サ・ガーズの今日の「修平のひとり言」にMarie LaforetのBouffes Parisien劇場の35年ぶりのコンサートのことが書かれていた。
そういえば初めてParisに行くとき、家を出る直前までMarie LaforetのLPを回していたのを思い出した。「青春の光と影」(Je n'ai rien appris pas du tout)やら「Que Calor la vida」などを聞きながら。
そのMarie Laforet2005年9月4日France3の「On ne peut pas plaire a tout le monde」という番組に出てこんなことを言っている。「私はBarbaraとSheilaの精神的な娘です」と。Barbaraは嬉しいんだけど、Sheilaと並べられると、あんまり嬉しくない。
資料提供:http://www.passion-barbara.net
Liliane BenelliとBarbara L'Ecluseにて
1963年にLiliane BenelliはBarbaraの二つの詩に曲をつけている。
「Ni belle ni bonne」と「Ce matin la」
Barbaraの魅力を引き出している曲だと思う。
「Une petite Cantate」はこのLilianeのためにBarbaraが書いた曲。
コンサートでは欠かさない曲のひとつである。
かなり古い情報ですが。
Marie Trintignantをしのんで仕事仲間たちが2003年8月6日EdouardⅦ劇場で追悼の催しをした。そこで女優のBarbara Schulz,歌手のLio,とRachelが三人一緒に”Une Petite Cantate"を合唱した。この歌はMarie Trintignantのお気に入りの曲だったから。
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今日は「TOI LE POETE」にMichel Polnareffの「HOLIDAYS」を入れました。
「黒いわし」の副題ーLaurenceに捧ぐーのLaurenceについて。Barbaraの姪だということが判明した、というところまで以前に書いた。今日はこれに少し追加。Laurenceは、妹Regineの娘のLaurenceだと判明した。
こんな世界的な大ヒット曲を捧げられた姪って、どんな気持ちなんだろう。
ついでにBarbaraの兄弟姉妹について少々記載しておくと。
Barbaraは長女。2歳年上の兄Jeanがいる。Barbaraが8歳のときに妹のRegineが誕生。12歳の時に弟のClaudeが誕生している。
今日も短いDIARYを書きました。
原因不明の発熱で頭が朧月夜の間に、タイミングを失してしまった。Les Amis de Barbaraから手紙が来て思い出した。6月9日はバルバラのお誕生日。いつも会員全員の名前でBagneuxのお墓にバラの花束を献花する。そのお花とお墓の写真は会報に載る。 ついでながら有名園芸家が作り出した、Barbaraという薔薇の新種もできている。 同じ9日に塚本邦夫氏がなくなられた。「薔薇色のゴリラ」はシャンソンファンにとって凄い本だと改めて思う。歌壇において、写実主義を一刀両断に切り捨てられたるところは、言葉におけるイメージの自立を称揚する私の、考えてみれば強い味方でおられたわけだ。合掌。 パリでBarbaraのお墓参りをと考えておられる方のために少し案内を。メトロはChatillon-Montrouge。住所は45Av.Max Dormoy。お名前は母方でBrodsky家の墓。それはDivision 4 Ligne 3 NOR 墓石番号10 墓地の開門時間は月曜から金曜までは8時から18時、土曜日は8時半から18時、日曜祭日は9時から18時、です。 | |||
今日それをふと見ると、表紙裏つまりトップのトップに赤字で書いてあるではないか。
Mais Dieu que les roses sont belles a Gottingen a Gottingen..(ゲッチンゲンのバラはなんと美しいと、フランス人の歌手Barbaraは歌い、この大学都市の魅力を讃えた、と) 大昔は中世商業都市だったようだ。
現在はすでに40人以上のノーベル賞受賞者を生み出している大学都市で、1933年までは特に数学で有名だった。David HilbertとHerman Minkowskiが、Einsteinが「Theory of Relatibity」に着想するための礎となる、数学的理論を構築したのもここGottingenの大学においてだったとある。 ついでの時に皆様も一度Gottingenの観光資料を手にとって、確かめて見られては?この都市の雰囲気を。あの歌を。
「A Bruxelles」というベルギーの旅行案内によると:Surrealistの詩人のPaul NOUGEは1953年Tinturet通り19に住んでいた。向かいが歌手のBarbaraさん。Paul NOUGEのお友達がBarbaraの恋人、Claude SLUYS。Barbaraの心遣いのおかげで、この自堕落で破滅寸前の詩人は随分救われたことだろう、と。
Barbaraはこの後、Cheval Blancというキャバレーをオープン。経営に失敗しその後Parisに戻り、そこから少しづつ花開いてゆく。
そしてここがトリビア。バルバラの義父になるFelix SLUYSは有名な口腔外科医でかのPUCCINIの喉頭癌を手術した人だ、とあった。 今日はこれに関連する記事を久々にMusic cross talkに書いてみようと思う。
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Music Cross Talkに「Barbara et Bruxelles」を書きました。