goo blog サービス終了のお知らせ 

バンド幻想

2009-01-14 00:54:10 | Music Life
昔はバンド幻想が強かった。
運命的な出会いだとか、初めて音を出したときに化学反応が起こったとか、そういうのに憧れがあったりしたわけ。翻って現実を見れば、バンドのメンバーは運命を感じさせるようなもんでもなかったし、一緒に音を出せば「俺たちヘタクソだな」と改めて認識させられるだけのことで、味も素っ気もない状況だった。

そんなこんなでバンドなんか懲り懲りだと思っていたのだが、周りにバンドをやっている人たちが増えてきたこともあり、なんだかんだと楽しくやっているのを見ているとまたバンドをやりたくなってしまうというわけで、音楽サークルにも入ってみたけど、まだ活動らしい活動をしていないし、この先どうなるのかちょっと心配になる。

今はさすがに痛々しい幻想は持っていないので、流れに任せていけるとは思うんだけどねえ。

ピック遍歴を語る

2008-12-28 00:53:33 | Music Life
ピックの話でもしようかな。
高校時代に使ったピックの枚数は数えられる。3枚。3年間で3枚しか使っていないというのは、当時はピックというものは割れたりしなければいつまでも使えるものだとばかり思っていたから。



最初のピックはトーカイのレス・ポールを買ったときにオマケでつけてくれたフェンダーのティアドロップ、HEAVY。現物はもうないので、イメージ画像だけど、まあ、定番中の定番だね。これを先端が丸くなるまで使ってた。この頃はギターを始めたばかりだから、弾けなくてイライラして、ピックスクラッチを何度もやってみたり、無茶苦茶かき鳴らしたりしたもんだから、かなりキズだらけでかわいそうなくらいだった。



次のピックはべっ甲のリッチー・ブラックモア・ピック。当時350円もして高いなあと思ったけど、今だといくらだ?べっ甲のピックは2000円か3000円くらいするんじゃなかったかな。まあ、高校時代はリッチーのコピーとかしていたので、この5角形のピックを使えば速弾きも楽にできるのではないかと浅はかな期待を抱いてみたけれど、たいして変わらなかった。べっ甲はわりと耐久性はあるのではないかと思うが、それでも先端はだいぶ丸くなってしまった。



最後のピックはアイバニーズの小さいやつ。当時はイバニーズと言っていた。デンオンがデノンになったようなものか。このピック、昔はスティーヴ・ルカサーのシグネイチャー・ピックだった。小さいピックの方が速弾きがやりやすいという噂を聞いて使ってみることにしたわけだが、確かに弾きやすいと思った。これ使うようになってまもなく受験シーズンで、ギターどころではなくなったため、あまり酷使されることなく終わった。

今はTerry Gouldのティアドロップ型の1ミリのか、ジムダンのウルテックスの同じく1ミリの白サイを使っている。たまにHERCOのFlex50を使うけどね。

ギターを始めた頃

2008-12-23 19:37:18 | Music Life
そもそも楽器に興味を持ったのは中学1年生の頃だね。YMOが最初のワールドツアーを終えた頃で、テクノ・ポップがブームになって。その頃はまだまだシンセサイザーなんて未知のもので、テレビやラジオでシンセサイザーのデモンストレーションをやったりもしてたわけ。シンセサイザー1台あればヴァイオリンの音もトランペットの音も出せます、一人でオーケストラもできちゃいますとか、楽器の音だけじゃなく雨の音、風の音、車のエンジンの音なんかも出せるとかいった感じでね。効果音をすべてシンセサイザーで作ったラジオドラマもあったな。そういうの面白いなって思った。小学生の頃はプラモデル作ったり、機械いじりするのが好きだったんで、その延長線にシンセサイザーがハマッたのね。でも、当時のシンセサイザーなんて子どもが買えるようなもんじゃないしね、憧れだけさ。
そのとき感じたのはテクニックには時間がかかる、テクノロジーには金がかかるってこと。

ギターはね、フォークのイメージが強かったから、あんまり興味がなかったけど、ビートルズを聴くようになって変わったね。それに、5万円のシンセサイザーと100万円のじゃ性能に雲泥の差があるけど、5万円のギターと100万円のとでは、音質はともあれ、出せる音域は一緒じゃん、みたいなのもあったね。

中学2年の頃は、兄貴がバンドやってるって友だちがいて、そいつからリッチー・ブラックモアを知ったりとか、小林克也がやってた「ベストヒットUSA」でヘンドリックスやザ・フーの映像を見たりとか、だんだんギタリストへの興味が強くなっていったのもあったかな。
最初にギターを触ったのは中学3年生のときで、友だちの家にエレキがあった。サンバーストのストラト。今にして思えば石ロゴのフェルナンデスだったね。まあ、当時は石ロゴがどうとかいうのは全然なくて、安物のコピーモデルってだけさ。その友だちのとこへは毎週遊びに行ってたんで、そのたびにギター弾かせてもらってた。コードも教えてもらったり。それで弾かないアコギがあるっていうんで半年くらい借りたかな、それでギターの練習を始めたんだよ。

最初に自分のギターを手に入れたのは、中学3年の冬休みだね。その頃にフェンダージャパンが出てきて、日本製だけどフェンダーのロゴの入ったギターを手にすることができるようになった。そりゃもう、フェンダーだよね。で、キャンディ・アップル・レッドのストラトを買いに楽器店に入ったわけだけど、店を出た俺が持っていたのはトーカイのレス・ポールだったんだよ。自分でもよく覚えてないんだけど、カタログで見るのと違ってストラトが安っぽく見えたっていうのはあったかな、でもレス・ポールは木目が浮き上がって見えたり、重かったり、なんか高級感があったよね。それでレス・ポールにしたんじゃないかと思う。初めて入った楽器店で舞い上がってたというのもあったかもね。家に帰ってから、なんでフェンダーにしなかったんだって後悔したりしてね、ギター買ったのを素直に喜べない状況になっちゃって、嫌な思いもしたんだけど。でも、このときレス・ポールにして良かったと思っているよ。

ロック雑誌のインタビュー記事風にちょっとやってみました。

ファミリーコンサート

2008-12-07 00:48:56 | Music Life
私がつい先日入ったばかりの音楽サークル「R-40club」のメンバーがファミリーコンサートをやるというので、見に行ってきました。観客は当然ながら親子連れがほとんど。このコンサートは公民館の主催で企画されたもので、ピアノ、ギター、ベースという編成での演奏のほかに、子どもたちにもわかるような音楽理論というか、スケールについてのレクチャーと観客が参加してのセッションをまじえて行なわれました。

サークルの代表、緒方総裁とは、今までメールでやりとりしていただけだったので、今日が初顔合わせというわけで、これからよろしくお願いしますみたいなあいさつと、終演後に控え室で少し話をして、みたいな感じ。

R-40clubでは定期的にコンサートを開いているので、そのうちステージで演奏することもあるでしょう。