陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

柳沢発言による政治混乱と天皇機関説騒動

2007-02-04 05:37:06 | 国内政治:内閣
 柳沢伯夫厚生労働大臣の<女性は生む機械>発言が問題視され、批判が増幅されて「祭」状態になった。何がその発言の元かと言えば、ある集会で柳沢氏はこんな演説をした。

 「なかなか今の女性は、一生の間にたくさん子どもを産んでくれない。人口統計学では、女性は15才から50才が出産する年齢で、その数を勘定すると大体分かる。他からは産まれようがない。産む機械と言ってはなんだが、装置の数が決まったとなると、機械と言っては申し訳ないが、機械と言ってごめんなさいね、後は産む役目の人が1人頭でがんばってもらうしかない」

 例え話にしても品の無い内容だが、少子化問題を聴衆に分りやすくしようと彼は考えたのだろう。「産む有機体」「産む生物」ならまだ救われたかも知れぬ。その場で気が付いて、柳沢氏は謝っているから聴衆はそう問題にしなかった。だが、会場にいたマスコミ関係者が、待ってましたとこれを報道した。早速野党を始め、ジェンダーフリーの人達が飛びついて、油紙に火が付いたように、批判の炎は激しく燃え上がり、国会論戦にまで影響を与えている。

 その後、安倍首相は柳沢氏に厳重注意をし、御本人も国会で改めて謝罪した。私は、それで終わりにしたら良いと思う。柳沢批判をするなら、彼の政策を言論で行えば良い事だ。言葉尻を捉えて、柳沢氏の罷免を求め、更には野党が重要な国会審議をボイコットするなど、とんでもない話ではないか。

 国会で辻元清美衆議院議員(社民党)が罷免を求めて騒いだ。辻元氏は、2年前「私は国会を壊すために、<国壊議員>になった」とある集会で堂々と発言した。大変な問題発言であり、衆議院で厳しく詮議し、謝罪させなければならぬ内容であるが、衆議院は取り上げずマスコミも騒がなかった。私は、こちらの方が罪深いと思うし、国民に対する背信行為そのものと考える。

 女性蔑視に繋がる一つの発言を政争の具にするのは愚かな事だ。政党間の争いは、政策論争を基本とすべきである。小沢民主党党首は、この点でも議員落第である。女性である事をふりかざして、一般の人を煽る阿部知子議員や岡崎トミ子議員は、ヒステリック過ぎる。

 内容は全く異なるが、かつて「天皇機関説」騒動があった。岡田啓介内閣時代の昭和10年(1935)2月19日のことだ。当時、我が国憲法学者の間では、国家統治の姿として天皇機関説は当たり前の概念として定着していた。それに理解を欠いた軍人上がりの男爵菊池武夫貴族院議員が、帝国学士院代表である美濃部達吉貴族院議員(憲法学)の著書が国体に背くものでけしからぬと貴族院議場で攻撃的演説をした。学匪、謀叛人、反逆者とまで面前痛罵したのである。

 これを聞いた軍部・右翼は、美濃部の天皇機関説は国体明徴に反すると大いに騒ぎ出した。昭和天皇は、「天皇機関説で良いではないか」と側近におもらしになり、この騒ぎに疑問を投げかけられた。貴族院では、美濃部に釈明演説を許し、彼は分りやすく天皇機関説の内容を解説して、自分は反逆者ではないし、著書は国体に背くものでは無い事を述べた。これを聞いた貴族院議員は、その内容に感銘を受けて納得し、御当人の菊池武夫男も改めてそれを充分に理解して、刀を鞘へ納めた。(以上 Wikipedia より)

 ところが一旦火の付いた軍部や右翼は納得しない。はなはだしきは、天皇陛下を機関銃や機関車に例えるとは何事かと曲解するものまで出る仕末。そこへ、野党・政友会が絡んで、美濃部議員の恩師である一木喜徳郎枢密院議長、金森徳次郎法制局長官(後に辞表提出)の辞職を求め、更には岡田内閣打倒まで巻き込んで政争が進む。

 結局、美濃部達吉博士は貴族院議員を辞職、著書「憲法提要」始め3冊の図書は発禁、挙げ句に右翼による拳銃襲撃まで受けて重傷を負った。当時、右翼団体が声高に宣伝するを受け入れつつ、冷静を欠いたままに流れる世相雰囲気、内容の本質を考えない衆議院議員達のお粗末ぶりは後に大いに批判された。そうした姿は70年後も形を変えて、現在へ引き継がれているように私は感じるのである。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 暖冬異変とエルニーニョ | トップ | 麻生外相に竹島問題を問う »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

国内政治:内閣」カテゴリの最新記事