夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

服部忠志「体温」

2015-02-22 22:28:23 | 短歌
服部忠志は、昭和27年10月、合同歌集『候鳥』(扇畑忠雄、岡部文夫、二宮冬鳥との四人歌集)を刊行した。「候鳥」は、渡り鳥の意味。
「体温」はその中の忠志の歌集で、昭和25年3月から10月に至る期間に詠んだ歌から150首を自選したもの。
私が詠んで特に印象に残った数首を以下に挙げる。

  をとめごのひたひのうぶ毛汗うきて言(こと)はやりかに寄りてこそ言へ

昭和14年に生まれた十歳余りの長女・由美子のことと思われるが、わが娘を見つめる愛情に溢れた父親のまなざしが目に浮かぶ。
何かよほど伝えたいことがあったのか、額に汗を浮かべながら、父親のそばに寄って来て、ぺらぺらとしゃべる様子がいかにも少女らしく、可愛らしい。

  教育基本法を一通り読みてどうしてもわからぬところとわかるところとあり
  教育はときのはやりにあらねども直訳の語を読みあぐねたり

教育基本法(旧)は、昭和22年制定。「人格の完成」を教育の目的に据えるこの法が、戦前の教育への否定的立場から、わが国の国柄や伝統に対する顧慮に乏しいこと、欧文直訳のような文体で、どの国の法律かと疑われることは、私も感じていた。(平成18年改正)
現在は削除されたが、旧法では「男女共学」の項目があり、「 男女は、互に敬重し、協力し合わなければならないものであつて、教育上男女の共学は、認められなければならない。」とされていた。私は、男女別学にも相応の意義があると確信しているので、男女平等の精神と共学とは別の問題だろうと考えていた。

    (秋の蒜山にて)
  高原に秋のけはひのはやくして鱒のそだたむみづ冷えまさる

岡山県北の蒜山(ひるぜん)高原では、県南の岡山市内よりも秋の訪れが早く、鱒の養殖池の水が冷たく冴えていることを詠んだ歌と思われる。

この歌集の後記には、

作歌は、作者の人間表白に凡てがつながりをもち、そこに面白さがある。作者の人間性から遊離した作の空転に何程の意義があらう。作歌は勿論一作一作の勝負だが、同時に、一群一群の、更に一集一集の勝負である。更に言へば、生涯を貫く連作の高さと深さと拡(ひろが)りと大きさに於て勝負は決せられねばならない。魯鈍(ろどん。愚かの意)僕と雖も、いや、それであれば尚更自重しなければなるまいといふことになる。

とあった。

服部忠志がこのような歌観、一生を貫く覚悟で作歌していたことを知り、改めて歌の道の厳しさを思った。