陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

入管法改正案が衆議院を通過

2018-12-01 10:43:25 | 国内政治:議会と政党

 何故この時期に、入国管理法改正案の審議を急ぐのか?多くの人々がその欠陥を指摘し、海外からの人間の移動は文化摩擦を招く結果、日本の国柄そして国体維持が困難になると危惧している。

 こうした背景には、国家観を忘れた経団連の強い圧力があると想像するが、安倍首相には一歩踏みとどまり、1年位かけて国会審議を充実させるよう要望したい。

 馬淵睦夫氏がこの問題についてマクロスコピックな観点から意見を述べている。

 

「ひとりがたり馬渕睦夫」#10 移民受入問題と日本の危機 〜移民政策はディープステートの世界グローバル化プラン〜

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豪州の移民政策が日本に示唆する「地獄の釜」(1) (高橋秀夫)
2018-12-02 11:34:16
 オーストラリア在住の江川純世氏が、11月6日に『アゴラ』に投稿した内容である。
1週間の中でトップランクの中で8位、9位、10位といたアクセス数で可成り読まれたという事です。
これを自民党の全議員に読んで欲しいと思います。
そこで全部読む訳にもいかないので、かいつまんで紹介することとする。

 ・移民政策による日本在住の外国人の数は鼠算的に増える。
今回は特定一号、二号という形で、二つのコースを作って外国人を入れるということですが、特に鼠算的に増えて行くという部分は、特定二号の部分です。
特定二号については期限を決めずに、どちらかというと殆ど永住権を与えるということ、それから家族を帯同させてよいという事ですから、その家族の範囲も問題ですが、豪州の場合ですと、前は姉妹であるとか兄弟、それから子供は勿論ですが、配偶者、親も入れてドンドン入れて行くと、一人入れると百人位に増えて行く。結局それを今は十人、大体六人から十人位に抑えている。
毎年、毎年検討して絞って来たという経緯があります。
という事でウカウカやつていると、ドンドンドンドン鼠算的に一人が増えて行くという事でこれは警鐘なのです。

 これで保険等の問題で、問題が出て来ると大変です。
範囲的に当人だけではなくて家族が入ると、日本では国民健康保険を家族にも、当人にも適用するそうですが、これは豪州では常識外です。海外では何処の国でもそうでしょうけれども、市民権を持つ豪州人と、それから永住権を持っている居住者、それ以外は全部プライベートの保険に入っていてこれが常識です。
それが当り前で、それが日本の非常識になつておりとんでもない話です。
日本では保険金とか税金とかは全部国民が払っている。

 ・オーストラリアでも日本でも直近10年の移民数のマジョリティは中国人である。
これも大事な指摘で、日本でも統計的に出ており1位が中国人、2位が韓国人、3位がベトナム人、豪州は最近ではインド人で、瞬間的には中国人を追い越していますが、ほゞ同じ位の推移になつています。但し、蓄積で考えると中国人の方が圧倒的に多い。
しかしそういう意味ではドンドンドンドン増えているのです。
我々の国日本が、それを一周遅れのトツプナンナーで追いかけているとうことなのです。

 中国人は豪州でも遵法精神が低いとみなされています。要はバレなければ何でもやるという事です。
今、特に米国の対中国政策に追従する豪州政府の方針もあるでしょうけれども、一応何か事があったとき、国防動員法という中国の法律に対してどう対応しようかという事を公安当局でも考えています。
 同様に日本でもその対応策を考えなければならないのではないかと、江川氏は思っていると話す。
要するに海外に在住する中国人は、皆いざとなつたときは、 国内の指導に従って国民として行動しなければいけない。
中国の国益にそった行動をしなくてはいけない、中国共産党のいうことを聞けという事です。
当然、日中が敵対関係になって戦争を始めたら、百万人以上いる中国人は全部日本と戦えと、簡単に言うとこういう可能性があります。

 ・移民は人間であり、日本人とは異なる包括的な語学、文化教育、福祉政策が必要である。
これは豪州の移民政策の基本的な考え方をまず理解しなくてはいけないと思います。

 移民政策の基本的考え方
市民(オージー)と永住者と、その他の居住者の明確な区別をする。
まず市民、オーストラリアに市民権を持っているオージー(オーストラリア人)と、永住者(これは色んな国からの永住ビザを持つた人間)のグループとその他の居住者、今回の場合ですと、リース技能者に相当する働きに来る人達、それから学生、それから観光ビザ、ワークホリディビザ、色々なビザで来ている人達を明確な区別をする。

 オーストラリアビザの中に大きく分けて2つの主なビザグループがある。
永住権、移住関連ビザ: ビザ取得後基本的にオーストラリアに無制限に滞在可能
(永住権の上には市民権を取ったオーストラリアがいるがビザには関係ない。)
主なタイプ(種類)
・技術独立永住ビザ
(申請者の語学力、職歴、年齢、学歴などの総合判断)
・雇用主指名ビザ
(会社スポンサー、地方スポンサー)ENS RSMS
・配偶者
(結婚、デファクト、内縁関係、婚約、フィアンセ 等)
・家族呼寄せ
(親、子供、残された親族 等)
要は一人の人間を入れると、配偶者とか家族、デペンデントとその人に寄りかかっている人間を、永住権としては与える可能性がありますという事です。
・投資関連ビザ
(成功した投資経験を元にオーストラリアにて投資活動)
・事業者関連ビザ
(成功した事業経験を元にオーストラリアで起業)
・・・
 下の方の分類から見ると、観光ビザから始まってワーキングビザ、ビジネスビザのところまであります。
これは永住者と市民権を持っているオーストラリア人とは違うよ、という区別をしています。
このところのビジネスビザが今回問題になつている、特定技能1号、2号というのに相当する、TSSといわれるビザを与えている人達になります。つまりこの人達はオーストラリアのベネフィットを、オーストラリアとか永住者と同じように受けられません。
区別しておりそれが重要なのです。
そこで、日本ではそこが区別がついていない。

豪州の移民政策が日本に示唆する「地獄の釜」(2) (高橋秀夫)
2018-12-02 11:35:26
主なタイプ(種類)
[就労可]
・学生ビザ
・ワーキングホリディビザ
・ビジネスビザ(ワークビザ、就労目的)
・投資退職者ビザ(リタイアメントビザ)
・そのほか就労可能なビザ(研修、研究目的 その他)

 それから基本的考え方のもう一つ
この基本的考え方は労働者=人間です。
行動力を持っている人間を、やはり労働者という位置づけ、奴隷的な労働をしている人間ではなく、「人間である」という事をベースに仕組みが出来ています。
だからこの日本の法律は労働者、労働力としか見ていない法律になつている。
よっぽどオーストラリアの方が人間を人間から始まっている。
昨日の国会の議論をスカイプで見ていましたが、完全に労働者を奴隷として見ているんじゃないかなという部分があります。

TSS(Tenporary Skil Shortage Viaa)「一時的に不足している技能者の労働力を埋めるためのビザ」
日本への参考となるポイントは
労働者の権利を守ること、それにまつわる財務負担をスポンサー側に義務づけている。

1.技能のレベルや国内での労働力不足の度合を応じて2つのストリ―ムを用意
〇短期ビザ(2年+2年延長可。永住権に繋がる可能性なし)
〇長期ビザ(4年+⇒  永住権に繋がる可能性あり)
2.労働市場調査(Labor Market Testing )実施要
3.英語力はIELTS 5要。 永住権申請時にはIELTS 6要。
4.年齢制限なし
但し、もしもこのビザから繋がる永住権を申請する場合はその申請要件が45歳未満
5.帯同出来る家族は配偶者と子供
6.雇用主/スポンサーがスーパー年金やプライベートの医療保険料を支払う義務がある。保険料は帯同家族分まで
7.安い労働者(Cheap Labor)の獲得ならびに搾取を防ぐ目的で、オーストラリアのローカルスタッフと同等の労働条件や賃金を払う義務あり
8.雇用主/スポンサーが、Skilling Australians Fundという、政府が永住者/国籍保持者の職業訓練団体(TAFEなど)に拠出する額への供託金を納める義務あり
9.検診あり。
過去10年間に2ヵ月以上住んだ国からの無犯罪証明書、これが必要になります。

 これが先に言ったとおり、TSS1号、2号に相当するビザの説明です。
ここにハッキリTenporary Skil Shortage Viaaと書いてあり、「一時的に不足している技能者の労働力を埋めるためのビザ」、詰まり暫定的に今、オーストラリアにこういう技能の人が足りないから、そのためにこういう人達に来てもらうためのビザです。

 これについては参考になる点は幾つかあります。
一つ目は短期と中期、長期ビザがあります。これが1号、2号に相当します。
長期ビザは2号でも永住権を与えるかも知れないよと、長期ビザは永住権に繋がる。

 それから2番目が重要ですが、労働市場調査をしなければいけません。
雇用者又はスポンサーの企業は、こういう人間をこれから雇いますということを、最低2紙メディアに最低4週間雇用の募集を出さなければなりません。日本人も集まります、外国人もやってみたい人も集まります。その人を採用したいというバックデータを出さなくてはいけない。
これが国内の、日本でいえば日本人の労働者を守る一つの手立てになるのです。
 
 それから3番目は英語力です。日本語だと日本語検定です。
オーストラリアではIELTSで英国系の影響が強い所では、このテストが行われ(アメリカではトーフルとかトイツクに相当)、5のランクが必要です。
私の感覚でいえば、日本の大学卒業でもレポート対策の準備をしなければ取れません。
今回、日本の政府が言っているような、1号、2号に生活に支障がないというレベルではないのです。
つまり仕事をするための英語力は、話す、聞く、書く、読む、これ普通IELTSから2時間半のテストをやります。
それで5以上とは相当の語学力です。
じゃあ日本でこれに相当する国語の力を測定するテストとは何でしょうか?

 昨日の国会の議論からも全然出て来ていませんね。
それと今回は単純労働と言いますね、では今の日本に単純労働つてあるかと?
私が思い出すのは、定年延長で高齢者を企業が引き続き雇用しろと、しかし労使で検討してみても、高齢者向きの比較的簡単な作業は、今の進んだ企業でそのような仕事は無かつたのです。
土方とか何とかいうのですが、そういう物自体が今や、例えば土木現場でもスコップを持ってヨッコラサという作業はもう無いのです。
運搬や流通の問題も含めて単純労働というものは無くなっているのです。

 現場でも機械とかルール、色んな規則についての説明をしたりということで、可成り色んな言葉を使うことから語学力が重要です。
今回安倍首相は、入れる前にそれだけの語学力のついている人を入れると言っている。
日本語は非常に難しい言語ですから、それをIELTS5のレベルの日本語力を持っている人は殆どいないと私は思います。
語学能力を取得することと、賃金を考えたらヤル気は無くなりますよ!

 問題は5番目、先ほどの「人間である」ということを認めているという証拠です。
帯同出来る家族は配偶者と子供です。つまり扶養家族は認めます。
ここが1号、2号と、2号はよべるが、1号の人間も5年までいるわけで5年間家族と離れて・・・。
私も技能実習生の番組を見たことがありますが、家族と離れて5年間これは非人間的です。
それと1号と2号と別れて、これ差別じゃないかという批判が必ず起こります。
同じ5年住んでいて、何で同じ人間として許されるのかという差別批判で、必ず最高裁で敗訴する。
当り前のことが判っていない、人間論が、フィロソフィがない、だからパラダイムが描けない。
政調会長が国民に理解を求めるというが、そもそも理解してもらう内容がなく、理解のしょうがないのです。
様々な日米対話に於いても、アメリカの高官が日本の政治家、高官を相手にしないのはこの点なのです。

 この配偶者と子供達に対する年金ですが、社会システム厚生年金で、オーストラリアではスーパー年金と呼んでいる。
それについては雇用者又はスポンサーが払う。
それから健康保険については、国民健康保険に加入させるという馬鹿なことをやつていない、プライベートのそれなりにしつらえられた保険、それをその会社が払う、又は個人が払うこととなつている。誠にオーストラリアの方か筋が通っている。

豪州の移民政策が日本に示唆する「地獄の釜」(3) (高橋秀夫)
2018-12-02 11:36:22
 それから7番目として
安い労働者(Cheap Labor)の獲得ならびに搾取を防ぐ目的で、オーストラリアのローカルスタッフと同等の労働条件や賃金を払う義務がある。
これについてはオーストラリアにはルールがあり、1号、2号相当は431万円年収以上、それを下回る場合はキチットした賃金情報を入れて募集をしなさいという事になっています。
それからもう一つ、書いたものぺンスリップという物を、毎月、毎月、2週間に一度でもわたして、確実に口座に振り込まれているという事をチェックするシステムがあります。
例えばレストランそれから建築現場で現金を渡して、「これはい、あなたのサラリーよ」という事をすると、雇用者の場合は脱税までいきます。
それからピンハネを防ぐために、必ず書きものでキチンとした取引をしているという事を、監督官庁に直ぐ出せるようにしておかなければならない。それから基準になる給与をチャンと払ているという証拠にもなる訳です。

 これがこの前番組を見ていたら、零細の10人とか中小企業の雇用数百人の会社が遣れるかどうか、現金取引が禁止されてキチットした金額を払っているということを遣れるかどうかと、又それを監督官庁がキチットチェック出来るかどうかという事です。

 今の事を考えると、中小企業潰しを狙っている可能性もあるのです。
潰れるものは潰れちゃえと、弱い者は皆な潰れろと、日本の中小企業と大企業と下請けの下部構造、そういう経済の二重構造、それを整理したがつているという、所謂グローパル一派はそういう狙いもあるのでしょう。

 オーストラリアで今年から取り入れられた制度ですが、雇用主/スポンサーが、Skilling Australians Fundという、政府が永住者/国籍保持者、オーストラリア語の職業訓練をする、そういう機関に拠出する額に対して貢献をするように供託金を納める義務があります。
じゃあ日本でもこういう事をやれるのでしょうか?

 9番目に検診があります。
これが重要ですが、インタホンを貰って検診をして、例えば重篤な病気、既往歴があったり、それから今一寸病気ですという様なことがあるとビザはキャンセル、詰まり国民健康保険のただ乗りという様なものをここで防いでいる。
特にオーストラリアの場合には、肺結核、オーストラリアには菌がない、非常に厳しいチェック、これも指定の医療機関で行わなければなりません。其れから過去10年間に12ケ月以上住んだ国からの無犯罪証明書、これが必要になります。

 只、これ等の証明書というのは、先ほどの中国人の例も一寸上げましたが、中国では偽造できない証明書がないとう風に、オーストラリアでは言われています。
全くそのとうりですが、これをどうやってチェックするか、豪州では特定のチェックシステムがあります。チェック機関があってチェックする。
さあ日本はどうするのでしょう。言われたままの証明書をそのまま信用するのですかという問題です。
日本は信用してきましたね、それで失敗しましたね。

 以上がTSS、これそのまま1号、2号に適合すると思われる内容で、これらはもう20年以上もこういう移民大国として成功してきた事を、又苦しんで来た事を、半年くらいづつ改訂をしながら現在に至っている。
それを何故日本でも参考にしないのかと思うのです。
そう思いますが、それと野党がちゃんと、日本の労働者の保護の為にも、こういう事をキチットやらなきゃいけないのです。
 政調会長は嘘つきで、稲田氏は政調で可成り前から検討を重ねたというが、この法案では移民に関するシステムは出来ていないのに、これで国会を通そうとするのは、日本国民を馬鹿にしているとしか言いようがないのです。
まあ「がらんどう」な案に対して、ワアワア突っ込んではいますが、具体的な内容について提案がないですし、只つっつくだけという感じです。

 まあいいお話というか、日本から見ると嫌な話で、それで何でこんな移民法をやるんだという気がするのです。
穴だらけで、後戻りがきかないのですから。
そう一旦入ったら、『アグラ』にも書きましたが、一旦違反して例えばある業種に入りますよという申告をやめて、他の業種に勤めちゃつたと、又は監督官庁の目を霞めて潜って、例えば中国人、韓国人のグループ中でも働いていると。

 要は年間研修生も7千人蒸発ししているという話、じゃあ彼等の今の足跡はトレースできていますか?
それらをトレースしていくんだつたら、彼等をどうやつて隔離して、それをどう母国に送り返すか、全くそのシステムは出来ていないのです。
つまりは昔の労働省の省令で始めたのが外国人技能実習制度で、国家間の約束で始めたものではないのです。
今回の法案も、各省に任されている所は支離滅裂、行きつく先は自民党の基盤を瓦解させることになるでしょう。

 豪州の場合は面白いのですが、ジャワ島の下の方にクリスマスアイランドという所の島に隔離施設があります。
又、難民の例ですと、パプアニューギニアのマロス島、ナウルに施設があります。オーストラリアは徹底していますね。
オーストラリアはそれでも苦しんできて、苦しみながらこういう技を編み出してきている、実際こういう事です。
どうなんでしょう、これをやつて毎年、毎年ルール等は見直している。それは矢張り巧く行かないことがドンドン出ているからでしょうね。
そうです、それで私が一番感心するのは、オーストラリアはパイロットプログラムというのを走らせます。
それは6ヵ月、9ヵ月、12ケ月もあります。まずやつてみる、悪かった時はドンドン法案を出してドンドン仕組みを変えていきます。
出来なければ止める。巧く行けばそのまま施行します。これを見ても少なくとも自国民の保護をやろうという事でやつていますね。

 皆で仲良くしょうねと、いう事でやつているのではないのです。
大体今いった文化とか伝統の分野、多文化共生とか言いますが、文化とはブツカルことも有るのだと、暴力性も有るのだと、暴力性も内包しているのだと、まあ口が酸っぱくなるほど言っているのです。

 文化というと皆仲良く能だとか民謡何だと思っているのが日本人です。
そうじゃなくて戦いの文化、今パプアニューギニアというけど、あれも戦いもお祭りの様な文化で、それは暴力性というものは何処に内包する。
戦争だって一種の文化ですから、人と戦って国を守るというのもそうです。
そういう意味での文化という物に内包される、暴力性や独自性といえば聞こえは良いけど、所謂偏狭な形の外を認めない、異教徒は認めない(我々の国は違いますが)。

 そういう意味でもつと言えば、反革命分子は許さない。これはマルクス主義ですが、つまりそういう奴は抹殺してよい。
これは中国やソ連がやつて来たことで、これだつて一種のキリスト教的な文化ですから、そういう人達と我々が折り合いを付けるにはどうしたらよいか、それは出来ないことです。
それから唯物論者とそういう者と、はみ出した心を大事にする宗教心とかを持つた民族とは又違うのです。

 今この上記の話を踏まえた、オーストラリアの現状はどういう風に移民政策が進んだ来たかという話をします。
まず同化主義というのがあります。同化主義とは一つの価値観を持つた所に色んな少数の人間をドンドンと移民として入れて、元々のオリジナルな文化に染めて行くと言うやり方です。
例えばアボリジニの人達を白人の文化に同化してゆく一つのやり方、これは非人間的なやり方という事で巧く行きません。
次に文化多元主義、これは英語ではプルーラリズムと言います。
公的には一つの考え方、近代主義的な一つの価値観があつて、プライベート私的な分野では色んな文化があって、それを尊重しあう。
只、1つの基盤になる価値はありますねという、これが文化多元主義です。

豪州の移民政策が日本に示唆する「地獄の釜」(4) (高橋秀夫)
2018-12-02 11:37:33
 今オーストラリアは多文化主義マルチカルチャリズムとよく言われますけれども、しかし多文化主義というのは一つ一つの文化が同列に同じ価値を持つべきだというリベラリズムの一つの形です。
でもこれはイスラムが入って来る、それから例えば中国人の中華思想のファナティクな全体主義の考え方が入って来ると成り立ちません。
それが今、オーストラリアは文化多元主義に回帰しつつあります。

 オーストラリア人から言いますと、何でこんなにアジア人が入って来て俺達の積み立てた資源、金を使っているのか。
厚生施設だとかベネフィットを使っているのか、彼奴らが入って来たお蔭で家が高くなって買えなくなつて来たじゃないか。
それから白人のコアーな人達は前はもつと楽に仕事が見つかったのに、そのアジア人と競合することによって、非常に苦しい立場にあると。
これらがこういう文化多元主義に回帰して行く訳です。

 まあその典型がヨーロッパ、それからアメリカでも色々ある、でも成功しているオーストラリアでさえも難しい状況にあるのです。
要は昨日の国会で野党の方が言っておられましたけれども、共生、共生という風に言われたのですが、現実には中々難しいだろうということです。
目の前の慰安婦問題とか徴用工問題とかを見れば、お隣さんが顔つきとか身体が似ているとかいうけれども、全然だめだという。
向こうがルール違反するなら話合いの余地、共生の余地はないじゃないですか。
それを分かっている筈なのに、共生できるなんていう幻想を持つ、話し合えば理解しあえるというのじゃなくて、殺し合いが行われるために必死になつて話し合うという、そういう構造が理解しあえるという幻想は、戦後の教育による所が大きいのでしょう。
本当にとんでもない話です。

 私は最近オーストラリアで日本の地上波テレビ、色んな放送を聞いたりしているのですけれども、矢張り日本人はリスクというか危機感がないですね。詰まり10%、20%、人が入って来た場合に何が起こるか想像力が無いですね。
矢張りここまで来ると、自民党政権がもしもこうしたいと思って法案が通るかも知れないけれども、何か事が起きるまで日本人は気が付かない。まあ北朝鮮拉致に気が付かなかったのと同じ構造ですが、その騒乱の規模たるや桁違いという事です。

 これは長州の政治勢力、岸、安倍家の歴史的汚点となり、この勢力の消滅を意味する程の重大な問題なのです。
今、しみじみ感じるのは段々ここまで来て、御代がわりのある時代に、やはり特に日本の既成の保守や、既成の左翼はもう時代の劇的な変化に付いていけなくなつている。
 まあ私も10年先に、このような事を自民党がしておれば、この政党は存在しないだろうと予測し自民党に警告したものです。
そういう意味では、新しい政治潮流を作らなければならない歴史的必然が到来しているとも言えましょう。
今回の江川さんの解説は大変分かり易かった、本当に日本を思う菩提心に感謝しても感謝し尽すことは出来ません。

 自民党は国民に理解してもらうと言いますが、実の所は何一つ出来ていない。
オーストラリアはずうっと移民国家としてこういう事を苦しみながら現実的に対応してきた。それでも巧く行かないという、この試行錯誤。
それとオーストラリアに行ったら、一応皆な英語を喋らなきゃあいけない。
一つの文化の中心たる言葉である英語を喋らなきゃいけないのです。

 ところが日本の場合は、地域社会を作って中国語だけとか、ブラジル語だけとか、色んな形にバラバラにされようとしている。
その意味からして共生ではなく、分割して生きているだけという事になつています。
危機感のない日本国民、共生とは美しいと思っていますけれども、今回の江川さんの話で改めてよくわかりました。

 まあ、これ本当に具体的で日本も徹底管理がそんなにされていないのに、むやみに入れると、そもそもそんなに労働力が不足しているのか色々と疑問もあります。
そうですね、向こうも何にも知らないままこちらに来て奴隷労働させられる、皆んな反日になる。
もつと言うと文化摩擦が起こる、よけい日本は嫌い、差別されている感じになる。
俺達は安い労働力だけで人間扱いされていないじゃないかと必ずなるのです。両方共、我々の国も労働賃金が彼等のお蔭で上がらない。
それで何だかんだ変な習慣があって、例えばゴミは勝手に捨てるは大騒ぎはするわ・・・。

 群馬県の犯罪率(外国人が入っている)、1位大泉町1.962%、つまり790件40257人いる、でも殆ど全部1%以上です。
つまり200人に3人は皆んな犯罪を起こしている人、こんなパーセンテージなのです。
千人に一人とかいうのではないのです。
こういう事が起きているということ自体も、やつぱりちゃんと見なくちゃいけない。
こういうように犯罪率が上がると治安が悪くなる、不安になる、ストレスは増す、という様な形になるので、幸せとか本当に素朴で人の生活の穏やかで皆んな仲良く笑って過ごせるのは、共通的なこう伝統や文化の風習の意識という物が必要なのです。
向こうもそうなのです。

 来る人たちもストレスを感じる、そして文化摩擦が起きる、よけいこうなるというという事ですら、それで向こうは集団でやりますから。
例えば川口のあるマンションに中国人が住み始めて皆んな集まって来た。
そしたら何をしたかというと中国人はゴミを窓からドンドン捨てちゃう、それから踊り場で大便、小便をドンドンする、それで夜は騒ぐ。
そうすると日本人は耐えられなくなる。
そうするとマンションを日本人は出て行く、そうすると又中国人が入る。中国人だらけの町になる。
こういう、仲良くすれば話し合えばよいという、そういうそんなストレスを鋳込んだのは日本なのてす。
その事も含めて考えて欲しいと思います。

 今の話が凄く印象的ですが、何かやはり文化とか宗教とか習慣とか勿論違うのですが、働き方に対する意識がやはりそもそも違うと、一緒に働くとなった時に、やはり経済を生んでいかなきゃいけないけれども、彼等は自分達だけのためだけとか、何時かはいなくなるとか一寸其処に責任が無いと、やはりそこは摩擦が起きますよね。

 日本の物づくりに対しても、細やかなズツト積み上げて来たものとかありますし。
建築現場なんかでも日本の大工さんとかそういう日本の労働者は、やつぱり其処に不良品があるのを調べてから使うのですが、別にそんなのいなくなる訳だからというので、ドンドン不良品でも使っちゃう、そうすると変なものが出来る、それで平気な人が多いのです。
やはりもつと職人を大事にしなきゃいけない。

 今、建築労働者で26万円程しかもらつていない、でも昔は60万円程もらつていましたと。
というのはそれだけの技術があつて、一人前になるまで10年、15年かかるのだと、単純労働なんかありませんよと、木ひとつ運ぶのだつて、重い材木を運ぶのだつて腰を巧く使って、重いものを持つことだつて何だって全部年期が入ってくると出来る。
本当にそういう意味では労働の事も分っていない。
それからもうじき我々の社会はAI銀行員とか役人の方の事務職は殆ど要らなくなる。
そうするとドンドン人余りして来るのです。
そちらの方で生産性を上げて、外国人を入れないようにしないと、排除しているのではないのです。
両方共に不幸になるという事です。

敬愛する徳川家(とくせんけ)、長州の野蛮人安倍 (高橋秀夫)
2018-12-02 11:48:58
マキャベリは言う
人間の事柄すべては、流転してやまないのである。釘づけにしておくわけにはいかないもので、それらは上り坂にあるか、または下り坂にあるのかどちらしかありえない。そして我々は多くの事柄を行うのに、理性に導かれるのではなく、必要(ネチエシタ)に迫られやつているに過ぎない。

フリードリッヒ・リストは言う
大国民は現状を維持することがない。それは発展しなければ衰退するものである。

オルテガは言う
国民というものは、常に創造しているか、あるいは破壊されているかである。

サッチャーは言う
この道しかない

ブルース・リーは言う
考えるな、感じろ

マキャベリは、けれども諦めることはない。なぜなら運命が何を企んでいるかわからないし、どこおどう通り抜けてきて、どこに顔を出すのか、皆目検討もつきかねる以上、いつどんな幸福がどんなところから飛込んで来るかという希望を持ち続けて、どんな運命にみまわれても、またどんな苦境に追い込まれても投げやりになつてはいけないのである。

そして有名な『文明の没落』を書いたシュペングラーは言う
われわれはこの時代に生まれたのであり、そして我々に定められているこの終局への道を勇敢に歩まねばならない。これ以外に道はない。
希望がなくても、救いがなくても、絶望的な持ち場で頑張り通すのが義務なのだ。
ポンペイの城門の前でその遺骸が発見された、あのローマ兵士のように頑張り通すことこそが。 -彼が死んだのは、ヴェスヴィオ火山の噴火のときに、人々が彼の見張りを交代させてやるのを忘れていたためであった。
これが偉大さであり、これが血筋のよさというものである。この誠実な最期は、人間から取上げることのでき《ない》、ただ一つのものである。

日本は没落の道を歩むであろう。
方丈記では、南無阿弥陀仏と最後に唱えている。
小生は孫の面倒を見て思うことは、「もののあわれ」である。「もの」はどうしょうもないものであるから、「あああれ」と願うものである。
孫の生きる時代はどんな災難が待ち受けているのか皆目見当もつかないものである。
でも、今孫に授けられることは、どんな時代がきても生き抜くための力を、授けてやろうと努力することしか出来ないのである。
そう思いいつ孫にたいするいとしさが募る、そして南無阿弥陀仏と念仏を唱えるしかないのです。
シュペングラーにしてもマキャベリにしても、歴史上の巨人は同じことを言っているのです。

会社の変遷については国際情勢が大きくかかわつている。
その大きな要因としてグローバリズムがあり、地球規模の大競争時代に突入したことがある。
それを支えるものとしてWTOがありIMFがあり人の移動の自由化がある。
 しかしこれも時代の変遷と共に変化し、今やナショナリズムの流れが強くなつている。
世界の物流総量はすでに減少傾向にあるのです。

国民国家が見直され、国家に所属する価値が見直され、それを保守するための規制が再構築される時代となつて来ているのです。
その方が国家の経済成長にも貢献し、国民経済の発展に寄与することが確認されて、オイコス・ノモスが実現されるのです。
民主主義の健全な発展にもこの方が優れているのです。
あたかも世界はかつての正常な形、即ちウェストファリア体制に返りつつ有り、五大大国である米国、インド、中国、ロシア、そしてヨーロッパによる勢力均衡の時代となりつつあるのです。
しかし日本は益々グローバリズムの罠、「駱駝の鼻入れ」で国家が乗っ取られ益々没落の歩みを速めているのです。

 しかしグローバリズムのトリニティ、小さな政府即ち「緊縮財政」、「規制緩和」、そして「自由貿易」という、グローバリズムのトリニティを邁進している日本です。
そして緊縮財政と様々なビジネスが合体して、それで日本をドンドン小国化しているという実体があります。

 小生は政府が株を100%保有する会社から、そして50%保有する会社、そして政府の持ち株比率が減少していく会社に所属していた。
経営陣は政府保有を減らすことを願い経営の自主性を求めた。
経営の自主性とは規模の拡大であり事業の効率化であり、海外の同業他社の買収や、事業の多角化で食品会社や医薬品会社、物流会社等々を買収していつた。
 そして今では、全世界に展開している米国のある会社の米国事業以外を買収する。
その次はイギリスに本拠を置く同業他社を買収する。
そして事業規模で世界第三位の会社に成長したのです。

 国内の薬品会社を買収し今では年間売上1000億円ほどの、あまり規模は大きくないがそこまで漕ぎ着けた訳です。
食品事業は1700億円規模であるが、国内の食品会社を買収したが、あまり収益率はよくない。
そして、主力事業の売上は、今や国内よりも海外の方が大きくなり、会社の様相は様変わりとしてます。
事業を成長させるにはM&Aが近道であり、その為には資本の移動が自由であらねばならない訳です。

 しかしこの企業の国内の雇用者数は、100%の政府保有時代には35,000人、それが段々とリストラされ、現状に於いては7,000人程になつている訳です。
その間に於いて、機械の回転数は700回転から1500回転、2000回転、4000回転、8000回転、12000回転となり生産性は飛躍的に向上したのです。全国に40工場ほどあったものが、今や4工場ほどになり、販売数量は3000億本あつたものが今や1400億本ほどに減少している訳です。

 このように生産性が向上と人員削減すれば一人当り労働者の賃金は上がりますが、しかし雇用者数は1/5程まで減少しているのです。
日本国全体から見れば人余りとなったり、そして契約社員や派遣社員が雇えるようになつたりしたことから、労働賃金は飛躍的に低下したのです。それに、会社も機能分化して子会社化され賃金水準も切り下げられたのです。

 こういう事から日本のデフレは進行したのですが、今また外国人労働者を大幅にいれるということは、企業が生産性の向上のために設備投資しなこと、人海戦術に安住し日本の産業の高度化を阻害することになるのです。
 介護の現場などは、ロボットで全て賄えない、そうなると日本語検定に合格した人、最低賃金の保障、保険は外国人労働者本人または事業者が持つ、外国人のレベルアップのための教育機関のための資金を企業が負担する制度や、外国人のトレースする制度や隔離施設の建設、そして不法残留の外国人の送還の為のシステムを早急に造る必要があります。
そして永住資格には厳しい日本語検定を義務づけると共に年齢制限が必要、そして国防動員法に対抗する防御を完全にする必要があります。市民権と永住権をもつ人と、これらの労働者を完全に区別し管理を厳重にしなければなりません。
ネットで移民総数を監理するとともにトレースする。何よりも重要なことは自国民保護であり、移民の人権も担保しなければ、日本は全ての移民送り出し国から、韓国の徴用工のような問題を必ず背負うこととなるでしょう。
財界はあれだけ慰安婦、徴用工の問題があるのに、何故韓国や中国から大挙して求めるその異常さ、倫理観の喪失には驚かされるところです。

 いずれにしても、日本はすでに移民において「駱駝の鼻入れ」を許してしまつた。もう取返しがつかない、何故ならそれによぅて利益を享受する人が増えるからです。50年後にはもう日本のアイデンティティは蒸発し没落したのつぺりした、特徴のもない小国が残ることでしょう。
 日本は「駱駝の鼻入れ」のごとく、テントの隙間にグローバリズムの鼻入れを許したが、今やもうグローバリズムがテントを席巻してしまつた。
私が所属した企業も、もう民族企業には戻れないないのです。
自民党は狂人の如くグローバリズムを推進しているが、これは盲目的で理性などないのです。
 その事を知ってか知らずか、或いは何時の政権の座が密の味かは知らないけれども、その行く末は「地獄の釜」が待っているのを死なない、ヤーヌスの餌食になることすら知らないのです。
 熱力学第2法則はエントロピー増大の法則でもある。グローバリズムもこのエントロピー増大の法則とも言えましょう。
熱機関は仕事を取り出すためのもので、其処には熱移動を伴う、高熱源から低熱源に熱を移動させ仕事を取り出す、そして低熱源に熱を捨てる、詰まりは永遠に低熱源の安定なものになろうとするのです。
グローバリズムは永遠に国家・国民を無くし、永遠に特徴のないエネルギーのない無気力なものに人間をしてしまう、仕事は搾取される貢物ともいえましょう。自民党は狂ったように国家・国民を無気力・無力化する方向に導いているのです。
そしてその先頭に、長州の野蛮人、安倍という輩がいるのです。
政府・議会人の狂乱(1) (高橋秀夫)
2018-12-02 11:50:24
 フランス革命以来、「自由」、「平等」、「友愛」、「理性」、この価値のカルテ、この四対が近代の理想として掲げられた。
この「理想」が「主義」となって、自由は必ずアナーキーというか、カオス・放埓というか無秩序をもたらす。
平等も同じで画一主義に凝り固まるし、友愛・博愛こればかり言っていると日本には沢山いますが、必ず偽善者になってゆく。
理性、理性というが理性は前提から始まる、昔からヨーロッパ人は気付いたことで、人間は合理的足らざろう得ないが、合理の大前提は合理からはやって来ないで感情からやってくる。でもどんな感情でも良いという訳では無く、真面な感情を前提としなければいけない。
理性が主義となると必ず屁理屈に凝り固まる、大凡朝日・毎日新聞でも東大・京都でもよいけれども、学者なんていうシロモノはこんな連中ばかりである。

 そうすると誰だって、リアリティ・現実主義、自由の反対は秩序、平等の反対は格差、友愛の反対は競合、理性の反対は感情である。
ところがこの現実だって「イズム」となると、秩序は必ず抑圧的な物になってくる。
格差だって放って置くと必ず差別に陥ってゆく、競合だって優勝劣敗その他の残酷へと、感情だって非常に大事な合理の前提となるもので、感情を野放しにしてしまったら、誰だって「理想」と「現実」の間のバランス・平衡という物を考える筈だ。
ところが問題は自由と秩序の平衡、人間は自由秩序の下での自由、自由のための秩序、これを確りと保持できる状態が、人間の本当の活き活きとした活力・バイタリティという物である。
 平等も求めるが格差も認める、これを普通にフェアー・公正と呼び、人間関係は常に公正でなければいけない。
友愛フラタニティとイミレーション、モッドレート、節度のある生き方というのは、一定の友愛を示しつつも、しかしながらその間に競い合い、真っ当な感情に基づいて、尚且つ合理的であるというのを良識ある状態という。
 ところが、「活力」と「公正」と「節度」と「良識」、これこそが人間及び社会のクライテリオン基準となるべきだと、明治この方これを言った人が居るとしたら辛うじて、福沢諭吉が違った文脈で少々云っている。

 この事は正面に据えられた事は無いのです。
フランス人はかつて実存主義でステアションと言っていましたが、この状況の中でしかこの平衡という物は具体的に述べられないのです。
人間は生きている訳ですから、状況の中でのクラグマというのは実践であり活動(アクション)と言ってもよいのです。
こういう中で始めて我々の守るべき基準が具体化されて、「彼奴は余りにも可愛そうだぜと、百万円位やろじゃないか」とか、百万が良いか二百万が良いかという言葉は状況によるのです。
 そうすると人間は一様認識から始まるのだけれども、最終的には認識の間に、この場合でいえば理想と現実の矛盾という物が、何時も伴ってこの基準を何とか解かるのだけど、それを具体化しようとした途端に、既に認識を超えて状況の中での決断としてしか遂行できないという感じなのです。

 福沢諭吉は『文明論の概約』の中で面白いことを言っている。
私徳とは何か?
次の四つだと、「潔白」、「貞実」、「謙遜」、「律義」であることだと、ところが彼はこう言うのです。
儒教の間違っているのは、人間の個人の内面のプライベイト・バーチューだけにこだわって、それで子供達に「ああいけよ、こういけよ」と、或は男が女に貞操を守れとか何とかかんとか言っているがとんでもないと。
 それで彼はヨーロッパに学んで開かれた世界を造るべくして、「公徳」という物を少なくとも江戸期の儒教は無視していたことに反旗を翻して、恥を知ること、人間関係の中で要するに恥知らずな事はするなと、人前で恥をさらすことは厳に慎めと。
次は公正で、人間関係は常に公正でなければならないと考えるべきだと。
それから三番目は正中で、まあまあ正しい的を得ている。
最後に勇気で、封建日本が駄目だったのは、「恥」、「公正」、「正中」、「勇気」という公徳心が無かったからだと、開かれた社会の人間関係についてのクライテリオンたる「公徳」に於いて実に弱弱しいのだ。
だから要するにこれから欧米にやられるのだと。

 何が言いたいかというと、ギリシャの四徳である、「正義」、「思慮」、「勇気」、「節制」は、実は日本人にも分る事で、日本人の特殊性をあまり言ってもらいたくない。
「正義」というのは「思慮」によって制限づけられなければいけない。何故ならば正義が行き過ぎると極めて横暴になる訳です。
でも思慮もこれが行き過ぎると臆病になる。勇気も大切ですが、これが行き過ぎると蛮勇、野蛮になる訳です。
自から節制しなきゃいけない、ところが節制も行き過ぎると今度は臆病者になる訳です。
 そしてギリシャではこう言われていた、単独の徳の過剰は不徳に転じると、あい矛盾する徳の間のバランスを保つという事が人間及び社会の仕事なのだと。その点から言うと、あまり日本人と違わない。
日本文化の特殊性、特殊性と言うと必ず誤謬の道に入るのです。

 西欧社会でもモラル、モラルと言うが、我々は勝手に何がキリスト教的に理解しすぎて、ラテン語で言えばモーレスで、モーレスとは「集団の安定した感情」、モーラルという物は集団の習慣的な安定した感情に根ざすのだ、という事はもう西洋の言葉の中に表れている。
そういうことをキチンとさせないまま、所謂日本特殊性論というのは時折息を吹き返すというか、振り撒いて日本はこういう特殊性のお蔭で高度成長に失敗したとか、世界の経済大国に成ったとか、世界で一番落ち着いて豊かさを享受しているのは日本であるとか、これはもう滅びている癖して呆れるところである。

政府・議会人の狂乱(2) (高橋秀夫)
2018-12-02 11:51:39
財政等審議会の答申
・平成30年間の財政運営を厳しく総括。将来世代に負担を先送りすると指摘。
・社会保障制度の改革を目指し、「年齢ではなく能力に応じた負担」に転換
・後期高齢者の窓口負担の引き上げや、介護利用者の負担の見直し
・国立大学に支給される運営費交付金の配分見直し
・防衛装備品の調達は、今後5年間で計一兆円以上、効率化が必要

という内容、これは全部緊縮財政である。
この緊縮財政と様々なビジネスが合体して、それで日本をドンドン小国化しているという実体があります。

緊縮財政ー規制緩和ー自由貿易・・・これがグローバリズムのトリニティです。
グローリズムはこの三つがパッケージとなつています、だから三位一体です。
自由貿易とは「人の移動」、「物」、「投資・金」」が、自由に国境を超えて移動することを前提としています。

まず「移民受入」
(現象)少子高齢化に端を発する生産年齢人口比率低下により人手不足が深刻化

(緊縮)政府は人手不足を解消する生産性向上には一切、お金を使いたくない。

(規制・自由)移民(外国人労働者)受入れ
(真の目的)日本国民の給与を上げたくない。経済界が低賃金で働く”奴隷”的な労働力を求める。
*ドイツのメルケルが経済界の要望で移民を大量に受入れた前提は、ドイツ経済の国際競争力の維持があつたが、結果はメルケルが政権を追われると共にEUが解体の方向に向かっていると共に、ナショナリズムの潮流の原因となつている。
日本も自由民主党が将来に於いて、日本の政治勢力として急速に影響力を失う原因となろう。
 満州に於いては山東半島あたりから多い時で70万人程の漢人が移住したが、幾ら日本が5属共和と言っても、結果的に満州は漢人に乗っ取られてしまつた。今の日本人にはこの「洗国」に対する危機感が無さすぎるのです。

水道民営化
(現象)水道管が老朽化。水道管の交換が必要

(緊縮)政府は水道メンテナンスにお金を一切、使いたくない。

(規制・自由)コンセッション方式の民営化。外資OK
(真の目的)日本の水道サービスを「ビジネス」と化し、利益を稼ぎ、株主に配当を支払いたい

カジノ解禁
(現象)長引くデフレーションにより、経済が停滞

(緊縮)政府はデフレ対策(需要創出)にお金を使いたくない。民間投資に丸投げ

(規制・自由)カジノ解禁。民間投資をIR建設
(真の目的)外資を含むカジノ産業が、日本「市場」で国民の所得から利益を吸い上げたい。

種子法廃止
(現象)種子法により多種多様で優良なタネが安く農家に提供されている。

(緊縮)政府は国民の生命の源であるタネの維持に、お金を使いたくない。

(規制・自由)種子法廃止。外資規制なし。
(真の目的)モンサント=バイエルンらアグロバイオ企業が日本のタネ市場で利益を上げたい。

高額品医薬品の保険適用停止
(現象)医療技術の発達により、医療費が高額化。

(緊縮)政府は国民の生命を守る医療サービスにお金を使いたくない。

(規制・自由)高額医薬品の保険適用停止。
(真の目的)保険適用されない医薬品をカバーする民間(アメリカの)保険サービスの日本市場参入。

水道管とか種子法とか、本当に人間の身体、国民の生活に係わるではないか。そういうものは経済論理じゃ行かない部分で、公共の福祉とかを考えて政府が補助したり規制するのが当然だと思う。それは何処の国でもやっている。
それを何でそこまで規制緩和してしまうのと、国民は素朴に思うのです。
本当の事を言えばバレちゃうから美辞麗句をいれる訳です。

諸悪の刻限である、財政法第4条、財務省の官僚は本当は緊縮財政をやりたくないと、どうして考えないのでしょうか。
まあ片山さつき議員に代表される財務省の、権勢欲が根底にあるのでしょう。
戦前は国際金融資本に迎合していつた御用政党、御用政府はそれを誤魔化すために、機関説を使った。
戦後も同様、段々と国際金融資本に迎合していつた、御用政党、御用政府はそれを誤魔化す為に、日本の財政を破綻するという、だから消費税増税が必要であると国民を脅迫したのです。
 実の所は、日本の財政は世界で最も健全である、だから有事の円買いが起る、中国が通貨スワップを望むのもこのためなのです。
 政府の債務が一千兆円といつても、バランスシート上では資産が六百兆円ほとあるのですから、真の負債は四百兆円ほどで何の問題もないのです。
 企業にしても借り入れしなければ事業は拡大しない、負債があつてこそ成長があるのです。
要は、利益計画が真面であるかが問題なのです。
今の日本は、これに相当する国家の計画がないから問題なのです。経済企画庁を潰し一部内閣府が引き継ぐにしても、今は財務省の下請けになつているのが問題なのです。
 
 財政法第四条は、財政の単年度主義、しかも単年で収支を均衡させるという、家計簿なのです。
野田という財務省そのものの自民党の幹部が、将来消費税を20%にする必要があると、国民を脅しているのです。
 ヨーロッパのリベラルは、歴史と伝統を踏まえての、新しい問題への対応なのです。
そうすると今の自民党はヨーロッパのリベラルよりももつと左に属する、保守党ではなく革命政党に成り下がっているのです。
小生は、もう自民党がこんなことをしていると、十年先にはこの政党は国民の支持をうしない消えてなくなると考えているのです。
 ヨーロッパでもハプスブルク家の流れ、すなわち伝統を汲む勢力が台頭してきている。
オーストリア、ハンガリー、ポーランドなどその典型で、メルケルなき後のヨーロッパ、そしてアメリカのトランプの親和性が強くなつて行くのでしょう。これに反して日本は、今の自民党政治は世界の潮流のなかで漂流する。

崩壊する時代のなかで-日本人の再建は可能か? (1) (高橋秀夫)
2018-12-04 09:36:58
日本は英米の国際金融資本に取り込まれた御用政党、御用政府が支配している。
目先に迫る消費税増税又はそれの回避は、どちらを選択するかで日本の将来に於いて歴史的変化をもたらす。
即ち国際金融資本の支配から脱して日本独自に政策決定できるかの瀬戸際である。
もし消費税増税すれば日本は衰退の方向に向かい、孰れは中国の支配圏に併合されるであろう。

 増税してはならない理由は、消費税8%以前の水準まで個人消費は回復していない、恐らく増税すれば2%増税分8%増税以前の水準よりも落ち込む筈である。
日本は日米首脳会談で『日米貿易協定』交渉に署名した。これは物品、投資、サービスその他のFTA交渉に入る。
先ずは短期的に成果のあるものから交渉に入る。
米国は短期的に効果が上がるものとして為替条項を日本に強制的に飲ませようとしている。

 日本は消費税増税すれば内需は縮小する、そうするとそれを埋め合わせるために、輸出増加に動かざるを得ないが、その障壁となるのは為替条項であるから、輸出増加は米国の政策と相反し日本は米国の制裁を受ける。
増税すれば内需は縮小、それに輸出は増やせない、それに米中の全ての面での利益相反は、世界貿易の規模の縮小が予測される。
それに、米国のシェール投資に関するジャンク債価格が維持され、その為に今の株価は維持されている。
株価の高騰はIT銘柄主体であるから市場は脆弱である。
現状では石油価格水準が高い(サウジの国家安定ラインは70ドル)で、米中闘争は世界景気が後退を招き石油価格下落を招く。
これが中東の不安定化を招くと共に、世界的株価の暴落要因でもある。それにサウジのジャーナリスト殺害は、油断の恐れも内包している。

 かくして、消費税増税は日本経済に破局的状況をもたらし、デフレは進行し日本は二度と再生できない程のダメージを受けるであろう。
世界的な中国包囲網の中で、日本が中国と通貨スワップ協定を結ぶことはクレージーであり、消費税増税すれば一気に安倍内閣倒閣運動ら火がつくであろう。又、卑怯に「一帯一路」とは言わないで、第三国で中国と共闘してインフラ投資することもクレージーである。
日本は尖閣、南シナ海のことを忘却、日米安保を踏みにじる、日本の安全を忘却したのでしょうか?

 今の状況からすると、小泉は国際石油資本のエージェント、デーブ・ステートの手先、自民党親中派・公明党・大手メディアは憲法改正に抵抗し中国の利益を擁護する、中国のエージェントとも言えましょう。
石油を買わすために自然エネルギーの大宣伝する小泉、そして日本が独立国になつて貰っては困る、その中国のエージェントである自民党親中派・公明党・メディア・財務省である。
 そして日本がデフレで利益を得るのは、日本の厖大な資金を手にする国際金融資本、資金が欲しい中国、デフレで海外市場を求める財界、そして国際機関のポストが転がり込む財務省その他の役人達である。
 消費税増税がどれだけ日本国民を貧乏にするか、日本国を疲弊させるか、その事は安倍総理は分かっているであろう。
国民はマス・メディア、外国の日本工作に踊らされず、自分達の利益を守ることに専念しなければ、子孫に対する責任を果たすことは出来ないであろう。

北朝鮮の核武装・ミサイル発射で緊張感が高まる、危機は日本の自主・独立を真剣に考える好機である。
世界的な混沌状況が深刻化する中で、如何に日本的なものを取り戻すか「戦後」日本人論を考察する。
日本は他の人種・民族から垂涎の的と言われるが、たった一度の戦争で負けアメリカに適応し己を捨ててしまった日本人である。
グローバリズムから国民国家へ移る時代の転換期に、明治維新から150年ずっと革新を続けてきた日本人が、何をやってきたか咀嚼すべきときである。
保守思想のエッセンス「人間の不完全なものである」、「社会は植物の様なある種の有機体である」、「急進改革は警戒せよ!漸進的な変革で行け」と、失われた日本的なものを如何に取り戻すか、其れを日本人は自覚すべきである。

福田恆存は最晩年に、多分文章でも一寸残っていると思うのですが、「日本はもう一度戦争して、もう一度負けなければいけない」と、説明は無いのですが多分こういう事だと思うのです。
 折角負けたのだから、負けた72年前に日本人の弱点は何で、長所は何であるか歴史的に考察して、「汝みずならを知る」というそういう絶好のチャンスだったのに、そういう努力をしないまんま、アメリカという勝ち馬に謂わば身を預けてしまうという。
それで要するに、自分の自己に対する批評、之は「汝自身を知れ」というのは、古代ギリシアのデルポイの神殿に有る、昔からヨーロッパ人の「根源的な問い」なのです。汝は何物であるか、己自身を知らずして他者、状況を語るなかれと、そういう折角のチャンスを逃したまんま、日本は要するにアメリカその他の外部へ適用して来た訳です。
これはホセ・オルテガの言葉ですが、「外部に適用するのを専らにするのは、その文明にとつて命取りとなる」と、本当に詰まり自分自身を無くする訳で、命取りどころか自分自身を捨ててしまうという、戦後72年それを遣っていてもう其処には日本人は居ないのです。
だつて己を捨ててしまった日本人の命は、とうに喪失蒸発しておるのです。

 というのは日本人の再建は、不可能かも知れないという事になるのでしょう。
でも恐らくその可能性も大きくて、崩壊するというのが一回、私達は(福田恆存の言葉じゃ無いですが)、負けなきゃいけないという言い方、崩壊しなきゃいけないという言い方でも良いのかも知れません。
足元がまず見えていないので足元を見るところまで、廻りの物をキョロキョロしなくなる程までに、痛め付けられないと駄目だろうと私自身思っています。勿論、総論賛成、各論反対の様な物で、総論はそうでも各論は私だって余命が長いから、どうやって生延びられるか手立てを考えます。
とはいえそうでもしない限り、心地よい世間心地よい世界が、到来するとは到底思えない。
それ程までに私達は、冷戦構造、グローバリズムの中で甘えて来て、自分達という物を問う事を本当にしなかった。

 一つだけ言うと福田恆存が、だからこれも同じ事を言ていたのですが、昭和21年から22~23年ですか、あの頃というのは本当に混乱期で、1949年あたりから朝鮮戦争が始まって逆コースと謂われる形で、戦後体制が固まって来るのです。
其れまでのあの2、3年間が懐かしいと言うのです。もっとあの混乱が続けば良かったのだ、という言い方をしており私もそう思います。
 私も二人の意見に根本的に賛成ですし、先程言われた外部に適応して行くと自分を失ってしまう。
それが戦後の72年の日本だというのはその通りだと思います。
只、私は一寸日本人のためにも言うのですが、日本人に同情的で来年明治維新(詰まり日本近代150年で)、実はこの72年どころか150年間そうだったのです。明治維新が革新で急激に西洋化をしたのです。
あんな短時間に日清・日露戦争、元々日本人というのは戦国時代は鉄砲を持っていましたが、「鉄砲を捨てた日本人」という言葉がある様に近代的な兵器を捨てて、250年の江戸時代を生きてきた。
其処から行きなり開国して、行きなり西洋文明に追いつき追い越せと、当に革新に次ぐ革新で大正時代もそうで、民本主義なんて此れまでに無かった発想です。
崩壊する時代のなかで-日本人の再建は可能か? (1) (高橋秀夫)
2018-12-04 09:38:13
 それを外部に過剰適用しょうとして遣ってきて、それから昭和初期はどうだったのか、多少揺り戻しだったかも知れませんが、「東亜新秩序」それだつて革新で、戦後72年も当に革新ですから150年も革新を遣って来たのです。
何かこんな悲劇的民族はない訳で、其処で多少巧く行かなかった事もあると思いますが、もう一回、一寸150年でやった日本人の長所や弱点を見直しながら、一回負けてみても別に勝ってみても、変革でも良いのですが、何が大きな事を遣るためには、その150年の出て来たものを咀嚼するという事が必要で、それを遣る時期に来ているという事です。
 時代的には面白いと言うと語弊があるかも知れませんが、グローバリズムから国民国家へと、アメリカニズムだって社会主義だってグローバリズムですから、それが歴史的にもう、全てが行詰まって行ったしポストモダンだって行詰った訳です。
新しい物がドンドン行詰って、さあどうするか、其処で150年の我々が経て来たものも一緒に考えようじゃないかと。
何が良い物が出て来るかも知れない、有るのか無いのか分かりませんが、多少なりとも希望を持つしか今は無いのかなと思います。

 不思議な事になっていて、今全世界本当に凄ざましい混乱でしょう。
日本列島は他の人種、民族、国民、集団からみて、所謂垂涎の的、俺達喰うや喰わずで殺し合いで、難民だ移民だと、でもあの島国だけは何はともあれ皆な食べているじゃないか、犯罪も非常に少ない、狂暴犯が非常に少なく羨ましい。
でも中々入りづらい島国だという事と、太平洋は馬鹿でかいし、それから東シナ海は色々と複雑で、又結構荒波で渡り辛いでしょう。
必死になってあの島に辿り着つけば、我が家族も安穏に暮らせる垂涎の的と、よだれが出る程のそれに調子こいて、日本人はジャパン・ファーストなんて、あれは日本を第一に考えようという意味じゃなく、ジャパン ザ ファーストで、日本人が一番だという意見も出て来ている訳です。
勿論、喰うとか暮らし向きの事だけ考えたら、そうと言えなくもない。
しかし人間小さな声で言うと、「安穏に生きるにあらず」で私はクリスチャンではないが、俯き加減でスマホを持って昼間の幽霊の様にして、飲み屋に行っても、会社の話しか話題はない、しかしでも暮らせる。
 
 私も随分前に、自分でコンサバティブ(俺は保守の一員だと)、簡単に言うと保守って単純で、第一必要条件として「人間は不完全である」、どうあがいてもインパーフェクトであると。従って自分の思い付き、自分の理論、それは主張しても良いのだけれども、孰れ不完全である事が多分証明されるであろうから、そう大声で偉そうに人に吹聴して回るな、人間のインパーフェクション不完全性を知らなければならぬと。
第二が、社会なのですが社会という物は、一朝一夕に出来た物では無いのだから、何百、何千年の然も他人とか他国との葛藤の中で、出来てきたのであるから殆ど有機体オーガニズム、兎に角、本当に複雑に絡み合っている。
従ってそんな物(有機体としての社会)は、知り難い事が山ほどあるという事も知らねばならない。
第三に、そうであるが故に、何が自分を変える社会を変えるでも良いのだけれども、どちみち不完全で余りにも複雑なのだから、グラジュアリズム漸進的に急激な変化については、要するに警戒した方が良いのです。

 これはマイケル・ジョセフ・オークショット (Michael Joseph Oakeshott)の言葉で、「変化によつて得るものは不確実だが、変化によって失うものは確実だ」と。
一例をあげると、貴方が私の恋人だとする。
それを変化させる、貴方と別れるという変化、必ず貴方を失う事は確実。
でもそれに依って得る物、私は本当に自由になるのか、孤独にうち沈むのか、その代わりに探した女性が酷い女性なのか、不確実な訳です。
そしたらその分だけ人間は変化に対して注意深くなる。
何がそういう事も含めて、人間は基本的にはグラジュアル有機体がそうでしょう。
やはり昨日に目の出たものが、今日はほんの一寸だけしか成長していない。
急に大木になるジャックと豆の木のような、おとぎ話ならいざ知らず、現実の世界ではそういう事は無いのです。
日本人が、何か物凄いニューアイデア、ニュープランニングで変わるのではなくて、そういうごく平凡なことに気付けば、そうしたら良くなる筈です。
答えは目の前にあるのかも知れません。

 この世界この戦後というのは、ドンドン ドンドン変わって来た、変わって来たからドンドン ドンドン不安になって来たのです。
不安になつて来たから、簡単な政治理念や或いは簡単な纏めた言葉、標語、それに直ぐ飛び付く様に成つて益々弱くなって行くのです。
その弱さを何処で止めるのかという時には、凄く極端な話なのですが、一回皆な挫折すれば良いと思っているのです。
極端な話ですが、西邊氏が何で西邊氏かというと、六十年安保の挫折があり、七十二年の浅間山荘に、其処からの人生がある訳です。
恐らく保守の問題っていうのは、グラジュアルじゃないと、どうしょうもないんだと言うのは、実はそういった個人個人の人生の具体的な現場から、負い出でて来る感覚だと思うのです。
あまりにも成功がもてはやされ過ぎ、且つ成功者でなければいけないと思われている。

崩壊する時代のなかで-日本人の再建は可能か? (3) (高橋秀夫)
2018-12-04 09:39:00
 確かに変化というのは不確定なもので、人間はある種根がないと生きて行けないし、回帰するものがないと生きて行けないのですが、150年間変化、変化で遣って来た訳です。
日本的な物はもう既に、ハッキリ言ってファッションは別として、実体的には失われていると考えて良いのです。
毎ながらにして、我々の生活も明らかに合理的性を追う生活をしている。
そこからどうやつて日本を取り戻して行くかという、結構難しい宿題を我々は突き付けられている。
そうなると今まで議論してきた『日本的なるの』は、もう一寸広いパースペクティブから、近代以前の物から探っていって、一体日本とは何ぞや?というのを、絶えず考えながらじゃないと、本当に此れからの時代は危険だと思います。
まさにポストモダンが、過去と切り離されて非合理な物を遣ったら、空虚な物でしか無かった、最後は皆オタクになつてお仕舞だつた。
それをもう一寸壮大なレベルで繰り返す事のようにさえなりかねない。

 ですから当に『日本とは何ぞや』という教育も必要だし、政治も必要だし、色んなところで考えないといけない。
そういう意味では一種のチャンスで、危機というのは危険であると同時にチャンスですから、チャンスと危険が背中合わせになつているのは、別に悪い事ではなく当然な訳です。
それで危険であると同時に、チャンスを見出して行というのが、巧く行くかどうかは分かりませんが、その一寸希望に掛けなければいけないのかなと思います。その事を少々具体的に、これは現実のおとぎ話になりますが、金正恩という北朝鮮の主席が、グァム周辺に向けてミサイル実験するのではないかと。それで二人の朝鮮問題専門家が出て来て、その中の一人が「絶対にやります」と、そしてもう一人は「絶対にしません」と言った。面白いでしょう、人間ってこういう事を遣る、詰まり核を手にする、核でも金でも何でも良いのですが、
元々人間の中に、核を持っちゃったな、金を持っちゃたなと、詰まり二人の専門家がおとぎ話を言っているので、是は金正恩の気持ちかも知れません。遣ってしまうか、いや遣らない、遣ってしまうか、いや遣らないとか、人間が恐ろしいのは、遣るか遣らぬかの選択になると、余程に先程言った意味での、良い意味でのコンサバティブな気持ちを持つていない人は、どうしても遣る方を選ぶのです。

 結局は、そのために十年かかるか、十五年かかるかは知りませんがこれは恐らくトランプも同じで、例えば、「日本なんか勝手に遣れ、日本なんか面倒見ている暇はねえよ」と、彼は選挙演説でそう言っていたのです。
ところが安倍首相が合いに行ったら、「日米100%の軍事同盟で良い」と、何なんだ何だと、100%勝手に遣れよと言っていたのにと。
でもトランプ的なる気持ち、日本を切り離しちゃうかと、あんなメンドクサイ、いや仲良く遣るかと、どうするどうするとなると、結局は最初に思いついた事を遣っちゃうかとなる。
北朝鮮の核、アメリカの「日本なんか切捨てちゃうか」、右往左往しながら最後には(旧石器時代から見て来ると)、矢張り思いついたことを遣っちゃうのです。中国の習近平の思いついた『中国の夢』だつて、金正恩の核、トランプの「日本切り捨て」も、同様の思いつきなのです。
そういう意味では、日本は物凄い瀬戸際に来ているのです。
 その通りで北朝鮮の核問題、これは隣国だし相当な問題です。
この危機にどう対処するかというのは、日本がどの様な形で、国民国家になれるかどうかの試金石だと思います。
危機とは先ほど言ったように、危険であると同時にチャンスであるから、詰まり危機がなきゃ駄目なのです。

 西邊氏が中日新聞で答えたのが、凄く印象的だつたのですが、要するに西洋というのは、共通の価値観を皆な持っているので、平和の構築はやり易いというのです。ところが東アジアは何となく、韓国、中国にしても戦争責任が問題になるのですが、共通の価値観が無い。
その中で北朝鮮という、本当に核兵器を持って、攻撃をするかも知れないような国家が近くにある。
而も冷戦下の状況とは全然違う訳で、アメリカも「我が国だけでは世界秩序は守れません、彼方方やつて下さい」と、言明しているのです。
詰まり自立どころか、自分達で遣れというモードに入っている。
この中で我々はどうして行くのか、特に核の問題はどう考えて行くのかです。
日本人は広島、長崎と二度の被爆を受け、それから漁船が被爆したりして、核アレルギーが非常に強い国という事は解りますが、それには正当な理由があると思います。只、核兵器 の問題を、そのために考えなくなつたというのは、凄く良くない事だと私は思います。
核兵器というのは余りにも巨大な破壊力がある故に、特に北朝鮮の様な小国が、他国に圧力を掛けて、政治的な影響力を及ぼす事には凄く役立つのです。北朝鮮の遣っている事は、核兵器は抑止力と言われますが、余りにも巨大な破壊力が故に北朝鮮はこう言っているように思えるのです。アメリカの核兵器によつて我々は抑止されません。我々は核兵器を非合理に使用しますと、こう言っているかの如くです。
少なくともそう装っているかも知れないのですが、所謂、核抑止力の信頼度という物を、揺るがせる行動を取っている事は間違いないのです。
この中で我々はどう考えるか、今我々は突き付けられている訳です。

 而もその問題は、大東亜戦争を振返ると(私はあの戦争は祖国防衛の偉大なる戦争であったと思っていますが、その事を置いておいて言うと)、勿論あの時の軍人だつて、為政者だつて馬鹿じゃないですから、アメリカと遣り始めたらとんでもない事になるだろうと分っていた。
だから止めるか、遣るか、止めるか、遣るかという事が、だってアメリカが日本に対して、経済制裁や金融制裁、強烈な要するに鉱物資源は輸入させない、其れのみならず日本移民はカリフォルニアから排除etc、これを遣り始めたのは1920年代ですから、あれは一種の宣戦布告なのてす。実質的に宣戦布告されて、日本は立ち上がるか、いや大敗するから止めよう、それで遣るか、最後ウワーと行った訳です。
 矢張り自分達の歴史を冷静に見ると、世界は恐らくその局面に、遣るか、止めるか、多分遣るだろうなと。
恐ろしいところに来ていることを世界中が気付いている。
日本だけ呑気に暮らしていますが、「皆さんそういう事は誰もやらんでしょう」と、うんうんと頷きあっていますね。
恐ろしい事ですが、多分それは裏切られますね。

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