夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

夢になしても

2016-09-18 20:48:40 | 日記
先日の源氏物語講座は、「若紫」の巻。
人物関係と「若紫」巻の概要を、スライドを使って説明しているとき、光源氏が自邸・二条院に引き取った誘拐してきた若紫(後の紫の上)と、仲睦まじく手習い(習字)や雛遊びをしている絵を見せたら、参加者の一人が、雛屋(ひいなや。人形の小屋)を指して、
「私も子どもの頃、こんなので遊んでた。」
と言うので驚いた。


「若紫」巻から今回取り上げた和歌の場面は、光源氏が藤壺に密通した翌朝、二人が歌を詠み合う場面。

源氏 見てもまた逢ふ夜まれなる夢のうちにやがてまぎるるわが身ともがな
藤壺 世語りに人や伝へんたぐひなく憂き身を醒めぬ夢になしても

光源氏は、〈あなたと再び逢うことは至難のわざであることを思うと、この夢のような逢瀬の、その夢の中に紛れて全てを忘れてしまえたらよいのに〉と、父帝の后と不義の関係を生じた現実から目を背けるかのような歌を詠んでいる。

それに対する藤壺の歌は、〈この秘密がもし露見したら、世の人々はどんな醜聞として私たちのことを取り沙汰し、後世までも語り伝えることでしょう。それを思うと恐ろしく、あなたとあってはならない関係を結んでしまった自分の身の上がたまらなくつらいのです。もしこれが現実でなく、醒めることのない夢であったらどんなによかったでしょうに〉といった意味。

源氏が、ようやく思いを遂げても、再び関係を持つのは難しいとただ嘆いているだけなのに対し、藤壺は、望まない関係を結ばされた上に、それによって生じ得る危険を自分が背負わされることを予期し、道ならぬ恋の先に身の破滅が待ち受けていることを今から自覚して恐れおののいている。この二人の認識の隔たりが印象的で、講座ではもっぱらそのことを話題にしてしまった。

実際、密事の後で藤壺は懐妊し、世間の目を恐れながら、不義の子を帝の皇子として生み育てていくことになる。
恋愛で男女は平等というけれど、実際は現在でも、不義の恋の場合は特に、女性が一方的に世間的な非難の対象になったり、妊娠のリスクや身体的な苦痛を背負うことになったりする。そういう不条理さも見据えて、作者はこの物語を書いているように思われるのだが、講座の時にはそのあたりの問題意識をうまくお話しすることができなかった。

それでも、熱心に私の話を聞いてくださる受講生たちとの時間はとても楽しく、月一度の講座の機会を心待ちにしている。