「此のつかむ作用」というのは、何がつかんだのかというと、只「作用体自体」が
活動していただけなのです。
それが「法の働き」です。
別に問題が有(在)ったのではないのです。
「法」といものは、何処にも決まってくっついてはいられないのです。
いちいち縁に触れればどんなにでも成るように出来ている作用なのです。
そういう作用ですから「法に異法なし」というのです。
迷っている人の作用も悟っている人の作用も作用自体は「一つ物」なのです。
その「法」の使い道によって一方は苦しみ、一方は楽しむという、そういう
違いが出て来るのです。