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CORRESPONDANCES

記述内容はすべてBruxellesに属します。情報を使用する場合は、必ずリンクと前もっての御連絡をお願いします。

Marie Laforet

2005年09月22日 18時54分24秒 | 小さなBARBARA情報

サ・ガーズの今日の「修平のひとり言」にMarie LaforetBouffes Parisien劇場の35年ぶりのコンサートのことが書かれていた。

そういえば初めてParisに行くとき、家を出る直前までMarie LaforetのLPを回していたのを思い出した。「青春の光と影」(Je n'ai rien appris pas du tout)やら「Que Calor la vida」などを聞きながら。

そのMarie Laforet2005年9月4日France3の「On ne peut pas plaire a tout le monde」という番組に出てこんなことを言っている。「私はBarbaraとSheilaの精神的な娘です」と。Barbaraは嬉しいんだけど、Sheilaと並べられると、あんまり嬉しくない。
資料提供:
http://www.passion-barbara.net


Liliane Benelli

2005年09月15日 17時59分52秒 | 小さなBARBARA情報



Liliane BenelliとBarbara   L'Ecluseにて
1963年にLiliane BenelliはBarbaraの二つの詩に曲をつけている。
「Ni belle ni bonne」と「Ce matin la」
Barbaraの魅力を引き出している曲だと思う。
「Une petite Cantate」はこのLilianeのためにBarbaraが書いた曲。
コンサートでは欠かさない曲のひとつである。


Marie Trintignant

2005年09月15日 17時37分41秒 | 小さなBARBARA情報

かなり古い情報ですが。
Marie Trintignantをしのんで仕事仲間たちが2003年8月6日EdouardⅦ劇場で追悼の催しをした。そこで女優のBarbara Schulz,歌手のLio,とRachelが三人一緒に”Une Petite Cantate"を合唱した。この歌はMarie Trintignantのお気に入りの曲だったから。
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今日は「TOI LE POETE」にMichel Polnareffの「HOLIDAYS」を入れました。


「黒いわし」のLaurence

2005年09月03日 17時50分53秒 | 小さなBARBARA情報

「黒いわし」の副題ーLaurenceに捧ぐーのLaurenceについて。Barbaraの姪だということが判明した、というところまで以前に書いた。今日はこれに少し追加。Laurenceは、妹Regineの娘のLaurenceだと判明した。
こんな世界的な大ヒット曲を捧げられた姪って、どんな気持ちなんだろう。

ついでにBarbaraの兄弟姉妹について少々記載しておくと。
Barbaraは長女。2歳年上の兄Jeanがいる。Barbaraが8歳のときに妹のRegineが誕生。12歳の時に弟のClaudeが誕生している。


塚本邦夫氏、そしてBarbaraのお墓のこと等

2005年07月25日 18時41分17秒 | 小さなBARBARA情報
原因不明の発熱で頭が朧月夜の間に、タイミングを失してしまった。Les Amis de Barbaraから手紙が来て思い出した。6月9日はバルバラのお誕生日。いつも会員全員の名前でBagneuxのお墓にバラの花束を献花する。そのお花とお墓の写真は会報に載る。
ついでながら有名園芸家が作り出した、Barbaraという薔薇の新種もできている。
同じ9日に塚本邦夫氏がなくなられた。「薔薇色のゴリラ」はシャンソンファンにとって凄い本だと改めて思う。歌壇において、写実主義を一刀両断に切り捨てられたるところは、言葉におけるイメージの自立を称揚する私の、考えてみれば強い味方でおられたわけだ。合掌。

パリでBarbaraのお墓参りをと考えておられる方のために少し案内を。メトロはChatillon-Montrouge。住所は45Av.Max Dormoy。お名前は母方でBrodsky家の墓。それはDivision 4 Ligne 3 NOR 墓石番号10
墓地の開門時間は月曜から金曜までは8時から18時、土曜日は8時半から18時、日曜祭日は9時から18時、です。

Gottingen

2005年07月25日 18時12分11秒 | 小さなBARBARA情報
長年ドイツ語を勉強している大昔の元生徒のキミが以前「Gottingen」の都市観光案内を送ってくれた。パラパラとみて、ああ、何もBarbaraの記事は無い、とそのままにしていた。
今日それをふと見ると、表紙裏つまりトップのトップに赤字で書いてあるではないか。
Mais Dieu que les roses sont belles a Gottingen a
Gottingen..(ゲッチンゲンのバラはなんと美しいと、フランス人の歌手Barbaraは歌い、この大学都市の魅力を讃えた、と) 大昔は中世商業都市だったようだ。
現在はすでに40人以上のノーベル賞受賞者を生み出している大学都市で、1933年までは特に数学で有名だった。
David HilbertHerman Minkowskiが、Einsteinが「Theory of Relatibity」に着想するための礎となる、数学的理論を構築したのもここGottingenの大学においてだったとある。 ついでの時に皆様も一度Gottingenの観光資料を手にとって、確かめて見られては?この都市の雰囲気を。あの歌を。

トリヴィア Barbara

2005年07月25日 17時50分01秒 | 小さなBARBARA情報
サイト制作と同じで書くほうも資料に埋もれて手がつけにくい状態。たまたまこんな紙切れを見つけた。・・
「A Bruxelles」というベルギーの旅行案内によると:Surrealistの詩人のPaul NOUGEは1953年Tinturet通り19に住んでいた。向かいが歌手のBarbaraさん。Paul NOUGEのお友達がBarbaraの恋人、Claude SLUYS。Barbaraの心遣いのおかげで、この自堕落で破滅寸前の詩人は随分救われたことだろう、と。
Barbaraはこの後、Cheval Blancというキャバレーをオープン。経営に失敗しその後Parisに戻り、そこから少しづつ花開いてゆく。
そしてここがトリビア。バルバラの義父になるFelix SLUYSは有名な口腔外科医でかのPUCCINIの喉頭癌を手術した人だ、とあった。 今日はこれに関連する記事を久々にMusic cross talkに書いてみようと思う。
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Music Cross Talkに「Barbara et Bruxelles」を書きました。