徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

最後の夢(第六十二話 不思議な力)

2005-12-31 00:05:34 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 昭二の姿が確かにそこにある。
久遠はこの前史朗が見せた鬼母川の『御霊迎え』を思い出した。
 もしそうなら祭祀中の史朗は自由に動き回ることはできないはず…。
ところが史朗は平気でこちらに向かってくる。

 「騙されちゃいけない。 あんたは暗示をかけられているだけさ。
暗示の力は樋野の特性だろ? 」

 史朗は何やら文言を唱えて華翁の剣を久遠の前で閃かせた。
久遠の肩からすっと何かが抜けたような気がした。
久遠は史朗に言われたとおり自分を押さえつけている連中を目掛けて力を放った。
不思議なことにいまさっきまでびくともしなかった男たちが弾かれるように周りに転がった。

翔矢の顔色が変わった。

 「誰…? 僕の暗示を解いた…。 」

突然現れた史朗に訝しげな目を向けた。

 「鬼母川の道具使い…! 」

敏が叫んだ。
 
 「失礼な…僕は鬼母川の伝授者のひとりだよ。 歴とした祭主だ。 」

 不敵な笑みを浮かべながら史朗は敏を見据えた。
倒れたままの頼子の傍へ近付くと膝を折って頼子の受けた傷の様子を調べた。

 「頼子さん…つらいだろうけどしばらく我慢してて…。
雅人くんがもうすぐ来るから…そうしたら治してくれるよ。 」

頼子は痛みと出血のため力なく頷いた。

 「おまえってば相変わらず悪趣味だね。 人間を切り刻んで何が面白いのさ。
それを見て楽しむあんたも最悪だよ…翔矢…悪い子だ。 」

史朗は翔矢に鋭い視線を向けた。

 「悪い…子? 伯父さまはいつも翔矢はいい子だって言ってくれるよ。
初対面のおまえにそんなこと言われる筋合いはない…。
敏…こいつから殺して! 」

 翔矢のヒステリックな命令の声に反応して敏は反射的に史朗に飛び掛った。
華翁閑平は剣の名手…生まれ変わりの史朗もまた然り…華翁の剣は敏の念の剣を次々と打ち砕く。

 敏の形勢が不利と見るや圭介たちが一斉に史朗に向かってきた。
しかし剣を手にした史朗はものともしていない。

 舞を見るようなその戦いっぷりに久遠はしばし見とれた。
見とれている場合じゃないことは分かっていたのだが…。

 「愚かな…おまえたちはどうしても久遠さんを苦しめずにはいられないのだな。
長年労苦をともにした仲間だというのに…。 」

昭二の霊が嘆いた。

 「昭二…みんな翔矢に操られているだけなんだ…。
心配するな…すぐに元に戻る…。 もとの優しいあいつらに戻るよ…。 」

 久遠はそう言って昭二の霊を慰めた。
なぜだろう…昭二がここにいるのに史朗はなぜ戦えるのだろう…?

 そんなことを考えながらふと翔矢を見ると翔矢は激しくじれてきていた。
思うようにならない久遠と邪魔をする史朗…。
次第にイライラが募ってくる。
 身体だけは大人だが心はまるで我が儘な子どものまま…伯父はいったい翔矢をどのように育てたのだろう。善悪の区別もつかないなんて。

 じれが頂点に達したのか翔矢の目の色が変わり、久遠があっと思った瞬間、翔矢は史朗目掛けて大きな念の塊を叩きつけた。
 史朗は剣に護られ何とか持ち堪えたが、史朗と対戦していた味方の樋野勢の方が吹っ飛んだ。

 久遠は天を仰いだ。翔矢のやつ敵も味方もないじゃないか…
感情だけで動いている。

 翔矢は周りの樋野勢がどうなろうと構わず次々に史朗目掛けて攻撃を仕掛けた。
そのレベルはだんだんに上げられ、外れた攻撃が建具や家具を破壊した。
 いかに史朗強しと言えども翔矢ほどの能力者相手ともなるとその辺の下っ端をやっつけるような訳にはいかない。
 史朗は祭祀能力には長けていても戦闘系の能力者ではないから次第に形勢は不利になってくる。

 さすがに高みの見物などしてはいられないと思ったか、久遠がふたりの間に割って入り翔矢の攻撃を粉砕した。

 「邪魔しないで! そいつを殺してやるんだから。 」

 翔矢は険しい表情で久遠をにらみつけた。
翔矢の攻撃は久遠にも容赦なく浴びせられる。怒りに任せての攻撃で相手が誰かなんてまったく構っちゃいないようだ。
久遠は史朗を庇いながらその攻撃を撃破した。
 翔矢の念の持つ破壊力は抑えきれぬ怒りとともにさらにグレードアップし、もはや史朗では護身も覚束ない。

 反撃をしてこない久遠の一瞬の隙をついて翔矢は攻撃を頼子の方に向けた。
久遠は身を翻して頼子の身体を庇った。
史朗が思わず放った剣に辛うじて弾かれたその念の砲弾は天井に大穴を開けた。

 久遠が思わずふうっと息を吐いた。
翔矢め…俺のこともどうでもよくなってるな。
久遠に対するさっきまでの執着心はどこへやら翔矢の頭の中にはいまや倒す殺すしかないようだ。

 久遠たちのために剣を放した史朗を目掛け翔矢は再び攻撃を始めた。
その間断ない攻撃に史朗は剣を呼ぶ間も与えられず、ついに追い詰められた。 

翔矢は甲高い笑い声を上げて史朗目掛けて今までより強力な砲弾を叩きつけた。

 …がその砲弾が消えた。

 何事が起ったのか…と翔矢は目を疑った。
それは翔矢にとって起こるはずのない現象だった。
放出した巨大な力が一瞬にして消えてしまうなんて…。



 透が史朗の背後から昭二の霊に軽く頭を下げながら現れた。
その後からどやどやと騒がしく音を立てながら学生軍団が姿を現した。 

 「あれぇ史朗さん…いつの間に来てたの? 」

 隆平が不思議そうに訊いた。
史朗は態勢を立て直すと逆に不思議そうな顔をした。

 「どこで追い越しちゃったんだろ…きみたちを追ってきたのにね。
この屋敷まで来たら佳恵さんが飛び出てきて…外に甲斐さんがいたから佳恵さんを頼んで来たんだけど…。 」 

そう言って首を傾げた。

 「おい…おまえら外の樋野の連中は…? 大勢居ただろう…? 」

 久遠が不信げな顔をして軍団を見た。
六人はにやにや笑いながら答えた。

 「う~ん。 あんまり大勢いたので…。 」

しかも弱っちいのが…いっぱい…。

 「戦うのが面倒くさくなって…。 」

うじゃうじゃいるんだもん…。

 「少しの間眠って貰いましたぁ。 」

元気いっぱいの解答に久遠は言葉に詰まった。

 「でも…すぐ目が覚めるよ。 もう覚めてるかもね。 ただの暗示だから…。」

 透が可笑しそうに笑った。
暗示の樋野に暗示を掛けるとはなんちゅう人を食った奴等だ…久遠は呆れた。

 「そうだ…雅人くん。 頼子さんを診て上げて…。 怪我が酷いんだ。 」

 史朗が頼子の傍へ雅人を招いた。
雅人は急いで頼子の容態を診た。

 「大丈夫…急所外れてるし…。 多分…故意に…はずしてたんだろうな…。 」

 史朗は驚いて翔矢の攻撃を受けて向うに転がっていった敏の方を見た。
あれほど強く支配されていながら頼子を助けようと必死で抵抗していたんだ…。

 「ぷるんぷるんのお姉さま…ちょっと触るよ。 」

 雅人が声を掛けると頼子は痛そうに顔をしかめながらも微笑んだ。
雅人の触れた傷が徐々に塞がっていき、やがて消えて無くなった。

 「どう…他に痛いところない…? 」

雅人が訊くと頼子はにこっと笑った。

 「ハートだけ…。 」

 雅人はニカッと笑った。ジョークが出れば大丈夫…ね。
う~ん…やっぱ触りがいのあるプリンちゃんだ…。

 すぐ目の前で紫峰軍団がそんなこんなでいいように動き回っているというのに、翔矢はまだショックから抜けられないでいた。

 久遠は翔矢の長の後継としてはありえない数々の言動を疑問に思った。
おそらく翔矢の心は本当に子どものまま成長せずにいるのだろう。 
ひとりきりで刺激のない世界に閉じ込められて育った翔矢…。

 学校に行っても先生だけが相手の生活…友達がひとりもいない。
どれほどの刺激もない生活…いい子でいるだけの…。
久遠の存在だけが翔矢の憧れる外界の刺激だったのではないだろうか…。

やがて…翔矢は透たちの方を振り返った。

 「僕の攻撃を消したのは誰…? 」

 翔矢が訊くと六人は顔を見合わせた。
誰も覚えがないようだった。

 「あれほどの力を簡単に消してしまったのは誰なんだ…? 」

 誰も答えなかった。
怒り心頭に達したか翔矢は蒼白の顔の美しい眉を吊り上げて六人を睨みつけた。

 「おまえら揃って死ね! 」

 翔矢の身体から恐るべき念の炎が立ち上った。
激しい震動が館を揺るがした。
 久遠が止める間もあらばこそ透たちに向かって稲妻のような攻撃を開始した。
初め六人はそれぞればらばらにかわしていたが、翔矢が巨大な念の稲妻を放った刹那、透と雅人が前に躍り出た。

 あ…と思う瞬間に巨大な稲妻はふたりに吸収された。

 翔矢は愕然となった。
またしても消えた…。やつらを木っ端微塵にできるほどの念の稲妻が…。

 「おまえたち…また…この僕の力を…。 いったい…誰…? 」

透も雅人も首を傾げた。

 「今のは僕らだけど…他には…何もしてないけど…。 」

 翔矢だけでなくその場の者は何が起ったのかまったく理解できなかった。
史朗を狙った翔矢の攻撃は確かに消えたのだ…。

その場に居たのは彼らだけ…他には誰も居ない。

 修か…?
久遠はそう感じた。
だが…修の気配などこの祭祀の館のどこにもなかった。






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最後の夢(第六十一話 人質)

2005-12-29 00:11:55 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 攻撃はもはや石ころくらいでは済まなくなっていた。
雅人たちを目掛け石飛礫ならぬ念の飛礫が飛び交う。
 突然現れた六人の青年の中にあの城崎瀾がいる…。
久遠からすべてを取り上げて樋野を侮辱した女の息子が…。

 あの女の息子を我が樋野の聖域である祭祀の館へ行かせてはならない。
そんな声があちらこちらから聞こえた。

 樋野の一族は紫峰家とは異なり、ひとつのコミュニティーを形成して生活しているようで何処から湧いて出たかと思うくらい周りに人の気配を感じた。
 おそらく本家の危機を聞きつけてあちらこちらから駆けつけてきたのだろう。
気が付けば周りはしっかり囲まれていた。

 「やれやれだ…たった六人相手に…。 どうしますかね…宗主? 」

雅人が呆れたように言った。

 「まあ…売られた喧嘩ですし…むこうが先に攻撃してきたわけですから…買わない手はないでしょ。 」

透がにやっと笑った。

 「それではあくまで穏やかに…強行突破ということで…。 」

悟が相槌を打った。

 「決まり! 」

 隆平と晃が同時に叫んだ。
瀾がえっ…何…と皆を見回している間にすでに彼らの反撃が始まっていた。
慌てて瀾も樋野への反撃に加わった。

 雅人も透も瀾が始めての戦いで戸惑いを感じていることに気付いていた。
敵を倒すことに対する罪悪感を越えられないでいる。

 通常人は幼児期から盗むな、殺すなというような道徳的なことを生活の中で躾けられる。
喧嘩しちゃいけませんよ…相手を傷つけてはだめ…暴行などとんでもない…暴力は罪悪です…等々。

 日常生活においてはそれは当然のことながらしてはいけないこととして肝に銘じておかなければならない。

 しかし戦いの場では時にはそれが邪魔をすることもある。
いままさに相手が自分を殺そうとしている時に暴力反対などと悠長に御題目唱えてはいられない。
 相手を蹴倒してでも生き延びなければ命がいくつあっても足りない。
それが戦うということだ。

 本来なら争いごとなんてない方が良いに決まっている。
だけど…瀾くん…すでにきみはその戦いの場にいるんだよ…。
相手を倒さなければ自分が倒されるだけだ…。
 
 …と見ている間に瀾にひとりの男が飛び掛った。
瀾を引き倒して力任せにぐいぐいと締め付けている。
 おそらく使える力のレベルが低いせいで腕力で戦うしかないのだろう。
皆が助けに入ろうとするのを透が止めた。
この程度のやつに勝てなければこの先能力者相手に戦っていけるわけがない。
 
 瀾は締め付けられた首の感触を思い出していた。
あの時…久遠の伯父に殺されかけた…。
久遠は俺を護るために…血を流したのだ。

 もう僕のために誰の血も流させたくない…母さんの血…岬さんの血…透の血…。
隆平だって僕のせいで殴られた…。
みんな僕を護ろうとしてくれた…僕が弱いから…。
強くなりたい…強くなりたい…皆を護れるほどに…強く…!

 瀾の身体からあの炎が立ち上った。
透に初めて会ったときに見せたパフォーマンス…だけど今は立派な武器…。
瀾を締め付けていた男は炎にまかれて恐怖の叫び声をあげた。
炎を消そうとあたりを転げまわった。
 それは普通の火ではない。転げまわっても無駄…。
男の憐れな様子に瀾はそっと炎を引き上げた。

初勝利! 仲間たちはそれぞれに瀾の勝利を祝福した。



 祭祀の間の襖が開いて誰かに追い立てられるように頼子と佳恵が現れた。
翔矢と対峙している久遠の姿を見てふたりとも声を上げた。

 「久遠さん…。 久遠さんご免ね…。 あたしたちが捕まったばっかりに…。」

頼子が申し訳なさそうに言った。

 「無事だったな…。 おい翔矢…娘たちを家に帰せ。 
おまえと俺とのことにこの子たちは関係ないだろう? 」

久遠がそう言うと翔矢はふふんと鼻先で笑った。

 「この娘らはもともと樋野の人間だ。 
城崎の味方をする方がおかしいんだ。 裏切り者さ…。 
裏切り者は…処罰しなくっちゃね…。 」

 翔矢は冷たく微笑むと合図を送った。
圭介が敏を連れて現れた。それと同時に圭介の手の者が久遠の周りを取り囲んだ。

 「敏! 」

 久遠は叫ぶようにその名を呼んだ。
敏はわなわなと震え出しその場に崩れ落ちた。 

 「すまねぇ…すまねぇ…久遠さん…。 俺は昭二を殺しちまった…。 」

 敏は狂ったようにすまねぇ…を繰り返した。
言いたい事は山ほどあったはずだがこうして目の前に現れると久遠は何を言って良いのか分からなくなった。

翔矢が敏の方に視線を向けると敏ははっとしたように顔を上げ動かなくなった。

 「敏…ひと働きしておくれ…。 そこの女ふたり…おまえの好きにしていいよ。
適当にいたぶって昭二の許へ送ってやれ…。 」

翔矢が残酷な命令を下した。

 「何を馬鹿な…敏…聞くんじゃないぞ。 これ以上罪を重ねるな! 」

久遠は敏の方へ歩み寄ろうとした…が周りの連中に押さえ込まれた。

 「さあ…見せてやりな…。 楽しいショーを…。 久遠が退屈してるよ…。 」

久遠は圭介の方を見た。

 「圭介! 敏を止めろ! 頼子も佳恵もおまえの幼な馴染みだろ? 」

 だが…圭介は微動だにしなかった。
無視しているというよりは圭介も正気ではない様子だった。
おそらくここにいる連中はみ皆翔矢の操り人形にされてしまっているのだろう。

 敏が動き出した。
佳恵を捕まえようとしたのを頼子が庇った。

 「この子はまだ男知らないんだからね。 汚い手で触るんじゃないわよ。 
佳恵ちゃん…早く逃げな! 何とか館の外へ出るんだよ! 」

 「頼子ちゃん…。 」

 頼子は佳恵の背中を襖の方へ押しやった。
その途端敏に捕まった。 

 「早く…早く逃げて! 」

 頼子が叫んだ。
佳恵は必ず助けを呼んでくるから…と走り出て行った。
 敏の身体が小柄な頼子を押さえ込む。
その指先を頼子に向けた。

 「やめろ! 敏! 翔矢…皆を解き放て! 」

翔矢は仰け反るように声を上げて笑った。 

 「だからねぇ…久遠…僕のお願いを聞いてくれたらいいんだ。
簡単なことでしょう? 僕の傍に居てくれるだけでいいんだから…。 」

 敏の指が触れるたびに頼子の悲鳴が響く。
刃物のような指は容赦なく頼子を傷つけ衣服が血に染まる。

 久遠は力を使おうと試みた。このままでは頼子が殺されてしまう。
だが…効果がない…手応えがない…。
翔矢がまた可笑しくて堪らないというように笑い声を上げた。

 「久遠…無駄だよ。 僕ときみのレベルの差…。 僕の方が少しだけ優位。 」

 久遠は歯軋りした。俺ほどの力を以ってしても通じないのか…。
修が…修がいてくれたら…。

 「ねぇ…あの女死んじゃうよ。 久遠…。 」

甘ったれた声が久遠の耳に響く。

 「翔矢…やめろ…。 」

 有りっ丈の力で久遠は押さえつけている連中から逃れようと試みた。
翔矢の念の力は思った以上でびくとも動かない。

悔しいが…頼子の命には代えられない…久遠がそう決心した時…。

 「言うことなんか…聞くんじゃないよ…。 あたし…旦那に恩があるんだ…。
あたしの命なんてどうでもいいから…あんたは正しい道を行くんだよ…。 
あたしのせいで曲げちゃだめ…。 旦那が悲しむよ…。 」
 
 頼子の心の叫びだった。
久遠は頼子という女の真心の深さを思い知らされた。
自分はこの情けない状況から何とか抜け出す手立てはないのか…?
何としても頼子を救い出さなければ…。

 切羽詰った状態の中で久遠は不思議な文言を聞いた。
それは以前に紫峰の屋敷で史朗や彰久が唱えていたような文言だった。

 佳恵が出て行った方から聞こえてくる。

文言がぴたりと止まると聞きなれた声がした。 

 「敏…頼子を放せ…! 」

 敏がぎくりと身を震わせた。
久遠も驚きのあまり声も出せなかった。

 昭二…昭二の声…。

 「敏…これ以上久遠さんを苦しめるな…。 」

 それは確かに死んだ昭二の声…。
敏が頭を抱えて頼子から離れた。

 「昭二…俺が悪かった…昭二…許してくれ…。 」

敏は転げ周りもだえ苦しんだ。

 久遠は事の成り行きに戸惑った。
声はだんだん近付いてきた。

 襖の陰からその声の主が姿を現した。
鬼母川の史朗…とその背後に…確かに昭二がいた…。





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最後の夢(第六十話 翔矢…成長を止めた心)

2005-12-27 23:52:11 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 僕らが生まれた時…と翔矢は語り始めた。

 父さんは城崎の家に縛られていてなかなか樋野には来られなかった。
母さんはずっと身体の具合が良くなかったからひょっとしたら持たないかもしれないと医者から言われていたのに…。

 僕らが産声を上げても父さんの姿はそこになかった。
それでも母さんは父さんが来るのを心待ちにしていたんだよ…。
父さんの顔を見てすぐに亡くなったんだ…。 


 それは妹の御腹の子が双子だと分かった瞬間だった。
樋野の長、邦正の中にひとつの考えが浮かんだ。
 邦正には子どもがいない。
城崎は生まれてくる赤ん坊が双子だということを知らない。
 出産に立ち会ったもの以外事の真相を知る者はいない。
このまま城崎に戻せば後から養子によこせと言っても良い返事は貰えないだろう。
この中のひとりを妻の妹の子として届出させれば…。

 邦正はふたりの中でより自分の妹陽菜に似ていると思われる方を選び、秘かに屋敷から連れ出させた。

 やっとの思いで城崎が陽菜(ひな)を見舞った時、ことが発覚するのを防ぐため邦正は城崎に我子に関することを感知できないように軽い暗示をかけた。
 陽菜はこのことには気付かず、城崎に子どものことを頼み置いて力尽き静かに息を引き取った。
  
 葬儀を終えて城崎と久遠が帰ってしまうと、邦正は義妹の許から赤ん坊を連れてこさせた。
 翔矢と名付け、実際には義妹に育てさせるわけでもなく屋敷の奥の間で乳母に育てさせた。
 翔矢は樋野家の宝物として大切に育てられた。
しかし、親代わりであるはずの邦正は可愛がりはするものの、まるでペットか人形でも扱っているような接し方で、翔矢はいつもひとりぼっちだった。
 

 物心つくと伯父さまは僕に言ったんだ。

 翔矢には城崎に優しいお父さんと久遠という兄弟がいるんだよ…。
ただね…お父さんも久遠も翔矢のことは知らないんだ。
 翔矢は樋野の跡取りとして生まれたから城崎には行かれない。
お父さんたちが翔矢のことを知ったら一緒に暮らせないことを悲しむだろ。
だから教えてないんだ…。

 父さんと久遠…僕の胸は高鳴った。
母さんの法要の席で僕は初めて父さんときみを見た。
 久遠…僕…ここだよ…。
何度心で叫んだことか…でも声をかけられなかった。
父さんが悲しむから姿を見せちゃいけないって…。

 物陰からずっとふたりのこと見ていた…。
久遠…気付いて…僕…翔矢だよ…。


 陽菜の命日と法要の日が来るたびに物陰からそっと見つめることしかできない翔矢の久遠に対する屈折した想いは募っていった。

会いたい…会えない…話したい…話してはいけない…。

 翔矢の日常はほとんど軟禁状態で学校と屋敷だけの限られた環境で育ち、友達もあまりできなかった。
 学校の成績と作法だけはずば抜けていたので、先生受けはよく学校生活には困らなかったが同級生にはその子どもっぽさから敬遠されがちだった。

 高校の時、翔矢は邦正から衝撃的なことを知らされた。
翔矢の大好きな久遠が継母のせいで城崎の家を追い出されたというのだ。
城崎での地位も財産もみんなその女と子どもが久遠から奪い取ったと…。

 翔矢は激怒した。
久遠を苛めるなんて許せない…可哀想な久遠…僕が護ってあげるよ…。


 きみが樋野に帰って来た時…きみには悪いけれど少しだけ嬉しかった。
これできみと一緒に暮らせる。
あの女と子どもには僕がいつか仕返しをしてあげるよ…。

 僕は伯父にせがんで樋野の後継者の地位を久遠にと持ちかけてもらった。
だって久遠が樋野の後を取ればもう何処へも行かないでしょう…?
でも…きみは断った。
 
 僕らは少しの間だけ同じ屋根の下で暮らしたよね…。
何を話したわけでもないけれど…僕は最高に幸せだった。

僕…もう…ひとりぼっちじゃないんだ…。

 それなのに…あいつはやって来た。
僕からきみを奪い取るために…。


 陽菜の命日に城崎はまだ幼い瀾を連れて現れた。
実の兄である久遠に一度会わせて置きたいと思ったからだ。

 久遠は幼い瀾を可愛がりよく面倒をみた。
城崎が邦正の饗応にほんの少し酒を過ごし休んでいる間に遊び盛りの瀾を連れて庭へ出てきた。
 翔矢は瀾を見る久遠のいかにもいとおしげな様子を腹立たしく思った。
久遠…なぜ? きみを苦しめた女の子どもでしょう…?

 急いで伯父の許へ取って返すと伯父にせがんだ。
あいつから久遠を引き離して…いっそあいつを殺してしまって…。
 翔矢の怒りの力が邦正を操るように庭に向かわせた。
何人かの一族の者がそれに付き従った。


 手を離して…そいつから離れて…きみを痛めつけるつもりなんてないんだ…。
でも…きみは瀾を離さない…。

 伯母さまがきみと瀾から記憶を消した。
何事もなかったかのように父さんは瀾を連れて帰って行った。

 部屋の片隅でひとり顔を伏せているきみを見た。
記憶は消したはずなのに…きみは声を殺して泣いているようだった。
 父さん…父さん…。
きみの心の声が切なく響いた。

 行ってしまう…このままでは久遠が城崎に帰ってしまう…。
どうしたらいい…どうしたら…?

 支配するんだ…久遠の何もかもを…僕に逆らえないように…。
僕に隷属させる…。
 ああ…でも…そんなことをしたら久遠は僕を嫌いになる…。
僕を憎む…。
どうしよう…どうしたらいい…?



 「あれは…あれは伯父さまじゃなかったのか? おまえだったのか…翔矢? 」

 久遠は驚きとともに激しい怒りを覚えた。
久遠の心に鬼を飼わせたあの忌まわしい出来事。
あろうことか他人の顔を使って人を蹂躙するとは…。

 「なぜだ? なぜ…俺を…兄弟だって分かってただろう?
翔矢…覚えているか…? 
 久遠…いい子にしていろ…おまえの仲間を樋野から追い出されたくないだろう…? 
おまえはそう言って俺を思うさまいいように扱ってくれたんだ。
 思い出しても虫唾が走る。 できればぶち殺してやりたいくらいなもんだぜ。
それを…全部伯父さまがやったことのように思わせて…卑怯じゃないか。 」

久遠の口調の激しさに翔矢の目が潤んだ。 

 「ごめんなさい…僕…どうしても久遠と一緒にいたかったんだ。
僕のものにしてしまえば…逃げられないと思ったんだ。
嫌いにならないで…僕のこと憎まないで…お願いだから…。 」

 翔矢は必死に訴えた。叱られた子供のように…。
久遠は困惑した。翔矢が久遠と双子ならとうに三十代の半ばを越えている。
それなのにこの幼さはどうだ…?

 「翔矢…心まで奪うことなんてできやしないんだぜ。 」

 やり切れない思いを込めて久遠は溜息をついた。
こんな子どものような男に…それも兄弟にだぜ…馬鹿馬鹿しくってやってられねえ。騙された俺がまぬけだったんだ。

 「俺の家を焼いたのもおまえかよ? 」

久遠が訊くと翔矢は素直に頷いた。

 「だって…久遠が城崎へ行ってしまうって言うから…。 」

 なぜ…なぜ帰って行くの…?
久遠はここに居るべきなんだ…僕の傍にいてくれなきゃだめなんだ。 
ひとりぼっちは嫌だ…。
 本家で挨拶を済ませた久遠の背中を翔矢はずっと見つめていた。
久遠に置いていかれる…行かないで…行っちゃだめだ…と思った瞬間、翔矢の怒りの炎が久遠の屋敷を焼き尽くした…。

 あれは久遠にとって樋野との決別を確信した一瞬だった。
翔矢の抑え切れない想いがそうさせていたのだとは気付かないまま…。

 「久遠…帰ってきて…。 酷い思いなんかさせないよ…。
久遠の欲しいものは何でも手に入れてあげる…。 」

 翔矢は縋るような眼をして久遠を見た。
久遠は首を横に振った。

 「俺の欲しいものは樋野にはない…。 俺の生きるべき場所も樋野にはない…。
あの屋敷とともに樋野久遠はいなくなってしまった…。
城崎久遠としてすべてをやり直すために…。 」

 翔矢の表情が変わった。
これだけ頼んでもだめなんだ…。取り戻せないんだ…。
  
 「僕は奪ってみせる…どんな手を使ってでも…。
きみは樋野に戻るんだよ…。 」

 なぜって…きみは僕のものだからさ…。
永遠に…僕の手の中に…閉じ込めてあげる…。

獲物を狙う獣の目…翔矢は鋭い視線を久遠に投げかけた。

逃がさないよ…久遠…決して…。





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最後の夢(第五十九話 再び樋野へ)

2005-12-26 22:40:09 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 樋野の自分の屋敷があった場所に久遠は再び立っていた。
焼けて跡形も無くなった屋敷…。
焼け跡にはまだ苦楽をともにした昭二との思い出が散在しているような気がした。

 久遠は振り切るように車に戻った。
祭祀の館は久遠の屋敷跡から車で10分ほど走ったところにある。
本家から通うには近いところだ。

 館に近づくにつれ久遠は次第に多くの視線を感じるようになってきた。
樋野の連中が久遠の動きを見張っているのが分かった。
そのすべては逐一長の下へ知らされているのだろう。

 鬱蒼と茂った森の少し奥まった辺りの突然開けたところにその館は立っていた。
見た目は古いが樋野が経済力を持ち出してから建てられたものだから、近代的な造りになっていて電気もガスも通じていた。

 館から少し離れたところに車を止めると久遠は建物の中の様子を探った。
佳恵や頼子の気配は勿論のこと敏の気配も感じることができた。
館の入り口近くまで行くと久遠の周りを圭介たちが取り囲んだ。 

 「お帰りなさい…久遠さん…。 」

 圭介は再び久遠に会えて嬉しいような誘き出して申し訳ないような複雑な表情で久遠を迎えた。

 「これは…どういうことだ…圭介?
佳恵も頼子ももとはといえば樋野の女だぞ。 力尽くで攫う意味があるのか? 」

厳しい口調で久遠は訊ねた。

 「俺らはただ樋野の上の方針に従ったまでのことで…久遠さんを裏切ろうってつもりはありません。
俺らは樋野の人間だから樋野のお偉方に逆らうわけにはいかねぇんで…。 」

 それもそうだ…と久遠は思った。
圭介たちに樋野に帰ることを勧めたのは久遠自身だった。
戻ってしまえばどんな理不尽なことをやれといわれても樋野の長に従うしかない。

 「案内してくれ…おまえに命令した者に会いたい。
多分…そいつも俺に会いたがっているだろうから…。 」

 久遠は口調を和らげた。
圭介は頷くと先頭に立って祭祀の館へと入っていった。久遠は後に続いた。



 間が悪いのは出張中の修だけではなかった。
機械トラブルが発生したとの会社からの連絡で、教室を終えてから再び会社に戻っていた史朗が帰って来たのは、子どもたちが出かけたすぐ後のことだった。

 真夜中を過ぎていたのでマンションの方へ行こうかとも思ったのだが、何だか無性に気になって本家の方へ戻ってきたのだった。

 帰宅して初めて城崎の頼子の身に起った事件を知り、久遠が黙って飛び出したために、子どもたちが後を追ったことを西野から伝えられた。

 「西野さん…子どもたちだけで行かせたんですか? 」

史朗は窘めるように西野を見た。

 「子どもたちって言っても…もう皆さん立派な大人ですから…。 」

西野は詰まりながら言った。

 「いいえ…今がいちばん危険な年頃ですよ。 
親の庇護から抜け出したばかりで最も羽目をはずしやすい年頃です。
 場所はどの辺りですか? 
僕が行ってどうなるものではないけれど…責任がありますから…。 」

 西野は倉吉から聞いたおおよその位置を史朗に話した。
倉吉も岬もどうやらそちらへ向かっているようだった。
修の携帯が切れていていまだ連絡が取れないということを最後に付け足した。
 
 何とか修と連絡をつけるように西野に言いおくと、史朗は急ぎ樋野の祭祀の館へと車を飛ばした。



 久遠の屋敷の焼け跡のところで隆平が思い出したように言った。

 「ねえ…宗主に場所を知らせるの忘れてない…? 」

そういえば場所はおって知らせるからと西野に言わせたような…。

 「あ…でも修さんなら頼子さんの位置は分かるでしょ…僕らより感度がいいから、自分のつけた護りの印の場所を見つけ出せるんじゃないの…。 」

透がそう言うと雅人は首を横に振った。

 「それは頼子さんにつけた印が誰にも妨害されていない場合だよ。
僕ら頼子さんが攫われた時にさえ感知できなかったぜ。 
…ってことは襲われた時すでに妨害されてたってことだからね…。 」

う~ん…と三人は唸った。

 「あのさ…兄貴には警官の見張りがついてるんだからさ。
場所は警察で聞けばばっちり分かると思うんだけどね…。 」

 瀾が何でもないことのように言うと、お~ぉそのとおりだ…と三人は感心したように瀾の顔を見た。
何でそのくらいのことに感心してるわけ…っと瀾は思った。

 樋野の本家近くまで来た時急にエンジンの調子がおかしくなってきた。
雅人の車だけではない。悟の車も何者かに操られてでもいるかのように動かなくなった。

 取り敢えず目的地はすぐそこなので車をそこに乗り捨てておいて、祭祀の館まで歩くことにした。

 あたりは不気味なくらい静まりかえっていたが何人もの人の気配が感じられた。
正面から初老の男が近づいてきた。
瀾は直感的に自分の首を絞めた男だと気付いた。
 
 「こんな時刻におまえたちみたいな若い衆が何処へ行く? 」

男は穏やかに訊ねた。

 「人を捜しています。ここにいた時には樋野久遠といっていたようですが…。」

透がそう答えた。

 「久遠か…久遠ならしばらく前に樋野を去った。 城崎に戻ったはずだが…。」

そら惚けたように男は言った。

 「今夜また樋野の郷の祭祀の館に来ているはずなんです。
翔矢さんに会いに…。 」

雅人が鎌を掛けると男は一瞬たじろいだ。

 「翔矢…? 」

雅人は頷いた。

 「翔矢さんが突然、久遠さんの代理人を連れて行かれたので訳を聞きに…。」

男はまじまじと雅人を見つめた。

 「何かの間違いだろう。 翔矢はそんなことはせん。 」

 「久遠さんの屋敷に火をつけるようなことをしてもですか…? 」

 雅人のその一言を聞いて男の手がわなわなと震え始めた。
怒りと言うよりは何かを隠そうとして苛立っているように見受けられた。

 「無礼な…あれは事故だ。近くの家で焚き火をしていたのが飛び火したのだ。
それより…おまえたちはどこの者だ? 」

男は疑わしげな目を向けた。 

 「僕らは紫峰家の者です。 
縁あって久遠さんと瀾くんを城崎さんからお預かりしています。 」

 透がそう答えた。
城崎…と言いながら透たちを見回した。瀾を見た途端、男の形相が険しくなった。

 「何と…おまえは城崎の倅…久遠を追い出した女の息子ではないか…? 」

 ざわざわと闇が騒ぎ出してあたりの空気が険悪なものになった。
瀾の存在は樋野では到底受け入れ難いものらしい。

 何処からともなく罵声が浴びせられ石ころが飛んできた。
中には子どもの拳ほどもある石飛礫もあり、爛は辛うじて除けたが樋野全員を敵に回したこの状態に少なからず戸惑っていた。
大事を取って藤宮の悟と晃が瀾のために見えない壁を作った。

 「おまえのせいで久遠はいつでも不幸に追いやられる。
城崎での地位や財産を横取りした上に、せっかく樋野で築き上げたものをおまえは再び久遠から奪った。 」

 男は憎々しげに瀾を見つめた。
瀾の心がピシッと音をたててひび割れた。
おまえのせいじゃない…おまえのせいじゃない…という修の声が頭に響く。

 久遠の存在を初めて知った時、砕けてしまいそうになった瀾の心を、夜を徹した修の抱擁と声が救った。
 あの夜、修は一睡もすることなく壊れかけた瀾を抱きしめて、おまえのせいじゃないと囁き続けてくれた。
 
 そう…それは僕のせいじゃない…。
すべて兄の…久遠の運命的な選択ミスだ…。
僕の存在はいつも引き金に過ぎない…。

 瀾は威圧するように睨みつけてくる男の視線から目を逸らすのをやめた。
何でも彼でも人のせいにするんじゃないよ…逆に哀れむような目を男に向けた…。

 瀾の意外な反応に男は怯んだ。
男が考えているより瀾はずっと成長していた。

いいぞ瀾…心のひびには唾でもつけとけ…今は久遠を助け出すのみ!

 「久遠を返して下さい。 久遠は僕の兄…城崎の長になる人です。 」

 瀾は正面きってはっきりと男に言い放った。
二の句がつげず男はただ鯉のように口をパクパクさせた。



 祭祀の館の先祖を祀る部屋に久遠は通された。
祭壇の前で久遠を待っていたのは翔矢の穏やかな笑顔だった。

 「やあ…久遠。 お帰り…。 」

 翔矢は嬉しそうにそう語りかけた。
久遠を手招きして自分の前に座るように言った。

 「翔矢…頼子や佳恵は何処だ? なぜこんな馬鹿なことをする? 」

久遠は翔矢に問いただした。

 「だって…久遠。 こうでもしなきゃ帰ってきてくれないじゃない…。 」

翔矢は甘えたような声で答えた。

 「僕…ずっと待ってたんだよ…小さい時からずっと…いつか…久遠と一緒に暮らせるって…。
なのに…僕を置いて樋野を出て行ってしまった…。 」

 久遠は唖然とした。  
樋野に来てから翔矢とは挨拶を交わした程度でお互いろくに話したこともない。
なのに翔矢のこの思い込みは何処から来るのだろう?

 「なぜ…もっと早くに本当のことを話してくれなかった…? 
僕は…おまえのことをまったく知らずにいたんだ。 
翔矢…おまえを奪われていたことを知って父さんがどんなに嘆いたか…。 」
 
 父さん…翔矢は呟いた。 

 「だって父さんとは…暮らせないもの…。
大好きだけど…会いたいけど…城崎の家には近づけないもの…。 」

 まるっきり子どものような翔矢に久遠は戸惑った。
どういう育ち方をしたのかは分からないがまるで小学生のようだ。
有名な大学を優秀な成績で卒業したと聞いているがとても信じ難い。

 「翔矢…全部話してくれ…。 僕の知らないことを…全部…。 」

 久遠は取り敢えず真相を知りたいと思った。
翔矢と久遠の過去に何があったのか…?

それがすべての事件の始まりのような気がした…。





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最後の夢(第五十八話 いざ出陣)

2005-12-24 23:31:16 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 物音がしたような気がして頼子は目を覚ました。
隣で佳恵がまだ寝息を立てている。
何だか頭がぼんやりしていてどうやってここにきたのか覚えていない。
車で連れ去られようとしている佳恵を見て助けに入ったのは覚えているのだが…。

 それは少し前に遡る。稽古が引けて紫峰の屋敷を出た後、佳恵と待ち合わせた店の入っているビルの地下駐車場に車を止めた。
 車のドアを開けた瞬間、感度のいい頼子の耳に佳恵の叫び声と何人かの男の声が聞こえた。
 慌ててその声のする方へ走って行くとあろうことか佳恵が圭介たちに連れて行かれようとしていた。

 「佳恵ちゃん…どうしたの? あら…圭介さんじゃないの…何をしてるの? 」

 突然、通りがかりの女性から名前を呼ばれて圭介は驚いた様子だったが、久遠のところでよく見かけた頼子だということに気付いた。
 圭介はいきなり頼子に飛び掛り有無を言わさず、他の男たちに拘束されている佳恵と一緒に車の中に押し込んだ。
すぐに車は動き出し頼子と佳恵は騒ぐことができないように眠らされた。
   
 眠らされてからは何処をどう移動してきたのかわからないが…ここは樋野の何処かの屋敷なのだろう。
 樋野の出身とはいえ樋野の一族とは遠い繋がりしかない頼子でも何とか樋野の持つ気配を感じ取ることができた。

物音のした方へ目をやると見知った男がじっとこちらを見ていた。
 
 「敏…。 」

 頼子は驚いて慌てて佳恵を揺すり起こした。
佳恵も頭を押さえながら起き上がった。
敏を見て怯えたように小さく叫んだ。

 「あんた…こんなところで何してんのよ。 何であたしたちを連れてきたの? まさか昭二さんのようにあたしたちまで殺すつもりじゃないでしょうね? 」

 敏は違うというように首を振った。

 「頼子…佳恵…俺は昭二を殺すつもりなんてなかったんだ…。
久遠さんを悲しませるつもりなんてこれっぽっちも…なかった。
だけど…俺…自分が思うようにならないんだ。
 いつの間にかおかしくなってしまって自分の思ってることと違う方へ違う方へ向かってしまうんだ。 」

 敏は頭を抱えた。
頼子は紫峰家で立ち会った御霊迎えを思い出した。

 「昭二さんの霊が言っていたことと同じだ。 敏は誰かに操られているって…。
誰なの? あんたを操っているのは…? 」

 頼子に訊かれて敏は一瞬迷った。
予想はしているが…確信が持てない…多分あの男…だ。

 「俺には…よく分からんが…圭介は翔矢と呼んでいる。
あまり見たことのない男だが…樋野の跡取りだとか聞いてる…。 」

 翔矢と聞いて頼子はあっと思った。
宗主の予想通りじゃないの…可哀想な久遠さん…。

 「あたしたちを人質にして久遠さんを誘き出そうって腹だわね?
いったい久遠さんをどうしようっていうの? 」

それも分からない…と敏は首を横に振った。

 「翔矢はえらく久遠さんにご執心で…久遠を取り戻せの一点張りなんだ。 」

昭二を一刺しで殺した男には思えないほど敏の様子は弱々しく不安げだった。

 「何なの? 翔矢ってのはゲイなの? 」

 誰かの命を奪ってまで手に入れたいなんて…普通の拘り方じゃないわ。
義を重んずる久遠のことを思うと頼子は不安がつのった。
 佳恵と頼子の命がかかっているとなれば、それが罠と分かっていても必ず誘き出されてくるに違いない。

 「分かんねえよ。 子どもっぽい男だがそっちの気があるかどうかまでは…。
とにかく俺は…瀾を殺すまではここから出られねぇんだ。 」

瀾を殺す…まだそんなことを…頼子は舌打ちした。

 「久遠さんはあの弟坊やのこと身体張って護るくらい可愛がっているのよ。 
坊やを殺したら今度こそほんとに怨まれるからね。 」

 そう言われて敏はまた頭を抱えた。
分かってるんだ…分かってるんだけど…止められないんだ。

 頼子は佳恵と顔を見合わせた。
何か暗示のようなものが敏を支配しているのではないだろうか?
探ってみたいが頼子の力では到底太刀打ちできないだろう。
何しろ相手は久遠の兄弟かも知れないのだから。



 予約した店から確認の電話があった時、やはり何かあったと城崎は確信した。
取り敢えずキャンセルしておいたもののふたりのことが心配で若い連中に捜しに行かせたが、駐車場でバッグを置いたままの頼子の車と少し離れたところで車の鍵を見つけただけで当のふたりはどこにもいなかった。

 こんなことならもっと厳しく止めておくのだったと城崎は後悔した。
しかし、たとえどれほど細かく予知ができたとしても、結局は来るべき未来を変えることはできない。
 知らずに済めば苛まれることもない心。幾度やりきれない思いをしたことか…。
それが予知する者の悲しい宿命だった。

 取る物も取り敢えず紫峰家へと飛んできた城崎が瀾に頼子の車のキーを渡した。
瀾はふたりが圭介に連れ去られた過程を車のキーから事細かに読み取り、ふたりは多分何か普段は使われていない儀式的な場所にいると話した。

 久遠の読みではそれは祭祀の館に違いなかった。
祭祀の館なら人の寝泊りできるすべてが揃っている。
人知れずに誰かを匿うには十分な環境である。

 城崎は久遠に決して早まった行動を取らないよう忠告した。
間の悪いことに修は出張で屋敷には戻っておらず、この緊急事態に久遠を抑えられる者はいなかった。

 久遠が城崎の忠告を聞かずこっそり屋敷を抜け出したのは、城崎が帰途についたすぐ後のことだった。
 秘かに甲斐がついているとはいえ、相手の力量も分からないのに無謀としかいえない行動だった。

 久遠のこの後先考えない行動にいち早く気付いたのは瀾で、真夜中にちょうど帰宅した雅人に久遠が誘き出されてしまったことを告げた。

雅人は西野を呼んだ。 
 
 「慶太郎。 樋野の祭祀の館の位置を探り出せ。 
宗主にも大至急連絡を…。 」

分かりました…と西野は即座に動こうとした。

 「待って。 館の位置なら分かるよ。 俺が行くよ。 」

 瀾は頼子のいる場所を特定した時にだいたいの位置を感じ取っていた。
雅人は表情を強張らせた。

 「当主代としては狙われているおまえを出すわけにはいかない。
隆平…地図を持ってきてくれ。 瀾に位置を確認させる。

慶太郎…取り敢えず宗主に連絡を…位置はおって知らせると…。

 僕らがどう動くかは…宗主代…おまえが決めることだ。 」

 雅人は透の意見を仰いだ。
透は瞬時黙していたが意外なことを言い出した。

 「当主代のおまえがその責任において瀾を出さんというのは分かる。
だが宗主代としては瀾を実戦に出してこそ責任を果たしたと言える。

 瀾を預かったのはただその命を護るためというだけではない。
瀾に長としての力を付けさせるためでもあるんだ。 
そろそろ…実戦で経験を積むべき時だと思うのだが…。 」

 雅人は驚いて目を見張った。  
透が宗主代としての意思をはっきり述べた。
いつも活動的な雅人に引っ張られ引き摺られてきた甘えっ子の透が…。

 「宗主代がそう言うのであれば…異存はない。 従おう。 」

 雅人はそう言って快く笑顔を見せた。
透も笑みを浮かべた。

 「僕はどうすればいいの? やっぱり…邪魔…? 」

 隆平が情けなさそうに訊いた。
雅人と透が顔を見合わせた。

 「隆平…おまえもそろそろ本気出さなきゃな。 
鬼母川であの巨大な化け物をやっつけた時のこと思い出してご覧よ。
おまえはもっと強いはずなんだよ。 十分戦える力を持ってるんだ。 」

 透に言われて隆平はあっと思った。
紫峰家へ来てから隆平は修の許で修練を積んだが、周りが強い人ばかりなのと、それまでのように怒りや恐怖に見舞われることが少なくなったので自分自身の力を発揮することもあまり無かった。

 いつも喧嘩の強い雅人や透に護られてきたし、何かの時には修の翼の下に潜り込めば安全だったから、そこからちょこんと顔を出している雛のように暮らしてきたのだ。
 修にしても透や雅人にしても隆平をどこか末っ子の冬樹と思っているようなところがあって、まるで小さな弟を可愛がるように接していたから隆平自身も自分は弱いのだと思い込んでしまっていた。

 「僕…行ってもいいんだ。 」

 嬉しそうに隆平は笑った。

 西野に後を頼んで四人が久遠の後を追うべく屋敷を出ると表門のところで悟と晃が待っていた。

 「え~? 何でここにいるの~? 」

 四人がいっせいに声を上げた。
ふたりはにやっと笑いながら後ろを指差した。その先に一左が手を振っていた。
気をつけてな…と楽しげな声が聞こえた。
まるで遠足に行く孫たちを送り出すかのように…。

 瀾の話では久遠が居た樋野の本家の周辺は樋野の郷とも言うべきところで、いくつもの樋野に関係のある家があるそうで、それら全部を敵に回して戦うとなれば、相当な苦戦を強いられるだろうということだった。

 「苦戦ねぇ…。 」

 透が思わせぶりに言った。運転している雅人がふっと笑い声を漏らした。
敵地に乗り込むことになるというのに緊張感のきの字も感じられなかった。

 こいつらやっぱ普通じゃないわ…瀾はそう感じた。
隆平は…と言えば後方からついてくる悟の車に向かってしきりに何かの合図を送っている。 

 「何やってんの? 」

 瀾が訊ねると隆平は瀾のしていた話を晃に伝えてる…と答えた。
そんなことにいちいち妙なパフォーマンスが必要かよ…テレパが使えねえなら携帯があるっしょ。

 「テレパシー? 使えるけど…晃と遊ぶと面白いから…。 」

 瀾は引きつった。こいつもかなり変…。
実戦経験の無い瀾は極度に緊張しているというのに周りの連中は誰一人そんな様子には見えない。

 「そんなにぶるってちゃどうしようもないぜ。 」

雅人が声を掛けた。

 「そうそう…相手は歴とした人間だし…おまえも相当修練したろ?
お祖父さま相手にさ…。 少しは自信持っていいよ。 」

 透が笑った。歴とした人間…って何よそれ…当然だろぉ。他に何と戦うっての?
瀾がそう思った瞬間、晃から目を離して隆平が瀾を見た。

 「化け物とか…鬼…時には幽霊なんかも…。 」

 紫峰家の三人組から堪えきれぬように笑い声が漏れた。
やっぱおかしいよ…こいつら…どうかしてる…。

 緩みっぱなしの三人を余所に、初めての実戦を前にして瀾の中の不安と緊張はますます高まっていった。




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最後の夢(第五十七話 お休み…。)

2005-12-22 23:58:57 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 病室の窓を開けて澱んだ空気を入れ替える…そんな単純な動作でさえ今の鈴には要注意。
胎児は小さいながら何とか育ってはいるらしいものの、依然、いつ堕りてしまうか分からない状態で油断できず安静と点滴の毎日を過ごしていた。
 
 「御腹大きくなったね。 お相撲さんみたいだ…。 」

 雅人が感心したように言った。
鈴のあのフラットな御腹がこんなに変化するとは驚きだった。

 「おへそが飛び出そうです…。 
でも…笙子さんの御腹に比べたら何だか小さくて…本当に赤ちゃんが育っているのか不安になります…。 」

鈴は心配そうな溜息をついた。

 「比べる相手が悪いんじゃない? 
笙子さん自身がわりと大柄だし、あの人よく食べるからねぇ。 」

クスクスッと鈴が笑った。

 「食欲は負けてないんじゃないですか…雅人さん? 」

 そう言われて雅人は頭を掻いた。
雅人の母せつに似た穏やかな笑顔が雅人に温かいものを感じさせた。
 何ヶ月もベッドに縛り付けられたような状態が続くのに鈴は愚痴も言わず、包み込むような眼差しで雅人を見る。
 御腹にいるのは雅人の子なのに、明らかに鈴は雅人を恋人とは認識しておらず、弟か年下の友達程度に考えているようだ。
喜んでいいのか悲しんでいいのか…雅人は複雑な心境だった。
  


 修がこれまでにない発作を起こしたことは、雅人の怒りのメールで笙子の許にも知らされており、笙子も少しは反省しているのか今夜はまったく頼子のよの字も話題に上らなかった。

 「修…晩御飯は…? なんか作ってあげようか? 」

 風呂から上がってきてキッチンで水を飲んでいる修に向かって、居間のテーブルで仕事をしながら笙子が訊いた。

 「まだだけど…この辺のパンかじっとくからいいよ。 」

修はパン籠に積まれたパンの山から美味しそうな焦げ目のついたパンを選んだ。

 「オムレツでも作ってあげるわ。 」

よっこらしょっと笙子は重そうに立ち上がってキッチンへやって来た。

 「いいって…笙子。 仕事済ませな…。 」
 
修はそう言いながらコーヒーを淹れ始めた。

 だけど…パンだけじゃ栄養がとれないから…などと笙子が言っていると、史朗が頭を掻きながらキッチンへやって来た。

 「あ…お帰りなさい…修さん。 」

 史朗は修が帰宅した音に気が付いていなかったらしい。
修の手にあるパンを目聡く見つけると顔を顰めた。

 「もう…またそんなもので夕飯を済ませるつもりなんですか? 」

 そうなのよ…私がオムレツ作ってあげるって言ってるのに…と笙子が憤慨したように史朗に言った。
食事にうるさいふたりに叱られて修はたじたじになった。

 「笙子さんは仕事を続けてください…僕が何かこさえますよ。
修さん…何がいいですか? 」

悪いわね…お任せするわ…と言うと笙子は居間へ戻って行った。

 「何って言われても…ね。 あ…うどんが美味いとか言ってたな…雅人が…。
史朗…それでいいよ…。 」

 そんなものでいいんですかぁ…?
修が引きつった笑みを浮かべながら頷くと史朗は手早く調理を始めた。
まるで魔法使いだな…料理の苦手な修は史朗の慣れた包丁捌きに見とれていた。

雅人の話とはちょっと違う具でいっぱいの健康うどんを目の前に修は畏まった。

 「有難う…史朗。 あとはちゃんと片付けとくから…。 」

 見張られていると何だか食べにくい。修は史朗に仕事に戻るよう促した。
史朗が部屋に戻ってしまうと修はやっと落ちついて食事にありついた。

  
 
 「修…あのね…。 」

 ベッドの上の史朗が用意してくれた特大のクッションにもたれかかりながら、笙子が改まったように修に話しかけた。

 「史朗ちゃんなんだけど…この頃眠れないらしいのよ。 
多分…財閥の企画との打ち合わせでいろいろ新しい仕事が入るでしょう。
仕事自体は難なくこなしているんだけど…きっとすごく緊張してるのね。
いつも寝不足みたいなの。 」

 笙子は意味有り気な顔で修を見た。
修は溜息をつきながら苦笑した。
 僕の発作はきみにとっちゃ在り来りの出来事なんだろうな…。
修は心の中でそう呟いた。

 史朗の部屋は史朗がひとりで使うには広すぎるほどのスペースがあり、史朗が思いついた時にすぐ舞の所作を確認できるよう様々な工夫がされていた。
史朗たちの知らないところで修が事細かに指示を出し、史朗や笙子にとって最適な居住環境になるように手配した結果だった。

 過酷な修練には耐えてきたとはいえ笙子は根がお嬢さまだからそんな修の心遣いには気付いてもいない。
 けれど史朗の方はこの住いに馴染むに従って随所に見受けられる思い遣りを心から有り難く感じていた。

 ベッドには入ったものの全く寝付かれず、何度も寝返りをうったあげく、頭まで布団を被ってみたが息苦しいだけで、万策尽きた史朗はなす術なく暗い天井をぼんやり見つめていた。
 こういう時はアルコールに頼るかな…と起き上がった途端、部屋の扉が急に開いて修が現れた。
 
 「どうしたんです? 何かあったんですか? 」

 笙子に追い出された…と溜息混じりに修はベッドへ潜り込んできた。
まさか…史朗は信じられないという顔で修を見た。

 「冗談だよ…。 史朗…眠れないんだって? 」

修は声を上げて笑いながら訊いた。

 「えっ? ええ…まあ…時々ですけど…。 」

今もそうです…とは言えずに曖昧な答え方をした。

 修自身の部屋がないわけじゃないが、修はこの別宅へ帰って来る時にはほとんど笙子の寝室で過ごしていた。
 本家の洋館とは違って史朗の部屋を訪うこともあまりなく、修はできるだけ笙子との時間を大切にしているようだった。
 
 「笙子さん…ほっといていいんですか? 」

 修が部屋へ来たのは笙子の差し金だと分かってはいたが、史朗は敢えて知らぬ振りをした。

 「おまえのこと心配してた…。僕の務めを果たしなさいということらしい…。」

 修は隠しもせず笙子が差し向けたことを話した。
史朗は赤面した。修には見えなかったけれど…。

 「…笙子さんのいるところでは…嫌です…。 」

 修の目の前で平気で史朗を求める笙子の無神経さに史朗はいつも閉口していた。
そのことだって十分修の心を痛めつけているに違いないのに…。
そんな笙子の思うなりになって笙子の目の前で修を求めたりなんかできるか…。

 「分かってる…。 僕はおまえを眠らせに来ただけ…。 」

 そう言って修は添い寝をする母親のように史朗の背中をゆっくり叩き出した。
また…そうやって子ども扱いするんだから…と思いながらも何だか遠い昔に戻ったようで思いの他心地よかった。

 「失敗したっていいぞ…史朗…。 前にも言ったろ…。
僕に迷惑をかけないように…なんて小さいこと考えるな。
おまえの思うとおりにやってみろよ…。 」

史朗は修の顔を見上げた。暗がりの中でも微笑んでいるのが分かった。

 「…修さんの立場が…。 」

蚊の鳴くような声で史朗は言った。

 「馬鹿だなぁ…そんなこと心配するな…。 」

 修の手が史朗の髪を撫でた。
少し前まではそれをやられると無性に腹が立ったが、最近は両親のことを思い出すようになった。 
 
 「存分に暴れたらいいさ…。 」 

 修はまたトントンと史朗の背中を叩き始めた。
修の体温と鼓動…背中を叩く手の刻む優しいリズム…知らず知らずのうちに史朗はうつらうつらし始めた。

 「お休み…史朗…。」

 温かな腕の中で史朗は夢を見ていた。
遠い過去の記憶…父と母との何気ない日常…何気ない会話。
取り立ててどうということのないそれらひとつひとつが持っている本当の価値…。
史朗は久々にゆったりとした気分で失われた過去の世界に遊んだ。



 城崎から緊急の連絡が入ったのはその週末の夜半過ぎのことだった。
久遠の代わりに店を回っている佳恵と待ち合わせをして食事に出かけた頼子が佳恵とともに突然消えてしまったという。
 
 いつものように舞の稽古がひけたあと、車で待ち合わせの場所まで行った頼子はそこの駐車場に車を止めたまま行方不明になってしまった。

 朝…あまりいい気のしなかった城崎が外出を避けるように言ったが、頼子も佳恵もなかなか予約の取れない有名な店を予約していたようでまったく意に介さなかったらしい。
 その気持ちも分からないではないのだが、城崎としては娘たちの軽はずみな行動を腹立たしく思った。

 行方不明者捜しは瀾の最も得意とする分野である。
城崎は息子の力を借りるべく紫峰家に連絡を入れたのだった。

 瀾はすぐにふたりが知り合いの男に連れて行かれたことに気付いた。
その特徴から男は多分圭介だろうと久遠が判断した。

 やはり頼子と佳恵が狙われた。
修が城崎に注意を促していたにも関わらず、それを防ぐことができなかった。
ふたりを人質にしようとしている…そう考えられた。

 少しずつ間をおきながら翔矢は確実に一歩一歩久遠との距離を縮めてくる。
久遠にとって苦しい戦いが始まろうとしていた…。





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最後の夢(第五十六話 鬼を生み鬼に苦しむ)

2005-12-21 11:46:31 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 敏と圭介が何ら戦果なく戻ってきても翔矢はそのことで彼らを取り立てて責めようとはしなかった。
 むしろ…そうなるだろうとすでに予知していたように見受けられた。
敏はそうした翔矢の能力に樋野というよりは城崎に近いものを感じた。

あの障壁を打破する方法…敏は樋野の祭祀の館に帰ってからもそればかりを考えていた。

あの障壁は必ずしも常時張られているわけではあるまい。
障壁を張ることができる能力者が屋敷に存在する時に限られているだろう。
あれほどの力がそう何人もの能力者に使えるとは考えられないから、せいぜいひとりふたり…。

しかしあれより弱い力でも相性のいい何人かの力を複合すれば結構あれと近いようなものができてしまうかも知れない。
何れにせよ…紫峰家に侵入するのは楽ではない。

ならば…こちらが紫峰の屋敷に侵入するよりはあちらから出てきてもらう方が効率的か…。

だが…どうやって…?

相手は久遠だ…。たとえ誘い出したとしても捕まえるのは難しい。
何とかおとなしくしていてくれればいいが…。

 そこまで考えて敏は自分がとんでもない事をしようとしていることに気付いた。
久遠を捕まえる…? どうして…?
久遠を城崎の家に帰らせることが敏の目的だったはずではないか…?

 そのために瀾の母親を殺し瀾の命をも消そうと狙っていたのではなかったか…?
それがなぜ…久遠を捕まえて樋野に戻そうとしている?
久遠は晴れて城崎に戻ったというのに…。

言いようのない恐怖が敏に襲い掛かった。

俺は…正気だろうか…?
昭二を殺してしまった上に…久遠をまた不幸の檻に閉じ込めようとしている…。
何の疑いも持たずに自分の意思とは逆の方へ向おうとしている。

今確かに行動の矛盾に気付きながら、どうしても歯止めの効かない自分自身に敏は頭を抱えその場に蹲った。



 おまえを再び樋野に連れ戻そうとしている…と樹が言った時、久遠はそれが翔矢の仕業のように思えて仕方がなかった。
 久遠が樋野を出る事は樋野の長である伯父が認めたことだ。
その意に反して動くとなれば長に対抗できるほどの権力者でなければならない。
翔矢なら後継者としてそのくらいのことはできる…。

 だが…なぜ…?
久遠を連れ戻して翔矢はどうしようというのだろう。
久遠は翔矢の気持ちを量りかねた。

 穏やかでおとなしく優しい翔矢…だがその心の奥底に殺人を計画するほどの残虐性を秘めている。 

久遠はふと樹のことを思った。
 樹は冷酷で残虐な面を持っていると雅人が言っていた。
久遠が修の過去を読んだ時には樹は限りなく慈悲深く気高い人のように思えた。
どちらが本物の樹の姿だろう…? 

 普段穏やかで温かく慈愛と自己犠牲の権化のような修が樹になると突然変貌する…その点からすれば修は冷酷な樹の魂に憑依されていると考えられる。
或いは別人格の樹が修の中に存在するという可能性もある。

 だが…もし修と樹が同じひとりの人間だとすれば…修は両極端な二面性を持つ極めて危険な存在だ…。

 紫峰家はなぜ修を危険視しないのだろう…?
修だっていつ翔矢のようにならないとも限らないのに…。
修がその気になれば翔矢の比ではない…世界を滅亡させることだって可能だ。
紫峰一族が修に絶対的な信頼を置いている根拠はどこにあるのだろう…?
久遠はそれを探ってみたい気がした。
 
 

 黒田のオフィスの前でベルを鳴らすのをしばし躊躇いながらも、久遠は意を決してボタンを押した。
 弟瀾と久遠自身に惜しみなく力を貸してくれている紫峰家に対してどれほど失礼な行動に出ようとしているかは十分承知していた。

 黒田はベルが鳴るとすぐに顔を出したが予期せぬ客に少し戸惑った様子だった。
それでも機嫌よく久遠をオフィスの中へ迎え入れてくれた。

 勧められるまま久遠はソファに掛け、もの珍しそうに部屋の中を見回した。
従業員は階下の本社の方で仕事をしているため、ここは黒田のプライベートなオフィスである。
時々場違いな連中が出入りしても誰も不審には思わなかった。

 「で…どうしたんだね? どこか具合でも悪いのかね? 」

久遠のためにコーヒーを淹れながら黒田は訊ねた。

 「樹の…樹の御霊ことについてお伺いしたいのです。 」

 久遠は躊躇いがちに言った。
樹の御霊に触れることはいわば紫峰の中枢に触れることでもある。
 それは礼儀として他家の者が最も慎むべき行為であるにも拘らず、久遠は今そのタブーに抵触しようとしているのだった。

 「俺には樹から修に変わるその瞬間を感じることができます。
ですが…それはどう考えても表面上のことのようで修の根本が変化しているようには思えないのです。
 つまり別人格には感じられないということ…。
同じ人格なら修と樹をわざわざ区別する必要があるのですか?
区別しているのは修自身ではなく周りの人たちのようにも思えるのですが…。 」

 無言でコーヒーカップを差し出し、黒田は久遠の向いの椅子に腰を下ろした。
ひとつ大きく溜息をつき、しばし宙を見つめ何か考えているようだったが、やがて重い口を開いた。

 「久遠…。 他家の者が余計な口を挟むな…と長老衆なら怒り狂うところだが…まあ…俺はこういう性格だから別に咎めはしない。

 結論から言えば樹と修は同一人物だよ。
多重人格でも樹が修に憑依しているわけでもない。

 生まれ変わりというものが現実に存在するのかどうかを証明することはできないが…修が樹の記憶を持って生まれたのは確かだ。 」

御無礼の段御許しください…と久遠はまず素直に非礼を詫びた。

 「別人格のような態度にでるのは…芝居だと? 」

そう訊かれて黒田は違うと言うように首を横に振った。

 「紫峰にとって樹の御霊は祖霊の中でも最も位の高い尊い方で、宗教色の薄い紫峰家にあっても千年神と呼ばれるほど特殊な存在だ。
その千年神が修として甦ったことに長老衆は驚喜した。

 当然…修は人間扱いをされない。
修自身は普通に生まれ普通に育ちたかったのだろうが…。

 当時紫峰家は先代宗主一左が眠らされ続けた暗黒の30年の真っ最中で、長老衆にとっても悪鬼三左に対抗する者として修にはどうしても千年神さまでいてもらわなければならなかった。

 悪いことに修を護るべき肉親は次々と三左に殺され…修はたった5歳で紫峰一族を背負うことになってしまった。

 紫峰一族が束になってもどうしようもなかった悪鬼三左の正面にただひとり立たされた修の恐怖と孤独…想像を絶するものがあったことだろう。

 修は生き抜くため戦うため子どもである修を自分自身から切り離した。
千年神である修=樹を残し、人間である修を封印した。
 三左の前ではその正体を隠し静かでおとなしく穏やかな少年であるように努めながら、長老衆に対しては秘かに千年神として君臨していた。

 幼児期からいくつもの顔を使い分けてきた修にとって修と樹の顔が違うことくらい当たり前のことなんだ。 」

幼児期から…とんでもない人生だ…と久遠は思った。

黒田はコーヒーを飲んで一息ついた。 
 
 「樹の御霊に礼を尽くすのは紫峰の者としては当然のことなので、修が樹である時にはそれなりに言動を慎み修とは別格の扱いをする。
そのことがおまえには不思議に思えたのだろう。

 透たちを育てるようになってから少しずつ人間修を復活させてきたが、それでも幼児期から青年期にかけての最も大切な時期に封じ込められてしまった修の心には大きな弊害が残った。
それが唐島のことと重なり合って修を苦しめる要因になっている。
そのことがさらに樹の御霊の持つ冷酷さや無慈悲さ残虐性に輪を掛けていることは確かだろう。

 だが…それは生き抜くため…紫峰一族を滅ぼさぬため…何よりも子どもたちを護り抜くために心に鬼を飼わざるを得なかった修の悲しい宿命だ。
 きれいごとばかりでは命懸けの戦いには勝てない。
だから…紫峰では修を畏れながらも修に絶対的な信頼を置き、無条件の服従を誓っている。

修は樹の御霊…生まれ変わりである…とすでに長老衆によって宣言されている。
 
 それが真実であったとして…たとえ同じ魂を持っていても育った環境が違えば自ずと人間性も変わってくる。
それゆえに…修は樹だが樹は修ではないと言えるかも知れないな…。 」

 樹の冷酷さと残虐性は修が後から作り出したものなのか…。
それも修が紫峰一族を…子どもたちを…護りぬくために…。

 久遠は我が身を振り返った。
鬼を生み鬼に苦しむ…俺に修ほどの覚悟があるだろうか?
城崎が攻撃の的になっている今…俺は鬼になれるだろうか…?
もし…敏や圭介たちと正面きって戦うことになったら感情を捨てられるだろうか?

冷酷に自分の血を分けた兄弟であるかもしれない翔矢を断ち切れるだろうか…?

久遠は予想もしていなかった事の成り行きに言い知れない戦慄を覚えた。
 



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最後の夢(第五十五話 宗主修と樹の御霊)

2005-12-19 23:38:24 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 夜半過ぎ修は屋敷の周りに紫峰ではない者の気配を感じて目を覚ました。
紫峰家周辺の私道に何人もの能力者の気配がする。
まだ門を越えた者はいないものの確実に迫ってきている。

 隣で寝息を立てている雅人の寝顔に向かって幼子を見るように温かく微笑みかけると自分はひとりベッドを抜け出した。

 林道の途中、ソラの居た祠の辺りまで来ると修は目を閉じ全神経を集中させて屋敷の周りの様子を伺った。
 何人もの気配が表門を中心に屋敷の回りに散らばっていた。
おそらく四方八方から侵入しようとしているのだろう。

 この前紫峰本家に侵入した者たち…同じ気配がする。
再び瀾を殺しに来たか…それとも久遠が目当てか…?
何れにせよ…紫峰への再度の侵入は許さん…。

 広大な紫峰家の敷地のすべてを修はその意識の中に取り込み、あらゆる場所の封鎖を開始した。
 修の身体から次第に紫がかった青の焔が立ち上り始めた。
焔の色に多少なりと赤みが差すのは修の中にまだ怒気がない証拠である。
あくまで侵入者を拒絶するために軽い力を用いているだけだった。



 寝返りを打った手の先に何もないことに気付いた雅人は驚いて目を覚ました。
修が消えた。

しまった…のんびり寝てる場合じゃないぞ。

 雅人は慌てふためきベッドから転げ落ちんばかりの勢いで部屋を飛び出した。
ばたばたと騒がしい音を立てながら洋館のあちこちを捜しまわった。
どこにも見当たらなかった。

 久遠が居間の方へ降りて来た。
雅人は必死の形相で久遠に訊いた。

 「久遠さん! 修さん見なかった? 」

久遠はいいや…と答えながらあたりを探った。

 「でか兄ちゃん…落ち着け…。 よく探ってみな。 修は林の中だ…。 
屋敷の周辺に樋野の気配がするからそれで出て行ったんだ。
 俺も今…やつらの気配で目が覚めたところだ。
多分…何か祠のような物のあるところだ。 行ってみようぜ…。 」

久遠は簡単に修の居所をつき止めた。

 「ソラの祠…だ。 」

 雅人は慌てて取り乱したことを恥ずかしく思った。
落ち着いて探れば大騒ぎする必要もないことだったのだ。

 僕がしっかりしなくてどうするんだ…。
こんなふうにいつまでも僕が役立たずでいるから修さんに全部負担がかかってしまうんだ。
甘えてちゃいけないぞ雅人…。

雅人は自分にそう言い聞かせた。 
雅人と久遠は連れ立って修のいるソラの祠へと向かった。



 母屋の二階子ども部屋が並ぶ廊下を透が足早に隆平の部屋へと向かっていた。
階下では西野がなにやら配下の者に指令を下す声がしていた。
 
 「隆平…起きてる? 」

透は部屋の外から声を掛けた。

 「うん…何か外にいるね…。 」

透や雅人に比べると感度の落ちる隆平だが僅かに何か異種な気配を感じているようだった。

 瀾が一番奥の部屋から顔を覗かせた。
その顔を見ながら透は言った。

 「隆平…そんなに心配な相手ではないけれど結構人数がいるから瀾を連れてお祖父さまの部屋へ行って…。 
 僕は外へ出る…。 
修さんが力を使い始めた気配がしているから特に用はないかも知れないけどね。」

 「修さん元気になったんだね…? 良かった。 」

隆平が嬉しそうに言った。

 「症状が治まってるだけだよ。 
あのプルンプルンのお姉さまに迫られたら、どうなるか分かったもんじゃないよ。
じゃ…頼むよ…。 」

隆平の分かった…という返事を聞いて透は下へ降りていった。

 西野は配下の者を門や塀の内側に向かわせた。
修が既に塀の内と外を遮断しているので外には出られない。
内部に入り込んだ者がないかを調べに行かせたのだ。

 「透さん…多分…母屋の周辺にはやつらはまだ入ってきてません…。
表門の方は完全に閉鎖されています。洋館の方にもその気配はないようですね。」

西野は透にそう報告した。

 「それじゃあ修さんはよほど素早く動いたんだね。 
ひどく体調が悪いのに…大丈夫かなあ…? 」

 修の身体を心配しながら透は屋敷の外に出た。
しっかりしなきゃな…。
これ以上修さんに負担がいかないように僕がちゃんと宗主の役目を果たさなきゃ。
透は修の居場所を探り修のいる方へと向かった。



 表門の前に立つ敏の目に広大な敷地全体を覆っている紫っぽい焔が飛び込んできた。
以前この土地に侵入したときには、そんなものは影も形もなかった。
侵入防止の障壁なのか…?

 敏は一瞬触れるのを躊躇った。
その間に圭介の配下のひとりがこの焔の存在に気付かず、表門の脇の少し低くなっている部分を乗り越えようと柵に手を掛けた。
 その途端電撃を受けたようなショックを受けて大声を上げた。
男の手はまるで火傷を負ったように腫れ上がった。

 ただの障壁じゃない…と敏は思った。
相手を拒絶するだけじゃなく攻撃を仕掛けてくる…。屋敷全体がまるでひとつの生き物のように反応している。

 「どこか障壁の薄いところはないか? 或いは破れそうなところは? 」

 圭介がそう叫んだ。
しかし、問題の紫の障壁が見えるのは敏と圭介だけ…。 
他の者には気配で少しは感ずるもののまったく見えていない。

 圭介の配下の者たちは気配のする方へ闇雲に攻撃を始めた。

 「やめろ! 危険だ! 」

 慌てて敏は叫んだ…が遅かった。
意思を持つ障壁は攻撃したもの目掛けて反撃を開始した。
それも受けた攻撃と同じ程度の力で…。

 「圭介…この障壁は簡単には破れない…。 鏡のようなものだ…。
こちらの攻撃をそのまま跳ね返してくる。 攻撃すればするほど反撃を受ける。」

圭介は驚いたような顔で敏を見た。

 「こちらの自滅を促している…と? なんて奴だ。 紫峰の誰にそんな力が?」

分からん…と敏は首を横に振った。

 「この広い敷地全体を意思を持つ障壁で覆いつくしたうえに思うままに力の調節ができるんだ。
 おそらく…かなり手加減してのことだろう。
俺の知る限りではこんなことができるのは久遠さんくらいなものだが…久遠さんの気配ではない。 」

 この屋敷のどこかに久遠さんはいる。
昭二を殺した俺にどれほど激しい怒りを抱いていることだろう…。
俺を裏切り者と思っているかもしれない。
そう思うと敏の胸は無念さで締め付けられるようだった。

 

 祠近くの木の陰から久遠は修の様子をそっと窺っていた。
青い光を放つ修の姿は今にも月明かりの景色に溶け込んでしまいそうなほど透明な存在と化している。
 大きな力がこの紫峰家全体を覆いつくしているのが分かる。
しかしその力は比較的穏やかで怒気がない。
相手を叩きのめそうなどとは思っていないようだ。
  
 ここへ到着した時、すぐに声をかけようとしたが雅人に止められた。
あれは…樹の御霊…不用意に近づいてはだめだ…と。
樹…?樹は亡くなっているのでは…?と久遠は訊ねた。
千年前にね…でも修さんはその生まれ変わりだから…そう雅人は答えた。 

 修は祠の近くの大きな石に腰を下ろして何やら可笑しげに笑っていた。
塀の外で起きている樋野の者たちの混乱を楽しんででもいるかのようだった。

 青の光に包まれた修は久遠には静かに落ち着いて見えた。
ところが雅人は修を取り巻く焔は赤い方がまだ穏やかだと言う。
 赤には攻撃色のイメージがあるが、修の場合赤以上に青の焔は危険信号で冷酷さと残虐性の表れでもある…と。

 向こうから透が近づいてくるのが見えた。
透は恭しく膝をおり樹に挨拶をして伺いを立てた。

 「樹の御霊…門前に居りますあの者たちをほうっておいても宜しいのですか?」

樹は機嫌よく頷いた。

 「どう足掻いても紫峰家に侵入することはできん…。今回は諦めて帰るだろう。
だが…警戒を怠るな…いつ何時またやって来ようとも限らぬ。 」

 畏まりました…と透は答えた。
樹が久遠の方に目を向けた。

 雅人は久遠にもう近付いても大丈夫だと告げた。
雅人は樹の前に膝を屈し透と同じように挨拶をした。

 「樹の御霊…この男は城崎久遠でございます。 」

 樹が久遠を見た。久遠は不思議な感覚を覚えていた。
目の前にいるのはどう見ても修…樹と修はどう区別したらいいんだろう。
別人格なのか…同じ人物なのか…?

 「あれは…おまえの仲間だ…。 会いたかろうが…今は許すわけにはいかん…。
おまえを再び樋野に連れ戻すつもりのようだ。 
おまえは既に城崎に戻った人間なのだということを決して忘れてはならんぞ。 」

 樹は久遠を諭すように語った。
久遠は勿論忘れるつもりなどなかった。
目の前で家まで焼かれた自分が何で樋野に未練を持とうか…。

 やがて樹の言ったとおり侵入するのを諦めたのか門の外の気配がだんだんと消えていった。久遠はふいにその中に敏の気配を感じ取って唖然とした。
なぜ…なぜ…敏が樋野にいるんだ?

樹は…そらご覧…もう心は樋野に飛んでいる…と笑った。

樹の言う樋野とは…そういう意味だったのか…。

 青の焔が次第に薄れていき、樹はいつもの修の表情に戻った。
久遠はその瞬間を捉えることができたような気がした。
樹と修…彼らは別人格というわけではないように思えた。
 宗主として戦う時の修は同時に樹でもある。
当主として紫峰家に君臨する修は必ずしも樹ではない。
 
 不思議なことだが本人よりも周りが使い分けをしている。
修がそれに付き合っている…そんな感じだ…。

 真相は…それは修に聞くのが一番手っ取り早いだろう。
しかし久遠は今それを聞くのを避けた。
 ひょっとしたらまた修の心と身体を裂いてしまうようなことにならないとも限らないから…。
 



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最後の夢(第五十四話 疲れた…。)

2005-12-17 23:52:02 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 久遠は翔矢が自分よりも年上だと思い込んでいた。別に誰に聞いた覚えもないがひょっとしたら何かの折にそう吹き込まれたのかも知れない。
 いつも久遠に対して落ち着いた態度で穏やかに微笑みかける翔矢を知らず知らずのうちに年上と勘違いしていたのかも知れない。
 何れにせよ久遠は今まで一度足りとも翔矢を血の繋がった者だと認識したことはなかった。

 「まさかとは…思うが…。 」

久遠は力なくまた腰を下ろした。

 「翔矢を久遠の兄弟だと考えると樋野にはほとんどメリットのない瀾を殺すことへの異常なまでの拘りや城崎の家への執着心などの説明がつくんです。
翔矢は久遠の城崎家への想いに自分の想いを重ねている…。 」

 修にそう言われて城崎は唸った。
何ということだろう…もし本当なら義兄はずっと城崎を欺いてきたことになる。
こんなにも長い間…いったいどうして…?
 城崎家の長年に亘る樋野に対する差別への仕返しか…それとも単に子どもが欲しかっただけなのか…。
 
 「あくまで僕の推測ですから…真実は分かりません。
僕が去年子どもを亡くしたときに状況が似ていたものですから…。
 陽菜さんとは違って笙子の場合は8ヶ月までは何ともなかったのですが…やはり早産で…男の子ふたりでした…。 
笙子だけは無事でいてくれましたが…。 」

 城崎は痛ましそうに修を見た。
久遠のことで修は亡くした子どもたちのことを思い出してしまったに違いない。
申し訳ないことをした…と城崎は思った。

 「もし…この推測が中っているなら翔矢は必ず何かを仕掛けてくるでしょう。
間をおくことはあっても絶対に諦めることはないはずです。
 瀾と久遠については紫峰が力を尽くしますが…城崎でもくれぐれも警戒を怠らないようにしてください…。
 城崎さんご本人よりも…城崎では頼子さんや佳恵さんが的になってしまう可能性の方が強いでしょう。 」

 城崎は心得たというように頷いて見せた。
そろそろお暇を…と城崎は駐車場で待たせてあった車をポーチまで呼び出し、頼子を促して立ち上がった。

 それでは玄関までお見送りを…と修も立ち上がった。
城崎の陰から頼子が微笑みかけたが修は気付かない振りを決め込んでいた。
 退室する城崎の後について一歩踏み出した途端…急にめまいがして目の前が真っ暗になった。
勢いよく仰向けにその場に崩れ落ちそうになった修を雅人が慌てて支えた。
修の真っ青な顔色を見て周りは騒然となった。

 雅人が考えていた以上に症状が重い…。
修はゑずいているわけではなく、パニック障害のような状態…。
何か修の中でいつもとは違うトラブルが発生しているに違いない。

 「透…黒ちゃんを呼んで…。 
いつもの症状じゃない…。  これは僕の手には負えない…。 」

 

 黒田が飛んできたのはそれからしばらくしてだった。
幸いなことに黒田は今日オフィスではなく家の方にいて、透からの連絡を受けるとすぐに駆けつけた。

 突然の騒ぎを丁寧に詫びながら、心配する城崎と頼子を久遠や瀾と一緒に玄関先で見送って、透と隆平は修の寝室へ戻ってきた。

 「雅人…どこかいつもと変わった様子はなかったか? 」

黒田は修の着ているものをゆるめながら訊ねた。

 「頼子さんと戯れてる最中にゑずいて飛び出してったけど…後はみんなの前では普通にしていたよ…。 
顔色は確かに悪かったけど…。 」

雅人は見たままを報告した。

 「女か…。 
何か修が強い衝撃を受けるような…トラブルが起こったんだ。
客がいたので無理してパニック起こしそうなのを我慢していたに違いない…。 

 修…いい子だ…落ち着いて…ゆっくり深呼吸。 
そう…話せるかい? 」

黒田がそう訊ねると修は頷いた。 
 
 「…身体が…勝手に…動く…。
止められないんだ…どちらも僕なのに…止められないんだ…。 」

 困惑した様子で黒田に症状を訴える修をいったん黙らせておき、黒田は子どもたちに部屋の外へ出ているように言った。
雅人を始めみんな素直に黒田に従った。

 「修…大丈夫だ…。心配ない…。
おまえの理性がちょっと勝ち過ぎてパニックを起こしただけだ。
 ほら…何か馬鹿なことをやっている自分を冷静に見つめている自分…そんな感覚が極端になっただけだよ…。

 おまえは後遺症を気にして女に対しては少し臆し気味だし…女に手を出しちゃいけないとどこかで思っているから…さ。
 いくらおまえでも男だから…そりゃあ耐えられない時もあるぜ…。
聖人じゃないんだから時には解放してやらないとな…。

 あの娘が望んでいて…おまえにもその気があるならそれは悪いことじゃない。
自然に任せてしまえばいいことだ。 」

 黒田は小さな子どもにするように修の頭を撫でてやりながらそう諭した。
自然に任せることが修にとってはどれほど苦痛を伴うことか…黒田にも分からないわけではなかった。
 突発的に顔を覗かせる拭っても拭っても拭い去れない性行為への嫌悪感と罪悪感…心と身体の分裂はそこに起因するのだろう。
普段は胸の奥底にしまわれていて、表向きあっけらかんとしているだけに誰も気付かない。

 可哀想に修…ここまでおまえを追い詰めた者を殺してやりたいよ…。
おまえから…こんなにも心と身体の自由を奪ったやつを…。 

黒田は唐島の顔を思い浮かべた。しかしすぐに訂正した。

いいや…修を精神的に追い詰めたのはあいつだけではない…透を修に任せきりにしていた俺もそのひとりだ…。 

あの頃まだ幼かった修に負わせた荷の重さを黒田は今更ながらに痛感した。



 修が寝息を立て始めたので黒田は居間の方へやってきた。
黒田の姿を見るとみんな一様に心配そうな目を向けた。

 「黒ちゃん…修さんは? 」

雅人が不安げな顔で訊いた。

 「大丈夫…落ち着いた。 今は眠っているよ。 
雅人…今夜は修についていてくれ。 
修がこれほどの症状を起こしたのは初めてだから…な。 」

雅人は分かった…と頷いた。

 「親父…修さんはなぜ急に発作を? 
症状は治まってきてるって笙子さんは言ってたのに…。 」

透が怪訝そうに訊ねた。

 「女にゃ分からんこともある…修は黙って我慢してることが多いから余計にな。
冬樹を亡くした時にも…軽い症状はあったんだ。
去年こどもを亡くしたことが相当つらかったんだろう…。
あいつは母親以上に母親的なところがあるからな…堪えたんだ。

 そんな時に長老衆が鈴を連れてきて内妻にしろと言うわ…今度は笙子が頼子を嗾けたりするわ…で修は心身ともに疲れきってしまったんだ。
 ただでさえ…身体が思うようにならないのに…どうしろってんだってね…。
それでも誰にも何も言えずに我慢していたから…こんなことになったのさ。」

黒田は大きく溜息をついた。

 「黒ちゃん…今日は彰久さんの当番だから史朗さんはいないんだけど…史朗さんについててもらった方がいいのかな…? 」

雅人が思いついたように言った。

 「いいや…史朗じゃだめだ…。 修が気を使う。 おまえの方が適任だ。 」

そうか…と雅人は納得したように頷いて急ぎ修の部屋へと戻っていった。

黒田はもう一度溜息をつくとどさっと音を立ててソファに腰を下ろした。 

 「透…決して忘れるな…。
おまえを育ててくれた父さんが…おまえたち紫峰のこどもらを護り育むためにどれほどの犠牲を払ってきたか…。
 修がこれほど苦しむのは単に唐島がしたことの後遺症というだけではない…。 
この紫峰家を護り抜くために…おまえたちを生き延びさせるために修が自分の何もかもを犠牲にして戦ってきた結果生じた後遺症でもあるんだ。
 
 透…おまえの父さんは紫峰歴代の宗主の中でも最高の宗主だ。
おまえは修の息子だということを誇りに思え…。 」

 実の父親の息子を諭す言葉に透はただ頷いた。
実父でありながら決して名乗ろうとしない黒田…透を捨てたわけではない…透は胎児のまま母親と共に紫峰本家に奪われたのだ。
30年近くも一左を封じ込めたあの悪魔のような三左の企みで…。
 だが黒田はその透を我が子のように愛し育んでくれた修の手から今さら奪い返そうとは考えていなかった。

 黒田たちの様子を見ていた久遠は紫峰家の人々を巡るおぞましくも悲しい過去を彼らの心から垣間見た。
 酷い思いをしてきたのは自分だけじゃない…生きることは多かれ少なかれ苦しみや悲しみを伴うものなのだと改めて思い知らされた。

 俺は…確かに他人にその苦しみも悲しみも話しはしなかったが、仲間がそれと簡単に気付いてしまうような隠し方をしていたのかもしれない…。
 修は…いかにも人生を謳歌しているような姿を見せることですべてを覆い隠し、周りを安心させようとする。
 そのことが逆に自らの身体と心とを蝕んでいっても他人に気取られまいとする姿勢を崩さない。
 どちらがいいとか悪いとかという問題ではないけれど長としては見習うべきものがあるような気がする…身体や心の崩壊を招くのは避けるべきだと思うが…。

 修の記憶の中のあの樹という男が早死にしたのも修のように自らを犠牲にし続けた結果なのだろうか…?

 久遠はふと…そんなことを思った。





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最後の夢(第五十三話 突然の衝動)

2005-12-15 23:29:46 | 夢の中のお話 『失われた日々』
 舞の教室は週に一度開かれている。これは一般向けのもので、隆平や瀾、小峰の健太や雄太に関してはまた別枠が取られている。
 頼子は勿論一般向けの教室に通っていた。
頼子の他には舞の初心者はいないのでついていけるかどうかが懸念されていたが、若い頼子は教室の雰囲気にはすぐ慣れ、親以上に齢の離れた先輩たちに可愛がられて結構いろいろ教えて貰い、何とか無事続けられそうに思われた。

 稽古が終わって他の生徒が帰ってしまった後、頼子は洋館の方へ向かった。
今日は城崎が久遠と会う約束をしているというので、頼子はその時間に城崎とそこで落ち合うことになっていた。

 洋館の居間にはまだ誰も来ておらず、久遠がいないかと部屋に行ってみたが留守のようだった。
 約束の時間までにはまだ随分と間あるので無理もないが、他人の家でひとりきりでいるのはなんとも心細かった。
 
 多喜が気を利かせてお茶やお菓子を出してくれたが、ひとりでお茶を飲むのもなんとなく味気なかった。
 洋館までの道が寒かったせいか暖房の部屋で熱いお茶を飲むと身体が火照ってだんだん眠くなってきた。
うつらうつらしている内にいつの間にか眠ってしまった。

 どのくらい眠ったのかパソコンのキーを叩く音の中で目を覚ました。
頼子の身体には毛布が掛けられてあり、文机でいつものように仕事をしている修の姿が見えた。

 「ご…ご免なさい…。 つい眠ってしまって…。 」

 頼子は慌てて起き上がった。
時計を見るとそれでもまだ30分くらいしか経ってはいなかった。

 「いいよ…別に…。 久遠も城崎さんも少し遅れると連絡があったし…寝てて構わないよ。 」

 修はこちらも見ずにそう言った。
寝てていいと言われても…頼子は毛布の下の自分の姿に気付いて顔を赤らめた。
稽古用の着物のまま寝乱れた姿はさぞしどけなく修の目に映ったことだろう。
またとんでもない姿を見られてしまった…頼子は情けなくなった。

 「みっともないところをお見せして…。 」

頼子は恐る恐る言った。修はチラッと頼子の方へ顔を向けて笑みを浮かべた。

 「どういたしまして…なかなかに色っぽいお姿を拝見しました。 」

 頼子の頬が紅く染まった。
恥ずかしそうに押し黙ってしまった頼子を見て修は何か悪いことを言ってしまったのかな…と思った。

 「…気に障った? 」

 修は頼子の傍まで来て膝を突き心配そうに顔を覗き込んだ。
頼子は首を横に振った。なぜかぽろっと涙が落ちた。

 「あたし…宗主に…失礼なことばかり…。 
旦那にきちんとしてなきゃいけないって…いつも言われてるのに…。 」

涙はやめてくれ…修は天を仰いだ。   

 「ごめん…言い方が悪かった。 」

 おそらく城崎が礼儀や行儀作法について厳しく言い聞かせ、何処に出しても恥かしくないように頼子を躾けているのだろう。
頼子はそれに真剣に従おうとしている。 健気と言うべきか…。

 「でも…僕には気を使わないでもいいよ。 僕はきみの先生じゃないし…。 
居眠りくらいどうってことないんだから…。 」

頼子が上目遣いに修を見つめた。

 「礼儀と作法は時と場所を選んで用いたらいいのさ…。
素のままのきみがいい…。 僕には飾らない姿を見せて…。 」

 そう言いながら修は何か自分がとんでもない事を口走っているような気がした。
まるで求愛じゃないか…。 おい修…まじかよ…。
城崎の細工でも笙子の悪戯でもない…これは僕自身…まいったな…。

 唇を重ねると後はまるで吸い寄せられるように修の身体が頼子の豊かな肢体を求め始める。
 ところが心の中では冷静な自分がこの唐突な性衝動に頭を抱え込んでいる。
嘘だろ…なぜ今? なぜ…頼子を?
 心の制止命令に反して身体は欲求を深める。こんな馬鹿なこと…。
どうしようもないジレンマに苦しむ中で肉体と精神の葛藤がまた修の胃を刺激し始めた。

背後で咳払いの声が聞こえた。雅人の気配だ。
 
 「お邪魔だったかなぁ? 」

 正直…助かったと修は思った。危機一髪の冷や汗ものだ。
頼子は慌てて居住まいを正した。

 頼子の見ている前で修はいきなり口元を抑え、背後の雅人を突き飛ばさんばかりの勢いで部屋を飛び出していった。

 「ど…どうなさったんですか? 」

目の前で起きたことが理解できずに頼子は雅人に訊ねた。

 「気にしなくていいよ。 宗主はそっち方面の行為が苦手で時々ゑずくの。
いつもってわけじゃないからベッドに誘うのは構わないけど…気分悪そうだったら無理させないでね。 」

 雅人は何でもないことのように頼子にそう話した。
頼子は雅人があまりにあっけらかんと言うので特別な感慨もなく、ああそうなんだ程度に受け取った。

 「きっとすごく繊細で神経質なのね…。 どおりで晩熟だと思ったわ。
分かりました…今度から気をつけます。 初心者マークつけとこう。
何だかますます可愛くなってきちゃった…。 」
 
 頼子は笙子そっくりな笑みを浮かべた。
雅人はやれやれというように肩を竦めた。とうとう蜘蛛の巣に引っ掛かった…。
 女は魔物だ…修さんはもう頼子さんから逃げられないね。
戻ってきた修の複雑な表情を見ながら気の毒そうに雅人は笑った。



 雅人が作った写真を手にした時、城崎は動揺を隠せなかった。
30何年もの昔に亡くなった恋人がそこにいた。

 「これはどういうことだろう。 陽菜だ…。 間違いなく陽菜の写真だ…。 」

城崎は久遠を見つめてはっきりと断言した。 

 「でも父さん…これは母さんじゃないんだ。 翔矢といって樋野の伯母の妹の子なんだ。 
 伯母の家も樋野と血の繋がりは確かにあるけれど、ほとんど他人と言ってもいいくらいの関係の男がここまで似ているのは不思議だろ? 」

久遠が言うと城崎は確かにそうだ…と頷いた。

 「城崎さん。 久遠が生まれたときの状況を詳しく話して頂けますか? 」

 修がそう頼んだ。
城崎はしばらく思い出そうとするかのように目を閉じていたが、やがてゆっくり語り始めた。

 久遠を身籠ったと分かった頃から陽菜の体調は思わしくなく、医師の勧めで臥せっていることが多かったが、御腹が大きくなると頻繁に早産しそうになり、大事をとって樋野の実家に戻った。

 当時はまだ親の許で仕事を覚えている最中だった城崎は通院の時も樋野に戻ってからもめったに陽菜と一緒にいてはやれなかった。
 それでも時々は訪ねて行っては子どもの名前をふたりで考えたりもしたが、いつも城崎の親からの急な呼び出しがあり、すぐに帰らねばならなかった。

 城崎の親は用事があって息子を呼び出しているわけではなく、息子が樋野の娘の許に長くいることが気に食わないだけだった。

 そんな状態だから陽菜の容態が急変して久遠が早産で生まれた時も立ち会うことができず、やっと陽菜と久遠に会えたのは翌日になってからだった。
 陽菜は出産で力を使い果たしたのか城崎の顔を見ると力尽きたように人生の幕を閉じてしまった。
子どものことをくれぐれもと城崎に頼みおいて…。

 「陽菜が不憫で…久遠が不憫で…私は長いこと泣き暮らしました。
しかし…遺された久遠を何とか立派に育てて城崎の後継者にすることが陽菜に報いることだと心に決め、それからの私の人生のすべてを久遠を育てることに捧げてきたつもりです。
 あんなことがなければ…今でもそうしていたことでしょう。
私の愚かな過ちのせいで…久遠を城崎から追うようなことになってしまって…。」
 
 城崎は悲しげに久遠を見つめた。
久遠は穏やかに微笑んだ。

 「でも…俺は戻ってきた…。 もうじき父さんの傍に帰るから…。 」

城崎は嬉しそうに目を細めて何度も頷いた。

 「出産の時に何か異変が起きたとか…そういう話は聞かれていませんか? 」

 修が訊ねると城崎は首を傾げ何も聞いていないと答えた。
自分の考えをふたりに話すべきかどうかを修はしばし考えていたが意を決したように口を開いた。
 
 「陽菜さんの体調その他の状況を考えるとその出産は妊娠したその当初から相当な負担を陽菜さんの身体に与えていたものと考えられます。

 通常の出産でもそれは起こり得ることなので…これは僕の想像の域を脱しませんが…多胎児の場合はその危険性がさらに増すと言われます…。 

 翔矢は久遠の兄弟…双子だったのではないかと思うのです…。 」

 修は自分の思うところを述べた。
そこにいた者たちはみな愕然として修の顔を見た。
久遠も…城崎も知らない秘密が本当に存在するのか…。

 馬鹿な…久遠は衝撃のあまり立ち上がった。
翔矢が…兄弟…。

 修は久遠に向かってそうだ…と頷いた。
想像どころかまるで…すでにそのことを確信しているかのように…。




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