コーチkazuの「夢が実現!」 http://www.katch.ne.jp/~k-kami/

コーチ日本1のkazuさんが満を持してブログに登場!教育コーチを日本に広めた第一人者として、東奔西走しています。

一人になれる場所を作る

2022-02-10 07:21:48 | Weblog
自分だけの特別な場所で
「特別な時間」 を持つことには、
大きな意味がある。

一人になって、
考えたり反省したりできる場所。
膜想したり、
祈ったり、
好きなことができる場所。

頭を空っぽにして何もしないでも落ち着ける場所。

その場所で何をやるかということではなく、
誰にもじやまされず、
そこにいるだけで幸せを感じられる。

そういう「一人の時間」を充実させている人こそ、
人生の幸福度が高いといえる。

たった一人で誰にも邪魔されないで
静かなひとときを過ごすという条件さえ
満たせるのであれば、
どんな所でもいい。

極端なことを言えば、
部屋の片隅の暗がり、
階段の下、
クローゼットの中だっていい。

子供時代にはそういう秘密の場所が
あった経験を持つ人は少なくないはず。

誰にも邪魔されないという条件で言えば、
公園でも美術館の休憩室でもいい。

どのくらいの頻度で
どのくらいの時間いるべきかといったルールはない。

そこがどんな様子かも問題ではない。
すべてはあなた次第。
ただ一つ大切なことは、
そこが自分だけの特別な所で、
一人になりたいときに行きたい場所であるということだ。

くよくよしているときに行くと
リラックスできて元気が取り戻せる。
悲しいときは気持ちがさっぱりして、
いつもの自分に立ち戻れる場所である。
幸せな気分でその場所へ行くと、
ますます幸せな気分になれる。

ここではどんな執着や理屈からも自由になれ、
シンプルに考えられるようになる。

もし、
そういう場所を持っていないなら、
早速どこか探してみよう。
もし見つかったら、
そこを手放さないように。

さっき挙げた条件がそろっているなら、
初めは少しくらい居心地が悪くてもがまんしよう。

そうしていると、
いつでも自分にとって
最適な居場所が見つかるようになる。


一番やりたいことをやる

2022-02-09 07:12:48 | Weblog
運がいい人に変わる方法はシンプルだ。
「運がよくなりたい!」と強く思うこと。
そして、
運がよくなるクセを身につけることだ。

もし、
「苦しいこと」や「悲しいこと」が
たびたび起こるというのなら、
それは、
運が悪い人の習慣、
心のクセのようなものが
ついてしまっているからなのだ。

寝ているときに顔についてしまった、
ベッドのシーツのしわのあとは、
すぐにはと れない。
でも、いつかは絶対にとれる。
それと同じように、
ついてしまった心のクセも、
必ずいつかはとれる。
ただし顔の皮膚は弾力性があるから、
あなたが何もしなくても自然に戻るが、
「不運を呼びこむ心のクセ」は
放っておいたら自然には治らない。

でも、
治す方法はある。
簡単で確実な方法だ。
まずは、
ちょっとやそっとのトラブルに負けない心の弾力性を
身につけることである。
そしてパワーを集中させること。

常に何に対しても熱く燃えていたら、
ガソリンがたりなくなってしまう。
だから「運がいい人」は賢くエネルギーを使い分ける。

絶対に「これをやり遂げたい」と思ったら、
そこにエネルギーを絞っている。

いまは仕事をバリバリやる時問、
いまは休息をとる時間と・・・
……などとを見極めて、
エネルギーを使っている。


はっときたら、パッと動く

2022-02-08 07:11:32 | Weblog
わずか千分の1秒・・・
こんな、
わずかな時間におとずれる「直観」が、
あなたの人生に決定的な変化をもたらすかもしれない。

たとえば、
いままさに何かを決めようとしているとき、
最後の一瞬で、
それまで考 えてきたことと
逆の決断を下してしまったことはないだろうか。

もしあるのなら、
あなたは「直観」を経験したことになる。
それはとても貴重な経験といってよい。

私たちは自分の気持ちについて、
すべてわかっていると思いがちであるが、
実は自分自身のことでもヒ割くらいは、
「わかっていない」と思っていい。

だから時々、
偶然降りてくる「自分の内側の声」は、
神様からの贈り物と考えて大事にしたほうがいい。
ほんとうのことだ。

口では「イエス」と答えていても、
心の奥底に何かひっかかることがある。
ほんの一瞬の間に、
別の選択肢があったことに気づかされる、
何かが見通せる、
あるいは心が変わることがある。

たとえば、
だれかに批判されて、
いい返そうとした瞬間、
他に選べる道があったことに気づく。

それは直観(第六感ともいわれる)のなせるワザだ。
この直観を活かすには、
いままでとちがうことをやる必要はない。
インスピレーションを信じるだけでよい。

「いいこと」を次々と起こしたかったら、
自分自身の「内側の声」を聞くべきだ。
自分を信頼できれば、
自分の素直な気持ちにも耳を傾けられるはずだ。
一番いいたいことは
「自分は最も信頼すべき存在だ」
ということである。

最初、
これを人から教えられたとき、
すぐには信じられなかった。

でも、
多くの直観が、
私をここ一番のときに、
よりよい選択肢へと導いてくれた。

いまではその神秘的な力を信頼している。


苦労をした人はそれを口にしない

2022-02-07 07:56:43 | Weblog
よく、
仕事の話で、
「いやぁ、あのときは本当に苦労しましたよ」と
苦労話をする人がいます。
確かに、
いろいろな努力をして、
それを苦労と感じたのでしょうが、
私は口にできるような苦労は、
大した苦労ではないのだろうと思っています。
その証拠に、
いろいろな業界の人の新製品開発や難工事、
巨大建築物の建設にまつわる
「苦労話」を集めたNHKの番組がありましたが、
そこにでてくる苦労は、
きらきらと輝くすばらしい体験がほとんどです。
それは苦労というより、
仕事に打ち込むことの
「やりがい」のほうに近いものでしょ う。
新製品も何の苦労もなく開発され、
ヒット商品になっても
「お話」としては面白みがありません。
人生もそのくらいの苦労がないと
面白みがないのかもしれないのです。

そこで、
だれもが仕事や人生においていろいろな努力をし、
目標を達成するために頑張るわけですが、
最近、
多く見かけるのは、
努力をすることが目的化してしまっている
人が増えていることです。

たとえば、
サラリーマンが仕事をする上で
いろいろな努力をするわけですが、
どんどん仕事をこなしても、
いっこうに達成感が得られないというのです。
そのうち、
やる気も失せてしまうのですが、
これには原因があります。

そういう場合は、
仕事=努力=苦労=生活と、
生活そのものが仕事になってしまっているのです

本来は、
生活するためにその一部として仕事をし、
努力も苦労もしていたはずなのに、
努力することが目的化すると、
結果が得られても次の努力をしなければならないために、
生活の100%が仕事に置き換えられてしまいます。

これでは、
達成感がないことに加えて集中力も続かないので、
そのうちに燃え尽きてしまうでしょう。

対策としては、
私は「手抜き」をすることをお勧めしています。
完全主義者には80%主義に転換することを、
80%主義の人には
60%くらいに引き下げることを勧めます。

ノーベル賞の受賞者が、
失敗や間違いから新たな発見があったと言いますが、
そこには発想の転換があるのです。
手抜きもときには成功につながるのですから、
努力の合間に手抜きをする、
そのくらいがちょうどいいと言えるでしょう。


病気くらいはだれにでもあるもの

2022-02-03 07:21:00 | Weblog
一人生でもっとも大切なもののひとつが
健康です。
健康でなければ仕事にしても遊びにしても、
家族関係にしても簡単にはいかなくなります。
若い頃に無理をしてたくさんの資産を作ったとしても、
リタイアしてからレジャーなどを
楽しめるだけの健康が維持されていなければ、
いったいなんのために働いてきたのか
わからなくなっていしまいます。
もちろん、
健康とはいっても、
だれにでもどこか不具合なところはあるものですから、
そうした病気を悪化させないように、
ある程度ごまかしながら
うまくつきあっていく、
という発想が必要でしょう。

「無病息災」などというのは、
それができればそれに越したことはありませんが、
まず無理なこととあきらめて、
「一病息災」でいけばいい、
とよくいわれますが、
まったくその通りです。

「無病」だから丈夫だなどと過信していると、
かえって大病に倒れることにもなりかねないのです。

ふだん、
病気をしない人は、
自分の体の不調に気づきにくいものです。
そういう人がいたら
周囲が注意してあげなければなりません。

ちょっと熱があっても無理をする、
などというのは、
20歳代の若者なら大丈夫でも、
30歳代も半ばを過ぎたら、
できることなら避けたほうがいいのです。

自分は病気もしないし、
風邪をひいてもクスリも飲まない、
と豪語している人がときどきいます。

けれども、
病気の時には必要な薬は
飲まなければならないのです。
医者の指示を無視して、
患者が勝手な判断で薬を飲まないというのは、
医者から見ると
非常に危なっかしいことなのです。
まして、
病気が発見されるのが恐いから、
医者へ行かないというのは本末転倒です。

体の健康も大切ですが、
気持ちを健康に保つことがもっと大切だともいえます。
もし体が健康でも、
気持ちが病んでいれば、
明るい人生にはなりません。

気持ちを明るく保つためには、
努めて人間関係を良好に保たねばならないし、
仕事もプラス思考で考えなければなりません。
それが、
結果的に自分の体の健康にもプラスになると考えて、
明るく生活するのがいちばん健康的だと言えるでしょう。。


自分自身を採点してみる

2022-02-02 07:29:46 | Weblog
物事を評価したり、
採点をするという行為の中で、
もっとも難しいのが
自分で自分の行動を評価することでしょう。

できるだけ客観的な評価方法で、
自分に点数をつけたとしても、
どこかしらどうしても甘くなる
ところがあると思います。

または反対に、
思ったほどの数字がでなくて、
失望を感じるかもしれません。
あれだけやったのにこんなものか、
不満を感じるあまりに
次へのやる気まで失せてしまうとこさえあるのです。

そうならないようにするには、
採点方法を減点法ではなく、
加点法にします。

たとえば、「今日の契約が取れなかった」、
「つまらないことで、部下を叱ってしまった」、
「子どもの誕生日を忘れていた」などと、
どんどん減点していくと、
限りなく落込んでしまいます。

減点法では、
まず第一に満点がでることがないので、
満たされることがありません。
つねに欲求不満となってしまいます。

反対に加点法なら、
「今朝は気持ちよく挨拶ができた」、
「小さい仕事だが前進した」、
「新しい取引先を開拓した」
とどんどん加算していくので、
点数が減っていく減点法よりやる気がでるのです。

オリンピック競技でも、
減点法の競技と加点法の競技がありますが、
9.9点などという点ではなんとなく不満で、
満点の10点がでると、
わずか0.1ポイントの違いなのに大興奮します。
あれと同じなのです。

点を稼ぐために
「よし、みんなにランチをご馳走してやろう」
「机のまわりを整理しよう」
という前向きな発想にもなります。

加点法の場合、
最初に加点する項目を書きだしておいて、
それを意識せずに1日を終えた時点で
どのくらいになったか計算します。

意識しないといってもある程度、
点数を稼ぐように気になるでしょうが、
それがいい方向にいくようにすればより
積極的になれていいでしょう。

意識せずにあとで計算してみて、
いつの間にか満点に達していたりすれば、
その喜びは 「金メダル」なみです。

50点満点でも100点満点でもいいので、
自分のペースにあった目標を作るといいでしょう。


欲をいえばきりがない

2022-02-01 07:22:56 | Weblog
人間の欲望はきりがないものです。

身近な例でいうと、
テレビだってもっと画面が大きいほうがいいし、
冷蔵庫も大きいほうがいい、
などという小さな欲望もあれば、
子どもにしてみれば、
中学生になったら自分の部屋が欲しいとか、
お父さんとしても、
小さくてもいいから自分の書斎が欲しい
などという欲望があるものです。

その欲望を実現できるだけの努力を
本人がするのであれば、
多少の欲があることもいいことなのでしょうが、
基本的に欲望にはきりがないのですから、
どこかで折り合いをつけなければなりません。

とりあえず、
家庭の責任者としては、
家族みんなが健康で、
とりあえず生活上の問題がなければ
よしとしなければならないでしょう。

日々の細かい生活上の問題はあるでしょうが、
それは、
厳しい政治・経済状況の
今の日本の社会全体から眺めれば、
本当に大したことではないはずです。

そういう、
いわば保守的な気持ちの反面、
人間はどこまでも発展して
いきたいものでもありますから、
新しい取り組みを考えたりもします。
それも欲です。

もっとお金が儲かるような別の仕事をしたらとか、
今のうちに仕事につながる資格を取って、
思い切って転職したらとか、
いろいろな欲がからんだ
「もしかしたら」の事例を考えることができます。

とにかく最低限、
忘れてはならないことは、
今の自分の生活を保証しているのは、
まさに今、
やっている仕事であるということです。

中には、
それを社会的な評価の低いものとして
認めたがらない人もいますが、
もし評価が低くても、
それなりにそれまで自分の生活の
バックボーンとなっていた仕事なのですから、
そう頭から否定するようなことは
しないほうがいいでしょう。

自分の過去を否定したところで、
そこからは何も生まれません。
それより、
これからどんな自分になりたいのか、
具体的な目標、
ゴールとなるものがあれば、
それをふくらませたほうがいいでしょう。

欲は人の常、
それがなければだれも成長しないし、
社会も発展しません。
欲に段階を付けて、
「第一段階の欲」
「第二段階……」
どんなレベルの欲をどういうふうに抱き、
とレベルを設定するのもひとつの方法です。