京都の人は往々にして「裏表がある」とよく言われますが、京都市内、それもおもいっきり街中にある私の勤務先の老人ホームはとくにそういった傾向の方が多いような気がします・・・。私のような他府県出身者にとって、京都人の「本音と建前」には非常に分かりづらく、気を遣います。それでもまぁ、仕事だから仕方ないんですけどね・・・。
日本も、「格差が広がっている」と最近よく言われていますが、ホームのなかでも、「おばあさんにお金を使わせないで下さい!」と逐一言ってくる家族もいれば、米寿のお祝いにと仕出し料理が配達されてくる家もあり、正直こちらとしても戸惑ってしまいます。かといって、そんな「お金持ち」の家の利用者の日常生活品がきっちりそろっているかというと・・・意外とそうでもなかったり、また逆に、生活保護等を受けておられる利用者の持ち物のほうがブランド品だったり・・・こういうのって「格差」っていうんでしょうか??
老人ホームという場所の特性から考えると、あまりに開きすぎた格差というものは、集団生活において妨げになるのかなぁ・・・とも思うのですが、ホームを「終の棲家」と考えた場合には、それぞれの家計、それぞれの金銭感覚というものもあって当然かとも思います。とはいえホームなんかが「終の棲家」だなんて可哀想すぎますし、最期ぐらいは家で・・・という気持ちもあっていいはずです(とはいえなかなかそういうふうにもできなくて、大半の方が入院先の病院で亡くなっている現状もあるのですが)。
介護保険によって受けられるサービスというのは、いつ、誰から受けるものであっても同じものでなくてはならないのは当然ですが、同じサービスをしても受け止め方が人によって違うように、「誰もが満足できるサービス」なんてものはないのかもしれません。裕福な生活をしていた人にとっては、介護保険から受けることのできるサービスなんてたかが知れてるだろうし、つつましく苦労して生活してきた人にとってはまた別の受け止め方があるでしょう。それぞれ個人の事情があって、現在同じホームで生活しているけれども、やっぱりそこにはしっかりと「格差」があるのかもしれません。
格差があることがいい悪い、ではなくて、それぞれのライフスタイルをまっとうできるように援助するのが介護職としての勤めなんでしょうけど・・・人の感情はそんなに簡単に単一化できるものなのでしょうか?家族も無く、生活保護を受けておられるため貯金もなく、衣類だって退所された方のものを再利用して着ている方がおられる傍ら、週に一度は家族から高級寿司の差し入れがあり、職員になにかと金品を渡そうとする利用者もいる状況って・・・不自然じゃないですか?