こころ、からだ、人生を語る。整体サロンやすらぎどう院長ヒロのブログ

埼玉県所沢駅より徒歩3分、整体サロンやすらぎどう院長渡辺が「こころ、からだ、人生」をテーマに語ります。

14年ぶりに見つかった手紙

2011-08-01 | つぶやき
昨日の続きです。


14年ぶりに、偶然見つかったもの。

それは、

1枚の、小さな紙切れ。


そこには・・・


僕が、平成9年にワープロで打った文字が刻まれていました。




平成7年夏、元気な母に、乳がんが見つかりました。

すぐに手術。

そして、1年後の平成8年秋に、手術した周辺にがんが再発。

今度は、放射線治療を受けました。


もともと、母は、書道家。

たくさんの生徒さんを抱えていました。


乳がんがわかり、治療を受けながらも

書道教室は、ずっと続けていました。

それが、生きがいになっていたのでしょう。


大人と小学生、たくさんの生徒さんがいて、

みんなに、慕われているようでした。


放射線治療後、特に副作用が出る様子もなく、

12月には、僕と両親で、房総へ一泊の家族旅行へ。


旅行中、父も僕もいまひとつの体調で、

3人の中では、母がいちばん元気でした。


ところが。

旅行からしばらくたって、母が咳こむようになりました。

病院でレントゲン検査を受けると、放射線治療を受けた側の肺が真っ白。

「放射線性の肺炎」という診断でした。

放射線治療の副作用、というか、放射線が肺に当たっていたのです。


そこから、みるみる母は弱っていきました。

せき込みながらも、書道教室だけはなんとか続けていましたが、

それも、歳が明けて平成9年5月には、限界を感じ、

書道教室をおやすみすることになったのです。


そのとき、母が、生徒さんにあてて書いた手紙を、

僕が、ワープロで打って、印刷したのです。


昨日、偶然みつかったのは、そのときの手紙でした。

このとき書いた文章が、なぜか、ずっと気になっていました。



母はその後、6月に、僕のすすめで、埼玉の南古谷にある、

がん治療で有名な帯津三敬病院へ入院。


あとで担当医に聞いたところ、入院時にはすでに

末期状態だったそうです。


一日おきに僕は病院へ母を見舞いに行き、

ビワ温熱療法などの手当てをしてあげました。


暑い夏で、僕自身も体力の限界状態、

母に「一緒に入院する?」と言われる始末でした。


そして、8月5日。


病院の担当医から、「もうできることはないから、家の近くの

病院に転院してはどうか」と提案され、


移転先の病院や、救急車での移動を手配、

転院準備がすべてととのい、

翌日移動、という、その日の夜に、

母は、亡くなりました。

56歳でした。


気がつくと、もうすぐ、8月5日。

あれから、14年。


以下が、見つかった便りです。


母は、また書道教室を再開できると思って、この手紙を書いたのかな・・・

それとも・・・



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長い間多くの皆さまに支えられながら続けて参りました書道教室を、

突然で申し訳ありませんが、この5月で閉会させていただくことにいたしました。

素直で元気な子供さんたちとお別れするのは大変残念ですが、

しばらくの間、自分の健康管理に専念するつもりです。

いずれ再開できる時が参りましたら、またあらためてお世話になりたいと

思っています。

今までの皆さまがたの御協力に心から感謝いたします。

よろしく御諒承下さいませ。


平成9年5月末日    渡辺 杏花

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