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・・・🌤  夏山も終盤に  ☀・・・

笹子雁ケ腹摺山

2012年10月14日 | 山梨百名山

 笹子雁ケ腹摺山(秀麗富嶽十二景・山梨百名山)に登ってきました。

秀麗富嶽十二景(しゅうれいふがくじゅうにけい)とは、大月市域内にあり、富士山を望む優れた

  景観がある場所として、 山梨県大月市が1992年に定めた12の山域(山頂)。

 1番山頂 雁ケ腹山(1874m)×・姥子山(1503m)

 2番山頂 牛奥ノ雁ケ腹摺山(1995m)・小金沢山(2014m)

 3番山頂 大蔵高丸(1781m)・ハマイバ(1752m)

 4番山頂 滝子山(1590m)△・笹子雁ケ腹摺山(1358m)◎

 5番山頂 奈良倉山(1349m)△

 6番山頂 扇山(1138m)◎

 7番山頂 百蔵山(1003m)◎

 8番山頂 岩殿山(634m)×・お伊勢山(丘陵地・約550m)

 9番山頂 高畑山(982mートル)◎・倉岳山(990m)◎

10番山頂 九鬼山(970m)◎

11番山頂 高川山(976m)◎

12番山頂 本社ケ丸(1631m)・清八山(1593m)

                                     (出典:ウィキペディア)

 赤字は既登頂、◎:展望良し、△:まずまず、×:展望なし

8:40 中央線「笹子駅」を降り、国道20号線を西に向かう。

  :彼岸花

もう終わりですね。

  :国道20号(甲州街道)

笹子駅から旧笹子峠への緩やかな登り、いい天気だ。

  :お馴染みの標識

9:03 「追分」通過、「本社ケ丸」への登山口。

       

:ニラ             :シュウメイギク

  :新中橋

9:10 新中橋を渡り、登山口へ入る(わかりずらい)

      :アケビ

通草(アケビ):千葉県生まれの歌人、伊藤左千夫(いとうさちお)小説『野菊の墓』で有名だが

 最近刊行された詩集の中でアケビについてこんなことを書いている。

  とうとう 開け実(あけび)採りだ    にんまり笑って食えと言う

  紫色した縦長の実   果肉は厚く白色半透明

  さけめから黒い粒が誘っている  食してみる

  甘く せつない味がしてくる

アケビは語源的には開け実、同じくアケビ科で形状も似ているが開裂しないムベ(野木瓜)

に対して言う。通草の字を当てるのは木部が利尿・通径の効能をもつことから。

              (朝日新聞10/13夕刊 高橋睦朗 『季をひろう』から引用) 

  :杉の植林帯

  :アカマツ

10:15 急登登りが一段落、平坦な場所に。

      

:トリカブト          :シモバシラかも?     :コウヤボウキ

最後の登り、振り返ると”今日のメインディッシュ”富士山が・・・。

  :山頂です

10:35~10:50 笹子雁ケ腹摺山頂です。

山頂はせまい、西側の展望が開けている。 富士山上空にかかった雲がおもしろい。

        :富士山3様  

   

:南アルプス         :八ヶ岳

  :紅葉

   :一度下る

米沢山の標高は、笹子雁ケ腹摺山と同じだが、一度大きく下り、2度登り返す。

この稜線はアップダウンが多い。

   :米沢山(1357m)

     :秋ですね 

   :山頂展望はない

11:40~11:55 米沢山頂、昼食。行程の半分は来たか?

      

:トリカブト                           :ママコナ

   :雑木林

最後のピーク、お坊山に向かう、小さなアップダウンが2回。

   :お坊山(1421m)

ヤセ尾根の大きなアップダウンを2回こなすと・・・

    

12:30 お坊山頂、ここも灌木に囲まれ展望がない。

水分補給と富士山に別れをつげて、大鹿峠へ下る。

  :南アルプス    :最後の富士山

  :雑木林の緩やかな下り

文字通り”グングン”下る、適当な傾斜で快適な下りだった。

しだいに傾斜が急になり、陽がささず、ぬれた道に。

滑らないように、転ばないように、慎重に、尚且つ足早に下る。

   :大鹿峠

12:55 大鹿峠に、大鹿山・笹子駅・甲斐大和駅への分岐となっている。

  :もう一つあった最後の登り  

景徳院経由甲斐大和駅への分岐までは、最後の登りが待っていた。

  :大鹿峠からの下山道

  :鉄塔

この山で度々目印となって出てくる鉄塔(それだけ目印がない)

  :杉林

杉林に入ると、里の音が聞こえてきた、赤い屋根も見えてきた。

   :氷川神社

13:45 氷川神社に、民家の庭をすり抜け、景徳院へ向かう。

         

:               :ヤマハッカ         :                :アキノキリンソウ

13:55 武田勝頼の廟所となっている 「景徳院」へ、中へ入る元気はなかった。

      

:能書き           :石碑             :山門

武田勝頼:天正元年(1573年)父武田信玄死去(享年53歳)

      ・・・ここから甲斐武田家が滅亡に向かう・・・

      天正3年(1574年)祖父武田信虎が信濃高藤で死去(享年81歳) 

      天正10年(1582年)織田・徳川の軍に追われ、あいつぐ重臣の離反に合い、

      新府の居館を焼いて逃げる。

      室北条氏・子信勝とともに田野天目山において自殺。甲斐武田家3代で滅亡。

景徳院:寺は徳川家康が武田勝頼の冥福を祈るため建立した。

     その後、二度の火災にあい、当時の建物は山門を残すのみ。

     山門の近くに、勝頼、室北条氏、信勝(子)、家臣、侍女の墓がある。

     :武田勝頼公夫人と侍女の慰霊碑

  :日川(一級河川)

国道215号線を歩いて、甲斐大和駅へ向かう。

武田勝頼を偲ぶ記念碑や石碑が多い。

甲州街道へ合流し、駅への道を下る。

   :甲斐大和駅

14:25 「甲斐大和駅」へ着いた、コンビニを探すがない。

モデルはがっかりする T崎さんパートナーです。

14:30 立川行きで帰途に着いた。(ビールは大月駅のキヨスクで無事Getした)

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            行程:標高差791m、約12km

      8:40 中央線笹子駅 ⇒9:10 新中橋登山口 ⇒10:35~50 笹子雁ケ腹摺山頂

       ⇒11:40 米沢山 ⇒12:30 お坊山 ⇒12:55 大鹿峠 ⇒13:45 氷川神社

       ⇒13:55 景徳院 ⇒14:25 甲斐大和駅

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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
饂飩より曇天? (can't)
2012-11-12 21:15:59
あまりの好天気でおつかれさまでした。名物の「鍋焼きうどん」も、列んで、待って食べるほどのこともありませんネ。私の時は曇天で山頂に2人、小屋の中には私と草野氏だけでした。仕方なくビールとうどんを頼んで話し込みました。山歩きは鹿に出会ってもびっくりするような薄気味悪い緊張の連続でした。
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