夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

言に出でては

2016-07-30 19:53:30 | 日記
今日は、市民対象の源氏物語講座の日。
今回は「夕顔」巻たが、取り上げたのは夕顔が直接登場する場面ではなく、夕顔の死後、源氏がその侍女・右近に故人の思い出を語る場面と、それに続いて源氏が空蝉、軒端の荻と和歌を贈答する場面。

これは私が空蝉ファンなこともあるが、どうも夕顔という女性には魅力が乏しく、加えて作者のキツい悪意を感じるせいもある。作者は初めから夕顔を死なせるつもりで物語に登場させ、様々に手のこんだ仕掛けを張り巡らせて、夕顔を死に追い込んでいるように読める。

一方、作者は空蝉に対しては全身で共感し、彼女の人柄や教養、趣味の良さが魅力的に映るような書き方をしていると思う。
今回取り上げた場面では、空蝉が、光源氏が病をわずらっていたと聞いて、自ら見舞いの手紙を送る。
「うけたまはりなやむを、言(こと)に出(い)でてはえこそ、
   問はぬをもなどかと問はで程ふるにいかばかりかは思ひ乱るる
 『益田』はまことになむ。」

ご病気だったとお聞きして案じておりましたが、私から手紙を出してはなかなか…
お見舞い申し上げることはできずにおりましたのを、あなた(光源氏)がどうしてかとお尋ねくださることもないままに日数が経っていく間、私がどんなに思い乱れていたか、あなたはご存じないでしょう。
「苦しそうにしているあなたよりも、私の方がいっそう苦しく、生きているかいもない」、と歌にあるのは本当でした。

手紙の文から自然に和歌へと言葉が続き、『拾遺集』恋四、よみ人しらずの歌、
  ねぬなはの苦しかるらん人よりも我ぞ益田のいけるかひなき
を踏まえて、病気の源氏を思いやりつつも、音信のなかった間、苦悩せずにいられなかった心情をそれとなく伝えていて、読者の同情を誘う。

人妻ゆえに源氏の求愛を拒むしかなく、身体の交わりを結ぶことは二度とありえないけれども、せめて心ではつながっていたい、気にくわない女として嫌われ、忘れ去られたくはないという気持ちがせつせつと伝わる。

今日の講座では、このあたりのことを力説してしまい、受講者の方々の意見や感想をあまり聞くことができなかった。次回はあまり、自分の好みに走らないようにしなくては。