山鹿温泉のぬるーいお湯で目覚めの湯浴み。
その後は残念な朝食をモソモソといただきまして
情緒溢れる町並みをそぞろ歩きます。
豊前街道
江戸時代には参勤交代の大名行列がここを通り
街の人々は頭を垂れたのでしょう。
篤姫もこの道を通って江戸へ上がったそうですよ。
分厚い漆喰の壁がいいですね
千代の園
熊本名物の赤酒を作っている醸造所です。
一度口にしたことがありますが
甘くて咽せた記憶が…
木屋本店
ここで塩以外の原料は熊本産という
麦と米の合わせ味噌を買いました。
酒精などの添加物不使用。
山鹿灯籠民芸館
大正14年築のレトロモダンな建物。
そうそう、山鹿は灯籠祭りで有名ですね。
翌々日に迫った灯籠祭りのために
街では青年団の方達が
提灯を吊るすなど準備に追われていました。
鰻の寝床
昔は間口の広さで税金が課せられたので
この町も鰻の寝床状の家々が軒を連ねます。
風が通り抜けて気持ち良さそう。
金剛乗寺の石門
空海が開いたとされる山鹿最古の名刹。
眼鏡橋築造技術を活かした
国内でも数少ない構造だそうです。
縁結びのパワースポットだとか…
さくら湯
山鹿の元湯です。
もとは細川藩の御殿湯だったそうですが
明治以降は民間に開放されました。
道後温泉と同じ設計者が手掛けたといわれています。
一度は取り壊されましたが
平成24年に復活したんですって。
どおりで新品ピカピカ。
八千代座
明治43年に造られた演芸座。
ドイツ製のレールを使った廻り舞台など
数々の趣向が凝らされているようです。
残念ながらこの日は中に入ることができませんでした。
最近では市川海老蔵さんが舞台に立ったことで
一躍脚光を浴びましたね。
朽ち果てた家屋
家は住人を失うと
自ずと幕引きするのでしょうか…
このしろすし!
前日のリベンジを果たします。
あった~
想像していたのと異なりました。
押し寿司みたいな物かと思ったら
パックリ開いたこのしろの中に
すし飯がギュッと詰められています。
鰯の煮付け
鰯もよく獲れるみたいですね。
いただきます♪
〆られたこのしろがまるっと一尾。
甘さはさほど気にならないすし飯には
黒胡麻が混ぜられていいアクセント。
鮮度のいいこのしろが手に入ったら作ってみよう。
アニーさんの存在に一抹の不安が過りましたが
新鮮だったからか大丈夫でした^^;
さて、天草へ向かいます!
つづく
その後は残念な朝食をモソモソといただきまして
情緒溢れる町並みをそぞろ歩きます。
豊前街道
江戸時代には参勤交代の大名行列がここを通り
街の人々は頭を垂れたのでしょう。
篤姫もこの道を通って江戸へ上がったそうですよ。
分厚い漆喰の壁がいいですね
千代の園
熊本名物の赤酒を作っている醸造所です。
一度口にしたことがありますが
甘くて咽せた記憶が…
木屋本店
ここで塩以外の原料は熊本産という
麦と米の合わせ味噌を買いました。
酒精などの添加物不使用。
山鹿灯籠民芸館
大正14年築のレトロモダンな建物。
そうそう、山鹿は灯籠祭りで有名ですね。
翌々日に迫った灯籠祭りのために
街では青年団の方達が
提灯を吊るすなど準備に追われていました。
鰻の寝床
昔は間口の広さで税金が課せられたので
この町も鰻の寝床状の家々が軒を連ねます。
風が通り抜けて気持ち良さそう。
金剛乗寺の石門
空海が開いたとされる山鹿最古の名刹。
眼鏡橋築造技術を活かした
国内でも数少ない構造だそうです。
縁結びのパワースポットだとか…
さくら湯
山鹿の元湯です。
もとは細川藩の御殿湯だったそうですが
明治以降は民間に開放されました。
道後温泉と同じ設計者が手掛けたといわれています。
一度は取り壊されましたが
平成24年に復活したんですって。
どおりで新品ピカピカ。
八千代座
明治43年に造られた演芸座。
ドイツ製のレールを使った廻り舞台など
数々の趣向が凝らされているようです。
残念ながらこの日は中に入ることができませんでした。
最近では市川海老蔵さんが舞台に立ったことで
一躍脚光を浴びましたね。
朽ち果てた家屋
家は住人を失うと
自ずと幕引きするのでしょうか…
このしろすし!
前日のリベンジを果たします。
あった~
想像していたのと異なりました。
押し寿司みたいな物かと思ったら
パックリ開いたこのしろの中に
すし飯がギュッと詰められています。
鰯の煮付け
鰯もよく獲れるみたいですね。
いただきます♪
〆られたこのしろがまるっと一尾。
甘さはさほど気にならないすし飯には
黒胡麻が混ぜられていいアクセント。
鮮度のいいこのしろが手に入ったら作ってみよう。
アニーさんの存在に一抹の不安が過りましたが
新鮮だったからか大丈夫でした^^;
さて、天草へ向かいます!
つづく