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・・・🌤  夏山?秋山?  ☀・・・

鷹取山(湘南)

2022年02月28日 | 神奈川県の山

穴はクライミングの練習で打込まれたハーケンの跡

10:45 老人ホームの奥に登山口が

シダが多い、説明書きも

逗子市の標示板

苔生した凝灰岩の石畳

11:00 神武寺:裏参道表参道の合流点

神武寺「客殿」

創建は不明、神亀元年(724)聖武天皇の霊夢によって僧行基が開いたといわれ、

 慈覚大師が天台宗に改めて中興したと伝えられる。

源頼朝や北条氏、徳川家の信仰も厚く、天正19年(1591)薬師堂領として五石の御朱印状を

受けていたとも、由緒ある古刹です。

神武寺の「晩鐘」

金沢八景も有名ですが?

薬師堂(本堂)

  

山へ続く道を行きます

岩場もあります、もちろん鎖場も

11:40 鷹取山:139m @前浅間から

垂直に切り立った岩石が特徴で「湘南妙義」の別名があります。

山並みは東西に連なり、展望台のある岩山(親不知)が山頂です。

山と横道路

三浦アルプス

東京湾の向こうに千葉が

手前の岩が後浅間、奥が前浅間

12:15 昼食後「摩崖仏」へ寄りました 

12:20 (追浜へ降りる)階段を降りて摩崖仏

後浅間の鞍部へ戻って田浦方面へ

田浦駅への分岐から「鉄塔巡視路」へ降ります

今年最初の「フキノトウ」先日天婦羅は食べた

JR横須賀線沿いを「東逗子駅」まで歩きます。

13:05 神武寺(表参道)入口へ

住宅街を抜けて文字通りの参道に切通しも

シダが木洩れ日に”キラキラ”輝いてます

コンピラ山ヤグラ群

鎌倉~室町時代に作られたものとか、約20ヶ所ほどあるとか。

戦時中にヤグラ内にあったものは寺に納められたとも。

(やっと見つけた) オドリコソウ 

(住宅街で見た)ロウバイ

13:40 京急神武寺駅、帰途に着きました。

  行程:標高差120m、約7km、3時間

  10:40 鷹取山登山口 ⇒(裏参道)11:00 神武寺 ⇒11:40・12:15 鷹取山・昼食

   ⇒12:20 摩崖仏 ⇒12:30 田浦分岐(鉄塔巡視路) ⇒13:05 神武寺入口(表参道)

   ⇒13:20 こんぴらやぐら・神武寺 ⇒13:40 京急神武寺駅

**

東国八十八カ所霊場とは、川崎市・横浜市・鎌倉郡域にある弘法大師八十八ヵ所を巡る霊場です。

横浜三十三観音霊場と重複する寺が多いので、続いて歩いています。

 

第80番:黄雲山 延命寺 

延命寺は、行基菩薩が開基したと伝えられ、三浦氏の祈願所とされた。

三浦氏滅亡後は後北條氏の祈願所だった。

徳川家康が関東入国した翌年の天正19年(1591)には寺領5石の御朱印状を受領、

近隣に末寺門徒寺を擁する中本寺格の寺院でした。

石像の弘法大師

79番:青龍山 東昌寺

北条政子が実朝の菩提を弔うため阿弥陀如来像を奉安、阿弥陀堂と称されていた。

北条泰時が鎌倉葛西谷に北条氏の祈願時として東勝寺を建立した。

北条氏滅亡に際し、東勝寺は一族郎党自害と共に焼失、

  東勝寺の名跡を阿弥陀堂が引き継ぎ、現在に至っています。

阿弥陀堂

***

>>>>空海6

 空海・弘法大師になる

774年:讃岐の国多度郡に生まれる

784年:長岡京遷都            

791年:空海大学入学、その後山林修行に   794年:平安京遷都            

804年:空海、最澄遣唐使船で渡唐  10月 帰国⇒大宰府に留まる

809年:8月高雄山に入る          810年:東大寺別当に就任         

812年:最澄らに金剛界結縁灌頂・胎内界結縁灌頂を授ける  

819年:高野山を結界し、壇上伽藍建設へ   823年:東寺を賜る                       

835年:真言宗公認、3月没す        921年:空海「弘法大師」になる


標高のない山歩いてますⅵ

2022年02月24日 | walking

第31番:青龍山 宝生寺

承安元年(1171)に開創、当地の領主だった平子氏よりの外護を受けて檀林所として栄え、

天正19年(1591)には徳川家康より寺領10石の御朱印状を拝領、

慶長14年(1609)には伊豆相模武蔵における古義眞言宗法談所三十四院の一つに定められた

 本寺格の寺院だったといいます。

山 門

由緒あるお寺ですが、今はその重い歴史に耐えているといった感じ

本堂前の梅と水仙

第30番:妙法山 弘誓院

天文5年(1536)に創建、宝生寺の裏山の反対側に位置します。

宝生寺と比してリッチな?お寺でした。

石碑にまとめられています。

雪吊り」が施工されています 

2月23日最後の寺巡り、自宅から磯子まで(約40分)歩きます

第22番:海向山 金蔵院(左:磯子観音)

栂尾の明惠上人から与えられた薬師像を安置するために北条泰時が

 靈雲山龍錫寺と号して岡村に創建、嘉暦3年(1328)理空上人が当地に再興したと云われます。

東国八十八霊場:48番にもなっています

文字通り根岸湾に向いてます

歩いて10分弱で

第22番:禅馬山 真照寺

「ガネーシャ:歓喜天」頭が象で乗っているのはネズミです。

創建は不明ですが、源頼朝の御家人平子平右馬丞有長が壽永元年(1182)に再興したと伝えられます。

インド仏教(南伝仏教)になじみがあるんでしょうか?

ブータン国王の写真も

いい天気でした、ちなみに会社の先輩もここに眠っています。

約5分歩いて 

第24番:瀧頭山 密蔵院、最後のお寺です  満願 

瀧頭山(りゅうとうさん)、滝頭(たきがしら)といえば、

そう美空ひばりの生家『魚増』のあった場所です。

永代供養塔「やすらぎ」募集中です  

当世お墓事情紹介します

「管理費不要、宗派・宗旨不門」

複数の遺骨を一緒に埋葬するお墓。回忌安置後は「やすらぎ」に合祀され、

 以後も永代にわたって供養を続けます。

◇個人墓誌位牌型一基万円、彫刻料.万円、納骨料.万円

◇永代供養塔志納料

・骨壺1年安置後合祀、1名様万円

・  13回忌後   1名様万円

・  33回忌後   1名様.万円  【パンフより】 

 万円払えば済むようです 

今日のミッション「岡村餃子」は臨時休業、納得して帰途に着きました。

** 番外編です。

手引:穐葉山 萬徳寺(曹洞宗)

萬徳寺は、曹洞宗布教所として明治11年に設立、静岡県袋井市にあった萬徳寺を移して

 明治26年開山したと伝わります。

野毛七福神:(何故か)弘法大師

隣は成田山:横浜別院です。(横浜二十一霊場、東国四十八霊場:38番)

 

尚、寺の縁起等についてはブログ「猫の足あと:寺社案内」を参考にしました  

***

横浜三十三観音霊場巡り、今日👏満願👏となりました。

南区14寺、中区6寺、磯子区6寺、西区5寺、神奈川区2寺、保土ヶ谷区1寺

番外2寺、廃寺1寺も含めて34寺、9日間で歩き通しました。

自宅から一番遠い弘明寺でも8km弱と、歩ける距離にあったことが幸いしました。

コロナも終息に向いているように見えます、週末は山登り再開予定です。

 

>>>>>空海その5

四国巡礼路・・・死や病を抱えてお大師さんと出会う旅

ひとたび都会の現代生活の喧騒を離れると、そこには明るいという一語では

 括れない、さまざまな日本人の祈りがある。

巡礼路は全国各地にあるが、なかでも四国は四方を海に囲まれ、山も深く、

 独特の孤立感のある土地柄のせいだろうか、

  奈良時代の昔から修験や修行の地として空海を育んだ。

この巡礼が、一般庶民の間に四国遍路として広まるのは江戸時代、

 『四国遍路道指南』なるガイドブックが出たことによる。

古くは修行者が悟りや験力を求めて、僧侶たちが修行のためにすすんで巡礼し、

さらに庶民が主に祖霊供養のために自ら決意し、千四百キロを歩いている。

    

今日の巡礼は「自分の所在を納得するための手続き」だとする。

                     【文化人類学者の話】

巡礼者は日常という空間を一時脱脚し、聖地という白装束を身に着け

 非日常に滞在し、一時的に解放され、日常に復帰する。

歩くうちに人生観が変わってゆくという言葉は、非日常を通過して

 再生するということを言っているのだろう。

<<<< いずれにしても歩いてみないと分からない話ですが。


標高のない山歩いてますⅴ

2022年02月17日 | walking

2月16日、今日は南区残りの寺を弘明寺まで歩いてきました。

自宅~元町~大通り公園~京急黄金町へ、ここから京急線に沿って

9:30 太田橋(ここを渡ると)京急黄金町駅

大岡川沿いのこれからです

9:45 5番:東光山 蓮花院

幼稚園が併設され、園児の元気な声が聞こえています

光❣?❣ いや、太陽の演出です

「御砂」らしき跡が

10:00~15分 寄り寺しました。

西中山 常照寺(日蓮宗)仁王門です

本 堂

山門・仁王門・本堂(裏山へ登ると)鐘付堂 日蓮上人銅像 

地元では「鬼子母神」と親しまれているようです。

日蓮上人像

「平戸・桜木道路」を西へ、横浜商業高校(通称Y校)前にある

10:20 6番:松吟山 大光寺 

延宝7年(1679)に大本山高野山桜池院から山号院号を付与されたとされます。

当寺の黒門は、旧金沢六浦藩米倉侯陣屋の辰己南門を移築したものだといわれ、

 東福寺の「赤門」に対して、「黒門」と呼ばれたと云われています。

                   (南区の歴史より)

落ち着いた雰囲気のお寺です、樹木も手入れされています

松、山茶花、金木犀、石楠花、躑躅、公孫樹と

環状1号を横断し弘明寺方面へ

10:45 番外:西向山 乗連寺

源頼家・実朝の菩提を弔うために、北条政子が開基となり創建、

 照淸法印が開山したといいます。

慶安2年(1649)江戸幕府より寺領升の御朱印状を拝領していた。

尼将軍、北条政子ゆかりの寺です

白 梅

11:00 33番:瑞應山 弘明寺

弘明寺は、善無畏三蔵法師が養老5年(721)に開創、聖武天皇の勅命により

 天平9年行基菩薩が観音像を安置して伽藍を造営したといいます。

鎌倉時代には源家累代の祈願所となっていた他、小田原北条氏よりも崇敬を受け、

 江戸時代には慶安2年(1649)寺領5石の御朱印状を拝領したといいます。

本尊の木造十一面観音立像は国重要文化財に指定されている。

身代わり不動尊、丁重に「」をかけてきました

枝垂梅と青空

紅 梅

11:30 弘明寺公園で昼食

展望台

展望台から ↓   ↑

富士山、丹沢山塊は雪が降ったようです。

弘明寺商店街へ出て、「藤方豆腐店=横浜そごうにも出店」

 カマボココンニャクとガンモを購入、帰途にと思いましたが

時間があるので磯子七福神で歩いた二寺へ寄りました。

 ⇒30番:妙法山 弘誓院と31番:青龍山 室生寺(記録は次回へ)

**

先日歩いた 手引札所:穐葉山 萬徳寺(曹洞宗)

野毛七福神:弘法大師・・・・末席は何故か山岳修験者の役行者(えんのぎょうじゃ)

隣は 成田山新勝寺の横浜別院です

>>>>空海その4

「空海」が「空気」になった・・・・・

日本各地の真言宗の寺には必ず「大師像や大師堂」があるが、

 弘法大師その人への信仰は、どちらかといえば、希薄な場合が多いように思う。

たとえば京都の東寺、毎月二十一日の「弘法市」が多くの買い物客を引き付ける。

空海の住まいだった御影堂は、空海の入定後、その供養の場として使われるようになった。

大師信仰はこの御影堂においても、僧侶のものから次第に近隣民衆のものへと

 発展していったとされる。

毎朝行われる「生身供」と呼ばれる、勤業の様子から窺い知ることができる。

~中略~ 途中、「南無大師遍照金剛」のご宝号も唱えられるが、この勤行は、

弘法大師への帰依というよりは、おそらく信心深い善男善女の熱心な先祖供養の

 延長線上にあり、彼らが生活圏のなかで確保している大事な祈りの場ではないだろうか?

                         【空海:高村薫著より】


標高のない山歩いてますⅳ

2022年02月14日 | walking

2月11日、今日は核心部になる久保山墓地界隈を歩く。

市営でJR保土ヶ谷駅へ、保土ヶ谷区 ⇒西区 ⇒南区 ⇒再び西区へ

9:30 11番:羯摩山 円福寺(真言宗)

開山は室町時代初期(1430年)

本尊は地蔵菩薩、寺の背後の竹林から出現したという筍地蔵の伝説がある。

白梅が満開だった、5月には国道1号沿いのツツジが美しい。(前はJR保土ヶ谷駅)

寺の背後にある住宅地の急登を歩いて、生家のあった東久保町~元久保町へ

寺が集まる久保山火葬場へ続く道へ・・・・

10:10  1番:日明山 大聖院(真言宗)

弘法大師二十一箇所の第一番の靈場でもある。

久保山墓地、梅の花が陽に輝いていました。

「佛の十戒」ユックリ、かみしめて、正座して読んで下さい

10番:吉上山 光明寺(浄土宗)

落ち着いた雰囲気を持つ、寺らしいたたずまいでした。

     

阿弥陀仏」頭を垂れてきました

10:40 9番:率渓山 新善光寺(天台宗)

梅と(愛嬌のある)地蔵様

明治時代の「軍人の墓」が多く建っています。

他の寺も例外ではないが、ここは特に多かった。

7番:医王山 東光寺(真言宗)

「高野槙こうやまき」と記念撮影

11:10 4番:東医山 薬王寺(真言宗)

地味~なお寺です、規模も小さい、飾り気もない

あとに尋ねる東福寺の隠居寺だったという歴史をもつ

11:30 3番:福智山 普門院(真言宗)

かっては東福寺境内にあったとも伝えられています

大樹の背景は関東学院三春台高校の建物です

紅梅

「浦舟藤棚」道路を横断して西区へ

11:30 光明山 東福寺(真言宗) 

寛元年間(1243-1247)に玄心法印が開山、後嵯峨院の勅願所だったと伝えられます。

太田道灌が中興、天正19年(1591)寺領3石の御朱印を拝領、

 近郷に24の末寺を擁する中本寺格の寺院でした。

同年徳川家康より寺領安堵の朱印状を下付された『武蔵風土記稿、太田村』

寺伝では、その時「三葉葵の寺紋」を許されたといわれる。

朱塗りの山門、丹朱の楼門の建立は、幕末かそれ以降?一般に赤門東福寺と称された。

震災、戦災と二度に亘って堂宇悉く焼失、辛うじて本尊及び過去帳のみ難を逃れた。

本堂、閣魔堂その他は、昭和三十五年頃までに再建を完了した。

梅と閻魔堂

赤門町(上って)境之谷(下って)藤棚へ

12:00 12番:法亀山 願成寺

本尊は秘仏の延命地蔵尊です。寺伝に、「天平年間(729-49)行基がこの地を通りかかった時、

 渇を覚えを探していると渓谷より1匹の亀がはい出てきた。

路傍を掘ると清水が湧き出てきたので、これを飲用し渇を癒した。

これよりこの周辺を法亀山と名付け、草堂を創った。

これが願成寺の始まりである。」

日限地蔵尊

「願成寺の縁日」で子どもの頃通った記憶があります。

弘法大師の石像「オーラ」が映っています。

タイサンボク

桜木町駅へ出て「pronto」で昼食、市営バスで帰途に 

>>>空海その3

綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)京都九条に創立した。

「綜芸」とは顕教,密教,儒教をいい,「種智」とは菩提心をいう。

身分上の制限により,当時の大学,国学に学ぶことのできない庶民のために開いた学問所。

ここで仏教以外の思想・学問をも広く一般大衆にも解放した。

全国に渡って広く布教活動を行って、各地に信者を増やした。

また、信仰・学問の分野のみに止まらず、土木・灌漑事業にも及んでいる。

社会事業は仏教指導者の必須ともいうべき行動目標であって、

 古くより真摯な仏教者は、この「社会事業」に多くのエネルギーを費やしている。

                         【必携お経読本より】

何処へいっても”弘法大師の足跡”を見聞きするのはこのためだ。


標高のない山歩いてますⅲ

2022年02月11日 | walking

2月6日、今日も南区へ、最短距離の移動を選択した

自宅から根岸森林公園へ、富士山は多い雲の中、根岸墓地を突っ切り増徳院へ。 

へび坂=急登の階段」を一気に降り中村町に出て、

第29番:大慈山 玉泉寺へ

幼稚園を併設、門の外から本堂を(高架は高速狩場線)

趣のある寺です

山門脇にあったお墓です。

戦災で焼け出された?お墓を、石碑を納めた場所、稀有な場景でした

帰途は元町に出て「トマト」を買って戻りました。

翌日7日、南区蒔田町に、32番:南竜山 無量寺

地下鉄蒔田駅から徒歩30秒の立地条件

「遍照金剛」とは、入唐時『恵果』に授けられた名号

陽当たりの悪い本堂、梅の古木やっと小さな蕾が付いていた。

(入口にあった池には薄氷が張っていた)

蒔田町といえば「大山祗命神示教会神総本部」のある所です

**

8日西区の三寺へ、今日は市バスにて移動

13番:海東山 洪福寺(臨済宗)

ここは上星川の菩提寺へ墓参り行く際、前を通っている。

石碑もなし(引き継がれていない)お寺だった

(横浜駅東口へ移動)名医と評判の「深作眼科」です

 

14番:青木山 本覚寺(曹洞宗)

京浜第1,2国道を繋ぐ青木橋脇にある大きなお寺

史跡:アメリカ領事館跡

ここは神奈川区、横浜開港時の名所が多く存在している

本堂

裏に「涅槃像」が

    

いろんなポーズをってきました  (クリックすると大きくなります)

青木橋を渡って、対岸の@京急神奈川駅から

15番:開塔山 宗興禅寺=そうこうじ 曹洞宗)

ヘボン博士(医者で宣教師)がここで診療を行っていた

ヘボン式ローマ字の創り、明治学院大学創始者でもある

「神奈川宿ウォーク」なるイベント開催中です  

都会の道、距離は近いが道路の横断は「歩道橋」

上ったり・降りたり意外と歩いた三つの寺でした

横浜駅東口地下街で、昼の「味玉ラーメン」で〆ました

  

***

>空海その2

・中国真言密教の権威である『恵果=けいか』に師事し、正式の「伝法灌頂」を受け、

  『遍照金剛』の名号を授けられた。

・入唐2年後806年帰国、809年洛世の高雄山に入山するが、嵯峨天皇の知遇を得て高野山の土地を賜った。

  ここに金剛峯寺を建て真言密教の本山、修行の聖地とした。

   別に京都・東寺をも賜り、此処を根本道場とした。

                          【参考:必携 お経読本=改定版】

灌頂(かんじょう)とは、水を頭の頂に注ぐという意。

諸仏が智水を菩薩の頭に注ぎ、最上の位に達したことを認めること。

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