松島、遊覧船に乗れなかったのが残念。カモメが群れていた。
翌日、みちのく四寺廻廊の旅は東京駅日本橋口で6時45分の集合だった。八丁堀のホテルに泊まった私達は、5時過ぎには目を覚まし、そそくさと荷物をまとめてホテルを飛び出した。待ち合わせ場所に着いたのは6時過ぎ、40分以上も早かった。日本橋口はツアー客の集合場所のようで、私達のクラブツーリズムの他にも、JTBなどのツアー主催各社が小旗を掲げて待っていた。
<o:p></o:p>
早朝の東京駅は店舗もまだ閉まっていて、朝食も食べられなかったのだが、6時半になるとコンビニが開いたので、妻が朝食を仕入れた。6時45分になると全員が揃ったようで、添乗員(20代の若いお嬢さんだった)に連れられて新幹線へ。「やまびこ」で福島まで行き、そこからバスツアーになるのだ。
<o:p></o:p>
東京駅だけではなく、上野や大宮などからもツアー客が乗り込んできて、車内はいつの間にか満員になっていた。(他のツアーも同じ車輌だった)
<o:p></o:p>
さて、今回のバスツアーは四寺廻廊。松島の瑞巌寺、山形の山寺(立石寺)、毛越寺、中尊寺の4つの寺を巡礼するもので、中尊寺に行きたいという私の願いを妻がインターネットで検索して申し込んだものだ。
<o:p></o:p>
正直言って、瑞巌寺と中尊寺しか頭になかった私、山寺や毛越寺を知らなかったので、おまけのような感覚がして嬉しかった。ただ何処かの寺が平等院鳳凰堂のように浄土をも模したものだとはTVで見ていた記憶はあるが、それが毛越寺だとは知らなかった。それに山寺、童謡で歌われている「山寺の和尚さんは、毬を付きたし、毬は無し・・・」という舞台なのではなかろうかと、この時に思った。本当に山寺って、有ったんだ!
<o:p></o:p>
東北地方の新幹線は九州人の私にとって分かりにくい。東北新幹線、山形新幹線、秋田新幹線、などのほか上越や北陸新幹線もある模様。東海道山陽新幹線のように1本だけだったら分かり易いのに。私達が乗った「やまびこ」は何新幹線なのだろうか。福島に向かうので東北新幹線だろうか。などと「やまびこ」の中で朝食のサンドイッチを食べながら考えたりした。私達二人は3人席の中央と窓側に割り当てられていたが、途中、大宮から乗り込んできた女性が通路側の席に座った。私は窓側、九州とは若干異なる風景を楽しんでいた。その女性は一人旅で、妻とは気心が合ったのだろうか、すぐに打ち解けて会話も弾んでいた。見知らぬ人と友達になれるのもツアー旅の楽しさの一つでもある。
<o:p></o:p>
程無くして福島駅に到着。原発問題を一身に背負わされている福島、それに後追いするように地震も頻発しているようで、不幸がそこに集中しているように思えて、同じ日本人として可哀想だと思う。あれから2年、風評被害は収まりつつあるのが何よりだ。
<o:p></o:p>
定員45人の観光バスに乗り込んだが、添乗員さんは客は42人でほぼ満席だと言っていた。添乗員さんの他にも60代?のベテランのガイドさんも搭乗してきた。観光案内はガイドさんの役なのだろう。このガイドさん、ベテランらしく機転は効くし、唄は上手いし、若さを補って余りあるガイドぶりで、やはり年の功、若さだけじゃないよな。と我が身を照らし合わせて大いに満足したのだった。(ちなみに名前はよしこさん、独身だと何度も強調していた)
<o:p></o:p>
高速道を走って松島に。11時過ぎに着いたのだが、日曜だったので? 人も多かった。レストハウスで海鮮丼を食べた後、瑞巌寺の見物へ。ところが本堂は大修理中で全面養生シートに覆われていて、庫裏しか見られなかった。残念だが仕方ない。時間があれば観光船にも乗れるのだが、それも出来ずに波止場から島々を眺めるだけで松島は終わった。
<o:p></o:p>
再び高速道を北上して山形へ。北に上るに連れ、山が深くなってきた。山は黄緑の絨毯で覆われたように色模様が波打って、整っている。人手が入っていない原始林のようなのだ。九州では奥深い山でも林道や畑などが所々に見られて、山自体が生活の場となっているのに。そういえば、秋田には白神原生林があるが、そこの山も綺麗な黄緑で覆われているのだろうと思った。それと竹が少ないのに気付いた。九州では竹山が多いのだが。(杉林や広葉樹の森が竹に侵食されつつある)
<o:p></o:p>
<o:p>本堂にはご開帳を待つ人たちの列がずっと続いていた。奥の院へも大勢の人が。</o:p>
<o:p></o:p>
3時過ぎに「山寺」に着いた。私はもちろん初めてだし。山寺自体を知らなかった。天台宗の寺で立石寺というそうだ。奥の院は山の上にあり、石段が1115段あるという。ガイドさんが登る元気があるかしら、と挑発するような口ぶりだったので、私もその気になって登ることにした。
<o:p></o:p>
バスを降りて登り口に向かうと、長蛇の列に出くわした。警備員さんが最後尾はここですよ、とマイクで告げている。この時に知ったのだが、なんと、この山寺、50年に一度の秘仏御開帳の日だったのだ。薬師如来がご本尊らしいが、このために何千、何万の人が押しかけて来ているのだった。
<o:p></o:p>
バスが出発するまでの自由時間は2時間弱だったが、とてもそれだけの時間では間に合いそうにもないので、私は初期の目標通り、1115段の石段を登って奥の院に参ることにした。なに、日頃から鍛えているので途中で挫折することはなかろうと。登るときには大股ではなく小股で負担を軽くという「実践日本百名山」で教わった山登りの技術を思い出して、細くて急な石段を一歩ずつ確実に踏みしめ、30分もかからずに奥の院に到着した。
<o:p></o:p>
妻も割りと元気で(日頃のジムの成果が出たらしい)、揃ってお参りしたのだが、「ここが山寺、なるほど山の上だ!」と感心したり、驚いたり。
<o:p></o:p>
<o:p>山寺で食べたこんにゃくと、蔵王ロイヤルホテルからの眺望。原生林が連なって見事な景観でした。</o:p>
<o:p></o:p>
山を降りると4時過ぎでご開帳を待つ人たちの列はかなり短くはなっていたが、それでも1時間は掛かると思えたので、芭蕉の句碑などを見物したり、名物のこんにゃく団子を食べたりした。
<o:p></o:p>
その日の泊まりは宮城蔵王ロイヤルホテル。蔵王は県境にあり、宮城蔵王と山形蔵王の二つがあるらしいが、宮城側なのでまたまた高速道を戻った(県境の長いトンネルを通った)。遠刈田温泉の近くにあるホテルに到着したのが6時前。ホテルの窓から外を眺めると樹海が広がっていて、九州とは違う地に来ていると改めて感じた。
<o:p></o:p>
夕食の後は温泉に入った。天気予報はこの日は曇り時々雨だったのだが、日中は雨に降られることもなく、陽射しは薄かったものの快適だったのだが、その頃から雨が降り出した。露天風呂の麦わら屋根から雨の雫がポタポタと落ちてくるのだが、「これも風情だ。昼間に降らなくてよかった」。
<o:p></o:p>