趙紹琴氏医案 湿熱蘊鬱 熱入血分 脈絡瘀阻案
(趙紹琴臨床経験?要より)
キイセンテンス:過剰な高蛋白食はネフローゼ症候群の誤治療である。
患者:張某 22歳 男性 大学1回生
趙氏受診までの病歴:
1988年秋の軍事訓練に参加した後浮腫が出現、その後多くの検査を繰り返し、ネフローゼ症候群と確定診断を受けた。尿蛋白持続(3+)。某病院に入院して、まずステロイド治療を受けたが効果なく、反ってステロイドの副作用症状が出現した。後にシクロフォスファミド等の免疫抑制剤を併用したが、これも無効であった。患者の両親は医療関係者であり、腎病ネフローゼ症候群の食事療方を探した。それで、彼らは其の子に、高蛋白飲食リストを作成し、毎日、魚、えび、肉、卵、牛乳を絶やさず、平均して2~3日に1匹の鶏を食べさせ栄養補充し、ベッドに臥して休息をとるように強制し、床から降りての活動を禁止した。彼らはその子に彼らの認識することだけを行った。この治療1年余、患者の病状は更に加重し、尿蛋白定性(3+)、24時間尿蛋白定量の最高値は20gを越し、同時に浮腫が悪化、面色惨白、体力衰弱、床から降りて歩くことも不可能になった。百般無奈之中(万策尽きて仕方なく)、1990年春趙氏の会診(出張往診)を請うた。
初診時所見:
舌紅苔膩垢厚、脈濡滑数、按じて有力
趙氏弁証:
湿熱蘊鬱 熱入血分 脈絡瘀阻の証に属する。食補が大いに過ぎて、三焦不暢、気血壅滞である。諸症は虚弱の証であるが、真虚にあらず、“大実若羸”(大実症だが虚証にみえる)の象である。
治療には涼血化瘀、清化湿熱、疏調三焦の方法を取る。一切の蛋白食を停止し、毎日の主食も3両(主食は1日90g)まで減量させた。平行して、患者に戸外での運動をさせ、毎日散歩1~2時間、さらには漸増して3~4時間とした。患者と両親が明確に言われたことをするようになった時、趙氏は以下の処方を始めた。
処方:
荊芥6g 防風6g 白芷6g 檳榔3g 大黄6g 独活9g 生地楡9g 炒槐花6g 丹参6g 茜草6g 焦三仙各9g 水紅花子6g 大腹皮12g 水煎服用 毎日Ⅰ剤。
経過:
2週後から尿蛋白が減少し始めた。浮腫も漸減し消退へ向かった。上方の随症加減3ヶ月で、患者の密接な協力の下で、その尿蛋白は陰転し、浮腫は全消した。体力も十分に増加し、継続治療で効果を固めること半年で、停薬し観察となった。今日に至るまで再発は無い。
評析
涼血化瘀、清化三焦、疏化湿熱と禁蛋白食と運動療法の腎炎蛋白尿の成功経験である。趙氏は長年の臨床経験から腎炎蛋白尿の有効治療であると確信している。ネフローゼ症候群の臨床症状は多種多様で、寒熱相兼、虚実真假、変化多端である。本案の患者の会診時の所見は体力衰弱し、ベッドからも降りられず、一見虚弱の象である。但し、趙氏は其の舌、脈象を根拠に真虚にあらず、もし誤って補すれば、反って病情が加重すると考え、清化湿熱、涼血化瘀を以って治療し全快を得た。このことは、我々は臨床治療中には仔細に観察することが必要であり、表面の症状に惑わされてはならず、問題点を把握すれば、良好な治療効果を得ることが出来ることを教えている。
ドクター康仁の印象
趙紹琴氏は1918年北京市で誕生2001年逝去されていますので、本症例を最初に診てから1年後ぐらいに天寿を全うされたことになります。生涯現役の老中医でした。氏は北京中医学院温病教科主任で、温病学を基礎にする治療を貫いたと言われています。医案に「熱入血分」という温病学の用語が出現してくるのは氏の勉学を物語っています。
処方:荊芥6g 防風6g 白芷6g 檳榔3g 大黄6g 独活9g 生地楡9g 炒槐花6g 丹参6g 茜草6g 焦三仙各9g 水紅花子6g 大腹皮12g
以上を見ただけで趙紹琴氏の処方じゃないのかと想像させる特殊性を感じます。
次回も氏の医案のネフローゼ症候群の医案を紹介します。氏の処方の特徴については次回にお話申し上げるつもりです。
2013年6月15日(土) 記