動画で楽しむDano(421)

2024-01-31 19:31:14 | Dano Movies(邦)
山口冨士夫 ATMOSPHERE promotional film


山口冨士夫がダイナマイツのギタリストとして「トンネル天国」でデビューしたのが1967年のこと。その頃日本ではグループサウンズが一大ブームになりつつあり、以降、100を超える数多のバンドがそれこそ雨後の筍のごとくデビューすることとなっていくのである。とはいえ、ビートルズのように自分たちで作った楽曲を自由に演奏することが許されるわけもなく、レコード会社の意向に従い、職業作家による楽曲を演奏しなければならないケースがほとんどだったという。日本人で初めてギターの弦をベンド(チョーキング)したと言われている山口冨士夫を擁したダイナマイツでさえ、デビュー曲の「トンネル天国」は作詞が橋本淳、作曲は鈴木邦彦という、グループサウンズに多くの楽曲を提供した作家たちによるものであった。ロック的な要素と青春歌謡がないまぜになってしまうこの曲は日本のロックがまだ確立される前の過渡期のサウンドとして、今となってみれば面白いものではあるが、当時のバンドでは、例えばゴールデン・カップスのように、いやいやながらもお仕事でレコーディングしたシングル曲はライブでは演奏しないことにして、このジレンマを乗り越えていたのであった。

グループサウンズも末期になると一方ではどんどん歌謡曲化が進み、パープル・シャドウズに代表されるように、後年ロス・インディオス&シルヴィアにカバーされるような(「別れても好きな人」)、ほとんどムード歌謡になってしまったグループもあれば、他方には日本のロックの確立に大きな功績を残したグループやミュージシャンがいた。スパイダースのかまやつひろし、ルイズルイス加部らのゴールデン・カップス、鈴木ヒロミツや星勝らのモップス、そしてこの山口冨士夫などである。

山口冨士夫は1970年代に入ると京都において柴田和志らと村八分を結成、このバンドは1973年までの短い活動期間ながら、日本のロックの確立に大きく寄与した。ローリング・ストーンズに影響を受けた山口冨士夫のギターサウンドは当時の日本において際立っていたと言えるだろう。

村八分解散後は1974年にソロアルバム「ひまつぶし」をリリースするも、それ以降の活動は断続的なものになっていく、1980年代中頃からタンブリングス、1987年からティアドロップス、1991年にティアドロップスの活動を停止したあと、1992年にソロアルバムの「ATOMOSPHERE-I」、「ATOMOSPHERE-II」をリリース。上の動画はそのプロモーションとしてインタビューに応じたときのものである。鎌倉の材木座海岸で撮影されたようだ。

インタビューの合間に気ままに爪弾かれているギターはダンエレクトロのコンバーチブルである。このモデルは1959年から1969年まで、1966年頃にヘッドシェイプが変更されながらも生産が続けられた。アコースティックギターのように真中にサウンドホールが開いており、アンプにつながなくてもそこそこの生音が出る。ブリッジとテールピースの構造上の問題により、弦の振動がボディに十分に伝わらず、コードを弾けばガシャガシャ、単音を弾けばサスティン不足でペンペンとした音となる。これを味ととらえるか、単にショボい音ととらえるかは好みの分かれるところだろうが、ブルースなどを弾き語るのにはいい感じのいなたさがあろうかと思われるし、この動画で山口冨士夫が弾き語る「錆びた扉」も悪くないと思う。インタビューの合間に聞こえてくるちょっとしたフレーズにも彼の年季が入っている感じ。

2013年、福生駅で知人の女性が男にからまれていると勘違いしたアメリカ人男性がその男に殴りかかっていったところに止めに入って突き飛ばされ、後頭部を打ったことにより、山口冨士夫は死去、64歳だった。
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