ゆうしゃケン  小心翼翼・平々凡々

団塊世代の技術系サラリーマンだった。引退した今は妻と二人で平和な生活を願いつつ、趣味と独り言でストレス発散

筥崎宮放生会

2016-09-18 11:30:08 | 紀行
 17日、土曜日。小倉駅8時前発の快速電車に乗り込み、コンビニで買った朝食のサンドイッチを食べながら車窓を眺めている。黄金色の絨毯が敷き詰められたようにお日様に輝いて、時折りあぜ道に白い鳥がたたずんでいる。白鷺だと思うが、鳥音痴の私、今ひとつ自信が無い。数を数えると、4羽居た。浅瀬の川の中で魚をついばんでいる姿を見かけることが多いのだが、あぜ道では一休みしているのだろうか。そのあぜ道に点々と赤い塊が固まっている。彼岸花だ。まもなくお彼岸、今年も律儀に咲いたようだ。本当に不思議な花で、この時期になると急に地面から顔を出して花が開く。
 
 稲も実って金色の穂を。ただ台風が怖い。 
 
 黄色の彼岸花は初めて。
 
 

 筥崎宮。額には「敵国降伏」
 

 
 3ヶ月ぶりのJR九州ウオーキングで箱崎駅に向かう途中だった。今日のコースは筥崎宮の放生会と、博多の食と文化の博物館ハクハクの見学。距離も5キロと手軽で、左足にちょっと不安な感じを抱えていた私にとって、これからのウオーキングの試金石となるかと思っていた。
 
 箱崎駅でスタート受付を済ませて、歩き始めたのが9時15分。10分ほど歩くと筥崎宮の参道に着いた。参道にはぎっしりと出店が並び、朝だというのにもう大勢の人が行き交って大賑わいだった。とりあえず本殿に参拝し、参道の出店を眺めながら、お潮井汲みの浜辺まで歩いた。筥崎宮は神功皇后を祀っていて、創建は千年以上も昔で、博多の守り神でもある。放生会はその最大の祭りで、厄災をはじくという、土焼きのおはじきが有名だ。
 
 筥崎宮のビイドロ、おはじき
 
 

 参道の出店。昔懐かしいお化け屋敷も! デートスポットです。
 
 

 屋台の縁日に付きもののお面や、射的、金魚すくい、リンゴ飴などの定番の他に、生生姜、ウナギ釣り、お化け屋敷まであって、昼過ぎになると身動きできなくなるくらいにごった返すのだろうなと思いながら参道を巡り、その後コース通りに博物館ハクハクに向かった。ここは明太子の生産工場で見学もできる。休憩テントでは明太を肴にビールを飲んでいる人も居たが、私は唾を飲みこみながらぐっと我慢。突き出た腹を元に戻すのが先決だ!と。
 
 明太子の工場にて。
 
 

 暑くて汗びっしょりになって箱崎駅にゴールしたのが11時。2時間弱で回ったことになる。幸いにも足は快調で、左足を引きずることがめっきり少なくなった。やはり薬害対策をしっかりしていることが良いようだ。体調が良いと気分まで浮き浮きしてくる。小倉駅に帰り着いたのが1時前、ウオーキング時の恒例となった「かしわうどん」を食べて駅舎を出た。ビールが待っている! 家に帰ってシャワーを浴びなくちゃ。
  
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久しぶりの雨、北海道の思い出を纏めています。

2016-08-28 10:24:19 | 紀行
 北海道から戻ってちょうど一週間、今日は一ヶ月以上ぶりに雨が降っている。連日猛暑日だったので今日の雨は非常に嬉しい。恵みの雨だ。気温予報も29度で秋を少しは感じられるかも知れない。

 さて、北海道わいわい旅行もいよいよ最終日、4日目の話を。

 サッポロビール園でジンギスカンを味わい、ビールをたらふく飲んですっかり満足して眠りついたおかげで、札幌の朝は快適に目覚めた。ただ連日のご馳走責めでお腹の方は布袋様と見紛うばかりとなっている。体重計に乗るのが怖いが、3キロは太ったかと思う。それでも北海道を味わい尽くさねば、と言う娘達の思惑は強いものがあって、その日の朝食はホテルのバイキングの代わりに海鮮丼ということで、早めにチェックアウトして場外市場に出かけた。


北海道の海鮮丼といえば、イクラやカニが山のように載っているが、これはミニ海鮮丼とでも言うべきか。

ご飯好きのアンちゃん、箸も上手に使って食べます。

 海鮮丼で満足した私達、場外市場を巡ってお土産漁り、その後は二条市場にも回って、生鮮物のお土産は充分。




メロン一切れ200円。アンちゃんも私も頂きました。

二条市場では生牡蠣を食べた。旨かった。


 二条市場を出る頃は札幌は日も射して良い天気、さぁ千歳空港へ。北海道最後の移動だ。私たち夫婦は次女が運転するビッツに乗り込み、私はうとうととリラックスしていた。千歳まで高速道で行くのだなと朧気に感じていたのだが、娘のなにやら慌てふためいた声で我に返った。なんとシートベルト不着用で捕まっていた。私と妻が九州と同じような感覚でシートベルトをしていなかったのだ。このためにゴールド免許を失うことになった次女、「ご免なさい、タクシーの運転手に言われていた注意をすっかり忘れていました!」

 落胆した気分で12時半に新千歳空港に着いた。出発時間まで2時間弱あったので悠々間に合うと思っていたのだが、空港内は身動きができないくらいに混んでいた。台風が接近しているので旅程を早めにと思ったげた人が多いのか。旅慣れた婿殿が搭乗手続きなどをしてもらい女性陣は最後のお土産買いに奔走、私はアンちゃんをお守りしてうろうろしていた。(実は空港内で迷い子になってしまった! JALカウンターが目印だったのだが、方向感覚がなぜか鈍っていた)

 手荷物を預けて搭乗口を通過したのが、発時刻の20分前、もう搭乗しており慌ててトイレに駆け込んだ後に737機に乗り込んだ。座席は往路と全く一緒。アンちゃんも落ち着いてママに抱かれていた。千歳は雨、飛行機の窓に雨が降り注いでいたが、無事に北海道の空に舞い立った。




 737,福岡直行便は快調に飛んで福岡空港に向かって機首を下げた到着の15分前、シートベルト着用を指示された時なのだが、今まで機嫌が良かったアンちゃんがぐずりだした。最後部のトイレ方向を指さして「うんち」と泣き叫びだしたのだ。「おむつの中にしても良いよ」とママが言うが、顔を真っ赤にしてアンちゃん泣き叫ぶ。着陸前のしんとしたの機内が異様な雰囲気に見舞われたのだが、そうこうするうちに737機は無事にランディング、すぐさまママがトイレに連れていった。(結局、アンちゃんはうんちじゃなくて、耳が気持ち悪かったみたい。行きはなんともなかったのだが)

 福岡は連日猛暑が続いていて、この時も36度。北海道で楽をした身体がこの暑さに耐えられないと悲鳴を上げていた。
 
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北海道わいわいファミリー3日目

2016-08-25 09:47:17 | 紀行
 三日目、旭川はやはり雨だった。終日雨の予報だったので諦めていたのだが、やはり残念だ。アートホテル13Fのレストランから市街地を見渡すと遠くに川が見えた。水かさは多そうだ。道東では台風7号による雨でかなりの被害が出ているそうで、旭川も結構降っているようだ。私達はコンビニに立ち寄って傘を買い求め、旭山動物園に赴いた。
 
 
 旭川市街。

 旭山動物園西口には10時前に着いた。雨が降りしきっている中、広い駐車場はかなり埋まっていてなぜか焦る心境だ。昔、台風の中で東京ディズニーランドに行ったが、その時と同じ、負けちゃいられないと。孫達はカッパを羽織り、私たちは傘を差して。入り口のすぐ近くにペンギン館、そして猛獣類が集まっていた。動物自体は小倉でも「到津の森動物園」があって、珍しくはないが、それでもレッサーパンダの放し飼いに似た飼い方やウンピョウなどは感心した。それにベンガルトラは大きくて、威勢が良くて、ライオンよりも強そうだった。

 
 旭山動物園西口近く。
 
 シマフクロウ。ハリーポッターでも騎士の象徴とされている気高いフクロウ。眼光が鋭かった。 
 
 丹頂。やはり北海道を代表する鳥。華麗な求愛ショーを観たいものだ。

 この頃から雨脚が強くなって、道路が川のように水が流れ、側溝からは水が噴出するようになってきた。私の靴はもう水浸し、孫達もビショ濡れ。動物たちのショーも中止と放送されていたので、早めに出ることにした。向かったのは旭川ラーメン村。

 
 ちょうど昼時のラーメン村、大勢の人で賑わっていた。
 
 麺類を上手に食べるアンちゃん。堂に入ってます
 
 

 ラーメン食べてお腹も満足して、さぁ、札幌。およそ150キロの道のり、高速道を使って2時間程度、早めに着くので北海道大学やジャンプ場などの札幌の名所を見物するつもりだった。ところが、50キロほどのところで急に渋滞。のろのろとほとんど進まない。事故でもあったのあろうかと訝しんでいると高速道が災害で不通、滝川インターで一般道に降りるのだと長女から連絡が入った。ケータイで調べたのだろう。それからわずか500m先の滝川インターを降りるのに1時間以上も掛かった。

 
 
 右側の料金支払いレーンは身動きできないくらい遅々として動かない。
 
 この原因はどうもETCのようだ。北海道は高速文化が広まってないようで、ETCが無い車が圧倒的に多くて、インター出口で料金支払いに手間取っていたようなのだ。九州では考えられない。ETCの器械は高いが、すぐに元を取れるのに。
 高速道区間は次女(奏ママ)が運転していたのだが、このトラブルで疲れ果てた様子だったので、一般道に降りてコンビニで小休止した後は私が札幌まで運転することになった。運転して気づいたことだが、道が悪い。ピンポイントでの舗装手直し場所が多いのだ。寒暖の差が大きいので、舗装が痛むのかも知れないが、舗装修理区間はタイヤが少なからずはねるので注意が必要だ。それに一車線区間が多い。交通量が少ないのだろう。そんなことを考えながら走り、タクシーの運転手から教わった、「スピード違反」「後部座席シートベルト着用」がおぼろになっていた。これが最終日に問題として浮上する。

 
 
 
 

 さて、札幌には2時間以上遅れて6時に着いた。どこにも見学に行くことができずに、ホテルにチェックインした後、サッポロビール園に出かけた。札幌は小雨で土曜日のためでもあったか、大勢の人で溢れていた。私たちは旅行会社を通じて7時に予約していたのだが、総合案内カウンターではその記録が見つからないという。慌てたが、支配人らしき人の采配で何とか席を確保してもらって、無事にジンギスカンを楽しむことができた。もちろん、ビールは旨く、日頃はそんなに飲めない妻もジョッキを空に、お替わりするくらい飲んだ。
 札幌の星空、トマムの星空、旭川の星空、楽しみにしていたのだが、結局見ず仕舞い。明日は帰福だ。
 
 

 
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何とか無事に北海道!

2016-08-22 20:10:29 | 紀行
 何とか無事に帰り着いた。時季外れの雨で大変な被害が生じている中で、奇跡的と喜ばなければならないのかも。旭山動物園ではキリンと同じように豪雨に打たれ、道央高速道は災害で不通、無理矢理に一般道に下ろされて札幌着が大幅に遅れるなどの想定外が頻発した旅だった。ただ運が良かったのは往復の飛行機、台風の狭間を突いて何とか飛んでくれた。今現在、台風9号が本州を北上し、さらに追い打ちを掛けるかのように北海道を窺っているとニュースが流れている。なぜ道東ばかり襲ってくるのか、気の毒に思う。今年の天気は本当に異常だ。

 
 18日、炎暑の福岡から逃げるようにJALに乗り込んだ。娘2家族と私たち夫婦の総勢9人、妻と長女が念入りに練った行程計画だった。メインはトマム、星野リゾートでの雲海テラスと旭山動物園。台風で飛行機が飛ばない心配はしていたけれど、雨が降るなどとは露にも思ってなかった。それでも北海道は初体験の我が家のファミリー、色んな体験をした。そのレポートを写真で紹介する。

 
 737の機内でアンちゃん。イヤホンを恐る恐る耳に。

 
 千歳からトマムへはレンタカーで。途中のサービスエリアで早速アイスクリームを。おいしかった。気温は25度。福岡より10度以上も低かった。

 
 
 トマムの星野リゾート、ザ・タワー。36階建てのホテルだそうだが、私たちは23階。3つの部屋に分かれた。

 
 
 翌19日、4時半起きで雲海テラスに行く予定だったが朝から雨。スキーリフトを改造した(らしい)ゴンドラが運行中止とアナウンスが。がっかりだが仕方が無い。女性陣や孫達はプール に。 私は雨が止みそうな気配だったので計画通り蝶採集。9時過ぎに雨が止んだのでリゾート内を旅行用の補注網を持って、散策開始。悪天候にも係わらず結構蝶は見かけたが網が短いのと草むらが深くて捕獲できず。もう少し晴れ間が覗いていたら蝶も出てきたと思うが残念だ。それでも九州では数少ないヒメキマダラヒカゲなどを採集した。

 
 プールの後、孫達は「川の探検」に。私が蝶採集で歩き回っていた時に遠くから見つけた。

 
 トマムから旭川に向かう途中、ファーム富田へ。

 
 夕食は富良野で焼き肉。長女が是非とも食べたいと予約していた。

 北海道2泊目は旭川。翌日(3日目)の天気予報は雨。トリプル台風が日本を窺っているとのニュースを知った。焼き肉で満腹だったので「ケセラセラ」と寝てしまった。
 オリンピックでは無敵のレスリングの吉田選手がなんと負けたと知った。彼女ほどの選手が!と唖然。


 続きは後日。今考えると最初の二日は雲海テラスが駄目だったものの、まぁ良かった。旅行後半3,4日は旭山動物園から札幌。奮戦しました。


 先記事のコメント返しはこの記事、次回記事で載せますのでご容赦ください。
 

 
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温泉は天国! でも・・・

2015-09-06 15:28:04 | 紀行
 9月に入って九州は連日、雨模様。鬱陶しい毎日が続いている。天気のためだけでもないが、私も冴えない。そのいきさつを。

 発端は長女の思いやりから。世俗を忘れて温泉でゆっくりしたいとの妻の思いを察して、8月末の日月の一泊で天ケ瀬温泉の旅館を予約をしてくれたのだった。日取りを決めてやらないと重い腰をあげないと思ったのだ。
と云う訳で、久しぶりに妻と二人だけの温泉旅行。愛車ヴィッツに乗り込んで日田を目指した。車は小さいながらも快適なドライブで途中、陶芸の里、小石原で私のお茶碗・湯呑などを買い求め、昼過ぎに日田のサッポロビール九州工場へ。直接旅館に行くのも時間が早いため、ちょっとした時間つぶしだ。
 


日本橋?銀座?にできた日本初のエビスビールビヤホール。明治のモダンガール、何故か新鮮です。


車なのでノンアルコールビールを。本来はエビス3杯までOKなのに! 妻は2杯。頑張った!

 天ケ瀬温泉、山荘天水に着いたのが3時前。チェックインの少し前だったが笑顔で迎え入れてくれた。天ケ瀬温泉は筑後川の支流、玖珠川の河原の露天風呂が有名だが、天水はその玖珠川の更に支流、合楽川の渓流沿いにあって、建物が緑豊かな木々に埋まるように囲まれていた。高層ホテルではなく、古式豊かな木造、それも自然の巨大な石を巧みに建屋内に配して、人に優しいという気配りを感じられる造りだった。渓流に沿って露天風呂も3か所あって、温泉三昧でゆったりでき、それ以上に「おもてなし」を感じたのだった。
 
 


渓流に面した露天風呂。桜の滝という名の見事な滝もありました。

巨石がインテリア。見事にマッチしていた。

 夕食がお部屋食というのも良かった。美味しい食事とお酒で大満足。その夜は更に露天風呂と大浴場を攻略して身体を存分に解して寝た。




大吟醸の飲み比べ。良い酒で酔うのが早かった。
 
 翌朝、渓流のせせらぎで目を覚ましたのだが、首筋にちょっと違和感があった。どうも枕が高すぎて硬かったようだ。それでも朝湯に入り、遅い朝食を摂ってのんびりとして旅館を発った。帰りはフルーツの里、浮羽に寄ってブドウやナシを手に入れたのだが、どうも首が回らない。車の運転していてもバックが出来ないほど、首を回すと痛みが走る。寝違いしたらしい。それでも注意深く運転して我が家に辿り着いた。

 翌日は会社。首筋の痛みは何とか我慢できたのだが、その日の晩は前日にも増して首筋が痛くて痛くて眠られなかった。睡眠不足のまま、首筋の痛みを抱えて博多へ。午後から4時間の講習なのだが、どうにも我慢できなくて3時に講習を止めて急いで帰宅。近くの整形外科へ。骨は長年の生活習慣で曲っているものの、特に骨折などの異常は無く、筋を痛めたのだろうとの診立て。マッサージしてもらい、痛み止めの薬を貰って一安心。これで治ると。

 ところがそれからずっと痛みが取れない。温泉から数えて5日目の金曜日は会社に休みを貰って再度病院へ。先生に痛みを何とかしてくれと頼み込んだ。薬嫌いの先生と言う評判なのだが、私の窮状を察して、今度は鍼灸と同じように3か所の急所に注射を射ってくれ、更にビワ温きゅうという昔からのお灸のような治療を施してくれた。その結果、夜は眠れるようになったのだが、7日目の今日、まだ首筋の痛みはとれない。首筋が微熱を持っているかのような感じで、神経を触るような痛みがある。もちろん、首を回すことが出来ない。明日は月曜日、再度病院に行くつもりだ。

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東京見物

2013-06-01 16:11:28 | 紀行

 

寛永寺。朱塗りの門は徳川家ゆかりの人しか通れないとのことだった。葵の紋に圧倒される感じです。

 

平泉できらめき輝く金色堂を観た興奮が冷めやらぬまま潮見のホテルで宿泊した翌日、小倉への新幹線は午後2時半だったので午前中は東京見物することにしていた。私は睡眠不足で疲れ気味だったが妻はなぜか元気、で、上野に行こうというのでお供した。

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 上野は30年ぶりになる。ランランが来た時に娘たち連れて家族で観に行った。つい最近、日本の公園は世界に冠たるもので、東京23区内の公園はどこでも素晴らしいとTVで見たが、その代表が上野。広いし緑が豊かだし、美術館や博物館、美大などの文化的で豪壮な建物が並んでおり、さすがだと思った。徳川家の墓所である寛永寺で葵の御紋になぜか感動した後、妻は芸大へ。学内は開放されているようで、食堂も自由にどうぞ、と案内されたが残念ながら昼食には早かったので断念して都立美術館へ。丁度ダビンチ展が開催されていたが展示物の割には入場料が高かったと感じたので、館内の雰囲気だけを味わっただけで、不忍池を巡った。

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<o:p>  東京芸術大学の正門。自由に見物できて、食堂も利用できるとか。右は不忍池。私のイメージとはちょっと違いました。</o:p>

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 不忍池の東側?は蓮や葦などが湖面を覆っており、ボート遊びが出来るのは西半分。平日のためかボートは数艘が出ていただけだった。この日は暑くて真夏日予報が出ていたのだが、公園内をランニングする人たちや、ベンチで風景を楽しむ人たちも多く、さすが都民の憩い場と思った。

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 不忍池から上野駅に向かう途中に、アメ横があった。歳末になると賑わうところだと聞いている。通りには外人も多く、まるで国際通り。国籍不明の大男が客引きのような感じで道路の中央に立っていると、なんだか怖いような気がする。お客も外人が多いようで、平日でも安いのだろう。ここでスイカの切り売り、100円で食べた。暑かったので水分補給にも丁度良く、甘いスイカだった。

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 アメ横と鈴本演芸場。時間があれば落語を聞きたかったけれど、残念でした。

 

 アメ横の出口というか、上野駅からの入口の横に立ち喰いそばの店があった。昼時を少し過ぎていたこともあって、話のネタに寄ることにした。私はざるそば、370円だったが結構旨かった。(東京駅で朝食を食べたのだが、パンとコーヒーだけで二人で2000円弱、高いので驚いたのだが、東京は高い店と安い店が混在しているようだ)

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 2時半となり、これで東京ともさようなら。のぞみに乗り込んで東京を後にした。富士山が見えるかと期待していたのだが、今回は往復とも雲が掛かっていて残念だった。

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これで東京、みちのくの5日間の旅を無事に終えたが、家に帰ってシャワーを浴びるとどっと疲れが出た。やはり旅先では気が張っていたのだろう。くつろげる我が家が一番だ。

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念願の平泉、今度は秋に!

2013-05-27 12:09:47 | 紀行

 

翌月曜日、いつものように6時に目が覚めた。九州より少し寒い感じはしたが雨は降っていない模様。「良かった、今日は中尊寺だ。」と思いながら朝風呂へ。何となく心身を清めたい想いがした。風呂から帰ると、いつも私より起きるのが1時間ほど遅い妻が起き出してきた。早速風呂に。私はTVで野球の結果を確認する。どうもこのところライオンズは調子が悪い。ピッチャー陣が悪すぎる。5点取っても逆転されるんだから。1時期、勝ち越しが9個も有ったのに.今日現在3個にまで減ってしまった。これじゃ勝率5割を割るのは時間の問題かも。涌井と岸の両主戦に頑張ってもらわなければ。

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朝食はバイキング。牛乳とコーヒーで居心地を取り戻した後、いよいよ出発。途中蔵王酪農センターに寄った後、バスは高速道を北上して岩手県へ。中尊寺レストハウスで注文していた精進料理を食べた後、まずは毛越寺。ここは正確に言うと毛越寺跡だ。藤原三代が栄華を誇っていた頃、きらびやかな寺院を建立して現世に浄土を見立てて暮らしていたという。それが鎌倉の威光によりはかなくも滅んだのだから、歴史はむごいと思う。だけども、遺跡はその後も手をつけられずに残っており、寺院や門の礎石は往時そのままだというから偉い。平泉の人達は先人の偉業を称えていたのだ。

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<o:p>精進料理を味わった後に、毛越寺へ。浄土を摸した庭園で彼岸へ架かる橋の遺構(基礎)が寂しく残っていた。</o:p>

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平泉では新たにガイドさんが男女一人ずつ計二人、来られて説明してくれた。現地出身で子供の頃は毛越寺の跡で遊んでいたと云う。それが世界遺産となって脚光を浴びたのだから彼らも驚いただろうし、嬉しかったのだろう。ガイドさんになったと言うのだから。

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中尊寺は毛越寺の北、木立に囲まれた山の中にあった。中尊寺は毛越寺の奥の院的な存在なのだろうか。本堂は山の麓近くだが、金色堂は静かな木立に囲まれて山の中腹にたたずんでいた。

 

バスは中腹の金色堂近くまで私達を案内し、中尊寺を見学しながら急な参道を下るという順路だった。中尊寺が世界遺産となった時、TVで金色堂の紹介があったが、その時に金に糸目をつけずに金や銀をふんだんに使い、象牙や珊瑚など螺鈿細工を施したもので、その細やかな技術はたいしたものだと聴いてはいたが、改めて本物をみると、よくぞ何百年もの年月を経て残っていたと感動を覚えた。

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それに鎌倉幕府も金色堂の価値を認めていたのか、金色堂を雨風から守るために覆堂を建て、金色堂を守ったのだからこれもまた凄い。きちんと管理されていたということであろう。

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<o:p>念願だった金色堂の前で。右は本堂。私の神通力が効いたのか、この日は晴れ間ものぞいて暑いくらいだった。</o:p>

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現在の覆堂はコンクリート造りの2代目だそうだが、初代目はやや奥に移設されていた。当然のことながら、覆堂の中心には柱が無い特殊な造りなのだが、その技術も大したものだ。下手すると崩れ落ちて金色堂をぺちゃんこにしてしまう。

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中尊寺という寺は実際には存在しないのだとも聴いた。山全体を中尊寺と称し、その中に金色堂や本堂などが配置されているのだった。私達はその急な参道を転ばないように気をつけながら下り、これが秋ならば紅葉とあいまって見事なものだろうなと話したりした。

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この頃になるとバスツアーの人たちとも仲良くなって、会話も弾んでいた。私達を除く40人が東京近辺、私達だけが九州と云うことで、話題も豊富だったこともあるが、最後は別れ難くなってきた。特に行きの新幹線で隣になった婦人は本格的な登山家であり、霧島や屋久島、久住などに登りたいと言っていた。九州に来られることがあれば案内する、と言っているので、実現するかもしれない。

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バスで福島駅に戻り、新幹線で東京駅に着いたのが10時前。またまた京葉線に乗り換えて潮見のホテルへ。このホテルは駅近くで人気があるのか、遅い時間なのに次から次へと客が多い。大浴場が人気の元なのかもしれないが、私達も風呂に入って疲れを癒したのだった。

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みちのく旅情・・・ではないけれど。

2013-05-25 20:41:33 | 紀行

 

松島、遊覧船に乗れなかったのが残念。カモメが群れていた。

 

翌日、みちのく四寺廻廊の旅は東京駅日本橋口で6時45分の集合だった。八丁堀のホテルに泊まった私達は、5時過ぎには目を覚まし、そそくさと荷物をまとめてホテルを飛び出した。待ち合わせ場所に着いたのは6時過ぎ、40分以上も早かった。日本橋口はツアー客の集合場所のようで、私達のクラブツーリズムの他にも、JTBなどのツアー主催各社が小旗を掲げて待っていた。

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早朝の東京駅は店舗もまだ閉まっていて、朝食も食べられなかったのだが、6時半になるとコンビニが開いたので、妻が朝食を仕入れた。6時45分になると全員が揃ったようで、添乗員(20代の若いお嬢さんだった)に連れられて新幹線へ。「やまびこ」で福島まで行き、そこからバスツアーになるのだ。

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東京駅だけではなく、上野や大宮などからもツアー客が乗り込んできて、車内はいつの間にか満員になっていた。(他のツアーも同じ車輌だった)

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さて、今回のバスツアーは四寺廻廊。松島の瑞巌寺、山形の山寺(立石寺)、毛越寺、中尊寺の4つの寺を巡礼するもので、中尊寺に行きたいという私の願いを妻がインターネットで検索して申し込んだものだ。

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正直言って、瑞巌寺と中尊寺しか頭になかった私、山寺や毛越寺を知らなかったので、おまけのような感覚がして嬉しかった。ただ何処かの寺が平等院鳳凰堂のように浄土をも模したものだとはTVで見ていた記憶はあるが、それが毛越寺だとは知らなかった。それに山寺、童謡で歌われている「山寺の和尚さんは、毬を付きたし、毬は無し・・・」という舞台なのではなかろうかと、この時に思った。本当に山寺って、有ったんだ!

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東北地方の新幹線は九州人の私にとって分かりにくい。東北新幹線、山形新幹線、秋田新幹線、などのほか上越や北陸新幹線もある模様。東海道山陽新幹線のように1本だけだったら分かり易いのに。私達が乗った「やまびこ」は何新幹線なのだろうか。福島に向かうので東北新幹線だろうか。などと「やまびこ」の中で朝食のサンドイッチを食べながら考えたりした。私達二人は3人席の中央と窓側に割り当てられていたが、途中、大宮から乗り込んできた女性が通路側の席に座った。私は窓側、九州とは若干異なる風景を楽しんでいた。その女性は一人旅で、妻とは気心が合ったのだろうか、すぐに打ち解けて会話も弾んでいた。見知らぬ人と友達になれるのもツアー旅の楽しさの一つでもある。

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程無くして福島駅に到着。原発問題を一身に背負わされている福島、それに後追いするように地震も頻発しているようで、不幸がそこに集中しているように思えて、同じ日本人として可哀想だと思う。あれから2年、風評被害は収まりつつあるのが何よりだ。

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定員45人の観光バスに乗り込んだが、添乗員さんは客は42人でほぼ満席だと言っていた。添乗員さんの他にも60代?のベテランのガイドさんも搭乗してきた。観光案内はガイドさんの役なのだろう。このガイドさん、ベテランらしく機転は効くし、唄は上手いし、若さを補って余りあるガイドぶりで、やはり年の功、若さだけじゃないよな。と我が身を照らし合わせて大いに満足したのだった。(ちなみに名前はよしこさん、独身だと何度も強調していた)

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高速道を走って松島に。11時過ぎに着いたのだが、日曜だったので? 人も多かった。レストハウスで海鮮丼を食べた後、瑞巌寺の見物へ。ところが本堂は大修理中で全面養生シートに覆われていて、庫裏しか見られなかった。残念だが仕方ない。時間があれば観光船にも乗れるのだが、それも出来ずに波止場から島々を眺めるだけで松島は終わった。

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再び高速道を北上して山形へ。北に上るに連れ、山が深くなってきた。山は黄緑の絨毯で覆われたように色模様が波打って、整っている。人手が入っていない原始林のようなのだ。九州では奥深い山でも林道や畑などが所々に見られて、山自体が生活の場となっているのに。そういえば、秋田には白神原生林があるが、そこの山も綺麗な黄緑で覆われているのだろうと思った。それと竹が少ないのに気付いた。九州では竹山が多いのだが。(杉林や広葉樹の森が竹に侵食されつつある)

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<o:p>本堂にはご開帳を待つ人たちの列がずっと続いていた。奥の院へも大勢の人が。</o:p>

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3時過ぎに「山寺」に着いた。私はもちろん初めてだし。山寺自体を知らなかった。天台宗の寺で立石寺というそうだ。奥の院は山の上にあり、石段が1115段あるという。ガイドさんが登る元気があるかしら、と挑発するような口ぶりだったので、私もその気になって登ることにした。

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バスを降りて登り口に向かうと、長蛇の列に出くわした。警備員さんが最後尾はここですよ、とマイクで告げている。この時に知ったのだが、なんと、この山寺、50年に一度の秘仏御開帳の日だったのだ。薬師如来がご本尊らしいが、このために何千、何万の人が押しかけて来ているのだった。

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バスが出発するまでの自由時間は2時間弱だったが、とてもそれだけの時間では間に合いそうにもないので、私は初期の目標通り、1115段の石段を登って奥の院に参ることにした。なに、日頃から鍛えているので途中で挫折することはなかろうと。登るときには大股ではなく小股で負担を軽くという「実践日本百名山」で教わった山登りの技術を思い出して、細くて急な石段を一歩ずつ確実に踏みしめ、30分もかからずに奥の院に到着した。

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妻も割りと元気で(日頃のジムの成果が出たらしい)、揃ってお参りしたのだが、「ここが山寺、なるほど山の上だ!」と感心したり、驚いたり。

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<o:p>山寺で食べたこんにゃくと、蔵王ロイヤルホテルからの眺望。原生林が連なって見事な景観でした。</o:p>

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山を降りると4時過ぎでご開帳を待つ人たちの列はかなり短くはなっていたが、それでも1時間は掛かると思えたので、芭蕉の句碑などを見物したり、名物のこんにゃく団子を食べたりした。

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その日の泊まりは宮城蔵王ロイヤルホテル。蔵王は県境にあり、宮城蔵王と山形蔵王の二つがあるらしいが、宮城側なのでまたまた高速道を戻った(県境の長いトンネルを通った)。遠刈田温泉の近くにあるホテルに到着したのが6時前。ホテルの窓から外を眺めると樹海が広がっていて、九州とは違う地に来ていると改めて感じた。

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夕食の後は温泉に入った。天気予報はこの日は曇り時々雨だったのだが、日中は雨に降られることもなく、陽射しは薄かったものの快適だったのだが、その頃から雨が降り出した。露天風呂の麦わら屋根から雨の雫がポタポタと落ちてくるのだが、「これも風情だ。昼間に降らなくてよかった」。

 

 

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スカイツリーは大賑わい

2013-05-23 11:51:39 | 紀行

 

 

 

一昨日夜、無事に東京・みちのく巡礼の旅を終えて自宅に戻った。昨日は疲れていたのと異様に暑かったので1日中静養、鋭気を養った。

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 小倉を発ったのは金曜日、結婚式の前日。和ママも一緒で3人旅。と言っても5時間、新幹線に座っているだけ。普通ならビールでも飲むところだが、今回は我慢我慢、どうせ口では負けるのだから小競り合いは避けたいところだ。途中寝ていたので、そう退屈もせずに東京駅に2時前に着いた。ホテルは渋谷なのだが、この日はスカイツリーが目的。ロッカーにバッグなどを預けたのだが、私達を田舎者だと見抜いたのだろうか、親切な人が八重洲南口にある空いているコインロッカーを教えてくれた。(今回の旅では、あちこちで親切な人から声を掛けてもらった。都会の人は冷たいという意識があったが、そうではないと感じた。まごついている田舎者にとっては天の声で有り難かった)

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最初に改造なった東京駅を見学。丸の内中央口で天井を見上げ、外に出て写真を撮った。廻りの高層ビルに負けることなく赤レンガ仕様の駅舎は重厚で落ち着いて見えた。やはり道の中心は日本橋、鉄道の中心は東京駅だ。

 

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<o:p>展望デッキから東京タワーを。煙っててよく見えなかった。</o:p>

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スカイツリーへは八重洲口北口からシャトルバスで行くことにした。地下鉄を乗り換えてゆくよりよほど便利でかつ間違う心配がない。30分間隔で、一人500円。バスは渋滞している日本橋などの道路を縫うように走り、40分ほどでスカイツリー構内に到着した。

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金曜日の平日なので見物客は少ないだろうと思っていたのだが、入口フロア付近には大勢の人が並んでいたので驚いた。それも切符を買うための整理券を貰う為の列だというのだから。私達は妻が前もってスカイツリー見物を計画に組み入れ、見学予定時間を4時と決めて切符を申しこんでいたので、切符を並んで買うこともなく4階の展望台エレベーターに向かうことができた。何事も用意万端の妻がインターネットでスカイツリーの人気を調べてJTBに申し込んでいたので良かった。フリーで行ったのだったら登るのに何時間も待たされただろう。

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高さ350mの展望デッキには4つある高速エレベーターで登る。(所要時間は約1分だからこれも驚き!) エレベーター内は春夏秋冬の4つの季節の意匠が施されており、私達は夏のエレベーターで確か不死鳥のような鳥(雉かも)が描かれていたが、一度に40人位が登れる。この技術も大したものだ。

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展望デッキには大勢の人で溢れかえっており、360度の風景を思い思いに楽しんでいた。この日は快晴で、遠くまで見える筈だったが、黄砂かスモッグか、高層ビルが密集している街並みは煙っていてわずかに概要が判るくらいだった。皇居や東京タワー、隅田川、江戸川など足元から遠くまで景色を堪能した。

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その上、高さ450mの展望回廊に行くには更に一人千円のエレベーターを利用せねばならない。こことはわずか100mの差しかないと思って展望回廊は諦めることにして、下まで降りた。1階から5階までのスカイツリーの根っこのフロアにはお土産ショップが並んでいる。修学旅行生や外人客が眼に着いたのだが、妻や和ママたちは店ごとに立ち寄ってお土産を漁る。その間、私は手荷物の番だ。

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<o:p>私が食べた夕食。看板に釣られました</o:p>

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スカイツリーを出た後はスカイツリー駅から地下鉄に乗って浅草へ。お腹もすいていたので浅草駅のビルで夕食を食べた後、東京駅に戻りコインロッカーからバッグを取り出して、宿泊地の渋谷へ。渋谷に着く頃はもう薄暗くなっていた。(小倉よりかなり陽が落ちるのは早い)

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渋谷のホテル20階から。窓から渋谷駅界隈が見える

 

渋谷のタワーホテル阪急の20Fに泊ったのだが、渋谷駅辺りの眺めはやはりスカイツリーからの眺めに比較すると見劣りがする。高さ概念も麻痺するようだ。

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翌日はタクシーで表参道の結婚式場へ。新郎は姪が大学時代に知り合ったという宮城県の同級生であり、東北大地震で被害に遭われたところだ。最初は連絡がつかなかったので心配していたのだが、幸いにもご家族は無事だったことが分かって、安堵したと聞いている。

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チャペルでの結婚式、披露宴も無事に滞りなく終わって、まずは一安心。私も華やかな披露宴を楽しむことが出来た。若い二人が笑顔で旅立つ姿は何度見ても良いものだ。心からの笑顔と云うのは、人を幸せにするように思える。

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式が終わって、その日の泊りは八丁堀。まだ4時前だったので、浅草に行くことにした。雷門の大提灯のまえで写真を撮ろうと。ところが行ってびっくり。人、人、人で動けないほど。法被姿の人も多くて、それで気付いたのだが、丁度三社まつりが始まったばかりなのだった。それでスカイツリーも多かったのかもしれない。

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運がよいやら悪いやら、大きなバッグを引きながら浅草寺の仲見世の人混みを縫って歩いた。妻も私も披露宴でかなりお酒が入っているはずなのに、酔いは感じなかった。高揚していたのだろうか。<o:p></o:p>

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東京駅で京葉線に乗り換えて(京葉線のホームまでが遠かった!)、八丁堀のホテルに入り、入浴してすぐに寝た。明日はみちのく四寺廻廊、東京駅で6時45分集合だ。遅れたら大変だ!

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阿蘇ボーイ

2013-04-11 15:00:35 | 紀行

 

阿蘇ボーイのクロちゃんシートで、和君と奏君

 

昨年の春、和君と奏君を連れてSL人吉号に乗りに出かけた。 幼児期に何でも体験させたいと思い込んでいる妻の発案なのだが、汽車好きの孫達にとっても嬉しいことで、九州新幹線も経験して大いに盛り上がったのだった。 そして今年は小学校に入学する前の思い出として、阿蘇ボーイに乗りに行くことになった。 いつものことながら妻が計画し、私は同行するだけだったが。

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 阿蘇ボーイ、熊本から阿蘇の宮地を結ぶ豊肥線の特急列車だ。元来は熊本―大分間なのだが一昨年の大水害で大分側の鉄橋や線路が壊滅しており、列車は宮地までとなっている。(不通区間はバス輸送)このローカル線の阿蘇ボーイ、実は大変な人気者。初代はSLだったのだが、一昨年にディーゼル特急に変わり、パノラマシートやラウンジ、クロちゃんシートの他にも子供向けに遊び場や図書ルームなども設けられており、車内には阿蘇ボーイのシンボル、クロエモンが色んなところに顔を出していて、楽しみが満載の列車なのだ。

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 一泊二日の旅行なのだが、今回からはたっ君も行くことになった。トイレの心配が無くなったし、歩くのもしっかりしてきた。それぞれのパパだけが仕事があるので留守番、孫3人、ママ2人、ジジババ2人の総勢7人だ。目的が阿蘇ボーイだけというのも芸が無いと、妻が南阿蘇鉄道のトロッコ列車に乗る企画を加えた。 阿蘇の外輪山にある立野から高森まで、白川や黒川の峡谷を渡る観光トロッコ列車が走っている。そして宿泊地は阿蘇ファームランド。色んなテーマパークがあって、日中はそれで遊び、疲れたら温泉で汗を流し、ドーム型の家がキノコのようにずらっと並んでいるビレッジで宿泊するという算段だ。

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 小倉から特急、新幹線を乗り継いで熊本へ。ホームではちょっと気取った感じで阿蘇ボーイが停まっていた。前の方では記念写真を収める人たちも多く、有名な汽車だというのを改めて感じた。それにパノラマシートに照英さんが座っているのが見えて、「ほぅ、阿蘇に行くんだ!」とこの時は思った。

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 熊本から立野までは1時間弱。私はクロちゃんシートに座って、孫達が木のプールでボール遊びをしているのを眺めていた。たっ君は一目散に図書ルーム。やはり絵本が大好きのようだ。

 

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<o:p>阿蘇ボーイ、木のプールで。右は照英さんの取材。</o:p>

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 ところが動き出して10分ほどすると何とカメラマン達に囲まれて照英さんがやってきた。子供たちが遊んでいる木のプールに陣取って、子供たちに話しかけている。伝え聞きによると、JR九州の阿蘇ボーイのPR取材なのだった。タイトルは知らないが、5月に放送されるらしい。調べておかなくては。

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カメラは和君や奏君にも廻っていた。奏君が名前を聞かれて名乗っていたのが奏君らしかった。この照英さん騒動であっという間に立野に着いた。そこからトロッコ列車に乗り換えた。天気は良かったのだが若干風が強かった。トロッコは窓がなく雨風が振り込んでくるので、よい天気じゃないととても乗れない。それに花冷えと云うのだろうか、若干寒くも感じた。

 

<o:p>南阿蘇を巡るトロッコ列車</o:p>

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 トロッコ列車は峡谷を跨いでゆっくり進む。長いトンネルもあって、結構、面白かった。 ただトロッコサイズなので席幅が狭くて窮屈ではあった。桜はもう葉桜に替わってはいたが、田園には菜の花や蓮華が咲いていて、阿蘇の五岳は春たけなわの装いだった。

 

 

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