹿なこと言ってないで三左を攻撃するのよ。」

 二人が意識を集中する間もなく三左は立て続けに攻撃してきた。それはまだ目覚めない一左にも、一左を庇う黒田にも、そして次郎左にも容赦なく浴びせられた。笙子は、黒田が一左の回復に専念できるように三左との間に入って戦っていた。

 「わしの正体を知っているおまえたちを皆殺しにしてしまえば、わしは修としてこの紫峰を支配できる。
 紫峰だけではない。これから先は外の世界へも出て行ける。この身体さえあればな。」

 三左のような化け物が外の世界を荒らしまわるようになったら、世の中とんでもないことになる。透も雅人も何とか態勢を立て直したいのだが、力の差があり過ぎて思うようにならない。

 「雅人。あいつ。なんかパワーアップしてねえ?」

間断なく飛んでくる衝撃波を辛うじて避け、弾きしながら透が言った。

 「当然さ。いままで祖父ちゃんの身体だったから無理が利かなかったんだ。
修さんの身体ならパワー全開。何も抑える必要ないし。」

 取り敢えずは攻撃を避けるしかないと雅人は考えた。下手に攻撃して修の身体を破壊するようなことになったら大変だと思った。
 
 二人が不思議だったのは身体を乗っ取られた修の魂が近くにいるはずなのに、何もせずにただ傍観しているということだった。頭を掠めたのは『修はひょっとしてわざと身体を明け渡したのではないか?』という疑問だった。
『何を考えているんだ?修さん。』


 黒田は黒田で四苦八苦していた。三左の攻撃をかわしながら、一左の意識回復を図ろうとするが、まるで植物状態にでもなったように反応がない。
 いままで何度も信号を送ってきたのにそれすら感じられない。

 「次郎左叔父。まさかもうだめなのでは…?」

 さすがの黒田も不安を隠せなかった。何しろ一左は高齢だ。

 「いいや。一左は生きておる。微弱だが俺には命の灯が感じられる。」

 たとえ蘇ったとしてその力を存分に発揮できるような状態かどうか。そのことも黒田にとっては心配の種だった。

 ますます激しさを増す攻撃にふと子どもたちを見れば、案の定、何とか三左の攻撃を避けてはいるものの反撃を躊躇している。
 そのためか笙子は黒田たちを庇う一方で二人を手助けしなければならなかった。笙子の反撃が三左の入っている修の身体をも痛めつけるたびに二人の困惑はさらに大きくなった。

 「透!雅人!真面目に反撃しろ!」
 
黒田は怒鳴った。

 「だって修さんが…!」

 「修さんを殺しちゃうよ!」

二人は悲痛な声を上げた。

 「覚悟の上のことだ。修の意志を無駄にするな!」

 黒田は再び怒鳴った。二人は顔を見合わせた。
『覚悟の上…って。』
透の脳裏にある光景が浮かんだ。それは前修行のときの一番つらい思い出だった。
『もしも私が悪鬼となったら…私の魂を消滅…。』修のあの言葉…。

透の身体が震え出した。

 「雅人…雅人。修さんは死ぬ気だ。」

 「僕たちに…殺せと…?」

雅人も膝がガクガクしてくるのを感じた。
『本気かよ!それでわざと三左に…。自分の身体を檻にしたのか!』
二人に向かって修が微笑みかけたように思えて辺りを見回した。

 一瞬を付いて三左の衝撃波が二人を弾き飛ばした。

 「透!雅人!大丈夫か?」

黒田が駆け寄った。二人はぶつけた痛みに顔を顰めながらも起き上がった。

 「そういうことなら…。」

透が言いながら申し合わせるように雅人を見た。透の表情が険しくなり、その瞳が獲物を狙う獣のように輝いた。

 「やったろうじゃないか!」

雅人が頷いた。大きな身体から子どもっぽさは消し飛んで、いままさに戦わんとする軍神の様を呈している。

 「宗主の責任とやら…を。」

 その言葉に黒田は戸惑った。二人とも修の考えている以上に成長している。
それは親としては喜ぶべきなのだろうが。後は一刻も早く一左に目覚めてもらうより他ない。

 「狙いはあくまで三左の魂のみ!」

 「できるだけ短時間でいくぞ!」

二人は同時にGOサインを出した。





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一番目の夢(第三十九話 本儀式突入)

2005-06-24 17:29:04 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 朝からいい天気に恵まれて来客の足取りも軽く、長老衆を始め主だった顔ぶれが早くからそろっていた。あちらこちらで祝いの言葉が囁かれ、女性陣の晴れ着が本儀式に花を添えていた。

 祈祷所にはいる立会人には、宗主一左、後見次郎左、父親として黒田、そして、長老格としては藤宮の宗主(陰の長)笙子が指定された。岩松と赤澤老人も呼ばれていたのだが、例の夢操りの件があるので、招待を受けて一緒に伴ってきた多喜子や古都江の監視をするため遠慮して席をはずした。その代わり、岩松も赤澤も輝郷や貴彦らとともに祈祷所の外で警備にあたる事になった。

 祈祷所の中扉の前には藤宮の悟と晃が両脇に控え、誰が見ても紫峰家と藤宮家の新たな深い結びつきをはっきり示しているようだった。来客たちは修の結婚話をまことしやかにうわさし合い、勝手にお目出度い気分に浸っていた。

 外でうわさ話に花が咲いている頃、祈祷所の中では厳かに儀式の開始が告げられようとしていた。樹の御霊の祀られた神棚を背に修が座り、その前に二人が並んで座った。左に一左、次郎左、右に笙子、黒田が控えた。

 「樹の御霊に申し上げる。
 この者ら御霊のお力添えによって前修行および儀式のための修練を無事終え、いまここに本儀式を迎える運びとなり申した。
願わくばこの者らに継承の力をお与え下されるようお願い申し上げ奉る。」

 勝手の分からぬ一左に変わって、次郎左が樹の御霊に挨拶をし、相伝の儀式は始まった。

 「宗主一左に対座せよ。」

修のその一言で透と雅人は一左のほうへ向き直った。

 一左ははっと周囲を見回した。孫二人だけではない。次郎左を始め皆が自分に対し、念を集中させていることに気付いたのだ。

 「何だ。どうしようと言うのだ。修。これはどういうことだ?」

 「見苦しいぞ。三左よ。おまえの正体は皆知っておる。」

次郎左が言った。三左が怯んだ。

 「何を言う。わしは一左じゃ。三左は当に死んだ。三十年も昔にの。」

 「その三十年の長きに渡って紫峰を苦しめた悪鬼よ。本物の一左を放して早々に立ち去れ!」

再び次郎左が叫んだ。

 一左を装っていた三左の表情が変貌した。狡猾な本性を現した。

 「なるほどそこまで…の。ならばわしも受けてたとうか。ほっほっ。」

三左は立ち上がった。

 「透。雅人。あの者の身体から三左の魂を引き出せ。」

修の指示が飛んだ。
 透が雅人が次々に三左の波長を捉えようとするが、さすが三左はそれを簡単にかわしていく。
昨日や今日修練を受けた子どもとはレベルが違い過ぎる。二人は焦り出した。
厭味な笑みを浮かべながら馬鹿にしたように透や雅人の念を蹴散らす。 

 修はしばらく二人の様子を見ていたが、初めての実践と強敵に戸惑っている二人の心に呼びかけた。

 『焦ることはない。焦れば本物の一左の方を引っ張り出してしまうぞ。』

 透はそれで我に返った。過去の失敗が蘇ったのだ。慎重に相手を探る。身体中をアンテナのようにして。
 雅人は妨害してくる三左の念に焦点を合わせた。それは必ず三左から発せられたものだからだ。

 二人は同時に、お互いの波長ではないことを確認しながら三左の波長を捉えた。

 「逆に引っ張り出してやる!」

 三左は力を込めた。念と念の綱引き状態になった。蛇と蛙のにらみ合いのようになったが、若い二人はやや劣勢。

 『仕方がないな。』というように修が加勢した。修の加勢はほんの気持ち程度のものだったが、それでも二人にとっては効果抜群だった。

 やがて畑から大根でも抜くように、三左を引っ張り出した。
笙子はすかさず二人の身体に結界を張った。

 一左の身体は崩れるように倒れた。黒田は一左の身体に結界を張るのと同時に、眠れる一左に語りかけた。
『御大。急ぎ目覚められよ。』しかし、三十年近くも眠り続けている一左はなかなか反応しなかった。



 その頃、祈祷所の外ではとんでもないことが起こり始めていた。
何者かが『眠れ』と何人かの招待客に囁いた。姿も形も無い。ただ、『眠れ』とだけ聞こえる。
その声を聞いているうちに彼らは朦朧とし始めた。
 
 異変に気が付いた貴彦たちは警戒を強めた。俄かに辺りが薄闇に包まれたようになり、椅子が飛んだり、変な化け物が現れて人々を追い回したり、暴れだす者が出たり、会場は騒然となった。
夢を利用された者たちが他の者を攻撃し始めたのだ。

 操られていない能力者たちが必死で収拾を図ろうとするが、操られている能力者たちの力が強い上、意識が無く、操っているものの正体も分からない。事態は混乱を極めた。 
 
 「輝郷!会場自体に結界を張って奴の念を弾いたらどうだ?」

一向に止まない攻撃をかわし、防ぎしながら貴彦が叫んだ。

 「無理だ!この念は奴だけのものじゃない。操られる側も同調している。これだけの力に対抗できる者は長老衆の中には居ない。」

耳を劈くような騒ぎの中、輝郷が大声で応えた。

 「長老衆と俺たち、悟、晃を併せてもか?」

 「う~ん。やらんよりはましかも知れんが…。」

輝郷は長老衆を見た。とても声を掛けられる状態じゃない。それぞれの家族に被害者がでていて、抑えるのに四苦八苦している。

 何しろ夢が相手なのであらゆる現象が理論を超えていて、まさに奇奇怪怪な様相を呈している。さすがの能力者たちもお手上げだ。

『扉が破られる前に何とかしなくては…。』貴彦は思わず祈祷所のほうを見た。

 何かぼんやりとと輝くものが小さく見えてきている。やがて外扉の真ん中辺りにうっすらと白い影が浮かび上がってきた。

 次の瞬間それは強烈な光を放ち、辺りを煌々と照らした。皆思わず目を伏せた。夢の産物が次々と消し飛び、操られていた者たちがその場に崩れ落ちた。光る指がそれらを指し示すと、白い雲のような魔獣が辺りを飛び周り、人々を巡って闇を食い散らした。

 「樹の御霊…。」

 貴彦が思わず呟いた。長老衆が恐る恐る目を上げ、その輝く姿を見た。長老衆としても生まれて初めて目にするそれはまさに伝説の人の姿だった。

 「おお…まさに樹の御霊…千年神のご降臨じゃ。」

岩松が叫んだ。長老の言葉に皆その場にひれ伏した。

 「次郎左の言うたとおりであった。」

 岩松と赤澤は顔を見合わせた。かつて、親を亡くした5歳の子どもに全権を委ねたおり、次郎左の警告を尤もとし、決してこの子を怒らすまいとお互いに誓い合った。
以来できる限りは衝突を避けてきたつもりだ。温厚なその子はめったに機嫌を損ねることは無かったが…。

 長老衆は一瞬でこの災いを断ち切ったその力に改めて畏怖を覚えた。
白い人は光に包まれながらしばらく皆の方をじっと見ていたが、次第に吸い込まれるように祈祷所の中に消えていった。

 樹の御霊に救われたとはいえ外がこの有様で、いったい祈祷所の中では何が起こっているのか、長老衆も貴彦たちもつのる不安を隠せなかった。

 
 

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一番目の夢(第三十八話 儀式前夜)

2005-06-23 15:39:28 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 修たちが帰ってしまった後、腑抜けたように黒田はソファの上で仰向けに寝転がっていた。
『修は死ぬ気だ。』そう感じた。
 紫峰を護るために…?いいやそうじゃない。子どもたちだ。あの子たちを護るために決死の覚悟をしたに違いない。二人ともに相伝をと願い出たのはそのためか…。
 
 扉が開く音がして、帰ったはずの笙子が現れた。思いつめた顔をして立っている。

 「どうしたね?」

黒田は驚いて起き上がった。

 「遺言なんてとんでもないわ。私はあの人を死なせやしない。
それには本物の一左の力が必要なの。あなたがどれだけ早く本物の一左を蘇らせることができるかにかかっているの。」

笙子は激しく黒田に詰め寄った。

 「ちゃんと説明してくれないか?まずは掛けて…。」

 笙子は傍の椅子に腰を下ろすと同時に話を始めた。それは本物の一左に修の抜け殻を作らせるという信じ難いものだった。三左を修の身体に閉じ込めた段階で、修の魂はすでに外に出ているはずだから、修の身体を抜け殻と本体に分離させ、抜け殻の中に三左を封印したまま身体を別の所へ移すという。
 
 「そんなことできるとは思えないね。」

 「一左大伯父なら可能だと思うわ。紫峰の中でも特異な力を持つ人だと聞いている。勿論、抜け殻とはいえ修の一部だからダメージを受ければ本体にも影響はあるわ。でも全身を攻撃されるよりは比較的軽いダメージで済む。」
 
 いくら本物の一左であっても、人間をセミや蛇のようには脱皮させられまい。もしもそれができたとして、皮膚の無くなった無防備な修の身体をどこへ移すというのだ。

 「ひとつだけあるわ。ここに…。」

 笙子は自分の腹部をおさえた。黒田は唸った。できるとは思えない。思えないが、もし女性の胎内なら、修の身体を一時的に胎児化させれば安全に保護できるかもしれない。

 「藤宮の陰の長は代々女性が務めている。それは紫峰の相伝が『滅』であるのに対して、藤宮では『生』を表すものだからよ。
 奥儀の中に他人の胎児を自分の胎内で育成するというものがあるの。それは長の子孫を絶やさないための急迫の秘儀で通常はやってはいけないことだけど。」

 「君の身体に負担は無いのか?修はきっとそのことを真っ先に心配するだろう。」

黒田は訊ねた。豊穂が身ごもった時のことがふと頭に浮かんだからだ。

 「身体に負担の無い妊婦なんていないのよ。黒田さん。大切な命がそこにあるから耐えられるだけなの。修の命を護るのに何を躊躇うことがあるの?」

 笙子は婉然と微笑んだ。黒田はその笙子の顔をじっと見つめた。悪いうわさも耳にしていたが、この人の真っ直ぐな気性が誤解を招いただけのことかもしれないと思った。さすがに修が選んだ人だけのことはある。

 「分かった。やってみよう。一左が修を脱皮させたら、俺が胎児に変化させる。君はすぐに修を胎内へ。但し、一時でもタイミングがずれたら…修は終わりだ。」

 



 明日は本儀式という日の夜。
修はいつもどおりにいろいろな手配を済ませた後、普段より早くから子どもたちと一緒にいた。
いつもと変わりなく穏やかに会話を交わし、和やかに笑って過ごした。

 「さてと…。」

夜も更けた頃修は二人に向かってゆっくりと語り始めた。

 「三左を一族から追い出したことが、そもそもの始まりだということは知っているね?

 悪人である三左を追放したのは大祖父さまだ。親として三左を殺めたり、封印したりするのが忍びなくて野放しにしたとも取れるが、実はその頃から紫峰家には三左を押さえ込むだけのチカラの持ち主がいなかったというのが本当の所だ。

 もし、戦いになれば跡取りの子どもたちにまで害が及ぶと考えたのだろう。紫峰家の存続を守り抜くために追放という形に止めた。」

 樹の記憶なのか修は自分の生まれる前からのことをいま見てきたかのように話した。

 「僕の両親も豊穂もかなりチカラのある人たちだったから、宗主の異常さには気が付いていたんだ。それでも正体不明の敵と戦う決心がつかなくてすべてを僕に託した。

 長老衆も全く気にしてなかったというわけじゃない。だから紫峰の重要なことに関しては、幼い頃から僕を子ども扱いすることもなく当主の代理をさせてきた。
 
 それで平穏無事に過ぎていけば、わざわざ蜂の巣をつつくようなことをしないでいいと考えたんだろう。」

 「誰も戦いを望まなかった…と?」

雅人が訊いた。

 「そうだ。その判断がこの三十年近くの間に七人もの命を失わせる結果を招いた。
彼らはまだ若く将来もあったものを…。

 三左は確かに手強い。とても一筋縄でいく相手ではない。戦えばきっと無傷というわけにはいかないだろう。

 宣戦布告した僕の判断が本当に正しいかどうかは分からない。
だけど、このままにしておいたらきっとまた何人もの命が失われていく。」

 「僕は戦うよ。黙って殺されるのは御免だ。」 

雅人は息巻いた。

 「相伝の…。」

それまで黙って聞いていた透が口を開いた。

 「奥儀継承の意味はそこにあるんだね。」

修は微笑んで頷いた。

 「確かに紫峰の奥儀は怖ろしいほど危険なものだ。消滅させてしまえばいいと思うかもしれない。けれども、もし、いまの三左のようなとんでもない敵が現れた場合に、対処する方法が無ければ紫峰は黙って滅ぶしかない。

 だから門外不出の奥儀として代々相伝されてきたんだ。毒にも薬にもなる。要は使い方次第。
つまりこれからはおまえたち次第ということだな。」

 透は背筋に冷たいものを感じた。雅人もこれから背負うことになる荷の重さを痛感した。

 「明日はおまえたちに最後の術の相伝を行うことになる。
そうしたら僕の役目はもう終わったようなものだ。後はお互いに磨き合い助け合っていくんだよ。

 二人ともひとつ約束してくれないか?」

修は真剣な目を二人に向けた。透も雅人も姿勢を正して修の言葉を聞いた。

 「これから先何が起ころうと、おまえたちは信念を持って強く生き抜いていきなさい。
時がおまえたちを呼ぶまでは、決して諦めてはいけない。簡単に死を選んではいけない。」

二人は無言で頷いた。修はいつもの温かい笑みを浮かべ、満足げに二人の顔を見つめた。




 
 林の祠のところでソラと修はぼんやりと月を眺めている。
修がすっきりした表情で微笑んでいるのを、ソラはどちらかといえば痛々しげに思っていた。
修は月を眺めたまま、ソラに向かって言った。

 「なあ。ソラ。おまえは本当にいい奴だよな。
この先、千年後も二千年後もまた巡り逢えたらいいなあ…。」

 『何言ってやがる。』と言おうとして、ソラは口にできなかった。
魔獣の目には青い涙が光っていた。




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一番目の夢(第三十七話 遺言)

2005-06-22 12:14:11 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 「決まったな。とうとう。」

 黒田が書状をひらひらさせながら言った。
輝郷たちとの会合で大まかに決めてあった相伝本儀式の日取りが確定し、紫峰家では長老衆を招集する案内状を送った。

 祈祷所に入るのは紫峰家が指定した立会人のみだが、祈祷所の外を長老衆が固め不測の事態に備える。長老衆はまた、余所者が近付かないように監視する役目も果たす。

 修の時には内密緊急のため誰一人立ち会うことができなかった。しかし、長老衆には相伝を受けた者を見分ける力があると言われている。事実、相伝を受けたことは誰も知らないはずだったにもかかわらず、修は奥儀継承者として認められている。
  
 「透も雅人もまだまだだけど、彼らが一人前になるのを待っていたら犠牲者が増えるだけだし。
まあ実践も修練のひとつだからね。」

 修が相伝に踏み切ることにしたのは、透や雅人の完成度の良し悪しではなく他家へ及ぼす影響によるものが大きかった。はるが名前をあげた多貴子や古都江の他にも夢を利用される能力者が増え、それは紫峰一族に止まらず藤宮にも及んでいた。

 「紫峰一族の長老衆が異変に気付き始めたし、藤宮一族にもすでに警告を出してあるわ。」

 参戦の決意をしてからの笙子の動きは早く、藤宮本家を通じて一族の隅々にまで『相伝を妨害しようとする得体の知れない夢使い』への注意情報を行き渡らせ、主だった能力者たちによる夢の監視を始めさせた。その結果、藤宮への嫌がらせは未然に防げるようになった。
 
 「ただ、ソラの話だと意識的に三左に協力している人もいるらしいの。勿論、相手が三左だとは知らずにだけど。」

 修には思い当たる人たちがいた。岩松の妻多貴子は娘豊穂の子である透を宗主にと望んでいるだろうから、同時に相伝を受けることになった雅人は邪魔な存在だ。 
 古都江は姉咲江の子修を差し置いて、宗主になろうとしている透や雅人が気に喰わないに違いない。
 他にも紫峰と利害関係のある者が、口車に乗せられ、その心の闇をうまく三左に利用されてしまっている。

 「いっそ奴が偽者だってことを知らせてやった方がいいんじゃないか?
自分の正体を知られたって多分白を切りとおして居座るだろうし。ここまできたら状況は変わらんだろう?」

黒田が二人にコーヒーを勧めながらそう訊いた。

 「闇の者は闇へ葬る。僕はそう考えている。やがて戻る本物の一左のためにも誰にも遺恨を残させてはならない。だから、三左のことは僕らだけの胸のうちに止めておきたい。」

 「あんたは本当に俺より十も若いのか?とても信じられんね。」

黒田は肩をすくめコーヒーをすすった。

 「鯖を読むな。十五は離れてる。」

修は笑った。黒田は参ったなというように頭を掻いた。

 笙子は二人を見つめながら何事も無ければ皆こうして和やかに時を過ごせたのにと思った。
失われたものの大きさを思うとやりきれない気持ちでいっぱいになる。これより先にはこんな傷ましいことが起こらないように祈るばかりだ。



 「二人に頼んでおきたいことがある。」
 
 黒田とのやり取りでしばらく楽しげにしていた修が急に深刻な表情を浮かべ、代わる代わる黒田と笙子を見つめた。黒田は襟を立たした。

 「儀式開始と同時に、透と雅人に三左をあの身体から引っ張り出させるよう指示する。
勿論、僕が力を貸してやらなければならないが、二人は結構うまくやるだろう。
三左が二人に入り込まないように笙子は二人の身体に、黒田は一左の身体に結界を張ってくれ。」
 
 分かったというように二人は頷いた。

 「行き場を失った三左は自分が入り込める身体を捜すだろう。下手をすれば他所に逃げ出してしまうかもしれない。そうなっては意味が無い。同じことの繰り返しだ。

 だから奴を僕の身体に入り込ませる。」

 「何だって?」

黒田は驚いて訊き返した。笙子の表情が曇った。笙子には修の言いたいことが分かっていた。

 「奴が僕の中に入ったら奴を閉じ込めておくから、皆で…それこそ総力をあげて僕の中の三左を攻撃しろ。遠慮は無用。 
 必要なら、僕の身体ごと攻撃対象にしてくれて構わない。」

 「馬鹿言ってんじゃないぞ! おまえ死ぬ気か?」

黒田は激しく動揺した。

 「おまえに攻撃を仕掛けるだと? おまえを殺すも同じじゃないか?
そんなことをあの子たちにさせようというのか? できるわけがない。
あの子らにとっておまえがどんなに大事な存在か…おまえは親なんだぞ。」

 「親は…おまえだ。」

修はそう言うと寂しそうな笑みを浮かべた。黒田は言葉に詰まった。

 「俺が…俺がその役目をするよ。その方がおまえも動き安かろ?」

黒田はもつれながら、それでも必死で食い下がった。

 「そんなに心配しないでくれ。そう簡単にはくたばらないって…。

 おまえが言うようにあの子たちは躊躇うだろう。
だから頼んでおきたいんだ。決して迷うな。思いっきりやれと尻を叩いてやってくれないか。

 その結果、最悪僕が死んだとしてもそれは僕の天命だ。後悔するなと伝えてくれ。
黒田…それを伝えるのが親としてのおまえの最初の役目だぜ。

 万一、そうなったら笙子があの子たちを鍛えてくれる。
おまえはちゃんと父親に戻ってあの子たちを支え、独り立ちさせてやって欲しい。」

黒田は頭を抱えた。修の説得にただ頷くばかりだった。

 笙子は何も言わなかった。同じ立場に立たされたら笙子も同じことをするだろう。
だから何も言えない。

 『だけど…修。あなたを死なせやしない。悲しい涙は見たくないから。』 

修からの遺言を受け取った笙子は無言のままにそれを破り捨てた。





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一番目の夢(第三十六話 陰の長出陣)

2005-06-21 11:59:48 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 笙子の治療を受けている間、修はずっと考えていた。

 なぜ三左の呪縛が解けなかったのか…。攻撃を仕掛けたのはまったく別の人物だったのか…。
三左の他にも敵が…?

 いいや…修は確かに三左の呪縛を解いた。だから、ぶつかる直前に車の方向を変えることができた。ならばあの反応の鈍さは…いったい…どうして?

 『夢あやつり…。』修の中で一つの言葉が閃いた。

 三左が誰かの夢を操り、能力者に夢の中で修たちを攻撃させる。無防備な状態のその人は夢を見ているだけなのに知らず知らずに力を使ってしまう。
 修によって三左の呪縛が解けるのと同時にその人が目を覚まし、その人からの攻撃が止む。
ただ、その間微妙にずれが生じる。そのずれが今回の事故を引き起こした。

 相手さえ分かれば直接その人の夢の攻撃を防げばいい。三左にばかり気を取られているからこんな怪我をすることになる。『何たる失態。修。おまえはまぬけだ。』修は自嘲した。

 「修。服着ていいわよ。言っとくけど、黒田さんのように完全な治療はできないからね。
ほとんど応急処置状態。後はあなたの治癒能力次第よ。」

 笙子は笑いながらそれでもほっとしたように言った。
雅人も透もやっと不安から解放された気がした。



 修が何とか動けるようになると、皆で修の身体を支えながら母屋に戻った。
ふらついてはいたが、雅人に肩を貸してもらい何とか自分の足で部屋までたどり着いた。

 『旦那さま。まあ。旦那さま。大変な目にお遭いになって…。』はるが心配そうに声をかけた。
通りすがりに笙子ははるに修のための重湯や飲み物を頼んだ。
 『ああ。お嬢さま。本当になんとお礼を申し上げてよいか。ようございますとも。すぐにご用意いたします。』
はるは急いで台所に走っていった。

 修を寝かせると、枕辺に座った笙子はもう一度軽く修の容態をチェックした。
それから二人の方に向き直った。

 「がんばったわね。二人とも。修のことは私が看ているからもうお休みなさい。
 明日が土曜日でほんとラッキーだったわ。でなきゃ、この人すぐにでも出勤するつもりでしょうから…。
二日休めば何とかなりそうよ。」
 
 透も雅人も修に付き添っていたい気はしたが、お邪魔虫になるのも嫌なので静かに修の部屋を後にした。しかし、あくまで『修』が気になる二人は雅人の部屋で様子を見ることにした。
 雅人はそうしようと思えば、自分の脳がキャッチする画像を透にも見せてやることができる。
口げんかもどこへやら、二人は今興味深々で修の部屋を覗き見ていた。 



 「そうですねえ…。長老衆以外に強いお力をお持ちの方ですか…。」
 笙子に頼まれた修の重湯と飲み物の他に、笙子の夜食を運んできてくれたはるが、二人の質問に首をかしげて考えていた。

 「それは多分、岩松の多貴子さま。豊穂さまのお母さまではございませんでしょうか。
もうお一方…赤澤の古都江さま。修さまの叔母さまでございます。
はるの存じております限りでは…。」

 笙子は修の方を見て頷いた。修もそれに応えた。
 
 「有難う。はるさん。参考になったわ。」

 「どう致しまして。お嬢さま。まあ、お召し物が酷いことに…。申しわけございませんでした。
どうぞお湯などお使い下さいまし。すぐにお着替えをお持ちいたします。」
はるは笙子のために風呂の様子を見に行った。   
 
 笙子は重湯の椀を取り上げると、スプーンで修の口元へ運んでやった。
修はいらないというように首を振った。

 「だめよ。血が足りないんだから。少し何か胃に入れないと。」

 「そのおはるの特製ジュースでいいよ。それに自分で飲める。」

修が起き上がろうとするのを笙子はそっと支えた。
修がその手を取った。

 「ごめんな。また君に迷惑かけてしまった。」

 「謝ってばかりね…。いいってば。でも…。」

笙子の目からはらはらと大粒の涙が落ちた。

 「心配したんだから…。あの子たちには黙ってたけど…その怪我あまりに酷くて…。
うまくいくかどうか…本当に心細かった。」

修は微笑んで笙子の髪を撫でた。しかし、すぐに真顔になった。

 「笙子…もしもの時は…あの子たちを頼むよ。黒田にもよく頼んでおくつもりだ。」

笙子ははっとした。修の考えているある計画が笙子にも見えた。

 「本儀式の時に…?あなたまさか…本気で…。」

修はそれ以上言わせなかった。珍しく自分から笙子の唇をふさいだ。

 「お風呂行ってくる…。」

笙子は呟くように言った。

 「ああ。ゆっくりしといで。」

修はいつものように微笑んだ。




 覗き見の二人は『見ちゃった!決定的瞬間!』と子供のようにはしゃいだ。が、はしゃいでいる場合でないことにすぐ気が付いた。

 笙子が部屋出て間もなく修の容態が一変した。眉が苦痛にゆがみ肩で息をしている。
声を上げそうになるのを必死で堪えているようだ。

 笙子は確かに治療はしたが、攻撃・防御型の笙子の力では完全な治癒は難しい。
折れた骨を接合し、内臓や皮膚の創傷・裂傷を接着しというような過程までは何とかいけるが、壊れた組織を再生し、成長させるとなると修の自己再生能力に頼るしかない。
 
 通常、怪我をすると人の身体は自覚的にはゆっくりと壊れた部分の修復を始める。修たちも例外ではない。ただ、特殊な力によってそのスピードを上げることができるだけだ。
修のようにハイレベルな能力者はより速く効果を上げることができるが、あまり、極端なことをすれば、逆に正常な部分に大きな負担がかかる。

 「大変だ!」

二人ははすぐにでも修の所へ向かおうとした。

 『来るな!』 

修の声が二人の脳に響いた。

 『心配ない…。再生スピードの上げすぎで身体が悲鳴を上げているだけだ。
情けない顔見せたくない。』




 風呂に向かう途中、笙子は一左と廊下ですれ違った。
一左はニヤニヤと意味ありげな笑みを浮かべた。

 「これは藤宮の姫さん。今日は修が世話になったそうじゃな。」

ぞっとするような猫なで声に笙子は嫌悪を感じた。

 「いいえ。どういたしまして。」

 「修も果報者じゃな。綺麗な姫さんが付いておってくれるのじゃから。わしも安心じゃて。」

取ってつけたような褒め言葉にカチンと来た。

 「一左大伯父さまには、かえってご迷惑かと存じますわ。」

笙子もありったけの皮肉を込めて言い返した。

 「何の別段何とも思っとりゃせんよ。」

ほっほっと笑いながら一左はその場を後にした。

 『上等じゃない。その言葉そっくりお返しするわ。』笙子の怒りが爆発した。
防御に徹するのはやめだ。もともとは紫峰の問題だから後手にまわってきたがもはやその必要は無い。存分に戦ってやる。

 修のためでもなく紫峰の子供たちのためでもない。三左を倒すのは藤宮の『陰の長』としての自分の責任だ。紫峰が負ければ三左は必ず彼の正体を知っている藤宮の当主の一族を襲うだろう。そんなことはさせられない。
 
 当主輝郷のみならず次郎左をさえ凌ぐ藤宮最大の力を持つ者。
『修…。もう遠慮は要らないわ。あなたの戦いは、いまこの時から私の戦いになった…。』
笙子は修のいる部屋に向かってそう囁いた。



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一番目の夢(第三十五話 治療)

2005-06-20 14:08:50 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 金属音ともガラスの割れる音とも付かぬ音が響いた後で、割れた車の窓から修は自力で這い上がってきた。

 二人は駆け寄って修が車を脱出するのを手伝った。
車から少し離れた所で、修は力尽きたように地べたに腰を下ろした。

 「雅人…大丈夫か?怪我は無いか?」

苦しそうに肩で息をしながら修が訊いた。

 「大丈夫だよ。何とも無いよ。修さんこそ大丈夫?」

雅人は逆に聞き返した。

 「大丈夫。少し身体が痛むくらいで…。手を貸してくれ。すぐに修練場に戻ろう。」

透と雅人が同時に手を伸ばした。修は二人の手を取ったが立ち上がれなかった。胸を押さえ、その場に蹲った。

 「修さん!」

透が身体を支えた。意識はあるようだが呼吸の様子がおかしい。

 「雅人。僕らで運ぼう。」

 「救急車を呼んだほうが…。」

雅人に言われて少し迷ったが、透は修練場を選んだ。

 「救急車を襲われたら一巻の終わりだ。」

雅人が修を背負い透が支えた。

 「僕の力じゃたいした治療はできない。黒田なら十分な治療ができる。君連絡してくれないか?」

雅人は透に言った。

 「だめだよ。黒田は今は屋敷内に出入りできない。奴の目が光ってるから。」

携帯を手にしたものの急にボタンを押す手を止め、透は悔しそうに言った。

 「笙子さん…。そうだ。笙子さんならできるかも。」

雅人は透を見た。透も頷いた。透は修の背広のポケットから携帯を取り出した。腰の辺りのポケットに入っていたせいか幸いなことに壊れていなかった。
 
 呼び出し音がなった。ほんの1~2秒がものすごく長く感じられた。相手のキャッチした音が聞こえ、透はほっとした。こちらが話す前にしっかりした口調の女性の声が聞こえた。

 「透くんね。」

笙子の第一声だった。

 「修に何かあったのね。いま、そっちへ向かってる。
よく聞いて。修練場に入ったら決して外へ出てはだめよ。

 私が行くまで絶対に修の傍を離れないで。いまの修では遠くまでチカラを及ぼせない。傍にいれば護ってくれるわ。

 狙われているのはあなたたちだということを忘れないで。
黒田が修練場に結界を張ったわ。中に居れば安全よ。」

一方的に話すと携帯は切れた。
二人は顔を見合わせると修練場へと急いだ。




 修練場に修の身体を横たえ雅人は、あの暗闇では分からなかったが、自分のシャツが修の血で濡れているのを見て、修がかなり失血していることに気が付いた。

 「とにかく血を止めなきゃ。」

雅人の手が震えた。思うようにチカラが使えない。

 「雅人。落ち着け。」
 
 透が雅人の手を押さえた。雅人は頷いたが震えは止まらなかった。
何度も試みるが、修に怪我を負わせたという自責の念に駆られてうまく対処できない。
これでは普通の止血方法をとるしかない。

 「布を…何か布を持ってくる。」

 雅人は思い余って外に出ようとした。
透が手を掴んで止めようとした時、修が少し起き上がったような気配がした。

 「行くな!…出るな…雅人!」

 修が声を絞り出すように言った。

 「大丈夫だから…ここにいなさい。はなれては…だめだ。」

 それだけ言うと、再び崩れるように仰向けに転がった。
二人は急いで修の傍に駆け寄った。
修の容態の悪さは失血だけが原因ではないようだった。
 
 突然、ソラが飛び込んできた。修の枕元まで駆けていきそこに陣取った。
続いて笙子が現れた。笙子は不安げな二人を見て微笑んだ。
 
 「いい子にしていたわね。」

笙子は真っ直ぐ修のところに行き傍らに座った。修の額や腕に触れながら、雅人に向かって話しかけた。

 「雅人くん。いいこと。これはあなたのせいではないわ。修の油断よ。
相手を特定できなかった修自身のせいなの。気にすることは無いわ。
そうよね?修。」

修が『そのとおりだ。』と言うように頷いてみせた。
初対面の笙子が自分の心を軽く読み取ったことに雅人は驚いた。
  
 修の胸に触れた瞬間、笙子の表情が曇った。二人の心臓が高鳴った。

 「そんなに酷いの?」

 透が恐る恐る訊いた。

 「私は医者じゃないからよくは判らないけど、あばらが2~3本軽くいっちゃってるようだわ。
固定しないで動かしたのはまずかったかもね。」

 修の身体のあちらこちらを調べた後、笙子は二人の方へ向き直った。二人は思わず及び腰になった。

 「さてと、本格的に始めるわよ。
 呼吸がうまくいかない状態では自己治癒は難しかったでしょうね。
それでも止血だけは自分でしたようだから。

 怪我をしている場所を正確に知りたいの。
修の服を脱がせてやって。あんまり動かさないように注意してね。
服なんて破いてしまえばいいから。

 修。もう気を失っても大丈夫だからね。眠っちゃっていいわよ。」

 透と雅人は破れにくい背広だけを手早く脱がしてしまうと、修に振動を与えないように慎重に布を破り、血で張り付いた衣服をはがしていった。 
しばらくすると二人は困ったように笙子を見上げた。笙子は事も無げに言った。

 「ああそれ?それはいいわ。そこは問題ない。元気だから。」

 修が思わず噴き出した。が、相当痛むのかその後ひどく顔をしかめた。

 『修さん。こんな時に笑ってる場合かよ。』雅人は呆れて二人を見比べた。
怪我人を笑わせる笙子も笙子なら、笑う修も修だと思った。

 『まあまあ抑えて。命に別状なしってことさ。そうカリカリすんなって。』透が言った。

 「透くん。もう外へ出ても大丈夫だから、母屋へ行ってはるさんに事故の事知らせてきて。
後始末の手配と、修がすぐに休めるようにしてもらって。」

透は頷くと急いで母屋へ向かった。ソラがその後を追って行った。

 「それでは…と。雅人くん。細かい傷はあなたの仕事よ。
内部の隠れた怪我を見落とさないでね。」

 雅人も頷いた。さっきとは打って変わって落ち着いて治療ができた。
その様子をみて笙子はよしよしというように頷きながら微笑んだ。
 
 笙子はまず胸の治療を始めた。
子供たちの前では安心させるために余裕を見せたものの、修の状態は決して楽観できるものではなかった。 

 『修。あなたは本当に凄い人だわ。こんなになってもまだ意識を保ってる。』

 二人を護ろうとする執念のようなものを笙子は感じた。

 やがて治療が進むにつれて、修の呼吸が多少なり楽になってくると、修の身体自体が再生へ向けて活動を開始した。




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一番目の夢(第三十四話 危機)

2005-06-19 14:59:45 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 透が帰ってくるような気がして修は眠らずに待っていた。
別に確証があったわけではない。ただそんな気がしていた。
真夜中を過ぎているというのにこの屋敷にはあちらこちらに明かりともっていた。

 表門の前で車の止まる音がした。修の口元に微かな笑みがうかんだ。

「送ってくれて有難う。」

「いいさ。またおいで。休日以外はあそこにいるから。」

 そんな会話が聞こえるようだった。
車が出て行く音がする。透の急ぎ駆けて来る音が修の耳に心地よく響いた。
 やがて、『こんな遅くまでいけませんね。』と窘めるはるの声がした。透は勢いよく階段を駆け上ってきた。

 扉の前で一呼吸。『さあ、どんな言い訳をするつもりだい?』修はわざと無表情な顔を作った。

 「ただいま。修さん。」

扉の向こうから透が声をかけた。

 「お帰り…。」

 おずおずと扉が開いて透が入ってきた。
修はパソコンのキーを打つ手を止めず、無言のまま透の方を見なかった。

 修が怒っているように見えて声をかけにくいのか、透も黙って近付いてきた。
『あっ。』と思った瞬間透が後ろから修に抱きついた。

 「…お父さん…。」

修の手が止まった。修の口元がゆがんだ。笑顔とも泣き顔ともつかぬ形に…。唇が震えた。
 
 「馬鹿言って…。おまえの父さんは黒田しかいないよ。」

 「ごめん…嫌だよね。年のそんなに違わない僕から父さんと呼ばれるのは…。」

肩をかかえるように抱きついている透の腕に自分の手のひらを重ねながら、修は否定するように首を振った。

 「そうじゃないよ。そんな自覚が無かったからさ。僕はおまえを育てたけど父親としてじゃない。赤ん坊のおまえが可愛いくてほっとけなかっただけだから。」

透は腕を解いた。修は振り返って透の顔を見つめた。

 「愛しているよ。透。その気持ちに偽りは無いけれど、僕は黒田にはなれない。」
 
 「それじゃ僕は誰の子さ?黒田も親父と呼ぶなって言うし。」

幼い子のようにふくれ面をする透の顔を見て、修は思わず笑みを漏らした。

 「そうか。それは困ったな。じゃ…ひとまず仮の父さんにでもしといてくれ。
そのうち黒田と交渉することにしよう。本物なんだからちゃんと名乗れと言ってやるよ。」




 翌日、朝から雅人の機嫌が悪かった。一緒に家を出たものの学校まで一言もしゃべらず、帰ってからもろくすっぽ口をきかなかった。

 修練場の壁にもたれていつものようにぼんやりしていても、雅人からいらいらした空気が伝わってきた。その原因の一端が透にあることは明らかだった。

 「言いたい事があるんならはっきり言えばいいだろ。いつもおまえの方からなんだかんだ言ってくるくせに何だよ。」

透は言った。

 「別に。君に言いたいことなんてないよ。」

雅人は口を尖らせた。本当は言いたいことが山ほどありそうだった。

 「うそだね。その顔に書いてある。」

 「ほっといてくれ!」

 勢いよく立ち上がると雅人は修練場を飛び出した。

 「待てよ!修さん帰ってくるぜ!」

透が後を追ったが雅人は知らんふりして表門の外へと出て行ってしまった。
雨のせいか辺りはすでにうす暗くなっていた。



 雅人は林道沿いに町の方へと歩いていた。携帯がやかましく雅人を呼んだ。
腹立ち紛れにOFFボタンを押して心の中で叫んだ。 『おまえなんかに分かるもんか!』
 無性に腹が立って仕方が無い。いつもいつも修の目は透に向けられている。僕は蚊帳の外だ。

 『何がお父さんだよ! よく言うじゃないか! 夕べどこへ行ってたんだ!』
僕の方がよっぽど修さんのことを考えてるよ。そうだろ。それなのに…。
僕が囮になるのは透のため?僕は捨石なの?僕はどうなってもいいってわけ?
 『違う。そんな人じゃない…。分かってるんだけど。』



 町の方から紫峰家のある広大な私有地に向かう道はそれほど広いとは言えないが、近隣の人々のために一応バスが通っている。修もこの道を使って通勤していた。
 少し奥まった所は林道なっているため、夜になると暗いのが難点で、ところどころに街灯が灯っていても街中を走るようなわけにはいかなかった。

 修は修練場で待っているだろう二人のことを考えていた。まもなく本儀式を行う手筈になっていて、修練もそろそろ仕上げ段階に入ろうとしていた。

 雅人はその持ち前の器用さと度胸のよさで透よりはるかに先を行っている。それだけに先走る虞があり、かえって心配な面もある。
 逆に、透はいつまでもくよくよ考えていてなかなか前へ進めないが、一旦、自分のものにすると思わぬ力を発揮する。それぞれの持ち味を引き出してやるのはなかなか骨の折れる仕事だ。 

 ふと前方に人影のようなものが見えてきた。真っ直ぐこちらへ向かって来るように思える。
こちらに気付いているのかいないのか。一応は立ち止まったようだが避けようとはしていない。 
 『雅人!』
修ははっきり雅人だと感じた。スピードを抑えようとした。
 『ブレーキが…。』
止められない。サイドブレーキを引こうとするが動かせない。
 『雅人!避けろ!雅人!』
クラクションを鳴らす。しかし、人影は動かない。修は三左に向けてその呪縛を解こうとした。
 『この呪縛は三左のものではないのか?』  
目の前に雅人の怯えた顔が迫った。




 いつの間にか道路の真ん中を歩いていた雅人は遠くからこちらに向かって自動車が近付いてくることに気付いた。何気なく避けようとした時愕然とした。 
 動けない。車に向かって歩くことはできるのに避けられない。車はどんどん近付いてくる。
 『どうなっているんだ?』
恐怖で全身から汗が噴き出した。意識を集中させようと試みるがそれすらうまくいかない。

 あの車は…あれは修さんの…。呼吸が乱れ、雅人はパニックに陥った。
 『この暗さじゃ修さんには僕が見えない。修さん。修さん。聞こえない?』
ますます身体が強張って、まるで人形になってしまったかのようだ。
車のクラクションが激しく警告する。逃げろと…。
じりじりと時が迫る。『逃げなきゃ。何とかして逃げなきゃ。』

 『もうだめだ…。』
雅人がそう思ったとき、修の車は道を外れ、林道沿いの大木にぶつかって横転した。
明らかに雅人に気付いた修が事故を避けようとしてわざと林道を逸れたのだ。
 
 「修さん!」
大声で叫ぶと雅人の手足から枷が外れたように動けるようになった。
転がるようにして車の方へ駆け寄った。
エンジン音が止まった。

 「修さん。大丈夫?」

しんと静まりかえった林道に雅人の声がこだました。
修の返事は無い。

呆然と立ちすくむ雅人の背後から透の叫び声と足音が近付いてきた。





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一番目の夢(第三十三話 父二人)

2005-06-17 19:08:00 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 今日はどうしても修練をする気になれない。夕べ眠れなかった疲れもあって透はぼんやりと通り過ぎる景色をを眺めていた。乗っているのは家とは全く反対の方向を目指すバスで、どこへ行こうとしているのか自分でも分かってはいない。

 聞き覚えのあるバス停で降りた後、当てもなくぶらぶらと歩き始めた。何気なく見上げるとそこは黒田のオフィスの近くで自分が父親の所へ向かっているのだとようやく気付いた。

 ベルを鳴らすと黒田はそこにいて驚きながらも透を迎え入れてくれた。

 「逃げ出したおまえが、わざわざ会いに来てくれるとは光栄だ。」
透のためにお茶を入れながら黒田は機嫌よく言った。俯いたまま透は黙っていた。

 「何があったんだね? ん? 」

 「強く…なりたい。」

 黒田が訊ねると透は蚊の泣くような小さな声で言った。
やがて透は夕べのことをぼそぼそと話し出した。父親は相槌を打ちながら息子の話にじっと耳を傾けた。




 暗くなっても帰ってこない透を探して、雅人は心当たりあちこちに電話をかけたりしてみたが透はどこにもいなかった。
  修が帰宅しても修練を始めるわけにもいかず雅人はやきもきして透の帰りを待っていた。
 
 「雅人。いいんだよ。さぼりたいときもあるさ。」

 「言わせてもらうけど甘いよ。修さん。寛容なのと甘やかすのとは訳が違う。
透はただでさえ甘えん坊なのに。」
 
雅人のその言葉に修は悲しげな笑みを浮かべた。

 「そうだね…。でも…透は父親のところに…多分何か相談でもあるんだろう。」

 雅人は驚いた。
『知ってたんだ。』実は雅人も気付いてはいた。しかし、口にすれば修を悲しませると思い黙っていた。実の親に会いに行った透の行動を修はどう考えているのだろう…。

 「気を使わなくていいよ。雅人。僕は黒田にやきもちなんか焼かないからね。」



 

 息子の失敗談を聞いて笑うわけにはいかないが、黒田としては相手が修で不幸中の幸いだったと内心ほっとした。他の者ならあの世行きだったのかも知れない。

 「それで…自信無くしたわけか。」
 
 「雅人みたいになりたいんだ。雅人は修さんにそっくりで…何でもできる。」

黒田の口元にあのにやけた笑みが浮かんだ。『やきもち半分…悩み半分。』

 「雅人は強いわけじゃない。弱い自分を見せないように努力しているだけだ。今のところはな。
修は…まあ強いと言えば強いが弱い所も全く無いわけじゃない。

 おまえ…修だって泣くことがあるのを知っていたか?」 
 
 透は驚いたように黒田を見た。
そのことは自分の胸にしまっておこうと思っていたが、この子のためには話してやった方が薬かもしれない。黒田はそう思った。
  
 「あの前修行の夜、修はここで泣いていた。冬樹が死んだのは自分のせいだと言ってね。
自分がおまえたちを甘やかして鍛えなかったからだと…。

 俺は違うと思うね。修のせいじゃない。

 修はいつでも真剣におまえたちと向き合っておまえたちを育ててきた。ことの良し悪しを教え、必要以上に手を出さず、おまえたちに生きる術を学ばせてきたはずだ。

 自分の身を捨てて必死でおまえたちを護ってきた。それでも助けられなかった。ならば、それが冬樹の運命だったとしか言いようが無い。 

 そうだろ?」

透は力なく頷いた。 

 「だが、親の身としてみれば悔やみきれぬ思いが残るものなんだ。たとえ不可抗力だったとしてもな…。
 誰がどう慰めようと修の心からその痛みを消すことなんてできない。時が少しは癒してくれるだろうが…永久に忘れることなどできない。」

 「葬式の時だって毅然としていたんだ。修さんがあんたに…他人に涙見せるなんて…信じられないよ。強い人だもの。」
 
 修が弱みを見せるなどありえないと透は思った。透にとっての修はヒーロー的存在だった。

 「あの夜は修もぼろぼろ状態だったからな。何日も断食した後でおまえの衝撃波をまともに受けて、気休め程度の手当てだけでよく耐えていたものだよ。
ここで倒れたりしなきゃ俺も気付かなかった。

 それだけでも修は十分強いさ。

 だけど、修は人間だ。ほんの少し弱みを見せたからって何が悪い?
いつまでもおまえの理想像を押し付けられたんじゃ修だってたまらん。

 修や雅人が強く見えるのは、自分の弱さを嘆くのではなく、その弱い部分を補うように絶えず自己研磨しているからだ。生きるためにな。

 おまえは嘆いているだけ。人が何とかしてくれるのを待っているだけ。いつでも修が助けてくれると思っている。

 おまえが他力本願なのは修の育て方のせいじゃないぞ。おまえの自助努力が足りないせいだ。
要するに怠け者なんだ。」

 透は下唇を噛んだ。腹は立つけれど確かに黒田の言うとおりだ。『本当は雅人にも言われていたことなんだ。』
いつまでたっても自立できないのは修のせいではない。自覚が足りないせいだ。
何があっても自分で乗り切っていこうという自覚が足りないから何かあるとすぐにパニックに陥ってしまう。

 「このままのおまえではいくら大きなチカラを持っていても役にはたたん。
下手をすれば冬樹のように殺される。

 弱けりゃ格好つけずに弱さ前面に曝け出してもいい。おまえは何としてもしぶとく生き抜け。強さより図太さだ。図太けりゃ弱さなんぞいくらでもカバーできる。

 修が本当におまえに望んでいることはそれだけだ。

命落として修を泣かすようなことをしたら俺が許さん。」

 透は父親の顔をまじまじと見た。離れて暮らしていてもこの人は自分のことをどこかで見ていたに違いない。そう感じた。

 「親父と呼ぶべきなのかな。」

ポツリと透は呟いた。

 「俺を父親だと思うなよ。今までどおり黒田で十分だ。
おまえの親父は修だ。まあ、お袋的なところも多分にあるが…。」

黒田は声を上げて笑った。

 「修さんは…親父じゃかわいそうだよ。若いんだから。」

 「そりゃそうだな。あはは。」

笑いながらも黒田は決心していた。
『透の父親は修。それでいい。俺は親戚の小父さんでかまわんさ。』と…。





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一番目の夢(第三十二話 ちょっとした事故)

2005-06-16 12:08:39 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 修練場の壁にもたれながら透と雅人は修の帰りを待っていた。術を使うには危険を伴うので修のいない時には何もしてはいけないと固く約束させられていた。

 学校から戻ると宿題などを先に終わらせ、夕食を済ませ、修練場で修の帰りを待つ。そんな生活がどれくらい続いているだろう。

 自分たちにはまだ内緒で宿題や課題を片付けてくれる悟や晃がいるけれど、修は仕事だからそうもいかない。残業で帰って来られなかったりすることもある。

 「今日は…。」

 「デートだったりして…。」

 顔を見合わせて二人は笑った。

 「なあ雅人…おまえ何か知ってるだろ?」
透は訊いた。雅人はじっと透を見ていたが、思い切ったように応えた。

 「修さんはさ…その人が好きなんだよ。何もかもちゃんと分かってて、それでも好きなんだ。
だから僕は何も言えない。」
 雅人は人の心を読むことができる。修のようにガードが固くても雅人に対してそれほど警戒していないから少しは分かる。

 「でも、修さんはまだプロポーズしたわけじゃないんだろ?」

 「してないよ。」
 修が突然現れたので二人とも飛び上がった。片手に子犬を抱いている。もう一方の手には子犬の入った籠を持っていた。

 「そんなに気になるかい?」

修は笑いながら子犬と籠を渡した。雅人が受け取った。

 「だってさ。うわさが…。」

そう言いかけて透は雅人に止められていたことを思い出した。

 「笙子の恋人が男女を問わないってことだろう。今も女の子がひとりいるよ。
そんなにいけないことか?」

修は二人に問いかけた。二人は唖然とした。

 「別にいいと思うけどな。好きになった相手が偶然男だったり、女だったりするだけの話だ。
僕にもそういうところが全くないとは言えないよ。現におまえたちとか。」

『ううっ』と思わず二人は引いた。

 「あはは。冗談。冗談。でもな。ほんとに好きになっちまえばそれまでってこと。」
修はさも可笑しそうにカラカラと笑った。

『この人ならありえる。』と二人は思った。 



 
 「さて、今日はこの可愛いワンちゃんたちにお相手願おう。」

子犬は二匹とも籠の中に入れられて、可愛い顔を覗かせていた。

 「この二匹は同じ親から生まれている。大きさも柄もよく似ていて瞬時には見分けがつきにくい。だが、この二匹にも微妙に魂の波長に違いがある。まずは術を使う前によくその波長の違いを確認すること。」

 二人は真剣に子犬の波長を探り始めた。これまで植物から始まって、昆虫、鯉、鳥類と段階を追ってより複雑な思考回路を持つ生き物に挑戦してきた。

 瓜二つとも言える子犬の波長を感じ分けるには、より鋭敏に感受する能力を働かせなければならない。感受する能力に長けている雅人にとってはそれほど難しいことではないが、攻撃力が主力になっている透にとっては多少なりと努力が必要だ。

 ある程度二人が波長の差を感じ分けられるようになると、修は子犬を籠から出して自由に走り回らせた。動き回る子犬の波長の差を捉えさせるため修がわざと子犬二匹と戯れる。
 修の波長と子犬の波長が入り乱れてさらに捉えにくくなり、透は何度も探り直さなくてはならなかった。
 
 鳥に挑戦した時も手が震える思いだったが、子犬となるとさらに緊張が増した。再び籠の中に入れられた子犬たちの温かい魂の感触が二人の手に残って消えなかった。

 籠で動きを止められていた子犬で成功をすると、修はまた子犬を外に出してじゃれ付かせた。
遊び好きの子犬たちは修にまとわりつき楽しそうに跳ね回った。


 やっと子犬にも慣れてきた二人は入り乱れる波長の中からそれぞれの子犬を選び出した。
透が自分の子犬の魂に触れようとした瞬間それは起こった。透は愉快そうに子犬と遊ぶ修の方に一瞬気をとられてしまったのだ。

 急に修の身体が崩れ落ち床に倒れこんだ。雅人が叫びながら修に駆け寄った。何が起こったのか分からず透はパニックに陥った。

 「修さん!聞こえる!戻ってきて!ここだよ!」 
  
雅人は必死で大声を上げた。修の身体はピクリとも動かない。人形のようになって転がっている。

 「透!ボーっとしないでおまえも呼べ!修さん!ここだよ!」

透は頷いた。だが声が出なかった。 
透はショックで動けない。多分方法も思い浮かばないだろう。自分がやるしかない。雅人は決心した。

 「透。見てろよ。」

 雅人はすべての意識を慧眼と呼ばれる部分に集中した。ここには第三の目があると言われている。目を閉じて自分たちの周りを探り、修の波長を捉えようと試みた。
それはすぐ傍にあるのを感じた。
 
 「修さん…。そこだね。笑ってる場合じゃないでしょ。透がショック死する前に戻ってもらうからね。」

 雅人は両手の掌をそっと上に向け何かを包み込む動作をし、そのまま両手を修の額へとそっと差し伸べた。修の魂を修の身体へといざなっていたのだが、大パニック中の透には何も見えていなかった。
 
 大きく呼吸をしたあと修の身体が動き始めた。雅人はほっと息をついた。

 「透。もう大丈夫。」

 「雅人…有難う。ほんとにどうしようかと…。」

 修が頭を抑えながら、ゆっくり起き上がった。

 「今のはちょっと痛かったな…。透。頭ぶつけたし。」

 「修さん。ごめん。ごめんよ。」

 透は半泣きだった。修は叱らなかった。突然のトラブルに対処できない透の弱さは育てた自分の責任だと感じていた。この弱さが克服できなければ、どれほどのチカラがあろうと意味がない。

 「雅人。おまえはもう大方のことには対処できる。よく落ち着いて行動した。」 

 「ほっておいてもよかったんだけどね。修さん自分で帰って来るっしょ。」

雅人の言葉に修は微笑んだ。
 
 チカラでは劣っているはずの雅人が、透よりはるかに優れた働きをする。透は内心複雑だった。本当に自分は宗主として一族を率いていけるのか。雅人が宗主になるべきじゃないだろうか。
 透は自分がなかなか修から自立できないでいることや、肝が据わってないことを自覚していたし悩んでもいた。

 ふと冬樹のことを思い出した。無力な冬樹は一族からいつも透と比較されながら、それでも宗主にはおまえがなるのだと言われ続けてきた。どんな思いで毎日を過ごしていたのだろう。

透は、何を言われても笑顔を絶やさなかった冬樹の本当の心を、今になって垣間見たような気がした。



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