麻生首相が就任して4ヶ月、金融危機に関連する財政対応策では、補正予算の立案と成立に努力をし、一応の決断力があると思わせた。しかし、昨年11月上旬、国籍法改悪の閣議決定を見て、首相としての資質に疑問を感じざるを得なかった。それは、このような重要案件審議に首相の考えが入っていないからだ。
麻生首相への世論調査支持率が低下する中で、自民党政治家からも首相へのかなり強い批判が生まれている。そして、田母神前空幕長の急な解任は、不思議な感じがする。「村山談話」を拡大解釈して、職権で解任したのだから、麻生首相の根底にある国防意識について国民へきちんと説明すべきだろう。
首相公邸への引越しも遅れ、今年1月になってようやく実現したが、これは、首相としてのリーダー・シップを疑わせるものであった。首相が公邸に住むことは、官僚への命令・指示を徹底させるためにも、情報把握のためにも、また自らの安全確保のためにも重要な公務である。一介の代議士とは、立ち居振る舞いが全く異なるはずだ。
首相が漢字を読めず、書けないことは寂しい話だが、本質的な首相批判には繋がらない。また、高級バー通いも、息抜きには構わないと思う。だが、「村山談話」の盲目的継承は、麻生首相の歴史観を問われて当然だ。何故、首相は独自の歴史観を持てないのか。
この点について、櫻井よしこ氏が麻生首相に厳しい批判を行った。
【櫻井よしこ 麻生首相に申す】歴史観持ち使命果たせ
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090212/plc0902120315001-n1.htm
また、麻生首相が関与した小泉改革について無責任な発言をしたことを藤竹暁教授が下記のように断罪している。こうした保守論客からの強烈な批判に、麻生首相はどのように答えるのか。国家経営の責任感を問われているのだから、逃げることは許されない。
【紙面批評】学習院大学名誉教授・藤竹暁 場当たり発言で命脈尽きた首相
2009.2.12 08:26
日本の国民はいつまで、麻生太郎首相の心ない発言につき合えばよいのか。5日の麻生首相の郵政民営化に関する発言に、あぜんとした。首相は小泉純一郎内閣で総務相を務めていたが、郵政民営化に賛成ではなかった。
しかし大臣の一人として郵政民営化法に賛成し、解散詔書にサインしたと発言した。
この発言は責任回避である。国民に対する首相としての責務を放棄するものだ。7日の産経「主張」は、「耳を疑うような発言」と評した。私も同じ気持ちだった。
郵政民営化に反対なら、なぜ辞表を出さなかったのか。政治家にとって出処進退をきちんとすることは、一番重要なことである。
ところが麻生首相は逃げ口上で、当時の“気持ち”を持ち出し、正当化しようとした。政治家にとって言い訳は、不正直を意味する。
7日の産経は、「小泉純一郎元首相は5日、中川秀直元幹事長と会った際、『(総務相当時の)麻生君は反対じゃなかった』と述べ、首相の言動に不快感を示した」と報じた。
小泉内閣の最重要案件について、こんなに大きな記憶違いが生じるとは、どうしたことだろうと思っていたら、9日の衆院予算委員会で、麻生首相はまた発言を修正し、民営化に賛成したから解散詔書にサインした(10日の産経)と述べた。
どうしてこんな首相を指導者にしているのか、わが身を嘆きたくなる。
麻生首相は「政局より政策」と唱えながら、結局、政局のために言葉をもてあそんできただけではないか。
3日の衆院予算委員会でも、公務員の「渡り」斡旋(あっせん)禁止について、3年を待たずに前倒しで廃止を決めた理由を、「昨今いろいろ言われるから、しゃにむに1年でやろうと申している」(産経、4日)と述べた。
この発言でも、首相は逃げ腰である。
渡り斡旋を禁止すると決めたのなら、「昨今いろいろ言われるから」など言わないことだ。これでは、国民は首相が本気で公務員制度改革を実現しようとしているとは、信じることはできない。定額給付金問題にしても、首相はいまだに発言にぶれを見せている。
首相は場当たり的な発言をしてはいけない。首相は岩をも砕く信念を語らなければならない。
国民に日本の将来像をはっきりと示してこそ、国民は勇気づけられる。国民が首相に求めているのは、口当たりの良い言葉ではない。
麻生内閣の命脈は、はや尽きている。(東京本社発行最終版による)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090212/plc0902120827003-n1.htm
麻生首相への世論調査支持率が低下する中で、自民党政治家からも首相へのかなり強い批判が生まれている。そして、田母神前空幕長の急な解任は、不思議な感じがする。「村山談話」を拡大解釈して、職権で解任したのだから、麻生首相の根底にある国防意識について国民へきちんと説明すべきだろう。
首相公邸への引越しも遅れ、今年1月になってようやく実現したが、これは、首相としてのリーダー・シップを疑わせるものであった。首相が公邸に住むことは、官僚への命令・指示を徹底させるためにも、情報把握のためにも、また自らの安全確保のためにも重要な公務である。一介の代議士とは、立ち居振る舞いが全く異なるはずだ。
首相が漢字を読めず、書けないことは寂しい話だが、本質的な首相批判には繋がらない。また、高級バー通いも、息抜きには構わないと思う。だが、「村山談話」の盲目的継承は、麻生首相の歴史観を問われて当然だ。何故、首相は独自の歴史観を持てないのか。
この点について、櫻井よしこ氏が麻生首相に厳しい批判を行った。
【櫻井よしこ 麻生首相に申す】歴史観持ち使命果たせ
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090212/plc0902120315001-n1.htm
また、麻生首相が関与した小泉改革について無責任な発言をしたことを藤竹暁教授が下記のように断罪している。こうした保守論客からの強烈な批判に、麻生首相はどのように答えるのか。国家経営の責任感を問われているのだから、逃げることは許されない。
【紙面批評】学習院大学名誉教授・藤竹暁 場当たり発言で命脈尽きた首相
2009.2.12 08:26
日本の国民はいつまで、麻生太郎首相の心ない発言につき合えばよいのか。5日の麻生首相の郵政民営化に関する発言に、あぜんとした。首相は小泉純一郎内閣で総務相を務めていたが、郵政民営化に賛成ではなかった。
しかし大臣の一人として郵政民営化法に賛成し、解散詔書にサインしたと発言した。
この発言は責任回避である。国民に対する首相としての責務を放棄するものだ。7日の産経「主張」は、「耳を疑うような発言」と評した。私も同じ気持ちだった。
郵政民営化に反対なら、なぜ辞表を出さなかったのか。政治家にとって出処進退をきちんとすることは、一番重要なことである。
ところが麻生首相は逃げ口上で、当時の“気持ち”を持ち出し、正当化しようとした。政治家にとって言い訳は、不正直を意味する。
7日の産経は、「小泉純一郎元首相は5日、中川秀直元幹事長と会った際、『(総務相当時の)麻生君は反対じゃなかった』と述べ、首相の言動に不快感を示した」と報じた。
小泉内閣の最重要案件について、こんなに大きな記憶違いが生じるとは、どうしたことだろうと思っていたら、9日の衆院予算委員会で、麻生首相はまた発言を修正し、民営化に賛成したから解散詔書にサインした(10日の産経)と述べた。
どうしてこんな首相を指導者にしているのか、わが身を嘆きたくなる。
麻生首相は「政局より政策」と唱えながら、結局、政局のために言葉をもてあそんできただけではないか。
3日の衆院予算委員会でも、公務員の「渡り」斡旋(あっせん)禁止について、3年を待たずに前倒しで廃止を決めた理由を、「昨今いろいろ言われるから、しゃにむに1年でやろうと申している」(産経、4日)と述べた。
この発言でも、首相は逃げ腰である。
渡り斡旋を禁止すると決めたのなら、「昨今いろいろ言われるから」など言わないことだ。これでは、国民は首相が本気で公務員制度改革を実現しようとしているとは、信じることはできない。定額給付金問題にしても、首相はいまだに発言にぶれを見せている。
首相は場当たり的な発言をしてはいけない。首相は岩をも砕く信念を語らなければならない。
国民に日本の将来像をはっきりと示してこそ、国民は勇気づけられる。国民が首相に求めているのは、口当たりの良い言葉ではない。
麻生内閣の命脈は、はや尽きている。(東京本社発行最終版による)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090212/plc0902120827003-n1.htm
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