徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

続・現世太極伝(第十四話 思い掛けない失敗)

2006-05-31 18:22:07 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 玄関のドアを開けた途端、何となくいつもと違う雰囲気に有は一瞬戸惑った。
揃えられた靴はノエルのものではなく…明らかに女性のもの。
切れ切れに聞こえてくる声もノエルの声ではない。

 そうか…とうとう…ノエルとはお別れか…。
ちょっと寂しい気もするが…仕方がない…なぁ…。

 女性と顔を合わせるのも何なので…有は早々に自分の部屋に引き込んだ。
いつもなら…亮のお父さんお帰りなさい…とノエルの元気な声が聞こえるんだが…。

 有はふうっと溜息をついた。 
何だかつまらんな…ノエルが居らんと…。

 ノエルは亮の心変わりをどう受け取っているんだろう…?
もともと…亮が恋人を見つけるまでの約束で亮の我儘に付き合っててくれただけなんだが…それでもなあ…。

 亮のやつ…ノエルにちゃんと謝ったんだろうな…。
随分ひどい想いもさせたんだし…自分に恋人ができたからって…はいさようならで済むことじゃないんだから…。

 楽しそうな笑い声と玄関の鍵をかける音が響いて…どうやら亮は彼女を送って行ったようだ。
 
 誰も居なくなった居間へ出てきて、また溜息をつきながらノエルにも渡すつもりだった菓子や小物などをテーブルに置いた。
 
 コーヒーを沸かして、新聞を広げていると、思ったより早く亮が戻ってきた。
お相手さんは…ご近所さんか…ってことは多分…悦ちゃんだな…。
 
 「あれ…帰ってたんだ…? 」

 亮が驚いたような顔で有を見た。
ああ…と有は気のない返事をした。お邪魔なようなので…部屋に居たんだ。
俺の車の音にも気付かないほどお楽しみの最中に出てきちゃ具合悪いだろう…。
 
 「何言ってんだか…。 
あ…これノエルが好きなバターサンドだ…明日持ってってやろ…。
 あいつ…妙な連中に襲われたんでしばらくこっちへ来れないんだよ…。 
何か起こるといけないってんで…。 」

 襲われたぁ…? 有が素っ頓狂な声を上げたので亮は瞬時固まった。
それで…それでノエルは…怪我でもしたのか…?
娘のことでも心配するような有の慌てぶりに亮は苦笑した。

 「大丈夫…。 元気いっぱい…なんだけど…。
紫苑が言うには…襲ったやつらが何かノエルに細工していったんだって…。
その夜にも憑依されたような状態になったんで…またそうなるといけないから…。
当分…紫苑のマンションに居るんだ。 」

無事と聞いて有はほっと胸を撫で下ろした。

 「そうか…それじゃ…またここへも戻ってくるのか…。 」

 ちょっぴり嬉しそうに呟いた。
そのにやけた親父顔を呆れたように見つめながら…亮は肩をすくめた。

 「当たり前じゃない…ノエルはもう…うちの家族みたいなもんだし…。 
あいつ…まだ実家としっくりいってないから…この家と紫苑のマンション以外に居場所がないんだぜ。 」

 それでも…いつまで居てくれるかは分からないけど…亮が何となく切なそうに言った。
 ずっと居て欲しい…ここを居場所にして欲しいけど…所詮…ここはノエルにとっては仮の住いでしかない…。

 「亮…まだ…ノエルが好きなのか? 」

 有に問われて亮は軽く頷いた。
出会ってから一年近くも女の子だと思い込んで…両方だって分かってからも諦められなかったんだ…。
そう簡単に忘れられないよ…。

 「でも…もう…僕の手から解放してやんなきゃいけないんだ。
僕がいつまでも甘えてちゃ…ノエルが可哀想だもの…。
あいつ…想う人が居るんだよ…。 」

 ノエルの想う人…か…。 
そのことに…心当たりがないわけではなかった。
 実を言えば以前から…有だけでなく…ノエルに想いを寄せられている当の本人以外はみんなうすうす気付いていた。

 けれども誰にもどうしようもないことだった。
言わない方がいい…知らない方がいい…それが周りの共通した意見だった。
 多少時間がかかっても…ノエルの想いが自然に消えていくのを待つ…それしかないと…誰もが思っていた。



 それから数日…学校生活でもバイト先でもこれという動きは見られなかった。
西沢が直接のコンタクトを望んだせいもあるかもしれないが、おそらくは自分たちの正体が露見することを懼れてのことだろう。
 警告者たちが自分たちの存在をできるだけ他人に知られないようにしておきたいと考えているならば、同じ相手に何度も接近するのは危険なことだ。

 相手から逆探知されないとも限らないし、何処の誰が脇から聞き耳を立てているやも知れない。
 ノエルに遠方から思念を受け取らせた男は…おそらく海外から思念を飛ばしているのだと思われる。
 遠距離間での不安定な交信で思わぬ不都合が起きないように、できるだけ交信相手を特定するため、わざわざノエルに目印をつけさせたに違いない。

 何れにせよ…この国にも支部のようなものを置いていると考えてよく、そこからあちこちに警告書を送ったのだろう。
 無論…この国だけではなく…口振りから察するに…世界中の能力者に宛てても警告はなされているはずである。
真面目に受け取った者が何人居るかは別として…。

 
 「…じゃあ有理…ノエルを抱っこしてみて…捕まえちゃって。 」

 小さな有理は一生懸命…爪先立ちで背を伸ばしてノエルの背中に飛びつく。
いくら小柄でもノエルは大人だから…抱っこしているというよりはおんぶされてるという形になりながらも有理はノエルにしがみ付いて…捕まえた…と可笑しそうにケラケラ笑う…。
 捕まったぁ…と言いながらノエルも笑う。
笑いながらノエルを抱える有理の手を捕まえて引っ張り上げ肩車してやると、有理のご機嫌は急上昇。
 立って…ノエル立って…とせがむ。
怜雄お父さんよりはずっと低いけれどそれでもノエルが立ち上がると大喜び。
 
 ノエルに遊んで貰っているつもりの有理は瞬時もじっとしては居られないので、西沢の手が素早く動いてふたりの戯れる様子を描きとめていく。

 年齢のわりに子どもっぽく見えるノエルを有理は恰好の遊び相手…と感じ取ったらしく、この部屋に来てからノエルの傍を片時も離れない。
 他愛のない遊びを楽しげに繰り返すふたりを描きながら…時折…仕事であることも忘れてふたりの仕草に見入っていた。

 チャイムが鳴って小学生の恵が弟の有理を迎えに来た。
マンションの正面玄関のところで西沢家のお手伝いさんが待っていることは分かっていたが…西沢はまるでひとりで迎えに来たかのように恵を褒めてやった。
偉いね…恵…お迎えご苦労さま…そう言って恵の頭を撫でた。

 まだ遊び足りないのを我慢して有理はノエルに手をひかれて玄関へと出てきた。
ノエルの顔をチラッチラッと見上げている。
 玄関でノエルはそっと腰を屈め…また遊ぼうね…と言いながら、有理の大事な玩具用バスケットを渡してやった。
ノエルまたね…と手を振ってお姉ちゃんに付いて帰って行った。 


 まめ台風が去った後は、しんと静かで何となく寂しい。
子どもってそこに居るだけですごいエナジーを発してるんだな…。
ずっと小さな子どもの居ない生活をしてきたノエルはしみじみそう感じた。

 西沢が今さっき描いたデッサンを見直している間、モデルの仕事も暇になったノエルは何気なく仕事場のパソコンを開いた。

 ホームページのニュース欄に入ってきた見出し…謎のカルト集団襲撃される…。
カルト集団か…どこかの国で集団自殺図ってえらい数の信者が死んだって話は聞いたことがあるけど…。

ノエルはその記事を開いてみた。

 E国R通信によると…古くから謎のカルト集団として存在している『HISTORIAN』の本部が何者かに襲撃され…死傷者が多数出た…。
 集団の活動は…宇宙の真の成り立ちと地球の隠された歴史を研究する目的が主で…云々…。
 同集団は純粋に研究集団であるため他の集団とのトラブルは無かったので襲撃された理由は皆目見当がつかないと生き残った幹部は言っている…。

 へぇ~…怖いね…。 こっちが何もしてなくても気にいらねぇって攻撃してくるやつもいるんだね…きっと。

 「ねえ…紫苑さん…。 地球の隠された歴史って…なんだろうね? 」

 ノエルは問いかけた。 さあね…そんな記事がでてる? 
興味が湧いたのか西沢はパソコンを覗きこんだ。
しばらく…じっと記事を読んでいた西沢の表情が徐々に真剣なものになった。

 「…ノエル…彼等かも知れない…。 確信はないが…。
もしそうなら…これ以上関わるのは危険だな…。 
未だに何が起こっているのかさっぱり分からんから…対処のしようもないし…。」

 こうなると彼等が警告書をばら撒いたことで、巻き添えを喰わされる羽目に陥る者が出てこないとも限らない。
 西沢は少し考えてから急いで仕事部屋を出た。
何処かへ連絡をしているようだったが…ノエルには聞き取れなかった。



 お疲れさま…の声とともに亮とノエルは連れ立って書店を後にした。
マンションの前を通り過ぎ…久々に亮の家へ帰る。
蒸し暑い夏の夜…散歩する人も疎ら…それでも時折…今晩は…と声をかけ合う。

 いつものようにふざけ合いながら公園に差し掛かった時、ふいに公園の方から妙な叫び声が聞こえた。

 暗くてよくは分からないが…誰かが襲い掛かられているようにも見える。
通りかかった人がすぐに警察に通報した。

 他人が見ているところでは亮もノエルも力を使うわけにはいかないが…一方的に襲われている人を見て放っておけないのがノエルの性格…。
亮が止める間もなく飛び出していってしまった。

 近くまで行ってノエルは一瞬たじろいだ。
襲われていたのは…この前ノエルに襲い掛かった外人さん…。
襲っているのは…?

 突然…当て身を食らったように蹲ってノエルがその場に崩れ落ちた。
油断と言えば油断だが…ノエルが相手の顔を確認することもできないほど素早い動きだった。

 次の攻撃を防ぐために亮がノエルの周りに障壁を張った。
ノエルと異なって亮は戦闘型の能力者だ。
 相手の動きが素早いのではなく、受容能力の高いノエルが相手の攻撃をもろに受け取ってしまったことを見抜いた。

 生まれて初めての大失敗ってところだな…ノエル…。
ほんと危ないったらありゃしない…。

 近所の交番からお巡りさんが駆けつけてきた。
人目につくのを懼れたのか…襲撃者は慌ててその場を立ち去った。

 関わり合いになるのを避けるために亮はノエルを抱き上げると自分とノエルの周りに新しい障壁を張り、闇に溶け込むように気配を消した。
 使えるようになったばかりの能力は長くは持たない。
急いで来た道を退き帰した。

 倒れている例の外人さんがお巡りさんに助けられて事情を訊かれているのを尻目に小走りに西沢のマンションへと戻った。







次回へ

続・現世太極伝(第十三話 狙われたノエルと謎のテレパス)

2006-05-29 21:19:36 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 ガラガラとシャッターを閉める音が響いて…今日のバイトも終わり。
遅番だったノエルはひとりマンションへ向かった。
 梅雨が明けたのにどんよりとした天気が続いて一向にからっとしない。
気温が高いだけに余計に鬱陶しい。肌に絡みつくような重たい空気が気味悪い。
 
 早くにあがった亮は今夜…悦子とデートらしく晩くなるのでマンションには寄らないと言っていた。

 悦ちゃんは…やっぱ亮の方が好みなわけね…。

 ある意味…何度もデートしていながら…悦子に同性としてしか見て貰えないノエルは少しばかりやきもちを焼く。

 別に…いいけどね…。 

 そんなことをぶつぶつと呟きながら歩いて…あと一歩でマンションの玄関というところで…ノエルはふいに背後に人の気配を感じた。

 振り返っても誰も居ない。
おかしいな…と首を傾げながら玄関に入ろうとした時、いきなり後ろから誰かが襲い掛かった。

 小柄で華奢なノエルを女の子と間違えたのか…?
それとも悪ガキだった頃の意趣返しか…?
ひょっとして強盗さんか…?

 「どちらにしろ何処のどいつだぁ! 」

 喧嘩ノエルの本領発揮。強烈な肘打ちを食らった相手は思わず声をあげた。
間髪居れず蹴りが飛ぶ。手強いノエルに相手は思わず怯んだ。
 違うひとりが何とかノエルに触れようと手を伸ばしたが、その手はいとも簡単に掌で払われた。

 相手はあまり喧嘩慣れしていないようだ。
小回りの利くノエルを両側から力任せに押さえつけようとしてふたり同時に拳と蹴りを食らった。

 「てめぇら…なめてんじゃねぇぞ! 」

 よく見ればどう見ても日本人とは思えないふたり組み。
唖然としてこちらを見ている。

はぁ…? 外人さんがなんで俺を襲ってくんのよ?

 そうこうしているうちに玄関の扉が開いて中から西沢と滝川が飛び出てきた。
外で何事か騒ぎが起こっていると感じ取ったらしい。
 
 「大丈夫か? ノエル! 」

 ふたり組みは慌てて立ち去ろうとした。
西沢がふたりの動きを止めた。ふたりの意識を読み出すと同時に滝川に合図した。
滝川がポケットから携帯を出して…はいチーズ…ふたりの顔を写した。

 ついでに自分たちに関する記憶を消去して…ふたりを解放した。
通りかかった車にクラクション鳴らされて、ふたり組みが我に帰った時には三人はマンションの中に消えていた。



 敵も然る者…西沢に動きを止められる瞬間に意識を閉ざし、自分たちの正体がばれないようにしていた。
 西沢が読み取ったのはその少し前の意識…先に店を出た男の子は大きくて扱いにくそうだった…とか…小柄なノエルなら捕まえやすそうだと思ったのに…というような内容…当てが外れたわけだ…。

 まあ…見た目で判断されたわけだな…。
あいつら…腕っ節はそれほどでもなさそうだったから…強そうに見える亮の方は避けたってことだ…。
携帯の画像データをパソコンに取り込みながら滝川が言った。

 読みが甘いねぇ…喧嘩なら僕の方が上だし…。
ノエルはふふんと鼻先で笑った。
 
 「けど…ノエル…決して油断できる相手じゃないんだよ…。
きみが予想外に強かったんで…やつら驚いて取り乱しただけで…あれで落ち着いていたらかなり手強いよ。
 自慢の拳だけじゃ勝てないぜ…。 
きみは本来戦闘タイプの能力者じゃないんだから…。 」

 西沢が天狗のノエルに釘を差した。
へぇ~そうなんだぁ…捕まんなくってラッキー! 
悪ガキノエル…何処吹く風…。

 こういうところは…どう見ても男なんだけどな…。
西沢は苦笑した。

 「捕まえて…連れて行こうとしたわけじゃ…ないみたいだ…。
何かを…ノエルの身体に仕掛けようとした。
やつらの力からすれば…すでに仕掛けられた可能性は…十分ある…。

 しばらくは要注意だな…。
ノエル…また当分…亮のところへは戻れないぞ…。
父さんが居ればいいが…何かあると亮だけでは対処できないからね…。 」

 それはいいけど…ま…いいかぁ…亮には悦ちゃんが付いてるんだし…ね。
そろそろノエルは恋人代理お払い箱ってことで…亮にとってはノエル離れのいい機会かもな…。
胸の内で…そう思った。
  
 「このふたりは警告書を送ってきた連中か…或いはその仲間じゃないかな…。」

 パソコンの画像を見ながら滝川が言った。
見た目で判断すると…片方は…西欧系…片方は…中東系かなぁ…。 
 こちらに対する悪意らしいものは…ほとんど感じられない。
閉じた意識では確実なことは分からないけれど…。

 「ノエルや亮を狙うくらいだから…僕の私生活について良くご存知のようだね。
調べたのか…感じ取ったのかは別として…僕なんかになぜ眼をつけたんだろう?」
 
 西沢は首を傾げた。イラストやエッセイで世間には知られていても、特殊能力者としての西沢は御使者の務めを果たしているだけで自ら打って出たことは無い。
できる限り…隠れているつもりなのに…。

 あれだ…と滝川は思った。
あの時…太極が能力者たちの頭の中に送り込んだ映像…。
 愛する家族や仲間たちの…そしてすべての人間の命を一分でも一秒でも長く存続させるために、自ら楯となった西沢の生きるための戦い…。
 もしも彼等が…それを見ていたとしたら…西沢を能力者の中でも特別な存在と思ったかもしれない。

 「ま…そのうち分かるんじゃないの? 多少なりとも動きを見せたんだから…。
このまま黙っているなんてことはないと思うよ…。 」

 滝川は軽く答えた。
西沢自身はあの時流れた映像のことはまったく知らない。
 だから…西沢紫苑が能力者の間では英雄的な存在になっているなんてことは夢にも思っていない。
 西沢の周りにはそんなことをいちいち本人に話して、頭痛の種を蒔いてやろうなんて考える者は居ないから何事か無ければ耳には届かない。
 身近にいる者たちにすれば、西沢は西沢らしく静かに穏やかに過ごしてくれればそれでいいし…西沢が心楽しく暮らしていれば…周りもなんとなく気分がいい…。

 紫苑が幸せなら…この鳥籠もそんなに悪くはないかもな…。
滝川は見慣れた部屋の中を見回した。



 それが起こったのは…真夜中過ぎのことだった。
西沢と滝川の間に挟まれて迷い猫ノエルは蹲るように眠っていた。
 亮なら絶対に他の部屋で眠るだろうに…ノエルは何の抵抗もなく…むしろできるだけふたりの傍に居たがる…特に西沢の傍に…。
 自分の居場所を見つけ出せないままでいるとひとりになるのが不安なのかも知れないな…と西沢は思っていた。
 
 それまで静かな寝息を立てていたノエルの呼吸が激しく乱れ始めた。
西沢が飛び起き、滝川も眼を覚ました。

 「ノエル…ノエル! どうしたんだ? どこか痛むのか? 」

 西沢の声に反応してかノエルは目を開けたが空を見つめるだけで意識がない。
やがてまたゆっくりと眼を閉じてしまった。
滝川がすぐに脈を取った。

 「紫苑…何かがノエルの中に居る。 気配が小さ過ぎて僕には分からない。
探ってくれ…。 」

 滝川に言われて西沢もノエルの手を取った。
確かにノエルの中に何かが居る。
それは西沢もよく知っている太極やその他の気たちとは違う気配だ。

 「かなり遠くからノエルの中に念を送っているようだ…。
送り主はノエルに受容能力があることを知ってるみたいだな…。 

 だが…遠過ぎる…。 ノエルだからかろうじて受け取れているが…。
恭介…こちらからもアクセスしてみる。 」

 滝川はノエルから手を放すと西沢の空いている方の手を取った。
西沢はノエルを通して念を送っている相手の居場所を探った。
居場所を探り当てるのは困難だったが…相手の思念とは何とかアクセスできた。

 『ヨカッタ…通ジタダナ…。 失敗ダ…カモ…言ッテタカラナ…。』 

 ひどく訛った日本語が聞こえてきた。
さっきのやつらの仲間か…? 

 「あなたは…誰です? 」

西沢の問いに声の主は少し考えるように間をおいた。
 
 『悪イガ…国ヤ…名前ハ…答エハ…デキナイ。 
日本ノ…偉大ナ…サイキッカー…。 聞イテ…欲シイ…。 
警告送ッタガ…誰モ動カナイ…言ッテタ。 』

 ああ…例の…ね。
まあ…そうだろうね…ほとんど誰も信じてないんだから…。

 「突然…誰とも名乗らずに送っても悪戯と思われるだけですよ。 」

相手が僅かに頷いたような気がした。 

 「我々ハ…アカシックレコードニ…アクセスシテ…情報ヲ得ル研究シテイル。
少シ前…トンデモナイ…記録…ミタ。 
 黙ッテルハ…世界中大変ナコトニナル…ソレデ…警告シタ。
我々ガ…アカシックレコードニ手ヲ出セルコト…知レバ…悪用スル人…必ズイル。
ダカラ…名前出セナイ…申シワケナイガ…。 」

 アカシックレコード…まさか…。
西沢は思わず眼を見張った。 
 それはこの世界の出来上がった段階から現在…そして未来に至るまでのすべてのことが記録されていると言われる場所…。
 場所と言ってもそこに何か建物みたいなものがあるわけではなく…記録空間とでも言うべきか…。

 そこから情報を取り出すことができれば…分からないことなど何もなくなる。
彼が言うように悪用すれば世界中に大混乱を巻き起こすこともできるし…巨万の富を築くことも可能だ。
それが事実なら…彼が名乗れないのも頷ける。

 「まあ…それは良しとしましょう。
ですが…あの文書では分かりにくくて…追放された罪人とは誰のことです?
この世界に何が起こると言うのですか? 」

西沢はこの際…疑問に思ったことなどを訊ねてみることにした。

 『人間ハ何度モ滅ビタイウ話…聞イタコトアルカ? 
超古代ニハ現代以上ニ発達シタ文明ガアッタ…ガ…失敗ダッタ。 
 ヒドイコトニナッテ…滅ンダ。 少シダケ生キ残ッタ人類ハ最初カラ始メタ。 
滅ビノ原因ヲ作ッタ者…何人カハ逃ゲタ…。 居ラレナカッタカラ…。 』

 不意に滝川が西沢から手を離した。ノエルの体力が持ちそうにない。
慌ててノエルの脈を取り…心音を聞く。

 「申し訳ないが…媒介が限界に来ている。
できれば…今度は僕と直接コンタクトして貰いたい…。 」

 ワカッタ…という答えを聞くか聞かないうちに西沢はノエルの中から相手の思念をシャットアウトした。
  
 緊張していたノエルの身体から力が抜けてふにゃっとベッドに沈んだ。
滝川が体力を回復させる治療を始めた。

 「大丈夫か…? 」

 西沢が心配そうに訊いた。
ああ大丈夫…大事ない…と滝川は言った。

 「ノエルは…媒介としての適切な訓練を受けていないから…体力の調節がうまくできないんだ…ちゃんと教えとく必要があるな…。 」

 再びノエルの脈を確認しながら…滝川はこれでよし…と治療を終えた。
薄目を開けたノエルは何が起こったのか分からずにぼんやりと西沢を見た。

 「疲れたろう…ノエル…。 
いま…きみの中に別の人の意識が入り込んでいたんだ…太極とは別の…。
もう帰ってしまったけどね…。 」

 そう…とだけ答えてノエルは眼を閉じた。
眠くてとても起きてはいられないようだった。

 「ゆっくり…お休み…。 」

 西沢は愛しげに微笑んで小さな子どもにするようにノエルの髪を優しく撫でた。
起きてりゃ小生意気なことを言うけど…寝顔の可愛いやつだ…と滝川が笑いながら呟いた。

しばらくするとまた…ノエルは静かに寝息を立て始めた…。







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続・現世太極伝(第十二話 認めたくない自分…。)

2006-05-27 18:14:28 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 目の前に聳え立つカジュアル・ウェア専門店…ノエルは扉の前で一歩踏み出せないでいた。
 いつもなら先頭に立って進んでいくノエルがこんなに躊躇いを見せたのは初めてのことだ。
西沢はそっと背中を押すようにして店の中へと導いた。

 店の中に入った途端…隠れるように西沢の背中に回って、西沢の陰からおどおどとあたりを見回した。
 扉を抜けるか抜けないうちから店内を隈なく見回して、めぼしいものを物色し、頭の中で商品をコーディネートして楽しんでいる亮とは大違いだ。

 「おや…お揃いで…。 」

 レジの方で聞いたような声がした。
玲人がにこにこ笑いながらカウンターの向うから出て来た。

 「ここ…玲人さんのお店だったの? 」

亮が驚いたように訊ねた。

 「さいで…。 但し…オーナーってだけのことですがね…。 
実際には…ここの店長ジェイが全部取り仕切ってくれてますよ…。 」

玲人は店の真ん中辺りにいる茶髪のお兄さんを指差した。

 相庭も玲人も西沢のエージェントとか繋ぎやとか呼ばれてはいるが、相庭一族はもともと多方面に亘って手広く商売をしている。
 女性陣がパブや喫茶店などの経営を任されているのと同様に男性陣にもそれぞれの役どころが割り当てられていた。

 相庭が西沢家の傘下に入る手段として使ったのがアパレル系の繋がりだった。
西沢が赤ん坊のうちからモデルをさせられていたのも、西沢家の系列に服飾系の企業があったからで、この店も西沢系列との取引がある。

 相庭家は西沢家とは同族ではないから傘下に入ったといっても付かず離れずといった立場をうまく維持している。  
 西沢家も相庭家を完全に取り込んでしまうような…そんな危険なことは考えてはいない…後ろにどんな怖いものが付いているかも分からないのに…。

 「亮…好きなの何着か選んでおいで…お財布の心配はしなくていいよ。
ノエル…きみもだ…気に入ったものがあれば好きなだけ持っておいで…。 」

 しがみついているノエルに西沢は声をかけた。
ノエルは今にも泣き出しそうな眼で西沢を見上げた。

 「僕は…僕はいい…。 いま持ってるので…十分…。 」

 消え入りそうな声で言った。
西沢は穏やかに微笑みながら、しがみついているノエルの手をはずし、静かにノエルと向き合った。

 「これは仕事だよ…ノエル。 ただのバイトでもきみはモデルさんでしょ。
新しい商品を選んでコーディネートして着るのもきみにとっては仕事なの。
 古いものを大事にするのはいいけれどモデルは人に見られる仕事なんだからね。
たとえプロになるわけじゃなくても自分から商品価値を落としちゃだめさ。 」

 仕事…? 
ノエルは店内を見回した。結構…人気のある店らしく平日なのに賑わっている。
 品揃えも良さそうだ。
もう一度西沢を見た。そのまま写真に納まっても十分雑誌に載せられる。
 仕事かぁ…。
ノエルはゆっくりと商品の方へ向かった。

 正直…西沢はほっとした。
どんなに西沢が言葉巧みに説得してもノエルが梃子でも動かなかったらどうすることもできない。
 ノエルは父親から…男は仕事ができてなんぼのもん…と叩き込まれて育っているから仕事という言葉にはわりと敏感に反応する。

 高木ノエルが自分の服を買いに行けなくても…モデルノエルなら仕事と割り切って服を買う気になるかもしれない…。
 取っ掛かりは何でもいいんだ…。 とにかく前進できれば…。
少しでも苦痛を軽減できれば…。

 「先生…ノエル坊やにはジェイを付けておきますから大丈夫ですよ。
坊やにばかり眼を向けていないで…先生も何かご覧になっては如何ですか…? 」 
 西沢があんまり真剣な顔でノエルの姿を追っているので、玲人は可笑しそうに声をかけた。

 「相変わらず…商売上手だねぇ…玲人…。 
いいだろう…ちょっと販促のお手伝いをしてやるよ…。 」

 

 結果的に…両手に大袋抱えて帰宅したのだから…ノエルに少しだけ免疫をつけた形にはなる。
 後は…ひとりでも買い物に出かけるようになればしめたものなのだが…まだ当分は根気よく連れ出すしかなさそうだ。
 
 亮は普段から買い付けているだけあって、枚数こそ少ないがこれと思うものを選んでいる。
 
 「なに…亮…それだけ…? 遠慮しなくていいって言ったのに…。 」

 遠慮じゃないよ…。 必要なものだけ買わせて貰ったんだ…。 有難う…紫苑。
亮は嬉しそうにお礼を言った。

 ノエルはと言えば…幾つかは自分の好みで選んだものの…あれやこれやジェイの推奨品をどっさり上乗せされたようで…西沢に余計な出費をさせて申し訳なさそうな顔をしていた。

 「でも…全部気に入ってるんだろ? なら…別にいいじゃないか…。
そんなに気を使わなくていいんだよ…ノエル。 
 僕が好きなだけ買えと言ったんだから。 
金なんて他に使うあてもないんだ。 僕の道楽だと思ってくれていいよ。 」

 西沢はそう言って笑った。
マンションは西沢家の所有だし…ひとり暮らしだし…使うことと言ったらスポーツクラブと生活費…時折…友だちと飲む他は…輝と食事をするくらいで…。

 何処へ行くわけでもなく…それほど大きなものを買うわけでもない…。
書籍と…仕事がら服飾には金をかけるけど…それもたいした数じゃない…。

 鳥籠の紫苑はごくごく平凡に暮らしている。贅沢する必要がないから…。
好きな絵さえ描いていられれば幸せ…そんなふうに生きている。

 久しぶりに買った服…さんざ躊躇っていたわりにはひとつひとつ眺めて嬉しそうにしているノエルを見ると…西沢は胸が痛んだ。

 欲しくなかったわけじゃない…おそらく四年もの間…ノエルは自分を受け入れることができないままでいたんだ…。
新しいものを手に入れたことで少しでも気持ちが変わってくれればいいんだが…。
西沢は切にそれを願った。

 しかし…西沢の願いも虚しく…翌朝からはもっと大変だった。
買ったはいいけど…着られない…。
 着よう…とは思うのか…ひと揃えセットしておいてあるのだが…手が出せない。
クローゼットを覗いて溜息を吐きながらも…今までの服で出掛けて行った。

 二日目までは黙って見守っていたが…三日目の朝には西沢がもう一度背中を押してやることにした。

 「ノエル…きみが新しい服を着てってくれると店の広告になるんだよ。
誰かに聞かれたら玲人の店を紹介して…。
 玲人の店も西沢の系列と取引があるんだ。
少しでも売れた方がうちも儲かるんで…そのお手伝いだと思ってさ…。 」

 西沢にそう促されてノエルは…仕事…を思い出した。
そうか…誰かに見て貰わないとモデルは仕事にならないんだっけ…。
うん…とノエルは頷いてようやく新しい服に身を包んだ。

 
 
 「あの文書は…裁きの一族だけじゃなくて…他の一族にも届けられていたよ。
各地域の中でも特に有力と目される一族宛に送られているようだ。
案外…西沢の祥さんあたりも受け取っているかもしれないよ…。 」

 滝川家の情報網を使って調べたところによれば…それを悪戯と見るか警告と捉えるかはその一族によって意見が分かれており、妙な事件が起きている地域では警告よりもむしろ噂を悪用した悪戯と捉えている。

 「少なくとも…相手も相当なレベルの能力者に違いない。
こちらの程度が読めるんだから…。 
 振り込め詐欺ならともかく…逆に金を使って相当な部数の文書を送っているとなると…ただの悪戯とも思えないんだけどな…。 」

 そう言いながら滝川は分かっただけの文書の送付先をまとめた名簿を見せた。
名簿を隈なく見たところで書かれている家門の名前が本物かどうかは西沢には分からない。
 族姓を成す能力者集団は、相手がたとえ同じ能力者であっても自分たちの正体を明かさないのが普通だ。
 ガードの堅いそうした一族と全国レベルで族間交流を持ち得る滝川家は極めて特殊な存在と言える。

 勿論…裁きの一族の御使者である西沢も、お務めであれば何処の一族とでも交流を持つことができる。
 しかし…個人では相手の方が受け入れないだろう。
同じ御使者でも西沢の実父である木之内有クラスになれば…話は別だが…。

 「いろいろ検索してはみたんだけど…ほとんどの罪人は追放されたんじゃなくて町ごと…或いは国ごと…さらには大陸ごと…滅ぼされちゃってんだよね。
 つまり…死んじゃってるわけだから戻っては来れないはずなんだ…。
矛盾してるだろ…? 」

お手上げ…とでも言いたげに西沢は大きく溜息を吐いた。
 
 「大陸の外に逃げた人は居なかったのかって亮が言っていたが…万が付くほど前の時代となると海外との交易は考え難い…みたいなんだよね…。

 僕はまったく可能性がないわけではないと思っているんだ。
ノアの箱舟なんかから考えると…巨大な船を造る技術があった…と思えてくる。
それに…もうひとつ…。 」

西沢がそう言った時…滝川はにやっと笑った。

 「アメノウキフネか…? いや…そこまでは考えられんぞ…。
いくら何でも空は飛べないだろう…一万年以上も前の話だぜ…。 」

 それは有り得んだろう…と滝川は重ねて否定した。
そう思うかぁ…? 西沢も笑い顔を見せた。

 「だってさぁ…。 現代文明よりもはるかに高度な文明が存在したとして…そいつが何らかの原因で滅んだと考えたらどうよ…。
その文明を滅ぼした罪人たちは地球を追われて宇宙へ逃げちゃったとかさ…。 」

無い無い…それは絶対無い…声を上げて滝川が笑い出した。

 「そんなのSFの世界じゃあるまいし…万が一そんなことがあったとしたら、何か痕跡があるはずだぜ…。 
 少なくとも伝説では僅かながら生き残ったやつもいるんだしさ。
何にも伝わってないんだぞ…人間の驕りを諌める言い伝え以外はな…。
それとも…文明と名の付くものは全部が全部海に沈んじまったってのか…? 」

 恭介…恭介…文明なんて…人間の作り出すものなんて脆いもの…万の付く年月の間には埋もれ朽ち果ててしまうものなんだぜ…。
 残るのは地球の生み出した石ばかり…。 
そういう点では…恐竜の骨の方が…まだましだ…。 

 西沢はふと石の記憶が読めないか…と考えた。
桂が土地の記憶を読んだのなら…石の記憶も読むことができるはずだ…と…。
 が…思い直した。
たとえ読めたとしても…それはその場所でのその石の記憶に過ぎない…。
 失われたものの記憶はそれぞれの場所で異なる…。
地下深く眠っているものもあれば…とんでもなく深い海のそこに沈んでいるものもある…。
いくら西沢でも…世界中の石に訊いて回ることなんてできやしないんだから…。






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続・現世太極伝(第十一話 余計なお世話!)

2006-05-25 16:50:21 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 ノエルからの連絡を受けて三宅がまたブランカに現れた。
こんなに早く調べてくれて有難う…と三宅は何度もノエルに礼を言った。
預かった写真とネガを渡しながら…ノエルは滝川から聞いた話を伝えた。

 「先生が言うには…この部分に美咲にだけ見えて他の人には見えない何かがあったんじゃないかって…。
 勿論…それ以上のことは分からないよ…僕等には何も見えないし…。
ただ…美咲の写真の撮り方から考えると…そうとしか思えない…そういうこと。」

 ノエルは三宅にそれだけ言った。三宅は頷きながら真剣に聞いていた。
その姿を見て…三宅は心底、美咲のことが好きだったに違いないと思った。

 「有難う…それだけでも…嬉しいよ…。
僕の他にも美咲のこと真面目に考えてくれた人が居たんだって分かって…。
 そうか…ここを見ていたのか…。
何が見えたんだろうなぁ…。 楽しいものだといいなぁ…。
最後の一瞬に…心躍るような素敵なものを見ててくれたら…いいなぁ…。」

 三宅の眼から涙が溢れた。
見ない振りをしてやりながら…ノエル自身もちょっと洟を啜った。

 その後…三宅はまた何度もノエルに礼を言って帰って行った。
寂しそうな三宅の背中を見ながら…ノエルは少し前の自分を思い出していた。
 西沢が命を失いかけた時のノエル自身の気持ちを…。
あの時…西沢を亡くしていたら…こんなふうに毎日を過ごせただろうか…?

 生きて…そこに居てくれるってだけで…幸せだよな…。
それだけで…十分だと思わなきゃ…罰が当たるよ…。
自分に言い聞かせるようにノエルは胸の中で呟いた。



 西沢と滝川にお休みを言った後、ノエルは久しぶりに亮と一緒に木之内家に戻って来た。
 門灯がついているのは有が帰ってきている印…。
子どものように小走りに廊下を走り抜け居間へ向かった。
 
 「亮のお父さん…ただいま! 」

居間で新聞を開いている有に勢いよく声をかけた。

 「ノエル! お帰り…ようよう紫苑からお許しが出たな。 
ごめんな…酷い目に遭わせて…。 亮も懲りただろう…紫苑と恭介からこってり油を絞られたんだ。」

 そうなの…? ノエルは振り返って亮の顔を見た。
仰るとおりです…亮はうんざりしたように溜息をついて頷いた。

 「亮だけが悪いんじゃないよ…。 僕も紫苑さんに叱られたもん…。 
亮を甘やかしちゃいけません…って。 」

 そうか…と有は苦笑した。紫苑は…ノエルのことをよく見ているな…。
有がそう言うとノエルは嬉しそうに微笑んだ。

 相性がいいのか…ノエルにとって有は自分の父親よりも話しやすい存在で、有もそんなノエルを我が子のように可愛がっている。
顔を合わせると世代差を越えて何ということもないお喋りを楽しんだ。

 いつものように他愛のない会話に興じている最中…ノエルは急に黙り込んだ。
ねえ…お父さん…と真顔で有の顔を見つめた。

 「僕…絶対に赤ちゃん産めないかなぁ…? 」

 えぇ…? どうしてまた…ノエルは男の子なんだろう…?
有は怪訝そうな顔をした。

 「そうなんだけどぉ…輝さんが産んでくれないからさぁ…。
紫苑さん…寂しそうだもん…。 」

 そう言って俯き加減に有の顔色を窺った。
有は大きく溜息をつくと…だめだ…というように首を振った。

 「ノエル…紫苑は…ノエルに産んで欲しいと言ったわけじゃない。 そうだろ?
たとえ産めるとしても…紫苑の方が断るよ。 同情と愛情は違うんだから…。
 きみが女性として生きることを選ぶのなら話は別だけど…そんなことは無理だときみも分かってるはずだよね…。 」

 やっぱ…だめか…とノエルは項垂れた。 
それに…と有は話を続けた。

 「輝さんが紫苑と結婚しないのは…ただ単にあの部屋が嫌いだとか…西沢家と合わないとかいう問題だけじゃないんだ。
 ふたりとも家系…家門を背負っている要のひとりだから一族を離れて自分の思うままには生きられない。

 紫苑は西沢家の次男だけど…同時に僕の血を引いている。
裁きの一族の血を引いているということはね…家門を背負うものにとっては権威の象徴のようなものなんだよ。

 輝さんと紫苑の間に子どもができると…それによって権威を得た島田と格差をつけられた宮原の間に摩擦が生じる…。
輝さんの兄上…克彦さんもそれを懸念されている。

 どうしてもというのであれば島田と完全に縁を切って紫苑と一緒になることもできるが…輝さんは義に厚い人だから…同族間の争いの種を自分から蒔くようなことはできないんだ。
 
 それに…西沢家としても同族でもない島田家に紫苑の血が混ざることを本心では快く思ってはいない。 
 それならばむしろ…家門に縛られていない能力者と結婚させた方がましだと考えている。 」

 何か…大変そうだ…とノエルは感じた。
ノエルの一族はただの親戚一同…そんな七面倒くさい関係はない。
 世間的に見て常識の範囲内なら、ノエルが何処の誰を嫁に貰おうとそれほど兎や角言う人もいない。

 実際にはノエルの中にも裁きの一族と対になっている特別な一族の血が入っているのだが…このことは父親の智哉さえもまったく知らないことで問題にはならなかった。
 
 「分かったね…ノエル。 彼等にも複雑な事情があるんだよ。
赤ちゃんのことは余計なお世話…。 きみが傍から口出すことじゃない…。
本気で紫苑と夫婦になる気がないなら馬鹿なことは考えるんじゃないよ。 」

 有はしっかりとノエルに釘を差した。
ノエルは不承不承ながら…分かった…と頷いた。



 乾燥機の中から引っ張り出した洗濯物を軽くたたんで、クローゼットの作り付けの棚に置きながら、西沢はふとノエルに与えたスペースを見た。
 ぐちゃぐちゃっとたたんだのか丸めたのか分からない衣服が置いてあるが、どれもかなりくたびれている。

 そのわりにはアンダーウェアや靴下などは真新しいものが買い置いてある。
愛想も何にもありゃしない真っ白けの下着…中年のおっさんか…小学生だな…。

 ノエルがここに居候を決め込んで一年以上にもなるが、衣服に関してはほとんど新しいものを見たことがない。
 実家から持ち出した衣服をとっかえひっかえ着ているようだが、それもおそらくかなりの回数使われたものなんだろう…。

 今時の若い男の子は結構お洒落で、身につけるものに拘る子が多いのに、ノエルは全然気にもならないかのように洗いざらしを着ている。
 着ているもの自体はわりに良いものなので、ノエルにまったく洒落っ気がないわけでもない。

 バイトもしているし…遊びで無駄遣いをしているわけでもない…。
学校での昼食代以外は食費もいらないんだから…服の一枚や二枚余裕で買えるはずなのに…。

 ふと…西沢の脳裏をかすめたのは…ノエルの心の傷だった。
買わないんじゃなくて…買いに行けないのか…?
下着ならスーパーやコンビニで手に入るから買うのも平気なんだ…。 

 こんな身体いらない…と自分の身体を嫌悪していたノエル…。
その身体で生命の気を産み、西沢の命を救ったことで、少しは嫌悪感が遠のいたと思っていたのだが…。
根っこがまだ残っているのかもしれない…な。

 勿論…ノエルの心の傷が完全に癒えることはない…。
その傷は癒えるどころか…これから先も確実に増え続けることだろう…。
 防ぐことも完治することもできない傷なら…せめてノエルの受ける痛みを少しでも和らげてやりたい…。
それが…自らも疼く傷を抱える西沢の想いだった。

 
 不意にカタンッと郵便受けが音を立てた。
えらく早い配達だな…と西沢は思った。
時計を見るとまだ…9時をまわっていない…。

指令書…か?

 急いで玄関に向かうと郵便受けを覗き込んだ。
それは…指令書…というよりは依頼に近いものだった。  

 少し大きめの封書の中に、裁きの一族の宗主からの書状と何かの封書が入っていて、書状には…同封の手紙の内容に留意…との指示が書かれてあった。

 警告書…どこの誰とも書かれていないが差出人は海外の特殊能力者のようだ。
日本語の使い方がどこか妙で日本人が書いたとは思えない。

 追放された罪人が戻ってきたとか…世界中に混乱が起きるとか…。
失われた記憶の復活…人類の総入れ替え…。 現代文明消滅の危機…?

まるで終末思想だな…。

 宗教の説教のような内容が書かれてある。それもかなり緊迫した感じを受ける。
中でも西沢の眼を引いたのは…人類の総入れ替え…という言葉…。

 それは…世界各地に残る洪水伝説のように人類の選別が再び行われるということなのか…それとも…その戻ってきた罪人とかいう者が人類に取って代わろうとしているということなのか…?

 何れにせよ…これが何者かを通じて裁きの一族に送られたということは…風説を広めて世間を騒がせようとしているわけではなく…己の信ずるままに日本の能力者に対して警告を発したものと思われる。

 誰が窓口になっているかはともかくとして…この人…或いはこの人たちはよく裁きの一族の存在を嗅ぎ付けたものだ。
 国内の能力者でさえ…族長か最長老級でなければ所在の確かめようもないというのに…。

さて…御使者としては…どう動けと…?

 多分…他の御使者仲間も迷っているだろうな…暗示のようなこの警告書…。
失われた記憶の復活…磯見たちの潜在的な記憶のことか…?
英武が読み取った以上のことは…おそらく分かるまい…。

 アカシックレコードが現実に存在しない限り…いや…たとえ実際に存在したとしても…あるかないかも分からない伝説の時代をリーディングするのは難しいぞ…。
試したこともない…。 試す必要もなかったし…。

 太極…と…できれば…話がしたい…。 
五行の気たちでも構わないから…。
 彼等ならどんな古い過去をも知っている…。
この世のすべての親なんだから…。

 自分からはアクセスできないことに…西沢は少なからずじれていた。
宗主は…西沢が危篤である時に…どうやって太極と交信したのだろう…。
西沢を助けるために…自らの気を太極に捧げてくれたと聞いているが…。
  
 『なんの…知らせは無用…おまえが心に太極を思えば…その日一斉に気を回収させて貰うだけのこと…。 』

 あの時の太極の言葉…そうか…宗主とは約束が出来上がっているからだ…。
それじゃ…僕では…だめに決まっている。
太極とは何の約束もしていないからなぁ…。

 西沢は軽い失望感を覚えた…。
仕方がない…取り敢えずは…追放された罪人のことでも考えてみますか…。
 ひとつ大きく息を吐くと西沢は…手っ取り早く各地の伝説を調べるためにパソコンに向かった。 





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続・現世太極伝(第十話 細胞レベルの記憶…?)

2006-05-23 18:47:43 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 「これといって…特におかしな写真はないよ。 下手なだけで…。 」

 預かっていた写真フォルダーを渡しながら滝川はノエルに言った。
やっぱ…だめか…。 残念そうな顔をしてノエルは溜息をついた。

 「ただ…最後の写真は…巨石を写そうとしたんじゃないことは確かだね…。
この人の写真の撮り方を見ていると…写したいものをど真ん中に持ってくる癖があるんだよ…。
 最後の写真を見てみると…石は随分端っこにあるだろ…?
この石と一緒に写したい何かが…この空間の部分に見えたってことだね…。 」

 そっか~。 まあ…そんな程度でいいや…三宅に話してやるのは…。 
その場所に他の人には見えないものが見えたんじゃないかって…そういうことにしておこう。
 
 「有難う先生…。 助かっちゃった…。 」

なんの…どういたしまして…滝川は笑いながら答えた。

 居間の方にはそろそろみんなが集まり始めている。
急に入った仕事の都合で参加できなくなった旭と輝以外には…後は英武が来るのを待つだけ…。

 桂先生…コーヒーはまだ無理ですよね…? 亮がみんなに飲み物を配りながら桂に声をかけた。
 宜しければ…薄めのお茶を頂けるかしら…? ごめんなさいねぇ…お手数かけてしまって…。 桂は申し訳なさそうに答えた。
 多少食事制限は残っているものの、ほぼ直前まで胃潰瘍で入院していたとは思えないほど桂は元気が良い。

 時々…胃が痛んだりしてたのよ…。 でも…潰瘍ができてるなんてねぇ…。
そこまで痛いとは思わなかったから…鈍感なのかしらねぇ…。

 長い艶やかな黒髪を盆の窪辺りで束ねて綺麗な花飾りで留めてある。
もともと細いわりには活力に溢れた人なので、病気の治りも体力の回復も人並み以上に良好だったようだ。
構いませんよ…お茶ですね…。 そう言って亮はキッチンへ戻って行った。

 
 仕事を終えた英武が到着したところで、桂に先入観を持たせないために、まずは桂が見たものから調べてみることになった。

 勿論…桂自身にはその時の記憶はまったくない。
来られなかった輝に代わって怜雄が位山での出来事を読むことになった。
 怜雄は英武と違って物や身体に触れる必要が無いので、相手が女性の場合でも気を使わなくて済む。

 怜雄は今日…桂と会った直後から、入院していた桂の身体の具合を訊いたり世間話などをして、すでにだいたいの状況を読み取っていた。

 「全部を回る時間も無かったので…私たちは神社のところから山頂を目指し…山頂まで行って戻ってくるコースを選んだの。
 行きはよいよい帰りは怖い…運動不足がたたって帰り道で転げてしまって…。
友だちが言うには何だか急にぼけっと何処やらを見つめていたそうなんだけれど…覚えてないのよ。 」

 桂は少しばかり恥かしそうに頬染めてそう話した。
みんなの眼が怜雄に集まった。

 「転げたのは…登山中と伺いましたが…これは鳥居あたりですね…?
ちょうど登山を終えられて入り口付近へ戻られたところで怪我をなさった…。
よほどお疲れだったとみえる…足が少しガクガクしている…。

 ようやく戻って来たと…今来た道を何となく振り返った…。
おやまあ…これから…山頂を目指していく人たちが居るわ…。

 あら…でも…何時の間にあの人たちと擦れ違ったのかしら…?
よく見ると…あまり見たことのないような出で立ちの人々で…山歩きに来たとは到底思えない。
 奥のスキー場の方で何かのお祭りでもあるのかしら…。
でも…まさかねぇ…この季節に…こんな時間から…?

 時計を見ながら…もう一度その人たちの方を窺う…。
おかしいわねぇ…そう思いながら再び前を向いて歩き出した…。

 ふと顔を上げると正面に大勢の人がこちらを見つめている…。
こちらというよりは…さっき見た人たちの方を…。
えっ…何…何があるの…?

 もう一度そちらを見ようとして…振り返りざまに疲れきった足が縺れて…仰向けに転倒…。
これは痛かったでしょうな…後頭部を打撲…異常がなくて幸いでした…。 」

 怜雄が再現するのを頷きながら聞いていた桂は…まるで他人事のように…う~ん…そんなことがあったのねぇ…と感心したように言った。

 「確かに…見たような気がするけど…夢と区別がつかないのよね…。 
大方の人は夢だと思ってるわね…きっと…。 」

 夢ねぇ…。
普通の人たちが事故に疑問を持たないのは…そのせいかもしれないな…。
日常の疲れから生じた白昼夢…それで納得しているのかも…西沢はそう思った。

 「磯見くんの場合は…もっと不思議だよ…。 目の前に広がる海原がちゃんとした陸地…それも広大な都市に見えていたんだ。

 向こうの方に大きな神殿のようなものとか…よく分からない形の建造物が建っていて…そこを中心にして街が広がっていた。 

 そこが何処なのかは分からない…磯見くん自身の記憶からも何も読み取れない。
ただ…彼の中にノスタルジアみたいなものを感じたよ。

 何か催しでもあるのか…街の人々が神殿らしきものの方へ歩いていくのを見て…磯見くんは思わず一歩を踏み出した。」

 そして…ボチャンッと海へ落っこちたわけだ…。
ますます複雑になってきたな…。 

 桂は…不思議なものを見たというだけで…懐かしさを感じていなかった。
磯見は…おそらくその風景に既視感があった。

その違いは何処から来るのか…。

 「自分の記憶か…他の何かの記憶かの違いだな…。 」

 怜雄が西沢の疑問に答えるように言った。
あ…そうか…と西沢は頷いた。

 「何…それ…? 」

ノエルが首を傾げた。

 「何かのきっかけで自分の中にある記憶が目覚めたのか…無意識に自分以外の何かの記憶を読んだか…の違いってことだよ…ねぇ? 」

亮が訊いた。

 「そう…桂先生の場合はおそらく…その土地の持つ記憶を読み取ったんだ。
ハイキングなんかで長時間歩くと身体は疲れているのに気持ちはすごく高揚して、感覚が研ぎ澄まされてくることがあるだろ…?
 そこにふいに…その土地の持つ記憶が入り込んだ。
無意識だったから…先生も何が起こったのか分からずにぼんやりされた。
体調が悪い上に疲れ切っていたから…突然のできごとに戸惑われたんだ…。 」

 怜雄はやんわりと桂の立場を擁護した。
桂はにっこりと微笑んだ。

 ああ…つまり…自分で自分の力に驚いたってことかぁ…ノエルは胸の中でにんまりと笑った。

 違います! 土地の意識が入り込んだの…。 能動的に力を使ってたわけじゃないわ。 そこまでひどくはないわよ…と桂が睨んだ。 

 聞こえちゃったぁ…ってか読まれちゃった。
ノエルはちろっと舌を出した。

 クスッと桂が笑った。 
あちらこちらでクスクス笑いが起こってノエルは怪訝そうに辺りを見回した。

 あなたには負けるわ…無邪気というか…何というか…。
そういうキャラもいけるかもねぇ…。 今度使ってみようかしら…。

 「…話を本題に戻すと…磯見の場合には…自分の記憶には違いないんだが…自分で実際に見たり体験したりした過去の記憶ではないと思うんだ…。
 もっと…潜在的なもの…例えば…細胞レベルで…或いは遺伝子レベルで保存されている遠い過去の記憶…。

 さらに非科学的なことまで考慮に入れるとすれば生まれ変わりなども考えられるが…まあ…それはおいといて…。

 それが何かのきっかけで突然目の前に浮かんだ…。
突然のことで…本人にはまるきり何も分からないわけだから夢や幻を見ているような状態になる。
 磯見のように海が陸地に見えれば…ドボンッ! 
そんなとこだろ…怜雄…? 」

 西沢が自分の見解を述べた。 
まあ…そんなもんだ…と怜雄が答えた。

 「問題は…そのきっかけが何だったか…ってことだな…? 
磯見くんの件だけならともかく…全国的だぜ…。
 僕の聞いたところじゃ…あっちこっちで噂話が出来上がってる…。
呪われた遺跡だの何だのって怪談話が…ね。 」

 滝川がそう言って肩を竦めた。
そっちゃの方向へ向かっちゃってるわけよ…話が…。

 「国際的だよ…。 親父が言ってた。 海外でもそんな小さな事件が起こってるんだって…。 あんまり小さ過ぎてニュースにもならないんだけど…。 」

亮が有から聞いた話をした。

 ニュースには…ならんわなぁ…。 ぼんやりした人がこけたとか…迷子になるとこだったなんて話は…。
 結果的には…真面目に考えている僕等の方が馬鹿だってことになるかもしれないような小さな出来事の積み重ねに過ぎないんだからね…。

 それが事件であるという確かな証拠は何処にもない。
西沢やその仲間たちを駆り立てる不安以外には…何かが起きているという予感めいた思いに何の根拠もない。

 「とにかく…あまりに漠然とした話なんで…まだ…どう動いていいかも分からない状態…だね…。
 遺伝子レベルでの記憶が…なんて説明したところで…他の家門の人には何をわけの分からんことをと一笑に付されるのが落ちだからねぇ…。 」
 
 英武が溜息をついた。
裁きの一族が動き出せば別だけれど…このくらいのことじゃあ…ねぇ…。

 ふいに玄関のチャイムが鳴った。
ノエルが出て行くと…ドアの向こうに箱を抱えた小さな男の子が立っていた。

 「パパ来てますかぁ? 」

 パパ…? ノエルは首を傾げた。 
ちょっと待っててね…と坊やに言ってから居間の方に顔を出した。

 「あのねぇ…小さな坊やがパパを捜しに来てるんだけど…? 」

 あ…僕だ…と怜雄が立ち上がった。 パパ…? ノエルの目が点になった。 
やがて坊やを抱えて怜雄が戻ってきた。

 「おや…有理(ゆうり)…お使いかい? 」

 坊やは西沢に箱を渡した。 ママのケーキです…どうぞ…。
西沢は微笑んでわざと坊やの前で箱を開けて見せた。

 「おいしそうなチェリーケーキだねぇ…有理偉いね…。 お使い有難う…。
今…有理にも分けてあげるね…。 」

坊やは嬉しそうにうんと頷いた。

 「怜雄…奥さんいたんだ…。 知らなかった…。 」

 ノエルがこそっと亮に耳打ちした。
僕も…と亮が頷きながら言った。

 「奥さんどころか…有理の上に恵(メグ)って小学生の女の子が居るよ。
こいつ学生結婚だったからね。 」

 滝川が笑った。
西沢が皿を持ってきて坊やのお土産を切り分けた。

 西沢はまず…桂を始めとする大人から順に配った。
坊やはじっと待った。
 西沢の皿を持つ手が坊やの前にやっと差し出されると…よほど待ち遠しかったと見えてにっこり笑った。

 「さあ…有理…どうするんだっけ…? 」

西沢が訊ねると坊やはしっかりした声で大人たちに言った。

 「ママのケーキです…。 どうぞ…食べてください…。 」

 はい…頂きます…と桂が微笑みながら答えた…。
坊やはその声にまたにこっと笑った。

 坊やの出現でその場の空気が和んだ。
怜雄の坊やを見つめる西沢の眼差しが本当に温かで…ノエルは切なかった。

 紫苑さん…やっぱり…子ども欲しいんだ…。
輝さん…どうして嫌がるのかなぁ…? 子ども嫌いなのかなぁ…?

 家門を持たないノエルには西沢と輝の背後にある複雑な事情を想像することさえできなかった。
 好き嫌いだけではどうにもならないこともある…。
感情だけでは動けない…むしろ感情を捨てなければならないことの方が多い…家門を背負うとはそういうことだと…。

西沢もそれについては敢えて口に出すようなことはしなかったけれど…。







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続・現世太極伝(第九話 嬉しくて…悲しい…。)

2006-05-21 01:15:35 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 明かりの消えた部屋の籐のソファの上でノエルは丸くなっていた。
雨降りの暗い窓の外から射し込む街の灯をぼんやり見つめて…。
寝室に入って来た西沢が部屋の明かりをつけても身動きひとつしなかった。
 
 通りすがりにノエルの頭をくしゃくしゃっと撫でて西沢はベッドに入った。
何やら難しそうな本を開くのをノエルは横目でチラッと見た。

 「輝さんは…ここには絶対に住まないつもりなのかなぁ…。 」

 まあ…そうだろうね…と西沢は本から眼を離そうともせず事も無げに言った。
僕も無理強いする気はないし…。 

 「ずっとこのまま…? 」

 ノエルの問いに西沢は少しだけ寂しそうな笑みを浮かべて頷いた。 
そうだね…多分…輝に男でもできれば別だけれど…。

 ノエルはソファを降りてベッドに移った。
大柄な西沢が三~四人寝ても平気だという頑丈で大きなベッド。
実は特別サイズをふたつを合わせたもので…勿論…西沢家が作らせた特注品だ。 

 表向きは…どう転がってもゆったりと手足を伸ばせるようにとの親心…らしい。
本当はさっさと嫁を貰って落ち着け…という西沢家の意思表示だとも…。

 どちらにせよ…このベッドも輝のお気に召さない代物…。
ノエルは赤ん坊のように這い這いしてベッドの中央あたりに陣取った。

 「男なんかできたら…それこそここに来て貰えなくなるじゃん…。
どうすんの紫苑さん…?  」

かりかりっと頭を掻いて西沢はふっと笑った。 

 「まあ…それならそれでいいじゃない。 輝が幸せなら…文句ないよ…。」

 長い付き合いだもの…そうなっても不思議はないし…。
少しずつ傾いていく心は止められない…。

 「何でそう割り切れるかなぁ…。 
僕なんか三宅の顔見てたら…やたらムカついてきたんだけど…。」

 三宅の前で…馬鹿みたいに…凄んじゃった…。
ふ~っとノエルは自己嫌悪の溜息をついた。 

落ち込むノエルの頭を西沢はまた…いい子いい子というように撫ぜた。

 「美咲ちゃんのことを…忘れてなかったってことだね。
中途半端な終わらせ方をしたから…。
 ノエルはいい子だから…またきっと素敵な彼女が見つかるよ。
それとも…ずっと亮の恋人で居た方がいいかい…? 」

 とんでもございません…。 亮の彼女になった覚えはないんで…。
亮は大親友だけど…そんな気持ちはさらさらないです…。
時々…成り行きでそんなことになっちゃうだけで…。

 「冗談だよ…。 
木之内の親父が…ノエルを亮の嫁さんに貰いたいなんて言ってたからさ…。  
 あ…勿論…これも親父の冗談だよ…。 
それだけ親父も…きみのことが気に入ってて…可愛いくて仕方ないんだよ…。 」

 亮のお父さんが…? 嬉しいような…複雑なような…妙な気分…。
うちの親父が聞いたら目を回すな…きっと…。

 『その時には…邪魔にならんように…我儘言わんと帰って来い。 』

 ふいに父親の言葉を思い出した。 
その時…ノエルがこの部屋を出て行かなければならなくなる時…。
 それは…西沢が幸せになれる時…。
本を読んでいる西沢の顔をチラッと見上げた。
 
 馬鹿か…僕は…。
輝さんがここに住む気になるってことは…その時が来るってことなのに…。
それでも…紫苑さんが幸せになれるなら…それを願うしかないんだもの…。

 西沢に意識を読まれないように精一杯ガードして…ノエルは背を向け…下唇噛みながら眠った振りをした。

 西沢がそっと肌掛けを掛けてくれた。
西沢の温かい心遣いが嬉しくて…悲しかった。



 精魂込めてアレンジした花籠を片手に紅村旭は病室のドアをノックした。
どうぞ…という比較的元気そうな声にほっと胸を撫で下ろしながら…静かにドアを開けた。
 花木桂はベッドの上で原稿を書いている最中だった。
旭を見ると嬉しそうにテーブルを除けた。

 「桂先生…いったい…どうなさったんです? 
今度のシンポジウムのことでご連絡差し上げたら…代理人の方がここだと教えてくださったんで…驚きましたよ…。 」

 旭が心配そうな顔をして桂の顔を見た。
桂は唇に手を当て…おほほ…と恥ずかしげに笑った。 

 「実は…少し前に…お友だちと位山へ行って参ったんですけれど…徹夜仕事が続いていたせいか…登山中にぼ~っとなりましてね。
転げてしまったんですのよ…。
 
 たいした怪我ではありませんでしたけれど…頭をガツンと打ちましてね。
どうにかなっていると怖いので帰ってきてから検査をしましたの。

 どうせならついでに…と思って頭部検査つきの人間ドックを選びましたら…頭の方はなんともなかったのですけど…なんと胃潰瘍…あと3日ほどで退院できるらしいですから…骨休めですわ…ほほほ。 」

おいおい…そんなんで仕事していていいのか…と旭は思った。

 「早く見つかってよかった…と申し上げるべきでしょうか…?
胃潰瘍でもひどくなれば手術でございましょう? 」

 旭がそう言うと桂は大きく頷いた。
転げたのは痛かったですけど…これも不幸中の幸い…ですわねぇ…と言った。
 
 「恥ずかしいから…西沢先生には内緒にしておいてくださいな。
きっと…桂おばさんが転げたと大笑いしますわ…。 」

 分かりました…と旭は笑いながら答えた。
それから…あれこれ軽い世間話などをした後…お大事に…と病室を後にした。

 約束どおり…桂のことは今は西沢には話さないつもりでいた…。
西沢のことだから桂が入院したと聞けば…豪華な薔薇の花束でも抱えてお見舞いに駆けつけるだろうけれど…桂も化粧っけのない姿であの超ど級のイケ面くんに会いたくはあるまい…。

 何しろ桂は西沢の前ではいつもきっちり化粧とお洒落を欠かさない人だから…。
元々綺麗な人だから…さほど気にする必要はないんだけれど…女心ですかねぇ…。

 桂が退院したら…何かの折にでも耳に入れておけばよい…。
そんなふうに考えていた。


 桂を見舞った翌日…夏期休暇中の自然観察会の行き先を考えていた旭はインターネットで各地の自然公園などを調べていた。
 
 ハイキング・オンリーでもいいけれど…足腰の弱い方もいらっしゃるから…多少は観光を兼ねた部分も必要かもねぇ…。
この前連れて行って貰った岐阜県辺りはどうだろう…?

 そんなこんなを思案しながらネットサーフィンを楽しんでいた。
岐阜県の自然公園を見ていた時…ある場所でマウスを持つ手がぴたりと止まった。

 位山自然公園…巨石群…巨石群…?。

 位山と言えば桂が転げたところだが…そこに巨石群があるという。
西沢と滝川に金山での出来事を話した後で…何日か経ってから西沢から金山に超古代の巨石群があるらしいことを教えて貰った。

 先達て亡くなった女子大生が事故にあったところが葦嶽山の巨石群…。
西沢の撮影仲間がボートから落ちたのが与那国の巨石群の近く…。
なんでもないところで人がこけて大怪我をしたのを滝川が撮影中に目撃したのは…明日香村の巨石群の中で時代不詳の亀石の近く…。

 旭は受話器を取り上げ…西沢のマンションの電話番号を押した。
桂との約束はあるが…このことは西沢たちに黙っているべきではないと感じた。

 これまでは…直接本人に話を聞いたり、直に触れて身体に残る情報を細かく調べたりできる対象が身近に居なかったが…桂なら大丈夫…。
胃潰瘍さえ良くなれば…協力して貰える…。

 「西沢先生…? 紅村です…。 実は…例の巨石群のことなんですけれど…。」

 西沢の反応は早かった。旭からの電話が切れると即座に桂がまだ入院していることを確認…その30分後には近くの花屋が大きな薔薇の花束を丁寧に包装してマンションの呼び鈴を鳴らし…1時間後には桂の枕元に飾られた。

 西沢は無理を言って紅村から桂の入院を聞き出した非礼を詫び…桂の病状がとても心配で急いで飛び出してきたと上手を言った。

 すっぴんを恥ずかしがる桂に素顔がとても素敵だなどと歯の浮くようなことを言い…それは満更お世辞でもなかったが…桂をいい気分にさせた。
西沢はその場では何も言わず…ただ…くれぐれもお大事にと言うに止めた。

 桂が退院した後で…実は大変なことが起きているのでぜひ先生にもご協力をお願いしたいと本題に入った時には…桂は何の抵抗もなく…勿論…是非協力させて頂くわ…と上機嫌で請け合った。

 金曜日…退院したばかりの桂を招いて仲間内での検討会が始まった。
何かを発見できるという確証は…まだ…誰にもなかったけれど…。 






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続・現世太極伝(第八話 写真は語る…。)

2006-05-19 18:21:51 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 玄関の扉を開けると途端に愉快そうな話し声とシャワーの音が聞こえた。
黒のパンプスがきちんと並べて置かれてある。他の靴も整然と並んでいる。
輝さんだ…とノエルは思った。

 玄関の上がり口に腰を下ろして…上がるべきかどうかちょっと思案した。
ノエルが帰ってきたことはすでに輝も気付いているだろうし…何も言わずに出て行けば嫌味に取られてしまうかも…。

 ぼんやりしていると急に頭をコツンと叩かれた。
何してんの…?と西沢が不審げにノエルの顔を覗き込んだ。

 「そんなとこ座ってると根が生えるよ。 」

ノエルは黙って部屋に上がった。
 
 「あら…ノエル…お帰り…。 冷蔵庫にマンゴー・プリンがあるわよ…。 」

 輝が浴室から出てきて機嫌よくノエルに声をかけた。
有難う…ノエルはちょっと笑って見せた。
 輝はいつもノエルを子ども扱いする…。 
子どもにはお菓子と玩具…そう思っているみたいだ…。

 居間にバッグを置こうとして三宅から預かったフォルダーを思い出した。
輝さんなら読めるかもしれない…。

 「あ…輝さん…見て欲しいものがあるんだけど…。
先に滝川先生に調べてもらおうと思ってたんだけど…まだ帰ってないから…。」

 ノエルは写真のフォルダーを取り出して輝に差し出した。
輝は居間のソファに腰を下ろして、そのフォルダーの写真に触れていった。

 「これは…最近亡くなった人が撮ったものね。
久しぶりに恋人と一緒に出かけて…とても楽しい旅だったことが分かるわ…。 
 これが最後の写真…これを撮った直後に…亡くなってる…。
下の方に何かよほど興味を惹かれるものがあったのね…。
もう一枚…写真を撮ろうとして落ちた…。 」

 予備知識なしに輝は問題の写真を示した。
西沢がそれを覗き込んだ。

 「そこなんだ…。 僕が知りたいのは…そのもう一枚の写真…。
美咲が何を撮りたかったのか…何を見ていたのか…輝さんには分かる…? 」

 ノエルは期待を込めて輝を見つめた。
輝は写真ではなくネガの方に触れてみた。

 「彼女は…特別なものは何も見ていなかった…。 眼で見るという意味からすれば…この最後の写真と同じものを見ていただけよ…。 
 だけど…写真を撮ろうとしている彼女の気持ちの中に…面白いものというだけではなく…どこか懐かしさを感じるわ…。 」

 だめか…とノエルは溜息をついた。
輝ほどの能力者でも…最後に見たものを読み取れないのか…と。 

 「でも…頭に浮かんでいたのは別のものよ…ぼんやりとなら分かるわ…。 
御遺体にでも触れれば…完全な像が見えてくるかも知れないけど…。
顔や服装は分からないけれど…人間よ。 」

西沢とノエルが同時に…あっ…と叫んだ。

 『下に面白い人たちが居るわよ…お祭りかしら…。』

 美咲の残した言葉…聞き間違いなんかじゃなかったんだ…。
直接…眼で見たんじゃないけれど…脳に浮かんだ像を見ていたんだ。

 「輝…どんな感じの人間か分かるか…? 」

 そうねぇ…私たちとあまり変わらないみたいだけど…。
輝は再びネガに触れた…。

 「ヒヒ…イロカネ…。 何かしら…ヒヒイロカネって? 
お猿さんの一種…? 」

西沢が思わずぷっと噴き出した。 輝が…何よ…という眼で西沢を見た。

 「いや…ごめん。 それは…お猿さんじゃないんだ…。
ヒヒイロカネというのは超古代に存在したという伝説の金属だ。
金のように柔らかいが合金にすると硬くなり不思議なオーラを放つという金属。」

 ああ…それでカネなわけね…。 輝はなるほどと頷いた。 
彫金できる金属はだいたい知ってるんだけど…あまり聞いたことのない名前だわ。
 いいわね…それ…装飾品にぴったり…伝説ってとこが惜しいわ。
オーラを放つと聞いて彫金師の血が騒いだ。

再び集中すると眉を顰めて首を傾げた。

 「言葉がよく…分からないのよ…。 外国語聞いてるみたいなの…。 」

 西沢がそっと輝の手を取った。
しばらく何かを探るように眼を閉じていたがやがて静かに眼を開いた。

 「何かの…神事を行っているようにも思えるな…。 
僕にもよくは聞き取れないが…アメノウキフネの来る時を待っているようだ。
アメノウキフネというのは…これも伝説の飛行船で…飛行機かUFOみたいなものらしい…。
 こんな状景を…美咲という子は頭に浮かべてたって…?
信じられないな…。
よほどマニアックな人間でなければ古史古伝なんかは知らないはずだが…。」

 古史古伝…なんじゃそりゃ…? 古新聞古雑誌…まさかな…言い伝えだろうか?
そんなもの美咲が興味持つなんて思えないって…。

 「美咲の男は…巨石お宅なんだけど…。
美咲自身はそっち系はまるでだめ…。 世界史も日本史も赤点追試組…。 
合戦と聞けば…雪合戦だと思ってるくらいのやつ…。 」
 
 ノエルがそう美咲を評すると西沢は…あんまり教科書の歴史とは関係ないんだけどね…と言った。

 「中には…文書自体が本物とは認めらずに日本史から抹殺された経緯を持つものさえあるんだ…。
 無論…学校で教えるなんて考えられない…って代物。
歴史の試験で毎度100点取ってるやつだって全然知らないかもしれないぜ…。」

 僕もあまり詳しくは知らないんだけどね。 
読んだ本やインターネットの情報なんかの受け売りだから…と西沢は言った。

 「古事記とか日本書紀とかって教科書にも出てくる歴史書を知ってるだろ。
古史古伝ってのは…それよりも古いと言われる幾種かの歴史文書だが、神代文字と呼ばれる特殊な文字で書かれたものも多くて、その内容は日本の歴史とは認められていない…神代文字自体が認められていないんで…。

 初代天皇と考えられている神武天皇以前にも何百代もの天皇が存在した…とか、神武天皇の父のウガヤフキアエズノミコトという名前だけでも70人以上の天皇が代々継承した…なんて記載された文書もあるそうだ。

 ヒヒイロカネとかアメノウキフネなんて言葉はそうした文書に出てくるもので、そういう分野が好きな人でもなければ到底何のことか分からないはずだ。 」

 美咲の頭ん中になんでそんなもんが浮かんだのかなぁ…?
ファッションやアイドルに凝ることはあっても、マニアの好むような歴史本買って読むようなやつじゃないんだけど…。  

 「金曜の夜にさ…英武が磯見の見た状景を話してくれるから…そこでまた検討することにしよう…。 」

 輝にもそれ以上のことは読めないようなのでノエルは取り敢えずフォルダーをしまった。
後で滝川にも写真にどこかおかしいところはないか見て貰うつもりだった。
 三宅に何と報告すればいいのか…ノエルは困惑した。
能力者同士ならヒヒイロカネでもアメノウキフネでも適当に話せば説明がつく。
 普通の人相手に…写真から美咲の頭の中が読めましたなんて話したって通じるもんじゃない…。
何でもいいから…三宅を納得させられる何か発見して欲しい…とつくづく思った。

 

 チンッと軽快な音を立ててレンジが出来上がりを告げた。
ここのところ遅番の日は西沢のマンションに寄らずに帰るので、コンビニ弁当の回数が増えた。
 西沢のドクターストップがかかっているのでノエルはこちらへは来られない。
ちょっと寂しい気もするが…もとはと言えば亮のせいだから文句は言えない。

 寂しいと言えば…ノエルが居ないと物足らない人がもうひとり…。
ソファで新聞を読んでいる…。
 キッチンのテーブルの上にはまた…買ったものなのか貰ったものなのかは知らないが…あちらこちらの土産物がどさっと置かれてある。

 「明日…いくつかノエルに持ってってやれよ…。 
紫苑にドクターストップかけられるなんて…おまえも困ったやつだ…。
ちゃんと講義してやったのに…。 」

 くそ親父…ノエルに会えないもんだから…機嫌が悪いこと…。 
分かってます…紫苑にも叱られました…ちゃんと反省してます…。

 「そう言えば…父さん…。 父さんの周りでは妙な事故は起きてない?
この間…ノエルの昔の彼女が写真撮ろうとして落っこちて亡くなったんだ。
 紫苑さんの仕事仲間も船から落ちて…この人は助かったんだけど…他にもあっちこっちで事故が起きてる…。
 知ってる限りではまだ亡くなった人はひとりだけど…どれも…どうしてこうなるんだ…みたいな事故でさ…。 」

亮がそう訊くと…有はしばらくじっと考えてから思い出したように言った。
 
 「俺は…直接は見ていないが…仲間内で噂になっていることはある…。
バハマ諸島の中にあるビミニ諸島…ゲーム・フィッシングやダイバーがイルカと会える場所として有名なんだそうだが…その北の方にアトランティスの一部ではないかなどと言われている石畳があるそうだ。

 ビミニ・ロード…とか言うんだそうだが…ダイビング・スポットのひとつになっている。
 うちの若いやつが少し前に…向こうでツアー組んで何人かで潜ったんだそうだ。
ところがひとりだけ何かに引き寄せられるようにどんどん離れていってしまうやつがいて…みんなで必死になって引き戻した。
 船に戻るとそいつは何にも覚えてなくて…気がついたらみんなに押さえ込まれていたらしい…。

 そんなような出来事なら…幾つか聞いているよ。
頻繁とは言えないが…このところちょくちょく耳にするんで…仲間内では何か不吉なものが動き出したんじゃないか…なんて冗談で噂している…。 」

 国内だけじゃないんだ…と亮は思った。
あ…そうか…紫苑がレポートした番組にも海外組が居たよな…。
 単純に不注意による事故と考えてしまえばそれまでだけど…なぜか超古代と言われている遺跡の近くで起きてる…。

 偶然かも知れないけど…それで終わらせるには…ちょっと気になる…。
もしかしたら僕等が知らないだけで…ずっと昔からいっぱい起きていたのに…誰にも意識されていなかったってことも考えられるけれど…。

なんだか…不安なんだよね…。 何かが起きそうで…。

 亮が感じたその不安は…感度の良い能力者たちが…少なからず感じていた不安でもあった。

 西沢が動き始めたように…彼等もまたゆっくりと…手探りで動き始めた…。
誰が何処でどう動き出したかなんて…お互い少しも知らないままに…。







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続・現世太極伝(第七話 怒らせないで…くれる?)

2006-05-17 22:50:26 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 何かがおかしい…西沢たちが感じたような漠然とした不安は、他の能力者たちにもまったくないわけではなかった。
 ただ…能力者が次々狙われるとか、人類存続の危機とか、何れ自分に必ず関わってくることが明白な場合とは違い、話題にはなっても、だからどうするという動きにまでは至らなかった。
 どう見ても事故以外に考えられない話だから…気の毒だねぇで終わってしまうのが普通と言えば普通で…。

 西沢にしてもどこか異常だとは感じていても何がどう異常かと問われれば答えに窮する。
 何しろ被害者は自分で落っこちたり、溺れたりしているのであって、何かに引っ張られたとか、誰かに突き落とされたとか、霊に憑依されたとかいうわけではなさそうなのだ。
 引っ掛かるのは…その人たちが被害に遭う前に何かを見ていた…ということ。
その何かが彼等に危ない一歩を踏み出させる事態を招いたということだ。

 その時見ていたもの…それを探るために西沢は金井を飲みに誘い…そう言えばこの間ボートから落っこちちゃった磯見くんはどうしてる…?などと言葉巧みに磯見を同行させるように仕向けた。
 勿論…磯見ひとりだけでは妙に勘繰られても困るのでみんなにも声をかけてよ…なんて付け加えたりしておいて…。

 金井は数人のスタッフとともに約束の店に現れた。
磯見も一緒に来ていた。 
どこと言って変わった様子もなく事故が起こる前のままの明るい青年だった。
 金井とは会っているものの他のスタッフとは久しぶりなので撮影の時の思い出話で酒席は大いに盛り上がった。

 その後いろいろ大変だったという話を誰からともなく始め、磯見は怪我がなくてほんとよかったよなぁ…とスタッフのひとりが感慨深げに言った。
 いやぁ…あの時のことはまったく覚えてないんだよねぇ…と磯見がいかにも不思議そうな顔をした。
 磯見…紫苑にゃちゃんと礼をしとけよ…なんて冗談っぽく笑いながら金井が磯見の肩を叩いた。

 ほど良く酔いがまわった頃、突然…頼んでいない料理が席に運ばれてきた。
怪訝そうな顔をするみんなの前に英武が姿を現した。

 「おや…英武…来てたの…? これは僕のすぐ下の弟で英武というんだ。 」

 どうも…シオンがいつもお世話になっています…と英武はぺこっと頭を下げた。
へぇ…弟さん…やっぱり外人っぽい顔で身体もでかいなぁ…と誰かが言った。
紫苑とこはみんな大柄なの?
 そう…兄貴なんか僕よりでかいし…もうひとりの弟も結構でかいよ。
西沢はそう言って笑った。

弟くんはモデルじゃなかったの…?

お声がかからなかったんで…僕って超イケメンでしょ…服が目立たないからぁ…。

ぷぷ~っと誰かが噴き出した。つられてどっと笑いが起こった。

いやあ…確かにイケメン…確かに。 なかなかのイケメンくんだ。 あはは…。

西沢に負けないくらい人懐っこくて陽気な英武に座はすぐに和んだ。
西沢はスタッフの名前を紹介した。英武は笑顔でひとりひとりと握手を交わした。
 
 「で…この人が磯見くん…。 」

 よろしく…と握手を交わして英武は磯見の顔を見つめた。
ひと通り挨拶を終えると自分が振舞った料理を勧め…それじゃ…あちらに連れが居りますのでこれで…などと愛想良く去っていった。

 弟くん…なかなか好青年じゃないの…と金井が言った。周りが同意して頷いた。
伝えとくよ…と西沢は満更でもなさそうに微笑んだ。
 
 
 
 10分ほど前から谷川書店の前を行ったり来たりしながら時折溜息をついている男が居た。
 新人サラリーマン風のその男はガラス越しに店の中を覗いては入ろうかやめようかと迷っているふうだった。

 なんかのセールスで回っている人かな…?と亮は思った。
セールスマンに向かない新人が勧誘に来たのに声をかけられずに困っている…そんな感じだった。

 さんざん迷ったあげく、サラリーマンくんは店の中へ入ってきた。
いらっしゃいませ…と亮が声をかけるとおずおずと近寄ってきた。

 「あのう…高木くんは…高木ノエルくんはいらっしゃるでしょうか…? 
僕…三宅といいます。 」

みやけ…ああ…美咲ちゃんのカレじゃないの…。

 「ノエルなら…今日は早番なのでさっき帰りましたけど…。
住んでるとこ…すぐそこだから呼びましょうか? 」

 えっ…いや…わざわざでは悪いので…。
なに…構わないと思いますよ。 そう言うと亮は携帯を取り出した。

 三宅が恐縮する間もなく、ものの数十秒でノエルが現れた。
早っ…どこにいたの…?と亮が訊いた。 ブランカ…悦ちゃんの新作料理の味見。

 「あの…高木くん…? 」

 はい…とノエルは答えた。
美咲の男が…いったい何の用だろう…と思いながら…。
話があるというのでノエルは三宅を連れてブランカに戻ることにした。

 ノエルたちがブランカに到着する数十秒の間に悦子のもとには亮から…あとよろしく…っと連絡が行っていた。

 他の客から目に付かない席にノエルは三宅を案内した。
三宅は落ち着かない様子でずっと無言だったが悦子が注文を訊きに来るとやっとこさ口を利いた。

 「何…さっきからブルってんの? 」

ノエルは不審げに訊ねた。

 「あ…いや…別に…。 えっと…僕は三宅一也と言って…あの…美咲の…。 」

知ってるよぉ…そんなこと…ノエルは笑った。

 「きみの同窓生の佐々くんから…きみが通夜や葬儀に出てくれたって聞いた…。
誰かが僕と美咲がちょっと前に喧嘩してたって話してたから…きみが疑ってるかも知れない…なんて佐々くんに言われたんで…。
僕が美咲を突き落としたわけじゃ…絶対ないから…。 」

 はぁ? 何言ってんだこいつ…? 佐々にからかわれたの本気にしたのか?
そんで会いに来たってわけ…?ノエルは唖然とした。

 「俺が仕返しでもするんじゃないかってブルってたわけ?
馬鹿馬鹿しい。 あれは事故だってちゃんとテレビでも言ってんじゃん。
 それにさぁ…俺…もう美咲の男じゃないんだし…何でいまさら仕返しに出張らなきゃいかんわけ? 」

 そう言われても…と三宅は項垂れた。
佐々のやつ相手を考えろよな…こんなくそ真面目な男にあほな冗談かまして…。

 「あ…そうか…あんた一年の時の俺しか見てないんだ…。
ははあ…あの頃…相当悪餓鬼だったからな俺…そんでびびっちゃってんだ。
大丈夫だって…根も葉もないことに因縁つけるようなまねはしないってば…。 」

 今は随分と良い子にしてるからさ。 滅多に暴れたりしないし…。
そう言ってノエルはにっこりと笑ったが三宅から完全に警戒心を取り除くまでには至らなかった。

 けれどもノエルに敵意がないことだけは分かったらしく、鞄の中からごそごそと何やら写真のフォルダーみたいな物を取り出した。

 「もうひとつ…きみに話したいことがあるんだ…。 
どう言っていいか分からないけど…ちょっと不可解なことがあって…。
 これ…美咲が最後に撮ってた写真…。 葦嶽山と鬼叫山で撮ったもの。
なんてことない風景写真だけど…。
カメラ…不思議とあんまり壊れてなくって…残ってた。 」

 ふうん…とノエルはフォルダーを手にした。
16枚ほどの写真が収められていた。 どれも遠過ぎたり…部分だけだったり…。
美咲…相変わらず写真撮るの下手だなぁ…。
 
 最後の一枚は…美咲が落ちる直前に撮ったもの…。上から下にある巨石を覗いて撮ったらしい写真だ…。
 おそらく美咲はもう一度同じ場所を撮ろうとして足を踏み外したんだろうが…この写真と同じものを…どうしてわざわざ撮り直そうとしたんだろう?
 動かない石相手で…同じ場所からの撮影じゃ…一~二分の間に何枚撮ったって何の変化もないはずなのに…落ちるほど身を乗り出してまで…。

 「その最後の写真を撮った後に妙なことを言ったんだ…。
下に面白い格好をした人たちが居るって…お祭りだろうか…って。
 美咲は多分その人たちの様子をもう一枚写すつもりだったんだろうけれど…もし本当に人が居たならその写真にも写っている筈なんだ。

 落ちてすぐに僕は下を覗いたけれど美咲の姿の他には何も見えず、もし下に人が居たなら落ちた美咲を見て声のひとつも立てるだろうに…それもなかった。 

 僕の近くには登山中の人がふたりほど居て…一緒に美咲のところまで駆け下りてくれたけれど…。 」

 ノエルはもう一度…最後の写真を見た。お祭り装束の人の姿なんて何処にも写ってない…。
美咲は…何を見ていたんだろう? 

 「どうにも説明がつかなくて…ひとりで考えていてもやりきれなくて…。
だけど…僕の気持ちは…多分…誰にも分かって貰えないだろうし…。
 事故当時に周りの人にも話してみたけど…何かの見間違いじゃないかって…そうじゃなければ僕の聞き間違いだろうって…言われた。
 佐々くんに話を聞いて…ちょっと不安だったけど…きみなら少しは分かってくれるかもしれないって…。 」

 三宅は縋るような眼でノエルを見た。
年上の三宅に縋られても困るんだけど…とノエルは思った。

 「これ…借りてっていいか…? 知り合いに写真のプロが居るんだ。
どこかおかしくないか視て貰ってやるよ…。 
けど…ざっと見た限りじゃ写真におかしなところはねぇけどな。 」

ノエルが突き放さなかったので三宅は少しほっとした。

 「有難う…。 一緒にネガが入ってるから…。
ひとりで…どうしようかと悩んでたんだ…。 」
 
 まるで大親友にでも出会ったかのような笑みを見せた。
何…期待してんのか知らねぇけどさ…甘ったるい顔見せんじゃねえよ…。

 「あのさ…俺…別にあんたのために調べてやろうってんじゃないから…。
別れた女でもさ…あいつ可愛いやつだったからさ…ちょっと供養のつもり…。
 言っとくけど…何も分からん可能性の方が大きいんだから…期待して貰っちゃ困るんだけど…。 」

 ノエルはそう釘を刺したが三宅はそれでも嬉しそうな顔をしていた。
よっぽどみんなに相手にされなかったんだろう…。

 「きみってもっと怖い人かと思ってた…。 佐々くんの話とは随分違うね…。」

 安心し切ったように三宅は笑った。
まるで気のあった友だちとお茶を楽しんでいるような雰囲気で…。

 「佐々の…言うことの方が正しいぜ…。 俺はあんたのお友だちじゃねぇ…。
美咲が生きてりゃ…女挟んでの敵同士だってこと忘れんな…。
 あんまり…馴れ馴れしいとその真面目くさった面の首根っことっ捕まえてトマトにするぞ…。 」

 ノエルの両の瞳が獣のように光った。三宅の背筋に冷たいものが走った。
子猫の振りをした豹…と佐々は三宅に言っていた。

 いい子にしてるんだから今は…僕を怒らせないでくれる…?
ノエルは甘ったるい声で囁き…魔物のような笑みを浮かべた…。







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続・現世太極伝(第六話 親心)

2006-05-16 00:03:03 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 美咲の葬儀が終わるや否やまた嫌な季節がやってきた。
今年は春らしい春がなくて桜も咲いたかと思えばすぐに風雨に散らされた。
 三・四・五月と雨が続いたあげくの梅雨入りで何時そうなったかも分からないくらいだった。
 エアコンをかけても書店の中には湿った空気が籠もって独特の紙の匂いがする。
亮はお客の雨傘の滴で本が傷んでいないかを調べて回った。

 ここでバイトを始めて三年目…木戸が大学を卒業して就職したのでバイトの中では亮が一番の古株になっている。
木戸の代わりに新しい子が入ってきたのでその指導も亮の役目になっていた。

 「その後…ノエルの様子はどう…? 」

 昔の彼女が突然亡くなってノエルが気落ちしているという話をブランカの悦子から聞いた谷川店長は、ノエルがまだ店に現れないうちにこそっと亮に訊ねた。
 
 「ショックはショックだったんでしょうけど…わりと落ち着いていますよ。
実は…彼女にはちゃんと恋人が居たみたいで…。 」

 ああ…それはちょっとばかりいいクッションになったかもな…と店長は頷きながら言った。 
気持ちの上ではどうあれ…言わば…すでに完全に他人なわけだから…。

 ノエルの姿が入り口の扉越しに見えると店長はその件について話すのをやめた。
店長が見た限りではノエルはいつものノエルで悦子が心配するほど落ち込んでいる様子はなかった。
 まあ多少…沈んだとしてもすぐに浮かび上がるだろう…。
西沢さんがついてるんだし…ね。  
 


 生垣の向こうから紫陽花が覗いている。
雨に洗われた上側の花と葉っぱは誇らしげに梅雨の空に向かい、跳ね返りの泥で汚れた下の花はそれでも負けるもんかと踏ん張っている。
汚れた花の陰にも小さなシジミチョウが安心したようにとまっていた。

 渡す物があるから早く取りに来いと母親からメールが入って、ノエルは久々に実家に戻ってきた。 
 家の玄関をくぐった所で、仕事で留守だとばかり思っていた父…智哉とばったり鉢合わせした。
 特には文句をつけることもなく、智哉は何も言わずにさっさと自分の部屋へ引っ込んでいった。

 ノエルの家は何代か前から近隣の小中学校の校章や制服など学校関係の必要品を取り扱う店を経営している。
この地区以外にも幾つか店があり、智哉の弟や母の弟などが店長を勤めている。

 ノエルが高校に入学してすぐ、当時はまだ独身だった叔父が急な病気を患ったため、母が急遽、叔父の店の切り回しと看病に行くことになった。

 入学した高校がたまたま叔父の家に近かったノエルも、店の手伝いをするために母について叔父の家へ向かった。
 言ってみれば母の転勤についていったわけだが、叔父は半年ほどで回復して店に出られるようになり、母とノエルも智哉と千春の待つ我が家へ戻った。
 
 父親との間にまだ何の蟠りもない頃で、学業に少々難ありでも悪友たちと屈託なく過ごし、美咲や他の女の子たちとも結構遊んで、大いに青春を謳歌した。

 それが…どうよ…。

通学途中のバス事故で身体中精密検査を受けたノエルは重大な事実を知らされる。
智哉にとってもそれは大ショック…半分…女ぁ…!

 ここのところ少しは歩み寄りを見せているものの…それからの父親との関係はずたぼろ…。
 外で悪さしなくなった代わりに学業に力を入れ…家で部屋に閉じ籠っている手前それなりの結果を出さないわけにもいかず…二年・三年と少しはまともに見える成績を残したものの智哉の機嫌は直らなかった。
  
 父親が在宅していることにノエルが怪訝そうな顔をしているのを見て、母はホワイトボードを指差した。

 「本店が改装中なんだよ…。 倉庫の方は修理で…一週間ほどかかるから…。
終わるまでは支店回りと電話注文だけ…。 」

母はそう言いながら何やらテーブルの上に保温ケースを置いた。

 「この前…お父さんが北海道へ行ったんでそのお土産…。
向こうから送ってもらったのが今日届いたのよ。 蟹と帆立…蛸もあるかな…。 
西沢さんや亮くんに持ってってあげて…。 」

 みやげ…親父がぁ…? 雨降るぞ…って当たり前に降ってるけど…。

 黙って貰って行くのも悪いと思い、ノエルは智哉の部屋を覗いた。
智哉は伝票片手にパソコンと向き合っていた。

 「みやげ…ありがと…。 」

 ノエルがそう言うとチラッとノエルの方に眼を向けたが、ん~と唸るような返事をしただけだった。
ノエルがちょっと肩を竦めて帰ろうとすると、急にノエル…と呼び止めた。

 「おまえ…家の後を取るにしても…直ぐに俺たちと暮らさんでいいからな…。
店の仕事さえしっかりやってくれれば…俺は文句はねぇ…。
 居させて貰えるだけ…傍に居させて貰ったらいい…おまえの気の済むように…。
出て行けと言われたら…戻って来い…。 」

 何のこと…?と…ノエルは思った。
けれどすぐに…智哉が西沢のことを言っているのだと分かった。

 「西沢さんはまだしばらくは…おまえを置いてくれるかも知れん。
けど…いつかは…結婚して家庭を持ちなさるだろう。
その時には…邪魔にならんように…我儘言わんと帰って来い。 」

 いつかは…。 そんなこと…分かってる…。
きっと…そんなに遠い話じゃないことも…。

 「何言ってんだか…。 俺はただの居候なんだから…そんな話があったら…直ぐに出てくるに決まってんじゃん。 」

 ん~とまた智哉は唸るように返事をした。 分かってるならいい…。
それきり…帳簿と睨めっこを始めた。

 保温ケースを抱えてノエルは西沢のマンションへ戻った。
この土産は父親が…最愛の息子ノエルの中に居るもうひとりのノエルという娘のために考えた…娘の大切な人への精一杯の心遣い…。
 絶対に息子であると確信しながらも…そこだけは譲れないと思いながらも…ノエルが少しでも幸せであるようにと願う気持ちの表れだった…。
 
 何度も溜息をつきながら…ノエルはケースの中身を冷凍庫に入れた。
滝川先生なら…うまく料理してくれるだろうな…。
紫苑さんは今…仕事で手一杯だから…。

 「何してんの? 」

 背後から亮の声がした。
いつの間にか亮が帰ってきていた。
そう言えば…今日は新人くんの当番だったな…。

 「実家から親父の北海道土産貰ってきたんだ。
紫苑さんと亮とで分けろって…。 家へ帰るとき半分持ってけよ。 」

 有り難いけど…僕はひとりだからさ…親父いつ帰って来るか分かんないし…。
亮はそう言って笑った。

 「んじゃ…亮もここで食べてけばいいよな…。 
…って言っても…僕…料理できないし…亮…どうすればいい…? 」

 鍋って季節じゃないしね…。 すっげぇぶっとい足だから焼き蟹にしようぜ…。
亮が帰ってきたお蔭でノエルはとことん落ち込まずに済んだ。
ふたりで大騒ぎしながらあれこれ考えているうちに切ない想いも消えていった。



 確かな情報かどうかは分かりませんが…と玲人は前置きした。
いつものように鍵なしでふらふらと現れて、滝川に睨みつけられながらも何処吹く風…玲人はある意味大物かもしれない…と西沢は思った。

 「ここんところ…あちらこちらで妙な事故が多発していまして…。
それもほら…例の与那国のような巨石群のある場所で…。
 この前のノエル坊やのお知り合いのように崖などから落ちたり、磯見くんのように海や川で溺れたりで…。

 目撃した被害者の近しい人に依りますとね…一様に何かを見て誘われるように前へと進んでいくんです。
ところが傍にいても他の人には何も見えていないんですよ。
 そうしたものを感知する能力のある人たちなのかな…と最初は思いましたが被害者は能力者ばかりじゃないんです。
ほとんどが…ごく普通の人なんですよ。 」

 何か幽霊話みたいだな…と滝川が言った。
まさにそんな感じです…と玲人は答えた。

 「実は…坊やには話すべきかどうか迷ったんですが…あの娘さんもカメラを覗きながら妙なことを言っているんです。
 ねえ…下に面白い人たちが居るわよ。
何かのお祭りかしら…。
…ってなことをね。 
 でも…下には巨石があるばかりで…娘さんの見ていたようなお祭りみたいな装束の人間は居なかったんです。 」

 美咲は何を見ていたんだろう…? 
磯見も…海に落ちる寸前まで何かを見つめていた。 
気がついたときは何も覚えてはいないようだったが…。

 西沢は被害者が見ていたものを知りたいと思った。
それが分かれば何かが掴める…そう感じた。

 少し危険だが…磯見に近付いてみようか…。
あの時、磯見が何を見たのか…英武なら簡単に読み出せるはずだし…。
 発生場所が広範囲にわたっているから…ほとんど在り得ないことだが…もし…幽霊話だというなら…ノエルや千春ちゃんの力が必要になる。

 太極が少しでも異変を感知していてくれると助かるんだけれど…五行の気たちでもいいから何か情報をくれないかなぁ…。
 そう思ってはみたが…気たちのスケールはあまりに大き過ぎて、地球規模で起きていることならともかく…人間ひとりふたりが崖から落ちたからといってそれを異変とは感じられないだろう。

 取り敢えずできることを考えよう…。
これが異常な事態でないなんて人間の僕には思えないから…。







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続・現世太極伝(第五話 突然の別れ)

2006-05-13 23:30:46 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 光射すエメラルドグリーンの海と堂々たる建造物のような巨石の群れ…。
西沢の眼に今も残る与那国の海底の神秘的な光景…。
 仕事場に籠もって浮かぶ限りのイメージを再現してみる…。
水深25メートルの海の中でありながら…さながら宇宙のようでもあるその姿…。

 帰ってからすでに何作かを仕上げたが…これだけは手元に置きたいと思う作品が未だ完成しない。 
依頼された品ではないから慌てなくても構わないんだけれど…。

 西沢は相庭から渡されたスケジュール表を見た。
それほどの急ぎではないけれど…幾つかまとまったものが入っている。
 さっさと仕事を片付けた方が良さそうだ。
碧い世界の夢は後回し…。

さて…始めようか…と新しい画用紙を睨んだ時、不意に玄関の鍵を開ける音が静かな部屋に響いた。
ノエルだな…と西沢は思った。
いつもならすぐに顔を見せるはずなのにしばらく経っても物音もしない…。

 不審に思った西沢は仕事部屋を出て居間の方へ向かった。
居間に姿はなく…奥の方から気配だけ感じた。
 寝室か…。
籐のソファで蹲っているノエルを見つけた。

 「ノエル…具合悪いのかい…? 」

返事はなかった。顔もあげなかった。

 「御腹…痛むんだね? 」
  
 俯いたままノエルは小さく頷いた。
西沢はそっとノエルを抱き上げた。

 ベッドに降ろされたノエルは情けなさそうな顔をしてできるだけ西沢と眼を合わせないようにしていた。

 西沢はしばらくノエルの下腹辺りに手を当てて具合を診ていたが、ノエルを安心させるように微笑んだ。

 「痛む…というよりは…ちょっとばかり怖かったんだろう…ノエル…。  
大丈夫…少し傷ついている程度だから…もう…出血もないと思うよ…。 」

 ノエルはほっとしたようにようやく西沢の顔を見た。
ノエルの頭を優しく撫でながら西沢は頷いた。

 「無理をしてはいけないよ…ノエル…。 ノエルは赤ちゃんだって言ったろ…。
亮がきみに我儘言ってるのは分かってるけど…きみもちゃんと断らなきゃ…。 
亮のことがどんなに好きでも…だめな時はだめって言いな…。 」

 西沢に言われてノエルは悲しそうな笑みを浮かべた。
ほんとは…好きとか嫌いとかの関係じゃないんだけど…そう見えちゃうよね…。
誤解されるようなこと…してるんだから…。

 「ノエル…僕と同じ間違いをしてはいけない…。
英武の発作的な暴力に…僕は黙って耐えてしまった…。 
 それがかえって英武の病気をひどくさせて…英武を苦しめることになってしまったんだ…。

我慢しても決して亮のためにはならない…。

 僕の場合は打撲や裂傷だし…僕自身が治療できるから何とでもなったけど…きみの場合は女性としての機能にも影響するんだよ。
自分を大事にしてあげないと…大切な身体なんだからね…。 」

 ノエルの腹部に手をあて治療をしながら西沢は諭すように言った。
堪えきれなくなったのか…ノエルはひと粒ふた粒涙を流した。

 「だって…亮は…今…すごくつらい思いをしてるもん…。
いくらひとりに慣れてたって…お母さんと別れるのは悲しいに決まってる。
僕に触れることで亮の心が少しでも楽になるなら…それで…。 」

いいや…と西沢は首を横に振った。

 「ノエルは優しくていい子だ…。 でも亮を甘えさせちゃいけない…。
亮はもう立派な大人なんだから…自分で乗り越えられる。
 そんなことにきみを利用しちゃいけないんだ…。
きみに触れるなら…純粋にきみを愛したい時だけにするべきだよ…。
勿論…きみの身体の状態に応じて…ちゃんと配慮して…。 」

普段…男なのに…時によって女より女っぽくなるのが不思議だ…と西沢は思った。

 詳しく心理学を学んだことはないが…男性の中に女性的な面があったり、女性の中に男性的な面があったり、そういうことは別に問題視されることもなく普通によくあることだ。
 だから…ノエルの中に女性的な面があってもそれを一概に両性具有だからだ…と決めつけることはできない。
彼等…第三の性の持ち主の中にも…いろいろなタイプの人が居るのだろうし…。
 けれども…ノエルの両極端な行動を見ていると、どうしてもふたつの性の混在を意識せずにはいられなかった。

 「もう…起きていいよ…。 本当は恭介に診てもらうといいんだが…。
僕のヒーリングは言わば真似事だからね…。 」

 ノエルは起き上がってお腹を押さえてみた。
さっきまで硬くなっていたお腹が少し楽になった。
 
 「紫苑さん…前にもちゃんと治療してくれたのに…どうして? 」

そう訊かれて西沢は悪戯っぽくにやっと笑った。

 「僕には…ヒーリングはできないことになっている…テレパシーやリーディングなんかもね…。
 家門なんてものを背負っているとね…何にもできないと思われていた方が何かと都合がよくてね…。
 子どもの頃に派手に家を一軒ぶっ壊しちゃったからサイコキネシスだけは…もう誤魔化せないけれど…。 」

 大きな力を持っているということは…なかなか面倒なもんなのさ…。
力なんて全然無いって顔していた方が楽なんだ…。

 「そんなもんかなぁ…? 何でもできた方がかっこいいと思うけどなぁ…? 」

 症状が緩和されて身体も気持ちも楽になったノエルは俄然元気な顔を見せた。
女から男へ変わる瞬間のノエルの顔…。
 不謹慎とは思うがノエルの感情や行動は西沢としては非常に興味深い…。
無論…研究対象にしているわけでも玩具にしているわけでもないけれど…。



 会いに来る…と美咲は言っていた。
本当かどうかは分からないけれどノエルの気持ちを確かめるために四年も待っていてくれたという言葉は嬉しかった。
 けれど…同時に悲しかった。
待っていて貰ってもどうしようもないんだ…。

 悦子のでたらめな説明で…かえってややこしいことになってしまった。
この際…これ以上とんでもないことにならないうちに事実を話そう。
その方が美咲のためだ…。 今度会えたら…絶対…話そう…。 
ノエルはそう決心した。

 西沢は仕事をしているし、滝川はソファで寝息を立てているので、ノエルはひとりテレビを見ていた。
 遅番の亮がバイトから帰ってくるまでは話す相手もない。
かといって今日は…いつもだけど…何となく勉強する気にもならない。

 見ていた番組が終わってニュースが始まったのでチャンネルを変えようとリモコンを取った時…ノエルの耳に美咲の名前が飛び込んできた。

 えっ…?

ノエルの眼が画面に釘付けになった。
『…の観光地…葦嶽山で女子大生が写真撮影中に足を滑らせ…。』

 足を…滑らせ…転落…。

嘘だ! 違う! 美咲じゃない!
ノエルは思わず叫んだ。

 その声で滝川が飛び起きた。
ニュースの画面はすでに別の事件に変わっていた。

 「どうした…ノエル…? 」

 けたたましく電話が鳴った。
呆然としているノエルをそのままに滝川が受話器を取った。

 「おや…悦ちゃんかい…。 ノエル…居るよ。 ちょっと待ってね…。 」

 ノエル…と滝川は受話器を渡した。
ノエルは震える手でそれを受け取った。

 『ノエル…落ち着いて聞いてね…。 今日…事故があって…。 
もしかしたら…ニュース見たかも知れないけど美咲ちゃんが…亡くなったの…。
 明日がお通夜で…明後日がお葬式…。
ノエル…なんて言っていいか分かんないけど…悲しいよ…。 』

電話が切れるとノエルはがっくりと膝をついた。

 西沢が仕事部屋から出てきて滝川を見た。
友だちが事故に遭ったらしい…と滝川は言った。
 
 嘘だろ…だってまだ…この間…四年ぶりに会ったばかりだ…。
会いに来るって…言ってたじゃないか…。

 「こんなの…嘘だ…。 絶対…嘘だ…。 」

 現実を受け入れるには美咲と会わないで過ごした日々が長過ぎた。
四年の歳月の中で…美咲が傍に居ないのが当たり前になってしまったから…この世から消えてしまったなんて余計に信じられない…。
ただ…ここに居ないだけ…会えないだけ…そうとしか思えない…。

 突然の訃報に衝撃を受け、身動きできないノエルの後ろで、ニュースを伝え終えたテレビがひとり楽しげに騒いでいた…。



 香田家の通夜の席では若い命を悼む声があちらこちらで囁かれた。
ノエルが焼香を済ませると高校時代の同窓生たちが懐かしそうに近寄ってきた。
 この町で暮らしたのは高校時代だけで、卒業するとともに元々住んでいた土地へと戻ったノエルには卒業して以来の再会だった。

 「でさ…デジカメ忘れたらしくて…インスタントカメラ買ったみたいで…ファインダーを覗きながら崖下の光景を写そうとしていたらしいんだよね…。
 あんまり崖の縁っこまで近付いていくんで心配になった三宅がさ…危ないから足元に気をつけるように声をかけて…何気なく後ろを向いた直後に真っ逆さま…。
デジカメだったら…ファインダー覗かなくても良かったかもな…。 」

 同級生のひとりが事故の様子を話してくれた。
三宅…? ノエルは思い出せない名前だと思った。

 「ああ…二年上の先輩で…美咲の今の彼氏…。
ほら…あそこに親戚みたいな顔して座ってる男居るだろ…あれだ。
 ちょっと前に喧嘩して別れて…またくっついて…さ。
仲良く旅行に行ったところが昨日の事故…運がねぇよな…。 」

 はぁ…美咲のやつ…やっぱり彼氏居たんだ…。 調子のいいこと言って…さ。
それでもノエルは少しほっとした…。
 四年間…ノエルのことだけ想ってたんじゃないってことが分かって…かえって気が楽になった。
 もし…美咲がずっと想い続けてくれてたとしたら…ノエルにとっては美咲の死が重過ぎるほどの荷になるところだった。 
 
 「三宅が…巨石群巡りが好きなもんで…ふたりでよくあっちこっち出掛けてたみたいだけど…まさかこんなことになるとはなぁ…。 」

 巨石群…? 何だかこの頃そればっか…。 流行ってんのかなぁ…?
同窓生の話を聞きながらそんなことを思った。

 時々会いに来るね…美咲の最後の言葉…。
もう…会えなくなっちゃったな…。
本当に…お別れだな…美咲…。
 こんな不幸が起きる前に…おまえが幸せでよかったよ…。
ノエルは心からそう思った。
遺影の美咲は明るく楽しそうに笑っていた。






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