Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

自家用車

2012年02月02日 | Weblog

敢えて化石のような呼び方をしたのは、ある方のブログに日本クラシック・カー協会のニューイヤー・ミーティングの様子が紹介されていて、そこにえらく懐かしい車が載っていたからである。

Edは20歳のとき免許を取った。自動車学校はすでに当時からあちこちにあったけれど、兄のダットサンで休日にコースを借りて練習させてもらい、府中の運転試験場で実地テストを受けて3回目に取ったから、かかった費用は数千円くらいのものだったろうか^^!
           
兄のダットサンは勿論ガタガタの中古車で、シフト・レバーが摩耗しており時たま固着してしまい、その度ボンネットを開けて外してやらねばならなかった。またエンジン始動も今の車のようにセル一発というわけに行かず、朝はクランクでよく汗をかいた。1000ccのエンジンで重たい車体を車体を引っ張るわけだから陸橋のランプ(登り坂)などでは今にも止まりそうになるなくらい速度が落ちるのだけれど、とにかく乗って走るものなら何でもよかったからよく借りて走った。

               

そのあと兄はスバル360のコンバーチブルに替えた。この車は軽ながら乗り心地が良く、二人乗車なら快適に飛ばせる。この車は当時の国産車のなかでは傑作車の一台だと思う。

初めてEdが所有したマイカーは中古のトヨタ・コロナ1600オートマチックだった。なまじ飛行機のエンジンの分解整備をする仕事に就いてキャブレターを担当していたものだから、車のキャブも大して変わるまいと知ったかぶりしてさんざん弄り回し、結局エンジンの調子を悪くしてしまった^^!(おバカ)

               

それが切っ掛けで次は初めて新車を購入した。ケンメリのスカイライン1600クーペ。エアコンが付いてなくて真夏は窓解放で走るより外ない(笑)。これには長く乗って塗装が痛んできたので、知り合いのGMディーラーに頼んで塗りなおしてもらった。明るいメタリック・ブルーの良い色だった。残念ながらそれから幾らも乗らないうちに電気系統の故障が頻発するようになり廃車。

            

次はホンダのシビック1500。アメリカではポケット・ロケットと呼ばれ、小型でチョコマカよく走る軽快車だったが、車体剛性が低く傾斜したところで停めてドアを開くと車体が撚れる(笑)。クラッチ・ワイヤーが切れたり、あんまり華奢なので何年の乗らずに手放した。

          

そのあと勧められてホンダ・アコードのエアロデッキ1800にした。シビックと比べたら遥かにしっかり出来ていたが、ブレーキの鳴きとか風切りノイズなど細かなところがイマイチだった。このころEdは仕事に没頭していたから車はカミサン専用で、整備も疎かにしていた。オイル交換さえロクにしなかったので、あるときカミサンが運転中エンジンが焼き付いて壊れた。Edはその時以来、カミサンから「いい加減なエンジニア」のレッテルを張られてしまった^^!

           
           

お金もないのに急に車が必要になったわけだ。運よくカミサンのアルバイト先がく車のディーラーだったお蔭で旧~いソアラーの廃車寸前を頂いた・・只(笑)。
しかし侮るなかれ、流石は元高級車、旧くても乗り心地はよい。シートも長時間乗っても疲れない優れもの。

これが縁で以後あまり好きでなかったトヨタ車に鞍替え、マーク2に13年半も乗った。走行実に29万キロ、この距離は殆どカミサンが一人で稼いだ。(エライ!タクシー並み)

           

今はマークXに乗っている。多分これが最後の車になるだろう。 頑張って死ぬまで走ってもらわねば・・・

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