忘れないうちの書いておこう。昨日Barbaraが家に来た。この部屋を使ってくださいと、一部屋を空けた。ケイスに入った日本人形をさし上げます、と言った。これも、あれも、どうぞ。二人で色々話をして。しばらくしてBarbaraがトイレから出たところで倒れた。
音楽事務所のスタッフが部屋の掃除をしている。Barbaraを連れ出すと言う。コンサートは取りやめだと言う。「Barbaraはもう亡くなっているのではなかったか」と考える。
場面変わって、テイブルについてBarbaraの隣で、フランス語で語り合いながら食事している。身体はもう大丈夫なのだろうか。もっと一緒に居たかったのに。この家で。
場面変わって、Barbaraが船に乗り込んでいる。見送りに来たけれど、私も一緒にこの小さな高速艇に乗って送り届けよう、遠くではない。ポケットに手を入れると、お金が不足している。誰かに2,3万借りなければ、船に同乗することが出来ない。借用書を書いているところで、夢は終わった。
今もこの家にかすかにBarbaraの気配がある。
・・・・・・・・Barbara Sa Vie・・・・・・・・
追記:2009年3月13日
上の記事は2009年1月8日に記入したものです。気恥ずかしくてしばらく隠していましたが復活させました。高速艇に乗っていれば三途の川を渡っていたような気がします。体調が悪かったのです。
参照:Barbara Vienne par Patrick Bruxel:
参照:Veronique Sanson parle de Barbara:
自作の曲をピアノで弾き語るBarbaraの後輩はVeronique SansonとMarie Paule Belleで、二人ともBarbaraを熱愛しまたスタイル確立のための心の支えとしてきた。制作に行き詰まるとVeroniqueもBarbaraにアドヴァイスを縋っている。Veroniqueが制作について語るとき、真っ先に思い浮かべるのはBarbaraの助言である。心の繋がりは深い。なを、このfilmはVeronique Sanson fanには垂涎もの間違いなしである。お金がすっからかんでレコードを買えなかった頃、従姉妹にSansonのレコードを推薦して買ってもらったことがある。(その頃の曲をたくさん聴くことができる) 彼女はそのレコードにすっかりメロメロになり「いい歌手を紹介してくれて有難う。またいいレコードがあったら教えてね」と感謝さえしてくれた。その従姉妹も去年の1月にJacquesと同じ肺がんで亡くなっている。
参照:Barbara My Space.Com
PLANETE BARBARAの住人がたくさん集まっている。Barbara fanの方は、どうぞお楽しみ下さい。
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