夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

歌学び、初学び (その十七)

2014-12-17 19:59:39 | 短歌
今月の「初心者短歌講座」の前半は先月に引き続き、木下利玄の歌集『銀』(大正3年)について、先生の解説。

今回、『銀』から取り上げられたのは、次の十首。(便宜上、番号を振る。)

①菊切れば葉裏にひそむ虫のありうごきもやらぬこの哀れさよ
②きげんよくあそびてゐしが女の子たふれころびぬかたき大地に
③夕月にみんなの影のうつり居る地をなつかしみ踏み踏み遊ぶ
④野は夕日百姓たちは黒土に鍬(すき)を打ち入れ打ち入れやまず
⑤西洋の絵紙にて幼馴染みなる空いろばなのみちばたに咲く
⑥太陽はあたたかにあたたかに母らしき愛を送れり空色の花に
⑦我が顔を雨後の地面に近づけてほしいままにはこべを愛す
⑧子供の頃皿に黄を溶き藍をまぜしかのみどり色にもゆる芽のあり
⑨牡丹園のすだれをもれて一ところ入日があたり牡丹黙(もだ)せり
⑩緑葉の陰に嬰児の足の指ならべみ山すず蘭花もちにけり


利玄は五歳で伯父・利恭の養嗣子となり上京するが、故郷の足守のことは時々歌に出てくる、と先生が言われていた。以下、先生がそれぞれの歌について評していた言葉の幾つかを書き留めておく。

①第五句「この哀れさよ」は、当時としてはこれでよかったのだろうが、現代短歌ではこうも露わな詠み方はしない。
②利玄は文語体ではあるが、口語的な発想・韻律により、独自の歌のスタイルを作り出している。六・八調と言っているが、後に利玄流の定型を確立する。(第三句の五音がよく六音になったりする。)
③定型だが、妙に口語的な短歌。足守にいた頃のことを思い出して詠んでいるのだろう。
④今、「百姓」などと言うと叱られるが、もとは殿様だから。(笑) 利玄は三朝温泉で、百姓たちと共に湯に入ってくつろぐ様子も詠んでいる。
⑤「絵紙」は折り紙のことで、「空いろばな」はオオイヌノフグリだろうか。
⑥「母らしき愛を」はちょっと言い過ぎな感じもするが、当時はそれが新しかったのだろう。
⑧「もゆる芽」よりも、子供の頃の思い出の方に重点がある。芽吹いた芽の緑色を見ながら、幼児の頃、絵の具を溶いて緑色を作ったことを思い出している。
⑨囲いの簾を漏れて一筋光が差し込み、牡丹は黙って立っている。静かな歌。
利玄は牡丹をよく詠んでおり、有名な「花びらをひろげ疲れしおとろへに牡丹重たく萼をはなるる」は、近水園の歌碑になっている。


⑩第三句が五音でなく八音で、大幅な字余りになっているが、利玄はよくこういう傾向の歌を作っていた。
『白樺』を創刊した学習院仲間の内では、当初、利玄が最も小説の才ありと目されていたが、ある時以来(明治45年の途中)、短歌に専念するようになった。それも面白い。

先生は、利玄は子供を三人とも亡くしている(それも生後いくほどもなく)から、子供の歌をよく詠んでいる、と言われていた。そして、
  遠足の小学生徒有頂天に大手ふりふり往来とほる
  街をゆき子供の傍を通る時蜜柑の香せり冬がまた来る
など、素直でよい歌が多いと評価しておられた。

いつものことであるが、先生は、近現代の歌人についてお話しをされるとき、特に何も見ずに、この人は何年に何歳でこの歌集を出したとか、交友関係がどうで、と説明されている。その歌人の歌も、そらで次々に口をついて出てくるのには、毎回驚いてしまう。

今回の講座の中で、先生が、「わりあい近くにあるのだし、機会があったら、利玄邸や近水園にみんなで行きたいね。」ということを言っておられた。もし実現したら嬉しい。