テムテムな日常

頑張れみんな!頑張れ自分!

外国人介護職員を受け入れるにあたって

2006-04-13 | 介護職

昨日の記事の続きです。

「フィリピン人介護福祉士の受け入れに賛成」なんて書いておきながら、なぜ賛成なのかがすっかり抜けていましたね。一晩じっくり考えたことを今日は記事にしたいとおもいます。

まず、現在介護の現場では、圧倒的に人手が足りていないということ。安い人件費で即戦力になる人材はどこの事業所でものどから手が出るほど欲しいものだと思います。しかし、その「即戦力」の線引きがかなり曖昧なのも事実。自分なりに「もし、フィリピン人介護職員さんと一緒に仕事をするなら・・・」ということで考えてみると、基本的なことですがスタッフとの意思疎通が必要不可欠です。医療・介護の現場ではそれなりに難しい専門用語も覚えなければなりません。記録もできれば、自分でして欲しい。それから当然のことですが、利用者とも意思疎通が図れなくてはなりません。

介護が必要なお年よりは、さまざまな疾患や既往症などから、往々にして発音が不明瞭なことが多いのです。それに地方では「方言」もあります。認知症を患っているお年寄りとのコミュニケーションは、的を得ないことが多く、それでも「説得するより納得してもらう」ことを優先します。普通に母国語として日本語を使っている私たちにも難しいお年寄りとの「言語コミュニケーション」・・・果たして日本語を学習して数年程度の外国の人がどれだけできるのでしょう。

身体介護や生活援助といった、極端に言ってしまえば「口を開かなくてもできる業務」は、外国人であろうと日本人であろうと同じです。ではそこにある違いは何か。なぜ「外国人に身の回りのことをしてもらうのはイヤ」なのか・・・そこに立ちはだかるのは間違いなく「言葉の壁」です。言葉の壁は、自ら乗り越えてもらうしかないのです。教えられて理解でき、身につくこと以上の「コミュニケーション能力」を要求されるのです。

「そんな仕事はさせなくていい。業務だけこなせればいい」という人がいるかもしれません。それなら今日本中にあふれている「失業者」とか「シルバー人材」とか「ニート」とかを雇えばいい話ですし、そのほうが日本の景気もよくなるはずです。「介護職員」として雇うなら、必要最低限は日本人と同じ仕事をしなければ意味がありません。

それが可能になるなら、私はどんどん外国人介護職員を受け入れればいいと思うのです。そこまでのやる気があるなら、どんどん来日して欲しいのです。やる気のある外国人の出現は、なんとなく介護の仕事をやっている者たちにとっては脅威になります。今まで人手不足のため「切磋琢磨」という環境になかった介護職員たち・・・自分達もどんどんスキルアップしていく機会をもたないと、自分達の地位はあっという間に外国から来た介護職員さんに奪われるでしょう。その結果、利用者さんたちにはよりよい介護を提供できるようになるはずです。人手も増えてゆとりもでき、利用者さんも満足・・・ここまで来るのにはたしてどれくらいの年月が必要でしょうか。

私が「日本語教師」に興味を持ち続ける理由・・・それは、私の大好きな国タイもいつの日か、労働力としてのマンパワーを日本に送り込んでくるだろうから、そのときになにか少しでも役に立てることをしたいと思っているからなのです。現職介護職として、現場でちゃんと使える日本語が教えられる知識を身につけたいのです。このブログには少なくとも2人、現職日本語教師の方が訪れてくださっているのですが・・・どう思われますか。ぜひご意見をお聞かせ下さい。介護に携わっておられるみなさん、一緒にこの問題を考えませんか?


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7 コメント

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この分野では (mizzie)
2006-04-14 00:50:23
高齢化と少子化が同時進行する日本で、それらの対策としての介護者問題では日本はフロンティアになってしまったようです。前例踏襲しか脳が無いクズ官僚どもには、ちと荷が重いかな?とも思いますけど・・・。



 優秀な、やる気にあふれた外国人労働者が沢山やってきて、それが最終的に介護職全体のレベルアップに繋がるのならば、それは歓迎されるべきでしょう。

 ドラスティックな政治改革でも起きない限り、少子高齢化が今後も進み続けるであろう日本では、移民を受け入れるしか生産力人口を維持する方法は無い訳ですし、きちんとしたビザを与え、日本人と同待遇が与えられるのならば、技術と知識とやる気のある外国人労働者の参入は、ぬるま湯に漬かってきた日本人労働者には、自己啓発へのいい刺激となるでしょう。



 しかしながら、これまで様々な職業を経験してきたmizzieの意見としては、介護職は仕事のハードさ、責任の重さ、要求される技術と知識の高さの割には、待遇と報酬が低過ぎです。

 そこを改善せずに外国人介護職者を受け入れたとしても、今度は彼等が燃え尽きてしまったり、労働許可を利用してビザ有効期間中に他職種に転職したりする危険性が生じ、結果、「やっぱり東南アジアじゃダメなんだ」とか、根拠の無い偏見や自民族中心主義に繋がりそうで、怖くもあります。



 順序としては、その仕事の質に相応しい待遇を保障(介護福祉士に、修了者への待遇UPを事業者に義務化するステップアップ研修制度を導入しようとする動きもあるようです。)し、その後、公式に身分を保証し、意志さえあればこの国でも這い上がっていける、その道を用意してから外国人労働者を受け入れ、意識の低い日本人介護職者には退場して頂くべきだとmizzieは考えます。



 その準備をせず、安易に低賃金労力として彼等を受け入れても、そこで得をするのは厚労省と財務省だけで、それは結局この業界の質と、彼の国の評判を貶める結果にしかならないのでは?と僕は危惧します。
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Unknown (チョムプー)
2006-04-14 10:35:01
mizzieさんのおっしゃることに、非常に納得してうなづいていました。

そもそも東南アジアではそれでなくてもステップアップ、賃金アップのために、転職は気軽になされます。

日本企業は、せっかく優秀な人材だと思って日本で研修させたり勉強させたりして育てても、それで技術を習得するとあっさりタイ企業の上の位置に行くために転職されてがっかり・・・(経費的な面だけでなく、心情的にも。日本の会社は社員は家族という意識があるから)ということは多々あります。

このように、ひとくちに外国の方を受け入れるというのは、まったくちがう文化、そして道徳観を受け入れることでもあるんですよね。

そこが問題なのです。

アメリカのような、移民受け入れプログラムがしっかりしているところでも、大量の移民がもってくる貧困と、その貧困のために国際的・社会的・衛生的な道徳観を学んでこられなかったという状況によるモラルの欠如、そして言葉も通じないという他国に来るという精神的な不安感、それらの「負」の部分も流れ込んでくる、という事態に対処できていないのが実情です。

日本人はそれでなくても、同じ日本人同士でもちょっとちがうだけで、排他的であり、いじめがおこってしまうでしょ。

だからまず、日本人1人1人がもっとオープンマインドになれるような経験をし、教育をうけ、なおかつ、日本という国の美風がそこなわれないように、海外から住みに来る人にことばだけでなく、道徳的なことも教え、かつあたたかく相談にのってあげてそのひとたちが孤立しないように、そして文化の違いからくる「誤解」によって悲しい事態が起こらないような(そういう事件がありましたよね)、そんな対策もとっていることが必要なのです。

だから一度に大量の方を受け入れるのはむずかしいので、少しずつ試験的に受け入れていって、行政府はその現場の声をよくきき、めんどうがらずにしっかり考えてほしいし、また日本人たちも政府が悪いなんだいうまえに、自分たちもしっかりしなければいけないんだなあと思います。

あたたかく、うけいれようとやる気のある職場で、まずきちんと受け入れについて話し合い、そしてやってみること!それがいいと思います。

アメリカにも東南アジアにも住んだことのある私の感想です。
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つけたし (チョムプー)
2006-04-14 10:37:52
故郷を離れるというのは精神的にもたいへんなことです。日本に来られる外国の方が、「日本は第2の故郷」と思えるように過ごしていただけなければ。私がタイを「第2の故郷」と思っているように。
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Unknown (meew)
2006-04-14 15:59:38
介護福祉士の仕事内容とその報酬のバランスについては、実情がわからないので、コメントを避けます。(実はこの辺が一番問題だったりするのかもしれませんが)先日見たテレビ番組の中でフィリピン人が言ってたのですが、「水商売やダンサーではなく、尊敬される仕事につける事がうれしい」そのようなことを言っていました。人のためになって、胸を張って人に誇れる仕事が介護の仕事だと言っていたんです。(たしかに番組の中でも、給料は比べ物にならないくらい減ってしまうが、それでも介護の仕事をしたいと言っていました)その言葉には打たれました。



相撲界では、部屋に入る条件に「日本語が話せること」というのがあるそうです。どのくらいの日本語が条件なのかわかりませんが、あの厳しい上下関係の世界では日本語ができなければやっていけないでしょうね。以前教えていたイラン人、建設関係の仕事をしていたイラン人ですが、独学でかなり話せるようになっていました。「必要に*せめられて(迫られて)、おぼえました」と言っていましたが、この誤用が彼の状況を物語っているでしょう。



興行ビザでの日本入国が難しくなったから、介護士で日本へと考えるフィリピン人もいるかもしれませんが、そう簡単なことではないでしょうね。今度は日本語ができないと困るのですから。尤も介護関係の試験に合格するくらいなら、十分日本語ができると言っていいのではないかと思いますが。それでも、文化の違いや、方言などで悩むこともあるでしょうけど。



これは極論だし、本当はこうあってほしくないんですが、日本語がどんどん乱れている今、日本人の日本語と外国人の日本語がいずれそう違わなくなる日がくるのではと思っています。今までは日本人だけで話していた日本語も、non-native speakerが増えてくると日本語も変貌するのでは。両者の間にそれほど問題がなくなるのではと、思います。この予想は日本人の日本語力低下がベースになっているので、「問題がなくなる」という予想は当たり、なおかつ、(日本人の日本語が低下しないで)日本語も変貌しないというのが理想なんですが。
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みなさんのコメント非常に参考になります (hana(本人))
2006-04-14 23:06:02
今日は、問題が問題なだけにみなさんのコメントが盛りだくさんですね。非常にうれしく思っています。同時に、この問題はやはりもっと時間をかけてじっくり論議されなければならない問題であって、そのなかに内在するさまざまな過程についても、もっともっと考える時間が必要なことだと改めて感じました。みなさんの意見を参考に、また自分なりの意見を記事にしたいと思っていますし、できれば「えらいさん」たちに投書でもしてやろうかと思っています。



>mizzieさん

mizzieさんのおっしゃる「順序」が確立されるのはいつになるのでしょうか・・・。もう今年中にも早ければ外国人介護士たちは入国してきます。mizzieさんの悪い想像が現実にならないように、なにかできることはないのでしょうか。



>チョムプーさん

少しずつ試験的に受け入れる・・・これは基本ですよね。ただでさえ「東南アジア」というだけで自分より低く見てしまいがちな日本人が多いので、せめて日本で働く意思のある外国の方々がそういった偏見で見られないような国になって欲しいものです。



>meewさん

私が外国人介護士受け入れに賛成なのも、実はそのへんのことあってなのです。東南アジアから仕事を求めてやってくる人の何割かが風俗・飲食業である昨今、それ以外の仕事、賃金だけでなく「やりがい」を求めてやってきてくれる、というのは非常に嬉しく思うし、彼らの母国に対する無意味な偏見や差別を打破することにも繋がると思うのです。そのために自分のできることはなんだろう・・・とにかく日々の仕事を一生懸命するしかないのですけどね。
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Unknown (こう)
2006-04-14 23:30:24
こんばんは、hanaさん。

んんんーーーー私には難しい話題、

そして難しいコメントがずらりです。



簡単でちょっとオバカちゃんなコメントになりますが、ごめんなさい。



日本人である私自身、日本語をきちんと使えてません。

敬語や謙譲語、時には滅茶苦茶です。

時々言葉に厳しい利用者さんに叱られたり^ ^;

まずは日本語を学ばないと・・・そう思いました。



オットには、

頑張らないと追い抜かされるよ、言われてます。

ダラダラ仕事をする、手を抜く事を考える日本人よりも、

生活の為、そして誇りを持って仕事に励む彼らは、

きっと日本語もどんどん上達するんじゃないでしょうか。

そして、いつしか・・・追い抜かれるんじゃないのかな・・・なんて。

日本人の中には、どれだけ介護(仕事)に誇りを持ってるか。

とりあえず、何となく働いている、そんな人が多いかと。

私もその1人かもしれません。



制度云々は置いておいて(分かんないので^ ^;)

私は少なからず賛成です。

ただ、利用者さん達の年代的に、

受け入れられるかどうか・・・ですよね。

うちには、相撲界に外国人がいる事すら許せない利用者さんがいます^ ^;

施設を、未だに姥捨て山と勘違いしてらっしゃる方がいるくらいですし。

どうなっていくのか、私も楽しみでありちょっと不安です。



低レベルなコメントでごめんなさい^ ^;
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私もです (hana(本人))
2006-04-15 23:51:40
>こうさん

私も実は固い文章苦手なので・・・真面目に書いてみましたがやっぱり自分には無理がありました(汗)。

受け入れられるかどうか・・・そうですね。たしかにそれも大前提ですね。でも時間はかかるかもしれないけど、少しずつでいいから受け入れてもらえるようになればいいなぁと思うのです。私だってはじめは利用者さんとなかなか打ち解けられなかったですし、そういった経験は年齢・国籍・経験に限らず誰もがもっている、乗り越えていくものではないかと思っています。
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