陳以平氏 医案 気虚腎虚 湿熱内蘊 脈絡瘀阻案
(中医雑誌1985年 第8期より)
陳以平氏は1938年生まれ、女性老中医。徐嵩年氏(2003年4月逝去)退職後の上海龍華病院の腎臓内科の主任教授、現在は退職して同病院顧問、上海中医薬科大学の教授です。1985年当時では龍華病院では腎生検は一般的に行われていませんでした。1990年に入ると腎生検例が100例を越えて来ています。龍華病院の腎臓内科において、西洋医学的形態学(腎生検)が一般化してきたのは陳女史の代からです。
患者:陳某 33歳 男性 腎炎専科491号
病歴:
1983年初め、上気道感染発熱後に醤油のような小便が出現、尿蛋白定性(3+)、細胞成分(3+)、24時間尿蛋白6~8g。某病院に入院検査で、Cre1.26mg/dL、アルブミン/グロブリン値(2.7/2.4)、IgG670mg/dL、IgA240mg/dL、IgM230mg/dL、C3 1.5U(国際単位)、ASLO:500U、
治療内容と経過
プレドニゾン(合成副腎皮質ステロイドホルモン)
消炎痛(インドメタシン:腎機能悪化の恐れがあります)
山海棠
(功能:行気止痛,活血祛瘀。全草は平、根と果実は温とされます。中成薬 昆明山海棠片は免疫調節、抗炎の作用があり;リウマチ性関節炎とリウマチ様関節炎、慢性腎炎、全身性エリテマトーデス、血小板減少症、免疫性溶血性貧血、甲状腺機能亢進症、多種皮膚病などに用いるとあります。中医は自己免疫性疾患によく併用します)
以上の治療を受けたが、尿蛋白の低下が明らかでなく、
倍他米松(ベタメサゾン)点滴3日間、その後
シクロフォスファミド220mg静脈注射 週に2回にて、24時間尿蛋白定量値は下降、但し肉眼的血尿が出現、シクロフォスファミドを中止して、硫??呤(アザチオプリン)に改めたが、胃部の不快感が生じ中止した。(投与量の詳細については不記載)
コメント:腎病で使用される免疫抑制剤の副作用の特徴
抗がん剤のシクロフォスファミド(日本での商品名 エンドキサン)の副作用の一つに出血性膀胱炎があります。抗癌剤のアザチオプリン(日本での商品名 イムランなど)の副作用で多いものが嘔気、嘔吐などの胃腸症状です。日本でも、免疫抑制剤として、特にステロイド単独で有効性の無い或いは少ない、いわゆるステロイド抵抗性の腎炎、ネフローゼ症候群に多用されています。骨髄抑制は免疫抑制剤の共通の副作用です。私も20年前ごろまで、かつては多用しました。
陳女史の外来受診時所見:
24時間尿蛋白定量2.25g、Cre1.35mg/dL、BUN 11.1mg/dL、内因性クレアチニンクリアランス90ml/分。プレドニゾンは毎日30mg投与中。
某病院での腎生検報告:(ドクター康仁が、病理所見を和訳して以下に述べます)
診断:増殖性糸球体腎炎(原文 系膜増生型腎炎)
光学顕微鏡所見:
糸球体10個を含む腎組織が得られ、3個の糸球体には(部分的な)半月体形成があり、糸球体血管とボウマン嚢の癒着があり、糸球体係蹄壁の(繊維性の)肥厚が比較的顕著で、メサンギウム基質の軽度の増加、糸球体の細胞成分は軽度に増加、近位尿細管上皮細胞の腫大と細胞質変性(原文では濁腫)、腎間質の局所的な炎症や間質の血管には明らかな損害象は無い(原文では腎間質血管未見明顕損害)
蛍光抗体法所見:
IgG(2+)、IgA(+)、C3(+)(いわゆる最も基本的な、Capillary patternなのかmesangial patternなのかの記載はありません)
コメント:
腎の組織病理の専門的な話になってしまいますが、血管の外の所見(exocapillary)である半月体形成の程度と比較して、血管と血管の内側(endo-capillary)の所見が軽いIC型腎炎ということになりますが、当時のパラフィン切片の染色技術や免疫蛍光法の手技と分析能力から判断すると、それ以上の形態学的所見は論述不可能です。勿論電子顕微鏡的な解析も行われていませんので。
中医弁証:
腰酸乏力、咽喉干痛、鼻腔に化膿巣あり、頬の紅腫が著しく、舌紅、苔薄白。
腎経の湿熱久蘊、鬱して不泄、熱毒と化し、肌膚に蘊結した証に属する。
治療と経過:
急則治其標、先ずは清熱解毒、和営托毒方を7剤投与(内容は不記載)。面頬の炎症は消退したが、蛋白尿は反って増加(3+)、RBC(8~10)、WBC(0~2)
熱毒は解したが、正気すでに虚、気滞血瘀、腎脈が湿熱瘀血阻滞の証である。
益気活血、化湿通絡を以って治療する。
処方:
黄耆12g 川芎9g 杜仲 大薊 丹参各15g 益母草 紅藤(活血清熱解毒) 金銭草各30g
上方を服用後尿蛋白は逐漸下降、RBC消失、ステロイドは漸減し停止した。半年後、再検査;総コレステロール260mg/dL、Cre0.9mg/dL、BUN12.5mg/dL、内因性クレアチニンクリアランス133ml/分、24時間尿蛋白定量0.68g、アルブミン/グロブリン(4.12/3.25mg/dL)。1984年5月には、患者は既に回復して仕事に復帰していた。随訪1年、病情は安定。
評析
増殖性糸球体腎炎は原発性ネフローゼ症候群の一つの病理類型であり、其の発病には、上気道感染が関係しており、連鎖球菌の感染と関連するという説も存在し、臨床症状は無症候性蛋白尿から、本案のようなネフローゼ症候群もあり、難治性である。
本案の患者の証は気虚腎虚 湿熱内蘊 脈絡瘀阻であり、益気補腎、清熱利湿、活血化瘀を補佐として、良好な治療効果に至った。半月体形成の増殖性糸球体腎炎という病理像に対して、本案の治療効果は(通常は難治性であるが)、比較的満足のいくものである。
ドクター康仁の印象
細かい記載不備は有りますが、まずまず正直な医案です。1983年といえば、私は32歳、30年前の若いころ、ステロイド、エンドキサン、イムラン、抗血小板剤、時に抗凝固剤などを併用してネフローゼ症候群と悪戦苦闘していた頃です。勿論、医局には漢方併用などという意見は微塵もありませんでした。意見以前のレベルというべきだったのか、医師が使う薬剤は英語表記が当たり前で、漢字表記の生薬なぞ、多数の医者の脳裏にかすりもしない時代でした。
本案の場合、女史はある意味で、運が良かったですね。女史が初診した時点で、腎機能は保たれ、尿蛋白はかなり減少していて、すでにネフローゼ症候群を呈していなかったともいえます。急速進行性糸球体腎炎(RPGN)へ移行する可能性もあったでしょう。運の良さを結果の良さまで引っ張り込んだのが、女史の中医としての実力です。
中医として巣立ち、中西医結合腎病論治の確立発展の基礎を立ち上げた上海学派の陳女史には敬意を表するものです。
先の連休に上海で紅藤(こうとう)と六月雪(清熱利湿 解毒 利水消腫)を購入してきました。気が付けば小生の漢方は上海学派ということを再確認した次第です。
そういえば、六月雪(liù yuè xuě) 日本語の読み方を未だに知りません。
ドクター康仁 腎炎 腎不全 漢方市民講座 六月雪
ペーストして検索してみてください。多いですよ。
2013年6月26日(水) 記