CORRESPONDANCES

記述内容はすべてBruxellesに属します。情報を使用する場合は、必ずリンクと前もっての御連絡をお願いします。

石井好子 (20) 文藝別冊 【追悼総特集】

2011年05月19日 08時52分54秒 | 追悼:石井好子

昨日阿倍野のユーゴ書店で文藝別冊 、『石井好子【追悼総特集】シャンソンとオムレツとエッセイと』(河出書房新社)を手に取った。追悼総特集であるが、シャンソンとオムレツとエッセイと、3方面からのやや軽いタッチのアプローチ。著作などに掲載された写真も、集中していると思えるくらいに集められている。DVD「ローバは一日にしてならず」(参照1)(参照2)(参照3)に比べると、そしてシャンソンの石井好子、個人の石井好子に関する洞察は物足りないが、それぞれの書き手とのかかわりは、よく書かれていると思う。略式だが年譜も入っていた。総特集、まるまる一冊である。再評価の手掛かりになれば、そしてシャンソンの石井好子が再び考察されるきっかけになればと願っている。...

石井好子の何にひかれたかといえば、その奥深さ、スケールの大きさ、偏見のない寛容さ、度量の深さ、堂々とした肉体的精神的姿勢である。虚偽が一切ない。物怖じすることも、自慢する必要もない充分なバックグラウンドと本物の経験と人脈がある。日本が生んだ昭和を代表する女傑である。
私は最近「生前どうして会わなかったのか」と悔やんでみたり、「会わなくてよかったのだ」と思い直してみたり、気持ちが波のように揺れている。entourageが多いから、近寄りがたい、実際そんな体験を夢の中でしたことがある。
上の本の中の文章に「私には子供がいないからお墓も不要である。死んだら灰を、ヘリコプターをチャーターして空から撒いてほしい」とあった。これは私の祖母が言った言葉である。しかし石井先生の生死観がよく出ていると思う。
また別の上の本の文の中で「西洋の男性は、何を言えば女性が喜ぶかを常に考えているが、日本の男性は、そういう配慮が欠落している。というより怒らすことを平気で言う」というようなことを書かれていた。確かに、女性は征服するものであり「言葉で喜ばせる」などという手間暇をかけるのを良しとしない、という風な変なところが一般論として日本男性にはあるような気がする。石井先生ならではの、ズバリ発言であった。
食に関して言えば、シャンソンも何も知らない私の若い知人がパリ祭で歌う石井好子を見て「このひと、おいしいものばかり食べていそう」と言ったことがある。なんという感想かと、びっくりしたが言葉を変えて言えば、このひと生活の惨めさがない、ハイソが漂うと言いたかったのだろう。「この人はコルドンブルーでお料理を学んで、自分でもたくさん料理の本を執筆されている。確かに食通、その感想当たりね」と返事した。多くの人が石井好子に関して抱く、最も多い感想だと言っても間違いないだろう、「おいしいものばかり食べている人」。面白かったのでこの話も石井先生に確か伝えた。その子はその時こうも言った。「このひと長生きしそう」そしてその感想も伝えた。
エッセイに関しては、2006年くらいだっただろうか、突然こんな手紙が来た。「私は文章だ下手だ。書く才能が私には全くない」と。あれだけのエッセイストが何故こんなことを思われるのか、何があったのかと不思議だった。確かにそれ以後あまり文章を書かれていないし、ご自身のサイトの近況報告の文章も滞りがちになった。書く才能はおありだ。現にその血を受け継いだ親族の若手から芥川賞作家が誕生した、きっと天国でお喜びになっていらっしゃるだろう
上の写真のお顔など、よく似ていらっしゃる。

追記:2011年5月18日
参照:二人のBigshow
オムレツの石井好子しか知らない人
(これが意外に多い)にもお勧めのTV番組。
80年代のまだあまり石井好子の凄さを知らない頃
「石井先生は正直ゆえにどうしても素が出る」等と
失礼なことを平気で書いていた。演技力が足りない、など。
演じるを良しとしない、歌はあくまでも
「歌」としての完成度で勝負だという心意気が
おありだったのだろう。
それが正解だったと、この番組を見て思う。
演技力とは声量や歌唱を補足するものだと
この番組を見て初めて説得された。
鑑賞前にあった微かな不安が鑑賞後には
喜びと安心に姿を変えた。
ずっと後には「石井好子はまじめすぎる」等とも書いた。
真剣さは聴衆にも真剣さを要求してしまう。もっと
遊びがあってもいいのではないか。「手を抜いたら」
とも書いたかもしれない。
余裕綽々にみえて、責任感の重さからか
実は常に(全力)と(必死)の方だった。
Juliette Grecoのコンサートに行った。
「なるほどと思える何かを掴めた」と
お返事があった。「気持ちが楽になった」とも。
付随する可能性のある無用な「りきみ」を
そぎ落とす、新たな自信の確認であったのだと思う。
時代をよく思い出せないが
70歳の後半になられていたと思う。

Adamoのコンサートに行って感動されたこともあった。
脳梗塞からあそこまで復帰するには
血のにじむような努力をしたに違いない。
同じ歌手としてその努力に感動されたのだ。
新聞によると亡くなられる2010年の7月の
入院時にも復帰準備をされていたとある。
Adamo以上の感動の復帰を
すでにイメージされていたに違いない。
運命の風が少し別方向から吹いていれば
それは可能だった筈だ。
現実は人間の意志や努力を一切斟酌しないのだろうか、
そう思うと残念でならない。

石井先生に亡くなられて、私自身
チャレンジ精神と前向きな視点を失くしてしまって
ヘナヘナになっている。私にとっては
身近で大きな存在だったのだと
弱い心を支えていただいていたのだと
改めて思う。



最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。